00.プロローグ
アシュリーはうんざりしていた。
侯爵アシュリー・ジャレッド・アマーストは、何度目か数えてもいない見合いをしていた。正確には、両親によってさせられている。
貴族社会において、十代には婚約者ができ、二十歳を過ぎれば婚姻していることが一般的ななか、アシュリーは二十四にもなって婚約者すらいない現状だ。婚期を逃しかけていると両親がせっつくのも当然であった。
アシュリーも、アマースト家を継ぐ以上婚姻しなければならないと頭では理解している。
しかし、と閉じていた瞼を、伏せたまま開く。
庭園の一角にある東屋で、令嬢と二人きりの茶会の席が設けられていた。事前に肖像画付きの釣書も執事から渡されたが、これまでと似たり寄ったりの内容だったので、覚えてもいない。
ふわりと、そよ風が吹く。色とりどりの花の香りに混ざって、かすかに白粉の香が風下のアシュリーに届く。思わず眉間に皺が寄った。
わずかに開けた視界の端に見える令嬢の口元は紅い。紅を刷いた口角は上がっている。
「ご趣味は?」
「特には。強いて言うなら、日課の剣術の鍛練でしょうか」
「まぁ、さすが国境を護る侯爵ですわ」
これが口先だけのおべっかだと、アシュリーは解っている。中央の貴族は芸能を嗜み、優雅であることを美徳とする。目の前の彼女も、国境付近のことなど風の噂程度にしか知らない中央の貴族の一人だ。武骨なことなど、欠片も興味がないことだろう。
「そういえば、侯爵は女性嫌いとの噂ですが、どういったところが苦手なのでしょう?」
すでに噂を事実と断定した問いに、肯定の意味を込めてアシュリーは溜め息を吐いた。さきほどから眼もロクに合わせず態度にも出していた。
「そうですね……」
自分ならば寄り添ってみせようと、媚を売る令嬢はこれまでもいた。侯爵の地位目当てであったり、アシュリーの精悍な顔立ちが好みだという令嬢も一部いる。アシュリー本人は関心がないため気付いていないが、彼の顔立ちは整っている方だ。容姿だけで他は眼を瞑ろうと試みる女性がいる程度には。
しかし、それも彼の回答を聞くまでのこと。
「化粧をするところがまず苦手ですね。そんなに顔に塗りたくって何がよいのでしょう。香水の匂いも嫌いです。ドレスで着飾るのも、どうしてそんなに動きづらい装いが流行るのか、理解できません。媚びばかり売って後から勝手に失望したり、持って回った言い方をして陰口を叩いたりする。噂好きな性質も好ましく感じない」
この率直すぎる意見に誰もが閉口する。目の前の令嬢もそうだった。
アシュリーが社交界で見てきた女性は往々にして、述べた通りの女性がほとんどだった。自身の母親も噂好きで、領地の邸で暮らしているというのに、最新の流行を押さえようと王都の話題を彼から聞き出そうとする。
もう社交シーズンも終わる。必要な顔見せや挨拶回りは済ませたので、アシュリーはそろそろ領地へ戻ろうと考えていた。
今後の予定に考えを巡らせていたアシュリーは気付かなかった。
口をつぐんだ令嬢の瞳がきらきらと輝いていたことに……
いつも通りこれで終わりだと思っていた見合いが、始まりだったと、そのときのアシュリーは知る由もなかった。