第5話 街中にて
「この世界とは異なる世界……言うなれば異世界は必ず存在する」
過去の、ある偉大な研究者が提唱した学説だ。発表当初は誰も相手にせず、誰もが枯れを笑ったが、彼の死後、ごく一部の者たちが彼の意思を継いで調べ始め、何百年もかけて異世界を観測することに成功する。だが、肝心の移動方法や交信手段を確立することはできず、そこで研究は打ち止めになった。それからさらに時が流れてある一人の男が興味を示した。
彼は天才であった。理屈や理論なんてものはおかまいなしにただなんとなくで止まっていた研究を推し進めていた。今回に関しても彼はそんなに時間をかけずにあっさりと異界に渡る術を作ってしまう。しかし、それが多くの人々の手に触れることが決して良い結果を生むはずがないと思った彼は、それをある神様に託した。
そんな神様が築いたこの世界は『リュエスエイド』と呼ばれている。学園とも呼ばれるこの世界では様々な世界から人がやってくる。ただ、誰もが入ることができるのではなく、神様によって呼ばれた者だけが切符を手にして訪れることになる。他言は無用で、世界の存在を含め秘匿性に優れている。
しかし、呼ばれたからと言ってわざわざ異世界に行こうと思うだろうか。好奇心があって一度だけ行ってみることはあるかもしれないが、自分の世界での生活がある以上、長く滞在するのはおかしい。所詮、異世界も普通の世界であり、言ってしまえば別の街に行く程度のこと。済んでる者や文化の違いはあれど、自分が変わることではないのだ。
それでもこの学園にはそれなりの数の学生が在籍している。その多くが滞在している理由は、異世界に関わらなければ叶えられない願いを叶えるためだ。
ある者は魔物を倒す術を手に入れるため。魔物があまり現れない世界では魔物の情報はとても少ない。そのため、魔物の生態、弱点、有効な武器を教わっている。最近は武具の生成法に興味を持ったらしく、新たな武器を考案したらしい。
またある者は食糧問題を解決するため。土地が狭くあまり作物に頼れないため漁が盛んに行われていた世界だったが、人口の増加に食料が間に合わなくなり、どうにかしたいらしい。相談した相手が悪かったか、狭い土地で大量に採れる作物の種を与えられたり、土地を増やす方法を教わったりと、思ってもみなかった回答を得たが、それはそれで上手くいっているとか。
またある者は大切な人の不治の病を治すためにやってきたそうだ。その人を連れてくることはできないため肝心の病気がなんなのかがわからず、彼自身が医療の技術を学ぶことになった。現在では無事に完治し、もう学園に来る理由はないが、お世話になった人たちとよく食事をしているのを見かける。
学園の異世界の者が多くいて、簡単に関わることのできるという性質がこれらの願いを叶えている。もちろん、かの者が懸念した通り悪用される恐れもあるのだが、そのような者にはそもそも呼ばれることはない。まぁ、神様が見ている中で悪事を働こうとする者などそうはいないが。
さて、実はこの学園の学園長は新しいもの、楽しいもの好きで有名である。ただ好きなだけならそれでいいのだが、自分が気に入ったものをやたらと他人に勧めたがるのだ。今回彼女がハマってしまったのはオンラインゲーム。ある学生が楽しそうにやっているのを見たのが原因だそうだ。普段であれば身近にいた数人が犠牲になるだけで済むのだが、人数が多いほど良いという情報を得てしまい、結果として学生全員が強制されてしまった。あろうことか初日の講義を休講にした上で寮から出られなくした。権力を持った子供は恐ろしい。
そんな学園長のワガママに付き合わされた学生たちだが、大半の者はオンラインはおろか、ゲームに触れたことはない。そのためコントローラーを用いず、文字通り異世界に行ったように遊べるというこれがどれほど特別なものなのかを理解できているのは極々限られた一部の者だけであった。
ベッドに転がり、右腕にはめられた腕輪を左手でそっと触り、空中に現れたディスプレイを指でなぞり、ショートカットに並んだアイコンからゲームを起動する。瞳を閉じたわけではないのに視界が暗転して、空を飛んでいるかのような感覚が身体を襲う。けれどそれはすぐに終わり、目の前には人通りの多い街中の景色が広がっている。一歩を踏み出すと少々転びそうになる。寝ている状態から急に立っているのに変わってしまったからだろうか。数歩歩くとすぐに慣れて、他の通行人と同じように歩き出した。
その者は昨日にセンと一緒にいた少女、エリスだ。薄茶色の髪を揺らしながら、街の中を歩いて行く。向かう先は昨日待ち合わせ場所にした冒険者組合だ。まだ一度しか歩いたことのない道であるために迷ってしまわないか心配になるが、そういう時は腕輪に触れてマップを開き、現在地と目的地を確認しながら正しい道を選んでいく。どうやら彼女にも地図を読むだけの能力はあるようだ。
しばらく歩くと、わりとすぐに冒険者組合と書かれた看板が掲げられた大きな建物が見つかった。端末を操作し、フレンドリストを確認すると一番上にセンと名前が書かれている。昨日の冒険を思い出しながら見ているとそのすぐ横にはオフラインの表記。彼と約束した時間まではまだある。場所も覚えたしちょっと街を探索してみようと、彼女は適当にめについたお店に入っていくのだった。
リュナンティス国。十年ほど前までは王国であったが、新たに王座に就いた王が突如として権力を国民に与えると言い出し、それから少々時間をかけてに騎士を中心とした共和制なったという国だ。王としての責任から逃れたいだけだったり、ただ遊びほうけていたいという理由だったりと色々噂されたものの、法の整備や他国の対応が迅速であったために元から王族間で決められていたことだったようだ。
現在は騎士団の中で実力によって選ばれた四人の騎士と、国民の支持によって選ばれた四人の騎士、そして四大貴族から出された騎士、合わせて十二人の騎士によって運営されている。最初の頃は色々ともめ事が多かったそうだが、それも収まった今となっては平和そのものであり、腕っ節の強い騎士に守られるため安全性は一番の国である。
ちなみに元王族の方々はかなり適当に生活しているそうだ。自由にできなかった他国への旅行や、護衛を引き連れない狩りなど。まぁ、高貴な生活は捨てられていないようでちょくちょく舞踏会を開催しているようだが、貴族でなくても招待されることもあるようで王族だった頃よりも国民に愛されるようになってしまっているそうだ。
そんな国の首都アルスリヴスでセンやエリスは活動している。ゲームを開始する際に三つの国から選ぶのだが、このリュナンティスは最も安全で人当たりの良い国である。国によっては冒険者を快く受け入れられないこともあるのだ。センは普通にプレイしたいからこの国を選んだのだが、エリスはというとデフォルトでここに設定されていたからである。そもそも他の国のことなど知らなかったらしい。まぁ、そのようなことがあってもいいようにここに設定されていたのかもしれないが。
ちなみに国の紹介については学園生全員の部屋にもれなく届けられた極厚の設定資料集にて確認することができる。無駄に年表や主要人物の好物まで書かれたプロフィールなどがあり設定の濃さをうかがえるが、全部に目を通した者は皆無である。
と、そんな首都の中でエリスが歩いている場所は商区ファルフレアと呼ばれている。首都だけあって街は広大で幾つかに区分けされているのだが、その中の商業を中心とした場所だ。先ほど行った冒険者組合や、昨日の夜の酒場もここにある。安いものから高いもの、他の国からの輸入品も含め多くのものが手に入るこの場所はいつも賑わっている。安全と呼ばれている国の首都であるため、商人たちにとっても店を構えやすく、かつ運河によって他国との物流が盛んであるため、大陸中に展開しようと考えている商会は必ずここに出店していた。
表の大通りはそういったチェーン店が立ち並ぶが、ひとつ路地裏に入り込むと個人商店であったり、テナント募集の空き家であったり、知る人ぞ知る隠れた名店がある。エリスはそんな店に気分で入っては商品を眺め、知っているものがあると喜んだり、高いものを見るといつか大人買いしてみたいと夢見たりして時間をつぶしていた。
その中で幾つか買ったものもある。始めたばかりの冒険者、収入も昨日の依頼の分だけしかないが、ゲームスタート時の資金がそれなりにあるためそれで買ったものだ。まぁ、彼女が欲したのは便利な道具ではなく食べ物なのだが。
ある個人商店で買った甘いだけでなくほろ苦さを感じられるアイスクリームをなめていると、歩いているひとりの人物が気になった。それは決して身なりがそうさせるのではなく、それ以外の要素……具体的に言ってしまえば、彼女が今日訪れた先々でちょくちょく見かけていたからだ。同じように適当なお店巡りをしているのだろうか。しかし、それにしてはきょろきょろと辺りを見回して、何かを探しているようだった。
「どうかしたの?」
エリスはその人物に近づいて話しかける。困っている人がいたら放っておけない質らしい。話しかけられた相手は驚いた様子だが、エリスの見た目が子供然としていたからか、警戒はされずに普通に向き合ってくれた。
「少々、道に迷ってまして……」
思った通り困っていたようだ。エリスは道なら得意だと胸を張って、マップを広げる。
「どこに行きたいの?」
「冒険者組合です」
と、行き先はどうやらエリスも知っているところだ。時間を確認するとセンとの約束の時間に近づいているため丁度良い。それなら一緒に行くよとエリスは提案する。
それを受けた彼はありがとうございますとお礼を言い、自分より小さな女の子に先導されて歩き出すのだった。