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第3話 硝子の壁

 少女の初討伐の後、ふたりはまだしばらくその場でグラスゼリーの相手をしていた。立ち回りであったり、手応えであったり、戦闘の感覚を忘れず、しっかり物にするするためだ。それにしては他の同業者たちが皆帰ってしまうまでやっているのは異常な気もしないでもないが。そのかいもあって彼女はヒットアンドアウェイの心得を身に着けることができた。まだ注意力が足りずに、たまに木や岩にぶつかることもあるが、そこは周囲に気を向けることを覚えればどうにかなるだろう。

 とはいえ、ここに至るまでに多くのグラスゼリーが犠牲になった。討伐対象であり、この草原には幾らでもいるのだが、最初に来た頃と比べると目に見えて個体数が減っている。依頼の達成には十分だろう。少女はそれでも戦闘を続けていて、安定してきたために見張る必要も少ないだろうと考えた彼はヒマつぶしに依頼書の確認をしていた。


「ん?」


 依頼を渡された時にはまじまじと読まなかったが、よく見ると依頼書の下部、とある項目が目立つように赤文字で書かれていた。依頼内容自体、「草原にいるグラスゼリーを減らしてきて」という大まか……言ってしまえば雑なものだったのだが、その部分だけは他と異なりしっかりとした文体で書かれているのが異様さを放っていた。そして、その項目はというとそのグラスゼリーの生態文であった。


「おい、とっとと帰るぞ」


「ごめん、あとちょっとだけ」


 急いで少女に声をかけるが、のんきにステップを刻んでいる彼女はこれまたのんきな声をを返してきた。


「そんな時間ないんだよ!」


 彼は彼女の元へと急ぐと、手を引いてモンスターから引き離す。彼女はおもちゃを取られた子供のような顔をしたが、つないだその手から彼の必死な想いが伝わってきたために頷いて彼の指示に従い、ふたりはその場から街へと走り出した。


 走りながら少女は依頼書を受け取り、彼が話すグラスゼリーの生態について目を通した。

 グラスゼリーの属するゼリー族は普通の生物とは異なる魔物であり、一定の時間になると活性化する。このモンスターの場合は夕方。長時間に渡って戦闘を続けていたために、もう空はオレンジ色が見え始めている。他の者達が先に帰って行ったのはこの依頼書の内容をしっかり読んでいたためであろう。それに対し彼らはかなり出遅れたということになる。活性化と書いてあるだけで実際はどうなるかはわからないが、初心者がおいそれと相手をしていいものではないことは確かだ。


「ごめん、ちょっと疲れた」


 先ほどの場所から街まで残り半分を過ぎたあたりだろうか。少女の走るペースは目に見えて落ちていた。無理はない。ただでさえ慣れない戦闘を数時間も続けた後に休むことなく走ったのだ。後方を見たところ追いかけてくるモンスターの姿は見えない。仮にあれが活性化したとしても、そう簡単に追いつけるような距離ではないだろう。休憩とまでは言わないが走るのをやめ、やや早歩きといったペースで街へと向かう。

 そうしてしばらく、ようやく息を整えることができると、ふたりして飲み物を口に含んだ。空はもう完全に黄昏色をしていて、あの依頼書の生態文が正しいなら先ほど戦っていた場所では今頃何かが起きているのだろう。彼にはそれを見てみたいという気持ちもあったのだが、好奇心に殺されてはかなわない。やるとしたらもっと実力がついてからか、心強い仲間ができてからだ。今日一日で大分良くなったのだが、それでも彼女だけでは心許ない。しかし、それを彼女に言ってしまうと落ち込んでしまいそうだということで、決して口にしなかった。

「あっ、見て。あの人さっきいたよ」

 彼女が指さした先には剣を携えた人が何人か集まって歩いていた。彼にとってはその集団があの場にいたかどうか判断できる材料が歩いている方角しかないのだが、集団の中の一人を指すような言い方をしているということは、彼女にはそう言える確証があるのだろう。転がっているばかりだったのによく憶えているものだと、彼女の記憶力には関心する。もっとも、それもただの思い込みかもしれないのだが。

 ひとまずその集団に近づくためにふたりは歩くスピードを上げた。群れていればその分だけ安全になるからだ。街に着くまで情報の交換をしてもいい。

「って、わっ」

 駆けだしたその場所が湿っていたようで滑り、少女は転んでしまいそうになる。しかし、すんでの所でバランスを保った。今日の特訓の成果のたまものである。しかし、ただ濡れていただけにしてはやたら滑ったと思い、少女が足下を確認すると草に隠れて緑色をしたややぬめり気のある液体が広がっていた。その色や感触には覚えがある。数分前まで対峙していたあの魔物だ。あいつらは倒した後にこうして地面に溶けてドロッとした水たまりを作る。しばらくすると乾燥してしまうのか消えるので近寄らなければいいのだが。はて、ついさっきここであの魔物を倒した者がいたのだろうか。前方の集団が倒しながら歩いていたと考えることもできるが、なんとなく嫌な予感がした少女は、離れないようにと彼のすぐそばへと寄る。


 よく悪さをする子供には怖い話をして止めさせるという習慣があるだろう。それは人のものを盗むことであったり、暗くなる前に帰ってこなかったりと様々な悪さをやらないようにと躾けるのだ。その話は子供に想像できる範囲のもので、可能であれば現実味のあるものが好ましい。説得力や臨場感が増え、信じやすくなるためだ。

 この街ではこんな話がある。日が暮れてもまだ原っぱで遊んでいると、大きな魔物がどこからともなく現れてその子を飲み込んでしまうというものだ。この話のおかげで夕暮れ時にはしっかりと子供が帰ってくるため、親御さんからは好評で、誰もが知っている話である。この話のどこまでが本当であるかは街の人々にとっては重要ではない。なにせ、一生を街の中で過ごす者が大半であるからだ。だが、冒険者となり外へ出ることが主になる彼らにとっては関心の向かうべきところであろう。もっとも、それを知っていればの話なのだが。


 少女が駆けるたそのすぐ後、草原には幾つもの水たまりがぽつぽつと現れていた。その数は数えられるものではない。なにせ、倒されて染みこんだその地面からまるで自分の番が来たかのように次々と飛び出すのだから。それらは意思を持って集まり、やがてひとつの大きな水たまりとなる。そして、自分たちを討ち取ったものたちへと復讐するために再び立ち上がるのだ。


「おい! もっと急げ!」


 彼は後ろで走っている少女に声をかける。それが届いてはいるのだが、彼女の走る速さは変わらない。疲労のためもあるが、全力疾走してもそこまで早く走れないようだ。そのすぐ後方にはあの魔物の合体した姿……いや、これがグラスゼリー本来の姿なのだろう。飲料の入るような透明な瓶を逆さにかぶり、緑色の体で滑り歩く姿はまさしく異形と言える。その体躯は彼らの背丈の数倍を越え、ただ突進されただけであってもひとたまりもない質量を有していることがわかる。


「くっそ!」


 彼は引き返して少女のもとへと駆け寄る。しかし、魔物の動きは早く、少女を抱えて逃げる余裕はない。大剣を手にした彼は魔物の前に立ち塞がる。徹底抗戦といきたいところだが、まだ免許ももらえていない新米冒険者ひとりにどうにかできる相手でないことはわかっている。せいぜいできて数秒の時間稼ぎぐらいだろう。それをほんの数刻前に出会ったばかりの相手のために行うのは馬鹿げていることかもしれない。それでもやるのは、ひとえに彼が少女に魅せられてしまったからなのだろうか。なんとも憎めない奴で頼りないし、心強くもないが、仲間としてはこの上なく素晴らしい存在。それをここで失うには惜しい。であれば、身体を張ってできる限りのことをするのは決して悪いことでもないだろう。


 彼が魔物と接触したのは剣を構えてからすぐのことだ。両手でつかんだ大剣をグラスゼリーの正面に叩きつけるが、激しい金属音が鳴るだけで硝子のような外皮にはヒビひとつ入らない。しかし、勢いはある程度消すことができたため、少女を守ることはできた。


「お前は逃げろ」


「けどっ」


「俺がなんとかする」


 格好をつけて平気そうにしているが、どうにかする術はない。全力の一撃でさえ硬い外皮に阻まれて効果はなく、反動で手が痺れて剣を持つのでさえ精一杯だ。見栄で表情には出していないものの、このままではただやられるのを待つことしかできない。


(万事休す……か)


 せめて他に仲間がいれば状況は変わったのだろうが、連れはほとんど役に立たず、前に見えていた集団は彼らを見捨てて逃げてしまった。残された彼らふたりに解決能力はないという絶望的な状況。魔物が後退し、助走をつけて再度彼に突進し出したところで、転機が訪れた。彼らの後方からひとり、魔物に向かって飛び込んできて、手にしたその武器で押し返したのだ。


「何だ!?」


 後ろ姿でもわかる、その者は女の子だ。手に持つ得物は刀。抜刀する余裕がなかったのか、鞘に納めたまま魔物に叩きつけていた。しかし、彼にはまったく見覚えがない。狩り場にも、逃げた集団にもいなかったはずだ。だとすればわざわざ戦いにやってきたというのだろうか。歩み寄り、彼女と共に魔物に対峙する。


「逃げたらどう?」


「生憎、連れが動けなさそうなんでな」


 後方で転んだままの少女をちらりと見てそう答える。起き上がるタイミングは幾らでもあるのだろうが起きてこないところを見ると、足を痛めてしまったのだろう。彼ひとりでも逃げることはできるが、一日を共にした仲間を置いていけるほど薄情ではない。

 それに、自分より遙かに小柄な彼女がどれぐらいできるのか、単純に興味もあった。


「勝算は?」


「私には勝利はあっても敗北はないから」


「撤退は用意してもいいんじゃないか?」


「取り逃がすはあったかもしれない」


 彼女は冗談めかして笑う。ただの無謀な勇者プレイとは違うと、なんとなく理解できた。話している間に手の痺れは消えた。

 なら、やれることはひとつだ。即席であり、まだ全然話したこともない相手ではあるが、その自信は信頼にたり得る。このひとときだけでも仲間として共に戦うことを決めた。


 それからの行動は早い。二手に分かれて左右から攻撃を仕掛ける。突進しか攻撃方法を持たないのなら、双方からその助走をさせないように攻める。もしも動き出してしまったら、いったん離れてもう片方が注意をひく。彼らの攻撃は手ごたえもなく、一見すると効果がないように見える攻撃であったが、何度も続けると硝子にヒビが目立ってくる。これを突き破ればさっきまでと変わらないプルプルした本体が露わになる。

 しかし、あと少しという所で彼の持っていた大剣は折れてしまう。突進を受け止めたのもあるが、硬いものにぶつけすぎて耐えきれなかったのだろう。持ち主の筋力よりも自重が主な力であったため、根元から折れてしまっては役に立たない。予備の武器もないため、彼にできることはどうにか魔物の注意を引き留めるぐらいだ。その間に彼女がどうにかしてくれることを祈る。


 と、彼の足下に軽い物が転がる音が聞こえた。見てみるとそれは少女が持っていたはずの杖だ。彼の武器が壊れたのを見て、投げてくれたようだ。


「休ませてはくれないんだな」


 彼はまたまた世話の焼けるやつだと思いつつ感謝した。そうだ、少女もまた仲間なのだ。ほんの少し戦力外であり、離れてはいるがやる気だけは十二分にある。正直な話、大剣も持てないあの子が出てきてもあまり役に立つことはない。それがわかっていて、後ろにいるようだ。決して逃げはせずに。

 今更彼は「逃げろ」などとは言わない。少女の気持ちに応えるためでもあるが、なにより勝ち筋が見えたからだ。ここまでやって撤退するなんて考えられなくなっていた。

 託された杖を両手で持ち、魔物に垂直にむき直す。野球でバットを振るような動作で杖を魔物にぶち当てた。その一撃が強かったのか、それとも蓄積による偶然か、魔物を覆う硝子は砕け散り、ようやく魔物の本体があらわれる。

 あの硝子はグラスゼリーの身体を支えていたようでその巨体を維持できなくなったためにドロドロと地面に広がっていく。しかし、小さかった連中と異なり溶けて沈んでいくことはなかった。

 これではまだ倒せたとは言えない。魔物には回復力があるため、しばらくしたらあの硬い硝子も復活してしまうだろう。その場合はもう戦えるだけの武器も体力も残っていなかった。


「どうすればいい?」


 冒険者になったばかりで魔物と戦ったことなどなく、その生態もよくわかっていない。再度依頼書に目を通してみると、ただ一文だけ『核を破壊しよう』と書かれていた。核とは何か、目に見えてわかるものがあるのだろうかと広がっていくグラスゼリーを眺めていると、赤い球体のようなものが見えた。しかし、それがある場所は真ん中である。広がり広がり、広がりすぎて、そこはもう攻撃の届く場所ではない。そのことを伝えると女の子もまた刀しか持っていないためにどうすることもできないようだ。しかし、復活にはもう暫くかかるため、その間に逃げることはできるだろう。


「後で必ず……」


 彼女が非常に惜しそうにしているが、倒す手札がないのでは仕方がない。ひとまず無事に帰れそうということだけでも喜ぶべきなのだろう。いつの間にか日は完全に落ちてしまった。遠くに見える街の灯りに向かわなければ。


「待たせたな」


 そう言って少女の方へ振り向くと、小さな何かが彼の隣を飛んでいった。彼にはわかる。それが少女に渡していた短剣であったことが。


「……はぁ?」


 投げられたそれは放物線を描いて飛び、ある一点に突き刺さる。距離が離れて速度も落ちていたはずなのだが、刃こぼれしていない上に対象が柔らかいものであったために簡単に刺さった。狙ったのか、それとも偶然かはわからないが、ちょうどグラスゼリーの核に当たったのだ。


「やった! 当たった!」


 少女はひとりで飛び跳ねて喜んでいる。彼と女の子はそんな姿と核をつぶされ溶けていく魔物を交互に見て脱力したのだった。

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