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第1話 きっかけ

 あくる日の昼下がりのこと。地面に触れる靴が隠れるほどの高さの草が絨毯のように一面に生え広がる草原。いつもならば大小様々な動物たちが漫然と駆け回っているその場所では、いつもとは異なる賑わいがあった。決して少なくはない人間がそこに集まっていたからだ。

 その集団は何か集会を開いているという様子ではなく、また祭りのような催しをしている様子でもない。集中してよく見てみると、片手で数えられるぐらいの人数に分かれて同じことをしているのがわかった。

 しかし、一定の規則を持って動いていると考えると、目につく少女がひとりいた。少女の見た目は普通であり、特別目をひく要素はない。むしろ、周りの者たちがカラフルな髪や派手な衣装に身を包んでいる分、薄茶色の髪とローブの姿の少女は地味ともいえる。なら、少女であるという年齢の低さが原因だろうか。いや、それも違う。周囲の年齢は様々で、老若男女揃っている。その中には少女よりも幼く見える者も見受けられた。

 ではなぜそんな少女の姿が目についたのだろうか。それは、彼女の行為が原因である。忙しなく動き回る人々に紛れて、彼女だけがその場でただひとり、仰向けになって空を眺めていたのだ。



 普段より人が多く、少々騒がしい草原は平坦ではなく、小高い丘があったり、いくらか年を重ねたであろう木が立っていたりする。その中のひとつの木の影にかかるかかからないかといった位置で、少女は空を眺めていた。決して眠っているわけではない。まだかろうじて瞳は開いている。もっとも、ほんのりと陽光を通してくれる木と、自然の草の絨毯、そして頬を撫でる温かな風のおかげか、放っておけばそのまま眠りについてしまいそうなほど細い瞳ではあったが。

 青く高い空を流れていく白い雲に視線は向くものの、しばらくすればそれは視界から消えて無くなる。その代わりとして流れてきた別の雲へと視線を合わせる。彼女はそんな不毛ではあるが穏やかな時間を過ごしていた。


「このまま寝ちゃおうかな」


 少女は誰にも聞こえないような静かな声でそう呟き、自然の音に耳を傾ける。草原を駆け抜ける風が草や葉をたなびかせる音、小さな動物たちの足音……ああ、なんて平和な世界なんだろうと、そう思った。ようやくか、それとも、もうか、少女がそっと船をこぎ始めようとした頃だ。少女の小さな身体は何者かに突き飛ばされた。

 彼女は減速するどころか坂を下って加速して草原を転がっていき、先ほどの場所から離れた位置にあった別の木へと叩きつけられた。ものの数秒間の出来事ではあるが、夢見心地から現実に戻された彼女が「永眠したい」などと思うのも無理はないだろう。

「いや、やっぱり大げさだ」


 理不尽な痛みから解放されるならばと一瞬だけ考えたのだが、そんな考えは即座に捨ててしまった。見た目相応と言うべきか、かなりポジティブな女の子らしい。彼女は両手を伸ばして小さく「よし!」と言うと立ち上がった。

 草原で寝たり、転がったりして服についた砂埃を両手を使って適当にたたいて落とす。それが終わると、辺りを見渡し始めた。先ほど彼女を突き飛ばしたゼリーのような生物たちと、武器を手にしてそれと対峙する人々。そこから少し離れてしまったが、草原を転がっているうちに落としてしまった武器を拾い上げ、同じ志を持つであろう仲間たちのもとへ駆けていく。そして、標的である一体に目を向けると、両手で武器を持って構えた。


 彼女が手にした獲物は杖だ。女の子の腕くらいの太さで、日に焼けたような肌の色をした木でできている。特別そうな装飾もなく、色が塗られている様子もない。ただ、持ったときに皮膚を切ってしまわないようにだろうか、薄くコーティングがしてあるようだ。また、先端部分は持ちやすいように湾曲しているのだが、彼女はその反対側を両手で握り、正面に構えている。


「よし!」


 さて、この杖はどんな武器なのだろうか。見た目を言ってしまえば老人がついているものと大差はない。しかし、これはあくまで武器であり、構えからも彼女がこれを体重かけとしては利用するつもりはないことがわかる。

 なら、先端から炎でも飛ばすのだろうか。ゼリー状の生き物がうろつくような世界であれば、そのような魔法があってもいいだろう。そもそも、彼女の近くで戦っている者の中には杖など持たなくとも雷や氷を手の平で生成し、飛ばしている者がいるのだ。つまり、同様のことができておかしくはないはずだ。

 そして、彼女は動き出した。足を前へと進め、踏み切って空へと舞い上がり、持っていた杖を上から下へと振り落としたのだ。そう、全体重を乗せてただ振り下ろしたのだ。彼女はこの見た目通り小細工のない武器を、ただの鈍器として扱っていたのだ。


 使い方を大きく誤っている気がするが、彼女はこれしかできない。そして、もっと言えばこれすらもできないようだ。無駄に大げさに振りかぶったわりには杖は敵を捉えられておらず、かすりすらしていない。少女の手元には馴染みのある柔らかな地面の感触しかなかった。

 そんな彼女はすぐに気を取り直して再度杖を構えようとするが、敵の目の前で大きな隙を作ってそれを攻められないという道理はないだろう。少女は再び脇腹へと体当たりを食らうことになり、草原を転がっていく。しかし、これまで何度も転がったおかげで慣れてしまったのか、今回は杖を放すことなくしっかり胸に抱えて転がっていった。


「大丈夫か」


 転がっている中、また岩や木にぶつかるのだろうと予想していた少女を優しく受け止めたのは顔のよさそうな男性だった。普通ならときめく展開でもありそうなものなのだが、少女はちゃっちゃと立ち上がって服についた汚れを落とす。


「大丈夫だから!」


 そう元気に言い放ち、杖を抱えて戦いへと駆け出す。そんな彼女を呼び止める素振りもなく、彼は走り去る後ろ姿を目で追っていた。


「大丈夫って……どこからそんな言葉が出てくんだかな」


 彼は彼女が同じようなことを言って転がってくる姿を何度も見ていた。それも数えるのが面倒になるくらいには繰り返されているのだが、彼女は一向に折れる気配がない。見た目は小さいのだが、実はかなりのメンタリティを保有しているらしい。


「いや、むしろ……」


 あれはただ子供なだけか、それともバカという生き物なのではないかと考えていた。それほどまでに理解に苦しむ存在である。だが、それは決して不快なものではないとも感じていた。子供だと思って見てしまえば、可愛げのあると評することができるからだろうか。もし自分に子供がいたら……などと考えてしまうほどには、無邪気さをばらまいていた。


「またか」


 再度転がってきた少女を受け止める。彼女の服を見るとあちこちに土汚れがたまっている上、手や腕には軽い擦り傷ができている。出会ったときはもっとみずみずしさを感じる見た目であったのにと、思いながら、目の回っている彼女に一声かけた。


「お帰り」


「……ん。ただいま?」


 まだ目が据わっていないのだが、彼女はそう答えた。そのなんとも間抜けな姿に、彼は自然と笑みを零していた。最初は惚けていた彼女だが、しばらくすると立ち上がって「なんで笑うの!」と抗議を始める。それがまた彼のツボにはまったらしくむせるほど笑うと、


「キミも転がればいいよ。ついでに岩にぶつかるといいよ!」


 と不服そうに言う。対して彼はというと、今もなお笑いながら、彼女をここに連れてきてよかったと、出会ったころのことを思い出していた。




 ふたりの馴れ初めは僅か数時間前の話。旅人の様相であった彼は、ひとり公園のベンチに座っていた。街にやってきてやるべきことを幾つか考えていたのだが、そのうちの最初を終えたところでの休憩である。

 実は言うと、予想以上に街が広かったことと、人が多かったことのせいで精神的に参ってしまっていた。初めて訪れる街というものは恐ろしい。しかし、リスクと同時に新たな発見もある。要は発見がリスクに勝ってしまえば良いのだと、少しばかりポジティブに考えようとしていた。


 瓶を傾けて飲み物を乾いた口へと流し込む。何かの木の実だろうか。酸味もなくただ甘いだけだが、癖や後味もなくすっきりとした味わいだ。道寄った店でろくにラベルも見ずに買ったものだが、後で買い溜めしておいてもいいものだと思えた。しかし、どこかで飲んだことのあるような、懐かしさも感じる。ここから遠くにある彼の故郷に、これの原料があったのだろうか。少し、それについても知ってみたいと感じていた。


 そうこうして旅の醍醐味である疲れと発見を文字通りの意味でも味わいつつ、ベンチに背を預け、彼は公園の景色に目を向け始める。バラバラではあるが温かな色の煉瓦が敷き詰められた道。所狭しと色とりどりの花が咲いている花壇。建物の立ち並ぶ街中と分けるようにある低木。水底が見えるほど透き通った池には小鳥たちが涼みに飛んできていた。

 そしてなにより、街の景色を隠して、ここが自然の中であるように錯覚させるほどの美しい木が池の周りに並んでいた。このあたりには季節があるのだろうか。その木は紅葉しており、公園中にそこから散ったのであろう紅い葉が落ちていた。

 ひらひらと舞い落ちる葉を一枚つまむと、棘のない曲線を描いている。あまり見覚えのない形だ。木を観察すると紅い葉に混じる白い花が見える。見かけとしては桜に似ているのだが、はたして秋に花が咲き、紅葉して葉を落とす桜はあっただろうか。彼はそこまで植物に興味があるわけではなかったのだが、この木の名前を知りたいと考え始めていた。


 公園内を見渡すが、あまり人の数は多くない。ならば自分の行動を気にする者もまたいないだろうと、彼はその木へと近づき、幹へ手を置いた。木の幹は彼の体温と比べて冷たい。いや、植物が持つ温度ではない。まるで氷や雪に触れているような、そんな冷たさを感じていた。


「ん……?」


 さわさわと揺れる葉の音に耳を澄ますと、それ以外に大きくざわざわと揺さぶられる音が聞こえてくる。小動物が巣作りでもしているのだろうか。そう考えて見上げると、そこには……


「あっ……」


 幹に手をついて彼を見下ろす人がいた。揺らめく葉の間から零れる陽光がその人物のシルエットを映し出していた。しかし、木漏れ日が後光となってしまい、その表情を読むことはできない。ただ、なんとなく目が合っているような気がしていた。

 それから暫く、お互いに口を開くことがなかった。その沈黙を破ったのはどちらからか、それともどちらともだっただろうか。相手に声をかけようとしたその時、ピキリと乾いた音が鳴ったのだ。


「わわっ……」


 木の上にいた者は足下の枝が悲鳴を上げているのに気づき、軽やかに別の枝に移る。ひとまず胸を撫で下ろすのだが、その足下の枝も似たような音を響かせる。そして気づいたのだ。そもそもこの木は木登りするような太い枝のある木ではないと。

 そこで、枝が折れてしまう前に下に下りるのだが、足下をよく確認せずに下りたらしい。そこは地面ではなく、池であったのだ。彼はその一部始終を目撃していたのだが、どこからどう見てもわざと池に落ちたようにしか見えなかった。それだけ流れるように動いていたのである。


 人ひとりが落ちたため、かなりの水しぶきがあがる。その一部は彼にもかかってしまったのだが、そんなことよりもだ。助けなければと彼は池へと近寄った。池の深さは先ほど確認している。深い所でもぎりぎり泳げるぐらいのもので、よほど小さな子供でも無い限りは溺れる深さではない。もちろん、突然落ちてしまったわけだから、パニックになって足がつくことに気づかないかもしれないためもしもの時は池に入って助けだそうと身構えていたのだが……。


 気泡が静まり浮かんできたのは人間の背中だった。四肢を落として微動だにせず浮いているその様は溺死しているようにもとれる。

 息がつまるかと思った。どんな人物かは知らない。だが先ほどまで確かに動いていたはずのものが、ほんの一瞬で止まるという状況はトラウマにでもなってしまう出来事だろう。彼は意を決して水の中に入り込み、その身体に手を伸ばした。

 しかし、彼が触れる直前にその身体は自分で回り、仰向けになったのだ。するとどうだろうか、ふたりの瞳は見事に合ってしまった。ただ、先ほどと異なるのは上下が逆転したことと、お互いの距離が近くなったこと……そして水に濡れているということだった。


「大丈夫か?」


 見ての通り、平然と浮いているためにおそらくは問題ないのだろう。無駄な質問をしているようだが、間が保たなかったのだ。なにせ、水に浮いている相手は女の子であり、「どうして来たの?」と聞いているような瞳で彼のことを見つめていたからだ。


「さっき覗いてた人?」


 覗いていた……と聞いてしばし彼は考え込む。いったいなんのことだろうと。彼はただ木の上にいる彼女のことを見て、そして落ちたところを目撃してしまっただけであり、覗くと言われる行為をした覚えがなかったからだ。

 しかし、思い返しながら彼女の姿……特にその服装に目を向ける。彼女は足を出した服を着ている……そこそこ短めのスカートで。そしてつい先ほど彼はそんな彼女をほとんど真下から見上げていた。ああ、なるほどと彼は理解した。


「じゃ」


 ほんの一言。たった一音。それだけ言うと彼はその場を後にしようと足を後退させる。だがしかし、「えいっ」と言った少女の手によって片足をつかまれ、バランスを崩し、お尻から転んでしまう。ここが池の中でなければもっと機敏に動けたのだろうが、彼の迂闊な行動が招いた結果はというと少女と同じように全身濡れるというものだった。


「これでおあいこだね」


 上体をおこした少女はかわいらしい笑顔を彼に向ける。彼はむすっとした顔をしながら頭に手をついていたと思うと、どこからともなくタオルを取り出して、少女の顔に覆い被さるように投げつけた。


「急ぎの用でもあるの?」


 受け取ったタオルを両手で頭にこすりつけながら少女は聞いてくる。彼はというと逃げるのをやめたようだ。水をふんだんにかぶったため、どうでもよくなったのだろう。それが当たり前であるかのように会話に付き合っていた。


「冒険者になりたいんだ」


「冒険者?」


 彼は冒険者という存在について簡単に説明する。この世界に生きる悩める人々の依頼を受けたり、自分の心の向くままに歩いたり、好き勝手研究をしたり、そういう自由なことができる免許だ。もちろんある程度制限はある上、実力を計るために簡単な依頼を達成しないといけないのだが。


「やりたい」


 そんな彼の話をしばらく黙って聞いていた少女が発した一言は、彼の心に留まった。少女は立ち上がり、彼を見下ろして声を出す。


「私、人助けしたい!」


 こうして彼女も冒険者になるために依頼を受けることになった。この後なし崩し的に彼も手伝うことになるのだが、結果として彼女のあの状況である。まだ僅か数時間とはいえ彼女の姿を見ていた彼は思う。彼女に関しては深く考えるのは無駄なのだと。

 しかし、こうして彼女と共に水から上がらずに話をしていたところを鑑みるに、彼らふたりは似たもの同士なのかもしれない。

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