第5話 初めての敗北
俺と未来望のサイクリングデートは一瞬で終わってしまった。5分という短い時間では、学校への道のりも短く感じられた。ロードバイクの性能が、今は恨めしい。もう少しゆっくりと彼女と登校したかったと感じる。
「うおおおおお、幸福な時間が終わってしまったあ……。後はつまらない授業だけか……」
俺は、自転車を降りて男泣きする。地獄のような8時間の授業を体感する事になると思っていた。それまでは、未来望とのサイクリングデートもできないのだ。しかも、近くには性に目覚めたばかりの高校男子がウヨウヨしている。
俺の未来望が取られてしまうかもしれないという不安を感じていた。俺の見た目は若くなり、前のカッコ良さを取り戻してはいたが、周りは超人ばかりの集まりなのだ。凡人の俺など普通以下に見えても仕方ない。
「今日は、午前中だけですよ。入学式だけなんで……」
「えっ、そういえばそうだった……」
俺は数日程度しか来ていなかったので、完全に忘れていたが、入学式の日とテストの日は半日だけだった。俺はその事を理解し、安堵する。久しぶりの学校で長時間の勉強とか、俺の精神がイカれてしまうだろう。
俺は、フッーという安堵のため息を吐いて席に着く。とりあえず初日の遅刻は免れたし、今日は授業がない事を知った。そう思って席に着くと、当然のように未来望が隣の席に着いていた。そこは、昔は違う奴が座っていたはずなのだが……。
「うん、なに?」
俺が不審な眼差しで彼女を見つめていると、彼女の方から尋ねてきた。どうやら本当に異世界に来てしまったらしいが、元々いたはずの人物などが気になっていた。顔も大して覚えていないが、彼女じゃなかった事は間違いない。
「いや、隣の席は君じゃなかったと思うけど、どこに行ったのかなっと……」
「ああ、そういう事ですか。私の都合で席替えしてもらいました。私の後ろに座ってますよ。クラスメイトは、私を含めて31人です。私が増えた事によって、1人増えたことになりますね。異世界といっても人を消す事はできませんが、増やす事は可能です」
「そうなのか……」
俺が彼女と話していると、俺の前にメガネをかけた生徒が座る。コイツは、パソコンオタクで、授業中もパソコンを弄っていた奴だ。どうやらノートパソコンをノートがわりに使っているようだが、俺を引き篭もりにさせた張本人なのだ。
「おはよう」
「ああ、おはよう……」
彼は席に付き、パソコンを開く。そして、スマホを取り出してゲームをし始めた。パソコン操作の片手間に、スマホで大人気ゲーム『闇猫プロジェクト』で遊んでいるのだ。俺も、中学時代の数年間、そのゲームを楽しんで来た。
昔は、パソコンをしながら遊ぶコイツをからかってやろうと対戦を挑んだが、結果は惨敗だった。数度コイツと協力プレイをして挑戦したのだが、すべての数値で俺が敗北したのだ。奴も数年間ゲームを続けていたのならわかるが、奴は初めて1か月程度だった。
コイツとの敗北をキッカケに、この学校では化物揃いの天才が集まっている事を知った。他の学校に入学できなかったのではなく、他の作業を優先させるためにこの学校を選んでいるらしい。学生のほぼ全てが次期社長候補という状況だったのだ。
俺と同じ立場にいながら、すでに数十万を稼いでいる奴もいる。こいつもそのうちの1人だった。パソコンでお金を稼いでいるがゲーム歴はわずか1か月程度、俺が確実に勝てると思っていただけに負けた時のショックは絶大だった。
「くっ、パソコン野郎……」
俺は、名前も忘れたが、目の前のパソコン野郎を見て劣等感を感じ始めていた。その様子を見て、未来望は敏感に俺の変化を感じ取っていた。俺とパソコン野郎の間になんらかの問題が発生した事を察知したようだ。
「どうしましたか?」
未来望は、メガネをかけた状態でそう聞いてきた。どうやら授業中は、メガネをかけるらしい。近眼なのだろうか? ちょっと真面目な雰囲気が上がっていた。俺は、入学式を終わって教室に帰る頃になって、彼女にパソコン野郎との因縁を話してみた。
人がいる前では話せなかったが、彼女は人がいなくなって廊下で2人きりになってからなら話してくれると思っていたようだ。そこまで気遣いをしてくれては、俺も話さないわけにはいかないように感じた。彼女は、真剣な顔で俺の話を聞いていた。
「なるほど、『闇猫プロジェクト』で負けたのがキッカケで学校に来る事を辞めたんですね。一見バカバカしい理由ですが、なんとなく状況は理解しました。なら、ゲームで勝てば全て解決という事ですね!」
「いやいや、そう簡単な問題ではないよ。俺は、2年以上の時間をかけて訓練して来た状態で挑んだけど、わずか1か月ゲームを始めた奴に1度も勝てなかったんだ。今同じ条件で勝負しても、勝てるとは思えない……」
「うーん、『闇猫プロジェクト』ですか。実は、1人心当たりがあります。その人と訓練して、自信を付けてから挑むというのではどうでしょうか? 大丈夫、次は勝てますから」
「うっ、もう一度だけ、勝負してみるよ……」
「勝ったらキスしてあげますよ」
彼女の真面目な顔からは想像もできない提案をして来た。女の子とのキスとか、生まれて1回もしていない。それが、こんな美少女の方から提案して来てくれたのだ。これは、ファーストキスをしたいという意欲が高まる。だが、ゲームで勝ってキスというのは……。
「キスはしたいけど、ゲームで勝ってするというのは……」
「もちろん私は、新君が好きでキスしたいと思っていますよ。それとも、私じゃあ、嫌かなぁ?」
「嫌じゃないよ。でも……」
「あっ、それともベル姉様とキスしたいのかな? それは、交渉次第かも……」
「えっ、ベル姉様?」
ちょっと色黒で、金髪ヤンキーの巨乳ちゃん。それが、俺が朝方見たベル姉様と呼ばれる少女の姿だった。筋肉質な体付きだが、胸やお尻はムッチリとしている。その唇はピンク色でツヤツヤしていた。未来望とは違った魅力がある。
「とりあえずベル姉様と連絡してみます。新君は、放課後に『闇猫プロジェクト』で対戦できるように、パソコン野郎君を誘ってください。多分成功すると思いますんで……」
「えっ、マジでキスの交渉するの?」
未来望は、スマホを使ってベル姉様と連絡を取る。確かに、ベル姉様はヤンキーでちょっと怖いタイプだが、嫌いではない。しかし、ファーストキスは未来望としたいと思い始めていた。だが、スムーズに計画を進める彼女に口を挟む勇気はない。
「早くパソコン野郎君と一緒に遊ぶ約束をして来てくださいよ!」
「ああ、分かったよ……」
俺は、かつて俺を絶望のドン底まで追いやったパソコン野郎と同じように連絡を取り合う事にした。彼は、教室でパソコンを見ながら、片手スマホでゲームをしている。興味半分でスマホを覗き込んでいた事で、彼が俺と同じゲームをしている事を知った。
(ふん、初めて数ヶ月といったところか。キャラクターも全然充実していないし、建物も対して建てられてないじゃないか。よし、俺の2年間の努力と実力を見せてやるよ。史上最強のプレイヤーの実力をその目に焼き付けるが良い!)
こう思って得意げに彼に話しかけた。その後、彼は表情を変わらずに俺とゲームで遊ぶ約束をしてくれた。意外に良い奴だと思ったのは最初のうちだけだった。約束の時間通りにマックに来て、ゲームを協力プレイする。そこからが地獄の始まりだったのだ。
(まあ、最初だし手加減してやるか。最近手に入れたキャラクターを使わせてもらうぜ。まあ、最強のキャラは温存しておくさ。どうせ俺が圧倒的に勝つんだ。本気を出すまでもない)
そう思って不慣れなキャラクターで協力プレイする。勝負は通常通り、コンピューターの敵を一蹴して数秒で勝利した。対戦は、この後だ。誰が一番多くの敵を倒したかが表示される。俺は、常に最上位の位置に表示される最上級プレイヤーだと自負していた。
(まあ、お前も頑張ったからな。回復プレイヤーとして名前くらいは出してくれよ、パソコン野郎。俺は、トップの位置を独占させてもらうぜ!)
俺がそう思ってスマホの画面を見ると、彼のプレイヤーが全ての位置を独占していた。俺の設定したキャラクターのアイコンもアバターの名前もどこにもない。ゲームの結果は、彼の圧倒的勝利を示していた。
「バカな! この俺が負けたっ!? いや、手を抜いていたからな。次は、俺の最強のキャラを使う。次こそが本当の勝負だ!」
「良いだろう。受けて立つ!」
パソコン野郎も最初の頃のクールなイメージとは違い、やる気になっていた。俺は、声を出していることにも気が付かずにゲームに没頭していた。だが、真剣にゲームをすればするほど結果は非情なものになっていった。名前さえも表示させる結果が来ない。
「クッソ、すべてに負けているというのか……」
「あっ、新君、ごめん。もう仕事の時間だから行くね」
「し、仕事?」
「うん。今、新しいゲームのプログラムをしているんだ。いずれは、自分でゲームを作ってみたいと思っていてね。今日は、ありがとう。とても楽しかったよ。また遊ぼうね!」
「ははは、一回も、たったの一回も勝てなかったぞ……」
パソコン野郎は去って行ったが、俺はショックに打ちひしがれていた。できる奴には何をやっても勝てないという可能性が頭を過ぎるこのクラスは、こんな化け物揃いなのかと、今日もらったクラスのメンバー表を確認する。
何を思ったのか、俺は彼らの名前を検索して見ることにした。その結果は、恐るべきものが表示されていた。次期社長やアイドル、すでに起業して数百万を稼いでいる奴の名前が表示されていた。こんな化け物揃いの奴らがいる学校だったようだ。
その日を境に、俺は学校に行く事を辞めていた。家に引き篭もり、この世界に絶望していたのだ。それ以後のことは良く覚えていない。いつの間にか、時間が過ぎ去ったように空虚だった。気が付いたら35歳という年齢になっていたように思う。
「くっ、やるしかないんだよな……」
俺の脳裏には、過去の苦い思い出が蘇っていた。今の状況は、俺とパソコン野郎が会話さえしていない状態まで戻っている。そいつともう一度勝負するという事は、再びボロ負けする事を意味していた。それでも、男には譲れない勝負があるのだ。
「未来望が期待してるんだ。ゲーム勝負を逃げることだけは、したくない!」
俺は、負けると分かっていても、パソコン野郎にゲーム勝負を申し込む事にした。