ホルマリン斜め下45°の初恋
一目惚れ、というほどのことでもない。
ちょっといいな、と思うことが積み重なって、気が付けば恋になっていた。
私の好きな人、青坂くんは、よく皆から無表情だとか不愛想だとか言われている。
でも、本当は全然そんなことないのに、と私はいつも思っている。
基本的に口数は少ないけれど、話しかけられて無視するなんて絶対ないし、授業で当てられたり、ディスカッションさせられたりって場面でも黙ってるなんてしない、必要な時はきちんと声を上げられる人だ。
誰にでもフラットな態度だって、相手や気分でいくらでも変えてくる人間より全然いいと思う。
あと、彼は結構というか、表情豊かに見える。
ただ、それは友達に言わせると、私一人だけの特殊な能力だとか、もしくは好意ゆえの思い込みや勘違いの類じゃないかってことになるらしい。
彼が明らかに楽しそうにしてたり、落ち込んでたりする様子を友達に報告しても、いつもの無表情じゃんと素気無く返されてしまう。
そりゃあ、お調子者の中野くんみたいな顔どころか全身で感情を表現するような人とは比べ物にならないけど、それでもあんなにハッキリ違うのに何で分からないんだろう?
ちなみに、彼と私の主な接点としては、単純に出席番号が並んでいるという事実に尽きる。
青坂な彼と赤川な私で、見事に一番と二番を陣取っていた。
夏休み前までずっと前後の席だったのと、今もずっと日直を一緒にやってる関係で、話す機会は少なくない。
友達にどこが好きなのなんて聞かれても、端的な言葉にはし難かった。
例えば、彼の周りだけ時間がゆっくり流れてるような雰囲気とか、読みやすいけど男の子らしい字とか、号令の声のトーンとか、しゃべり方がちょっとぶっきらぼうなところとか、プリントを配る時にきちんと振り向いて渡してくれるとか、お弁当を食べる前と後に毎回律儀に手を合わせてるとか、まっすぐ背筋を伸ばして歩く仕草とか、机の中が整理されてるとか、皆の意見を纏めるのが上手いとか、あと、体調悪くしてる時に声をかけてくれたり、たまについてる後頭部の寝癖が可愛かったり、というか、左巻きのつむじなんかいつも可愛いし、一緒の日直当番で何度か迷惑かけたけど、それを怒ったり責めたり絶対しなかったし、それでも気にしてたら、じゃあコレしてくれたら貸し借りなしって、代わりになる仕事をくれたりとか、ありがとうって言ったら、どういたしましてって返してくれるところも好きだし、とにかく、ひとつひとつは誰にでも当てはまりそうな大したことないものでも、そういう「いいな」がいっぱい重なって、いつの間にか恋になっていたんだ。
友達には怒られるけど、アプローチは特にしていない。
ずっと普通のクラスメイトとして接してたのに、今更になって態度を変えるのは憚られた。
彼も特に私に興味がある風でもないし、下手に気持ちがバレると変にギクシャクしてしまって今後の当番がやりにくくなるかもしれない。
それだけは避けたい。
学年が変わるまで、まだあと何ヶ月あると思っているのだ。
また同じクラスになる可能性だってないわけじゃあない。
気まずいばかりの学校生活なんて、彼だって送りたくないはずだ。
そもそもの問題として、青坂くんとそういった関係になる想像が全くつかないというところもある。
見ていて結構な頻度で、いいな、好きだなとは思うけれど、そこ止まりなのだ。
恋人同士になって、どうしたい、こうしたい、もしも結婚したら、なんて普通の女の子が恋愛してる時のような未来妄想にまで至らない。
きっと、何事もなく卒業して、いつかに良い初恋だったなぁって思い出すぐらいでちょうどいい想いなのだ。
だから、このまま見ていられるだけで、多くは望まない、そう思っていたのに……。
~~~~~~~~~~
ほとんどの生徒にとってはただ面倒なだけの、私にとっては公然と青坂くんに絡める嬉し恥ずかし日直業務は、大体、三週に一度くらいのペースで回ってくる。
まさかの出来事は、そんな巡る当番の日に訪れた。
四限目の理科学実験の授業の後、青坂くんと一緒に先生の使っていた器具の後片付けをしていた時のことだ。
昼休みにかかるものだから、クラスの皆は自分の班の作業が終わるとさっさと教室に引き上げていってしまった。
先生も終わったら鍵を持って来いと無責任にも実験室を去ってしまったため、今、ここには私と青坂くんの二人しかいない。
いつも通りを装っているけれど、私はこの滅多にないシチュエーションに内心かなり緊張していた。
「はは、先生も酷いよね。こんな、えっと、生徒だけ残しちゃってさ」
「そうだな。この状況で、もし何事かあれば、監督責任を問われることは間違いない」
「なにごとか……」
「あぁ。まぁ、俺と赤川さんなら、まず大丈夫だろうが」
それぞれ並んで洗浄の終わった器具を箱詰めしながら、特に意味のない雑談をする。
もちろん、彼は事件事故の類のことを言っているのだろうけれど、ちょっとテンパってしまっている私の脳内には真っ先に不純異性交遊の文字が躍っていた。
完全に湧いている。
いつだって真面目で冷静な青坂くんが、そんな馬鹿な話を仮にも女子相手にしてくるわけがないのに。
「そ、そうだね。青坂くん、こういう時にサボったりフザケたりとかしないしね」
「赤川さんもな」
「あ、うん」
だめだ。頭が全然回らない。あと口も。
好きな男の子と二人きりなんて展開は、色々初心者な私にはまだ早いんだよ。
そこから新たな話題らしいものも浮かばず沈黙すれば、元より自分からペラペラ話し出すような性格ではない青坂くんも無言で作業に従事していた。
いつもなら、べつに会話なんか途切れても気にならないのに、なぜこんなにも居た堪れない気持ちになるのだろうか。
私が請け負った分の最後の器具を箱に入れ蓋を閉じて、まだ手を動かしている青坂くんをチラリと視界に入れる。
あー、下を向いているせいか、いつもよりちょっとだけ伏し目がちになってるとことか、慎重に動かされる指の動きとか割り増しでセクシーだなぁ。
ついつい、そのまま見惚れていると、同じく箱詰めの終わったらしい青坂くんが、非常に心臓に悪いゆっくりとした流し目で私を見てきた。
「……赤川さん」
「ヘぁイっ?」
ひぃっ、咄嗟に変な声がっ。
いやでもだって、何かすごい今まで見たことない妙にドキドキする顔をしてるんだけど青坂くんがっ。
何これ、何を言われようとしているの、うわぁ、まっ待って顔ちょっと待って赤くならないで変に思われる、いやでも無理でしょこれ何これテンパるテンパるテンパる超色っぽい、いや、なんていうか、えっと、そう、お、オスっぽい?
「あまりそんな風な目で見ないでくれないか、勘違いしたくなる」
「えっ」
えっ。
そこまで言って、彼は視線だけじゃなく体全体で私と向かい合った。
青坂くんの強い瞳が私の暴れる心臓を貫いていく。
かん、勘違、えっ、ど、どどっどういう、どういう……っ。
ていうか、盗み見てたのバレバレだった!?
うわ、恥ずかしい、し、しねるっ。
「いつも、そういう何か、ウットリしたような目で見てくるが」
あひぃぃぃぃ、バレバレでしたぁーーーっ!
ごめんなさいぃぃぃストーカーばりにいつも盗み見ててごめんなさいぃぃぃぃ!
「男なんてみんな単細胞だし、もしかしてと思うと、簡単に意識しちまうから」
「えっ」
ほんの少しだけ困ったように眉尻を下げて、彼はそう告げた。
待っ、えっ…………えええええっ!?
っひぃえええ待ってこれ少女漫画とかでよく聞くセリフぅぅぅ甘酸っぱいやつぅぅぅぅ!
あああの冷静ボーイ青坂くんが、いい意識ぃいいい、わたっ私ぃぃ!?
えああ、ええ、あえええ、ふふふふ不純異性交遊うううううっ!
待って違う落ち着け自分んっ!
「そっ、えっ、あのっ」
「あぁ。ごめん、困らせた。やっぱ、そんなわけないよな。
突然、気持ち悪いこと言い出して嫌だったろ。忘れてくれ」
「えっ、えっ、そんな、そんなことっ」
「いや、無理しなくていい」
全然そんなわけありますぅぅっ無理してませんんんん!
傷付きたくなくて生意気言ってましたぁ嘘吐いてましたぁぁごめんなさいぃぃぃ本当はメチャクチャ付き合いたいですぅぅ好きって言われたいですぅぅぅっ!
ほとんどパニック状態でいっぱいいっぱいの私がまともに返事も紡げない内に、一人で早々と結論を出してしまった青坂くんは、自嘲するような笑みを僅かに浮かべて、いつもよりちょっとだけ速足で器具入りの箱を準備室の棚へ戻しに行った。
あ!
こっ、これっ、これ今、私が勇気出さないと、何もなかったことにされてしまうヤツやっ。
お約束のパターンやっ。
でも、どどどっ、どうっ、どうしたらっ。
などと考えて固まっている内にも、彼は次々箱を運んでいく。
私の態度がおかしいことには気付いているはずなのに、さっき言った通りに気持ち悪がっているとでも思っているのか、一切触れて来る様子はない。
「それも持っていくぞ」
やがて、最後のひとつになった私の目の前の箱へ、青坂くんがそっと腕を伸ばしてきた。
唐突な距離の近さにギョッとして、思わず肩を竦ませる。
そんな私の態度に、彼は一瞬だけ動きを止めた後、すぐに何事もなかったかのように箱を回収していった。
そのまま、靴音を鳴らしながら準備室に消える青坂くん。
やらかしたっ。今の絶対、誤解されたっ。
終わる。終わってしまう。この恋の唯一にして最大のチャンスが。
今日までの私の行動で、ほんの少しだろうけど奇跡的に意識してもらえていたらしいのに、それを全部なかったことにされてしまう。
いっ嫌だっ、そんなのっ。
感情のままに震える足を動かして、扉の入り口に凭れるようにして中を覗けば、青坂くんは床に跪き収納棚の鍵を掛けているところだった。
ここに至ってまだ臆病にも声を出せずにいると、そのうち作業が終わり腰を上げた彼が、行く手を遮るように立つ私を見て不思議そうに首を傾げる。
「赤川さん?」
「………………っあの!」
おらっ、今だ、いけっ! 言えっ、私!
「かっ……んち、がい、して……欲しい……」
「えっ」
かすれまくった音が徐々に意味を成せば、先ほどとは逆に、今度は青坂くんが固まった。
彼なりに驚いているようで、瞼が僅かに開かれ、三白眼ぎみの小さな黒目が常よりも広く見えている。
かわいい。
あ、いや、そうじゃない。そうじゃないでしょう、空気読んで脳みそ。
火傷しそうに熱い頬を無視して、私は上擦る声を必死に形にしていった。
「わ、私、ずっと、見て、あっ、青坂くんのことっ、そういう、そういう目で、勘違いじゃなくて、えっと、本当に、もしかしての、だから……そのっ」
あぁ、支離滅裂。
こんな回りくどい言い方しないでハッキリ好きって伝えてしまえばそれでいいはずなのに、どうしてもその二文字はハードルが高くて。
だからって、苦し紛れに何とか口にしたのがコレって、私、ダメダメすぎでしょっ。
こっ、このチキンっ。骨なしチキン女っ。
「赤川さん、ごめん」
「ふぁい!?」
えっ、フられた!?
「俺が卑怯だった。日和って濁そうとしてた」
「えっ」
なに、なんの話?
いつになく神妙な顔をして、青坂くんは自身の両拳をグッと握り込んだ。
そして、痛いぐらい真っ直ぐな熱い目で私を見てくる。
「断られるのも、距離を取られるのも覚悟で、俺がしっかり言うべきだったんだ。
それを怠ったせいで、赤川さんにしなくていい恥ずかしい思いをさせた、ごめん」
「えっ」
待っ、ちょ、今、マジで頭が回ってないので、か、簡潔にお願いしたく。
「好きだ、赤川さん。
結婚を前提に俺と付き合って欲しい」
「あ」
あぁ、はい。なるほど、そっかそっか、青坂くんが私を……好……。
「っのぇぇええええええええ!?」
いやいやいや待ってだってなんで全然そんな今まで普通になのにいきなりなにゆえ素振りとか普段あれなそんな全然見てたけどずっとだから全くそんな好きとか嫌いとか最初に言い出したのは結婚前提なんで聞いてなあばばあばばばば!
「ダメか?」
ダメじゃにゃあでふぁあああああん!
混乱しすぎて、まともに日本語でものを考えることすら出来なくなってしまった私は、口を手で押さえて首をひたすら左右に振った。
不審者極まりすぎで申し訳ない。
「それは了承の意味でいいのか?」
確認のための再度の問いに、今度は激しく頭部を上下させる。
もはやヘッドバンギングだ。
ドン引きされたらどうしよう。
「なら良かった、ありがとう」
ドン引きはなかった模様。心が広い。しゅき。
私の想いを正しく理解してくれたらしい青坂くんは、どこか安堵したように目を細め軽く息を吐き出していた。
それから数秒後、彼は表情を引き締め、おもむろに右手を差し出してくる。
っえ。
えっと、多分、あくしゅ? あくしゅでいい?
あっ、うん、握手で合ってました。
普通にハンドをシェイクしました。
「今後ともよろしく」
「あ、はい」
応えれば、至極満足げに頷く青坂くん。
うーん。どこの商談かな?
ええっと、両想いが分かって気持ちが通じ合った時って、ほら、セオリーとしてはハグとか、きっ、キッスとか、その、ねぇ?
でも、微妙にズレてる感じが、なんだか彼らしくて、ちょっと笑ってしまった。
そんな様子を見た青坂くんが、これまでにないくらいすっごい溶けるみたいな優しい笑みを浮かべてくれて……興奮しすぎて鼻血を出して止まらなくて保健室に運ばれた血気盛んゴリラが私です。
いっそころせ……。
その後も、恋心を暴走させて色々とやらかしまくっては落ち込むという面倒臭いことこの上ない女な私を、呆れることも厭うこともなく、むしろ楽し気に隣にいてくれた青坂くんは、有言実行、約十年後には無事に私を妻として娶ってくれたのでした。
そー はっぴー☆
おまけ~付き合って一ヶ月後ぐらいの二人の会話~
「えっと、あの、青坂くんは私のどこを、すっ、好きになってくれたの?」
「あぁ……俺のことスゲェ好きなところ」
「ひょっ!?」
「それが態度で分かりやすくて、もう赤川が何してても可愛く見えて仕方ねぇんだわ」
「かわぁっ、そ、そん……えひぃ!」
「面白味もなけりゃ愛想もない、女にとっちゃ大概つまらん男の俺と一緒にいて、バカにする以外で笑ってくれんのは赤川ぐらいだ。
それに、この死滅してると評判の表情筋相手でも、赤川はよく言い当てるから、どんだけ俺のこと見てんだよって、そういうんでも好かれてんの実感するし、敵わねぇなと思う」
「あばっあばばっ」
「俺に本気な赤川見てると、もう理屈とかすっ飛んで、とにかく一生幸せにしてやりたくなるんだよな」
「ひぃぁーーーーーッ!
そそそそれ以上はイケナイーーーーーーーーッ!」
「自分で聞いたんだろう……」
「だだだってそんな答え返ってくるなんて思わっ反っ反則っ」
「嫌だったか」
「違っ、だっ、だからっ、心臓っ逝っちゃうから、コレ以上青坂くんのこと好きにさせないでよぉぉぉぉ」
「あーあーあー何だよ、泣くなって。
俺が悪かったよ。空気読めてなかった、ゴメン」
「ぶええんバカァァ優しいいいしゅきいいいい」
「はいはい……ホント可愛いな赤川」