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美しき悪魔  作者: pegasus
第二章
8/19

人体構造楽器


 ここは、人体構造を事細かにコンピュータに取り込み、そしてデータ上にはじき出す部屋だ。

施設内には天才的なコンピュータプログラマーがいて、そして楽器製作者もいた。いずれも、受刑囚である。

「筋肉質の割合が二十パーセント高い。肺活量は三倍か。金管楽器だ」

「こいつはどうだ。この女。データを取り込んだ」

新しいデータが画面上に立体的に表される。

「口内と喉の構造がいいな。それに体内水分の割合が多い。身体も柔軟。木管楽器なら柔らかに響くだろう」

細かい要望をコンピュータに打ち込んでいく。

「堅すぎない木質じゃないと反響しない。体の線も細いし、金属の割合を多少変えれば補強できるな」

そして、徐々にその楽器の形態がデータ上にはじき出され始めた。

人体形態と構造、声、肺の動き、肉質、骨構造、頭蓋骨と喉の仕組み、筋肉質量、体脂肪、肌質、指の神経構造、人種など、あらゆるデータに其々合った個人の楽器を生み出す場所だった。

人間と言う物は、既存の楽器でも其々が超絶技法や超絶音感などを身に着けられるプロフェショナルが時に生まれるものだ。

それを、ここでは個人の人体構造に特に合った、体の一部となり、波長が同調し共鳴しては、体自体である楽器を作り出すプロジェクトの組まれた場所だった。楽器をプロフェショナル的に操れる事が第一条件でもあるのだが、何もアマの楽器も作らないわけでもない。

研究開発が進んでいた。

人と言う物は、もしも既存のものだろうとその楽器、ヴァイオリンだとかグランドピアノ、フルートなど、使いつづけていると、何かしら肉質や構造や、顔などが、楽器形態によく馴染んで来ると考えた楽器職人が、コンピュータプログラマーに呼びかけたのだった。

共に、その楽器に合った曲なども製作する作家もいるが、今日はお休みだった。叩き起こせば横にいるのだが。

その、人体、楽器、曲の三つでその人物が作り出す最高の音楽を作り出す仕事をしていた。

いいグランドピアノで、いいそのピアノの為の曲を、ピアノを弾き続けて来た人間が奏でる時の顔の幸せそうで繊細な指動きは、せせらぎや小鳥のさえずりのようにやはり心からして人体が楽器に取り込まれ、人体に音が反響しているからだろう。

逆に巨大な金管楽器を吹く者は顔の表情は強靭そうで、悪魔を思わせるような強烈な音を響かせる。固い頬も揺れ、眼光も光って一直線に吹き鳴らす。

人体をコンピュータに取り込むと、その人物が何をしてきた人物かもはじき出される。

バレリーナだったり、煉瓦職人だったり、デスクワークだったり、主婦構造の体だったり、そういう事だ。声も分かったりする。

彼等の目的は、その人物たちと楽器でオーケストラを作らせることだ。

その為に、人員の人と人自体の体内構造の調和や影響なども加味される。

「よし。二人分が出てきたぞ」

今まで見た事も無い様な構造の楽器がはじき出されることもままある。ハーモニカのように小さいものだったり、はたまたグランドピアノより大きな楽器も。

はじき出される素材も、稀に布だったり、プラスティック、野菜、硝子……そうやって、その人物なら本気でとんでもなく素晴らしいものが奏で紡ぎ出されるというものまであった。

「楽器は……あれ。ジャガイモでてきたぞ」

そのデータ上には、じゃがいもがごろりと描かれていた。細かな比率の栄養成分まで。

それを食べる人間の体の構造までもが横に立体的に記されて……ん?

「あ。それ俺の昼食時のデータだ」

横の小太りの男がデータ上そのままの体系で、そう言った。

「驚かせるなよ」

次からしっかりでてきた。

「設計図を取り込んでくれ」

「あいよ」

その細かな設計図が導き出され始めた。

「あれ? 鍋……? 包丁で切って」

「あ。それ俺のジャガイモ料理のレシピ」

「早くしろいっ」

ようやく出てきた。

「………。また、こりゃ洒落たもんが出てきたなあ」

「随分と美形な楽器だな」

「色気がある。造り甲斐があるってもんだ! 腕が鳴る」

取り込んだ女の物は、女性監房見張り警備員のものだ。

メルザ・スローア・ザエライのための楽器だ。

「お。この女の楽器が他にもまた出てきたぞ」

「こっちは弦楽器か」

もう一人、男子監房塔の番人、ジョニスマンの楽器も出てきた。

個人ごとの何曲かの曲と、それに全ての楽器が揃った後のオーケストラ曲だったり、それに二種類以上十種類未満のアンサンブル曲も作られる。

「おい起きろ」

蹴り起されてベッドのあちら側に落ちた寝起きだと神経質な細身の顔をした受刑囚は、よく表現されるドラキュラのような顔の目を開いたが、血色も戻れば甘い顔の男だった。実際、この作曲家は自室のグランドピアノの中に妻と浮気相手の死体を組み込んで六年間弾きつづけていたという、ちょっと精神が疲れてしまっている犯罪者で、そのグランドピアノで多くの悪魔崇拝の耽美なるピアノ崇拝曲を作り出していた。

コンピュータプログラマーはというと、人体ウイルスを悪い軍に頼まれて作る研究所にいたのを、開発を政府が阻んでひっ捕らえられたプログラマーだった。

楽器製作者は、別にカナズチだ、カンナだ、弦で人を殺めたわけでは無く、気球に乗って旅行していたら、文化遺産に突っ込んでしまったので、捕まってしまったのだった。まあ、破損は免れたのだが……。

「歌を唄う場合は、選んでおかなけりゃならないな」

声のデータを見て行く。

人が出す声は、金属的な声の人間や、木管的な温もりのある声の人間、光のような声の人間だったり、清流のような声、滑らかな水のような声、獣的な声や、甘かったりきつかったりするドラ猫声、小鳥のさえずりのような声や、神秘性のある声、様々を持つ。


 呼び止められ、タカロスは振り返った。

警備員個室前の通路。

「………」

副所長の話に、タカロスは顔を引きつらせ、即刻向き直り歩いて行った。

部屋に入り、ノックされる背後を無視したかったのだが、無理だった。

「君は共に地雷撤去の作業にも向かっているではありませんか。よろしいですね。これはプロジェクトです」

彼女はそう掠れた丁寧な声で言い、ドア前で呼びかけている。

「嫌です」

「音楽というものは素晴らしいではありませんか。そうでしょう?」

タカロスは海月を見てベッドに足を組んでは頬杖を付いた。伏せ気味の目でドアを見てから、また戻し、海月を見た。

クラウディスに声楽を指導しろと言うのだ。

嫌だ。

絶対に自己が乱れ、理性を失い、彼を求め、秩序も無く、規律も守れず、正すべき物事が崩れ、自分は全てを失う。

「どうしたの? 君は何事もこなすではありませんか。何事も快く受けてきてくれたというのに。分かりましたね。よろしくおねがいします」

冗談じゃない……。

タカロスはハイヒールの足音が去って行った方向を顔を覆う指の間から目で追い、溜息をついた。

副所長は何かと強引だ。あの物腰だという物を有無を言わせない勇猛果敢な人だ。彼女は女精神科医エリザベスの父親とも懇意中の懇意である。若造など、ちょちょいのちょいと動かしてしまう。

だが、これは断りたかった。

ドアを開け、彼は副所長の背を追い呼び止めた。

「俺には声楽の経験など全くありません」

「絶対音感があれば大丈夫。作詞、作曲家の指示する楽譜通りにすればいいのです」

「そうとも思えません。第一、何故受刑囚3062番の指導を」non completamente,ノン コンプレタメンテ

「彼の声の音質が良いからだそうです。それに、君の声もなかなかのものでしょう」

「さあ……」chi lo saキロサ (chissaキッサ)

「オッドー氏の場合は歌が好きだが、今一職務以外には取り組みたくない嫌いがある。君なら子供達の指導も慣れているのですから、扱えるでしょう」

扱えるでしょうといわれても……。

「何故受刑囚を声楽に加える事に。彼は刑期があと三年しか無い。無駄な選択です」

「三ヶ月後のコンクールまでに、発表出来るまでの団体を形成し、そして演奏する。そしてCDを出す。その印税全てを寄付へ回す。曲げません。その事も踏まえて、地雷撤去での活動内容に加え、所長の話による彼の親御さんのご友人が進めるボランティア団体への働き掛けの精神も加味し、この選択はコンピュータの導き出した妥当とも、そして選ばれるべくして選ばれた青年だとも思うのですよ」

副所長はそう言い、タカロスの腕をポンッと叩いた。

「彼の声は美しい。それを、いまの時期にこの中に留めておく事が出来ましょうか。ね。頼みますよラビル君」conto su di teコント ス ディ テ

タカロスはうな垂れ、副所長はビシッと踵を返し、歩いていった。

自分は折角、正直彼のことが頭から離れないために、職務と自己を保つための判断として断りたい旨をしっかり言うつもりだった。理解力のある副所長は聞く事歯聞いてくれるからだ。

確かに、クラウディスの声は男の中でも澄んでいて高い。そして、歌ったり口ずさんでいると、高さに加え甘い声音になる。

だがあの歌声を聴かされつづけたら、気が散ってしまうだろう。

「ラビル」

タカロスは肩越しに見ると、また部屋に勝手に入ろうとするアルデを見た。

「ロイドが心配していたぞ」

身体も向け、部屋に入って行く。

アルデがいつもの様に最後に入ってドアをしめ、横の海月の水槽を見てから床に座った。

「メルザの事だろう。兄貴はいつ知られても可笑しくないって言ってる」

「目立つ行動はやめておけ。エルダの奴も変に勘ぐり付けてくる性格だから今に言って来る筈だ」

アルデは壁に背をつけ片足を伸ばすと、あちら側を見た。

こう見えて、アルデははっきり言えば聞分けが無い。我がとにかく強いからだ。普段は寡黙だがたまに言う事や雰囲気がきつ過ぎて、前の彼女とも喧嘩して別れてしまった。というか、思った真実しか言わない。

兄が普段から女好きで口説き好きで色男な反面、弟は無口で一筋で頑固だ。性格の違いからか、アルデは表情が硬い。タカロスでさえ、アルデの笑顔などはそうは見たことが無い。笑うと男前なのだが。笑っていなくてもいい男だが。

「うまくやる」

そう言い、アルデは立ち上がりベッド横の長く低い棚から酒を出し、グラスについだ。

酒の香りを聞きつけたかの様に、奴等がまたやってきた……。

オッドーがエルダの首に腕を回しながら入って来て、エルダの手にはチョリソーが……。

続けてまともに入って来たニッカが床に座っては、フローリングにヒビが入ってしまった。

「離してください!」

エルダは解放され、アルデはチョリソーを酒で既に五本流し込んでいた。

「鬼ばばあが何か言ってたな」

「見計らって出てこなかったな」

オッドーは副所長のような女性が苦手だ。

エルダは海月を見始めていた。

「おいラビル。てめえの部屋にクラゲが住み着いてるぞ」

ニッカがそう言った。

「自然的なものじゃ無いんで。水槽入りなんで」

「食っていいのか」

「しばきますよ」

「……冗談だ……」

ニッカは横目でずっと海月を狙っていて、エルダはロイドの言葉を思い出し、心なしかぞっとした……。

オッドーは瓶に口をつけ呷り、下戸のニッカから、横目で海月を見た。

「それ、エリザベスの部屋でも見たな」

「………」

「………」

「………」

「チョリソー一本取ってくださ……え?!」

誰もがオッドーを見て、オッドーはローテーブルのチョリソーを食べながら顔をこちらに向けた。

「?」

四人はオッドーが向けて来た顔を見て、瞬きを繰り返した。オッドーはまた首を傾げ瓶を呷り、最後のチョリソーを食べた。

「………。なんであんたが彼女の部屋知ってる」

「あ?」

オッドーは瞬きし、一瞬を置き口を反射的に抑えそうになったのを平静を装い、瓶を置いて肩をすくめ床の布で手を拭いた。

四人は「いやまさか浮気なんかするわけも……」と思いながら首を傾げオッドーを見ていた。

ただ合同の宴の後酒によって互いに相当いい気分になっていたので、なるようになって一晩共にした事があったという事で、気分もいいまま肩を取り合い二人で歌って部屋に入り暖色の室内で暖炉の焚かれる時期に、なんというかなるようになったのだ。悪戯にベッドになだれ込んで。

その翌朝、横の綺麗なキッチンでコーヒーを淹れに行くと巨大な海月の水槽があった。

それだ。

ニッカは女事には疎いので、下手に言う事も無かった。だが、エルダは違った。

「マジっすかまさか、関係あったんですか先輩」

「何がだよ。あ? 俺がなんだと?」

「え。いや」

エルダは頬をふくらめ、その頬を間近で見る海月の水槽につけ、そしてまた海月を見た。

「あんたに手伝ってもらいたいんだが、受刑囚3062番の面倒を任された。歌関係で」ti posso chiedere una cortesia? ティ ポッソ キエーデレ ウナ コルテズィーア

「だから出てこなかったんだろうか。んなもん任されてたまるか。あのガキは気にくわねえんだよ」

「その小僧のせいであのニッカと七日間顔を付き合わされたからな」

手持ちに確保しておいたチョリソーを持ちながらアルデがそう言い、視野先のニッカが白目を剥き口の片端を下げアルデを見たから恐ろしかった。

「なんだその3062ってのは」

「囚人番号の事だ」

「人か」

「マフィアクローダの凶手だった野郎さ。あの見た目じゃあ一切分からねえが、ただオーラ消してるだけだろう」

「クローダのだと?」

「元は禁固五十年以上か終身刑が確実の判定だったが、それが自由房四年の刑期に判決が下った」

「どんな野郎だ。俺の所の野郎は最近元気がねえ」

海月を見ながらニッカがそう言い、どんな奴かと問われて四人の脳裏に浮かんだ受刑囚3062番像は、やはりあの容貌だった。

「美人だ」bello

「美人だな」che bello

「確かに美人だ」certo bello

「ああ。美人だな……」si,bello

「女か?」donna?

「男だ」raggazo

「野郎だな」

「ああ。いけすかねえガキさ」si,arrogante banbino

「だが美人だ……」ma,bello

「美人かよ」bello?

「ああ美人だ」si,bello

「相当美人だな」molt bella

「かなりだぜありゃあ」abbastanza bella

「すっげー美人すよ」meraviglioso grazioso

「そんなに美人か」tele grazios?

「ええ……。まあ、一度見たら生涯の目の保養になるような」si,

「マジ物の美人らしいな」sembrare autentico grazioso

「男だがな」lo uomo


 「っくしゅん!」

クラウディスはカードを舞わせ、目を伏せさせた。

「あんだよ風邪かあ?」

デラが片眉をあげ、通路上で箱を運んで三人でカードゲームをしていた顔を見合わせた。

ゾラが星の上の目でクラウディスの下半身からなぞるように上目で口許まで見ては、カードを木箱に叩きつけた。

「ロイヤルストレートフラッシュ!」

「………」

「………。何がだよ!」

クラウディスに首を腕で締められ、ゾラはじたばたしてから口に拳をつっこまれた。見回り警備員も別に止める事無くあちらを歩いていた。

そんな中、ロイドは目を見開き、前を通りかかった見回り警備員のケツを蹴飛ばした。

見回り警備員は驚き見張り警備員を見上げ、そして即刻、東側南よりにある鉄階段を見て口をあんぐり開け、縄を振り回し目口を見開き走って行った。

「………」

副所長は進んでいった。

ゾラは顔を上げハイヒールからストッキング足をなぞり、そしてスカートスーツの初老の女、この刑務所の副所長を見上げては、顔を戻した。

デラはカードを整え肩をすくめていて、クラウディスは口をつぐんで上目で彼女を見上げ、副所長は後ろ手に手を組んでは、グラデーションのかかる洒落た眼鏡先の冷ややかな目で二人を見下ろしていた。

「即刻、日常の状態に戻りなさい」

そう言っては腕を組み、背をくるりと向けた。

デラとクラウディスとゾラは目を見合わせ、即刻戻すとそのまま逃げる為に忍び足で歩いていこうとしたが、やはり副所長は目敏かったので即刻前まで戻された。

「生活態度の改善が行なわれていないようですね。以前、五度ほど注意をしたのですが、聞き入れてはもらえないと? どうやら自己で改める気配は無いようですね。仕方が無い。あなたにはしばらく、別房に入ってもらいましょう」

「えっ」

「ではありません。よろしいですね。即刻仕度をなさい」

顔横で手をパンと叩き、有無を言わせずにそうさせられた。

別房というのは、隔離された房の事で噂は聞いていた。

なにやら、本館下にあるらしい……。


 副所長にふいに呼び出される事は良くある事だった。

タカロスは溜息をつき、即刻向かわなければならなかった。

そういう場合は、警備の職務では無いプライベートの時間であるがまさか部屋着などで向かうわけには行かないので、元もとのタカロスの普段着、黒のパンツ、黒ジャケットに、黒のタートルネックで革靴という身なりで出た。

部屋を出て、颯爽と歩いて行く。

副所長質については、ノックをする。

「入りなさい」pregoプレーゴ

彼女の掠れたキビッした声に、タカロスは扉を開け、入って行った。

「………」

クラウディスが、手錠を嵌められ腰に縄をつけられて立っていた……。

「彼を別房#7に向かわせます。一週間、五時以降からの訓練を。就寝は#5で。今から向かいなさい」

クラウディスはスマートに着こなすタカロスに頬を既に真赤にしていて、耳まで真赤になると、うつむいた。

縄を持っていた警備員からクラウディスを任され、タカロスは溜息をおさえ、クラウディスの背を押し廊下に出た。

廊下に出て、クラウディスの髪を見つめた。そのまま、縄を持つ手を引きその身体を抱き寄せたい欲求があったが、そのままに歩いていかせる為に言葉を告いだ。

「進め」avantiアヴァンティ

クラウディスは耳まで真赤になっていて、真っ白な体中の肌が真赤になった。

タカロスは口をつぐんでから壁を一度見て気を紛らわし、背を押し歩かせた。

地下へ降りていく。降り切ると、そこに立つ警備員が敬礼して錠をあけ、進んだ。

通路横に、十のドアが並んでいる。

タカロスは#5の鍵をそのドアの鍵穴に差し込み、そして入っていかせた。

暗闇のスイッチをつけ、その中へ進ませる。

「いきなりあの副所長に言われたんだ。隔離してきたんだぜ」

クラウディスの手錠を外しながらタカロスは頷き、クラウディスは肩越しに頬を染めてタカロスの胸部を見つめた。

「………。そういう格好も似あうな……」

クラウディスが身体を向け、まだ片方の手錠がはまったまま頬を寄せてきては、真っ白の手と銀の手錠が黒のジャケットの腕に揺れた。

黒蛇が絡まるように背に忍び寄り、そして彼の高い位置の腰を引き寄せクラウディスは目を一度閉ざしてから、身を返して横向きに長い部屋を見回した。

ベッド。横に長い棚。縦に長い棚。ソファ、本棚。それらがある部屋だった。

すぐに#7へ連れて行く事を頭は考えていた。

その部屋にいる楽器職人と、コンピュータプログラマーと、作曲家に紹介するのだ。

タカロスはクラウディスの背から手首を引き寄せ、クラウディスは床に俯いたまま固唾をのんだ。

だが、手錠を外されただけでまた離れて行ってしまった。

「行くぞ。来い」

クラウディスは何もされなかったので、がっかりして着いて行った。

教会で見たロシア人の親子は、美人で可愛かった。タカロスの家族だ。

通路を歩く背後で音がし、視線を渡した。

クラウディスはギャフッという顔をし、上目で睨むように男を見た。

群青のベルベットジャケットに焦げ茶タートルネックとコーデュロイパンツの男が革靴を進めさせてきて、初めて間近で見上げた。

そこまで進み、緑色の冷めた目でクラウディスを見てきた。

グランドの番人のドイツ人だ。

タカロスの横に来ては英語で何かを言い、タカロスが肩越しに彼に頷いてからクラウディスを歩いて行かせた。

ドイツ人ならドイツ語で話せばクラウディスにも分かったというものを。クラウディスは母国語以外にも、スパニッシュ、フレンチ、ジャーマニーが流暢で堪能だ。

クラウディスは横目でドイツ人を見ながら歩いて行き、一つのドアの前に来た。

ドイツ人は張りのある声だという事は分かっていたが、落ち着いて話すと嗄らし声だ。外見も清潔感に加えて、渋い。

「この先は処刑所か? やり捲くっただけで死刑かよ。あんた等、死刑執行人か?」何処に行くのdove vai?ドーヴェ ヴァイ?

「無駄口はいい」tieni la bocca chiusaティニーエ ラ ボッカ キウーザ

ドイツ人のオッドーがそう言い、タカロスが鍵を出すと、#7の部屋を開けた。

背を押され、クラウディスは入って行く。

「………」

男が三人振り返り、首を傾げた。

「どうだ。調子のほうは」come vanno le cose?コーメ ヴァンノ レ コーゼ

「普通さ」

「普通にジャガイモ食ってばっかな感じで……この通りローテンション続きな俺さ」

「眠い……」ho sonnoオ ソンノassonnatoアッソナート)

三人が好き勝手に言い、最終的にはクラウディスをまた見た。三人ともにっこりとした。

「何だ。私服でご両人が美人な女連れて来て、まさかここで見合いか? 眠気もぶっ飛ぶ麗しさだな」

「俺は男だ」

「………」

「………」

「………。この声は……」

「は?」

クラウディスは三人を見て、両側に立つ二人を見てから、タカロスが物腰からして素敵なのでその態で縄を持つ姿と横顔を見つめてしまっていた。

「通称アルと呼ばれている。楽譜を渡して音感を調べてくれ」

「アルファからオメガまでアルファベートを一通り声を出してくれ」

「アルファ、ベータ、シータ……」

一通り出したあと、細かく細身の顔の男が楽譜を書き換えていた。

「この高い音を出して」

コンピュータで機械音が出た。

「あー」

「続けて」

「あ、あ、あ、あ、」

「この音からこの複数の音」

「あーあーあーあーあー」

「この低い音」

「あー、あ、あ、あ、」

「楽器は何かやっていたようだな。音感がいい」

「ソプラノサックス……」

「本当か? おかしいなあ。上半身背筋と背筋の雰囲気が左腕の具合も指の感じも、それに右腕上腕の感じも長年のヴァイオリニストの結果が出てたんだが」e vero?エ ヴェーロ?

「え、」

クラウディスは二歳児の頃からヴァイオリンを握ってきた。

「なんだよあんた等。何の目的があって勝手にそんな事調べてる」

「え? ああ、何だ聞いてないのかお嬢ちゃん。ジャガイモやるからいい子にしてな」

「いらん」

「ポーランド語の物も含まれてるんだが何語が話せる」

「イタリースパニッシュジャーマニーフレン」

「相当堪能だなお嬢」

クラウディスは口を閉ざし、目元を引きつらせた。

「俺帰る」

ドイツ人に肩を持たれ引き戻され、クラウディスは肩越しに恐い目を見上げた。何が恐いって、整い過ぎた端正な顔立ちから淡々と発される強烈な緑の眼力が恐かった。固そうな細く高い鼻の下の薄い唇が、いつものドイツ人警備員のぴくりとも動かない雰囲気そのままだが、キャップを取った目元は何だかきつ過ぎて殺意がある。額下の深い眼孔に座ったような形の眉とその下に一直線に鋭い目元が、恐い。

だがきっと、笑うと一気に渋い顔つきになるだろうとは思った。その上この態で渋くスモーキージャズを歌えば最高だろう……。

思わずクラウディスの目が光を帯びたために、オッドーは口を引きつらせて目を反らし、前に戻させた。やはり、クラウディス自身にはドイツ人に対する好意があるわけじゃ無いが、いい男の類を目の前にするとやはり狙いを定める目になる。自然的に。

「全部で今のところは五つだ。まあ、三曲ぐらい相当難しいが、音感も良さそうだし声も切れがいいから練習すれば行けるだろう」

「え?」

「さあ、楽譜どおりに歌ってみてくれ。こりゃイタリーだ」

「? 何だよ。俺に歌なんか歌わせて何が目的なんだ? 淫催効果でもあんのか?」

「なんだ。好きなのか」

クラウディスはタカロスを横にコンピュータ前の男の言葉で、体中を真赤にして俯いてしまった。

「ははは! 面白い奴だなこいつ。副所長にお嬢の声のサンプルでオーケストラのコンクールの歌を作りたい旨を言ったら、承諾を得たのさ。それで、訓練がてら警備員のお目付け役つけてもらったわけだ。何やったか知らないが、何かして捕まったんだろう。今日から練習だ。始めよう」

「あんだよ。じゃあ別にやってもいいんじゃねえか!」

「生憎女はいないぞ。ま、はじめるか」

「え。俺の意見は」

「≪俺の意見≫は副所長の意見」

有無を言わせずそう言い、楽譜を笑顔で差し出した。

クラウディスは受け取ってピンク色の唇を突き出してから見た。

「これはコンクール用じゃ無いが、一応造ってみたお嬢さんの為の歌だ。一度ざっと歌ってみてくれ」

クラウディスは「コホン」と品良く咳払いし、片目を開けて一通り覚えると、目を綴じて唇を開いた。


 ララララ

 大河の恵み 大空に輝く太陽

風は吹く(巡る)

 心の灯火に息づいた魂の光

 それを照らすは貴方の温かい微笑み

 愛情分ち 愛情分ち

 巡りあう時季 降りしきる花弁の心は

 丸めたその手に光を


 ララララ

 途切れた便り 君の顔が浮かぶ

 寂しさを(感じて)

 空から光が降るようなこの想い

 見上げていると思い出す君の微笑み

 帰って来たら 帰って来たら

 大きな温もりで両腕で抱きしめたい

 だからそっと両手を太陽に


 ラララ

 夜は流れ星を見上げて 瞳を綴じて願いを

 ララララ


思った以上に歌声が綺麗だし、時に甘い雰囲気の声がぐっとくる。美しく優しいビブラートや滑らかなアップダウンも切れがよくなったりと、バリエーション豊富だった為に、満足そうに作曲家は頷いた。

歌にようやく輝ける魂が宿ったかのようだった。

「うん。良い。それと、オーケストラの人員の男女で一斉に声出してもらう。その時の高音担当で、お嬢ちゃんとあとこの声のサンプルの女と二人でやってもらう事になる。短いフレーズだから楽だ。三十秒かそこらだな」

「俺、男なんだが。さっきからお嬢ちゃんお嬢ちゃんって」

「あんた等二人、このフレーズ歌ってくれ」

「嫌だ」

「ここでは断る」

「協力的じゃ無いな。お嬢ちゃん。この高音の所声張り上げてみてくれ」

「あーああああ~~~」

「素晴らしいな! 声量も抜群だ」straordinario!ストラオルディナーリオ!

「俺だけ……」

そんなこんなで、クラウディスはさんざん副所長の所望に付き合わされ、解放されたのは十時だった。

オッドーは一日目は様子を見て引いていき、クラウディスは部屋に戻ってタカロスがドアを締めた。

クラウディスは久し振りの柔らかいソファに倒れこみ、クッションを腹に上を向き、上目でタカロスを見つめた。

タカロスはジャケットをハンガーに掛け、衣装掛けに掛けた。

「泊まってくのか?」

「ああ」

クラウディスはクッションの柄を見つめて頬を染め、タカロスはクラウディスの前まで来ると、ベッドを差した。

「お前はベッドに行け」

「………」

クラウディスはがっかりし、クッションを片腕に抱えたまま向き直って立ち上がり、ベッドに転がってクッションを抱え背を向けて目を綴じた。

タカロスはもう一つのクッションを置いてから電気を消し、横になって目を綴じた。

クラウディスは眠れるわけも無くクッションを抱えていて、暗闇を見つめていた。

光の差さない地下の闇は、………。

クラウディスは立ち上がり、タカロスのところまで行くとその胴の上に乗って胸部に頬を寄せ目を綴じた。

タカロスは既に眠っていて、心音が落ち着き払っていた。ずっと聴きながら、眠りに落ちていく……。

タカロスは寝ぐずった時期の娘に抱きつかれたかの様に、寝ながらクラウディスの髪を撫で続け、クラウディスは深い眠りへと落ちていった。


 クラウディスは円卓を囲い横に座るピアニストの存在が自棄に、何だった。

なんと言うか、見た目の爽やかで優しげな雰囲気を持つ顔と痩身さから、何か違う要素が紡ぎ出されているのだ。

真横に座って足を組み、楽譜を片手に細かい指示を出している。別に、何も不審な点は無い。時々、体を捻って設置されたキーボードを打っては楽譜を訂正していき、そして歌わせる。そうすると首を傾げクラウディスを見て、にっこり微笑む。時々、キスを誘うほどの角度なのでクラウディスは甘い顔の大人の男にドキドキした。

ジャガイモ食ってばかりいる楽器製作者は、大きな皿に輪切りにふかしたジャガイモを積んではその上にミンチ肉のミートソース、チーズを乗せて食べていて、その横にはマッシュポテトの上にミンチ肉、そしてパイ生地とチーズを乗せたジャガイモの割合が多過ぎのミートパイ、そして丸ごとふかしたジャガイモの上にバターを乗せたものや、円卓中心には水の敷かれたプレートに、ジャガイモの芽が育っていた……。

コンピュータプログラマーの男は小さいノートパソコンを組んだ膝の上に乗せていて、キーボードのコードを繋ぎ音を取り込んでいる。

クラウディスは横目でちらりと、ピアニストの顔を見た。

ピアニストは気付いて視線を向け、クラウディスはそらしてピアニストの視線から楽譜を見た。

「飽きない顔だなあ」

しげしげとそう言い、クラウディスは「どうも」と短く言って難しい曲の楽譜の二頁目を捲くった。

「出は良家か?」

「あんたがそうだろ」

「さあなあ」

悪魔崇拝者なピアニストは猟奇的な目でまた美しいクラウディスを見てから、楽譜をまくった。

クラウディスは何やら感じる雰囲気に、男を気にしながら横のホワイトソースに塗れる角切りジャガイモをチーズを引きフォークで指して食べた。

楽器製作者はいちいちジャガイモにバジルを振りかけながら食べている。

背後でレンジが音を発した。楽器製作者が立ち上がって、このバジルでさっき作っていたジェノベーゼソースの器を置き、ジャガイモをつけて食べ始めた。

楽器製作者のブースには、職人の道具が様々に置かれていた。何やら、見た事も無い楽器が其々ケースの中に収められている。演奏方法まで分からないような物もある。

歌いつづけたりしながら時間が過ぎていた。

 タカロスが室内に入ると、恐い目元を引きつらせて横を見た。

オッドーが続き、片眉をあげてタカロスを横目で見た。

「あのメス猫野郎、早速やってやがるぜ」

そう言うとオッドーは進んでいき、タカロスはドア横の棚をバシバシ叩いた。

クラウディスは大人しく戻って来て、上目でクラウディスは怒っている顔のタカロスの横顔を見た。

「シャワーを浴びて来い」

クラウディスは唇を突き出して歩いて行った。

シャワールームの方から訓練中の歌がシャワー音とともにくぐもり聴こえていて、耳には心地良かった。

ピアニストは寝始めていて、全くマイペースだから嫌になる。

貴族出で好きに作曲し、好きに社交に出て、好きに悪魔を崇拝し、好きに曲を提供し、好きに寝て、そしていきなり妻の浮気に切れてあの甘い顔が冷酷なことをしでかす。

クラウディスはシャワーを浴びた事で尚のことなんともドルチェツァな態で出て来て、髪を拭きながらタカロスの横に座った。横のオッドーが流石に、熱で頬を染めた色気のある顔を横目で見下ろし、視線を戻した。

「この場では、スラックスと白シャツ、革靴を着用しろ。そして脱ぐな」

横のキツイドイツ人を見上げて、クラウディスは真っ白のタオルで髪を拭きながら顔を隠して温まっていた。

最近、邪魔されてばかりでやな気分だった。不貞腐れていて、背後へ出て行ったタカロスの背を見てから、言う事を聞かないクラウディスが出てきた。

「成果を見せてもらおうか」

クラウディスは聞かずにずっと顔を隠していて、オッドーは横目で冷たく見下ろし、一瞬の殺気でクラウディスは椅子を跳ね返して逃げて行った。

背後から長い腕が伸びクラウディスは机に飛び乗ってはとび、オッドーはすばしっこい黒猫野郎に毒付き横の鑿を顔横に構え飛ばした。

その瞬間一瞬で鑿を捕らえた視線が表情がなくなり、そのまま床にドシンと落ちた。

オッドーは楽器製作者に壁に突き刺さった鑿を抜き投げ返し、足げにする真っ白の背を見下ろした。

腕を引いて立たせ、壁に叩きつけてから後ろで片腕を拘束し、クラウディスは肩越しに睨み見上げて顔をフイッと反らした。

ランディアに怒られた気がした。言う事くらい聞いてやらないと、恐い目にあうだろう? と。

オッドーは反抗的なガキに襲い掛かりそうになったが、壁から離れさせて立てた椅子に座らせた。

うんともスンとも喋らなくなった。

いつもの様に腕と足を組み円卓に乗せ横目でクラウディスを見ていて、クラウディスは顔をあちらに向け憮然としていた。

背後でドアが開き、タカロスがクラウディスを呼んだ。

クラウディスは出て行き、自己の現在与えられる部屋に来た。

「三着分ある。着替えろ」

クラウディスは無言で俯いていたのを頷き、服を受け取った。腕に掴まれた痣があり、きっと暴れてオッドーに押さえつけられたのだろうと思った。

「……クラウディス」

クラウディスは顔を上げ、壁を見つめた。

赤くなる腕を撫で、身体を向けさせると真っ白な肌が染まり、掴む腕が熱くなる。クラウディスは俯いて目をきつく綴じ、首を横に振った。

「何で……」perche no?ペルケ ノ?

「俺」

何でというタカロスの言葉にクラウディスは顔を上げタカロスを見て、タカロスは軽はずみな言葉に顔を反らした。

「………」

クラウディスは俯き、着替え始めた。

タカロスは背を向け、いつもの様に後ろ手に手を組んだ。その背を見てブーツを脱いだクラウディスは服を床に落とし、一歩一歩裸足で歩いていった。

その背に手を当てようとした瞬間、背後からノックが聞こえた。

クラウディスは肩越しに見て、革パンを脱ぎ黒のスラックスと白のシャツを着てから靴下と黒の革靴に足を通した。

「開けてもよろしいかしら?」

副所長だ。

タカロスは踵をくるりと返し、横を颯爽と通って鍵を開けノブを捻った。

横には女精神科医エリザベスもいた。

「どうぞ」

タカロスがそう言い促し、クラウディスはしっかりと珍しく服を着ていた。室内の中の貴公子にしか見えずに、タカロスは初めてそこで振り返るとあちらを見てソファーのアームに足を組んでいる静かな横顔のクラウディスに、なんともつかずに俯いた。

エリザベスはいつものタカロスの静かな顔を見上げ、小首を傾げさせると背を叩き、歩いて行った。

クラウディスは立ち上がり、副所長がソファに座ったので彼女を見た。

「今回、各刑務所毎が音楽コンクールを開催する事になり、我が刑務所からも応募をすることとなりました。発表内容と種類は自由。人員の場合、我が刑務所内は第一級犯罪者の多く入所する中をその中からの編成は無謀という事で、組まれる人員は初の試みで受刑囚からは代表してあなただけという形を取ります。コンクール後は各レコードも出版され、その資金は一括してボランティアへ利用される事になります。我等が音楽隊は一風変ったオーケストラ演奏を要として、それらを演奏し、あなたにコーラスを依頼します」

「あの変った楽器?」

「ええ。拝見しましたが、実に面白い。まだ音のほうは耳には入れては居ませんが、楽しみにしている。なので、あなたもしっかりと活動に奉仕するよう。では、まず第一日目の成果を見せてもらいましょうか。君、拘束器具を」

タカロスはクラウディスの腰の部分にフックをつけ、歩いて行かせた。

通路に出て、副所長は颯爽とヒールを響かせ歩いていき、女精神科医が小さく言った。

「あまり彼女に逆らわないでね。彼女、十年前までは軍の将校だったの。元々手厳しくて、有名だったから」

クラウディスは頷いてから大人しくついていった。

副所長はエリザベスの父と軍の養成学校で十五年間教授と助教授をしてきた仲だ。母を欠いたエリザベスにとって、副所長は第二の母のような存在である。

いつでもクラウディスは刑務所内では大人しく従っていた。反抗することはそう無い。

女精神科医もいつもの様に白衣に手を入れ颯爽と歩いていき、立て巻きの髪が浮き歩いて行く。

その背を見て、背後で前を見て歩いて行くタカロスを視線だけで見てから、顔を戻した。

雰囲気が合っている。

今日は女医は、黒のパンツと上質な黒のVネックセーターは滑らかな光沢で、真珠が一粒綺麗な首筋から光っている。上品な立て巻きの髪が真っ白の白衣に揺れ、そしていつでも洗練された品のある顔立ちは切れ長の目元が相まって優しげだ。人種は不明だった。

#7へ入って行き、ジャガイモを食べていたオッドーは思わぬ女史に顔を前に戻し、タカロスは、肩越しに一度片眉をあげエリザベスを見たオッドーの後頭部を見て、口をつぐんで二度ほど瞬きした。まさか、本気で関係を持ったのだろか。

女のエリザベスの方は一切動じることも無く進んで行く。

副所長がクラウディスを手招きし、タカロスは歩いて行かせた。

オッドーは煙草嫌いの鬼ばばあが何かを言う前に消し、足を解いて立ち上がり、鷹揚に椅子を促した。

「これは珍しくどうも」

そう短く副所長は皮肉を言い、オッドーは口端を上げ珍しく椅子まで引いた。

そういう一連の動作が渋く、やはり様になっているのだが。

軍の若い時代からオッドーは、副所長とはあまり仲が良く無いが二十年来の部下なので、割と他から見れば中が良い様にも見える。

こうやって≪人間らしさ≫のある警備員は見慣れなかった。冷笑的に微笑む口端も。

まさか、このドキツい見張り役の警備員達の面々が楽器でも演奏するというのだろうか……。受刑囚一人でそれははっきり言って身につまされる思いだ。

「ことわ」

副所長は楽譜を見ては、顔を上げ促した。

作曲家のピアニストの方を見ると、さっきの内にシャワーを浴びたようで服装も髪型も変って眠っていた。

クラウディスは仕方なく、この色気も何もへったくれも無い場で唄う事にした。


 婀娜あだなるひとみ

 君の心情から成る戯れの光に在り

 

 出る連鎖する夢は紡がれ絹に成り

 夜を染め上げ静寂へと堕ちた

 吟詠ぎんえいする心はなんと表せば良いか

 君の死んだ心へと手向けては呼び醒まし

 この足許へとまた歩ませるならば


※歌詞の意味

 麗しく美しい君の瞳は、俺で弄んだ心で妖しく光っている。

 夜になり、毎夜見て来た悪夢が夜を染め上げたが、滑らかな絹のように俺は夜風に優しく包まれ、静寂の中に唄った。

 この心は何と表現すれば君へと伝わるというのか、俺から離れて行った心を取り戻そうと、美しい歌を捧げたい。

 俺の前に再び来させ、その背を抱き寄せるその為に。


一節だけを歌うと止めた。

はっきり言えばポーランド語でなんて言っているのかが不明だったが、複雑なメロディーは実に綺麗で、クラウディスの声にも実に良く運びも歌詞の感じも合っていた。

「なんと謳っているのですか」

作曲家は眠っていたので、誰もが首を傾げたのを、タカロスが短く説明した。

「美しい女と別れた男が、夜に歌を唄って自分の元に女を戻ってこさせるような内容だ」

「へえ。素敵な歌詞ね」

「洒落たもん歌いやがって」

「あいつは繊細な心を持ち合わせている野郎だ。悪魔崇拝者だが」

クラウディスは顔を引きつらせてぐーすか眠るピアニストの背を見て、顔を戻した。悪魔崇拝事で刑務所入りしたのか……。世の中には悪魔崇拝用の作曲家もいるのだから。

「伴奏を入れると荘厳になる予定で、幻想的な風も入る。花鳥風月の雅さを音で華麗に表現してもらう。それが一曲目だ。二曲目からはガラリと様子が変る」

楽器製作者がそう言うと、そのパートごとに別れた楽譜を見せた。

楽譜が読めないので、副所長はそれを見てから頷いておいた。

「おい起きろ」

楽器製作者が作曲家を蹴り起こしに行き、彼は面倒そうに起き上がると寝ぼけた頭でやって来た。

「お前の曲だ。副所長もいらっしゃっている」

作曲家は寝ぼけた目で彼女を見ると、姿勢を正してから空いた椅子に座った。

「これには、コンピュータで取り込んでみると人間の頭脳に働き掛けるという音質と音階とリズムがゆったりとした中に入ってる事が分かる」

コンピュータプログラマーがそう言い、にやりと笑った。

「それは、脳内麻薬を活発化させるという犯罪行為に繋がるもののようですね。認めません」

「いや、逆効果ですよ。副所長。極めてリラックスする状態を導き出す音楽です。このお嬢さんの声の質は、極めて高い波動を出していて、謳ってみれも耳に心地良いでしょう。自然と馴染んでいる。成長してもきっと歌っていれば心も落ち着く。その声と、実によく合う楽曲です。元々、楽器演奏者達の紡ぎ出す音はパワフルで堂々としているが、それも演奏方法とこのお嬢さんの声質で変化を起す。それが同調した時に、高いリラクゼーションを引き起こすんです。女史、まあ、これはデモですけど、今は一節だけだが、試聴して判定願います」

作曲家がそう言って、肩をすくめさせた。今までは、悪魔崇拝者たちを触発させるようなメロディーを作っていたのだから。

「女史もご安心下さい」

「ええ。拝聴いたします」

コンピュータプログラマーはコンピュータを操作し、エンターキーを押すと、始め小鳥のさえずりのような楽器が流れ、それが弦楽の音で引き上げられた。

そして曲が織り成される。

楽器製作者が言った。

「これはこういった具合に闇に浮くような透明感と神秘性があるが、元々お嬢さんの声は音域も幅広い。パワフルにもなるので、他の楽曲では作曲家の話では天に昇って行く盛大なものにするらしい」

「ええ」

「成るほど確かに聴き心地の良いものね。脳波で取り込めばサーモグラフでその波動の具合がどう影響しているのかが出ると思うけれど」

ポン

「………」

オッドーはエリザベスに肩を叩かれたのを瞬きして背後の彼女を見上げ、彼女は微笑んでいたのを、オッドーを見た。

「糞冗談じゃね、冗談じゃ無い。断固断る」

「君も演奏をするのだから、馴染んでもらわなければならないでしょう。さあ、その脳波観測装置を彼に取り付けなさい」

「そんな軍隊実験のような事は断る」

事ある毎に若い時代はこの鬼ばばあに実験台にさせられてきたのだから。スマートにラフでシックなジャケットを着こなすオッドーも体躯もしっかりして頑丈なので、何でもさせられて来た。

足を解き円卓に手をつき立ち上がろうとしたが、既に副所長は組む足を揺らし美しく微笑んでいた。ここに鞭でもあれば、ビシッとやられていた所だろう。今はその両手に紅茶がもたれているのだが……。

オッドーは渋々、伏せ目で口を引きつらせた。

クラウディスは、一瞬柄が悪い粗野な口振りに驚いて凄い顔をし、ドイツ人を横目で見て肩を引いた。元がボンボンなので、汚い言葉はあまり好きじゃ無かった。

タカロスがエリザベスを手伝い、箱からコードを出し始めた。エリザベスはいつも優しいタカロスに感謝して微笑み、指示を出しながらコンピュータと装置、コードを的確につないで行った。

「まずは、コンピュータの模擬音にさっきの一節を合わせて歌ってくれ」si canta su una base ragistrataスィ カンタ ス ウナ バーゼ レジストラータ

クラウディスは頷き、明らかに不機嫌なオッドーは苛ついていた。

「こんな茶番は好きじゃねえ」

オッドーが毒付き、頬杖をついて胡散臭そうに息を吐き出した。機嫌を損ねるともうオッドーはこうだ。まだ酒が入って暴れないだけましなのだが……。そうなると恐ろしくてタカロスは放っておく。武器になる様な鉄椅子やテーブル、グラス、酒瓶、そういった物の無尽な射程距離から離れるほか無かった。捕まればもう酷い事になることは分かっていた。

「気にせずに歌っていいのよ。さあ、開始して」

エリザベスがコンピュータ前の椅子に座ってそう言い、キーを押した。

美しい旋律で曲が流れ出し、クラウディスは渡されている楽譜を見ながら声を出し始めた。

徐々に楽器の音が重なっていく曲にあわせ、高鳴るピアノを声にしたようなメロディで始めはハモり、そして歌に突入する。

「人の心を覚醒させて落ち着かせる音色って言うのは、琴線に触れるような甲高い音から、その後の木のぬくもりを用いたような包み込む音だ。例えば、硬質の木を叩いて響かせるようなしんみりする音だとか、夜に霧の森林に高く諦(本来は口に帝の字)く神聖さの響きだとかな。かの大富豪連盟理事長だったアメリカ人の大富豪が、影で貴族仲間を集わせ悪魔崇拝を行なっていたという伝説があるんだがその時に用いられた音楽もそういった瞑想と覚醒を促す曲だったと推測されている」

クラウディスはその話で作曲家の横顔を見た。

ジル。

クラウディスはそうだと思った。ダイマ・ルジクの友人であって、何年も前に巨大な権力が為に暗殺された、という世界随一の大富豪……。

「へえ。これは見事な実験台ね」

誰もが画面を見ると、オッドーはコードをぶち抜いて怒って部屋から出て行ってしまった。

そのぶち抜く瞬間は真緑になっていたものがまたド真赤に一瞬にしてなったのだが……。

タカロスは目元を押さえて苦笑を抑え、エリザベスは可笑しそうに笑って首をやれやれ振った。

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