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美しき悪魔  作者: pegasus
第一章
3/19

独房のアヌビスとクラウディスの渇望

 「レオ!」

母は駆けつけ、クラウディスの身体にしっかりと抱きついた。

「良かった。良かったわレオ。無事に帰って来てくれて」

そう彼女はいい続け、クラウディスは何度も頷きながら彼女の背を抱きしめ撫で続けた。

ただいまとどんなに言いたいか、それでも、まだ三年間の刑期が残されているのだ。

「ごめん母さん。ずっと生きた心地がしなかったと思います。俺のせいで……」

「あなたがミラノを出て行ってからずっとよ。お願いレオ。どうか刑期を終えたら、屋敷に戻って来てもらいたいの。もう知らないところで無茶はやめて」

クラウディスは唇を噛んで視線を床に落とし、目を閉じた。

彼女は体を離して腕を持ち、一年でまた大人びた綺麗な顔を覗き見た。

「ねえレオ。もしも、どうしてもあなたなりに帰る事が躊躇う心があれば、どこかに部屋を借りてでも、いいのよ。それか、お母さんの実家か、トスカーナでもいい。無事が直ぐに確認できる場所にいてもらいたいの」

クラウディスは瞼を開き、どうしてもミラノの地に足を踏み入れることが、そんな心構えなどが出来ない事を口には出して言えなかった。

恐怖の闇が押し寄せる。そして、怒りの渦に巻き込まれてしまう。

ミラノに帰ればダイマ・ルジクがいる。手の届くところに。そういう事だ。自分が何をしてしまうか。

四人の恋人達の仇がどうしても討てなかったが為に、事故を起してしまい、ミラノから出たというのに、戻ってしまえば自分がどうなってしまうか……。

行き場の無い常闇を抱えたまま流れて、闇から這い昇る怒りが靄の様に暗澹と混沌に広がっては、この手に銃を、握ってきた。

母ローザは、真っ白の彼の手を握り、そして下腕の黒蛇を撫でた。

「クラウディス……。母さんはね、あなたを大切に想って来て、とても幸せだったの。安心しきっていたわ。立派に成長して行く泣き虫だった可愛いあんたが、しっかりした子になって来て、いきなりそしたらいなくなってしまって、どうしたらいいのか母さん、まったく分からなくなってしまってたのよ……。その理由を、何故かだなんて今は聞かないわ。でも、お願いよ。乗り越えてもらいたいの」

優しく撫でる手腕から、クラウディスの瞳を見上げた。

「その手伝いを本当は母さんが出来たなら……、どんなに良かったか」

「母さん」

クラウディスは母親の潤いや輝きが失われる事の無いこげ茶色の大きな瞳を見て、涙の溢れそうなその瞳は、微笑んだ。

クラウディスはその母の背を抱きしめ、そして言った。

「本当にごめんなさい。何も言わずにいて、言う事など出来なくて。全て自分で下した判断で結果的にここに来ることになったんです。勝手なことをしてしまったけど、これ以上、心を痛めないで下さい。いずれ……戻ります」

母親は何度も頷いて、白い背を優しく撫でた。

その背を離すと、腕を優しく撫で彼女は美しく微笑んだ。

「地雷撤去はどうだったの? 大変だったでしょう」

クラウディスは何度も頷き、一度目を閉じてから母親を椅子に座らせ、自分も座った。

「大変でしたが、行って良かったと思っていいます。いろいろ迷惑も掛けた事もあったけれど、現地の人たちの現状を知って、その場に生きる彼等や医者団、撤去班の人達に、逆に心救われてばかりだった。まともなこと出来なかった俺だけど、自分が働いたお金で彼等の役に少しでも立つことが出来たならと思います。現地には足りないものが多くあって、地雷撤去の処置も、そこにあるという事も本当に危険で……」

彼女は深く頷いてから、ゆっくりと続けた。

「レオ。ボランティアに行った友人がね、個人団体から寄付を募っているの。その団体の活動は二年前に発足したばかりで、いろいろな内容を広めている最中よ。ボランティアの内容は広がりつづけるものだから。あなたがもしも現地で感じた事があって活動内容に加えたい事があれば、何か提案してもいいと思うわ。いつでも考えをまとめた手紙を書いてくれれば、それを彼女に渡すから」

クラウディスは頷いた。

「ただね、焦らずに。クラウディス。今は出来る事からやって」

そう言って肩を撫でてから、彼女は顔を上げ、二人の中の背の高い方の警備員を見た。視線で促して来る。

「もう時間だわレオ。もっと本当は話してたいけれど、面会に来る事は、これからは許されなくて……」

俯く母の頬を撫で、彼女は微笑んだ。彼女は自分が弱くならないように、気丈に笑顔を上げた。

ローザのレオは母のその笑顔を見つめてから、泣きそうになったが、ようやく微笑んで言った。

「母さん。一度でも遠くから来ていただいて、本当に感謝しています」

何度も頷いてから両頬にキスをして、立ち上がってからクラウディスの頬を見上げ撫で言った。

「あとの三年間、病気なんてしないようにするのよ」riguardati!リグワルダティ

いつもの母のように、その瞳に強い光が宿った。どこまでも輝いている光だ。

「はい。母さんも」

「受刑囚3062番。面会時間の終了だ」

クラウディスは背後を見てから頷き、母に向き直った。

「帰路を気を付けて」

彼女は頷き、握り締める白い手を離せずにいたが、警備員の手が伸びてそっと外させた。

母ローザは冷静沈着な白水色のその警備員の男の目元を見てから頷き、引いて行った。

クラウディスは二人の警備員に横に立ち歩いていかされ、クラウディスは扉の所で一度彼女を肩越しに見つめ、微笑んだ。

「レオ」

腕を引かれ、扉へと消えて行った。

彼女はその場で、ずっと動けずにしばらくは扉を見つめ続けた。


 「綺麗な母親だな」

ベータが手錠を嵌めながらそう言い、クラウディスの横顔を一度ちらちと見た。

クラウディスは俯いたまま何も言わずに、ベータが元気付けに叩いて来た肩に、ようやく顔を上げた。

「辛いな。今の姿見られると。勝手なことだが」

「そういうもんだ。どいつも、親に会うとキレるか、帰れって怒鳴るか、それか大泣きするか、一度も喋らずに顔も見ないか、どれかだ。犯罪犯すとやっぱ親の手前罰がわりいもんだからな。親目の前にするとあまり冷静じゃいられねえのさ」

そう言うと、身を返した。

背後にタカロスが立ち、クラウディスの背を押し歩かせた。

クラウディスはまともにタカロスの顔を見ることが出来ずにいるために、背後にいるだけで意識がバラバラになりそうな程だった。

「おい。お前、こいつの母親ときっと同じぐらいだよな年齢」

「………」

無駄口を話さないタカロスは、小さく肩越しに通路を歩きながら言うエルダの無表情を貼り付けるキャップ下の顔に、視線を落とす事も無く進みつづけた。

エルダはいつもの調子のタカロスに内心笑ってから向き直った。

確かに母は三十四なので、三十二のタカロスと二歳しか離れていない。父は四十の年齢だ。クラウディスはそうおぼろげに思いながらも、歩いて行った。

厳重な格子の前に来て、錠が開けられる。

ゲートを潜り、そこを進んで行っては、ライフルを持つ警備員が両側に立つ扉に来て、それが開けられ進んで行った。

背後で重々しく閉ざされ、そして、外界から遮断されたその音が、響いた。

また、戻って来た場所を進んで行く。

格子を潜り、通路を歩いて行く。

その通路の先の格子の向こうに、太陽の差し込む光と監獄が広がっているのだ。

格子を潜りる。

十三日ぶりのグラウンドには今の時間、誰もいない。

明るい陽射しが緑の芝の部分と砂の部分に差していた。高い塀はその塔の先に警備員がライフルを持ち立っている。

多く銃弾が浴びせられた壁は穴で既に埋められている。

今は、労働時間だ。警備員達以外にはいない。

横切っていき、建物に入って行った。

ライフルを奪った警備員が横目で冷たくクラウディスを睨み、クラウディスはその横を二人に連れられ歩いて行った。その警備員は前に向き直り、クラウディスは進んで行く。

今はがらんどうの牢屋の区画される中を歩いていき、そして二階部への鉄の階段を上がっていき、進んで行く。

久し振りに戻ったクラウディスの牢屋の鍵を出し、タカロスが開けた。

クラウディスに中に進むように言い、ベータが外に立ち格子越しに背を向け、タカロスはクラウディスの手錠を外すために鍵を手に収めた。

「………」

タカロスはその手を止め、手首を持ったままクラウディスの瞼を見つめた。

俯く鷹鼻の先の真っ赤な唇も、雪原の頬を彩る真っ黒の睫も、黒髪からのぞく顔立ちも、そして、真赤になる耳も、可愛い……。

クラウディスは俯いて彼の制服の足許を見つめたまま、息が今にひっくり返りそうな程ずっと心臓を高鳴らせていた。

タカロスは鉄格子の先の世界を背に、一度、うな垂れクラウディスの頬に頬を寄せた。

エルダは首を傾げ肩越しに振り返り瞬きし、規律あり色気ある背を見てから、向き直った。

背を戻すと鍵を差し、手錠を外した。

クラウディスは静かに閉ざされる薄い唇を見つめ、本気になりかける事を無視したくて視線を落とした。

駄目なものは駄目だと叱って、分からせようとして来て、無言で訴えてきては身体で分からせてくる。揺るがない理性を持ちながらも、そんな中で冷静な静けさが静かに、言って来る。何かを……。

駄目だ。

絶対に駄目だ。本気になったら絶対に駄目だ。

クラウディスは解放されてから、顔を上げた。

「クラウディス」

「………」

タカロスはそこで視線を上げ、彼を見た。

「束縛出来ない。また、独房に連れて行きたい位だ」

鍔陰の静かな目元のままそう言い、タカロスは身を返し、出て行った。

ベータが労働終了時までの鍵を締めクラウディスを上目で一度見てから、そのまま颯爽と歩いて行ったタカロスの後ろを大股で歩いていき、階段を降りて行った。

クラウディスは頬を赤く立ち尽くしたまま、視野の先の鉄格子向こうの白い監獄を見ながら、動けなかった。


 若い受刑囚は首を傾げてクラウディスの目の前で手を振り、立ち尽くしているのを首を傾げた。

既に牢はまた解放されていて、自由に出入り出来る様になっている。

「おい目開けたまま寝てんじゃねえよ。十三日間の独房で覚えたことがこれか?」

クラウディスの寝台に座って持ち込んだ雑誌を読んだり寝ころがって持ち運びの音楽を聴いている二人の囚人はもう放っておいていて、壁にもたれて菓子を食べている囚人は寝ころがってクラウディスの足元から見上げ、菓子をバリバリ食べた。

「おい目覚めろよそろそろ」

そう言うと立ち上がってクラウディスの前に菓子をちらつかせた。

それが指ごと加えられて食べられ、男はもう一人と顔を見合わせてから、寝ころがる男の上に座り顔を押さえたクラウディスを見た。

座られた男は肩越しに見て、雑誌を読んでいた男は頬杖をついてクラウディスを見た。

「あー恋した! みてえに顔押さえてんじゃねえよ。何かあったのか? まさか、独房のアヌビスか?」

「やめておけって! すっげー恐いんだぜあの男……刃向かったら酷い拳があのおっかねえ目のままいきなり飛ぶからな……。しかも無言で」

「独房のアヌビス?」

クラウディスが顔から手を離し間抜けなほど小さな声で顔を向けてきて、完全にこれはその例の警備員に惚れているようだった。

「頑な揺るがない笑わない傾かない。あいつが自由監房見張ってる前で脱獄だとか下手考えない方がいいぜ。一番の脱獄犯狙撃手でもあるからな。普段独房任される方が多いからいいが」

たしかにタカロスには殺されたくは無いな、そう思いながらもクラウディスは、たった一度だけあの表情の動かないタカロスが、微かに上げた口はしの顔つきを思い出し、また顔を押さえて耳を真赤にした。

「おい何はともあれむかつく二人組みいなかったか? 糞オヤジ共だ。夜警の奴等」

「ああ、なんだか変なの二人いたな」

「奴等は完全に独房の夜警任されてる奴等だが、もしも自由監房に現れでもしたら俺、殴り殺しちまうかもしれねえ」

「やめろよデラ。あんなどうでもいい奴等なんかを相手に、その独房のアヌビスに殺されたくなんかねえだろ」

「確かに……。だが奴等こそあの男にそうされるべきだぜ」

「気持ち分かる。お前何やって入らされたんだよ」

「無断で労働サボって一泊させられた」

男がぶつくさ言い、雑誌を放った。

「一泊で良かったな」

「冗談だろ! 夜あのクソッ垂れの二人組みにかっこうの餌食にされたんだぜ」

クラウディスは肩を叩いてやり、雑誌を広げた。

「俺全然知らなかったぜ。独房に連行されて行く時初めて見たしな。あのハンサムな若い警備員」

「ああ、気配その場に馴染ませるのがうまいからな。普段ライフル持って微動打にもしないから、まるでベルサイユ宮殿の兵隊みてえにスイス人なんじゃねえかって思う」

この監房は、各場所からはなれずに起立し見張りを立てる監視員と、自由に行動する受刑囚を見回る警備員の二種類がいる。ライフルを持つ見張りの警備員と、見回る警備員は性格がまるでガラリと違う。見張りの方は目つきも表情も無く恐い。声すら普段は一切発さない。見回る方は普段縄を持ち歩き行動し、下手をする受刑囚に喚き怒鳴り散らしては大人しくさせてくる。だいたいのその見回り警備員達はクラウディスに買収されていて、関係のほうも持っているのだが。

「おい。惚れたのか?」

「まさかお前、誘惑出来たわけねえよな?」

顔を押さえるクラウディスを自分の背から降ろして体を起した男は、菓子を食べる男から袋を奪ってから、鼻先にちらつかせた。

それをぱくっと食べ、クラウディスは寝台に転がって背を上に顔を押さえごろごろなった。

クラウディスはごろごろなって、指から顔を出してぼうっと壁を見つめた。

「おいおい。これって恋しちまってるぜ完全に」

そう菓子袋を取り戻した男がしゃがんで菓子を食べながら顔を覗き込みそう言い、菓子をちらつかせると手ごと食べて来た。

雑誌をまた読み始めたデラは、クラウディスの背をクッションに壁に頭を付けて寄りかかってからページをめくった。

「アル」

「あ」

「カルドレが特別監房に入れられたって噂」

クラウディスは視線を腕に落とし、頷いた。

特別監房は累計五十年以上の長期の受刑囚が入らされる所で、自由が許されない監房だ。場所も隔離されている。元はといえば、自分が入らされるところはその特別監房か、終身刑の敷かれた独房だった。それも四年の刑になり、自由監房に収まったのだ。

「二十四年間、ずっとか?」

「きっとそうだろう。一度入らされた奴、またここで見たことねえから」

「そっか……」

「気に病むなって。な」

クラウディスは頷き、腕に顔をうずめた。頬を乗せ、壁を見た。

自分は、あと三年か……。


 妻から連絡を受け、ようやくここで気が緩んだ気がした。

室内で寝台に座り、長い膝を見下ろしながら頷き、彼女の声を聞く。

「そう。安心した。飛行中に嵐に巻き込まれなくて良かったわね。せっかく帰ってからまた一難だったなんて、あなたが空に飛ばされたら、ここまで戻ってこれたかもしれないのに」

彼女のロシア語を聞くと、頷いてからそこでようやく彼は笑った。

「そうだな。激しい嵐だった」

地雷撤去の活動を終えるたびに、毎回生きた心地などしない。自己にも刑罰かの様に課せられるかの様に、何が起こるか分かったものじゃ無い。クラウディスはああやって真面目に取り組んでくれたが、また次の不届き者はどんな奴を連れて行かされる事か。

「そうすれば、ターニャの顔も見れる」

「あの子、今恋人が出来てるの。三日前から民族踊りの学芸会練習が始まってるんだけど、一緒に組んだ男の子とよ」

「小学生なのに。早い。そいつは将来呑み潰れそうな小僧なのか?」

「小学二年生ではまだのんだくれかは不明よ! でも確実ね」

小さくてもロシア人なのだから。

妻がおかしそうに笑い言い、飲んでも潰れずに飲みつづけて尽きないが、普段から豪い真面目な質の夫の顔を思ってから続けた。

「それまではあなたの事があの子の結婚相手候補だったのにね。強くて格好良くて優しくて」

「それが聞けなくなるのか。寂しくなるな……」

「大丈夫よ。あの子は毎日あなたの写真立てに口付けをしてから眠るわ」

彼は微笑んでから家族写真を見た。

家族は三ヶ月ヶ月に一度、ロシアの実家からイタリアに来てくれた。

「そろそろだな」

妻は頷き、ようやくそこで台所の椅子に座った。

しばらく、彼の存在を目を閉じ確認し続けた。瞼を閉じても、差し込んでくる陽が緩く窓から広がって、暗い室内を一部明るくしているのが分かる。この台所に、横に、彼がいてくれて肩に手を乗せてもらえる感覚。

彼は本当に堅実な人だ。彼と結婚出来た事を幸せに思う。

「イタリアに今度向かったら、ターニャの話を聞いてあげてね。恋人のことをずっと言ってくると思うわ」

「可愛いあいつが選ぶ小僧だ。きっと、いい子なんだろう」

「ええ。笑顔が可愛い子だわ。元気で明るい」

「そうか。ひとまず一般的ないい子だな」

「そう。万引きも覚えなさそうな」

「よし」

笑顔まで可愛いクラウディスが犯罪を犯して刑務所の世話になっているのだから、気は抜けないのだが。

あんなにいい母親を持って何故荒れたのかは分からないが、犯罪はふいに個人の中に原因が出来る。心の闇は探れない。息子も母親が大切な風だった。

「今回の受刑囚はどうだったの?」

「ああ。聞分けが良かった。しっかり子供の面倒もみたし、手伝いも率先して地雷撤去もさぼらなかった。集中力もあって、逃亡も一度もしなかったしな」

まさか万引きとか喧嘩、泥棒などでは夫のいる刑務所には入る事など無い。特殊な犯罪を犯した人間が多い。

「珍しいのね。そんな人もいるなんて。あなたが何事も無く終えて帰って来てくれて良かった。意義有る内容だったようね」

彼女は微笑み、今回共に向かったという若い警備員の事を聞いた。

「今回は選出されたのが若い編成だったのね。一度会ったけど、どの人たちよりも自由奔放そうだった」

「確かに囚人を連れ出して一週間監視するには、所長に反対したが、今回はどうにかこなしきった。あいつ自身も軍の出だからわりと落ち着き払ってたしな。だが、多少精神的には来ただろう」

普段の撤去作業の刑罰に付く監視員は、両人とも彼の様な見張り役の警備員で、共に背も高く体力が整い悪辣とした受刑囚共をいざという時にとりえさえる事が出来、尚も専門知識の整った経験者だ。いつもは決まっていて、今回クラウディスにライフルを奪われたという過失を犯した勤続十五年のドイツ人、オッドー。普段は塔の番人の筋肉アメリカ人、ジョニスマン。特別監房での拷問係の鉄の黒人、ニッカの三人の中から選ばれ、刑罰時責任者のタカロスと共に向かう。

エルダの場合、今は四ヶ月前から監獄外の通路で面会を終えた人間の通る場所で見張っている役割だった。それが、随分と若いものの、軍の出だし地雷のことにも機器操縦も知識が多い彼が選ばれた。

受刑囚が模範受刑囚でもあるクラウディスだったからだ。本来、受刑囚のクラウディスよりも背が低かったエルダは選出されないのだが。

ジョニスマンとオッドーは普段気さくなので、妻も打ち解けているものの、ニッカの場合はぴくりとも笑わないので、妻は紹介を受けた五年前の時点で困ったものだった。

元々ニッカは死刑実行人の経歴もあるので、気さくとまでは行かない性格だ。

「七日間、お疲れさま。あなた」

「ああ。ありがとう」

ドンドンドンドンドンッ

喧しいぐらいに鉄ドアをぶったたいてくる音がして、彼は溜息を吐き出しそうになったが、妻の笑い声に意識を戻した。

「噂のエルダだ」

「元気な子」

「悪いな。せっかくの話途中だったのに」

「おい! 開けろ! 酒もらいに来たぞ!」

「そろそろ切ったほうがよさそうね。また五日後に」

「ああ。待ってる」

「ええ。じゃあ。あなた」

「また」

静かに受話器を起き、ドアを見た。騒ぎが聴こえる。他の警備員だ。

「静かにしろ! お前、何を持っているんだ! 出せ!」

職業柄からな、どんな時も尋問めいて聞こえる。

「これは何だ! ベーコンの固まりか! 悪い奴だ! 没収する!」

この手の冗談をいつでもかまし酒のともにとロイド&アルデ兄弟に徴収して行かれるので、また先輩にエルダがつまみを奪われる前に行ってやった。

タカロスがドアを開けると、三人もタカロスを見た。

取り押さえられたエルダは騒いでいた。

「入れ」

ついでに二人も続いたから最後のアルデがドアをしめた。

「お前達、一週間ご苦労だったな。祝杯に加えろ」

「ベーコン食いてえだけじゃねっすか」

エルダが小言を言い、袋から出した。

「おい。よくあいつ脱走しなかったな」

タカロスは頷き、グラスを四つ出してからボトルをゴトゴトと置いた。

「実際、あいつなら出来ただろう。俺達から武器を奪ってジープで逃げる事も難なく出来る筈だ。殺すに掛けるプロだしな」

言いながら注いで行き、時に覗かせた目の中の緩やかな凶器は、即刻奪った銃で殺害される事も十分にされる危険性があった。極限に空腹状態で、そういう時の人間は危険だ。チョコレート奪うんじゃなかったとも思ったのだが。

彼等も犯罪者を相手にしたプロフェショナルだが、クラウディスの場合一度闇に浸っている。目的が一切異なる中で自己を磨き上げてきた人間だ。

エルダは言った。

「あいつにはそんな事できねえよ。目を見ればわかるんだ。本当は悪い事なんか出来ないってな。だから嫌いなんだよ俺は。現場でも手伝いてえとか言ってしゃしゃり出てどんなに冷や冷やしたか。戦場じゃあ、絶対に役立たないタイプだな。すぐに同情して反旗を翻す奴だ。敵側に立って。ま! その方がいいかもしれねえけどなあ。戦争って嫌なもんだし」

口を大きく開けてエルダは薄切りの塩漬けベーコンを口に入れようとしたが、また寝台に腹ばいになる色男、ロイドに奪われた。

「そんなに熱い奴か? あいつ。いつも色っぽくウインクしてくるんだぜ。そそるが、俺はノーマルだ」

ロイドは二階部の角で見張りをする警備員で、丁度クラウディスが牢屋を空けて遠くにまず目に入る警備員だ。ローマ出身で年齢はニ十八の独身者だが、恋人はロイド同じく長身で美人だ。

見張り役は精神力が強い者がなるので絶対に揺るぐ事も無いのだが、ロイドは毎回あんなに遠くから色っぽい奴に微笑されたのでは、感情を無血にしておくのも内面上は難しかった。一切出さないのだが。

二週間前も、自分が立つ持ち場の角横背後の受刑囚2411の牢屋で交わっていて、朝帰りと来た。見回りの警備員はクラウディスの外泊には何も言わない。

クラウディスは見張り役のライフルを持った警備員には声を掛けない。どうせ揺るがないと分かっているからだ。

ロイドはグラスを見てから背を下にして長い足を交差させ、白い天井を見た。

エルダは酒をいただいてる義理で、既婚者のタカロスがクラウディスを襲った事は言わなかった。寝台の縁に背をつけ、片足を伸ばすタカロスはカードを切っていて、自己の感情を無視していた。

さっきから恐ろしい量のベーコンを一人で食い捲くっている二十七のアルデは、グランドの角を見張る警備員で、よく横の壁に馬鹿力な受刑囚共の強烈なボールがバシンッと飛んで来てそれもものともせずに立っていた。別に彼等もわざとじゃ無いが、一度顔面にあたりそうになって避けた後は珍しく鉄の警備員が鋭く歯を剥いていたのだが。瞬発力が高い。

エルダがようやく一枚自分の持って来たベーコンを食べた。その頃にはアルデに飲み込まれ五分の一の量になっていた。タカロスはグラスにまた注いだ。グランドのアルデと二階部のロイドが口をつぐんでから、独房のアヌビスを見て、その冷静なままの横顔から顔を戻した。

タカロスのポーカーフェイスが長けているので、エルダはベーコンを食べながら言った。

「一週間も横にいて見ろって。しかもプライベートに近い状態だぜ」

「残念だったな。お前監房には入れないもんな」

アルデの言葉にエルダは不服そうに頬杖を付いてから手を伸ばすと、ベーコンは既に無かった。

「俺のベーコン!」


 クラウディスは、男子自由監房内の二階部通路を歩いていた。

ぐるりと個々の牢屋が吹き抜けを囲うように並び、通路の欄干から下を望むと、一階監房の牢屋が左右に配置されている。日中は解放されている巨大な開口部からは、塀に囲まれた狭いグランドがあり、芝が濃い。

クラウディスは牢屋の並ぶ横を歩きつづけ、いつもの様に、角にライフルを立て仁王立つ見張りの警備員に微笑した。色っぽく。その二十代も後半だろう長身の警備員の横を通り過ぎ、進んで行く。

各牢屋の小さな窓から差しこむ明るい陽が、鉄格子の影を伸ばしながらも歩いて行く彼にも差しては、真っ白の肌を明るく照らした。

彼の黒艶の瞳はきらきら光り、適当に口ずさむ歌が色づく唇から流れている。

黒革パンツの足を進めさせ、ブーツの影も繊細に通路に伸ばしながら、線を引かれたような格子影と光の揺れる中進む。

まさか、見張り警備員のいる目の前でなど、麻薬は扱えない。即刻ライフルでぶっ殺されるだろう。

二十代前半で通路を拘束縄を持ち巡回する見回り警備員達しか、麻薬がクラウディスの手により囚人達の間に出回っている事など知らなかった。

昨夜、クラウディスの話を聞いていた先ほどの見張り警備員ロイドは、一瞬横目でクラウディスの背を追い、また、視線を戻した。

「………」

一瞬の視線でクラウディスはぞくっとして肩越しにあの壁男を見つめた。いつでも恐ろしい程無表情で微動打にもしないが、色男だ。

一切微動打にしないと言っても、それが二週間前のような緊急事態ともなると、どの見張りの警備員も一瞬で鉄製で出来た機械のドーベルマンかのように跳び撃って来るスペシャルシューターだ。誰もが百九十五センチ以上の長身ばかりだ。動きまで恐るべき俊敏揃いの。

クラウディスは視線を戻し、他の受刑囚の牢屋に入って行った。

あの女優を心待ちにしていた奴だ。

「リン」

「おーアル」

「あ」

「ハハ、久々じゃねえか鴉。お前、女優見れなくて残念だったな」

相変わらず菓子だらけで、その中に痩身のそいつがいる。そのTVで見たことのある女優のフォトが置いてあった。

「おい。知ってるか? クローダから一人入ったぜ」

男がそう言い、クラウディスは女優から口をつぐんで、自己の上腕を親指で差した男を見た。

「右肩にクローダの墨入った奴だ。その上に舌出す赤蛇と旗の不気味な墨も入った。でかくて岩みてえなスキンの剣呑とした奴」

「………」

イデカロだ。

「どこに」

「特別監房の通路に警備員に連れられて向かってった。俺が面会通路から見ただけだが」

その通路と他の通路は格子で区切られている。

にわかには信じられなかった。

イデカロは無情で、冷徹だ。ボスの先代の時代から飼われて来た奴で、声が出ない。先代に他の所から買われる前から舌が切られていた。

忠誠心が馬鹿強いがために、恐ろしいこともする機械人間。何度ボスの妻からあいつを仕向けられた事か。イデカロはイデカロという名の物言わぬ凶器だ。

クラウディスが一年前、抗争時の最終暗殺者として向かった後にマフィアを挙げての祝杯時に、黄金色など全て払拭された闇と暖色のルミエーラの元、体躯に黒の上下に赤のスカーフを胸に差し、赤のワインを回したイデカロが、初めて不気味にクラウディスに口端を上げた、その事を覚えている。既に、クローダボス、エルデリアッゾの妻は死亡していて華美な黄金の一切も、厳かな中に消えうせ落ちていた。

闇と暖色に、白いクラウディスの美しい顔立ちが浮いては、血を思い出す赤のワインなど飲めないグラスを膝につけ回し、クラウディスは視線を落とした。厳かな暖炉に照らされ。

クローダの歴史が動いた瞬間だった。

その晩餐を最後に、クラウディスはエルデリアッゾとの夜の深部の灯火さえ最後に、この監獄へ入れられた。

あのイデカロが捕まった理由が分からない。

今度、麻薬を降ろしに来るクローダの下っ端が言って来るかもしれない。

「……特別監房送りになったんだってな。カルドレの奴」

「ああ。あの男がもしカルドレみたいな人間に何もしないとしても、他の性質悪い連中がどうするかわからねえよ」

クラウディスは頷いた。

「で、お前そろそろ一体何やらかして四年の刑くらったのか言っちまいな」

「嫌だよ」

「前の奴は下っ端中の下っ端で荷台に密売する武器詰まった箱運んでる最中に見つかっちまった運び屋だったんだってよ。麻薬の仲介人か?」

そんなぺらぺら喋るぐらいじゃあ、運び屋でも無いもっと下っ端の奴だろう……。

どちらにしろ、クローダの人間は自由監房は許されない。

「お! 分かった! 他マフィアの経営する店で無銭飲食して売られたんじゃねえのかよ」

「惜しい」

「海泳いでて海月に刺されて医院に駆け込んだら、看護婦が敵に撃たれた若い下っ端だと勘違いして警察に通報されたとか」

「海月に刑務所入らされるのもな……」

「お。分かった。敵マフィアの情婦寝取った……はねえか。ボス寝取ってそこの幹部に刑務所前に蹴りこまれた」

「猫かっての」

「あれだろう。観光記念に入墨彫ったらすっげーぼったくりで喧嘩になっちまって、そしたらそれが実はクローダの入墨だったんで駆けつけた警官が驚いて連行して行かれた一般市民」

クラウディスはおかしそうに笑った。

「それいいな」

だがクラウディスの目が笑って無かったので違うと男は思った。

「じゃあ宇宙から地球に降りて来た宇宙人」

「それだ! お前はどうなんだよ」

男は黙りきり、自分は爆破犯だった為に菓子を口に突っ込んだ。

クラウディスは顔を戻してから男のCDを聞いた。女物の甘ったるい声で機嫌を損ね、外した。

きっと男は他の奴がまた来たら、前の奴は宇宙から地球に降りて来たマフィアクローダだったんだぜ。と言うのだろう。もしもあのイデカロが何かの救いよう無い大きな間違いでこの自由監房に入ったら、そんな話を聞かされる新顔があのイデカロになったかもしれなかったのだ。

五十年以上の服役内容は頷ける。だが、その分イデカロはやはりボスから信頼されていた幹部だった。

「おいじゃあすっげーもの出してみろよ宇宙人。光線とかよお、そういうの」

ギクッ

男の顔が一気にギクッとし、首を竦めさせて菓子袋で顔を隠した。

「?」

クラウディスは背にする牢屋越しを見て、あの気のいいチョコレートの掃除夫が向こうで口笛を吹きながらモップを掛けていた。

向き直り、首を傾げ菓子を食べラジオを回した。

「そうか今日は週に一度の水曜日か……」

「何だよ」

ラジオから顔を上げ、眉を潜めて男を見た。

とは言え、ここの囚人はその水曜はよくこうなるのだが。

「独房のアヌビスだ」

「え」

クラウディスはまた向き直り、遥か向こう側、今しがた歩き止って階段側通路の角に、立てたライフルに両手を置き立った男を見た。

「………」

タカロスだ。あのシルエットはもう、覚えた。

きっと、階段から上がって来た背を見たのだろう。

クラウディスは顔を真赤に向き直って菓子を食べ進め、まさかああやってよくいただなんて、本気で一切気付かなかった。一年間も。

またちらりと見ると、微動打にもせずやはり目元は一切鍔陰から見え無い。他の見張りの警備員同様に、気配が溶け込んでいた。

きっと、無秩序に自分がよく交わっている事も見られていたかもしれない。

「お前、世話になったんだろあの警備員の。二週間前は月曜日だったし、あのドイツ人のライフルお前が奪ったからあいつも助かったようなもんだぜ」

ドイツ人というのは、あのグランドへの出口に立っていた見張り警備員の事だ。昨日も刑務所に帰って来たクラウディスを鋭く睨んで来た。いつもぴくりともしない見張り警備員達の為に、まさかあんな大きな声が出る男とも思ってもいなかったのだが。

「あの独房のアヌビスがいた水曜日なら、走り出した瞬間に即死だったぜ」

「………」

あの地雷撤去の現地で吐き気がしてテントから逃げた時、確かに首筋にライフルの銃口が突きつけられ首の骨に、ゴツリと鋭い撃鉄を上げた音が不気味に響いたのだが、なにしろ自分は激しく吐いている最中で殺されるどころでもなかった。それに即刻銃口が外され、ベータと顔を見合わせたタカロスに、あの大きな手で背を大きく擦られたのだ。

クラウディスは肩越しにタカロスを見つめてから、あの閉ざされた薄い唇を見つめた。

「おい。海月に乗ってやってきたエロ猫の宇宙人」

「………。? なんだよそれ!」

クラウディスが真赤になって向き直り、怒って新しい菓子を開けた。

「よう坊や。帰ったのかい」

「あ。この前はどうも」

クラウディスはごろんと転がって見上げてから、体を起して男のものだが飴を、鉄格子から出した。

クラウディスは掃除夫に顔を上げた。

「お礼」

「ハハ! ありがとうよ」

掃除夫はそう言い受け取り、またモップ掛けに戻った。

「いつもあの場所にいるのか?」

「いや。いろいろ変る」

「へえ……」

「おい。どうだったんだよ独房。滅多なことしなけりゃあ別に怒らせること無いらしいじゃねえか」

「四日間のまず食わずだった……」

水曜だから一日中独房に現れない日があったのか。それに、最終日は地雷撤去へ向かう手続きがあったのだろう。

「おいマジかよ。カルドレの脱獄阻止にドイツ人警備員からライフル銃奪って発砲した罰に独房での絶食四日間ってきついな。俺なら耐えられずに無闇に怒らせて気絶させられて過ごすな」

菓子に囲まれた大飯喰らいを見た。確かにこいつなら喚いていただろう。

大手の美術館から盗んで闇市に売り払おうとしたところを手前で連行された怪盗の男が顔を覗かせ、入って来た。十年間服役させられる事になっている身のこなしの軽い奴だ。

「おうデラ」

「グランド出ようぜ。今、人員募ってんだ。他の奴等がドッジボールやって今日も警備員にわざとと見せかけて攻撃して、締め出されたからようやく開いた。お前もやるか?」

あまり会話した事の無い男にも聞いた。珍しく男も軽い腰を上げ連れ立つ事にした。

クラウディス達はグランドに出る事にし、歩いて行った。

角のいつもの色男と、歩いて行き階段側通路角のタカロスに、色っぽくウインク付きの投げキッスを送ってからクラウディスは二人と騒いで降りて行った。

「………」

「………」

対角線同士の角に立つロイドもタカロスも口を噤んだまま、一瞬目を合わせては、また視線を戻した。その一瞬の事で、もしかしてあのタカロスが誘惑させられたんじゃないだろうなと思ったのだが、ロイドはやはり微塵にも顔には出さなかった。 

ここからでも、タカロスからは大きな間口先の明るい芝の上でボールで遊び出した姿が見えていた。現地の人間にちょっとは焼けたなと、当然やはり全く焼けてなどいなかった為にジョークでもあったのだが、言われていた。

真っ白の肌のクラウディスは光を受けていて、漆黒の瞳は光り、黒髪が緑の芝に艶掛かって翻っている。

オッドーの背のシルエットが、肩にライフルを掛け、後ろ手に手を組んだいつもの状態で微動打にせずに立つ姿が間口端に眩しい中を立ち、青の空はここからは見え無い。高い壁も。

輝かんばかりの緑の芝の上を、ボールと若い受刑囚達が転がっていた。

外へは動けないが、ある程度の許される自由の中、スイッチを押せば心臓を爆破させられる危険な奴等だ。こうやって飛び跳ねていて、白い兎のように狙われて。

満遍なく眩しい陽を浴びる芝生の上、クラウディスの類稀なる白い肌が純白と笑顔が強烈に光り、眩しさに目を細めた。


 夜、クラウディスは腕を枕に群青に染まる白の天上を見つめていた。

月の明りは白く差し込んでいて、彼の美しい肌横に鮮明に伸びている。

見張りの警備員が動くのは、深夜に落ちた闇の中だ。

見回りの昼の警備員達は引いて行き、そして見張りの警備員達二人が、懐中電灯を持ち、白の光を群青の深い闇に静かに貫かせ、高い靴音を響かせ、歩いて行く……。黒の影の様に。

吹き抜けから望む一階部の開口部は重く厳重に閉ざされている為に、闇にひっそりと落ちていた。

クラウディスは目を閉じ、背を上にして頬を枕につけた。足音は近づき、歩いている。

時々、重々しい音がガシャンと響き轟く。

眠りを妨げては、また静寂に包まれ、空気は動かなくなる。そんな中を、闇の中を光りと影は、歩いて行く……。

眠りに徐々に落ちて行き、闇の中を、落ちて行く……。

ヴェールでは無く、落ちて行く。まるで乱暴に。

 クラウディスが起き上がると、あの夢に出た嫌な二人組みの夜警はいなかった。独房の夜警のクソッ垂れの二人組みだ。なんだか、凄く嫌な記憶が絡み合うオヤジ共。

胃が引きつっていて、それをさすった。

明るくて、白い場所だった為に見回す。

「………」

あの色男の警備員が背を向け、低い棚の上の帳簿を記入していた。

男は振り返り、キャップ下の目で見ると腰の通信機で短く報告した。初めて声を聞いたが、甘い物を含ませる声だ。

「何でここにいるんだ? 俺」

「発狂したからだ」

「え?」

「警備員が一人、負傷して運ばれた」

その通信機を腰に戻し、クラウディスを見た。

「………」

クラウディスは顔を白くし、顔を男に上げた。

「独房の……?」

男は相槌を打ち、横目を反らし、続けた。

「覚えて無いようだな」

「覚えてない……」

意気消沈しきっている元殺し屋は、顔を押さえ込んでいた。エルダの言う様に、顔を上げた時の目が艶がかっていた。泣きそうに潤んでいるのだ。

「どんな怪我を?」

「発狂したお前を抑えようとした警備員から、拘束器具を奪って首に巻きつけた。お前が彼を殺そうとしたから、銃床で気絶させてここに運んだ」

「じゃあタカロスは今」

「何で名前を知っている」

「………」

クラウディスは顔を反らし、片足を引き寄せた。

「もう目覚めている頃だろう」

あの綺麗な首筋を思い出した。まさかその首に自分が拘束器具を巻きつけて締め上げたなんて。あのタカロスの……。

「どうやら、一週間のキャンプ時もうなされていた様だな」

「………」

クラウディスは何も言えずに見上げた。ロイドはその腕を掴み強く持ち、鍔下の目が鋭く光った。

「死ぬ所だったんだぞ。あいつはお前に的確な処置をした。もしも発狂がままある様なら、精神科監獄に入れられると思え。今までのような態度も取れない。全て暗示で検診されて閉じ込められて気違い扱いだ」

クラウディスは痛くて手を払い、酷く真赤になった手痕を抑えた。

うなされた原因の夢の残像はクソッ垂れのオヤジ共。薄暗い闇の中。目覚めて闇の中で、間違えたんだ。取り押さえられたから……。

発狂なんて、覚えて無い。

「目覚めたなら戻れ」

クラウディスは手を出すように言われ、手首を上げた。

うつむく黒髪を見て、ロイドは口をつぐんでから手錠を嵌めた。

寝台から立たせようと腕を引いたが、その瞬間倒していた。

ガチャ

「………」

ロイドは扉を開けた目を細める所長を見て、どちらにしろ普段は女好きで誘惑にかかると口説きに女達が引っ掛かるロイドに首をしゃくってから受刑囚を立たせ、ロイドはすでに何事も無かった様に受刑囚の腰に縄を掛けた。

クラウディスは、仲間に手を掛けられ首を締め殺されそうになったのか、不明だったが口をつぐんで所長を見た。

「なにやら問題を多く起し始めたようだな。二週間前に引き続き、今回は警備員損傷か」

「………」

「一人、宣教師をつけようか」

「結構だ。キリストなんか……」

クラウディスは顔を背け、手を握った。別に恨んでるわけじゃ無いか、死後の肉となるパンと血となる葡萄酒を食するたとえも、それに、あの最後の晩餐の図も大嫌いだ。

恋人の肉と血を、屋敷の食堂で使用人に取り押さえられ食べさせられた救いようの無い記憶が甦る。ダイマ・ルジクの冷たく鋭い視線も、何もかも思い出す。拒み、使用人に口を押さえ込まれ、人の肉のステーキと、血のグラスで顔を汚され、無理に食べさせられた。

ダイマ・ルジクはクラウディスの恋人を知り、地下へ閉じ込め、クラウディスの目の前で銃殺し、そして調理をさせると彼にその恋人の血肉を食べさせた。

神も救いも無い。

どうせ人の作り出した物を信じる気は無い。元から浮かびもしなかった。あの悪魔に対峙させられつづけ、深い怒りと闇しか無かったのだ。余りにも哀し過ぎる絶望しか。ミラノには、それしか無い。

だから、ミラノで過ごして来た友人レッツォと見上げた星空が、尊かった。どこにでもある星は、優しい……。そのレッツォの事まで傷つけ自分は親友仲を壊れさせてしまった後でも……。

それでも、生きた人間の中に救いが少しずつある。それを、理解し始めていた。ミラノから離れてから、自己を少しずつ取り戻していたのだ。夜の闇に抑えきれない深淵から湧き上がるものも、拳銃に込めながらも、少しずつ。

タカロスもその一人だった。二週間のうちに、横にいたことのあの安心感があった。

なのに、自分は手を掛けていたのだ。あの彼に……。

「精神科医に看てもらう事になる。分かったな」

所長はそう言い、クラウディスは目を見開いて嫌がった。

「それは嫌だ。俺は正常だ」

「これは規定だ」

警備員は縄を引き、彼を連れて行った。

通路の向こうの扉からタカロスが、脇にキャップを添え出て来ては、あの瞳で彼等を見た。

クラウディスが駆けて行きそうになった為にロイドが縄を引いた。

「まだ殺り足りないのか」

「違う! そんなんじゃ……」

ギリギリと引き付けられて首を振り、それを見てタカロスは帽子を深く被り、そこまで歩いた。

首に軽く包帯を巻かれている。クラウディスは彼を見上げて大人しくなり、ロイドは緩めた。

「もう問題無いようだな」

「はい。迷惑をお掛けしました。所長」

所長は何度か頷き、クラウディスを振り返った。

「明日、看てもらう。それまでは独房に入れ」

クラウディスは首を横に振って嫌がった。嫌な雰囲気のするあの二人の夜警がいるからだ。

有無を言わせずに所長は引いて行った。

「………。俺が連れて行く」

「やめろ。この小僧に手を掛けられる」

「俺を殺す気だったのか?」

「そうじゃ無い。俺は……」

「いいから進め」

背を押され、前後に挟まれ引いて行かれた。

ロイドは肩越しに一度目覚めたタカロスを見てから、通路を見て歩いて行った。

運び込まれて気絶したままだったが、しばらくして「ターニャ」と繰り返しながらうなされていた。娘の名前だ。

ロイドは一先ず安心しておき、独房側へ進んで行った。今は叩き起こされた他の見張りの警備員が夜警に回っている。グランドを張っていた二人で、やはり一人は昼にボールで攻撃されかけたアルデだった。

ゲートを開け、独房に来た。

「………」

タカロスとロイドは険しく顔を見合わせ、タカロスが進んだ。

悲痛の叫び声が響き、そして獣の様な醜い怒声が聞こえる。血の匂いが流れた。

その血の匂いで入り口側にいるクラウディスは吐き気がし、月光の部分を睨み見つめた。闇など見ないようにして。

「ギャ!!」

夜警の男の叫んだ声が響いた。

立て続けに再び。

「………」

ロイドはクラウディスを後ろに引かせ、一瞬、血を流し倒れた警備員の頭部が、闇の間口から青白い月光の通路に、見えた。キャップが転がって、紋章の金の部分が光る。

クラウディスは駆けつけていて、ロイドが声を上げた。

「待て!」

間口に駆けつけ一瞬で、額に銃口が突きつけられ、闇影の中の白水色の鋭いタカロスの瞳を見上げ、ぞっとした。

「戻れ」

クラウディスは動けずに、視線を動かした。その背後のありえない囚人の有様を、見た……。

ロイドが背後に駆けつけ、匂いに顔を険しくして牢の中を見ると、クラウディスの肩を引いた。

タカロスの足許の死体は、手に鋭くした鉄格子と、劇薬の入った瓶、鞭、血肉のこびりついた鎖……。

「虐待か」

「そうらしい……」

タカロスは憤りの息を噛み殺し頷き、クラウディスを見た。

「おい。大丈夫か」

クラウディスの目は見開かれてその汗と血肉に埋もれた有様の囚人を見て、真っ青になっていたのだ。月光のせいでもない。

「あ、あ」

「おい」

タカロスは眉を潜め、ガタガタと震え出したクラウディスを通路に引かせた。青い光に包まれた瞬間、劈くように悲鳴をあげた。

ロイドは腰の拳銃に手を掛けたがタカロスがその手を止め、また暴れる前にクラウディスの肩を地面に叩きつけて押さえ込んだ。

「アドルド! アドルド!!」

「おいしっかりしろ!」

取り乱していてクラウディスはしきりに人名を叫んでいた。ロイドは腰から鎮静剤を用意し、青くすかす中を液体が光っては空気を抜き、雫が落ちては、タカロスに渡した。

ロイドも肩を押さえ込み、タカロスが鎮静剤を打つ。

しばらくずっと叫んで暴れていたが、彼の所まで男共の血が流れ込み白い肌を濡らした頃に、ようやくバタリと収まった。

クラウディスは透明の涙を流しながら頬を真赤に泣いていて、闇色にきらきら光る目で虚ろに月光の差す光を見つめていた。

「落ち着いたか」

クラウディスは動く事も出来ずにいて、血の匂いが鼻腔を占領し、月光に照らされていた。

二人は肩から腕を離し背を立たせると、タカロスがクラウディスを引き上げさせた。

「#3に」

ロイドにクラウディスを任せ、歩いて行かせた。クラウディスはもう何も騒ぐ事も無く、力無く押され歩いて行く。

その背を一度見てから、タカロスは通信機で連絡した。

クラウディスは板の運び込まれた独房に入れられ、扉を閉ざされた。

「目隠しをするか」

ロイドがそう聞き、クラウディスは首を振った。

「いらない……」

ロイドは頷き、#18へ戻った。

二人の夜警の死体は通路へ運び込まれ、駆けつけた所長と一人の警備員がいた。

タカロスとその警備員は受刑囚の体の血汗を拭いていて、受刑囚はやはり死んだままの目をしていた。昼同様に。だが、その開かれた目は充血して危険な程光り、こけた頬の上、眼孔の中で落ち窪み、ぬらぬらと光っていた。

危害を加えてくることの無い昼の顔の長身で若い警備員を見て、ようやく受刑囚はぼやけた意識の中、彼等を見た。

喋れる状態でもない為に、朝にはなっている汚れの無い見慣れた状態にようやくなると、身を引かせた。

所長は二人の死体を見てから、ロイドともう一人の警備員に死体を運ばせて行った。

彼はタカロスの横顔を振り返り、タカロスは地面を睨み歯の奥を噛み締めていた。

「人員をまた二人、夜警に当てる。監視カメラを設置させよう」

「はい」

タカロスは目を閉じ何度も頷き、所長はタカロスの肩を叩いた。

「同情は君の悪い癖だ。自己を保つように」

所長はそう言い、通路を歩いて行った。

タカロスは向き直り、#18の扉を閉め、鍵を差した。その部分の鍵の手を添えたまま、目を堅く閉じ壁を殴って踵を返した。

まさか自分が一切あの二人の愚かな行いの数々に気付かなかったなんて。独房に入っている人間だろうが、あんな行為が許される事など無い。

所長の後ろまで進み、言った。

「俺の過失です」

所長は踵を返し、タカロスを見上げた。

「あの二人を選出したのは私だ。他の刑務所での経歴を見て当てた人材だったが、人選が安易だったのだろう。この事は二度と繰り返さないよう我々も共に気を一層の事引き締める。いいね」

そう言うと、歩いて行った。

「本日はそのまま、独房の夜警に回りなさい」

所長は独房監房から出て行き、タカロスは深く息をすい吐き、目を開けた。

振り返り、出口通路突き当たりになるT字接点にある#3を振り返った。

監視窓を見る。青白い照明を監視窓から当て、夜の様子を確認する。

「………」

クラウディスは泣いていた。顔をうつむかせる事も出来ずに板に頭をつけ、頬を涙でぬらして青白く光っている。

タカロスは目を強く閉じ視線を反らしてから息を深くつき、引いて行くと、他の囚人達の確認へ回った。

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