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美しき悪魔  作者: pegasus
第一章
2/19

地雷撤去作業

 朝が明け、床を見ると1日放置されていたスープが消えていた。

扉が開き、若いあの警備員がクラウディスを見た。

一回り大きく思える目が上がって、警備員を見た。感情は窺えない。

拘束を解き、一番初めの拘束器具を嵌められ、引かれた。

よろめき、警備員に支えられてクラウディスは言った。

「何か食べたい……」

小さな声で言い、警備員は言った。

「俺が七日間、お前につく事になった。出来るだけ食べさせる」

クラウディスは初めて個人的な喋り方をした警備員を視線を上げ頬を染めて見た。

相変わらず感情の無い目元で、それでも心音を無視することなど出来なかった。

クラウディスは姿勢を正され、引かれて歩いて行った。

所長室での所長の言葉も耳に入らなかった。空腹だ。水でもいいから飲みたい。

そこでようやく拘束が解かれ、そのまま連れて行かれた。

「腹が……」

シャワールームに来て、あの若い警備員の監視を背に、その存在を気にしながらシャワーを浴びた。肩越しに見ることさえ出来なかった。

今度はワゴンに乗せられ、手錠を嵌められて進んで行った。

クラウディスはあの若い警備員が運転する項を見てから、横に座る新しい顔の警備員の横で、うつむいて膝を見た。

言葉も出ない。

護送車が進んでいき、軍用のヘリに乗せられた。

景色を満喫する気力も無かった。ヘリの中で転がり、振動に頬を寄せていた。

そのヘリの中であの若い警備員が着替え始めたので、クラウディスは固唾を飲んでその背から目が離せなくなり、黒のTシャツに隠れ、それでもその輪郭の背を見つめてしまっていた。

軍用の服に変えると、警備員はクラウディスにもそれを渡した。

「着替えろ」

クラウディスは頷き、手錠を解かれて着替え始めた。

着替えが済むと、ヘリのプロペラの音だけになった。

軍の基地に降り立った。

ヘリを降りると、中東の兵隊たちが走り回っている。両隣に監視員が立ち、班長が班の五人を紹介した。

「これから一週間、受刑囚3062には地雷撤去に当ってもらう。その方法とやりかたを説明の後、朝食を終え、即刻現地に向かってもらう。尚、配膳は現地での役割で行なってもらう」

朝食。

クラウディスは表情も作れないまま目を輝かせた。

道具の説明がされ、手短に説明されると、注意事項と警告を受け、基地内の建物へ進んで行った。

「………」

出されたのは、肉だった。

「………」

クラウディスは背を向け、空腹で透明な液体を吐き、無理だと思った。

「早く食べろ」

もう一人の監視員に言われ、クラウディスは向き直り、それを虚ろに見下ろした。

それでもその横のおわんの中のスープを見ると、目の色を変えてそれを手に取り飲みこんだ。両横の監視員のスープも飲んでしまい、監視員は瞬きし、頭を叩かれた。

無我夢中でサラダだとかゆで卵、牛乳、パンを食べ、三人分の肉しか残らなくなった。

「おいおい何だよ、ええ? 肉を食わない宗派か? 坊主。んま、おかわりくれ」

片割れの監視員が言い、おわんにスープが乗って来たが、パンとサラダは人数分だった。

それもクラウディスが食べようとしたため、項を押さえつけられた。

クラウディスはじたばたし、それも解かれるとぐったりした。

また引っ張られて今度は軍用の小型機に班で乗った。

言語不明で彼等は会話をし合っていて、クラウディスは無駄口は許されなかった。

何かの通信でも受けたのか、監視官がそれを耳に当て、いつもの表情の無い片眉を静かに上げ横目でクラウディスを見下ろすと、通信機を渡してきた。

クラウディスはその白水色の瞳を見てから、受け取った。

「レオ!」

「………、母さん!」

クラウディスは驚いて瞬きし、一年ぶりに聞いた母、ローザの声に口を閉ざす事ができなかった。

「ようやく面会が許されて来たら、地雷撤去だなんて、そんな危険な場所に向かわされているって言うじゃない」

崩れそうな声がいいつづけ、クラウディスは目をグルグル回した。

「心配無い。慎重に行って来る」

「あなたそんな、」

所長を恨みたい気分だった。まさか母親に話すなんて。

「絶対に無事に帰って来る」

「現地の人たちを救うお手伝いなのは分かるわ。安全な中を生きているあたし達には無い危険を常に感じながら生きているんですもの。でも、だからって何も分からないあなたを……ああ、気絶しそうだわ。地雷撤去ボランティアへ貢献に行った立派な友人を知っているけれど、本当に慎重にお願いねレオ。絶対に無事に帰ってくるのよ」

「十分注意するよ。本当にごめん。じゃあ」

通信機を渡し、溜息を付いた。

手錠の嵌る両手で顔を押さえ、うな垂れた。

「母親か? 声が若いじゃねえか」

もう一人の監視員が言い、クラウディスは頷いた。確かに母ローザは若い。母が十六の頃にクラウディスは産まれていた。まだ彼女は三十四という若さで姉妹に見える。数年前まで母はまだ二十代だったのだから。

無言の中、現地へと飛んで行った。

顔を上げると、巨大な夕陽が真赤に世界を染め上げた。

壮大な天を、透明な光と雲が丸い夕陽を中心に置いている。

クラウディスはあの時のキスを思い出さないように、真っ黒の影に視線を落とした。目を閉じる……。

その瞼をすかす赤は、クラウディスを安堵とさせた……。

まるで、血脈の中で息づいているかのようで、包まれて思えた。


 深夜に現地入りし、真っ黒の夜空に小さな星が幾つもはるか高くにある。

引かれ、テントを潜った。

「料理をした事は」

「パスタぐらいは」

「そんな物は無い。覚えろ」

クラウディスは頷き、名前を聞いた。

「なんて呼べばいい」

「あいつはアルファ。俺はベータ。それでいい」

「名前じゃ無い」

「受刑囚に名を教える義務は無い」

「俺がベータだ。お前がアルファにしろ」

背後でライスを炊くもう一人が言った。こうやっていつでもあの監視員は自己よりも彼に優先的な第一の責任を任せてくる。

「分かった」

クラウディスは頷き、肉の塊を出されて後じさり、唇がわなないた。

「シチューを作れ」

クラウディスは虚ろになって頷き、野菜を切り始めた。肉のほうは監視員、アルファが断ち切る音がした。

クラウディスは落ち着かなくなって来て、人参を切りわけ、視線が定まらなくなって来ると包丁を置き、いきなり走って行った。

監視員はライフルを持ち瞬時に走り、テントの外で激しく吐く彼を見ると、顔を見合わせた。

「極度の緊張か、飛行機酔いか」

胃をさすりながらクラウディスはおぼろげに頷き、水筒を渡されて口をゆすいだ。

頭がくらつく。闇に彼等が浮く前に、激しく痛む胃を抑えて立ち上がり、テントに戻って行った。

「地雷の撤去は俺たちは六年続けている。緊張しすぎるとミスを冒す事になる。許され無い事だ。今日は食べたら早めに眠れ。明日は朝、朝食後は現地人の村へ行き村人たちの現状を見に行く。その後に撤去作業だ」

クラウディスは頷き、料理を続けるように言われた。


 夜、寝袋の中で顔だけ出した蓑虫状態でこの所の夜の不眠で眠れなかった。

「睡眠薬を飲め。無理にでも寝てもらう」

監視員がチャックを下ろしていき、クラウディスは闇の中は白目だけが浮いていた。

水のコップが光って手渡され、起き上がると錠剤を渡された。

それを飲む事を拒んだのは、本当に睡眠薬かは不明だからだ。

「安心しろ。母親が待つ身の息子に俺たちもここの者達も何もする人間じゃ無い」

「………」

クラウディスは俯き、それを飲んだ。横になり、熱くてチャックはそのままにした。手首の手錠が艶めかしく光り、クラウディスの闇の瞳に白の艶光が走っている。その瞳が閉ざされ、監視員はチャックを引き上げると自分も戻った。

クラウディスは眠りに入って行き、闇に閉ざされた。

ぐっすりと眠れたために、朝は頭が鈍かった。

「これを嗅げ。頭をすっきりさせろ」

クラウディスは起き上がり、その覚醒を促すエッセンシャルオイルのユーカリラディアータの香りを手渡されてかいだ。

頭がはっきりし、元の彼に戻った。

既にもう一人の監視員は素早く自己の寝袋を小さくまとめていた。クラウディスもそうする。

テントを出て、号令をかける。

朝食は肉が無く、ライスだった。酸味のあるスープと、レーズン入りの豆。

班長が整列させた班の前に来た。

「本日も部落に向かう。ジープに乗り込め」

クラウディス達は乗り込み、その荷台には医療薬品の箱が入っていた。白衣の人間も二人増えている。言語は英語だった。クラウディスは英語は分からない。

監視員アルファがその英語で話し始め、会話をしていた。クラウディスは上目でその顔を見て、舗装されていない道を進んで行く。

「バイクは運転出来るな」

クラウディスは頷き、停車したジープから降り立った。

あたりを見回し、危険を示す看板と、ロープが道路脇の草陰前に張られていた。

空は抜ける蒼さで、緑は蒸す。その中を乾いた空気の中、歩いて行った。

目の大きな子供達が顔を覗かせ、彼等を見た。母親は原色の服を斜めにかけて来ては赤子を抱えている。杖を付く男や、包帯の子、体の一部を失っている者、その彼等がバラックの村に集まり住んでいる。

クラウディスは口をつぐみ、進んで行く班の後ろを、引かれ歩いて行った。

灰色の犬や子供達がついて来て、通じない言葉で話して来ている。クラウディスは微笑み掛ける事さえ出来ずに、彼等を見ながら歩いていった。

無垢な目をした彼等の瞳は光が映っていた。それでも、バラックの中からは泣き声が聴こえる。

班が立ち止まり、現地の除去をする男達と落ち合った。現地の言葉で彼等と話していて、クラウディスは手首の布を解かれ、手錠を外された。腰に縄が繋がれたままだ。

説明を受けた器材がその一角にはある。

頬骨が高く、笑顔は無い男達が彼等を見てから、立ち上がって向う事になった。

「いいか。慎重に歩け。波動も見逃すな。神経を使うぞ。絶対に金属探知機で調べて人の通った場所以外は歩くな」

クラウディスは頷き、ロープを潜って行った。

ドンッ

くぐもった振動が響き、クラウディスはそちらを瞬時に見た。木々や原の先だ。

白い煙が上がっている。

「あちら側は処理所がある。子供はおろか、関係者以外は近づく事は許されていない。処理音だから今回は良かったが、現実は村で見た通りだ」

「………」

「行くぞ」

白い煙が上がる場所を見ては、引かれて歩いて行った。

 その日の夜はぐったりしていた。

午後は終ると村落へ行き、包帯を巻くことを手伝ったり、消毒を縫ったり、泣く子供をあやしたりした。

夕食を食べ終えると気力がもてなくて、クラウディスは転がった。

現地で水は飲めないために、トラックの中のポンプの水を出され、それを飲んだ。

強く生きている子供達は無垢で、可愛い笑顔をしていた。泣き顔は心が痛んだ。

今日見つかったのは二つの地雷で、それは処理された。

「今日は疲れただろう」

こくこく頷き、起き上がってから手錠の手を下げた。

「早めに眠れ」

頷き、立ち上がって寝袋を用意し、即刻眠りに落ちていた。

 翌日の朝は搬送だった。バイクの後ろに箱を五つ積み、各部落へ届ける。靴やTシャツ、ズボンが入っているという。

監視員はもう一人が腰にロープをつけ横を進んでいき、妙な行動に出れば縄を引っ張り落とされ、撃ち殺される事になっていた。

僻地で逃げる気も無い。クラウディスは久し振りにバイクに跨り、ハンドルを握った。

「いいか。妙な事考えれば即刻撃つからな」

クラウディスは頷き、進めさせて行った。

木々や蔦などが茂り、道を進めていく。

ずっと進んでいき、いきなり草むらでドンッという音と、ニ、三人の声が続いた。

「糞、やられたんだ」

即刻腰の通信機で連絡し、しばらくしてジープが来る間にも、草むらから二人に運ばれてきた男がぐったりしていた。

クラウディスは険しい顔をし、男はジープに運ばれ、即刻道路を引き返して行った。

「行くぞ」

クラウディスは黄色の土煙が舞う先を見つづけ、頷いてから走らせて行った。

他の集落に来ると、飛び跳ねる子供達が箱をわいわいと受け取って、中を見て靴をはいたりして飛び跳ねた。

村長と男が会話を交わし、そしてクラウディスに「次に行くぞ」と言い、子供達の頭をガシガシ撫でてから歩いて行った。子供達は躍り出て手を振って同じ言葉を言ってきていた。

 全ての集落に分けて行くと、戻って行った。

夜、キャンプに鹿が飛んで来て、クラウディスは驚いて食べていた物をゴホゴホ吐き出した。

目を光らせ鹿は草むらに消えていき、クラウディスはその影のほうをずっと見ていた。

「お前、女は」

「………」

班長が聞いて来て、クラウディスは首を横に振った。

「何して捕まったかは聞くわけじゃねえが、お前、まだ若いな。何歳だ」

「十八」

監視員ベータの方がゴホゴホ咳をし、クラウディスを見た。

「お前、まだそんなガキだったのかよ」

「………」

クラウディスはライスを顔に飛ばされて嫌そうに払ってから、顔を戻した。

「明日にはボランティアの団体が十名加わる。アメリカ連中の若者達で、お前とも同世代ぐらいだ」

クラウディスは頷き、食指を進めた。

「朝に運ばれた男、どうなった?」

「今治療班から看病されている」

相槌を打ち、その手に酒を渡された。

「飲め」

ウィスキーバーボン。

クラウディスはそれを一口あおり、喉を焼いた。目頭が熱くなって抑え、手を離した。

 クラウディスは食後、手錠を嵌められると夜空を見上げた。

両隣には、監視員ベータがラジオの局数を合わせていて、アルファの方は立てた片膝に肘を乗せ、枝を弄んでいた。

監視員は枝からクラウディスの横顔を見ては、どうしても冷酷な凶手には思えなかった。

目の中には憂いの光がある。闇色の瞳は小僧のくせして深かった。何か、地獄でも見てきたのだろう……ある種の。

透明度がそこはかとなくあった。だから、マフィアの要人を三人も惨殺した様にも思えない。どこか純粋な物をこの数日で覗かせる目の奥が、何故犯罪を犯させたのかは分からないが、何も反抗する事もなく大人しく刑期をくらっている。

理由あっての反旗かも不明だが、それでも瞳から発される光は、魅了してくる。きっと、本当は心有る奴なんだろう。その表現をしないし、逆の行動を取る裏で、何らかの臆病さが感じ取れた。

それはきっと、人に優しくするという事への恐れや、そういった事。素直に現す事へのそこはかとない畏怖が、瞳の中の心の中に抑えられ、光を発しているように思えた。

美しい少年の瞳には今も、透明な感情が広がっておもえる。何らかの……。

「………」

クラウディスは夜風が出始めた為に、目を閉じた。

歌を歌いたかったが、歌うことは無かった。

彼等と共に歌って来た唄。尊い生命だった者達の輝ける……。


 芸術に取り囲まれたミラノで生きて来た自分は、バラックで過ごす彼等を見てから何かを女の子に手渡された。

女の子は照れたようにもじもじし、そしてにこにこしていた。

クラウディスは微笑んでからしゃがんで両手で少女の頬を撫でた。女の子もにっこり微笑んで、走って行った。

背後から、ボランティアだという青少年達が男女でやって来た。

クラウディスは振り返り、監視員二人もクラウディスを引き歩いて行く。

肩越しに振り返ると、少女が母親に隠れ、大きな上目でクラウディスを見た。クラウディスは肩越しに、微笑み、歩いて行った。

ボランティアの人間は五人の女が医療の人間に混ざり、五人の男がバラックを補修する手伝いに入った。

クラウディス達は地雷撤去に当る。

 昼に戻ると、ボランティアの女が一人話し掛けてきた。

何を言っているのか分からない。

英語が通じないと分かったらしいので、意外にもイタリア語で話して来た。

「あなた、イタリア人なんですってね」

クラウディスは頷き、名前を聞かれた。

「えっと……」

「そいつはシータだ」

ベータがそう言った。数字の三十の事だ。受刑囚番号が3062だからだった。

「へえ。じゃあ、呼んで良い?」

クラウディスは首を横に振っていて、ベータが頷かせた。

「今日一日よろしくシータ。明日には向こうの集落に行く事になるの」

クラウディスは相槌を打ち、女は顔を覗いてきて、三人を見た。

「あなた達、兄弟?」

「え?」

違う。

クラウディスは首を横に振り、女は相槌を打った。

「仲がいいのね。ずっと寄り添ってるから、脚が悪いのかと思った」

「いいや」

女は一度微笑むと、仲間達の中のリーダーが号令をかけて、彼等に手を振って「アディオス」と言い、走って行った。

女は他の女達にこちらをみて話されていて、一度彼女は手を振ると、他の女達も微笑んで手を振り、走って行った。ベータが口端を上げ肘を小突いてきた。

クラウディスは憮然とし、ベータを見てから顔を戻した。

「ボランティアサークルの大学生らしいぜ。たまにああやって医療関係と建築修復のボランティアで来る」

「へえ……建築か」

自分も芸術と建築を志し、ダイマ・ルジクを引き継ぐ筈だった。

彼等はああやって、自己の意思を生かしている。生を望む人の為に。

午後の作業に向う事になり、午前中は四つも見つかっていた。

この故郷の場が危険な場所にされ、他に移る事も出来ずに生きている。見つかる毎に、安全な場所が少しずつ範囲を広げていく。

侵略者達が置いていき、関係無い彼等が傷ついていても、怒りを向けられないんだ。悲しみ、そしてとにかく平和を、安息の日を彼等はただただ願う……。

昆虫だとか、草花だとか、動物達が土の下に地雷を置き、生息している。そんな物とも知らずに。

人々を避難させた上で、重量のあるラジコンでも一気に何台も走らせまくって、地雷をドンドン爆破させる事は出来ないのだろうか。底が分厚い剛鉄の戦車を走らせて行き、ひっくり返る事も貫かれる事も無く爆破させる事など。

そう思った。

範囲も広ければ、場所も不明。

ここの彼等は、こうやって向き合って戦っている。その場を生きる尊い家族や村のために。

 午後も終了し、そして爆破処理された。

キャンプに戻ると、クラウディスは女の子にもらったプラスティックのピンク色の小さな玉を掲げた。

手錠の両手に持ち。

まるで宝物かの様にああやって持って来た。きっと、少女はこれを太陽にすかしたりして見ていたのではないだろうか。

「俺なんかがもらっちゃても良かったのかな……」

クラウディスはそう言い、それを見つめていた。

「いいんだよ。もらってやれって。感謝してるんだろ。お前が一日目に村で作ったスープうまそうに食ってたからな」

ベータがそう言い、俺は頷いた。

アルファは班長の所から戻って来ると、彼等を見てから首をしゃくった。クラウディスは立ち上がり、引かれて歩いて行った。

「被害にあったこの前の男が呼んでる」

「俺たちを?」

「すぐに向かえ」

ジープに乗り込み、村へ向かった。夜の村は明りが少なく、治療するためのテントの中だけが煌々と灯されている。

彼等は入って行った。

男が横になっていて、黒い瞳で見て来た。

何かを言っている。

「救護をすぐに呼んでくれた事を感謝してる」

ベータがそう言った。クラウディスは小さく微笑んでから、汗を掻く男の額を布で拭ってやり、腕を元気付けで撫でた。

感染症を引き起こさないために、抗生物質の点滴が討たれていて、アメリカ人の看護士がその目盛りを見ている。

「よくなるか?」

「まだ分からない。細菌の侵入を防ぎながら傷口が塞がる事が第一だ」

アルファがそう言い、クラウディスは頷き、男の汗を拭った。

「俺、ここにいていいのかな」

「………」

クラウディスの言葉にアルファがしばらくして言った。

「いちゃいけない人間はいない。お前のような人間なら」

クラウディスは彼を振り返り、見上げた。

肩を叩かれ、クラウディスは立ち上がった。

男が眠りに落ちていき、クラウディスはピンク色の玉を持つ手で男の手を握り締めた。クラウディスは他の患者達も一通り見てから、引かれてテントを出て行った。

夜でも、彼等は昼の時と同じ様に治療を受けている。休む事無く。

キャンプに戻り、テントに入って行った。寝袋を広げて入る。

闇に落ち、ベータが聞いて来た。

「お前、何で受刑囚を助けた?」

「………」

「脱獄犯は有無を言わせず射殺だ。ああやって失敗する前に毎回撃たれてた」

「分からない」

ただ、会う事が出来ない恋人を持つ心境は、痛いほど分かっていたからだ。出所すれば、もう自分のものではなくなっているだろう恐怖。一生失うという事。あんなに危険を冒してでも、会いたい気持ちは分かるからだ。命に代えてでも……。だから、殺される事を見ることが出来なかった。

「お前、変ってるぜ」

クラウディスは目を開き、そして閉じた……。

したいことを、許されるならするだけだ。それだけ……。


 「今日はシャワーの日だ。最初で最後だからな。だがもちろん湯なんか出ない。水だ。身体をぬらして石鹸で洗って、流す。それだけの水しか使えない」

朝が明け、クラウディスは頷いて歩いて行った。

拘束が解かれ、シャワーテントの中で服を脱ぎ石鹸を持ち、背後を見てびびった。

石鹸を飛ばしそうになって手に取り、顔を前に戻し、幕をまくって進んだ。

背後から長い腕が伸び、生ぬるい水が落ちた。心臓が爆発しそうだった。

「俺にも浴びさせろ」

クラウディスは横にそれ幕を見ていて、アルファが泡立てたために自分も受け取った。水を止め、背後の入り口側にアルファが戻り、クラウディスは頬を真赤にしていて艶髪が濡れてその横顔を見えなくした。

綺麗な白い肌を見下ろし、クラウディスの胸部の双コブラ入墨や両下腕の蛇の入墨が泡で隠れていく。

腰つきや、腕や、項に真っ白の手が這われ、一度、肩越しに艶の瞳が、上がって来た。

彼はクラウディスのその一瞬の色っぽい視線を無視して腕を伸ばし、さっきよりは冷たくなっている水を浴びさせた。自分も浴び、クラウディスは身を震わせ息をついた。

コルクを捻り、壁を見つめた。

一瞼が尚の事綺麗だ。目を閉じた。

「名前は……俺はクラウディス」

綺麗な名だ。しばらくして、彼は言った。

「タカロス・ラビル」

「タカロス……」

バッ

クラウディスは口を噤みし、彼も肩越しに順番待ちのベータを見た。

「驚かせるな」

「早くしろよ。あと七人もいるんだからな」

「分かってる」

ベータはまた幕を下ろしテントから出て行き、クラウディスは目を回して溜息を付いた。

彼は身を返し出て行った。クラウディスは頬を染めて上目で見ては、自分も出て行き身体を拭き始めた。

以前の様に、笑い合える状況ならいいのにと、思った。

シャワーテントから出て他の人間が入って行く。

先に出た人間は朝食作りだ。

クラウディスは調理をしながら、また鹿が顔を出した為にそちらを見た。

「餌付けは駄目だ。人に懐くと地雷除去時にもやって来る」

クラウディスは頷き、鹿をライフルで威嚇射撃しで逃げて行った方向をみ続けた。

「今日で四日目に入る。班長の命令で地雷除去に向かうと思うが、くれぐれも焦るな。慎重さを忘れるな」

クラウディスは頷き、皿に盛り付けて行った。

誰もが出揃い、朝食だ。


 朝、ロープを潜り、草むらへと入って行った。

ブロックごとに分けられた区域ごとに進んで行く。

「今日はお前が金属探知機を持って俺たちの前を行け」

クラウディスは持っていたスコップや特殊な箱などを渡し、頷いて手にした。

「いいか。絶対に地面には付けるな。慎重に行って音を聞き逃すな」

「はい」

構えてから、少しずつ進んで行く。歩いた道の後を二人が続いた。

クラウディスはくしゃみがしたくなり、「あーー、あーー、」言った。

「泣いてる場合か。貸せ」

クラウディスは渡した後に口を抑えて二人の後ろに回ってくしゃみをした。

二人は呆れてクラウディスを見ると、また戻って来たクラウディスは鼻をぐずつかせた。

「失礼」

そう言い、頬を叩いてからいつもの彼に戻った。

「神経を集中させすぎると続かないからな。ただ慎重に進め。ゆっくり」足許に気を付けてattento a dove camminiアッテント ア ドーヴェ カンミーニ

クラウディスはそうしていき、進んで行った。

微かな音が耳に届き始めた。

「………」

振り返り、頷き合うと更に慎重に進めていく。音が大きくなる場所を見つけ、幅を狭くしながら慎重に進んでいき、音が最高レベルにまで達した。

草むらの中を凝視する。

時々、スプーンだとか、水筒だとかにひっかかる。

徐々に近づき進んでいき、金属片が見る限りは無い事を十分確認した。

スイッチを切り、下がるように言われてクラウディスは下がった。ハケでそっと撫でる。砂砂利を払っていく。

クラウディスは息を飲んだ。ここらへんの土はそうは固い地質じゃ無い。

他の場所では、その場で発見次第、移動してから爆破させる処置も取られるが、このキャンプは掘り下げていく。

慎重に砂を払いつづけ、頭が出てきた。

「あった」

クラウディスは息を飲んで肩越しのそれを見た。

三人がかりで慎重に衝撃を与えずに掘って行く。周りを少しずつ。

どれぐらいかしてから休んで、また始める。

汗を拭ってからそれを見下ろす。姿を表したそれは魔の元凶だった。

「気を抜くな。箱を開けろ」

クラウディスはクッションスポンジ材の中身を空け、そしてそっと引き上げられたそれを見る毎に気が気じゃ無い。

慎重に箱に入れられる。

そして、しっかり収めると、慎重に蓋が締められた。

クラウディスはそれを渡し、赤いしるしを付けて行った元も道を慎重に戻り始めた。再び金属探知機を翳しながら。

道路に出て、クラウディスは汗を拭うと金属探知機を渡した。

一つ見つけるごとに処理所へ持って行く。

移動中、いつでも衝撃を与えない様に気が気じゃなかった。

処理所の前に来ると、有刺鉄線の柵越しにライフルを持つ兵隊がいて、クラウディスは入る事はできない。

その為に一人に任され、手錠を嵌められ、待機する。

預けてくると、丁度サイレンが鳴り響いた。

クラウディスはその先を見て、しばらく後に地雷を爆破処理された音を聞いては、鳥たちが一斉に羽ばたいて行った。青の空に。

青の空も、鳥たちも、かんきょうが違うだけでこんなにも日常が変って来るのだ。

「行くぞ」

クラウディスは頷き、ブロックへ戻って行った。

赤の線の部分を区画しなおしていく。

その後に、また作業を開始する。

今度は交替でベータが先頭に立った。

慎重に進めていく……。

 昼はキャンプ地にまた戻り、昼食だった。

大して喉に通らない。それでも食べた。

班の人間達は会話をし合っていて、どうも女の名前っぽい羅列が何度も出て来ていた。一人に話が集中していて、きっと結婚したか彼女かの話をしているのだろうと思った。

「英語もここの人間の言葉も分かるんだな」

「必要な事だからな。専門知識が無ければ危険だ」

「何人なんだ? あんた」何処の出身?di dove sei?ディ ドーヴェ セイ?

「何でだ」

「別に」

「こいつはロシア人だ」

「ロシア人」

クラウディスは横顔を見て、また綺麗な首筋を見た。

「へえ……じゃあ、元はイタリア語も学習したのか」

クラウディスはパンを口に入れ噛み、スープで流し込んだ。

「あんたは」

「俺か? どうみたってソレント出身じゃねえか」

「え? さ、さあ……」

良くは分からないが、本名も知らないそのベータはスプーンを口に運んだ。

「お前は」

「え? 北イタリア」

「へえ。通りで洗練された顔してやがるわけか」

「あまり関係無い気もするんだが」

「お前、俺には冷てえよな3062」

「え?」

そんなつもりも無いのだが。ベータは首をやれやれ振り、フォークを口に運んだ。

どろどろの液体に、細かく切られたナスや人参、豆、ズッキーニなどが入っているものを食べて、クラウディスは言った。

「俺は男好きだから別に同性に冷たいわけじゃ無い」

「………」

片足を立て肘をついていたベータは瞬きしてクラウディスを見て、目を丸くした。

「え? お前、チチスベーオかよ。マジで?」

ベータはクラウディスの顔をじろじろ覗き見て来て、彼はベータを目を伏せ睨んだ。

「へー。お前美少年だもんなあ」

クラウディスは憮然として向き直り、食べ進めた。

「こいつの女、糞美人なんだぜ。すっげーめん玉飛び出るロシア美人」

いきなりそう言ったベータは頭を叩かれ、クラウディスは二人を見て、タカロスを見た。

彼は背を向けスープを飲み、ベータは頭をさすっていた。

「あんだよ、いってえな……」

クラウディスは視線を落とさないようにし、それでもパンが喉を通らなかった……。

 「午後は俺たちが金属探知機を持つ。お前は昨日の通りについて来い」

クラウディスは頷き、進んで行った。

衝撃を受けた話も今は置いておき、また一日の少しずつの距離を進めていく。

気が遠くなる様な作業だ。

午後になるとジリジリと太陽が照らし付けて来る。

草むらの消えた陽炎の中で反応を示し、また掘り進めて行く。

そして箱に詰め、慎重に運んでいく……。

日が傾き始め、今日は終わりだ。

戻る事になった。

キャンプにつき、一日を終えた事を目を閉じ実感した。

テントに入り、今日もぐったりして目を閉じた。

他の二人の微かな息遣いは、慣れた物になって来ていた。それも徐々に遠くなりは締め、意識が闇へと落ちていく……。

 クラウディスは夢にうなされ、闇の中をもがいた。

寝苦しく、両手が動かない。

頭に響くのは、あの爆発音に同調した記憶の中の忘れ得ぬ、銃声……。

クラウディスは叫んで目を開け、ランタンが灯されているテント内を見回した。

既に寝袋はチャックを解かれていて、手錠は片手だけだった。酷い汗を掻き、ゆっくり起き上がってタカロスを見た。

「顔を冷やせ」

濡らしたタオルを渡され、クラウディスは顔を拭った。

「起してたんだな。ごめん」

「いいや。徹夜には元々慣れてる」

タクロスがそう言い、ベータは耳を押さえながら眠っていた。

「こいつ、若いんだな」

「まだ二十二だ。あの刑務所に来て四ヶ月といった所だ」

「へえ……」

「元々十八からアメリカに移って軍隊にいた奴で、知識が高い」

「なるほど……」

「………。大丈夫か?」

生気も無くぼんやりするクラウディスを見て、クラウディスは頷いた。

嫌な夢は、切羽詰った状況で、切り詰めていた。闇に爆音と銃声が響き、響きつづけ耳を塞いで目を堅く閉じても、どんなに閉じても、狂わせてくる……。

愛する四人の命を奪った銃声が……。

クラウディスは冷たいタオルを横に置いたタカロスの横顔を見つめ、その黒いTシャツの肩に手を当て抱きついていた。

タカロスは口をつぐみ黒髪を見つめ、その振るえる背を撫で続けた。

ずっと、「やめろ、やめてくれ」とうなされ続けていた。まるで激しい波に飲まれたかの様に。

それは、普段のクラウディスを見ていると殺したマフィアの要人達の亡霊を見てうなされているというわけでは無さそうだった。だが、干渉する事では無い。

肝の座った目をした奴で、大して表情に出ないだけなのか、いつでもどんと構えている。だがこうやって今は、怯えきっていた。

クラウディスはズボンのポケットからあのピンク色の玉を出し、見つめては握って目を閉じた。

クラウディスはそのまま、嫌だというのにまた眠りの深部へと、疲れと共に落ちて行った。無理矢理、落とされるが如く。

静かな闇の中に、彼等の影が浮いていた。

青白い顔をし、目を閉じ、幻のように……。

クラウディスはその闇の中でずっと、彼等の存在を感じ続けた。

タカロスもランタンを消し、徐々に、そのまま眠りについていった。


 翌日、目覚めてテントから出ると朝陽が眩しくて目を閉じた。

朝陽の先にある物が、そこはかとないこの地の者達の自由になるように、今日も草むらへ向って行った。

午前の部を終えると、キャンプに戻って昼食だ。

クラウディスが作ったわけの分からない料理はわけが分からずに、班の人間達はなんともつかない味のものをそれでも口につっこんだ。別に苦いわけじゃないが、微妙な味はまずいわけでも無かったから普通に食べる事は出来た。

「うわ、美人だな……」

クラウディスは驚き、恐ろしい程美人なそのロシア美女を見た。等身も見事で、笑顔も素晴らしい。抜群の顔立ちだった。

「名前は?」

「確か、エリーナ・ラビルだよなあ。アルメリアとのクオーターだから余計美人だしな」

「結婚してるのか?」

「子供もすっげえ可愛いんだぜ」

クラウディスはいよいような垂れそうになり、がくりとうな垂れた。

「もう八歳だもんな」

「あんた何歳なんだ?」

「三十二」

「へえ……若く見えるんだな」

クラウディスは心臓を高鳴らせつづけて机の上の自己と食器の折り重なる影を見た。

「家族がいるのによく地雷撤去の現場に来るな。心配してるんじゃなのか?」

「元々国柄が争いが多い事もあって、地雷撤去の事には賛成してくれてる」

「理解力があるんだな」

タカロスは頷き、皿を重ね立ち上がった。

「話は終わりだ。片付けろ」

クラウディスは頷き、自分も重ねて歩いて行った。

歩いていき、一陣の風が吹き、ふと立ち止まってそちらを見た。

輝くような緑の草、地に差してきらきらする陽、照らされて明るく陰影つく木の幹、………。

クラウディスも照らされ、その瞳が静かに、強く光っていた。美しく。

無意識にポケットの中に手を入れていて、少女からもらったピンク色の小さな玉を持っていた。

「おい」

クラウディスは完全にぼうっとしていたのを振り返り、「手を出せ」といわれ、両手を差し出し、手錠を嵌められた。

それを見下ろし、クラウディスは視線を落とした。

握られた手を見てタカロスは首を傾げ上目で黒髪からのぞく白い瞼や睫、鼻筋や赤い唇の俯く美しい顔を見ると、光に照らされていて、その黒いTシャツの先に伸ばされ下がる真っ白の腕の、その先の銀色に光る手錠が、余りにも違う物に思えた。神聖な中の……。

何で罪を犯したんだ。そう口を付きそうになった。

下腕にのたうつ黒蛇が、二面性と事実を繋げているかのようで、まるで彼自身に雁字搦めに嵌められた心の黒い手錠のようにも思えた。

「何を握ってる。出せ」

ふと我に返ってクラウディスは顔を上げ、タカロスを見た。

「………」

しばらく互いが動かずに、はっとしたそのクラウディスの顔立ちから目が離せなくなっていた。

タカロスは手に視線を落とし、手に取って解かせた。

「プラスティックの玉か」

ベータが肩越しにそう言い、クラウディスはそこで初めて無意識にずっと握っていたそのピンク色の小さな玉を見た。

真っ白い手の中で、太陽の光を受けて、母、ローザの頬のような優しげな美しい色で光っていた。あの少女の笑顔と純粋な瞳の光が一筋纏ったように。あの笑顔を思い出す。彼等の笑顔がクラウディスのここでの心を救っていた。彼等の方が辛いのに。

クラウディスはまたタカロスの取り上げられると思い、上目で見ながらポケットに閉まった。

タカロスは取り上げる事も無く「行くぞ」と言い前を歩き、背後の腰の縄を持つベータが背を押し、歩いて行かせた。

『大丈夫です』

ふと、その自分の言葉が思い出された。

ダイマ・ルジクの、そこで初めて優しく頭を撫でた大きな手。

六歳の時、誘拐された時の悪夢にうなされて、エメルジア一族のザイーダルが贈ってくれた巨大な白黒のペガサスの縫いぐるみに必死にしがみついて泣いていた事があった。

ダイマ・ルジクはそう物に固執して甘える事を良しとしなく、そのペガサスの縫いぐるみから直ぐに下ろさせた。いつもの怜悧さを抑えられ、ぴしゃりとした声音で。

白黒の縫いぐるみのように愛らしく、頬を赤く涙を流していた小さなクラウディスは、そこからしっかり離れて祖父の前に行き、「大丈夫です」そう、あどけない声で報告した。

白い顔の中の鋭い目がと薄い口元が微笑み、杖から手を離し、そして小さな黒艶の髪を撫でた。そこで初めてペガサスで遊ぶ事を許され、泣いていた子がもうニッコリと笑って喜んでペガサスで遊びに行った。

そんな昔の記憶を思い出し、クラウディスは進んで行く地面から顔を上げ、乾いた、だが太陽が差し込む緑と青空のこの地を見た。

現地の人たちは必死に生きている。大人達の表情の無い目の中の光や、子供達の笑顔や、泣き顔、何かにすがる事も出来ずに生きようとしている。そして、あの少女のように尚も自分に感謝の気持ちを与えてくれたのだ。それが強さに変るほどの。

目玉も飛び出したような綿が減っている土色のウサギの縫いぐるみを、もっては指をくわえてじっと自分達を見上げてきていた子供も村にはいた。滅多に洗えない髪にクシを通した様子も無い黒髪の子達、なくした一部のまま他の子達と走って行く少年。

自分が出来ることは少ないのだろうか。

車両整備の日当で稼ぐ金でおもちゃだとか、縫いぐるみだとか、クシだとか、クレヨン、服だとか、与えてあげたいと思うのは一時の偽善なのだろうか。彼等が欲しいのは、安全と、失った物と、失った者と、本当に心底からの笑顔だ。そして未来と将来だ。ワクチンや栄養、生命が生きる根本的な潤滑品。

クラウディスは顔を上げ、躊躇ったが、聞いてみた。

「村の者達に何か与えることは出来ないか?」

タカロスは立ち止まり振り返り、クラウディスを見た。

「お前は受刑囚だ」

「………」

クラウディスはその一言で、理解して頷いた。

「だが活動資金は、お前達が働いている利益の一部から賄われている。お前も知らないだろうか一部貢献している事になる。だが、もしもそこまでいうなら、所長に言えば相談に乗るだろう」

タカロスは身を返し、歩いて行った。クラウディスとベータも続く。

もし駄目なら、母に言って、自分の貯金から、食料や医薬品、衣服、水などの資金を出す事が出来るかもしれない。ミラノに居た頃は一家でチャリティーの宴に出ていたが、こうやって現状を見た事は無かったし実感していなかった。母も友人が地雷撤去の活動をしたことを言っていた。

草むらに来て、午後はクラウディスが金属探知機を持った。

今日は太陽の陽はゆるかった。雲も多い。純白に光っている。

後ろに徐々に赤のテープが引かれて行く。

陽も傾き、クラウディスの言葉にしばらくタカロスとベータは会話を交わした。

「現実に向き合って、常に苦しみに喘ぐ患者に着く精神力があるのか?」

「何かしてあげたいんだ」

タカロスはクラウディスを見てから言った。

「医療の現場はお前が思う程甘く無い。目の前の与えられた事を完璧にこなしきれ」

「どうか」

「心を売りたいだとか言う自己の満足なんかもしも持ってるようなら捨てろ。相手は疲れきってても恐怖や痛み、自己と戦ってる。時に無償の現場だろうが医者も戦ってる。人の命ははかないものなんだよ。どんな形だろうとお前は人を殺めてる。お前自身が何をするべきかじゃ無い。必要とされているかだ」

身を返したタカロスの手首を両手で引いた。肩越しに見てから、振り返った。

「夕食後から就寝一時間前までだぞ。分かったな。もしも手伝いをしていて医療部達の足手まといになるようなら即刻連れ戻す」


 クラウディスは包帯を巻き変え、疲れて泣く事さえ出来ない小さな頬の顔を拭った。腕を撫で続け、闇の中で大きな虚ろの目が開かれ、涙が零れ、それを拭った。

「こっちに来い」

男の子の頭を一度撫でてやり、静かに向かった。

「脚を」

男の足側を持ち、寝台を移す。他の病との併発防止や感染症にならない為にシーツを変えなければならない。それを変える。横の寝台で医者が心音を調べている患者に看護士が注射を打っている。

看護士が何かを言った。ベータが訳す。

「消毒で洗って殺菌して来い」

銀の皿の中のメスやカンシを受け取り、教えられている場所で洗いに行く。特殊な洗剤で洗い、沸騰殺菌してから消毒液に漬ける。

戻ってから火傷の患者の手当てを手伝う。膿を取っていく。消毒液を塗り発熱を抑える薬を投与する。

医療部からくすりが届いたばかりだから助かってた。絶対に気は抜けない。

看護士の一人が視界の隅で額を手の甲で抑えた。彼等も疲れているのだ。その場所のうなされる患者の所へ行き、汗を拭う。その震える手を握る。看護士がクラウディスを見て、口端を小さく上げた。

患者はいきなり様態を急変させる事もある。目を離せない。

看護士はタオルを差し、五と指で示した。クラウディスは頷き、もちに行った。

諦めの色を目に宿す患者が空を見ていた。クラウディスは一度目を閉じ、向かった。さっき、手を払われた。もう放っておいてくれという様に。それでも向かい、椅子に座った。

クラウディスを見て、手を掴んだその白い手を今度は払う事は無かった。心も疲れてしまっているその患者の手を包みつづけ、目の色が徐々に変化して行く。

クラウディスは腰を浮かせ、医者を呼んだ。

医者が来て、心音を調べては処置を素早く進めている。患者が、首を傾けクラウディスをその目で見た。

そして、炎が小さくなって行くなか、微笑んだ。

看護士が来て声が飛び交い、クラウディスは手を取り握った。

「………」

タカロスは俯くクラウディスの背を見て、彼の肩を一度叩いた。クラウディスは白い顔を上げ、医者が目を閉じ患者の肩まで布団を掛けさせた。

離れた寝台のベータが「ガーゼが欲しい」と言い、持ちに行く……。

 時間になり、戻るように言われた。縫いぐるみを抱く子の髪を撫でて額にキスをしてから、顔を上げ頷いた。

テントから出て、クラウディスはあちらを見た。

涙を拭う看護士の肩を持ち、その肩を抱いた。彼女はクラウディスを見て、英語でありがとうと言った。

「無力さを感じるわ。彼等は苦しんでいるのに。でも弱音は吐いてなんていられない」

英語でそう言う言葉がクラウディスには分からなかったが、彼女は立ち上がり、クラウディスの肩を笑顔で撫で叩いた。

彼女がテントに戻って行く背を見つづけては、手錠を嵌めるように言われ、頷いた。

 テントに戻り、天井を見つめた。

彼等の目の中の炎を想った。

目を閉じ、闇の中を涙が伝った。


 道路に村の少女達がいて、その先には他の大人や子供達もいた。

昨夜、炎を消した患者だ……。

クラウディスは白い布に包まれた担架の上を見つめた。女の子達は色々な色の紐を、それに取り付けていた。青の空に風でなびく。

女性が泣いている。彼女は手に美しい布の花を持っていた。

緑はやはり蒸せていて、太陽は尚も、希望のように明るい。重なる様に、綺麗な色の紐も翻った。生と死をつなげるかのように。

色は、生きるものの望みなのだ。希望なのだ……。

だから、クラウディスには辛かった……。

クラウディスは目を堅く閉じ、地面に俯いた。その光の中、現実は、あまりにも儚い……。

それでも、向き合い、歩かねばならないのだ……。

ピンクの玉の女の子がクラウディスの横に来て、その手を撫でた。

クラウディスは目を開け、その子を見た。抱き上げてやり、その子は綺麗に紐が幾つもたなびかせた担架を見ては、クラウディスの肩に泣きついた。クラウディスは両手を離せなかったが、頬を小さな頭にずっと寄せつづけた。

男が怒った声を上げ始めていた。仲間が命を奪われた事によって、怒っているのだ。

勝手な侵略者や、余所者や、体制、そんな物に奪われた事を。悔しがり、クラウディス達余所者のことも非難し、そして男は、顔を覆った……。

女性が男の肩を抱き寄せた。

班の人間や兵士達も並び、墓の前で一斉に敬礼をした。

木の棒を立てられる群……。

世は光が満ちている。なのに、こんなにも儚く……。

今も、直る事を望んでテントの中、戦っているのだ。

 午後になり、クラウディスは音を聞分けた。

汗を拭い、慎重に掘り進める。こんなにも多く、こんなにも多く埋め込んでいるのだ。

クラウディスは目を堅く閉じ、歯を噛み締めた。

「………。馬鹿野郎、さっさとしろ」fa presto!ファ プレスト

背をきつく叩かれ、目を開けて冷静さを戻して慎重に掘り進める。

徐々に涙にうもれ、掘る土が視野で滲み始めた。

腕を掴み持ち上げられた。

「任務中に、泣きたいなら帰れ」

タカロスがそう怒鳴り、クラウディスの腕を乱暴に払った。

「だから言ったんだ」te l'avevo dettoテ ラヴェーヴォ デット

その背を見て、クラウディスは腕で拭った。

戻って黙々と掘りつづけた。泣かないように引き締め鋭い目の中は光が反射して。

ベータはその横目で見て、スコップを立てた。

「非情な殺し屋が、偽善者ぶってんじゃねえよ」

「………」

クラウディスは振り返り、ベータを見た。

冷たい目でベータは一瞥し、再び掘り進めた。

タカロスが振りかぶったクラウディスの肩を掴みベータはクラウディスの鋭い鷹のような顔をキッと睨み見上げた。

「偽善者ってのが一番迷惑なんだよ!一度地に落ちた悪魔が、心痛めるようなら元から犯すんじゃねえよ! こっちは真面目に来てんだよ。何をこの活動でてめえみてえな野郎共に分からせようって、人としての自己を取り戻させる事じゃねえか。俺にまた言われたからってまた同じことしてんじゃねえよ。心が弱いんだよ結局! それがまだぐらつく様なら、テントに向かうな!」

ベータがクラウディスを畳み掛け、クラウディスは震える目でその強烈に光る目を見つめた。

ベータはまた土を掘り進めはじめ、クラウディスは唇を噛んで地面を見た。タカロスは手を離し、掘り進める。

クラウディスはその場に地面を見て立ち尽くし、二人は顔を見合わせてから、タカロスがロシア語でベータに言った。

「何をやってる。危険な地雷を目の前にした任務時に、場所を考えられないのか」

元のロシア語だと厳格な物厳しい口調が増すタカロスの言葉に、エルダは一度クラウディスを肩越しに睨んでから掘り進め言った。

「ついキレちまったんだよ」

3062への試練だという意味でもしっかり言い冷静さは保ちつづけていたが、エルダの口調はきつかった。

「お前がそうした事は分かる。だが時だけは選んでくれ。無駄にここでお前達を死なせるわけにはいかない」

三人の中の監督はタカロスだ。

「分かってる」

その背後でクラウディスがスコップを置いて背を向けたためにタカロスはその手首を引いた。

「もう掘れないのか。その気持ちが無いのか」

「………」

クラウディスの背は俯いたままで、タカロスは続けた。

「別に慈善活動じゃ無い。帰りたいなら帰れ。だがこれは刑罰だ。それを俺たちはお前にやらせる義務がある。こいつが言う様にこっちは遊びじゃ無い。精神的に無理そうなら足手まといになる前にこの縄を離すが、お前は、ここに地雷撤去に来ている」

クラウディスは地面を見つめ続け、目を閉じてから、笑顔や、泣き顔や、空虚の目、失った物を持つ者達の顔、はじめは直視できなかった彼等の顔が浮かんで、目を開いた。

「出来る。泣いたりして悪かった」

戻って来て再び掘り始めた。

その横顔を見てから、二人も掘り進めた。

慎重に箱に入れ、運び、そして繰り返す。ずっと、彼等が刑務所に戻っても班の者達はこれを無くなるまで繰り返しつづける。元の自然の中から、地雷が無くなるまで……。

掘り進めながら、自分も元の世界の中に深く根付く地雷のような元凶に他ならないのだと思った。そうやって刑務所から排除される時を待つことを自分達はして、それでも人は、人としての、その場に存在して与えられたという事の、責任感を取り戻さなければならないのだ。

人は地雷じゃ無いからだ。心があるし、鉄だって自分が地雷にさせられる為に地層から命かけて掘り上げられたわけでも無い。人が地雷を作り、苦しめられる側がいて、こうして今自然を、そして人々の安全を取り戻す為に人が動いている。

元が動く事も無かった物事。

戦争という欲望の原動力や、自己が引き起こした根底にあった怒りの原動力も、起こらなくても良い事だったのだ。だがそれはクラウディスは原因があり起こってしまい、そして、人類は極一部の者が強さを証明したがるために争う。土地のためだったり、自己の誉れのためだったり、家族に利益をもたらしたいが為だったり、弱者を追い詰めたいがためだったり。

宗教間の争いで、戦わせるためにどの神も人々の心の中に産まれたわけでも無いのにそれを利用したように争いは続くが、それは人々が争いを目的として神を作ったかのようにも思えた。

だが、自己の心が崇めるものが大事すぎて、他を認めることがどうしても頑なに出来ないのだ。その上で奪われ、誇りを宗教に乗せ躍り、戦いつづけ、どうしても他との虫の居所が合わずに、それは善と悪かの様に相容れずにいる。自己だけでなく、他の心も見つめればいいのに、いつまで続けるつもりなのか……。

それを、今は心の中の争いを今のやるべきことに集中し、そして遂行する。

起こった事は、あとはもう防ぐのだ。闇の中の過去を一つ一つ、腕に抱える透明な瓶の中に詰めながらも……。

撤去された物を箱に入れ、蓋を閉めた。

日が傾き、基地を離れると赤いテープを区画し変えて行く。

その作業を終え、ずっと無言だった中を草むらから出た。

ベータはジープに乗り込み、クラウディスは続かなかった。

「………」

タカロスは縄を持つ手で肩を引き寄せ、黒髪の頭を抱いた。

ずっと堪えていた涙がぼろぼろ零れ、子鴉の様に声に出して泣きはじめた頭を撫で続けた。

飴と鞭を持ってでも、タカロスも理解してもらいたいのだ。ここでのいろいろな物事をしっかりと。


 朝陽は落ち着き始めていた。キャンプ地。

班長が整列した者達を一通り見た。班員達に言う。

「本日で受刑囚3062が地雷撤去の作業を終える。明日から三名抜けるために、本日午後四時からは範囲引継ぎに入り、再び明日からの撤去範囲を把握しなおすよう。本日も慎重に行い、無事任務を遂行しろ」

クラウディスにもイタリア語で同じ事を言うと続けた。

「六日間の事を心に留め、一日を任務に当れ」

それは、今までの事も振り返りながら、という光が班長の目にはあった。

再びジープに揺られ、ガタガタと舗装されていない道を走らせていく。砂をまわせ。

民族と難民の違いはなんなのだろう。人々は増え、苦しみ医療と水を必要とし人々は必死に生きている。それは今まで現実に目を向けられていなかっただけだろうか。自給の出来ない場所に人々は増え、そして手におえる範囲から様々な出来事が溢れ出してしまい、貧困との格差がそれらを混沌とさせる。人々は追い詰められてしまい、それでもそこはかとなく人としての希望を持つ。生まれた。だから生きたい。

「小僧」

クラウディスは班長を振り向き、その顔を見た。

「昨日、一悶着あったようだな」

クラウディスは俯いて頷き、膝を見た。

「いいか。もし、ボランティアしたいなら刑期終えてからっていうのが妥当だ。お前の所の監視官も言ったはずだ。与えられた事をしっかりこなす事が第一条件だ。利口にスマートにやれなんて余裕ぶってこの現場で言うわけじゃ無いが、心と身体が資本だからな」

クラウディスは頷き、そのクラウディスの肩を班長は叩いてやった。

「お前、まだ自分が思うほど大人じゃねえぞ。そのお前がいろいろな物に直面していろいろな事して、今度はそこでこそ利口に生きるんだよ。お前には心がある。しなやかに強くなれ」

そう言うと、口端をクラウディスに微笑ませてから顔を前に戻した。

小僧がこうやって昨日みたいに言って来て、しっかりこの世界っていう現場を見て、それでも最後まで乗り切れるなら将来の力になる。それは大事な事だ。これからの人生はお前に他の人間も関わって来ることだからな。お前だけで生きてるわけじゃないんだ。お前にはそれが分かってる。

その言葉は出さなかった。もしも一度でも誉めて、自分がまたやれると勘違いされても困るからだ。

自己で理解出来るときに人というものは理解する。個人を甘やかすわけにも行かない。人と人の間で生きて行かなければならないからだ。自己で理解しようと思わなければ。それでも、彼ならそれをしっかり分かっている筈だ。

その日も、ジープから降り、草むらに入って行った。


 クラウディスは朦朧と目を覚ますと、辺りを見回した。

看護士があちらに呼びかけ、医者が来る。

横にタカロスがきた。

「何で……」

クラウディスは起き上がることも出来ずにタカロスを見て、その後ろのベータのことも見た。

「撤去中に鹿が入って来た。寸前でお前が飛びついて爆風にやられたんだ」

覚えていないので、よく分からなかった。

「鹿はそのまま一目散に逃げて行ったから無事だ。もう来ないだろう」

クラウディスは頷き、目を天井に戻した。

直接は受けずに免れたようだ。裂くような痛みは無かった。

「打撲を負っただけですんだ事が何よりだ」

クラウディスは相槌を打ち、まだ明るい光を見てから起き上がった。

看護士が英語で何かを言った。

「大丈夫だ」

「起きたばかりの頭じゃあ集中力が持たない。第二被害は予防する」

強引にタカロスが押し倒し、クラウディスは子供の様に「まだ出来るのに」と言った。冷静さを失っているのだろう。タカロスは言葉を無視しておいた。戦場ならそんなこと言っていられないが、刑罰上の任務だ。

「起き上がれるんだ」

「ああそうか分かった。それなら子供と遊んで来い。地雷撤去は最高責任者の班長に全ての責任が来る事になる。こちらは健康状態が万全な体制の人間を用意できないなら外させる義務責任がある。病み上がりで今まで横に寝ていた人間に看病されたんじゃあ、他の患者がお前に気を使う事になるからな。だから寝ていたくないならテントから出るんだ。分かったな」

クラウディスは俯いて頷いた。

患者がクラウディスに声を掛けた。ベータがクラウディスの肩を叩き、首をしゃくってクラウディスはそちらを見てからそこへ行った。

患者の若い男は微笑んで、クラウディスの手をがっしりと取った。その手と、男の顔をじっとみて、クラウディスは微笑んで頷いた。

そのクラウディスの肩を引き寄せ背を叩いてから離し、頷いた。

言葉は分からないが、治って良かったな。あまり無茶するな。行って来い。そういう、逆に大きく励まされた事が分かった時だった。他の子も笑顔でクラウディスに手を振り、頷いた。

テントから出て、女の方の医者がクラウディスを追ってから言った。

「人手が少ないから、あなたが夜に手伝ってくれた事は助かったわ。本当にありがとう。これから、あまり無茶しないで」

何を言っているのかは分からないのだが、クラウディスは彼女の、軽快そうでもあるが、神経質な水色の目の下の思慮深い眼差しを見て、彼女の両手を取ってから、多くの命を救っているその細い手にキスを寄せた。

「ありがとう」

クラウディスはそう言い、微笑んだ。

女の医者はその美しい微笑みに、なんて綺麗に微笑む事が出来る子だろうと思い、一瞬を置いて照れたように微笑んでから、青年の背を叩き送り届けた。

ベータが引っ張っていき、彼女はタカロスに言った。

「今回の人は変った子ね。嫌そうな顔も面倒そうな顔も一切しないし、やる気は無いだとか勝手ないい分を喚いてこないし、まさか手伝いたがるなんて。あんなに綺麗な笑顔を持つ子が何かして刑務所に入ったなんて、信じられないわ。子供達も全く今回は怖がって無いし」

タカロスは頷き、クラウディスに子供達が寄ってきた背を見ていた。

それでも事実、ここに来た事のあるどの受刑囚達よりも、悪質な犯罪を犯したのだ。マフィアの一員としてのスナイパーだったのだから。検挙された要因の他マフィアぼボス、加えて幹部二名の暗殺以外にも、実質的には多くのマフィア上の人間を暗殺し手に掛けた事だろう。

善人や一般市民に手を出したわけではなくても、犯罪は犯罪だ。それを実行したという人間社会ではあるまじき事を実行したという、恐ろしい悪魔の部分が事実彼にはあるのだ。美しい純粋な笑顔の深淵で。

「何か、詐欺や万引きでも?」

タカロスは首を横に振り、クラウディスの背から彼女を見た。

「彼を現場に入れさせてくれて本当に感謝しています。受刑囚という事もあり、患者達を任せる事を当初は躊躇っただろうというのに」

彼女はクラウディスの背を見てから言った。

「旦那も言っていたわ。多くの人の目を見ながら看病して行くとね、分かるのよ。本当はその人はどんなに純粋なのか。人は生と死の間際、闘っている間際、治っていく間際、瞳の中に様々な感情が奥の底にある。真っ黒な瞳孔の奥に。あの子は何か今、巨大な乗り越えたいものがある筈よ」

彼女はそう言うと背の高いタカロスの背を叩き、微笑んでからテント内へ戻って行った。

クラウディスは子供達に転ばされて「あーー、あーー、」と子鴉の様に地面に泣きついていて、子供達はキャッキャ言っていた。その腰を引っ張って笑って逃げていこうとする子達を抱き込んで笑わせてまた子供の様に子供に混じって砂塗れになって遊んでいる。ベータはしっかり視野にクラウディスを入れ監視しながらも、女の子に綾取りを教えられていて、糸をありえないこんがらがった状態にさせては呆れ笑われていた。

タカロスは子供達の笑顔を見ていて、自分の八歳の娘に会いたくなった。

子供達に笑顔の時間を持たせることが大事なことだ。心を癒す心からの笑顔を。

 昼にキャンプに戻り、クラウディス達は撤去班の人間に謝った。

班長がそれを班員に訳してから班員たちは頷いてクラウディス達の肩を叩いた。

「鹿を助けてくれたのは見上げた根性だ。動物は危険なものは敏感に察知するものだが、あの時は入って来てしまったらしかったからな。もう顔色も戻ったじゃないか。こいつが柄にも無く血相変えてべそかきそ」

「なってないです」

青筋立ててタカロスが止め、クラウディスは瞬きし真赤になりかけて、顔を見上げた。

「とにかく申し訳なかった。鹿の存在にもっと早く気付いていればよかったんですが」

タカロスに班長は何度も頷いた。

「動物達までこれ以上被害だしたく無いしな。俺たちも柵をまた高めにするとか、方法を考える。あいつらも餌があると思って草むらに入って行くのが摂理だからな」

遠くを見てそう言ってから、班長は顔を向けた。

「昼飯だ」

調理をしていて、横にベータが来て言って来た。

「大丈夫なのか? お前」

クラウディスは頷いてから、「大丈夫だ」と言い、案ずるように顔を覗き見て来たベータの頬にちゅっとキスをしてやってから穀物を混ぜた。

「………」

ベータは口を一文字に結んでから水を入れ始めた。

昼食を終えると、班長は班員達に地雷撤去に向かわせ、クラウディス達と範囲の柵の為の資材を作らせる事にした。範囲は広大なので、効率よく最低限の資材だけで賄わなければならない。物資を集め運んでもらうような資金も無かった。

クラウディスは縄につながれながらも縄をポールとポールの間に張っている。建築関係の知識があって、なにやらクラウディスは手際と設計と立て位置や縄位置決めが凄かった。ベータは縄作りのよりが職人のようにうまかった。やはり元軍人だろという経験上のものもあるのだろう。

四時になると引継ぎを行った。

今日の作業が終了し、ジープ前に集まった。

「今週七日間終えた範囲と数は図のとおりだ。お前達良くやった。各人休憩をよくとるよう」

彼等は五人体制の二週間毎のローテーションが組まれている。あと一週間後に他の班に変る。

「受刑囚3062並びに監視員二名諸君もよくやってくれた。感謝している。刑罰の意味にも留まらず、様々を感じ取ったと思う。これより、刑期が終えるまでをまた乗り切れるうよう祈っている」

班長はそう言うと、クラウディスの手をガシッと取った。

クラウディスも握りかえした。

「ありがとうございました」

そう班長と班員達に言い、彼等の傷だらけの手を一人一人取った。

「よ、刑務所でも元気でやってけよ。まあそりゃあちょっと言葉おかしいか」

「じゃあなべっぴん。もう悪さすんじゃねえぞ。恋人悲しむからな」

「見かけによらず熱い奴で好きだったぜ。イタリアでも元気でな」

「七日間でちょっとは日に焼けたじゃねえか。しっかりあっちでも食べろよ」

「撤去作業真面目に当たってくれてありがとうな。おまえいい奴だ。もう捕まるなよ美人」

一人一人が陽気にクラウディスに現地の言葉で言って来ていて、クラウディスは分からなかったが一人一人の強い握手に、強く握り返した。

ここで彼等とも離れることになる。七日間、生死を分けて其々の場所で任務に当って来た班長と五人を見て、クラウディスは一瞬を置き、彼等に思い切り抱きついた。

ジープに乗り込み、手を振った。

道に揺られ、村につく。

静かにテントに入って行き、一人一人にベータに教わった村の言葉で抱きつき、早く治るように髪にキスを寄せた。

時間が迫っていて、タカロスが声を掛けて来る。クラウディスは彼等の手を撫でてから、医者や看護士達に英語で「ありがとうございました」と言い、握手を交わした。女の医者と、泣いていた看護士がクラウディスの背を叩き両頬にキスを寄せた。

「元気でね。風邪をひかないように」

そう優しく言い、続けた。

「ここに来てくれてありがとう」

クラウディスは彼女の優しい微笑みに、言葉が詰まってうつむいた。そのクラウディスの頭を抱き寄せて撫でてから、タカロスを見てから肩を叩き励ました。

クラウディスも顔を上げ、呼ばれて頷いた。ベータが引っ張っていき、連れて行く。

外に出て、子供達の頬にキスをしていって子供達は面白い女お兄ちゃんに手をぶんぶん振った。ピンクの玉をくれた少女が大泣きして母親にあやされていた。その前に来て、少女の手を両手で握った。

「どうか元気で……」

「お兄ちゃんも」

そうようやく笑った。

ジープで離れていき、ずっと見ていた。

彼等は徐々に見えなくなり、星が木影の道に、輝き始めた。

頬に風を受け、進んで行く。



 中間地点のヘリポートで嵐に見舞われ、一時ヘリが飛べなくなり、タカロスは所長にその事を連絡しなければならなかった。加えて、規定を破って受刑囚に予想外に医療部手伝いなどをさせたので、叱りを受けていた。厳重に注意するように言われてから、連絡を切った。

ベータは恋人に電話を掛けていた。

クラウディスは早く母ローザに連絡をしてあげたくて仕方が無かった。クラウディス自身もこの歳だが、母の声を聞きたかった。

夜、雑魚寝をしながらやはりクラウディスはごろごろした。

実は打撲が痛い。

寝やすいように身体を捻りながら落ち着かずに、定まって顔を腕に埋め肩を抱いた。

「………」

タカロスは腕を枕に天井を見ていたのを、クラウディスの背を見た。白い背に、綺麗な手がだらんと下がっている。エルダはどこででも眠れるために、既に爆睡していた。

クラウディスは身体の方向を変えて転がり、どんとぶつかって驚き目を開けた。

タカロスは寝ていたらいきなり肘鉄され、顔を押さえていた。

「あ、ご、ごめん」

クラウディスは半身を起こしタカロスを見て、タカロスは痛くて泣きそうだった。とんでもない力だ。

「問題無い。さっさと眠れ」

そう言い、背を向け頬を抑え目を閉じた。

クラウディスは妙に緊張し、動けなかった。気配が動かないので肩越しに見ると、一瞬、目が離せなくなった。

窓からの白い月を背に、モノクロの世界の中、艶を持ち美しくて。(嵐だから月出て無い)

クラウディスは胸の高鳴りを無視し、顔を反らし口をつぐんだ。タカロスも自己がタカロスに寄せてしまっている好意を無視してくれる筈だった。

彼自身もそう仕掛けたが、無理だった。

真っ白い手首の手錠か絡まる黒蛇を掴み床に黒髪と金髪がうねった。

鹿をかばった瞬間、そんなクラウディスの姿を見て正直気絶しそうになった。爆風で吹っ飛んでいき、ごろごろ転がって草で見えなくなったのが消えちまったのか、そう思って名前を呼んでしまっていた。

鹿が飛んでいき、その場に行くと真っ白な顔で転がって眠っていた。

黒い瞳を見つめた。あの独房で、肩越しに見た瞬間から、虜になっていた美しい青年。

彼は視線を落とし反らし、目を閉じた。無性にウォトカが飲みたい。一週間まともな飲酒は許されていなかったのだから。

「……タカロス」

囁くような声が自分の名を呼んで来る。

クラウディスは俯き、先に進めないタカロスの肩を見つめた。

落ち込み、クラウディスはタカロスの下で身体を横に向け、顔を床に押し付けて目を閉じた。泣きそうだった。

タカロスは上目でその項を見つめ、一瞬を艶めいた。

「ぶるあっくしょんばぶるがびゅー!!!」

エルダのくしゃみにそちらをバッと見て、エルダは肘を立て伏せ気味の目で見ていた。

「ったく、目覚めて見りゃあ≪独房のアヌビス≫ともあろうお前が美しき悪魔に不祥事だぜ」

タカロスはつぐんだ口のまま伏せ気味の目を引きつらせ、クラウディスの向こう側に降りて背を向けて目を閉じた。

「美人妻に報告だな」

「やめろ」

「男の子と浮気してましたよ」

「やめろよ」

「じゃあお前の部屋のウォトカ」

「包括していただけだ」

「十本で交渉してやる」

「………。その前に貸した金返せ」

エルダが黙り込み、背を向けて眠りに入った。

タカロスは目を伏せ気味に肩越しに振り返り、首をやれやれ振って向き直った。またクラウディスはごろごろ痛い身体をごろつかせ、最終的にはベータとタカロスの身体を引き寄せて寄り添いクッションにしてようやく落ち着いた。

チチスベーオを真中に二人は口を噤み、タカロスは顔を背け目を閉じ、エルダは可愛い年下の青年に抱きつき眠った。クラウディスの肌も身体も縫いぐるみのように抱きごこちが良かった。そんな調子のいいエルダを見てタカロスは呆れ、溜息をついて目を閉じ眠った。

抱き付き合うクラウディスは童顔のベータに抱きつかれながらベータは目を開き、間近の真っ黒い目を見た。閉じられ黒猫の様に抱き付かれ、腰の縄を持つ手が強張った。横を見てタカロスは無性に頭に来て背を向けた。

肩越しに冷たく見た。

ここに鞭でもあれば真っ白のその背を打ち払いたい気分だ。そしてこちらに来させ、可愛がりたい……。

タカロスは苛立って来てクラウディスの腕を掴み床に叩き付けた。

エルダは縄が手を離れていき、口をつぐみ目を開け驚き横を見て、キレたタカロスが恐い事をしっているので大人しく身を小さくした。

クラウディスは眠るタカロスに頭と背を抱えられ全く眠れずにいた。


 信じられない程に、空がそのままどんっと落ちて来そうな程、海色に青かった。

嵐を越えて全て持っていかれたかの様に、全てを飲み込み一杯に広がる空は、地平線の先の先まで見えはしない、世界中が空かのそうだった。

大天空が広がっている。

輝かんばかりの緑を背景に従えて、あまりの素晴らしさに圧巻させられて、しばらくは見上げていた。

「そろそろ行くぞ」

クラウディスは青の空の中、城の背を振り向かせ、青に黒髪が艶が買って綺麗に翻った。

「ああ」

彼は駆けて行き、再びヘリのところまで来ると、手錠を嵌められた。

ベータが鍵を腰に戻し、風できらきらするこげ茶色の目を細めていた。明るめで焦げ茶の短いが癖付く髪が揺れている。

タカロスはヘリの尾側に立ち、久し振りの煙草の煙を風に一直線に浚わせていた。ヘリの灰色の陰と白い機体に映え、水色の眩しい空は白の煙を横にたなびかせる。

鋭い頬の上のサングラスが太陽を反射し、金髪が翻る。あちら側から、手錠を嵌め終え腰の縄も取り付けたクラウディスを見た。

煙草を下げ、消してから進んだ。

「行くぞ」

こんなに爽やかな天空を広げるのは、久し振りなのかもしれない。心が躍った。

これからの事はまた刑務所暮らしは待っているが、一瞬の自由を感じる事が出来たのも、これからのあとの残りの三年間を単にずっと閉じ込められ過ごしていたよりも遥かに良かった。

刑務所に戻らなければ、母に連絡は出来ない。一週間前の通信は、所長の許しがあった為だ。

ヘリに乗り込み、ヘリの陰の中から一時の解放された自由への足許が離れて行っては、一度、クラウディスは振り向いた。

風の吹く天空。

白い羽根を広げて、……飛びたてたら、きっととても気持ちがいいだろう。

彼の黒艶の瞳に光がきらきらとして、そして潤うその瞳がそっと閉じられ入って行った。

扉が雪原のような背に閉ざされ、また、囚われる時間へと戻って行く。

心に緑蒸した青空が輝いた。

子供達の笑顔や、大人の人々の瞳の中の感情。青空にたなびいた色とりどりの布。男の瞳の中の、確かに見た、炎。

閉ざされる目の中の命の輝きの一つ一つが、救われたいと光っている。

ヘリは地上から浮き、そして機体を揺らしては青の空へ飲み込まれる様に入って行った。

水色のみの空は、常しえから続く浮動のものにも思えた。時空を越えて、この場所にはずっと、この天空が広がりつづけるかの様に。

ここに広がりつづけていたかの様に……。

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