食欲の目覚め
月の形は繊細だった。
模様さえもくっきりと手に取れる銀細工のようであり、東の空にあがっては、小さな小窓から見えている。
そして、東側通路を美しく照らし出していた。
その日の夜警は編成にローテーションの見張り警備員が入っていた。
普段は、オッドー、相棒、ロイド、水曜日はタカロスのほぼ三人から構成されていた。
本日はアビレウとアモーエの二人で入っていた。週に二度ローテーションの人間が一人入り、週に一度二人ともローテーションの中から夜警が出た。
静かな闇は眠る受刑囚や、まだ眠らない受刑囚の息遣いが静かに響いていた。
アモーエは階段でアビレウと擦れ違い二階監房へ上がって行き、東側通路を歩いた。
「………」
受刑囚3062番がぼうっとして、月光に綺麗に照らされていた。
「………」
アモーエは足が止まっていて、自然に、まるで引き寄せられるかの様に、鍵を開け影が音も無く青く移動し、入っていっていた。
格子の先、白の肌は微かな水色で、透き通るかのような唇は薔薇の花びらのようで、そして艶の瞳がぼんやりと、アモーエを見上げた。
ベッドに腰掛け、黒の革パンの脚を立て下腕を当て垂らし、影に黒蛇が渦巻いている。
美しい少年だ。
夢見ごこちに、アモーエはベッドに膝をかけ、そして見つめていた。芳しい香りがする。
潤う無垢な瞳は光っては、黒いペガサスの様に優雅だった。
コブラにまるで不思議な金の光が顔の輪郭と共に射し、微かに蠢くかのように思えた。
柔らかな頬に頬釣りし、キャップが影をともない落ちて整った金髪がこめかみに流れた。その美しい香りのする場所へと、首筋へと唇を寄せたアモーエは、少年の瞳を見つめ、目を反らせなくなった。空虚を見つめ、黒の睫が可愛らしく瞬きする事無く、格子と光を見つめている。
魅せられていた。
柔らかな髪が白のシーツに滑らかに広がり、柔らかな指がそっと絡まり白くいい香りがする。花のような……とても魅了させられる艶やかな、それでいて高貴な香りだ。純白の花のイメージは夜そのもので、妖美な少年を見つめた。
青く美しい光の中で、そんな状況を見たのが向こうの牢屋に入る西側通路のリンだった。
広い見張り警備員の背に薄く光る影の中、黒蛇の彫られた下腕が這われ、明るく光の窓から差し込むベッドサイドの床には、あの警備員キャップが落ち金の鷲と盾の紋章が鋭く光っていた。
神秘的なゆっくりしたその手腕の優しい動きが、深く刺された黒蛇の入墨を強く浮き上がらせ、微かに強く爪が背に立てられた。
アモーエは柔らかな首筋の黒髪を唇で掻き分け透明度の高い美欲へと心と体が深層まで誘われていた。
芳しく麗しい美少年を食するという、その悦び。
花の予感は引き金となる前菜であり、そしてその食する身体はここにある。
甘い蜜にのめりこむ欲望かの様に、アモーエは理性すらなくなり漆黒の瞳を見つめていた。
愛しささえ覚える麗しさは純粋に瞳に光をいつかせ、美食を誘った。
舞台上、レオと呼ばれていた。
今は大人しい獣の様に、透明度さえある瞳が見つめている。
アモーエは闇に浮く純白の花のような少年の身体を捕らえ、そして食欲が最大限に行き着き歯を向いた瞬間だった。
一瞬で背筋がぞっとし、少年の瞼に視線をそろそろと、落とした。冷や汗を浮かせ。
少年の瞳はアモーエの綺麗な首筋に注がれていて、なぞるように顎を、そのラインを、そしてフェイスラインを滑らかに優雅な視線が流れては、干上がった喉のこめかみの汗を見つめては、頬をいじらしく染めアモーエを見つめた。
その瞬間彼は少年の両腕を強く持ち掠れた声を上げた瞬間、目を見開いた。
鋭く妖艶に微笑した、美しき悪魔を見た。
咄嗟にアモーエは自己を取り戻し離れ、壁に背をつけ異常な程の食欲の殺気を首筋に感じて手で押さえ、口をつぐんだ。
視線だけで首が断ち切られたのかと思った。
強靭なオーラが少年を取り巻き少年でなくさせ、立ち上がった少年が片足もベッドから下ろし、首を傾げ頬に手をあてアモーエの首筋を見つめて来た。
手には枕が下げられていた。優しい指が顎を撫で首筋を微かに撫でながら瞼に明るい月光が差し喉元を見つめていて、腕から手に徐々に手を伸ばし、アモーエの手を取り唇を寄せては愛らしい黒猫の様に睫を閉ざし頬釣りしては粉雪のように微笑み……そうだ。このまま、この少年に食べられる幸せを感じる事が出来たなら……。アモーエは、そう思っていた。
指をその唇に加えられ指を舐められ、そして噛まれて血が出る程噛まれ、滲んだ血を少年は舐めていた。胸部に頬をよせ腕にアモーエの綺麗な手を引き寄せ、幸せそうに瞳を閉じては舐めている。
胸部の制服に唇が寄せられ、睫が艶かかり、美しい陰影が顔立ちを染め、そして一気に首筋に強烈な危険を感じた。
アモーエは弾かれたように開かれた扉からドサッと格子が波打つ通路へ転がった。
手をつきバッと、肩越しに、少年を見上げた。
月を背に、無表情の少年がアモーエを見下ろし立ち、静かに見据えて来た。そのこめかみに流れた光る汗を。微かに震える唇を。その床に這う指先を……。
「可愛い……」
アラディスが微笑み、牢屋から出ようとした瞬間、アモーエは完全に自己を取り戻し腰の鍵に手を当て立ち上がり扉を閉めた。弾かれたように少年は転がった。
リンは長い警備員の脚先から転がったアルを見て、強烈に光った月光に目を細めた。
見張り警備員は後ろへ下がり、欄干に背をつけ、そして金髪が揺れた。
アルは顔を押さえ泣いていた。悲しげに泣いていた。見張り警備員は、打たれたかのように口許を押さえ、そのまま身を返した瞬間バランスを崩して欄干から落ちた。
「あ! おい!!」
リンは叫び、いきなりの事に一階監房の牢屋を一房ずつ見回っていた警備員、アビレウはザッと背後を見た。
アモーエだ。
ふいに落ちてまともに打ち付けた背を抑え仰向けに顔を歪め、うめきを上げている。
「どうした」
駆けつけ引き起こし、肩の無線で連絡を渡した。
アラディスはすでに倒れた床の上で、月光に照らされ眠っていた。眠れる美しい野獣のように。
「分からない……」
目許を歪め金髪を掻き上げ上体を起こしたアモーエは、冷や汗がやまずに首筋を抑え、汗が酷かった。
覚えていない。何故自分が、あの少年を食べようとしていたのかなど、恐ろしい事だった。
そして強烈な願望が渦巻いたなんて。彼に花の様に食されたいということを。
花を食むかのように、彼は美しく闇の広野で自己を食べてくれるのだという決定的な実現。
アビレウは階段を上がり、声を発した西側の受刑囚を見ると、その視線の先を見た。
3062番がベッドから転がり落ちて眠っている。
一階監房の小さな扉が開かれ、ロイドとタカロスが進んできた。ロイドがアモーエを引き立たせ、タカロスが電気をつけた。
一瞬で月光の幻想的な全てが立ち消えて行った。この監獄内をサファイアのクリスタルの様にしていたその美しい全てが。
颯爽とタカロスが進み、アビレウの前まで来ると3062番の牢屋の中を見た。
アラディスは可愛らしく安眠していた。あの警備員キャップを縫いぐるみを抱えるかのように眠っているではないか。
アビレウが鍵を開け、タカロスが進んだ。
「3062番」
肩を叩くが起きなかった。
人らしい綺麗な香りのするキャップを抱え込んで頬釣りして眠っていて、タカロスは肩越しにアビレウを見上げ、顔を見合わせアラディスを見た。
何か変わった様子などは見受けられない。シーツは皺が寄っていた。枕は落ち、それだけだ。
「おい。またこいつかよ」
横の牢屋の受刑囚が面倒臭そうに明るさに目覚め、欠伸をして目を半開きに警備員アビレウを見た。
「何があった」
「? さあ……」
受刑囚は初めて声を発した警備員を見上げ、首を横に振った。
「そいつ、独房にでも閉じ込めた方がいいんじゃねえのか? 睡眠妨げすぎだっての」
アビレウは3062番の牢屋を見て、タカロスがベッドに抱き上げ戻した。キャップを奪い取り、そうするとアラディスが目を覚ました。
タカロスの名を呼びそうになったアラディスの口をそっとおさえると、アラディスは上目になって頬を染めた。サファイアの王子かの様に。
「何故警備員のキャップを所持している」
「え?」
キャップを被るタカロスと、その背後の警備員を見上げ、首を傾げた。
「さあ……」
「何か夢を見ていたのか」
「うーん……。ううん何も」
タカロスはアラディスを見つめた。嫌でも、何某かが目覚めてしまうのだろうか。決定的に。何らかの覚醒を迎えるのだろうか。
不明だが……。
タカロスはキャップを持ち立ち上がると、颯爽と牢屋から出てアビレウに鍵を掛けさせた。
まるでそれが一瞬、不釣合いな行動にも思えた。彼に鍵を掛けるということは……。
アラディスはただいきなり起こされただけだった為に、ベッドに頬を寄せてタカロスを大きな瞳で見た。格子の先にいて、鍔下の静かな目許がアラディスから、二階部へやって来たキャップを被らない警備員に向けられた。舞台ではエレガントな音が鳴る繊細な楽器を操った警備員だった。他のよく立ち代る警備員達とする会話自体は声の柔らかな男だった。それでも、警戒時の命令声は張りがあった事を覚えている。
金髪の頭に受け取ったキャップを被り、鍔下の冷静な目で自分を横目で見て来た。タカロスに視線を戻し、何語かも不明な言語で話している。
不安だった。自分は何かをしてしまったのだろうか。分からない。
「このまま眠りにつける状態か」
「ああ」
タカロスは相槌を打ち、監獄内を見回した。
半数が起き見て来ていて、半数が夢の中だった。
静かによく通る声で言った。
「問題は無い。眠れ」
その声がまるで静かな催眠効果へと続くかのように、颯爽と彼等が波のように進み、照明が消されると、再び眠りの深部へと誰もが落ちて行った。
先ほどまでの夢見ごこちの幻想的な全ての雰囲気の延長線かの様に……。
それが、食する者の発する何らかのエネルギーと、その者が選び抜いた最高の何某かの選ばれるべきものがある者の発する声音との重なりで得た上質の催眠であるのだとは半ば、分からずに……眠りに、落ちて行く。誰もが。
アラディスは背に月光を乗せ頬を寄せ瞳を開き、緩やかな食欲へと静かな瞳が光閉ざされ、頬の方向を変えた。
顔横に添えられる白の手は軽く握られ、それでも、食人への深い拒絶とダイマ・ルジクへの憎しみ、愛を失った事への絶望の彫りこまれた黒蛇は、怨念を持った眼光で月光も差し込まない闇の影を見つめていた。
それでも黒蛇は知っている。アラディスが愛情をもって来た彼等を弔って、黒の蛇を彼等を抱き寄せて愛し合って来たこの腕に彫りこんだのだということを。失った彼等への深い愛情が、今は仇への深い怒りに取り巻かれていても、心有る彼にならいずれは……。
優しい安眠の時までを。
「引力?」
「神経がやられているのかもしれない。まさかあの3062番を食べたいと思ったなんて」
「シー」
ロイドがその後アモーエの変わりに警備に入り、アビレウと共に当っていた。
タカロスは顔を押さえるアモーエの前にしゃがみ肩に手を当てていて、所長は唸った。
「何故そう思ったんだね」
「ただいつもの様に警備していただけです。彼の牢屋前を通りかかったら、引き寄せられたように自然に入っていた。それで既に頭は彼を食べようとしていた」
「武器も使わずにそれが出来ると?」
「歯で肉を剥離させようと。無駄な事など何も考えもせずにいて……俺はおかしいのでしょうか所長。先輩」
タカロスは目の色を確認すると、以前にもアラディスに見た物が掠め揺れていた。
「噛み付かなかったんだな」
「恐ろしい事だと気付いて、それは受刑囚の死につながる事などで。3062番が美しすぎて……襲っていたんです」
「困ったなこれは」
所長はそう言うと、ハイバックから立ち上がるとソファー横まで来た。
「次回警備員に同じ事が起きれば、悪いが受刑囚3062番には場所を移ってもらう事になる」
危険なほど美し過ぎるあのアラディスの様態は、確かに分かった。夢に魘されて、泣いていたアラディスは牢屋の中でまるで、溶け行く雪の結晶かのように繊細で儚かった。
食欲こそは起きなかったが、妖麗な風もそのときは全て、怯えた闇の中にいて、消えうせていた。
覚醒し始めているという事だろうか。確実に以前よりも徐々に、何らかの事が。
「彼に関する事で食に繋がると見る事は確実な事では無いと思います」
「食の先の殺意が根底にあると? 君は殺意と食欲はどちらが先に来たんだシー警備員」
「性欲ですが」
普段は一切そんな事など言わないアモーエはレバイアの話ですら紅くなる性格で、顔が同じく真赤になって金髪で頬が隠れ他所を見た。
「その後に、異常な食欲が」
「殺意では無くか」
アモーエは溜息をつくと言った。
「3062番が困惑することは分かります。自身が分からない」
「3062番はお前を食べようとしたんだな?」
タカロスは腕を掴み目を見た。アモーエは頷いた。
「確かに」
「だが3062番は何ごともなかった様に眠っていた」
「俺が起こしてしまったのかもしれない。無理矢理に」
所長がローテーブル向こうのソファーに座った。
「3062番の牢屋の前を通る時は、悪魔の目には注意をするんだ。どちらにしろ5569番の様に拘束するとなると、いろいろと体制が変って来るからな」
「はい」
アラディスという雪の結晶のような彼が、人を食らう悪魔になりうる時間帯が神聖な青の夜であり、そこには何処にも彼の恐れる闇など無いなんて。
アモーエは所長室から退室し、タカロスは立ち上がった。
「ご家族の方にはいらっしゃるのですか」
そういう言葉の運びをすると、タカロス自身の神経質な程の血筋が微かに現れ、所長は立ち上がりブルドックの様な顔をした。
「長くイタリアにはいるが、ルジク一族は美と芸術の一族として王家に認められ多くの王家の所蔵品を管理させ続けて来た以外に、妙な歴史は無い。ダイマ・ルジク氏の巨大な力は彼自身の独特性が実に大きいが、一家でも食人の話など聞いた事も無い」
「我々は普段、世間には関れない」
「犯罪が捕らえられた後では遅い事は分かっている。ミラノ警察や地元に詳しいものに連絡を取り合ってみよう」
アモーエは階段を上がって行き、二階で武器保管庫に武器を保管し、チェック表をつけてから四階へあがり、ロッカールームに入ると制服を脱いでいった。
シャワールームへ進み湯に包まれ肩を抱き、激しい頭痛がまだ続いていた。あの鼻腔に甘美に充たされる甘い花の香りが、まだ感覚を麻痺させていた。
目を閉じると直ぐにでも浮かぶ情景は、あの少年の美貌であって、そして浮き彫りにされたあの食欲だった。互いから発されたあの。
だが瞬間、自己は負けていた。
恐ろしかった。
目を閉じれば誘惑してくる美しい純白の花びらが微笑して、あの赤の唇が恨めしいほどに今すぐ触れたい……食らい尽くすつもりだろうか。その為に刑務所へ来たのだろうか。
警備員、受刑囚、彼等を食し尽くしそして今に自己までも、誰かに食されるために。やって来たのだろうか。
アモーエは痛む背を撫でながら目を開け、木ドアが叩かれた事で目を開けた。
「大丈夫か」
「ラビル」
アモーエは頭痛を押し切りシャワーを止めると、タオルを巻いてからカーテンを引き部屋着を着てから木のドアを開けた。
「大丈夫だ」
「真っ青だな。何か食べたほうがいい」
「そうだな」
「ジャガイモを持って来たから食べろ」
「はは。ありがとう」
「いいや」
二人で噴かしたジャガイモを食べながら廊下を進んだ。
「ロイドには悪い事をしたな。明日も夜警なのに」
「まあ、酒を奢れといってくるかもしれないが」
「そうか。共に飲む事は無いからな」
「いいか。ゆっくり休め」
アモーエの目の色を確認してから言った。
「頭痛がするんだな」
アモーエは頷き、ジャガイモをのみこむと言った。
「悪夢にでも魘されなければいいんだが」
「頭痛薬を持っていけ」
タカロスは部屋に入り、錠剤を渡すとアモーエをふと見た。
「どうした」
目を離した隙に、どこかへ感覚が行っているようで目先に手をかざした。
「ラビル。一人だと恐い。何かするかもしれない。そういう感覚があるんだ。だから部屋を貸してもらいたい」
「構わないが、ソファーは無い。何故ならニッカに全ての綿とネジを一瞬で粉砕されたからな……」
それはもう大いに木っ端微塵にされ、あの先輩の両拳を拘束しグランドに引きづり回したい衝動に狩られたのだが。
アモーエは声に出し笑い、タカロスも笑った。
「まあ、入れ」
ドアを開け促し、ドアをアモーエが締め顔を上げ、綺麗な項を見た。
「………」
腕に触れた一瞬後で、ドアにタカロスの背を付けさせ同時に頭を抱えていた。
アモーエの瞼を見つめ、食欲に繋がる以外ならと受けてやり目を閉じた。
食欲に結びつく飢餓感が鎮静されて行くように、性欲へも結びつかない触れ合いのキスが続いた。ずっと。
アモーエがそのままドアに額を当てキスが離れ肩に目許が乗り手が肩から落ちた。眠ったからだ。
その為にその手に持っていた、体温で溶けかかった頭痛薬が床に転がり、タカロスは金髪に視線を落すと、ベッドに運んでやった。
自分は壁に背をつけ座り、床をじっと見つづけた。
アラディスは朝になっても起きなかった。
その為に、デラとセリはアラディスの鼻先に木の葉っぱをこちょこちょやった。
食べる前に葉を引かせ、アラディスは目を開けてぼうっと起き上がった。
リンが既に座っていて、ゾラは何故だか人の部屋で枕を頭下に、逆さになって座禅も組んでいた。
セレは壁に綺麗な絵を貼っていた。セレが持っているクラシカルな本の切り抜きだ。
「お前、変に牢屋の中で寝すぎなんじゃねえのか?」
「確かに……」
「昨日お前、見張り警備員に襲われてたぜ」
セリが飲んでいたジュースを驚きピューと噴きだした。
「え。マジかよそれ!」
ゾラが驚いて見える範囲の不動の見張り警備員達を見回していた。視線をくずしたのでリンが蹴られ、金髪のボーズ頭をさすった。
「おいどいつだよ!」
「金髪の警備員。俺と同じ位の年齢じゃねえかな」
金髪の警備員は三人いる。誰かは不明だった。
「お前何歳だよ」
「あ? 俺か。二歳だが」
嘘だった。リンは二十八だ。なので六人の中の最年長だった。
見張り警備員はびしっとしている為に年が上に見える場合もあるが、アモーエはリンよりも若い二十六の年齢だ。デラと同じという事なのだが。
「そうか。じゃあお前のあの二ヶ月ごとに会う可愛い女は一才児か」
「ああそうだ」
「二歳児の見張り警備員か」
「?」
アラディスは顔を上げた。
牢屋の先に影が出来、黄金色の光を背後に黒い影が何かを持っているからだった。枠が強く光っては、あちらの黄金色が監獄中を差している。もう、そんな季節になってきているのだ。徐々に。
その光の中を黒の線の影が。直線的なほうのアールデコに差していた。その中で、曲線的な影が、牢屋から何かを差し出してきて、それを見た。
リンは口を抑え、それを見た。
「縫いぐるみ……」
アラディスは身体を起こしてそれを手にした。
真っ白くて、毛足がフワフワで、それで愛らしい様態の熊の縫いぐるみだった。
ゾラが噴出したが、他は誰も笑ってはいなかった。
「対人食欲が起きたらこれを口に入れろ」
声を聞いた事の無い警備員のもので、アラディスはデラとセリの脚を越えて立ち上がると、警備員を見上げ目を細め、アラディスの頬や身体は傾く西日で黄金色にきらきらと染まり、漆黒の瞳が美しく眩いほどに光った。
「ありがと」
リンは驚いて口を閉ざし、昨日欄干から落ちた奴とは相棒になって夜警をしていた方の警備員を見た。
アラディスは縫いぐるみを腕に抱えて低カロリーの栄養剤の入った袋を手に受け取った。
「昨日の警備員どうなった」
アビレウはリンを見ると、何も言わないままだった。踵を返し、歩いて行った。
本館横の室内プール。
タカロスが複雑に回転し、一気にプールに鮮やかに飛び込んだ。
エルダがリクライニングチェアで腕と足を垂らしグースカ眠っていて、女子見回り警備員の四十のミソリバが他レーンで水飛沫を上げ激しくクロールをして顔も鋭くて恐かった。
横の本館地下と窓で繋がる先のトレーニングルーム内は他の警備員達がジム用具で鍛えていた。ジョニスマンの周りの色ガラスがだいたいは曇っている。
海に落ちて逃亡しようとした受刑囚が四十五年前にいたようで、その時代は警備員スペシャリスト制は敷かれてはいなかった。四十年前から実行された取り組みで、それでからは脱獄に成功した者はいない。
タカロス教徒のアスカロは、サイクリングマシーンで激烈に走らせ汗を流しながらたまにチラチラとあの鋭い上目で硝子向こうの室内プールを見ていた。
気付かずにタカロスは何度も高台に上がっては何度も美しく身体を回転させ複雑に落ちて行き飛び込みを繰り返す。
「おうアスカロ」
ジョニスマンが水のボトルをアスカロに渡し、アスカロは感謝してから出て行ったジョニスマンから女見張り警備員のルカを見た。
黒髪をボーズにした女で二十七歳、身長は百八十七。キツイ性格だ。とはいえ、そういう部分はアスカロと合う。
あのタカロス教徒としか思えないカデッタの奴は、何かと毎日噂ではタカロスの部屋で酒を共に飲み交わしているというのだ。アスカロは恐ろしい顔をしてボトルの水を飲んだ。
「あんた、蹴られたんだってねえ。坊や」
ルカはいつでも自分より一つでも年下の男には坊やと呼んで来た。アスカロは恐い顔のままで見ては、ボトルのキャップを締めた。
「坊やにな」
「へえ」
形のいいボーズ頭をタオルで拭くとルーカはシャープな顔立ちの鋭い目でアスカロを見た。
アスカロを狙う女としては、ここで他の女共に差をつけてこのシャイな可愛いアスカロに一歩だろうがそのまま奥深くの百歩だろうが一気に踏み込んでおかなければ。だが下手をすると、アスカロは恐ろしい反撃をして来る。
いつでもタカロスばかり見ている、ホモなんじゃないかと疑いたくなる程のアスカロの視野の前に来て、ルカの顔でプールが見えなくなった。
「あんた、ラビルが好きなのかい?」
「………。え?」
アスカロが瞬きして足を止め、ルカはハンドルに肘を乗せ脚を交差させているのを、半身を男前のタカロス側に向け、またアスカロを見た。
「あんたさ」
「な、違う! 誤解するな!! 俺は彼を尊敬している者だ」
「そ」
糞真面目なアスカロなので一切冗談も通じない。もっといじめたくなった。
「でもあんたの事たまにラビルは熱い視線で見つめてるけどねえ」
「え」
みるみる険しい顔がリスのように両眉を上げさせ目を見開き口を開かせ、ルカは大笑いした。
「冗談に決まってんじゃない!」
ケラケラ笑って歩いて行った為に、アスカロは怒ってルカを追いかけて肩越しに肩を掴んだ。
「撤回しろ」
本当に糞冗談が通じない奴だ。
「何をだい? あんたがホモじゃないかって疑い? ラビルの嘘の視線? 本当だったって嘘言えっていう事?」
深みを持った声になった為にアスカロは罠かと思って手を離し、引き返す事にした。
「あんた女ぐらい作れないと情け無いって思われるよ」
「煩い。禁欲こそが俺の生だ」
「変な男だねえ」
それでもアスカロはサイクリングで心拍が挙っているだけでも無く、綺麗の部類に入るルカに気がある風を見せられた為に落ち着かずに背を向け汗を拭いていた。
気付くと、タカロスはすでにプールから上がっていなくなってしまっていた。ミソリバがその前に林檎でも置けば幾つもその鋭い指に林檎が突き刺さるだろうと思われるほどの鋭いクロールを続けているのみだった。バタ足の下に半永久開かずの金庫を置けば、たちどころに木っ端微塵となる事だろう。
これから、プールの水が使い部分を変えるという。海水をくみ上げて機械で真水にし、そしてプールの水にしてから、そしてまた今度はその水を取り替えるときに海にしっかり戻してまた海水を取り入れ、戻しと使い環境を大切に水を使う話を所長と副所長がしていた。
ミソリバが筋肉質の体格でプールから上がると、エルダがグースカ眠っていた為にしっかり落ちた腕と片足を戻してやっていた。そして歩いていった。エルダはグーグー眠りつづけていた。
いきなりけたたましい警報が鳴り響いた。
アスカロとルカは顔を見合わせ、一気に駆けつける。
男子自由監房内。
二階通路から吹き抜けを越え、一階に血が流れ落ちてきていた。
受刑囚2888。この前、首を括った奴だった。
2888が何処からか持ち寄ったナイフで、他受刑囚を刺したのだ。
見回り警備員達がざわめき、夜景のロイドと黒人が駆けつけた時には、刺された受刑囚である6233は息絶えていた。
黒人は2888を撃ち殺そうとしたが、駆けつけたタカロスが進み手で制した。
アラディスはずっと口をつぐんで2888を見ていた。
6233は担架が運ばれ、ロイドと黒人が運んで行った。
2888の手からナイフを剥ぎ取り、頬を叩き気を取り戻させた。
2888は虐待を受け続けていてその孤児院ホームの従業員を殺害して刑務所に来ていた。2888自身の身体は自己と他からの傷塗れで、目は生気が無かった。
2888はタカロスに必死になってしがみつき、ガタガタ震えていた。
タカロスは牢屋に入らせ、2888をベッドに座らせた。
「処分が下される事になる。しばらくは大人しくしていろ」
そう言うと、見回り警備員のポムが鍵を締め、他の受刑囚達は叩かれ蹴りいれられたケツや背をさすっていた。
所長が駆けつけ、やって来ると自殺未遂の次に殺人を犯した受刑囚2888番を連れて行かせた。
拘束器具を嵌められ、生気も無いままにつれて行かれた。
エリザベルはポケットベルで至急戻る事になり、刑務所へクーペを走らせた。
あの2888番が受刑囚を刺したというのだ。面会所の控え室に来る様に言われたのだ。
アラディスは元から自分で鍵を掛けてもらって縫いぐるみを抱え安眠していたので、何が起きたのかが全く分からなかった。あいつ、大丈夫だろうか。
ポムは一度3062番の牢屋の前で彼を見てから、アラディスは気付いて顔を上げた。
ずっと昔、五十八年前の事だがこの男子自由監房内で事件が起きた事があった。
就寝につく十時の牢屋入りの後に、一人で機関銃で警備に当っていた警備員がいきなり、一階監房の受刑囚全員を乱射して皆殺しにしたと言うのだ。そのまま天井まで打ち抜き階段を上がって行き二階監房の牢屋の中の大人数を撃ち殺した。数名を残して弾が切れ、誰も他に報告するべき警備員もいずに、朝までその状況が野放しにされていたといい、そして二階監房吹き抜け欄干から、一階牢屋内から、血が流れ溢れ滴って真赤になった状態で銀の朝陽の中、死体に埋もれて開門された。
八名の生き残った目撃者の証言で、それが警備員であった事が分かり、その警備員は捕らえられて死刑になった。その時から夜景は二人体制になり、報告ネットワークが緻密になり、警備員も即刻駆けつけられるようになった。
その話をポムは知っていた。
この綺麗な少年がその五十八年前にこの牢屋の中にいれば一たまりも無かっただろう。そうおぼろげに思いながら見ていた。
アラディスはベッドに座り、床を見た。
「髪を乾かして来なさい」
「? はい」
すっかりプールのこと等忘れていたタカロスは所長に言われ、控え室を出て行った。
2888番はテーブルに額をのめらせていて、一切動かなかった。
エリザベスはオッドーと共に現れた為に彼等を見た。
何故ともに来たのかが皆目検討もつかない。
「控え室に2888番はいる」
「分かったわ」
酒を飲んだ為にオッドー自身は行く事は出来なかった為に、事情を聴くと相槌を打った。
「そうか。悪かったな。責任者の為に本来は寮にいた方がいい。妻にその話をする」
「そうなるかもしれないな。実際最近は何かといろいろと起こる」
「ああ」
どこかに色気を含むオッドーの目を見てから、首を傾げしばらく通路先を見るオッドーの横顔を見ていたが、早く髪を乾かしに向かった。
実際はエリザベスとオッドーは別の場所にいた。妻とずっとキスをしていたのだ。アルデは恋に破れて悲惨な程ぼろ泣きしてそのまま眠っていたし、エリザベスはキッチンで一人片付けをしてくれていた。
刺殺された受刑囚6233番の遺体が運び込まれ、エリザベスは口を閉ざしてその開かれた瞼を見つめ、手を当てた。
「可愛そうに……」
タカロスが来た為に所長は遺体の運ばれた場所へ来ていた。
「名前はソルバ・レベルイ。マニキュア工場のジュニアで、二十歳の時にラメの液体が入った窯に、社交でも仲の悪かった友人六人の男を逆さに吊るしいれて殺害し、翌日固まったその六体を自室のオブジェとして発見され捕まった男だった。刑期は三十二年。刑務所に収容されて六年目だ」
その二十六歳の青年は既に息はしておらず、白かった。
「刑期をまっとうする事も無かったんですね。彼の監獄内での態度はどうだったんですか?」
「普通だったようだ。他とも衝突無く関り、適当に過ごしていたらしい。彼の父親に連絡を渡す」
「そうですね」
黒人警備員が入ってくると、敬礼した。
「申しわけありません。自分の監視が行き届かずに、犯罪防止に至らなかった」
「その時の状況はどうだったんだね」
五時以降になれば、夜警に引き継ぐ固定見張り警備員二名と、階段左右に一名、東南警備員一名、見回り警備員四人以外は撤収し、十時までを八人体制に変わる。
「自分は一階階段右での見張りを行なっていました。頭上で受刑囚6233の悲鳴が聞こえ、即刻駆けつけた時には喉と腹が裂かれていた。リロデオの話では二人は普通に会話をしていたらしい。レーの話では武器の所持は確認できずにボディーピアスの会話が続き、そして2888番の牢屋へ入って行ったしばらく後に6233番が血まみれで叫び倒れ込んだと」
「そうか……。2888番は喋らないままだ。どこで武器を手にいれたのかも不明だ。彼と面会をした者のリストでも弁護士以外にはいなかった」
「ええ」
オッドーが入って来ると、6233番の遺体を見た。
首と腹部に布があてがわれ、真赤に染まっている。
「この所は問題が多い。しばらくは奥さんには悪いが、二人の夜勤は君とラビル君どちらかが毎日交代制で入る様に夜警を頼む事にする」
「はい」
2888番のいる控え室に来ると、タカロスが扉横で見張っていた。
テーブルの下の椅子の間に絡まるようにいて、泣きながら震えて転がっていた。
「様子は気を取り戻したようだな」
「はい」
所長とエリザベスは進み、タカロスは2888番を座らせた。
「何故受刑囚6233番を刺したんだ」
「あたしのこと、あたしの、」
「え?」
三人は2888番を見て、瞬きを繰り返した。
「恐かったの、似てたから、あの意地悪な従業員に似てて、それ気付いて、それであたし、」
「あたし?」
確か入所前に全裸での身体検査した時は男の子だったはずなのだが……。
タカロスは首を傾げながらまたズバッとズボンを下げさせたから2888番が悲鳴をあげた。
自己で切ったようだった。ズボンをずらした瞬間ガーゼもはがれ、酷い傷口が露になった。
「何て事を……」
「早く履かせてあげて」
タカロスは悪い事をしてしまったと思い履かせてやってから、2888番は恥かしさの余りにボロボロに泣いていた。
「元から心が?」
「3062番の子が綺麗で恋人にしたかったけど、恐そうだし、だから格好いい人に話掛けたの、男言葉で話して、それでピアスの痛そうな話とかも聞いてあげてたの。もう首は大丈夫なのかよって聞いて来て、首に触ってきたの。それで気付いたの。似てるって気付いたの」
「彼はもう息が無い」
2888番がぶわっと涙が溢れ泣き、体中を震わせて真赤になった。
「彼優しく心配してくれたのにあたし」
エリザベスは肩を持ち撫でた。
「凶器はどこで手にいれたんだ」
「食堂に忍び込んで、フルーツナイフ盗ったの……あたし、死刑になるの? あの黒い人はあたしのこと、殺そうとしたわ」
「もう自殺などは考えていないようね」
「前に3062番の子が優しく声掛けてくれたの。でもいつも恐いからあたし話さなかったの。あんなに綺麗な人に優しくされて、恐かったけど、初めてだったの。優しく声掛けられたの。初めて恋したの」
2888番は泣いていた。この青年は従業員二十八名を皆殺しにしていた。夜、部屋から出ては従業員部屋に来ると、猟銃で撃ち殺した。その銃声でパトカーが駆けつけ、彼が口に猟銃の先を突っ込んで自決しようとした所で警察に止められた。
年齢は二十一歳で、五歳の頃から収容されては酷い目に合わされつづけていたという。その情状酌量から終身刑は免れ、禁固三十二年と処されていた。
彼は私生活上、他との関りを続ける事はしばらくは無理と見て、精神科監房へ一時送られる事となった。
「昨日の二人、どうなった」
ドイツ人警備員が横目で睨んできた為に、アラディスは憮然として舌を出し歩いていった。
アラディスは顔を上げると、走って行った。
「女医」
「こんにちは」
「こんにちは。昨日の事で来たのか? 二人ともどうなったんだ?」
「一時隔離される事になったの。捕まった後でいろいろと他との関りの中に入ってストレスも抱えていたのね。刺されたほうの子は……」
アラディスは俯き、相槌を打った。
「あの子の事、心配してくれていたのね」
「大した声は掛けて無い。素っ気無かったし、邪魔する事も無いと思ったからな」
「あの子、あなたに感謝してたわ。声を掛けて来てくれたことが嬉しかったようよ」
「何でそれじゃあ刺したんだ?」
エリザベスは同じような症状のアラディスを見てから、緑の明るい芝を目を細め見た。彼女の髪を風が上品になびかせる。ここは刑務所であるという事を一瞬忘れるほど美しく。
「俺も同じような物なのかな」
「あの子はね、フラッシュバックから来る事だわ。自己のした事に怯えている」
「そうか……」
「もしも許されるなら会ってもらいたいと思っているわ」
「え?」
グラウンドに出てきたデラとセリが立ち止まり、エリザベスは気付いて視線だけで見ては微笑んだ。彼等はここまで来るとアラディスの背を撫でてからエリザベスを見た。
「昨日の奴、処分下されたのかよ」
「今は落ち着いているわ」
「そうか。あんた、セリから聞いたがここの精神科医なんだってな。昨日の奴もアルの事も連れて行くのか?」
「デラ」
「アル。お前、中に入ってろよ」
デラがそう言い、アラディスはデラに言った。
「彼女は悪い人じゃ無い」
「気違い扱いされるんだぜ今に!」
「………」
アラディスは俯き、黒い睫で見えなくなった。
「ごめん……」
デラはアルの肩を引き寄せ、頬に頬を寄せた。セリは女医を睨むように見た。
「彼を連れて行く事は無いわ。彼自身はしっかりした考えがあって、今はまだ抑えられるから。こちらも安易に精神科病棟へはあなた達の仲の一人だろうと移らせることは無闇には出来ないの。ただ、触発するような事は避けてもらいたいのよ」
学会でも著名なセリーダ医師の息子であるサイモン・セリーダを見ると、彼は視線を反らして耳を紅くした。アメリカの著名な医師の息子が逮捕された事はアメリカでは有名だった為に、別荘のあるイタリアでの事件はイタリア自体では取りざたされなかったものの、こうやって見ると父親とも懇意であるセリーダ医師の夫人の顔立ちが彼にはかすめた。この前は真っ青だったのだが。
デラがエリザベスの腕を引っ張り、グランドの番人、ドイツ人警備員がザッとこちらを見た為に手を離し手招きした。
エリザベスはオッドーに視線を送ってから面接所の建物へ入って行った。
アラディスとセリはその場に残り、グランドの芝の上に座って首を伸ばしそちらを見た。二人は見えなくなっていった。
セリはアルが奪われてしまうんじゃないかと思い、縫いぐるみのような身体に抱きついた。アラディスも目を閉じ、黄緑の芝に艶髪を広げ目を閉じた。
視覚からのものはシャットアウトする。香りも、芝の香りだけに集中する。セリの金髪を撫で、背を抱きしめていた。しばらくずっと、そのままで抱き付き合っていた。ゾラがそれを見つけると、大喜びでバンッとセリをサンドイッチして潰しアルに抱きついたからギャフッと叫び声があがった。
デラは白い壁から女医を見た。
「俺達は絶対にあいつを見捨てたくないんだ。あいつが苦しんでいる事が分かるからな。葛藤してるって。だが、どうあいつの事を見ればいいのか分からなくなる。確固とした凶暴な部分があって、しかもあいつにはクローダの入墨がある」
「………」
エリザベスはデラの横顔を見ると、優しく尋ねた。
「クローダを、知っているの?」
「誰だって知ってることさ! だがそれを言わないだけだ。悪質なマフィアじゃ無いが、それでもきっと実態は変らない。そこにいた奴なら何人も街歩いてれば見かけるぐらいのもので、そんなに特別視される事じゃ無い。だがあいつは、雰囲気が全く他のちんぴらとは違う。刑期が四年だって話だし、そこまで大罪犯したわけじゃ無いかもしれないが、時々あいつは研ぎ澄まされた獣の様な目をする。何者なんだ? あんた、知ってるんだろう。刑務所側の人間だもんな」
エリザベスは言わなかった。デラは諦め、溜息をつき壁に背をつけた。
「あまり、あいつの前で食人の話とか、もし診察してる事があるっていうなら、言わないでもらいたい。言葉で聴くと、自棄に固執して自己催眠で洗脳させられる事も実際はあるからな」
「そうね。確かにそういう点はあり得る事だわ。でも、こちらは酷くなる毎に事実を探らなければならない義務があるの」
「あいつ、自分は精神科監房に入った方がいいんじゃないかって俺に言って来た。俺達のことを気に掛けてるんだ。だからまだ心がある」
「彼から過去を聴くことは無いのね」
「互いがだ。あんたも知らないんだな。あいつ、大丈夫かな」
エリザベスはデラの肩に手を置き微笑んだ。
「………」
美しいエリザベスを見て、デラはあまり頻繁に女に接触できない為に耳を紅くし、彼女は不用意に触れてしまった事で手をそっと離した。
だが、一瞬の事で目を閉じた。
デラの背に拳銃の銃口が当てられ、唇を離すと肩越しに面会所警備員を睨んでから掴んでいた彼女の手首を離した。
「女医。単独での受刑囚との接見は、報告ください。警護にあたります」
「ごめんなさい」
「いいえ」
エルダは鋭く受刑囚5467番を睨み見上げると、デラは頬を染める女医を解放してから離れた。
「いきなり悪かった」
「いいのよ」
エリザベスははにかみ、エルダは受刑囚5467番から銃口を下げた。
「用件は済んだのか」
「………。ああ」
デラは自分より若いだろう警備員を睨んでから、踵を返し歩いて行った。
今の所は連れて行かれることも無いという。
デラの叔父は精神病棟へ閉じ込められ二度と出てこなかった。叔父は夫人を食人した。冷静な人間で、デラの父親はそんな弟を許さずに即刻刑務所へ蹴り入れた。そして、精神病棟へ行った。冷静な質で妻を生きたまま食し殺し、そして精神病棟へ入らされた事で徐々に狂わされては理性をなくしていった。
二度だけ十五の時に家出した後に会いに行った事があった。既に見る影も無かった。母から十歳の頃に聞かされた叔父の食人の事実は、本人から直接聴くことは無かった。
確かに嗜好の一部として冷静に食事をする対象が妻であった事は、貴族社会の中だろうがイカレていたかもしれない。だが、冷静な人間を刑務所で刑期を送らせる訳ではなく、明らかに気違い扱いし狂わせたのだ。そんなものなど、死刑と同じだとデラは思った。
去って行った受刑囚5467番の背を見てから、エルダは首をやれやれ振った。
この事は、何やらエリザベス女史と何かあるのか不明なオッドーには、酒に酔ってでも言わないようにする事にした。きっとあいつ一たまりもなくなるだろうからだ。オッドーはキレると恐ろしい。
アラディス達が監獄に戻ると、入所時や退所時と同じ様に、あの殺害された受刑囚の部屋のものが全て片付けられて行っている。
ずっといた為に、その南側通路の東寄り牢屋にはいろいろな物があった。
蛇柄シーツ、棚の中の雑誌の数々と上の黒い布、上に香炉、香のセット、各ブランドの黒マニキュアばかり集まる群、壁の数々の写真、衣服、靴、これから夏も過ぎて寒くなるために母親が渡して来ていた服、そういった物だった。
6233番の普段の連れだった受刑囚二人がそれを掃除夫と共に片付けていた。二人は餞別にと、其々一本ずつ黒のマニキュアをもらっていた。
遺品は全て家族に渡されると言う。南側に入るあのスペイン人受刑囚7654番は猫の牢屋先から一度それを見てから、雑誌に視線を戻した。
幾つかの箱に入れられ、箱を持った三人が所長を先頭に階段を降りて行った。あの西北角の警備員とグランドの番人ドイツ人の相棒の黒人警備員は今日はいなかった。他の人員が納まっていた。
「明日一日、監獄と牢屋が閉ざされ、見回り警備員達だけが見回る日になる」
所長が一階監房に降りると吹き抜けにも通る声でそう言い、踵を返し歩いて行った。
そういう時は決まって受刑囚の葬儀の為だ。
デラが所長と三人と擦れ違うように歩いて行き、デラは二人の受刑囚を見てからグランドを歩いて行った。
四人は面会所へ歩いて行った。
荷物を置くとすぐに受刑囚二人は戻るように言われたのだろう、面会所の建物から出て来た。
アラディスはドイツ人の後ろから見ていて、また猫かと思って放っておいたのが、気配がどうやら違い黒猫小僧のほうだった為に肩越しに見た。
アラディスは歩いて行き、デラのところへ来ると共に監房を歩いて行った。
いきなりの事で、女性が走って来て驚き、女医と北西角警備員がその女性の背を追って走り、ドイツ人とローテーション警備員、塀横の警備員はライフルで無く腰の拳銃に手を当てた。いきなり衝撃が走り近場の一階監房牢屋に叩きいれられたアラディスとデラは壁にぶつかり頭や背を抑え、その牢屋の老人がゴホゴホと食べていたつまみを口から出した。
「出てきなさいよ犯罪者! よくも殺して……、」
ロイドは6233番の家族を押さえ込み、走って行こうとしたのを止めた。
「戻ってください。危険だ」
「あんた黙ってなさいよ!!」
女の声に男子監房内は顔を見合わせていた。徐々に巨大な扉が締められて行き、ロイドの腕を噛んでエリザベスが追った。
「この監房にはいません。なのでどうか戻ってください」
聞かずに俊敏にすり抜け走って行き、締まる前の扉へ駆けつけオッドーが腕を引きアルデが肩を引かせグラウンド側へ引き戻した。
監獄内に彼女の脱げたハイヒールが転がり扉が閉ざされ、彼女はドンドンと分厚い鉄製の巨大な扉を叩いた。
アラディスは転がったシャンポール・ゴルチェの黒のハイヒールを見て、扉を見た。
「6233番の恋人か姉みたいだな……」
デラがそう言い、他の一階監房内牢屋に叩きいれられた二人の連れが同じ様に扉を見ていた。
デラは目の前で腹部と喉が裂かれた状態で通路に倒れ込んだあの6233番を思い出し、監獄内を視線だけで見回した。
殺しや犯罪で捕まった奴等がここでなら野放しに関り合い活動している。ここは他の刑務所とは違ってそうは喧嘩や争いが頻繁には起こらなかった。刑期が長い奴等も多く、受刑囚同士の殺し合いも滅多に起きない。
今回の場合は、デラさえ何故そうなったのか分からない程意気投合していた雰囲気でいきなり起きたことだった為に、何も分からなかった。喧嘩などででは無く、いきなりやられた。
ドイツ人警備員が現れ、片手を上げた。
一斉に見回り警備員達が鍵を開け、それでも門が再び上げられることは無かった。
ゾラは自己のログハウスの小さな穴から目を覗かせ見ていて、皆岩窟前の連なる椰子の木下を通って行った為に見えなくなった。
「あの自殺未遂した奴、何で刺したんだろうな」
「分からない」
老人の座っているベッド横に座っていたアラディスは、老人と一緒に取りこぼしたつまみを拾っていた。
「爺さん、長いのか?」
老受刑囚は一度遠い目をしてから、頷きながら袋につまみを戻した。
「そうだなあ。もうかれこれ、三十七年目だなあ」
「そうか……」
「この二十年はめっきり喧嘩も減ったが、何があったやら、わしはもう若者の考えを理解するには人生を歩みすぎた」
老人は人生のすでに落ち着き払った達観者だ。その果敢な時の途中で6233は生涯を終えてしまった。犯罪と言う名のもとで。
デラは相槌を打ち、ベッドのつまみの粉を払ってやった。
「あと六年したら出るが、その前にお釈迦を拝む事になるか、娑婆を拝めるかは、分からんよ」
アラディスは老受刑囚の腕に手を当て、肩にこめかみをつけた。老受刑囚が笑ってアラディスの髪をぽんぽん撫でた。
「いきなり邪魔したな。じゃあな爺さん」
「ああ。つまみありがとうな」
デラもアラディスも手を振り、歩いて行った。
グラウンドの隅っこでごろごろとしていた野良猫は、扉の中に戻れずにニャーニャー鳴いていた。
アルデが抱き上げ、首元を撫でて耳裏にキスをしながら歩いて行き、オッドーがやめさせた。
「懐かせるな」
「分かってる」
小さな扉へ入って行き、アルデから猫を手にしたオッドーは監獄の小さな扉を開け、猫を一階監房へ放り投げ扉を閉ざした。
いつものことなので猫は器用に回転して降り立ち、二階監房の自己の連れ猫のいる牢屋へトトトと向かって行った。
オッドーは視線に気付いて上を見た。
白い壁に小さな四角い窓が連なっているのだが、その中の一つからまたあのお騒がせ皇子の3001番が悦楽した目で見て来ていて、首をしゃくって戻らせた。ソラが嬉しそうに飛び跳ね牢屋から出ると、階段を猫より遅く上がって来たアルとデラに腕で突っ込みそのまま叫び声と共に落ちて行った。
「場所考えろ馬鹿ソラ!」
デラが背を抑えながら顔を歪め言い、腕でタックルされた二人はアルが床に泣きついていた。先ほどの追い越してきた猫が降りてくると、ゾラの背中に背を撫で付けていた。
アルデはグランドに戻ると、兄貴達が今頃相当3266番の家族に攻め立てられているだろう建物を見た。
自身は二日連続してオッドーと妻のアパートメントにエリザベス女史と共にいて、一切昨夜の事情は耳で聴く以外では分からなかった。二日連続してロイドは夜勤に入っていて、前日もちょっとした問題が起きていた事を所長から知らされていた。
これからどうやら、オッドーは寮に一日起きに戻る事になると言っていた。タカロスと交替制でしばらくは夜警に入るらしい。
扉が閉ざされた場合は一人を残し二人が監房へ入る。
オッドーとサルマンが入って行き、グランドの番人が二階監房へ上がって来た為に誰もがドイツ人を見た。
いつも色男の警備員が固定して立っている場に来ると、そこにいた見張り警備員を厳重な扉前へ行かせ、その場に立って監視を始めた。
誰もが黙り切り自らはしゃごうという者はそうはいなかった。そうはいなかったというのは、れいにより何が出ようが構わずにはしゃぎ回るゾラ以外にはという事なのだが……。
セリはそういったわけで、口を引きつらせドイツ人の真横から今ははしゃぎ回るゾラの牢屋へ、しかもまん前を通るのが恐い為にいちいち回廊をぐるりと回ってゾラの牢屋に入った。共にその内に飛び跳ねるゾラも着いて来て自らの牢屋へ入って行った。
オッドーは問題が起こる二階監房内を全視野に、恐ろしい程喧しい聴覚はやはり嫌になる程だった。
元々は、十年前まではオッドーはこの場に立ち監視を続けていた。自由監房内の監視役員者として軍から引き抜かれた為に、いきなり問題が起きた時以外は突っ立つだけのキツイ職務にはうんざりさせられて来たものだった。二十八の年齢でいきなり可愛い妻とも別居させられ、むさい男共の中にまた軍のときより収集がつかない犯罪者共を相手に、どれだけ自己の考えがしっかりしてきたものか。そして十年前に、自由監房監視責任者にいつのまにやら任命されていた。
十年以上前から二階監房にいる何人かは、またあの恐ろしくキツイドイツ人があの魔の場所に来た為に、大人しくなった。
猫は男爵と、公爵夫人と呼ばれていた。オッドーに甘えるのが公爵夫人のほうだった。
二階監房見回り警備員のポムとレペとパマは三人で回廊を回りながら見回っていて、一階監房をルパとハムが見回っている。グランドを見回る二人、ロロとヘルは、二階監房へ上がろうとしたロロをヘルが視線でぐいぐいと一階を見回れと言っていた。ロロは首を傾げながら、一階へ来てヘルが二階監房見回りに加わった。
何故なら階段左右の中にレバイアがいて、見てしまったルパが居心地悪そうに見回っていて、その中に自分がいられなかったからだった。レバイアは一切何ごとも無かったように不動の態で微動打にもせずに見張りを続けているのだが。
その天パるルパに強烈に叩きいれられたアラディス達は今は二階監房で過ごしていた。
レバイアの横のアモーエは今日は既に何ごとも無かった様に立っている。昨日の悪夢は過ぎ去っていた。
今日はレバイアとオッドーが夜警に回ることになっている。
一階監房の北東通路が開門された。
鍔下の視線でレバイアはタカロスを見ると、彼は颯爽と一階監房を横切っていく。誰もが黙り切りその独房のアヌビスの方向を受刑囚達は見ていて、そして巨大な扉横の小さな扉から出ていった。消えるまでじっと熱く視線だけで見つめたのが、オッドーと場所を交替し巨大扉横へ来たアスカロだったのだが。
レバイアはアスカロに意地悪そうに視線を移し、アスカロはそれに気付いて恐い目つきのまま視線を戻した。
木箱を出して一階監房の者達はトランプをしたり、猫男爵が降りて来たために膝に乗せたり、政治ラジオを聞いたり、薬を飲んだりしている。時々ごほごほと咳が聞こえ、稀に見回り警備員は呼ばれると背をさすったりマッサージしたり、シップをはる手伝いをしたりする。
あまりに高齢だと作業はしないので、その間は午後と午前の三十分ずつは柔軟体操やラジオ体操を見回り警備員達は掃除後に牢屋前に並べさせてやらせているのだが、足が弱ってきた受刑囚に関しては座った状態でだった。
今の時間は適当に過ごしていた。ボリュームを絞ったTVを老眼鏡で見ていたり、同じ本を何百回も読んだり、手紙をしたためたりしている。
三十代後半から四十代のまだ元気溌剌な男達の場合は一階監房の中でも時々ゲームに負けた声を上げたり、賭けを騙されて声を荒げたりをしては、尖った長い乾麺パスタの先で緻密に入墨を施したりしていた。六十代前半の受刑囚までが作業をしている。趣味の話をしていたり、劇団の話や、女や女房の話をしている。子供がもう何歳になったとか、この前面会所に誰が来たとか、年代別にいろいろと変わった。
一階監房は巨大な間口から陽が差し込む以外は一切窓が無い為に、閉門されると部屋は陽が差さない。宵の暮までは、東からの月光が欄干の模様を一階監房の床に下ろしていた。
二階監房で、アラディスは興味があってセリの牢屋へ来てはベッドのフッド側に頭を向け頬杖を付き、ずっとドイツ人警備員を見ていた。
オッドーは煩わしく思っていたが、監視を通常どおり続けていた。視野の横に映る3062番はじっと自分の方を興味深げに見ていた。
アラディスはあの女医と絶対に仲が親密そうなドイツ人警備員を見ていて、もしかしたら二人の時は唄を歌うのだろうかと思った。
二人は夫婦なのだろうか。互いの結婚状況や警備員達の私生活やプライベートなど一切知らないし、タカロスに妻子がいる事を知るだけだ。あの若い警備員のベータにはどうなのだろうかさえ知らない。
このドイツ人とあの女医が夫婦だとしたら、子供は背が高そうだと思った。女医も百七十八はある。いつもハイヒールを履いているためにアラディスと同じ位なのだが。いつもはここに立つ色男の警備員の方はそれこそ不明だった。その兄弟に違いないと踏んでいる塀横の警備員の方はパリでのバスの中でも寡黙だった。それでも楽器の指導は厳しくも丁寧に他の人間に指導していて根気良かった。
あの二人の警備員はお咎めを受けているのだろうか。どこかで鞭打たれているのかもしれない。今は謝罪しているのだろう。
明日は一日拘束される為に、売店でいろいろ買っている奴等が多くて行き来が多かった。
セレが珍しくやって来て、一度ドイツ人を見ると入って来て扉を閉めた。どちらにしろスカスカなのだが心理的な防御だった。
オペラ本を持っていて、一緒に過ごし読み始めていた。アラディスは時々セレに髪を撫でられながら、組まれる黒蛇に頬を乗せ、目を閉じていてはドイツ人を見たりしていた。
いつも菓子をもらっていた6233番の牢屋に来た公爵夫人は、ものけの殻になっていたので首を傾げ格子に尻尾を絡めると、また歩いて行った。猫男爵の方は違う所へ遊びにいって近くに匂いは無かった。
公爵夫人は最近懐いている男を見上げると、そちらへ近づいた。いきなり胴を抱き上げられ、アラディスが猫を連れて行った。
牢屋の中に入れて可愛がり始めた。
セレはアルが猫を食べてしまっては困る為に、本を置いて猫の背を撫でた。思慮深い顔立ちになって来ている元魔術師は、顔立ちが繊細になっていく。ここへ来た時はまだ顔立ちが童顔だった。きりっとした感じはあったが、大人の雰囲気は少なかった。職業柄元々凛とした雰囲気は強かったのだが。
よくこいつも自殺癖があって面倒な奴だった。手首を切ったり、首を吊ろうとしたり、何も食べずにいたり、よくエリザベスが様子を聞きに来ていた。二年前から礼拝堂へ行く様になっていたのだが。この3062番の小僧が入って来て構うようになると、自然と自殺癖は見られなくなった。
この二人は別に関係は無いからいいが、にしてもゲイの奴等というのはよく分からない。一体何がいいと言うのか。どうしても愛情が向かい心臓が異常に落ち着かなくなるのが男のみなのか、それとも男との交わりが好きなのか、女に傾向する心でも実はあって筋肉だとか強さに惹かれるのか、オッドーには分からなかった。
だがあの誘拐監禁犯と肉弾男が3062番の余りの愛らしさに女性を半ば重ね交わっている事は分かっていた。話し声はハスキーな小僧だが、上げる声は徐々に高くなっていけば動きさえ甘くなって行く。女よりもだった。それはむさ苦しい男の祭典所に生贄の様に現れたのがこんなに魅力的な女顔の可愛い奴なら大喜びなわけだ。見張り警備員がいるから交わらないだけで、実際はサニタリーやバスルームやトイレでは男しかいないし仕方なくよく誰もが他の奴等と関ってはいるのだが、3062番の様に堂々とそこらへんでしかも頻繁に交わっている事は無かった。
アラディスは背に猫を乗せ眠っていて、セレはTVをつけて見始めていた。
漸く3062番の人を誘惑でもしてくる様な視線が途切れた。集中力さえ阻まれる程、やはり3062番は可愛らしかった。
意識に置くだけでずっと神経を全体に張り詰め監視は続けていたのだが。