地球緑化への所内作業
後の調べでは、実生苗木(種から育てる樹木)はその土地の気候と環境で育てる事こそに樹勢の強さが確実となるとのことです。
作業所では、アラディス達は所長の話を聞いていた。
「生産数がこれから激減するという事で、工場内の作業内容が大幅に変更される事になった。その事を伝えておこう」
誰もがザワザワし、顔を見合わせるとスピーカーから発される所長の声を見上げた。
「どういう事だ?」
「何作ることになるんだろうな。これから」
所長が言葉を続けた。
「君達にはこれより、植林、植樹知識を頭に叩き込んでもらい、その為の苗木を多く育て出荷するまでの管理をしてもらう事になる。世界の森林再生・森林形成の為の各国に君等受刑囚自身が向かう事は出来ないが、充分にたくさんの在来種毎の苗木を心置きなく育ててくれ。尚、在来種毎の種が混合しないよう、苗木工場内は地域の国毎に区画され、種混合を避けるために服と靴は出勤・退勤ごとにエアー処理される」
コホン、という上品な咳払いが響くと、副所長が続けた。
「これは地球規模の大幅な更なる緑化計画です。森林と林、密林などの場所を大いに増やし、水を綺麗に。地球の自然を豊かに、美しさを保ち続ける為の緑の地球愛プロジェクトなのです。その為にあなた方が今使用している器具や大掛かりな機械は取り払われ、部品の全てが他の物に緻密にリサイクル使用される事になる。そのリサイクル内容に関しては、精錬後には巨大な水質浄水器を製作し、館内の排水で完全に水道が回転して賄えるようにするという物です。排水、飲み水、洗浄水、様々がそういう形でリサイクルされるので、心するように。売店で売られる頭髪、顔、体などの洗浄剤も全て、自然に優しい植物性のものになる」
アラディスはその話に興奮し、バシバシとセレの背を叩いた。
「俺達、木を育てるのか?」
「そうらしいな」
「苗木は世界中に出荷される為に、様々な種類があなた達により育てられます。苗木を出荷する事もあれば、ある程度低木まで成長させてから出荷する事もあります。それぞれが個々の木に対する専門知識と、それにその各国に対する植林と植樹の専門知識も頭に叩き込んでもらうので、愛情を持って地球の環境を想って育ててもらいたい。そして植林植樹がされた場所も、原生林も、密林も、森林再生された地区も保護される事になります。そして多くの動物も放され、保護される事になります」
所長が続けた。
「苗木や木に作業場が埋め尽くされるために、監獄内に多少昆虫などが入る事が多くなるかもしれないが、男子たるもの昆虫で騒ぐことは無いように大事に扱ってくれ」
「春になれば、迷い込んだ蝶が木に卵を可愛らしく産むことでしょう」
なる程……。アラディスはうんうん頷きながら聞きつづけていた。
「この素晴らしい作業に、心を込めて打ち込むよう」
副所長はそう言うと、所長が言った。
「それでは其々の今まで使用してきた工具で大掛かりな機械などの分解に掛かってくれ。その後の工具は回収される事になる」
アラディスはうんうん頷きながらにこにこした。
「春になったら蝶とかいっぱい牢屋で育てようぜセレ」
「そうだないろいろと」
「俺牢屋の中、木をいっぱいにしようかなあ」
「あ。それ俺もやる」
作業が終了すると、工具を回収され、そして大掛かりな分解された物資が全て運搬車に運ばれて行く事になった。他の工場でクリーン化され、製鉄されなおし、巨大浄水器が作られるという。
監獄に戻って来ると、既に力仕事を終えてシャワーを浴びると繋ぎを一斉に洗濯籠に出される事になった。完全に作業着を綺麗にする為だった。
いつもの革パンとブーツで出て来ると、既に腹が減っていた。
既に固定見張り警備員達は監獄を離れた時同様、所定の位置で不動の態で立っていた。やはり、物言わぬ動かない警備員は謎の存在だった。食事や排泄はどうしているのだろうと、誰もが思うのだが。
空腹は押さえられずに、それでも夕食の為の食堂が開くのは一時間後だ。
昼は監獄の中で寝ていた為に、グラウンドに出ることにした。
時間は三時半。
のんびりとした曲が持ち込まれたラジカセから流れていた。潮風の向きによっては、午後は極僅かに女子監房側で流しているらしいエキゾチックな曲が流れる時が稀にある。
共に、焚かれている香の香りもやってくる。女達の香りも乗せて、やって来る。
アラディスは石通路の上で目を閉じ寝ていて、いきなり顔を踏みつけられてギャッと叫んだ。
「まあ、これはごめんなさい」
「女医……」
アラディスは泣く泣く顔をおさえ、ハイヒールで顔を足蹴にされてしまったので泣いていた。
「ごめんなさいね。まさか通路で寝ていたなんて気付かなくて」
「大丈夫だ」
オッドーはエリザベスの存在に視線だけで彼女を見ると、アルデの恐ろしい程の殺気がオッドーに飛んで来た。自分は自分の彼女、とは言っても不倫相手を取られた、というか取り戻されたので正直怒っていて、オッドーときたら、あんなに沈んでいたというのに自分の元に妻は帰って来たし、しかもどうやら関係があるような雰囲気の女史まで職場にはいる。妻は子連れだが。エリザベスともあれから関係は持ってはいないが。
オッドーはアルデがずっと機嫌が悪い為に放っておいた。
アラディスは立ち上がると、エリザベスに呼ばれて面会所のある棟へ歩いて行った。
そして控え室へ入って行く。
「最近どう?」
「昨日のこと聞いたんだな。昼は牢屋に鍵掛けた。仲間も傷つけたく無いし」
「そうだったのね」
「俺……」
アラディスはキャスター付きの椅子に座り、反転しながらため息をついた。
「俺、独房の見張り警備員に面倒見てもらうとか、精神科監房に入るとか、この前脱獄図った男みたいに牢屋に監禁され続けるとか、特別監房に送られるとか、本当はそういう人間なんだよな……」
「隔離されたいの?」
「俺……」
膝を曲げこんで床を見て、つぶやいた。
「俺、同性好きなんだ。だからって肉として考えた事なんか無い。ここに入って、無秩序に関係結んでるけどそれまでをそうして来ていたわけじゃ無くて、なんていうか、自棄になってんのかなって思うんだ。確かに交わるの大好きだし、食べる事自体も好きだし、人といるもの好きだけど、自分の事が全く分からない。ちょっと牢屋の中で一人になっただけだけど、なんだか自分の心とか体が浮遊してる」
「自己を少しは確固とした物に取り戻せるまでは、一人になってみることは大事よ。あなたは確実に物事をしっかり考えるべき時間が必要な人だもの。この場所は自由監房よ。でもそれは、他とのかかわりも持たなければならないという場所。社会的なものの為にこれからの復帰を念頭においているから。でも、深い罪を犯した者達の場所でもあるわ。そんな中でも、一人になって自己をとことん考える事、人との関わりの中で考える事。その二つは刑期中には大事なことなの」
エリザベスは俯くアラディスの肩に手をおいた。
「話で聞いたけれど、苗木を育てる事になるようね。物を作ると、物にたいする大事な事が見えてくるし、職人としての心も責任感も出て来るものね。作業時のあなたの態度はとてもいいと評価されているし、物を作ることに関してはとても好きそうだという感もうけるというし、今度は大切に物を育てるという事で、心身がとても落ち着き払うものになって行くと思うのよ。苗木や木を育てる事を続けてみて、そして一人になる時は、しっかりと自己を振り返ってみて、そして食事の時にはしっかりと皆といろいろな話をする事がいいと思うわ。そうしてみて」
アラディスは頷き、顔を上げた。
「狂いたくない……」
エリザベスは漆黒のアラディスの瞳を見て、とてもいじらしいものを感じて肩をしっかりと温かい手で撫でた。
その大きな黒い瞳から涙がこぼれることこそは無かったが、潤んでは俯き閉ざされた。
まだ彼は心を開いてはいない。エリザベスはそう思ったものの、徐々に彼のほうから心を許し始めてくれている事を感じた。
膝に目許をうずめながらアラディスが言った。
「俺、苗木を木にしたらその鉢を女医にあげるよ。健康的なやつ育てるんだ。どんな環境にも強く育つ豊かな木」
「そうね……ありがとう」
黒革に涙が流れ、蛍光灯に白く光った。
黒髪を撫でてやり続け、エリザベスは小さく微笑んだ。
「たくさん育ててあげてね。美しい地球のために」
「うん」
アラディスは頷き、しばらくは泣き続けていた。
アルデは完全に沈んでいた。
いつもの様に屋上でトランペットを吹く場所に向かう事は無かった。メルザが来ないからだ。
自室のソファーに転がり、トランペットはケースに仕舞われていた。
「落ち込むなって」
珍しく今度はオッドーが部下のアルデを慰めてやっていて、ドイツビールと好物の肉をくれてやっていたが、手もつけずにローテーブル上の皿の上に乗ったままだった。
「取り戻したい……」
「諦めろ。相手はあの大佐だ。よくあのまま大人しく帰ったもんだぜ。俺も軍の時代は怒らせると土管の中に吊るされて建物屋上から突き落されてそのままグラウンド中をジープで押されまわらされたからな」
「う、」
アルデは目許を引きつらせ、口を閉ざして自己の腕に視線を落とした。
「何もされずに何よりだな。大佐も丸くなった」
「どこがだ……」
「あ? まあ、このへんがこう、なんつうか角が取れたっつうか」
「全くそうとは思えないんだが」
アルデは起き上がると溜息を抑え、肉を見ると食べ始めた。チョリソーを輪切りにしてベーコン代わりにしてジャーマンポテトにしたものだった。毎回のことでジャガイモものは全て別房から貰ってくるものだった。
今日はオッドーの妻がエリザベスと共に病院へ向かっているために静かに過ごせていた。仕事終わりに妻の料理も食べられないと言うことでもあるのだが。
「あんたは鋼のような物だもんな。うらやましい。俺はシャイで、物静かで、」
オッドーは目を白くしはじめていた。
「大人しくて、顔は良くて、口数が少なくて、寡黙で」
ここにオッドーの猫でもいたらあの唇でも鼻でもいいから噛み付かせに行きたかったが、寮を引き払ったと同時に毛足の長い黒猫はエルダに預けてあった。
「メルザでなけりゃ駄目なのかよお前は。他にも女はいるじゃねえか。まあ、メルザ程柔軟な性格の女警備員はいないがな」
女警備員達は気が強かったり、ドキツかったり、はきはきしすぎていたり、恐かったり、我が強い者が多かった。メルザはそんな中でも、相当柔軟だ。
他の女警備員達にトレーニング室で鉢合わせると恐かった。誰もが女警備員達は見張り警備員も見回り警備員も関係無く長身で、体力が整い、声が鋭く、女、というカテゴリーでは無く、大半がいかつい顔をしている。誰もがスタイリッシュ揃いでもあるので、性格のこともあり顔立ちもえらく整ってはいるのだが、なにしろ恐かった。見張り警備員達は二十代ばかりだが、逆に見回り警備員の女達は三十代、四十代の既にしっかりした成熟した考えの女達揃いで厳しく当っている。
受刑囚達のお洒落やインテリアの派手さは許しているが、道理に適わないような行為をしようものなら見回り警備員のおばさん達の鞭や縄が鋭く飛んだ。その為に、喧嘩の一切も許されていなかった。その分、見回り警備員達の場合は彼女達受刑囚の相談にもしっかりと乗るという部分も兼ね備えている。時に人生の母親的な面も大きかった。その為に、滅多な受刑囚達同士の争いは無い。比較的女受刑囚達は他を誉めあい、尊重しあい、高めあい、引き立てあい、考えを良く共にし、そして仲が良かった。そういう一体感で何かをすることの楽しさを分からせてある。
彼女達には彼女達同士の、女史自由監房内での規律がそういう具合で成り立っていた。衣服を製作するに当る喜びなどもしっかり分からせている。自分達の着ている物も自由に作らせることもさせて物をつくる喜びや、自己の存在理由をしっかり分からせる事にも役立っていた。犯罪を犯してきた者達の心を豊かにする方法が考えられて見回り警備員達には与えられていた。
とはいえ、やはり若々しい女性らしい可愛さがあるとなると、メルザが……。
アルデはビールをあおると、オッドーを誘って外に出ることにした。
柔らかいパンツと黒のVネック、それに黒の柔らかいスプリングコートを着た。オッドーはロッカールームへ向かい、いつもの普段着、ジャケットとタートルネックに着替えると出た。
「時間的に、しばらくすれば妻もアパートメントの部屋に戻るだろう。何か作らせる」
「ああ。感謝する」
刑務所を離れ、オッドーの黒の大型バイクの後ろに跨った。
オッドーはサングラスをジャケットの胸部から外すとかけ、夜を進めさせていった。アルデのコートが闇に翻り走らせる。
刑務所を離れ、照明で白く浮く建物が遠くなって行く。海岸線を弧を描く様に進んで行き、崖際に立てられる家々の明りが灯されては星のように光っていた。
海のよく見えるアパートメントは実際に多くある。妻の所望していた通りに。これからを考え、バスの駅も近く、平地に近いアパートメントで高くても部屋は二階部分。その物件もあった。
二つだけ道を奥へ緩やかな坂道で入って行った路地までバイクで進ませ、そして車道から多少離れた事で喧騒が消えたアパートメントの間口へバイクを降り進ませ、停車させると階段を上がり二階へ来て二番目の扉にキーをさした。
まだ帰ってはいない。
カーテンの開けられた室内が先に見える。多少は明るい月光が差していた。外に居る時より明るく思える目の錯覚だ。
薄紫色の壁がまだ薄暗い中を判別できずに、昨日の時点で妻は壁に草木模様のペイントを施していた。
黒い細長のボックスが置かれる壁際の上にキーを置き、煙草を灰皿に掻き消すとシェードを灯し、横のサイドボードからグラスを出した。
アルデは室内を見回していて、オッドーは室内中の間接照明をつけて回っていた。最後にキッチンまで来ると、冷蔵庫を開けていたが、何もないようだ。
アルデはコートを脱ぐとソファーの背に置き、その背に腰をつけた。写真立てがあり、見慣れたものもあり、見慣れないものもあった。
やはり夜は色彩が暖色に染まり、渋い室内はオッドーにもよく合って思える。
自分とは一切性質の異なるオッドーは大人で、性格はきついものの別に嫌いでも無いし、時に見せる顔が憎めない感じだった。
写真立ての中に、懐かしい訓練学校を見つけた。
オッドー自身は訓練学校の出では無く、エルダの様に生粋の軍出だ。とはいえ、エルダの場合は軍にいた期間は短いほうで、五年間だったのだが。エルダは大体は地雷撤去や、災害地での救助などを軍では行なっていた。
アルデはグラスを渡され、口端を上げ受け取った。
「悪いな。妻は作り置きはしねえ質だ」
「構わない」
酒を飲みながら座りながらでも見えるいつもの海を眺めた。屋上から、トランペットを月に吹きながら見渡す海はサファイアで、メルザのように思えたものだ。
彼女の歌を聞いていると、心までおちついた。トランペットに合わせてよくメルザは唄う。あの整った美しい声で歌った。一瞬開き見つめ流す海も、彼女の風にゆるくなびかせる髪も、美しい顔立ちも、姿も昨日の今日の様にすぐに浮かぶというのに。
「兄貴が女を紹介するから諦めろって言って来る。兄貴はいつでも適当なんだ」
「だが間違いは絶対犯さないけどな」
「確かにそうだ」
ロイドは女好きだし色男だが、それでもやはり性格的にも規律の部分でもプライドが高かった。その為に規律が無い3062番が気に食わないと思っているのだが。
「何か歌ってくれ。今は静かだと気が狂いそうになる。ジャズレコードはあるのか?」
まさか集合住宅では楽器などは吹けない。
オッドーはレコードを掛けに行き、ボリュームを絞って針を落とした。
「よく考える」
アルデがそう言い、恋愛毎に傷心するとやはり口が軽くなる為に聴いてやった。
「俺の足裏とメルザの足裏が共同グランド下のパイプで繋がってればいいって」
「それじゃあ拷問室の有様も耳にする不快さも味わわなけりゃならねえんだろうがな」
「それでも別に構わない。拷問係りは殆どを寝てばかりだっていう話だしな」
時々あの男はバールで鉢合わせると、酒を奢れと言って来る奴だった。奥さんの所に蹴り返すのだが。
渋いジャズが燻された銅版の空間のように流れ、アルデは顔を、目を閉じ額に手を当て一人掛けのソファーにもたれ、微かに口許を歌わせているオッドーを見た。
「将校は俺達のことを許して見逃すって言って来た。絶対に罠だ。そうやって俺の精神を切り詰めてこようとしてるんだ」
「将校は割と単純明快な性格をしてる。そういう部分で何か仕掛けてくる性格じゃねえ。スカッとしてる部分はスカッとしてるからな。しっかり反省すりゃあ相手は頷く性格だ」
そうやって反省する性格では無いのがアルデだというものだが。
「将校の場合も戸惑ってるんだろう。今まで任務に従事し続けて来て女という女に傾向する事も無かったからな。それが若い女と晩年結婚したんだぜ」
「じゃあ、あんたは将校が言うようにメルザをとこれから関係を持っても本気で許されると思ってるのか?」
「………。俺に聞くのか」
「そうだった。あんたは浮気をされていたんだった」
オッドーは憮然としてグラスを呷り、妻を孕ませておきながら捨てた医者の男への怒りがぶり返しそうになって、グラスを静かに置いた。
室内での暴れは厳禁にされていて、何かが壊れていると分かれば妻は出て行くと言っていた。まともには深酔いは出来ない。
アルデ自身は写真でしか見たことの無い相手なので、オッドーの可愛い妻がどういう性格なのかは詳しくは分からないが、このオッドーを飼い慣らしているような妻だ。相当きついのかもしれない。
写真で観る限りでは、恐ろしく可愛らしいのだが。
エルダの場合などは、一切信じていなかった。粗野なオッドーにいるのが相当可愛らしい妻だと言う事を。
「運命共同体になるのがメルザなら……」
アルデはうなだれて目許に手を当てると、ソファーの背凭れにその目許を当てた。
「帰っていたのねあなた!」
可愛らしい高らかな声が響き渡り、アルデは顔を上げ、オッドーは背にする廊下奥のドアに顔を向けた。
「ああ」
「ベスも連れて来たの」
オッドーの横目が口をひきつらせ、アルデは立ち上がって初めて合うオッドーの奥方にドイツ語で挨拶をした。
「あがらせてもらっています。カルデリ氏の部下のリロデオです」
「あらあらいらっしゃい! 吹奏楽の方ね? CD,よく聴くわ。素敵で若い方じゃないの」
彼女はニコニコしながら進んで来ると、エリザベスが続いた。
「こんばんは。お二人さん。お仕事お疲れ様」
「こんばんは。エリザベス女史も」
「あなた! ドイツ語を話せるお医者様を紹介してもらったのよ」
「そうか。妻の付き添いしてくれて感謝してる」
「どういたしまして」
「何か食べる?」
「あたしも手伝うわ」
「ありがとうベス。待っていてねリロデオ君」
しばらくしてすぐにいろいろ出て来て、ローテーブルに並べられた。
可愛いが押しが強そうな妻はやはりオッドーの横にいると、よく似合っていた。それに直ぐに分かったのは、オッドーがこの可愛らしい妻に関しては惚れこんでいていつもの様子では無いという点だった。
エリザベスはタカロスと仲が良いとばかり思っていたのだが、どうやらそうじゃ無い。オッドーとの空気感が縫うように伝わって来ていた。
言わずにいたのだが。
オッドーの妻の家庭料理は美味しかった。栄養価も高そうだった。
「この前の爆破の時は驚いたでしょう。連絡が入ったと覗った」
「ええ。驚いたわ。前日はオズと喧嘩していたから、そのままオズが仲が悪くなったままあたしと子供が孤独にさせられたらって思ったら、もういても立ってもいられなかったわ。刑務所勤務って、軍にいた時代同様に恐いものだわね」
「覚悟させて悪かった」
「いいのよ。あなたがこういうまともな職についている事は嬉しいの。寂しかったけれど。あたしよく思ったのよ。二十八で軍から要請が来て刑務所警備のスペシャリストとしてオズが引き抜かれていっちゃった時に、もしもオズの気性が下手やらかしたらどうしようって。犯罪者よ犯罪者。そうしたら逆に丸くなったの」
「これで?」
「アルデ」
「これで?」
エリザベスが笑い、妻が続けた。
「十歳のベスが彼に初めて会ったっていう話の時は……あら。オズは何歳だったかしら」
「十五だ」
「そう! まるで牙で出来上がった物体だったっていうから。あたしが十五ではじめて彼に会った時はオズは二十三歳だったのよね。未だに凶器だったわよ」
オッドーは首をふるふると横に振ってそれを否定しては、フォークに料理を刺して食べようとした。
既にアルデに肉物は飲み込まれていた後だった。
「あなた、彼女はいるの? 結婚はしてるの?」
「いや」
「あらそうなの? 街を回ってたら、カフェで可愛い子見つけたわよ。話は言葉分からなくて出来なかったけど、イタリア人の女の子は可愛いものね」
「ああ。あんたも可愛いな」
「俺の女口説くんじゃねえ」
「オズ! 子供が驚くわ!」
「………。悪かった」
アルデはおかしそうに笑い、オッドーに睨まれた為に肩をすくめながら言った。
「こんなに素直な先輩は初めてだ。飽きない」
「今にグラウンドでしばき回すからな……」
「オズは訓練学校で指導をする時もあったんですってね。出来の悪い奴が一人いて、面倒だって言ってたの。電話でよく聞いてたわ。わざとの様に補修を毎回受けに来るマゾが一人いて、仕事終わりにしばくのが面倒だったって。訓練生番号五番」(四番サルマン三番メルザ二番)
「俺か……」
「まあ、ここまでしっかり成長すると可愛いものだがな」
アルデが嬉しそうに笑った為に、エリザベスがくすりと笑った。
「尊敬しているようよ。あなたの事を」
オッドーが瞬きしてアルデを見て、アルデは口をつぐんで咳払いし、パンにバジルチーズとサラミが乗ったものを口に運んだ。
「こいつが?」
アルデはだんまりし、何も言わなかった。実際に尊敬しているからだ。
「へえ。良かったじゃないオズ。尊敬してくれる若い子がまさかいたなんて」
オッドーの腕を妻が小突き、クスクス笑った。
そうか。全く知らなかった。あんなに泣きついちまって、恥かしい事をしてしまったわけだ。オッドーは目をぐるりと回した。
レバイアの恋人のポムは、麻薬で自室で前後不覚になっていた。彼のレバイアに知られたら、半殺しにされる事は分かっていて、今日はレバイアは来ない事は分かっていた。
最近、あの受刑囚3062番が麻薬を卸して来ない。だから残りが少なかった。昨日も牢屋に行ったのに、何も無かった。
あの3062番は可愛くて、自分よりきっと年下のはずだ。自分より背が高い奴だが、横になってれば背なんか関係無いし可愛い。
ドンドン
ポムは飛び驚いて急いで換気扇を回し、トイレに麻薬を流し、服をランドリーボックスに入れると全裸のままだが仕方無しに慣れた事だしドアを開けた。
「………」
所長が白い目をして警備員を見て、ポムは口をガタガタ言わせて彼のレバイアではなかった為に真っ青になった。
「あ、しょ、所長」
「着替えを終えろ」
ドアが閉ざされ、ポムは急いで着替えたがそれでもふらついていたので、酒をごくごく飲み込んでからまた開けた。
「酒を飲んだのかお前は」
「あい」
首根っこを掴まれて通路に出されると、他の見回り警備員達も引っ張り出されていた。
麻薬に酔っ払ったどうしようも無い愚か者のポムは、朦朧として立った。
レバイアは、階段を降りた角の所で曲がりかけては物々しい空気で立ち止まった。
自分の可愛い恋人が他の奴等も合わせて立たされている。
所長と副所長がその彼等の中心通路にいた。
見回り警備員ヘルがレバイアに気付き、一度視線だけで見たものの視線を戻した。二年前の元恋人だ。
「あなた方にこれより、管理された清潔な各自室内で一人二つの水槽を所持してもらう事になります。育てるものは昆虫、花、幼魚、様々があるので、観察日記もしっかりつけるよう」
「え? そんな暇はそうはありません。我々、休日は訓練もあるし仕事終わりは疲れていて」
「癖を付けること。いいね。その為には、週に一度成長過程を確認する」
「そして成長したらすぐに各種適した場所に放流し、また新たにどんどん育て放流してもらいます」
ポムは大驚きした。そんな事されると、これから麻薬が出来ない。同じく、3062番から麻薬を買っているハムは既にもう持分の麻薬が無くなった為に唇を突き出していた。
「何か不満でも?」
「いいえ! ありません」
「では、しっかりと気を持つように」
所長と副所長はザッと踵を返し、颯爽と歩いて行った。
「……マジかよ。どうやって育てるんだ? 俺、物育てた事なんかねえんだけど。ペットもいたこと無いし」
「俺は蛇育てる」
「じゃあ俺蠍育てる」
「俺葉蟻がいい」
「俺は蜥蜴にする」
「俺蜘蛛にしようかな」
「俺ミミズたくさん育てる」
「二つ目の水槽何育てるんだよ」
「俺メダカ」
「俺ハリセンボンがいい」
「俺亀にしよう」
「俺鉢でジャスミン育てたい」
「俺アロワナにする」
「俺藻をいっぱい育てる」
「おいポム。お前何か言えよ」
ポムはクラッシュしていて無理だった。立ったままフラフラ白目をむいていて、無理だった。
「変な奴。白目むいてるぜこいつ」
「酒臭いな。もう飲んでるのかよ」
「どつき入れておこうぜ」
ポムは部屋に戻され、ドアが閉められた。
誰もが部屋に戻るか、シャワーを浴びるために連れ立って歩いて行った。
ヘルだけが残り、横目で階段の方を見るとそちらへ歩いて行った。
レバイアが階段の上部に座り、自己の爪をいつもの無表情で見ていた。ヘルは見上げると歩いて行き、レバイアがヘルを見上げた。
「誰に会いに来たんですか?」
「………」
レバイアは何も言わずに、顔を戻すと立ち上がりヘルを見下ろした。
「ミミズと藻を育てるのか」
「育てます」
「あと一年すれば、他の場に移る事になるな」
ヘルは頷き、レバイアのしっかりした腹部に二年ぶりに頬を寄せ腕を回した。ヘルはうねるブラウンの髪が可愛くて、真っ赤な唇が息をついた。身長も見回り警備員達は百七十五揃いの為に、そうは背が高くは無い。女子警備員の百八十五センチ以上の女達からも見下ろされる程だった。
見るからにポムは深酒を決め込んでいたし、無理そうだった。
「部屋に行っていいか?」
ヘルは大きく頷き歩いて行った。
部屋の中は変わらずに整理されている。ポムの部屋ときたら、衣服がいつでも散らばっている。雑誌やペンライト、バックの中のカードや財布や小銭なども散らばっていた。見張り役警備員は時に神経質な程綺麗好きばかりなので、ポムは彼からすれば信じられないだらしなさだった。別に汚れた部分は無いのだが。
ヘルは綺麗好きなので、整理整頓がなっている。
「今日、レペがあなたに視線で苛められて恐かったと言っていました。僕の事は全然苛めてくれなくなったのに、レペは羨ましいです。馬鹿のポムはまた3062番に翻弄されていたし」
確かにお馬鹿なポムは鍵掛け技ではナンバー1の腕を誇っている俊敏な奴だが、何もそればかりが俊敏なわけでは無い。訓練校の時点でも逃げ足ナンバーワンであったというし、それに頂点に行く事さえ俊敏すぎだった。
見回り警備員は、受刑囚達を牢屋前に叩き戻すのが二人、牢屋に蹴り入れるのが三人、一斉に鍵を掛けるのが二人で構成されている。連帯して一糸乱れぬ美しいまでの動きだった。
ヘルは牢屋前までグラウンドや一階広場などの広範囲にいる奴等を連れ戻す役目だった。その為にヘルはだいたいは一階を見回っている。
壁にはダーツがあり、レバイアはそれを逆側の壁に背をつけやり始めていた。その下のボードの上には皆でいつもやるカードがケースに入っている。
「なあ一緒につまみ食おうぜ」
いきなり同じ役目のロロがシャワー上がりに部屋をあけ、ドア側の壁に座り顔を上げた見張り役警備員にビクッと驚き、即刻ドアを閉めた。
「………」
レバイアは顔を戻し、矢をまた投げた。綺麗に中央に放射型に突き刺さって行く。
ヘルは明日か明後日辺りにでも置かれるだろう水槽の場所をつくっていた。床に置くと掃除が面倒だから棚の上にする。
ヘルの真横に矢が突き刺さり、ヘルは肩越しに見て棚の上に揃えた本を置くと、レバイアに飛び込んだ。
ポムはその日は全て麻薬をトイレに消してしまったために、トイレに顔を突っ込んで四肢が火星人かの様にだらんと垂れ下がっていた。
ドアがノックされ、見回り警備員のルパがヘルの部屋に呼びかけた。
「ミミズ飼う時の土ってどうするんだ? お前。なあ。いるんだろ!」
葉蟻を育てたがっているルパがそう言っている。
ギギギ ガチャッ
あの鍵開け師のルパが鍵を外側から開けてしまい、工具が驚きの余りにガタンと落ちた。黒のイージーパンツと黒Tシャツの見張り警備員の肩越しの目が合って、その彼はルパを見た。
ヘルはバタンとドアを閉めた。足許には工具が転がったままだった。
レバイアは髪を掻き上げ溜息をつき、目許を抑えた。
ヘルは肩越しに彼を見ると、慌てて走って行き自室へ飛び込もうとしたルパの首根っこを掴んで廊下端へつれて行って胸倉を掴みグラグラ揺らしながら言った。
「俺は土は所長と副所長に任せる。どの地質がミミズいっぱい出来るかまだ分からないからな」
「そ、そうだよな俺もそうする、お前を参考にするよ……」
ヘルは目が恐くて微かに大人の香水の香りがした。あの見張り警備員のプライベートでの物らしかった。
「お、おい、お前、あの機械で出来た恐ろしいドーベルマンと、何で一体何が起きてそんな、お前の部屋にいて、この三階にいて、それで」
まさか言うわけには行かなかった。元彼であり、彼がゲイである事など言えば血祭りに挙げられるだろう。見回り警備員達は一切見張り警備員達の命令声すらまともには知らない。部屋着姿すら知らないのだから。
「きっと彼は酷く恐ろしい程に疲労困憊して疲れていて幻覚まで見るのではないかという勢いで勤務に当ったんだろう。それで何かの自己の寮部屋や階や自己の彼女とどういった具合かの夢見心地の中で彷徨ううちに間違えて、これで分かっただろう。見張り警備員達は日々緊迫の中にいる」
ドゴオオン
すかさず四階にある見張り警備員寮の部屋がある天井を見た。
絶対にあの特別監房の魔神だ。
二人は固唾を飲んでから、戻って行った。
「いいか。彼の威信に関る事だ。言うな。どうなるか分かってるだろう。だが言わないのは俺達には未来があるからだ。いいな」
「わ、分かった」
ヘルは肩越しにルパを見ながら部屋に入って行った。ルパはガタガタガタと音が轟く天井を見上げ、口を引きつらせては自室へ戻って行った。
所長も副所長もこの事を知らないのだ。何か生物を飼えば、きっと逞しくはなるのだろうが……。
ヘルが部屋に戻ると、レバイアが壁から落ちたダーツの的を棚に置いた時だった。
「特別監房の人ですよねきっと」
「またな。何かあったのかもな」
普段ヘルはしっかり者だが、レバイアがたまに微笑むぐらいの割合で、ヘルも駄々こねて来ていた。始めは可愛かったが、それも多くなり始めると嫌になって来ていた。
ヘルはレバイアの胸部にしがみつきソファーに倒し、ずっとしがみつき続けた。矢がばらばらと彼の頭上に落ち、金に光って鋭い彼の目許を装飾する。胴にヘルを乗せたまま、髪を掻き上げ目を閉じた。