閑話 あらあら、4月29日ですって
少し長いです。
話に関わりが無いので飛ばして読まれても大丈夫です。
後に登場するキャラクターがいるので、時間がある時にでも読んでみて下さい。
「ナナ様、お忙しいところ申し訳ありませんが。前の世界での出来事などを詳しく教えていただけませんか?」
「え?なんでそんなことを聞くのセジル」
「それは……後世のため……とでも言いますか。記録的意味あいが強いです。お話が嫌なら話さなくてもいいです。ただ、産まれた西暦と亡くなられた西暦を教えてください」
「別に話しても平気よ。記録的意味あいねぇ。ちなみに聞くけれど、記録するほどたくさん異世界人って居るの?」
「はい。スアノースが建国した時には、すでに異世界人がいたそうす。その時に自分と同じ人が居ることを想定して記録を残したのが始まりだと聞いています」
「へぇ~、そうなんだ。隠すことなど何も無いから、すべて話すわよ。でも……長いわよ」
「「大丈夫です。聞かせてください!」」
「何でハンナまでいるの?まぁ~いいんだけどね」
学園に入園する前のほんのひと時。
ロクとハチのブラッシングでもしながら木陰で息抜きをしていたの。
そこに大きなお腹を抱えたセジルが、私を訪ねに来たのね。
心配したハンナをお供に。
その木陰で話しても良かったのだけれど、もしもの事があると大惨事になるでしょう。
だから、お父様の執務室をお借りして話すことにしたわ。
どうして、私はお父様の膝の上にいるのかしら?
まぁ、幸せそうなお父様のお顔に免じてスルーしましょうね。
「何をどんなふうに話したらいいのかしら?西暦の言葉があるのなら、年号は知っているのかしら?」
「はい、大丈夫です。日本でしたら、飛鳥時代から平成の時代まで明記してあります」
「そうなのね。分からない単語があったらその都度、聞いてね。
では、私が産まれたのは1926年7月7日なの。名前の通りね。その年の12月に、大正から昭和へと年号が変わったわ。この意味、分かるかしら?」
「はい、天皇が亡くなることで年号が変わるのですよね」
「そうね……そうなんだけれど……。本質的な意味を理解してないわね」
「え?」
「天皇陛下は国政、外交、神聖な儀式など日本国にとって、神にも等しい御方なの。その神が亡くなるということは時代が終わる事を意味しているのね。時代が終わるから年号も変わるの。理解できたかしら?」
「天皇という方は、それ程に偉大で重要な人物なのですね。初めて知りました」
「うん、まぁ〜ね。さて、日本の歴史を語る上で分岐点となる年号があるとすれば、私は昭和だと思っているわ。昭和は、激動の時代と言われているのよ。そして、私にとっても激動だったわね」
ここで話を区切ってお茶を一口啜ったわ。
これからなのよね。
難しく、辛い話は。
「私が産まれる前にお兄さんが3人、お姉さん3人すでに居たのね。7番目でナナ。うふふ、コレは前の世界でも、今の世界でも同じなのよ。……戦争って意味を知っているかしら?」
「戦争ですかぁ。戦いの事ですよね」
「う~ん。まぁ~戦いと言えばそうなのだけれど、違うモノなのよ。兵士と兵士が戦うなら、国同士が戦略的に戦う事が戦争。国同士が分からないわね……」
悩んでいるとお父様が助け舟を出してくれたわ。
「おそらくだが。各貴族がナナの言うところの国だとする。その貴族が自分の領地を広げる為に戦いを仕掛ける、この行為を戦争と言うのではないかなぁ。
もちろんスアノースでは、そんな事は起こせないし、起こさない。国王や各貴族の当主が押さえ込んでいるからね。そんな事よりも魔獣の方が大問題だから、国王や当主に楯突く暇など無いよ」
「共通の敵がいるので貴族同士の戦いは無いのですね。
戦争はね……主に国同士で行われる事なの。軍事力を用い、敵対勢力に対して組織的に行われる軍事活動や戦闘行為。また、それによって引き起こされる対立状態のことを言うのよ。心情的に理解するならば“一人殺せば殺人者で百人殺せば英雄となる”かしらね。平和な時には犯罪者となる行為でも、戦争時には英雄となるのよ。コレが戦争なの、悲しいわ。一人殺そうと百人殺そうと、命の重さは変わらないのにね。
話が逸れちゃったわ。戦争は理解してくれたかしら?」
セジルもハンナも頷いてくれたので、話を本題に移行した。
「1番上の兄は鐡家を継ぐために残されて、2番目と3番目の兄は兵隊さんに。1番上の姉はお嫁に行って、2番目の姉は10歳の時に奉公先へと行ったわ。あ!奉公が分からないわね。奉公とは、他人の家に雇われて家事をしたり、家業に従事すること。私が生まれた時には、兄2人と姉2人はいなかったわね。
1941年、昭和16年に太平洋戦争が起こった……んだけれど畑仕事をしていてよくは知らないわ。ただこの後に私達、家族は満州へ行ったの。満州はおそらく中国と記載されてないかしら?」
「はい。その通りです」
「当時の満州は日本が占領していたの。新しい仕事を求めて、2番目の兄を頼ったのよ。この時、すぐ上の姉が嫁いだわ。私か姉か、どちらかを嫁にとの話で姉が選ばれたのよ。一緒に行きたかったけれど、家にはそんな余裕は無くて……口減らしよね。
新天地へと旅立ったわ。初めは上手く行っていたの。好景気で満州の人達も優しくて、住心地の良い町だったわ。でもね……でも……戦争は生き物なのよ。私達の知らない所で、加速度的に物事は進んでいたの。
日本は戦争に負けたのよ。ここで幸運なことがあったの。兄の部下と名乗った人がね“すぐに日本へ帰れ”と教えてくれたの。私達は満州を離れるべく動いたわ……遅かったんだけどね。
町には暴徒と化した満州の人達が暴れ回り、日本人だと知れると襲われ奪われ殺されたわ。やられたらやり返す精神の賜物だったと思う。さらに、女だとバレると嬲りものにされるから、髪を短く切り胸にはさらしを巻いて、ダボダボの服を着て顔を泥で汚して、日本に向けて出発したの。その時、弟が1人と妹が2人いたのね。全員で男3人、女4人。財産の全てを匿ってくれた人に上げて、行く先々で賄賂を渡し、日本行きの船に乗るべく港を目指して汽車に飛び乗ったわ。その先々で検閲が行われ、日本人を、兵士を、その関係者を満州の兵士が探し回っていたわ。生きた心地がしなかったわね。食べる事も寝る事も動く事さえも出来なかった。狭く息苦しい汽車の中。せめてもの救いは弟と妹達がとても静かに寝ていてくれた事。とても長い時間をかけて移動したわ。でも実際には5日間だったんだけどね。でもね……日本行きの船に乗れた時も同じ環境だったのよ。私の頭の中には生きて日本に帰る事しかなかったわ。隣で人が死のうとも……帰りたかったわ。ようやく日本の佐賀県と長崎県の境にある佐世保港へ到着した時、心の底からホッとした。そこから、親戚を頼って東京を目指したの。
私はね……私達はね。この時に、あぁ~日本は負けたんだ!アメリカに占領されるんだ!と理解したわ。
焼け野原と成り果てた町。焼けただれたビル。人も町も死んだと錯覚したほどの光景だったわね。1ヵ月ぐらいかけて東京へ着いたわ。
親戚も子だくさんで明るく楽しい家族だったの。それが見るも無残な姿へと変わっていた。仲の良かったさよちゃんも、私を可愛がってくれたお兄さんも……みんな死んでしまっていたわ。沢山の遺骨を抱えたおばさんと呆けてしまっているおじさんの2人だけ。さらに…………」
言葉を詰まらせてしまった。
そんな私を、お父様は優しく抱きしめてくれたわ。
大丈夫、私は大丈夫!
言い聞かせて続きを話し始めたの。
「ありがとうございます。お父様。
私達一家は東京で生きていくだけの、基盤を築く事が出来なかったの。……日本が負けて戦争は終わったわ。でもね!私達の戦争はこれからだったのよ!どこもかしこも生きる事で手一杯。今日食べる食べ物が無いのよ。よそ者の私達など、眼中に無かった。身ぐるみ剥がされて、路頭に迷うしか道が無いほどに追い詰められていたわ。
東京を離れて、米軍基地が近くにある場所へと仕事を求めて移動したの。父も母も体調を崩して入退院を繰り返していたし、兄は酒に溺れてくだを巻くしかしないし、弟も妹達もまだ小さいし……21歳の小娘に出来る仕事は……1つしか……無かったの。パンパンとか街婦とか……端的に言いましょうね。娼婦よ。米兵相手に身体を売っていたの。手っ取り早く、小娘がお金を稼ぐにはそこしか無かったのよ。
そして1947年、昭和22年の5月ごろ、米兵との間に子供を授かったわ。私は幸せになれると、アメリカに連れて行ってくれると、この閉鎖された環境から解放されると……夢見ていたわ。6月に葉書1枚で現実に引き戻された。
よくある話しよね……よくあった話しよ。この子を抱えて、弟、妹、両親、飲んだくれの兄……無理だと理解した。私に残された道は堕胎しか無かったの。
1950年、昭和25年ごろから戦争特需で、景気も良くなり働き手が必要になって、私にも真っ当な働き口があったわ」
「ナナ様。戦争特需とは何でしょう?」
「あ!セジルごめんなさい。知らないわよね。
戦争特需はね。この世界では魔術やスキルで戦うでしょう。前の世界ではそんなモノ無いからね。飛び道具とか大爆発を引き起こす道具とかで戦争をしていたの。その道具を作る工場やら兵士の食料品やらを日本が作り売っていたのよ。戦争などが要因で経済が増大した需要の事を言うのよ」
「皮肉ですね。戦争で苦しめられて、戦争で儲ける。私には理解に苦しみます」
「ハンナ……貴方の言う通り。私も理解できないわ。でもね、助かったのは事実よ。なんの学歴も無い私が働けたんだもの。ありがたい特需さまさまよ。
働き始めた初日は掃除だったの。その時、見つけた古新聞に目を奪われたわ。1946年から1948年にかけて行われていた東京裁判の記事だったの。その横に一枚の写真が私を捉えて離さなかった。そこには天皇陛下とアメリカの偉そうな兵士さんが写っていたわ。初めて見る陛下の姿に、戦争の終わりを告げているように思えたわ」
「ナナ様。東京裁判とはなんですか?東京は日本の首都名で、裁判とは犯罪者を裁く事ですよね」
「セジル。東京裁判は通称名で正式名書は……極東……国際……軍事……裁判?要はね戦争を起こして、継続させた人達を裁く裁判をしたのよ。連合軍が裁判官となって開いたようね。連合軍は、まぁ~寄ってたかって日本をどうする?と話し合っていた国々のことね」
「でしたら天皇陛下も裁判にかけられたのですか?」
「確かにその時の最高責任者だった天皇陛下も裁判にかけられるべき……と唱えた国もいたようだけれど、反対する国もいたようで最終的には裁判にかけられなかったわ。そのとき陛下が“私が退位する事で全責任をとる事で矛を収めてくれないか”と言ったとか言わなかったとか記事に出ていた事を思い出したわ。要は、政治から切り離して日本の象徴として残した。そんな感じかしらね。……どこまで話したかしら?」
冷めてしまったお茶を一口啜ったわ。
「ナナ様が1950年頃から働き出した辺りです」
「セジル、ありがとう。
そうそう、働き出したの。規則正しく働くって楽しいわよ。更にね、うふふ……私、恋をしたのよ。お向かいの精密部品を作っていた主に……うふふ、恋をしたのよ。
両親はすでに他界していたし、兄も泥酔による事故で亡くなっていたし、弟も妹達も独り立ちして社会人になっていたし、気楽な独り身になっていたのね。毎日が楽しかったわ。あれよあれよとお付き合いをして1953年、昭和28年、私28歳……結婚出来たのよ!この当時にしてはとても遅い結婚だったけれど嬉しかったわ。この時に鐡の苗字になったのよ。ちなみに旧姓は銕で漢字が違うだけなの。話すきっかけになったのよ。
2年後、私が30歳のとき娘が産まれたの。名前は和子。この子が育った未来も平和でありますように、との思いで主人が付けた名前よ。
次に思い出深いのは、1964年、昭和39年に行われた東京オリンピックよね。公平なスポーツと言う土俵で闘う姿に心が踊ったわ。誰かが死ぬわけでも、戦争責任を問われる事もない。平和の象徴のような光景に、訳もなく涙したのを今更ながらに恥じ入るばかりだわ。
そして、驚いたのが娘の行動力よ。17歳の夏に、宝飾の研磨技術を学ぶ為にドイツへ留学してしまったの。他国よ!言葉も喋れないのに飛び込むなんて。娘の勇気には感服したわよね。
この年、戦争の1番の被害地域だった沖縄が日本に帰ってきたの。1972年、昭和47年ね。日本でありながら他国だった沖縄が帰って来たことで、戦争が過去になった気がしたわ。
お父さんの部品工場も順調に売上を伸ばしていたし、娘も元気で学んでいたし、平和な世の中になったものよね。そんな時、またまた娘がとんでもない事をしたの!1975年、昭和50年。なんと!仕事仲間だったドイツ人と結婚して日本に帰ってきたの!!
突然、結婚したのも驚いたし、連れて来た人がドイツとフランスのハーフって……と思ったけれど。娘が幸せそうだしお相手のポールは良い人で、娘ばかりか私達にも紳士的で優しさに溢れた好人物だったの。反対する理由も隙間も無かったわね。
工場を半分にして、娘夫婦の加工場をオープンさせたのよ。同居までしてくれたからね。
翌年……1976年、昭和51年……和子21歳の時に長男、竜一を授かり産まれたわ。可愛い子でね。私の事をナナばあちゃん、ナナばあちゃんと懐いてくれてね。私の側を離れなかったんだよ。…………」
「ナナ様?」
ハンナが不安そうに私を覗きこんだわ。
お父様もハンカチをそっと差し出したの。
私は受け取って、いつの間にか流れていた涙を拭ったわ。
私、泣いていたのね。
「ごめんなさい、大丈夫よ。1984年、昭和59年、暑い夏の日だったわ。……竜坊の初めての夏休みでね。娘夫婦と私でピクニックに出かけたの。お父さんはお留守ね。
竜坊が大張り切りで遊び道具もたくさん用意して、和子と二人でお弁当をたくさん作って、出かけたの。小川も流れていて、ちょっとした広場にたくさんの子供連れの家族がいたわ。ただ前日の雨で小川が増水していたので、見晴らしのいい高台に陣取ったの。お昼もお腹いっぱい食べて、たくさん遊んだ昼下がり、そろそろ帰ろうかと話をしていた時だったわ。
あの馬鹿どもが……暴走する馬鹿は何時の時代にもいるものよね。その馬鹿が、車をハコ乗りで乗り入れて暴れまわったんだよ。その暴走に竜坊が巻き込まれ、跳ねられ、その勢いのまま増水した川の中に落ちた。流されて行く竜坊をただ見ている事しか出来なかったよ。竜坊を跳ねた車は逃走したわ。そんな事はどうでもよかった……竜坊が……」
お父様から借りたハンカチを握り締め、涙が止めどなく流れたわ。
蓋をしていた感情が、話す事で開いてしまったのね。
5分ほど泣いて顔を上げたわ。
「お父様、ハンナ、セジル。ごめんなさいね。どうしても、この話をすると感情を抑える事が出来ないのよ。私にとって初孫だったし、可愛くて懐いていて……大切な家族だったの。ごめんなさい。もう……もう、大丈夫よ。
竜坊を跳ねた車はすぐに見つかり逮捕されたわ。その時点で竜坊の捜索は打ち切り。車に大量の血痕が着いていたの。生きてはいないと判断されたわ。
私達、家族は泣き疲れ、生きていけないほどの悲しみに溺れていた。娘夫婦は仕事を辞めて家に閉じ込まるようになっていたの。何とかしなければいけないと思って4年後の、1988年、昭和63年にレストランを開く事を提案したの。娘婿のポールさんも、娘も私も料理は得意だったからね。名前を『ドラゴンキッチン』と名付けて夏にオープンしたわ。
気持ちが前向きになった証拠かしらね。翌年、娘が双子を産んでくれたわ。年の初めに天皇陛下が亡くなられて、昭和から平成に年号が変わったの。1989年、昭和64年は7日で終わり、平成元年ね。
男の子と女の子の双子。セジル。私が見抜いたのはね、見た経験が合ったからよ。今の貴方みたいに、お腹がパンパンなのよね。心音が2つで暴れるのも2倍。大変だけれど幸せなのよね。娘も私も幸せだったわ。元気な赤ちゃんを産んでね」
「はい」
しっかりと手を握って、元気を分けてあげたわ。
「今、貴方に元気パワーを送ったわ!コレで大丈夫ね……うふふ。
2年後の1991年、平成3年に1ヵ月も店をお休みしてヨーロッパ各地を旅行して廻ったの。そもそも話。孫をポールのご両親に見せる為の旅行だったのね。動き回る赤ちゃん2人を、大人2人で面倒を見るのは大変だから私達も一緒に行くことにした……と言うのが建前で。お父さんと旅行に行きたかっただけなの。
じつはお父さん、旅行好きで行きたい、行きたいと計画だけは壮大に立てていたのね。それが現実になって、嬉しそうだったわ。
その時見たフランスのモンサンミッシェルは見事だったわね。薄暗い明け方に気球で空を飛ぶの。蒼白い空に黒いシルエットが浮かび。日が昇り始めると、色が生まれるが如く配色されるの。本当に綺麗だった。
ポールのご両親ともすっかり仲良くなって、また遊びに来ることを約束して帰路に着いたわ。その後も豪華列車で行く九州の旅とか、色んな所に旅行をしたの。楽しかったわ。時には2人だけで、または家族みんなで、本当に幸せだったの。
でもね……2000年、平成12年の寒くなる直前だったわ。お父さんが85歳で天国に旅立ってしまったの。寂しかった。落ち込んだ私を、娘家族が側で励ましてくれたの。寂しさも消し飛んだわ。
そして、この孫娘メイもぶっ飛んでいたわね。
2006年、平成18年の桜が咲き始める3月頃……お腹が大きくなり……できちゃった結婚をしてしまったの!お相手は同級生の大野陸くん。さらに、さらに、驚いたのが。6月頃に女の子を産んでから、家族3人で宝飾の研磨技術を学ぶ為にドイツに留学してしまったの。凄いでしょう!
どうも両親の作った指輪やアクセサリーを見て育ったようで、自分はこの道だと感じたんでしょう。陸くんまで巻き込んで、可哀想なことをしたわね。2年で帰って来るから!と言い残して行ったわ。その言葉通りに、帰ってきた時には大笑いしたけどね。
もう1人の孫の竜也は、料理の専門学校に進みドラゴンキッチンを継いでくれたわ。この子はメイとは違い、冷静に、着実に、一歩一歩進む強さを持った子に育ってくれたの。
2013年、平成25年に店の手伝いをしていた喜入野乃花ちゃんとお付き合いを初めて、あっという間にできちゃった結婚をしてしまったの。そこいらへんは双子よね。
竜也25歳で野乃花ちゃんは22歳。可愛いお嫁さんだったわ。
ここまで来ると大きい出来事は無いわね……あ!あったわ!オリンピックよ!
2020年、平成32年に東京でもう1度オリンピックを見ることが出来たの。若い人たちの汗と涙に感動したわ。私もまだまだ行けるわ!そう思ってしまうほどにね。私94歳だったんだけどね。朝昼晩と3食頂いて、玄孫の面倒を一手に引き受けて、楽しく幸せに暮らせたわ。
ところがね2024年、平成36年あたりから入退院を繰り返すようになって。2026年、平成38年7月10日に天国へと旅だったわ。ギリギリ100歳ね。
セジル、物凄く長かったでしょう。こんな感じでいいかしら?」
「ちょっと待ってください………はい、大丈夫です。確かに長かったですけれど、楽しかったです」
「そう、だったら良かったわ。あれ?そう言えば、今日は何日かしら?」
「今日ですか?今日は……4月29日です」
「あら!天皇誕生日じゃないの!違ったわ……みどりの日よ……これも違うわ……そう!昭和の日よ!
昭和天皇の誕生日。この日は祝日にして国民みんなでお祝いしましょう。そんな日なの。懐かしいわね。この世界にも天皇誕生日のような祝日はあるの?」
「祝日ではありませんが、誕生祭をいたします。みんなで祝うのではなく、国王様に新しいスキルや魔術を披露したり、新しい料理や食材をお召し上り頂ます。中でも盛り上がるのが闘技大会です。一般兵士部門と勇者・異世界人部門とに別れて試合を致します。優勝者には国王様から直接の賛辞を受け賜わります。名誉なことです」
ハンナが自慢気に説明してくれたわ。
おそらく……よね。
「優勝したことあるの?」
「はい。恥ずかしながら優勝いたしました」
「ハンナって、そんなに強かったのね」
「いいえ、たいしたことありませんわ。私の時は不作の年と言われていたもので……優勝したとしても、上の下ぐらいの力しかありません。ガロス様の年は、稀に見るほどの激戦だったと聞いております。優勝したのはガロス様で……うふふ、ナナ様。伝説に残るラブロマンスです」
「え!何?なに?な〜に!?」
「待て!その話は……やめてくれ!!」
お父様が身悶えしてバタバタと出て行って仕舞われたの。
膝の上に乗っていた私は、テーブルに鎮座しているわ。
何があったのかしら?
今度、聞き出してやるわ!
「行ってしまいましたね。今度じっくりお聞きしますわ。さて、セジル。すっかり遅くなったからハンナに送ってもらったね」
「本当に……暗くなっていましたね。でも楽しかったのであっという間でした。ちなみにガロス様とソノア様のラブロマンスは有名なお話ですよ。うふふ、羨ましいぐらい素敵なお話です。それではナナ様。清書したものを送りますので、間違いがないかを確認してください。本日は本当にありがとうございました。それではおやすみなさいませ」
「セジルも、ありがとうね。私も楽しかったわ。おやすみなさい。ハンナよろしくね」
「はい。それでは行ってまいります。もうお外に出てはダメですよ。晩御飯も残さず食べて下さいね」
「分かっているわよ。早く行きなさい!」
ハンナはセジルを送って行くために出て行ったわ。
私はハチの背に乗って、食堂へと移動している途中ね。
それにしても、私はダメね。
竜坊の事を思い出すとまた涙が出るだなんて。
転生してしまってルジーゼ・ロタ・ナナとして生きているのに……泣いてはダメね。
それはそうと、闘技大会ねぇ。
ハチとロクも出場したいとか、言い出すのかしら?
おそらく……よね。
はぁ~大事にならない事を祈るばかりだわ。
昭和の日にちなんでナナちゃんの昔話をお送りしました。
かなりの長文に、100年の歴史は長くなるよ!と思いながら書いた次第。
年代に合わせるのに苦労しました。
ちなみに、後に登場するキャラですが……あの人です。
敵ではありませんが、物語の重要人物になる予定です。
お楽しみに……随分後ですが……お楽しみに!!




