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〈六〉 護衛


 少年が消えて行った列車の入口をしばらくの間呆けて見つめていたけれど、汽笛の音で我に返った。あともう少しで出発するという合図だろう。これで乗り逃したら、いくらある程度の情を築いたといえどわたしだってウィルにどうにかされることを覚悟しなければならない。

 気がついたら、わたしの腰につけていた荷物の紐が切れていた。幸いにも先ほど水泡から落とされたときに切れたらしく、そう散らばってはいない。全てを拾い上げウィルを振り返る。既に荷物と結んでいたベルトを解いていたけれど、ウィルは依然として絨毯に腰を下ろしたままだ。

 すぐにピン、とくる。


「立ち上がれないの?」

「………………」

「肩、貸して。先に乗るだけ乗ろう。あとで荷物はわたしが」

「いいよ。ヘーキ」

「でも」

「大丈夫だって」


 ひとのことは気遣うくせに、と思ったものの口には出さない。まだ出会って数時間しか経っていないけれど、ウィルの性格はだんだん分かるようになってきた。頭の回転は速いけれど、わりと意固地になるところがある。頑固者だ。

 どう説き伏せようか考えていると、ウィルの背後から手が差し込まれ、ウィルが勢いよく立ち上がる。


「うわっ!?!」


 見ると、先ほど少年の周りにいたスーツ姿のひとりが、ウィルの身体を持ち上げていた。その身なりの良さからそこそこ歳のいった男性だと思っていたけれど、よくよく見ると高い身長はまだ肩幅が足りず成長過程のようで、緩んだ唇や、琥珀色の瞳、優しい目許など、表情にはあどけなさが残る。青年と少年の狭間にいるような男だ。短い黒髪は小奇麗な装いに反してとっちらかっていた。ウィルみたいだ。

 一度絨毯の上に立たせた上でまだ足がふらつくことを見て取ると、そのまま麦の入った袋を抱えるように肩に担ぎ、もう片方の腕にウィルの荷物を拾い上げて車内へと足を進める。

 さっさと向かってしまうので、すぐにわたしの視界に映るのは、彼らの背中だけになった。それで知ったことはふたつ。ひとつは、短髪だと思っていた黒髪は実は腰ほどまでの長さがあり、後ろで細く束ねられているということ。もうひとつは、ウィルが今にも殴りかねない勢いで顔を真っ赤にしているということだ。ご立腹である。


「なにすんだよおっさん!」

「えええ? 俺、そんなに歳いってるように見えるかなぁ。それに、歩けないキミを運んであげてるんだし、感謝してもらってもいいと思うんだけど」

「オレはべつにっ」

「歩ける、って言いたいの? ホントにジェレミーの言う通り、人間ってのは嘘しか吐かないねぇ」

「…………お前」

「女の子に頼るのはプライドが許さないんだと思ってたけど、違う? だったら取捨選択はそう難しくないよね」


 ウィルが大人しく黙り込む。身体に入っていた力が抜けたのでウィルの表情は見えないままだけれど、恐らくは不本意だろう。ウィルには申し訳ないながら、わたしにとっては幸いだった。運ぶとは申し出たものの、ウィルとわたしの体格差を思うと、コンパートメントまで運び入れるのにはだいぶ時間を要したはずだ。そのあとに荷物を運び入れる作業もあったことを思うと、無事に乗車できていたかも怪しい。

 わたしは自分の荷物と、サールビーからここまでの道を共にした絨毯を抱えてあとを追った。絨毯は濡れていたけれど、わたしの身体も同じなのだからこの際構わない。

 空いたコンパートメントを探すつもりでいたものの、彼はわたしたちに行先を問うこともなく、ずんずんと足を進めていってしまった。後を追いながら、わたしは問いかける。


「あなた、さっきの男の子と一緒にいたひとでしょう。どうして……」

「助けてくれるのか、って? そもそもキミたちが本気でジェレミーを狙ってたとは俺も、あの場にいたみんな――恐らくはジェレミー自身も思っていないよ。ジェレミーと同年代で、マーリンフリード行きの列車に乗るつもりでいたところを見ればザカライア行きは大体予想がつくし、遠目からでもキミの魔力はビシバシ感じたよ」

「じゃあどうして止めなかったの?」

「ううん、万が一ってこともあるからさぁ。それに、ジェレミーは無闇に危害を加えるような人物でもないから安心して見てられたっていうのもあるし……あとは単に、キミたちがなんで空からココに向かってきたのか気になったってのも。キミたちを危険だとは思わなかったけど、そこが不明だからオレも判断に迷ったんだ。ジェレミーもそうさ」

「……ジェレミーってのはあいつの名前か?」

「あ。そうだ。うっかり言っちゃった。俺がバラしちゃったのは内緒にしといて」

「いいけど……あなたは誰なの?」

「それに、あいつとどういう関係なんだ?」


 顔は見えないながら、ふっ、と笑う音がして空気が震えた。僅かに身体を反転させて、わたしを横目でちらりと振り返る。


「俺はマシュー。マシュー・ルメートル。キミたちと同じくザカライアの新入生。それでもって、ジェレミーの護衛も兼ねてる」

「ザっ、しっ、……えっ?! 同い年!?」


 担ぎ上げられたウィルがわずかに身体を捻りながら言った。


「そうだよ。なのにおっさんとか酷いよなぁ。たしかにタッパあるから結構年上に見られるけどさ、キミは俺をいくつだと思ってたわけ?」

「にじゅ、…………、……十八ぐらい?」

「ははっ、二十代に見られたのははじめてだ。それで、ええと……キミはロゼッタだよね」

「ええ。ロゼッタ・アリソンよ。よろしくルメー……」

「マシューでいいよ。それで、キミは?」


 持ち直すかのように肩に乗せたウィルの身体を揺らしてマシューが尋ねると、ウィルは呻き声を上げてから答える。


「ウィルフレッド・ナイトリー。オレもウィルでいい。ところで護衛って、その歳でやってるのかよ? マジで?」

「ああ。俺んち、代々ジェレミーの家に仕えてるんだ。それにザカライアには学生以外原則入れないだろ。だからいつもは従兄とかと一緒に護衛してるんだけど、今回は俺ひとり」

「そうなんだ」

「っつーかあいつは何者なんだよ……」


 そうウィルが零すと同時に、マシューは目的のコンパートメントを見つけたらしい。立ち止まり、荷物を置いてからウィルをそうっと地に下ろす。まだすこしふらつくらしいウィルは、コンパートメントの入口扉に背を預けるようにして身体を立たせた。

 担ぎ上げられたときの表情を見ているので、ウィルが素直に礼を述べたのは意外だった。もっとも、ウィルの性格はもとより、マシューがずいぶんと人懐っこいこともあるのだろう。出会ったときのウィルの人懐っこさがスイッチで点灯・消灯を切り替えるようなものだとすれば、マシューは常に点灯しているようなものだ。


 もっとも、それでも護衛を任されるほどなのである。

 腹に一物もない、というわけではないらしい。


 下ろしていたウィルの荷物を再び片手にしっかり収めると、もう片方の手でコンパートメントの中を指差しながら、マシューは言った。



「まあそれは、直接尋ねるのが早いと思うよ」

「は?」



 ぽかんと間抜けに口を開いたウィルの頭越しに、わたしは一足先に見つけてしまった。

 ウィルの髪が濡らした硝子の向こう側で、窓から差し込む風に弄ばれている――――プラチナブロンドを。




 扉に立ちはだかるような形のウィルの退かすため、彼の肩を抱いたマシューは、それでいてもうひとつ、その行動に意味を持たせていたらしい。

 すなわち、「おまたせー」と声を上げるマシューに釣られてコンパートメント内を振り返ったウィルが、そこにいる人物の姿を見て、向かうか/逃げるかの二択を選ばないように、だ。

 現にウィルは、


「―――!!! おっ、おまっ………」


 などと驚いた声を上げた。もちろん、すぐに誰が連れてきたのだと思い至れば、肩を抱くマシューをひどく睨みつけた。

 もっとも、マシューを見つめていたのはウィルだけではない。プラチナブロンドの持ち主である――マシューの明かした名で呼ぶとすれば、ジェレミーが、真夜中のような瞳でこちらを見据えていた。

 わたしに見られていることに気がついたのか、ジェレミーはすぐに目を伏せ、すぐに外の景色へと視線を移した。まるで景色の方が興味深いとでも言いたげに、こちらへの興味など欠片も見せない。


「またお節介か、マシュー」

「それもある。お前、傘まで向けといて謝らずに行っちゃうからさぁ」

「? なぜ僕が謝る必要がある」

「ああほらそういうとこ! そういうとこだからね父さんたちに心配されてたの! これから最低でも三年間は同じ学び舎の下で色んな生徒と共にしなきゃいけないんだから、もうちょっとキョウチョウセイとか……」

「慣れない単語を使うと馬鹿に見えるぞ」

「――~~っオレのことを無視して二人で話進めてんじゃね――――ッッ!!」

「あ。忘れてた。ごめんごめん」


 ウィルの肩を依然として抱えたままだったマシューは、それでもなお腕を離そうとはしない。すっかりコンパートメントに入り込み荷物も運び入れた上で、さらには躊躇ったわたしを内部へと誘い、扉を閉めたところで――ようやくウィルを解放した。

 一目散に扉へと向かうかも、と一瞬思ったものの、ウィルもウィルで一言言わずしてこの場を去ることはプライドが許さないのだろう。


「なんなんだよ! なんでこんなとこにっ」

「あれ? ダメだった? 特急が出るまでもうすこししかないし、この特急はマーリンフリード行きだ。一般車両のコンパートメントはどこも混んでる。キミたちが廊下で立ちぼうけにならないように、俺たちのとこに来たらどうかなって思ったんだけど」

「ハッ、さっき傘向けてきたやつと? 冗談だろ! 今からだって別のコンパートメントを探してやる!」

「でも、いいの? キミたち、結構びしょ濡れだけど?」

「…………」


 そうなのだ。わたしもそれは、どうにかしなければと思っていた。

 スコールにでも遭ってしまったかのように、わたしも、ウィルも、頭からつま先までびしょ濡れになっていた。一瞬であったとはいえ、比喩表現でなくまさしく頭から水を被ってしまったのだから当然だ。おまけに、濡れたままの服を身に着けているせいで、肌着さえじんわりと纏わりついているのを感じる。荷物は見たところ表面だけが濡れているように思えるけれど、これも確認してみないとわからない。書物の類が濡れていたら、という可能性はできるだけ考えないようにしたかった。わたしも、ウィルも、時刻表や地図に加えて、娯楽本の類も数冊持ってきていたからだ。けれどたとえ服が乾いても、絨毯はそうすぐには乾かないだろう。

 これらをどうにかしない限り、コンパートメントには落ち着けそうもない。不幸なことに、向かい合った座席はマホガニーブラウンの壁と同色の生地で覆われていて、ジェレミーの身体の沈み具合からいっても上等なものだ。先ほどのマシューの口振りから察するに、ここは一般車両ではないのだろう。


 わたしとウィルが気まずそうに黙りこくると、ふっ、とため息を吐くような音が聞こえた。

 やや俯いていた視線を彷徨わせると、ジェレミーの声が聞こえた。しょうがないな、とでも言いたげな響きだった。



「リリシィ」



 聞こえたのは、その単語ひとつきり。

 名前だろうか。でも、そうだとしたら―――――――何の?




 不意に、視界の端で何かが揺らめいた。

 光があちらこちらでチカチカと動く。それは魔灯の多くがもつ白に近い光でもなければ、蝋燭の上に揺らめく灯火のように赤くもない。その光を追いかけようと目を動かしても、そこにある光の名残しかわたしには捉えられない。淡い水色や紫、翡翠色に変化しているように見えるけれど、一瞬で残映は消えてしまう。どことなく、太陽の反射で色を変える水面のようだと思った。


 見慣れぬ光に意識を傾けているうちに、ほどなくしてわたしはある異変に気がついた。



 服から、どんどん水分が抜けているのだ。



 太陽や風の力で乾かしているような感覚ではない。現に、わたしたちの身体の周りを風が吹いている気配はなく、どちらかといえば衣服や髪についた水のしずくを、そのまま抜き取っているかのような、そんな不思議な感覚だった。わずかに身体さえも浮き上がってしまいそうな。

 若干の浮遊感にウィルの力を疑ってもみたけれど、当のウィル本人も不思議そうな顔をしている。腕を持ち上げて背中などを確認しているウィルの袖を見ると、先ほどまでぺったり肌にくっついていたのが嘘のようにゆらゆら揺れる。わたしも、自分が身に着けているスカートを触ってみた。濡れている場所はもう、ない。


「ジェレミー、俺も俺も」

「はあ?」

「ウィルを担いできたからちょっと濡れちったんだ」

「それぐらい自然風で乾くだろ。放っておけよ」

「ゴホッ、ゴホッ。ゴホッ、ゴホッ。ああっ、ちょっと熱っぽいかも。風邪引いたらジェレミーの護衛ができないなぁ……」

「……………お前は無駄が多い」


 はあ、と再び、今度は大袈裟すぎるほどのため息を零して、ジェレミーはわずかに顔を傾けた。まるで首を傾げるかのように。


「ほら、よく見てて」


 そうわたしたちにマシューが囁き、わたしとウィルは服の観察から、そっとジェレミーに焦点を合わせる。

 よくよく見つめてみると、ジェレミーが首を傾げている肩のあたりに、ちいさなちいさな光があった。ゆらゆらと変化する色合いは先ほど追いかけた残映と同じで、表情のようだ、とふと思った。

 そこで、はっ、と思い至った。彼は首を傾げているのではないということ。呼んだ名前はものではないということ。

 そして、彼のこと。



 彼は――――“リリシィ”と、話しているのだ。



 ふうわり、浮かび上がった光がマシューの腰から、身体を中心に円を描くように旋回しながら昇ってゆく。ウィルを抱いていたことで水が染みていたジャケットは、光が昇るとともにその染みを失くし、肌へぴたりと貼りつきわずかに透けていたシャツは、ふっ、とまるで微笑むように緩み、本来の空間を取り戻す。

 マシューの頭の天辺まで光が到達すると、いっとう青く光った“彼”(または“彼女”)は、そのまま姿を消してしまった。わたしはその姿を求めて、しばし目線を上空で彷徨わせた。

 すると、ウィルが一点を凝視して、言う。


「ロゼッタ、あそこだ」

「え?」


 そろそろとマシューが両の手を持ち上げる。髪をすくうような、それでいて空ばかりを掴むよう柔く握った指先は、開いた手の上にそっとナニカ――ダレカを、移動させてゆく。その動きはとても繊細で、至上の宝石を扱うかのようだった。


 わたしたちは、恐る恐る近付いて覗き込む。卵を抱くような形の指先から零れるのは、変化を続ける淡い光。




 覗いた先、そこにいたのは――――目を閉じて横たわる、空色の妖精だった。



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