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〈三〉 追跡者


 逃走にはウィルの陣移動ジャンプの助けを借りることにした。ウィルはあのあとも何度か「本気でやる気?」「マジで?」と計画の変更を促してきたけれど、ウィルの陣移動がなければ今回の計画は成り立たない。黒服を追っ手だと明かしてしまった以上、このまま彼を残しても無事かの判断もつけられず、最終的には「わたしは補助魔法が得意なの」という半分嘘の事実を伝えることによって折れてもらった。

 駅に停まったせいか、コンパートメント前の廊下を何人かが通りすぎてゆく。この先の大きな停車駅というとマーリンフリードぐらいだし、終点のそこに向かうひとは多いだろう。なかにはわたしたちと同じように、ザカライアに向かう少年少女もいるのかもしれない。

 いつもなら早く見つかるはずの空室も、謎の黒服が構えているせいかなかなか入りにくいらしく、何度か往復するひとも見かけた。出来れば入れてあげたいものの、計画を実行するにはまだふたりで作戦を練る必要がある。わたしたちは不必要に荷物を散らかし、誰かが入らないような部屋の状態を保った。


「陣移動はどのぐらいの距離が可能なの?」


 ウィルは床に陣を描いている。色からして炭だろう。椅子が阻むところギリギリまで、使えるだけ使うつもりらしい。それなりに大きな陣だ。

 顔を上げないまま、ウィルは答えた。


「試した限り、最高でも十五キロぐらいかな。ただこれはオレ単体の場合だけだし、二人でジャンプするってなると距離は短くなると思うよ」

「十分よ」


 幸い、サールビーとアズライト・パレスの間とは十キロもない。移動可能距離が五キロ以内に落ちることがあれば心配だけれど、わたしが補助魔法を使えることは嘘ではない。サールビーからアズライト・パレスに移動することに関しては急ごしらえの計画でも上手くいくだろう。

 床に描かれた陣には細かな文字と数字が並べられている。ウィルはそれを問題がないか観察し、自分の鞄から地図を取り出した。わたしのものよりも随分と細かい。

 椅子の上で胡坐をかくと、ウィルはぐりぐりと眉間を人差し指で押しながら睨めっこをするようにその地図に向かい合う。わたしは扉に寄り掛かって、その様子を見守った。


「なにしてるの?」

「確認してるんだ。どこのルートをとるか。距離も考えなきゃいけないし、列車から遠すぎず、かといってアズライト・パレスにできるだけ早く着けるルートじゃないと」

「そう」

「問題は、ロゼッタと〈跳ぶ〉場合なんだよな……」

「わたしなら大丈夫だから、気にしないで」

「大丈夫じゃないっつの! 移動魔法って複雑なんだぜ。万が一オレが失敗したら、ロゼッタの腕と脚だけこっちに届いて他は置き去り、なんてこともありえるんだからな!」

「大丈夫だっていってるのに」

「むしろお前はなんでそんなに楽観的なわけ……」


 地図を見て陣に幾つか言葉と数字を足したウィルは、そのまま力を抜いて背凭れに預けた。

 わたしは陣が隠れるように荷物の位置を変えて、再び彼の目の前に腰掛ける。先ほど食べずに取っておいたアプトンの果実をウィルに投げると、片手で受け取り、しばらく手の中で転がしながら弄んでいた。

 サールビーに着くまでは、わざと広げた荷物を纏めるぐらいしかすることがない。

 これから一仕事働くことになるウィルの代わりに手を動かしながら、すこし、気になっていたことを尋ねた。


「ウィルは、ずいぶん独特な〈魔法〉を使うよね」

「そうか? たしかに移動魔法使うやつは他に比べて少ないかもしんないけど、珍しいってほどじゃないだろ」

「わたしが言ってるのは移動のことじゃなくて、本来の力の使い方の話」

「本来の力?」

「うん。ウィルはそれがわかったら、もっと伸びると思う」

「……それってどういう意味だよ?」

「ひみつ」

「そこまで言っといて?」

「そのうちわかることだもの」


 不満げなウィルに、「それに、ほら」と目線と共に窓の外を示す。

 途端に、表情はわずかに緊張を帯びた。

 窓の向こう側には、並行して走るもうひとつの線路が見えた。わたしたちが今乗る列車と、目的地は同じだろう。

 ゆるゆると減速を始めた景色を尻目に、わたしたちは最後の確認を済ませて、そのときが訪れるのを待った。





 わたしたちが考えた計画は、そう込み入ったものではない。

 まず、二人分の荷物を持ったウィルが、いかにもこの町に用があって降りる人物であるかのように列車を下りる。そのまま人目につかない路地裏などを見つけたら、列車の中に描いたものの〈対〉の陣を描き、そこから列車の中へと陣移動ジャンプする。あとは列車のなかで待つわたしを連れて、もう一度陣移動し、そこからアズライト・パレスを目指す。

 思い返す限り、黒服は一度もこちらを見にやってきてはいない。わたしの行先をそもそもわかっているからこそその必要がないと思っているのか、それとももっと先の駅で確認をするつもりなのか、はたまた別の計画があるのか。わたしたちにはわからない。

 もっとも、今の状況では僥倖だ。なぜならその分、見つかる可能性はうんと低くなる。

 上手くいけば、どこでいなくなったかも気づかれないまま、列車はマーリンフリードへ到着するかもしれない。



 ただし、それは仮定の話だ。

 そして往々にして、仮定というものは必ず覆されるのだ。





 ――――ウィルの姿が車内で見える範囲からすっかり消え去って、数分が経過したころ。




「失礼、お嬢さん。ここは空いているかい?」


 ノックの音もそこそこに扉を開いた青年は、柔和な笑みを浮かべてわたしにそう問いかけた。

 白金の髪も表情同様の柔らかさを持っているようで、男性にしては珍しく、顎を過ぎるほどの長さのせいか、その身長さえなければ女性と見間違われても可笑しくない見目の良さだ。一見するとわからないが、守り糸のように細く編まれた一部の髪だけが純白だった。

 総じて柔らかい印象だけれど、着ているものは上等だ。精緻な刺繍の入ったシャツに花緑青色のネクタイ。線の入ったマホガニーのスーツはベストも着込んだスリーピースで、下に走らせた視線が捉えたのはこれまた上等な革靴だ。


 いかにも、上流階級に属していそうな部類だわ。そう思った。


 自分の願いが断られるとは思っていないのだろう。わたしの答えはまだ出ていないにもかかわらず、青年は後ろ手に扉を閉めた。

 わたしは目の前の人物の観察を終えると、今度こそ年相応の〈女の子〉に見えるように、やや眉尻を下げる努力をしてみせた。


「申し訳ないけれど、座席に紅茶を零しちゃったの。蜂蜜入りの。だからここには座らないほうがいいと思うわ」

「ふうん? でも大丈夫。僕は気にしないよ」

「あら。心の広いひとなのね。すごくお金持ちそうなのに」


 そう言うと、青年は肩を竦めて答えた。


「まあ、世間一般的にはそういう部類に入るかもしれないけれどね」

「そうなんだ? やっぱりたっくさんお金持ってるの?」

「はは。なんだい、気になるのかい?」

「ええ、とっても気になるわ」


 わたしに目線を合わせるように腰を屈める青年は、そのまま僅かに首を傾げる。揺れた髪の隙間には、同じく重力に向かって傾くピアスが見えた。怖いぐらいの赤の涙だと思うと同時、色は淡い水色や緑青に変化を遂げる。光の角度で変わるのだろうか。

 わたしはご挨拶も兼ねて手を伸ばした。拒否する様子は見られない。わたしも、止まらない。


「たとえば、――――そんなお金持ちのひとがどうして、一等車じゃなくこんな一般車両のコンパートメントにこだわるのかってこととかね」

「!」


 伸ばした手は、そのまま青年のピアスに触れた。僅かに身じろがれてももう遅い。情報は既に得た。

 そしてわたしは、そのままその手をもう片方の手と叩き合わせた。



 ――――パン!



 そう、はじけるような音が鳴ると同時に、唱える。



「――――〈アルボル〉!」



 青年の周りの床板がミシミシと音を立てて浮き上がりはじめた。元いた姿に戻るかのように細い枝へと変化してゆくなかで、枝は葉をつけ、扉を覆うように一帯に生を芽吹かせはじめた。赤い実をその身に宿すものだってある。その一方で、天へ天へと伸びゆく枝は確かに青年を包み、天辺で枝の先が絡まるように結び合わされれば、それは青年の閉じ込める鳥籠となろう。


「これは…………驚いたな」


 今や鳥籠の姫君となった青年は、狭苦しいことにも頓着する様子を見せないまま、樹木で出来た鳥籠に興味深げに触れている。


「あなたにはある程度予想がついていたように思うけど」

「なぜそう思うんだい?」

「そうじゃなきゃ、わたしに近づいたりしないはずだもの」

「……単にコンパートメントを探してるだけだと言ったら?」

「さっきもいったけど、そんなに上等な身なりで出歩いておいて、一等車も二等車も確保していないって言い訳は立たない。――あなた、わたしのことを知ってるんでしょう」


 青年はこのコンパートメントに立ち入ったときと一寸も変わらない笑みを浮かべていた。わたしはそれを肯定と受け取ったけれど、同時に、相手の力を未だに計り切れないもどかしさを感じた。

 背後の陣からは、まだウィルが現れる様子はない。神経をそちらに向けつつ、相手の気がわたしの背後に向かうことのないようにしなければ。


「黒服たちはあなたの手下? わたしを追わせてどうしたかったの? 捕まえでもするつもりだった?」

「ふふっ。三分の二は当たってる。だが、最後のひとつは外れだ」

「……どういうこと?」

「この見事な籠から解放してくれたら教えるよ。君とこのままザカライアまでの旅が出来ることは悪くはないけれど、いかんせん、僕の身体にはすこし小さいからね」


 けれど壊すのはもったいないだろう?


 青年は、そう続けた。

 それはつまり、「その気になればすぐに脱出できる」という意志表示だろう。



 ――――分が悪い。



「やめておく。本音を話さないひとの言葉を信じるかどうか、判断するには時間がかかりすぎる」

「なんだ、残念。でも確かに、急いだ方がいいかもね」

「……?」

「〈魔法〉を使ったことで、僕の配下は異変に気づきはじめたようだよ。元々、同室の少年がひとりで出て行ったことに違和感を覚えていたのは、僕だけではないけれど」


 たしかに、廊下を駆ける足音が聞こえてくる。それと同時に、気配も感じた。それとは別の気配だ。背後で、風の吹く気配。

 わたしは彼の籠を解くことはしないまま、数歩距離をとった。


「あなたの助言に従うことにするわ」

「ボーイフレンドのお迎えか。妬けちゃうな」

「違うけど」

「ふうん。なら僕にもまたチャンスはあるかい?」


 わたしは彼の言葉に返すことはしなかった。

 すぐ後ろで、わたしの名を呼ぶ声が聞こえたからだ。



「ロゼッタ!」



 陣から大量の風が雪崩れ込む。瞬く間に渦を巻く風がコンパートメント内を満たしてゆくなか、わたしは支えを失ってわずかに鳥籠の方へと吹き流された。図らずも鳥籠が青年の防御癖になっているとは、このときばかりは自分の選択を誤ったな、とぼんやり感じる。

 けれど、彼を巻き込んだことだけはやはり正解だったはずだ。



「ロゼッタ! ッ手! 早く!!」



 風圧に耐えながら開けた視界には、伸ばされた手が映る。つい先ほどまでは果実を弄んでいた手が、わたしを呼ぶ。わたしは、彼の手を指先で確かめる。するとひと回りも大きな掌がわたしの手を包み込み、あっという間に引き寄せた。わたしはウィルに抱き着く格好で、陣の上にやっと辿り着いた。


「準備はいいか?!」


 わたしは頷く。ウィルの〈魔法〉の波動に合わせられるよう、額を彼の胸に預けて、感覚を研ぎ澄ませた。

 ウィルのコントロールはまだ荒い。能力値は高いから、コントロールさえ上手くできればもっと効率よく、少ない力で大きな効果を出すことができるだろう。その手伝いをできるように、わたしは繋がる手のひらに力をこめる。


「……やれやれ」


 そう漏らされた声が背後から聞こえた。きっとあの青年のものだろう。

 ウィルは気がついていないのか、「いくぞ!」と声を荒げる。陣の周りをいっとう強い風が吹き抜け、わたしたちは吸い込まれるネジのようにゆっくりと回転をはじめた。

 荒々しくコンパートメントの扉を叩く音がするけれど、きっと間に合わないだろう。あの青年が何かを仕掛けてこない限りは、わたしたちは無事に脱出が叶うはずだ。



 わたしは吸い込まれる直前、気になって鳥籠の青年を盗み見た。


 その表情に驚いたわけじゃない。けれど、少なくとも彼が唇だけで何と言ったかわかるほどには、わたしは彼を見つめてしまった。




 ――――『また会おう、ロゼッタ』




 最後に微笑みを残した青年と、扉をこじ開けた黒服。

 それが、わたしたちのその場での最後の記憶となった。



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