雨の音
○月×日 雨
俺ねー、雨の日ってあんま好きじゃないの。雷なってりゃ話は別なんだけど。
あと、ざーざー言って、音とか量がすごいのも平気。バケツをひっくり返したような豪雨っての?むしろそーゆーのは好き。
雨の音がすごいとテンションあがるじゃん? 何かもうね、外に出て、雨に打たれて、庭を駆け回りたいような、そんな気分になんのねー。
この前の夕立の時も、雨風雷がすっごくって、俺の気分もすっごかったの。
母ちゃんに怒られるのはわかってたんだけどさ、我慢できなくて、外に出て一人でキングオブプライド的な百獣の王ごっこやってたら、帰ってきたはっちゃんに憐れむような目で見られちゃってー。
さすがに恥ずかしくなったから、「はっちゃんも、やろ!」って照れ隠しのつもりで誘ったんだけど、はっちゃん、返事もしないで家の中入ってっちゃって、あれは悲しかったなー。
まあ、そんなことはどーでもよくて。
今日みたいに、静かにしとしと降る雨は嫌いなんだ。むかーし、こんな雨の日に怖い思いしたことがあって、そん時のこと思い出すんだなー。
みんな知っての通り、俺ってちょー耳がいいから、色んなの拾っちゃうんだよね。
昔々、家族旅行でどっかの滝を見に行ったときはひどかった。頭がガンガンするくらい、目の前がぐらぐらするくらい、気持ち悪くて吐きたくなっちゃうくらい、色んな色んな声、色んな想い(まあほとんどが恨み言だけどさ)が聞こえてきてさー、どうかしちゃうんじゃないかって思ったもん。でも父ちゃんが気付いて、聞こえないようにしてくれたから、その時は大丈夫だったんだけど。
でね、小学校3年生くらいの時かな? 霧雨降りそぼる冷たい夜、俺の耳が何か変な音をキャッチしたんだよねー。
雨の音に混じって、何か引き摺るような音がとぉーくの方から聞こえてきたのさ。どれくらい離れていたのかまでは覚えてないけどー、家の中にいても聞こえたくらいだから、かなり強いというか、大きいというか、誰かに気付いて欲しくて仕方ないみたいな気持ちがあったんだと思うんだよねー。
みんなにさ、「何か変な音しない?」って聞いても、「さあ?」「聞こえないよ」って言われちゃって。
でもねー、だけどねー、やっぱ聞こえるんだよねー。俺だけには聞こえるんだよねー。それが段々近づいてくるの。
あれは、足音。誰かが足を引き摺るように歩いてる音。それが家の周りをぐるぐるしてるって気付いたら、怖くって。でも、じゅりじゅりの前で怖いとか言ったら馬鹿にされると思ったから、夜寝る時に、はっちゃんにだけこっそり話したんだ。はっちゃんは、「家の中に入れば安全だから、絶対に中に入れちゃいけない、ドアを開けちゃいけないよ」って言った。俺は、わかった!って返事して、怖かったから、その日ははっちゃんと一緒に寝たんだ。はっちゃんが一緒なら、大丈夫だって思ったからさ。とか言って、大丈夫じゃなかったんだけど。や、結果的には大丈夫だったんだけどねー。
夜中、トイレに行きたくなって、はっちゃんを起こしたのさ。でもさ、はっちゃん、一回寝るとなっかなか起きないじゃん。ずーっとゆさゆさしたり、叩いたりしてたんだけど、全然ダメで。仕方ないから、一人でトイレに行ったの。別にトイレに行くのは怖くないよ。怖いのは、あの足音。
俺、びくびくしながら、下に降りて、びくびくしながら、トイレに行った。
その間はあの音は聞こえなくて、どっか行っちゃったのかなって思ったんだよねー。それで油断しちゃったんだわ。
何だもう大丈夫じゃーんて思って、帰りは意気揚々とスキップ。玄関の前を通ったときに、外で何かチカチカ光るのが見えたんだ。
俺、雷かと思って、思ったらテンション上がっちゃって、はっちゃんの言い付け忘れちゃって、夜中だってのに外に飛び出ちゃったんだよねー。外は相変わらずしとしと雨が降ってて、雷なんてなってなかったんだけど。
なーんだ。残念。
で、玄関に戻って、鍵をかけたら、気付いちゃったのさ。家の中であの引き摺るような足音がする。姿は見えないのに、音は聞こえる。
俺、あの時、真っ青?蒼白?になってたよ、きっと。
はっちゃんにドア開けちゃダメだって言われてたのに開けちゃったんだもん、大変なことになるって思って、焦った焦った。
とにかくあの変な音をなんとかしなくちゃって、耳をすませて。引き摺るような音は2階の方から聞こえる。俺、大慌てで階段かけ上がったよ。でも、俺の弱点、耳はいいけど、目はそんな良くないから見えないんだ。何となくこの辺りから音がするなーっていうのはわかっても、姿を確認できないから捕まえらんないの。
それでも、このへんっ!て適当に手を延ばしたら……捕まえた感じはなかったけど、逆に捕まった感じがして。
滝を見た時の、何倍も何十倍もひどかった。耳元で色んな声がすんの。頭の中で色んな言葉が回ってんの。泣き声、悲鳴、罵声、嬌声、その合間に何か囁く声。何言ってるかはわからなかったけど。
耳を塞いでも、目を瞑っても、声は止まない、言葉は止まらなくて。
何か重たいものを埋め込まれたみたいな圧迫感。体に力が入らなくて、床の上に倒れた。のたうちまわる元気もなかったなー。
怖くて、気持ち悪くて、死ぬんじゃないかと思ってー、俺、一生懸命はっちゃんを呼んだんだ。声になってたかはわからないけど、一生懸命呼んだ。とにかく、はっちゃんのこと考えてたら何とかなる気がしたんだ。実際に何とかしてくれたのは、父ちゃんだったけど。
そう、その時、俺の声が届いたのかはわかんないけど、異変に気づいたはっちゃんが部屋の前で倒れる俺を見つけて、急いで父ちゃんを呼びに行ってくれたんだ。
後で聞いたら、やっぱ、あの変な音の主が俺にくっついてた、というか、入ってたんだって。父ちゃんがすぐ出してくれたから、何とかなったけど、ほんっとに苦しかったんだから。
はっちゃんには怒られた。言うこと聞かないからだって。父ちゃんは笑ってたけどねー。
「こういう雨の日は出やすいし、おまえみたいな頭の悪そうな単純そうな奴は入り込みやすいんだから、もっと気を付けないと」
って言われたけど、今考えるとちょーっとひどくない?
まあ、そんなことがあって、しとしと雨の日が嫌いになっちゃったってわけ。
あれ以来、雨の日は特に音に注意してんだ。もしかしたら、雨にまぎれて、また誰か来るかもしれないしー。
……そんなこと書いてたら、何か変な音してきたかもー。
ひた、ひた。って誰かが歩くような音。
あれも、あの時の、あのあれと同じような物なのかなー?
まあ、でも、ドア開けなきゃ平気だしー、ほっといても大丈夫だよねー?
☆
「これ書いたのいつ?」
「夕飯の前」
「僕が帰ってきたの、ちょうどみんなが夕飯食べ始めた頃なんだけど」
「……ちょっとー、なにしてんのさー豹くんはー」
「おまえが何してんのだよ! だから何でそーゆーの先に言わないわけ!? つーか気付けよ! 音聞こえてたんだろ!?」
「飯食ってたからー、気付かなかったー」
「え、じゃあ、また、何かいるの?」
「いるけど、たいした奴じゃないから」
「え、放置?」
「今、お風呂にいるの。雨が冷たいから、暖まりたかったんですって」
「さっき、お風呂入っちゃったんだけど……」
「混浴だー」
「嬉しくない……」
「何か悪さするようなら、帰ってもらうから」
「何かされてからじゃ遅いっての!」