たまご
○月×日
このまえ見た夢の話。
現実の世界のように見せて、実はちょっと、てか、だいぶ違う感じの世界。
その世界では人間が卵を産む。
普通じゃ考えられないでしょ?
まぁ夢ってそんなもんだよね。
あたしはその世界、つまり夢の中で、大きな卵を産んだ。
つーか、産んだって設定になってんの。
産んだ覚えは全くないのに、気付いたらあたしの前に白いバランスボールがあって。
は? 何これ? って思ってたら、お父さん――ちなみにこのお父さんてのは夢の中でのあたしの旦那のお父さんらしい――が、
「よくやった、立派な卵だ。みんなで協力してこの卵を孵そう」
とか言うんだよ。
人間がバランスボールを産んで、実はそれが鳥とか魚とかが産むのと同じ卵で、しかもそのバランスボールみたいな卵を孵そうとしてんだよ。
わけわかんねーって思うでしょ?
あたしもワケわかんないわーと思いながら、お父さんに言われたやり方で、卵を温めた。
ただ普通に腕で卵を抱き締めて、優しく語りかけるだけ。
早く出ておいで、みんな待ってるよってね。
二十四時間休みなく、卵を抱き締め、語りかけなきゃいけないなんてかなりの重労働。
抱き締めるつったって、バランスボールだってけっこうな大きさあるから、両腕では抱えきれないじゃん?
一応、家族で交代しながらやるんだけど、やっぱり一番長く卵のそばにいるのは母親の役目。
腕痛いし(夢だから本当に痛くはないけど)、同じ体勢でいるのは辛いし、喋りっぱなしだから喉は渇くしで、マジめんどくさい。
で、ついサボり癖が出て、ちょいちょい卵を抱き締めるのを休んじゃったんだよね。
休んだっていっても、たいした時間じゃない。
ほんの五分、十分。それを数回繰り返しただけ。
それでも卵の中の子にはわかるのかね、卵は三週間たっても孵らなかった。
普通なら卵を産んで、一週間から十日で孵るらしいんだけど。
あたしの卵はおかしい。
そう言い出したのは、おばさん。
このおばさんてのは、旦那のお母さんなんだけど、嫌味ったらしくてムカついたからおばさんて呼んでやる。
「卵の抱き方がなってないんだわ。でなかったら母親の愛情不足なのよ、きっと。最近の若い人はたかだが十日間、まともに卵を抱くこともできないのね」
腹立つよなぁ、あのオバハン。
それから毎日卵を、今度はちゃんと真面目に抱き続けた。
早く出ておいで、あのムカつくおばさんを見返してやるんだから! って言いながら。
今考えると卵の子どもにはすっげー悪影響。
それでも卵は孵らなかった。
一ヶ月過ぎた頃から、さすがにあたしも焦って、早く早く、頑張れ頑張れって一生懸命声をかけた。
ある晩、いつものように卵を抱き締めながら、早く早くって言ってたら、なぜかそこに伊吹があらわれたのよ。
夢の中でまであいつの顔見なきゃいけないとかマジ最悪。
でも、夢の中のあたしらはお互いに大人になっていたから(二十四、五くらい?)顔をあわせても険悪なムードにならなかった。
夜のトレーニングから戻ってきたのか、タオルで汗をふきながら部屋に入ってきて、「なにしてんのー?」って。
イラついた反面、なんとなく、ほっとした。
「見てわかんでしょ。卵抱いてんのよ」
「ふーん」
伊吹はあたしの隣に座って、不思議そうにつるつるの卵を撫でる。
「じゅりじゅり、質問」
「何よ」
「この卵、誰の?」
昔から馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、こいつはほんっとに馬鹿なんだなってつくづく思った。
「あたしの卵に決まってんだろっ。じゃなかったらこんな必死に抱いてねーから」
イライラするとつい声が大きく、口調が悪くなるのも、現実世界と変わらないでやんの。
伊吹も伊吹でマイペースなとこは変わらない。
「ふーん」て言いながら卵を撫で続ける。
「でもさぁ、じゅりじゅり、よくこんな大きいの産んだよね」
「まぁね」
つーか、卵産んだときのことなんか覚えてないから、そんなこと言われても適当に返事するしかないんだけどさ。
「痛かったべ?」
「そりゃあ当然」
よくわかんないけど、あんなでかいもの股から出すんだもの、痛いに決まってる。
「すごいよね」
「あんたに誉められても気味悪いだけだわ」
いとおしそうに卵を撫でて、いつもと同じ、無邪気な笑顔を浮かべてあいつは言った。
「じゅりじゅり、子ども大嫌いなのによく産む気になったよね」
あ、そうだ、あたし、子ども嫌いなんだった。
て、思った瞬間、卵が光り輝きだした。
何だろう? って考える間もなく、大きなバランスボールみたいな卵の殻に縦線のヒビが入り、そうして中から一人の男の子がでてきた。
なんか日本昔話の桃太郎思い出したよ。
出てきた子どもは五歳くらい、生まれながら、何故か服を身に付けていた。
あっけにとられるあたしと伊吹に、少年は涼やかな笑みをうかべながら、
「はじめまして。よろしくね」
と流暢に挨拶をしてみせた。
夢はまだ続く。
少年の名前は『ひろき』。
大きい樹木で、『大樹』だって言ってた。
よくわかんないけど、その世界では、卵が孵るとき、中の子どもはすでに五歳まで成長してるのがあたりまえっぽい。
名前もついてるし、服も着たまま出てくるんだって。
めんどくさくなくていいっちゃいいけど、いったい卵の中はどうなってんだかね。
大樹の誕生にお父さんもおばさんも伊吹も、それはそれはすんばらしく喜んでましたよ。
大樹は賢くて大人びた子だった。
五歳の子ども、しかも男の子っていったらかなりやんちゃで騒がしいってイメージがあったんだけど、あの子は違った。
大人しいし、悪さはしないし、礼儀正しいし、いい事と悪い事の区別もちゃんとつけられる。
お店の中で走り回っちゃいけないとか大きな声で騒いじゃいけないとか、普通なら親が教えなきゃいけないことを、あの子はちゃんとわきまえてんの。
本人いわく、
「店内で走り回ったり騒いだり紳士を目指すものはそんなことしない。そんなのは子どもがやることだ」
とのこと。
つーかおまえも子どもじゃん、とは何か言えなかった。
あの子はワガママなんて絶対言わないし、あたしやお父さんやおばさんが言ったことも素直に受け入れた。
好き嫌いだってないし、むしろ伊吹の方が茄子を残して大樹に怒られてたくらいだから、笑っちゃうよな。
何より、大樹が泣かない子だったっていうのはかなり助かった。
子どもは自分の要求が通らないと、すぐに奇声を発して地団駄ふんだり、泣きわめいたりするから。
見てるとね、人生なめてんじゃねーよ! って思っちゃうんだよ。
うるさくてワガママで礼儀知らずな子どもが大っ嫌いなあたしにとって、大樹はまさに理想の息子だった。
にもかかわらず、あたしはあの子を愛せなかった。
なんつーかね、大樹はいい子で手がかからなくて、すっごい助かるっちゃ助かるんだけど、不自然なくらい、いい子過ぎて、扱いに困ったんだよね。
だって、あたしの子どもだよ?
五歳の頃あたしは、あんないい子じゃなかった。
外に出ればあちこち冒険しまくって、伊吹をはじめ近所の悪ガキどもとしょっちゅう喧嘩しては、生傷耐えない日々を過ごし、服だってすぐに駄目にしちゃうから、よく母さんに怒られた。
そんなあたしの子どもが、あんなに大人しくて礼儀正しくていい子だなんて、ありえない。
それに大樹は頭もすごくよかったんだ。
物覚えがいいっての?
例えば、おばさんが大樹に編み物教えてやったら、次の日にはもう一人でセーター編んでたとか。
図書館で借りてきた本、よりによって古典文学、しかもシェイクスピア! を読んで、お気に入りの場面をみんなの前で暗誦してみせたりとか。
はじめのうち、大樹は賢いわね、なんて喜んでたおばさんも、それが続くとさすがに気になってきたもんで、「大樹は本当にうちの息子の子どもなのかしら」はよしとしても、「本当にあなたが産んだ卵から孵った子なの」とか言い出しやがったんだよ、めんどくせぇ!
元来の子ども嫌いに、うちに抱える言い様のない不安、そこにおばさんのいらん発言がプラスされて、あたしは大樹にたいして不信感を抱くようになった。
でも大樹はあたしの子どもなんだしちゃんと面倒見てやらなきゃ、立派な男に育ててやらなきゃと思うんだけど、次の瞬間にはまた次の「でも」が出てくる。
でも、大樹はいい子過ぎて本当にあたしの子じゃないみたいだし、卵を産んだ記憶があたしにはないわけだから、別の誰かの子どもだっていう可能性も捨てきれないよな。
だいたい人間としてまだまだ未熟な成長過程にいる十七の小娘が、子どもなんて育てられるわけないじゃん。
そもそも、あたし子ども嫌いだしさ。
じゃあ、何で卵なんか産んだんだよって話。
わけわかんねーよ。
大樹を不信に思うあたしと、母として責任持って育てなきゃと思うあたし。
二人のあたしが葛藤してんだ。
そのどちらにも、大樹を心の底から愛する気持ちは持ち合わせてなかった。
そして、大樹はそれを知ってたんだ。
次の日、公園に行ったとき、お姉にあった。
お姉も同じ時期に、タクヤくんという名の男の子を出産していたみたい(実際に産んだのは卵だろうけど)
タクヤくんは大樹と違って、元気一杯なやんちゃ坊主。
健康的な五歳の少年て感じだったよ。
せっかく公園につれてきたのに、大樹はみんなが遊んでいるのを離れたところから、冷めた目で見てるだけ。
「あんたは行かなくていいの?」
って聞いたら、あの子は静かに笑って、
「走るの苦手なんだ。それに僕、騒がしいのって好きじゃないんだよね」
なんてのたまわった。
そんなこと言って、仲間外れにされちゃったらどうすんのさ。
友達出来なかったら、いじめられるようになっちゃったら。
そんなあたしの心情察してか、大樹は愛くるしい笑顔を作り、
「大丈夫だよ。僕は別に協調性がないわけじゃない。嫌な奴が相手でも、とびきりの笑顔で仲良くする振りはできるんだよ」
「――あ、そう」
それ聞いて、やっぱり駄目だと思った。
あたしなんかよりもずっと大人びた賢いこの少年を育てあげるなんて、あたしには荷が重すぎる。
しばらくそうしていたっけ、退屈したのか、家へ帰ろうと言いだした。
「お母さん、抱っこ」
小さな手をいっぱいに伸ばして、大樹はあたしに抱っこをせがんだ。
あの子がそんなことを言うのは初めてだったから、驚いたよ。
いつだって何だって、一人でこなしてきた大樹が、初めて子どもらしく母親のあたしに抱っこをせがみ、甘えてきた。
なのに、あたしはそんな大樹の申し出を聞いた瞬間、気持ち悪いって思っちゃったんだ。
なに言っちゃってんの。
抱っこしなくたって、あんた一人で歩けるじゃん。
急に子どもみたいなこと言うの、やめてよって。
あたしが黙ってたら、大樹は「わかった」って言って、歩きだした。
「お母さんは、子どもが嫌いなんだよね」
前を向いて歩きながら、大樹が静かに発した言葉。
冷たい氷を突然背中にあてられたときみたいに、心臓が大きく跳ねた気がした。
「うるさくてワガママで礼儀知らずな子どもが大っ嫌いだって、僕はお母さんのお腹にいる頃から知ってたよ。だから僕はいい子になったつもりだったんだけどな」
淡々と、何でもないことのような調子で大樹は喋り続ける。
「お母さんとおばあさんの話も聞こえたよ。母親の愛情がたりないって言われて、お母さん、必死に卵を抱き締めてくれたよね。でも、それは僕のためじゃない。悔しいから見返してやりたかったから、必死になってたんでしょ?」
違う、とも、そうだ、とも言えず、あたしはただ黙って大樹の背中を見つめてた。
「僕が卵から孵ったあともお母さんは僕のこと好きになってくれなかった。いい子すぎるとか、自分の子じゃないみたいだとか。でも産まれたからには責任持って育てなきゃって思ってたね」
大樹が振り返る。
軽蔑とも非難ともとれる厳しい目をあたしに向けて、言い放った。
「嫌いなら産まなきゃよかったじゃないか。責任とか義務とかで母親になれるわけなんかないのに。僕はお母さんの理想の子どもなんでしょ? それなのに、どうして愛してくれないの? どうしたら愛してくれるの? 愛せないってわかってたなら、何で僕を産んだのさ?」
そんなの、あたしが聞きたい。
わけわかんないうちに卵産んだってことになってて、好きでもない子どもを育てろって言われて、あたしだって困ってるし、迷惑してるんだからっ!
そう叫んだら、目が覚めた。
隣で眠るお姉の姿を確認するまで、まだ夢の世界にいるんだと思ってた。
それまで見てたもの、目を覚ますその瞬間までは、現実だと思ってて、夢だったてわかった時、安堵のため息をついたのは言うまでもないけど、夢の中のこと思い出したら、なんか情けなくなった。
我ながら、なんて嫌な母親だろう。
あたしなんかのとこに産まれた、あの子が不憫で仕方ない。
でも夢の中のあたしはあたしで、必死だったんだ。
自分の子だって認識のない相手を、どう愛していいかなんてわかんない。
いい母親になんてなれないよ。
あれは、本当に夢だったのかな、もしかしてあれは未来の自分の姿なんじゃないかって、ちょっと怖くなる。
あたし、将来あんな母親になるのかな。
あたしみたいな奴はきっと子ども産まないほうがいいよね。
つーか、十七歳の今現在、結婚願望もないけど。
何であんな夢見たんだろ。ワケわかんない。
なんか、暗い話になって悪いね。
次書くときは、楽しい話にするから、今回はこれで許して。
☆
「たぶんね、あれだと思うんだよね」
「あれって?」
「俺が箱買いしたチョコエッグ」
「ああ、なんか駄菓子屋で賞味期限ぎりぎりのが安売りしてたって言ってたな」
「卵形のチョコの中に玩具が入ってるやつね」
「一人一箱って、五箱買ってきたんだよね」
「……まさか、あんたが買ってきたチョコエッグが原因であんな夢見たとかアホなこと言うんじゃないでしょうね?」
「だって他に考えられなくない?」
「まあ、卵っていうところは共通してるけど」
「それだけが理由でそんな重い夢見ちゃうなんてね」
「でも、子どもを産むこと、育てること、愛することについて、樹里は考えさせられたわけだから、結果的にはよかったんじゃない?」
「全然よくないから」