図書館の天使
Twitterの企画で書いた小説です。
僕の周りには、自称「霊感がある」人が多い。
例えば家族、祖父母も、両親も、兄弟たちも、みーんな、見える、または、聞こえる、はたまた、そこに「いる」のを感じるらしい。
部活の後輩にも、見えたり聞こえたり、何かいるのを感じたりする子がいるし。
何でこんなに僕の周りに「霊感がある」人が多いのに、僕にはないんだろう?
この世に生を受けて17年。海に行こうが山に行こうが滝に行こうがトンネルを通ろうが自殺の名所に行こうが、僕には見えなかったし、聞こえなかったし、感じなかった。
それでも、見えるまたは聞こえる兄弟たちには、「すごい憑けてきたな」「それだけ憑いてて、体調悪くなったりしないの?」「なんか変なフェロモンでも出てんのかね」「幽霊ホイホイだねー」と言われた。
僕に霊感がないのは、良いのか、悪いのか……たぶん、良いんだろうな。
そんな霊感皆無の僕だけど、この前、初めて、見た。
何を見たのかって言うと、幽霊ではないんだけど、人ならざるもの。
一緒にそれを見たハツ曰く、霊感のない僕でも、「みんなが見えるもの」とか「特定の条件を満たした人間にしか見えないもの」というのは、ちゃんと(ちゃんと?)見えるようにできてるみたいで。
「読書週間だから学年で読書感想文コンクールを実施します。皆さん、本を一冊読んで、感想文を書いて提出してください。提出の期限は読書週間最終日までです」
という、学年主任(現国担当)の迷惑な思いつきにより、読書感想文を書かなくちゃいけなくなったのがきっかけ。
読書週間は、10月27日から始まってるのに、御達しが来たのは、11月2日。もう半分も過ぎてるじゃないかと文句を言いたいところだったけど、作文の提出は二学期の成績に関わるらしく、毎度赤点ギリギリの僕にとって、これはチャンスといえばチャンスだった。
先生方が感動のあまり涙を流すくらいに、スンバラシイ読書感想文を書き上げて、一気に成績アップに繋げたい!
しかし、僕は、作文が苦手な上に、本を読むのが嫌いだ。
考えた末、僕は、兄弟の中で1番頭が良く、学校の成績もトップの優秀な兄・ハツを近所の図書館に呼び出して、読書感想文の代筆を頼んだ。
ハツは渋い顔をしていたけれど、頭を下げて頼み込んで、最終的に「代筆してくれたら、500円払う!」という条件でOKしてくれた。
たかだか、読書感想文のために、500円て。でも、背に腹は変えられないよね。
ハツが感想文に向きそうな本を探してる間、暇を持て余した僕は、ウチに帰って昼寝でもしようかなと思ったんだけど、ハツに「ふざけるな」と怒られちゃったから、仕方なく、図書館の中をぶらぶら歩いてみた。
平日の夕方だと、読書を楽しむ人たちよりも、机に向かって勉強をする学生の方が多い。
ここは図書館なんだから、読書を楽しめば良いのに……なんて、本嫌いの僕がそんなこと思うのは間違ってるよね。
そういえば、子どもの頃は、夏休みになると、よく図書館に連れてこられたな、なんてことを思い出した。
僕は文字ばかりの本が苦手だから、絵本ばかり読んでいたけど、ハツは世界の名作童話とか、伝記とかが好きだったんだよな。
懐かしくなって、こっそり絵本コーナーを覗いてみた。幸いなことにちびっこたちはいなかった。
高校生が絵本を読んじゃないけないなんて決まりはないけれど、小ちゃい子達に混じって、絵本を物色するなんて、なんか恥ずかしいから。
棚の前にしゃがみ込み、はてさて、小さい頃僕が好きだったのは何ていう本だったかな? と考える。
出てくるのは2人の男の子。
ノッポとチビ。名前じゃなくて、僕の記憶の中では、背が高い方と、低い方て覚えてたから。
夏の暑い日に、アイスクリームを食べたいって言ったノッポのために、チビが2人ぶんのアイスを買いに行くんだけど、暑さで溶けちゃって、アイスが台無しになるって話。
なんだか、それがひどく切なく、心苦しくて、全然悲しい話じゃないのに、僕は読むたびに本気で泣いていたっけ。
何度胸を裂かれるような思いをしても(それは大袈裟かな?)、それでも何度もあの話を読んだのは、挿絵のアイスクリームが妙に美味しそうだったから。
あの本、なんてタイトルだったかな?
本棚とにらめっこしながら、ちょっとずつ身体を横にずらして、お目当ての本を探す。
また一歩分、身体を横にずらした次の瞬間、頭に衝撃と痛みが走った。
「いっ!」
僕が声をあげたのとほぼ同時に、一冊の絵本が床に転がった。
表紙には2匹のカエルが雪だるま、カエルの形をした雪だるまを作る絵が描かれていた。
痛む頭を抑えながら、絵本を拾う。
何で絵本が落ちて来たんだ?
それに、絵本の棚は子どもの目線に合わせて作られてるから、いくら僕がしゃがみ込んでいたからって、本棚の上から本が落ちて来たくらいじゃ、こんな痛みを感じるほどの衝撃を受けることなんて、ないと思うんだけどな。
まるで誰かが、もっと高いところから、僕の頭を目指して、本を落としたみたい。
そう思って顔をあげたら、目があった。
背中に白い翼、淡い桃色の髪と、揃いの桃色のまん丸の目を持った女の子……僕の手のひらに納まってしまいそうなくらいに小さな女の子。と、がつん、と視線がぶつかった。
女の子は、目が合うと、ふんわり、と、笑った。
桃色の髪と目のせいか、小さな桃色の花がぽっと咲いたみたいに見えた。
僕は拾い上げた本をそっと床に戻すと、さっと立ち上がり、ハツが待つ席へ戻った。
「ハツ、幽霊だ! 僕の人生で初めての、見える幽霊だ! 女の子! しかもピンク! 翼もあるんだ! で、宙に浮いてる! すんごい小さい! 手のひらサイズ! カエルの絵本を落として来た! 何かの呪いかもしれない!」
ハツは読むのに集中していて、本から顔を上げようともしない。
「ねえ、幽霊だってば! 手のひらサイズの女の子の幽霊! あっちにいたんだ! 翼を持った、小さな女の子の霊が!」
横から体を揺さぶると、ハツは、ようやく顔を上げて、悲しそうに眉を寄せた。
「可哀想に……本に対する嫌悪の情が酷過ぎて、精神に異常をきたした末、幻覚を見てしまったのか」
「ここが図書館じゃなかったら鼻フックでも決めてやりたいところだよ。幻覚じゃない! 本当に幽霊だよ! ピンクの髪した小さな女の子がカエルの絵本を頭の上に落として来たんだ!」
「ここが図書館であることを感謝するべきか。しかし、やはり、図書館に来たせいで、もともと良くない弟の頭の調子が、さらに悪くなってしまった感は否めないな」
ええい、めんどくさい!
僕はハツの腕を掴むと、無理やりに手を引っ張り、絵本コーナーに連れて行った。
鈍臭いハツは足をもつらせて、椅子にぶつかってたけど、そんなの気にしてる場合じゃない。
が、時すでに遅し。小さな女の子の姿も、床に置いてあった(というか、おそらく彼女が落とした)絵本も消えていた。
「さっきまで、本当にここにいたんだよ」
「だから、幻覚だろ?」
「本当にいたんだって! ピンクの頭で、ピンクの目で、翼の生えた、手のひらサイズの女の子!」
ハツはおもむろに、僕のおデコに冷たい手のひらを当てて来た。
「……何してんの?」
「熱はなさそうだな」
「……馬鹿にしてんの?」
「心配してるんだ。苦手な本に囲まれたせいで、熱を出したんじゃないかと。そのせいで幻覚を見たんじゃないかと」
「大きなお世話だよっ!」
ハツの手を振りほどくと、棚の向こうを通った司書さんに「図書館ではお静かに」と睨まれてしまった。
「ごめんなさーい」
「すみません」
お互いに、「おまえのせいだぞ」と目で会話をしつつ、口では謝罪の辞を述べる。
「とりあえず、おまえが見たのは何だったのかはさておいて、」
「だから、手のひらサイズの女の子の幽霊だって、」
反論しようと口を開くと、ハツはうるさそうに手を振った。
「今やるべきことは、幻覚か幽霊かの議論じゃない。読書感想文を書くための、本を読むことだろう」
それはそうなんだけど、今の僕にとっては、読書感想文よりも、僕が見たあの小さなピンクの女の子が、幽霊なのか何なのかの方がよっぽど大事なんだ。
でも、感想文の代筆を頼んだ手前、しつこく言うと、「もう知らん」てハツが匙を投げてしまうかもしれない。それは避けたい。
仕方なしに、本を読み進めるハツの向かい側に座り、閉館時間までボーッとして過ごした。
あの子は、本当に何だったんだろう?
ウチに帰って、家族に改めてその話をしても、みんな、
「何か見間違えたんでしょう」
という反応だった。
今まで、幽霊の類が見えたことがない、て言うのが大きな理由だと思うけど、今まで見えなかったものが、ある日突然見えることだってあるじゃないか。
真面目に話を聞こうともしないで、端から、見間違えだって決めつけられるのは面白くない。
翌日、僕とハツはまた図書館に来た。
仕事の早いハツは、昨日のうちに本を読み終えるどころか、感想文まで書き上げてしまい、「読んだ本を返してくる」といったから、僕もついてきた。というわけ。
もちろん、僕の目的は、昨日見たあの女の子が、幽霊かどうかを確認すること。
返却手続きを終えると、すぐにハツを絵本コーナーに連れて行った。
好都合なことに、今日もチビっ子たちの姿はない。
「昨日、僕がこの本棚の前にしゃがみ込んでたら、上から絵本が降って来たんだよ」
僕は絵本の本棚の前に、所謂、和式便器スタイルでしゃがみ込む。
ハツは、腕を組み、冷めた目で僕を見下し(みくだし)……じゃなくて、見下ろし(みおろし)、
「……で?」
「で、何で本が降って来たんだろう? て顔をあげたら、手のひらサイズの、ピンクの髪にピンクの目をした、女の子がいたんだ。背中に翼があって、宙に浮いてた」
顔を上げても、女の子はいない。見えるのは図書館の年季の入った天井と電灯だけ。
「そもそも、おまえは、何で絵本コーナーになんかいたんだ?」
「本を探してたんだよ。小さい頃好きだった絵本、何度も繰り返し読んだ絵本、もう一度読みたいなって思って」
「そうか」
ハツは顎に手を当てて、何か考えていたけれど、おもむろに、僕の隣に体育座りをした。
床の上に体育座りって、制服が汚れるとか考えないのかな。
目に付いた絵本を手に取り、パラパラめくりながら、ハツは呟く。
「夏休みになると、よく、ここに連れてこられたな」
「図書館は、涼しいし、本を読むのはタダだからね」
決して貧乏というわけではなかったけれど、なるべくお金をかけずに、子どもたちに娯楽を与えたい、という親心だろう。たぶん。
「僕は絵本ばかり読んでた」
「おまえ、自分で読めばいいのに、いっつも俺のところに絵本を持って来て、音読させてたよな」
「そうだっけぇ?」
全然覚えてない。
「そうだったんだよ。俺が『今、本読んでるからあとにして』って言ったら、怒ってな。『弟の面倒見るのはお兄ちゃんの仕事なんだよ』って」
「まっっったく、覚えてない」
ハツは、ジトーっとした目で僕を見ながら、
「母さんの口癖だったもんな、『あなたはお兄ちゃんなんだから、下の子達の面倒をよく見てあげてね』って。それを聞いてたせいか、おまえは、いつも、都合のいい時だけ、俺のことを兄貴扱いしてた。本当にいい性格をしてる」
「そんな、10年も前の話、今更されてもね」
「幼稚園の頃だから、10年以上前だな。ついでに言うと、都合のいい時だけ兄貴扱いするのは、今も変わってない」
「うるさいなぁ、今はそんなことどーでもいいだろ」
ハツは、ほんと、どーでもいいところに、拘る。
「ん……でも、何と無く覚えてるかも。ハツは、音読上手でさ。自分で読むと、言葉がつっかえちゃって、話が止まっちゃうのが、嫌だったんだよね」
そうだ、ハツに読んでもらった絵本、それが、僕の大好きなあのアイスクリームの絵本だったんだ。
足が疲れて来たから、床の上に胡座をかいた。さすがに体育座りは嫌だ。
「ねえ、僕がハツに読んでもらった本、なんてタイトルだっけ?」
「カエルの話のやつか?」
「カエル?」
ハツは不思議そうな顔をして僕を見る。たぶん、僕も同じ顔をしてたと思う。
「僕が言ってるのは、2人の仲良しの男の子の話だよ?」
「2人の男の子? あの話は、カエルが主人公だろ?」
「カエルが主人公の絵本?」
カエルの絵本。て、最近何処かで見たような気が……。
「あ、いた」
「え?」
ハツの声に顔を上げる。口を半開きに上を見るハツに倣って、僕も本棚の上を見た。
本棚の縁に、白い翼と、淡い桃色の髪と、同じ色の目を持った、小さな、手のひらサイズの女の子が腰掛けていた。
「ハツ! この子だ! 昨日の幽霊!」
興奮気味にまくしたてると、すぐさまハツの手で口を押さえつけられた。
「昨日、『図書館ではお静かに』て叱られたの忘れたのか。出禁になるぞ」
怖い顔をするハツの言いたいことはわかるけど、もう少しスマートに黙らせる方法なかったのかな……。
ハツは小さな女の子に向かって、警戒させないようにか、薄っすらと微笑みかける。
「君か、昨日、弟が見たって言うのは……え? あ、そうなんだ。なるほどな。それはありがとう」
ハツは僕の口元を手のひらで覆ったまま、本棚の縁に腰掛ける女の子と何やら話し始めた……て、会話できるの⁉︎
ハツは、ようやく僕の口から手を離し、代わりに棚の上、女の子の隣に置いてあった絵本を手に取ると、僕の目の前に差し出した。
「ほら、やっぱりカエルじゃないか」
「は?」
ハツが差し出した絵本は、昨日、僕の頭に落ちて来た(というか落とされた)のと同じ絵本だった。
「俺らが、というか、おまえが好きで、俺に強制的に音読させてた絵本はこれだよ。アーノルド・ローベルの『ふたりはいつも』。がまくん、かえるくん、2匹のカエルが主人公の物語だよ」
中を確認すると、確かにそこには、僕が好きだった、アイスクリームの挿絵があった。
ただし、その大きなアイスクリームを舐めているのは頭の中で描いていたチビの男の子ではなくて、頭身低めなガマガエルの絵だった。
「この絵は覚えてる。そうか、人間の男の子じゃなくて、カエルの男の子だったのか」
「何処かで記憶改竄してたんだな。よくある話だ」
懐かしくなって、絵本に目を通す。
そうそう、この、がまくんていう男の子が、ちょっとボケてて、いつも親友のかえるくんに助けてもらっててさ、僕にもかえるくんのような、こんな素敵な友達がいたら……て、のんきに絵本読んでる場合じゃないんだよ!
「で、結局、この女の子は何なの⁉︎ 幽霊⁉︎ 何で僕の頭の上に本落としたりしたの⁉︎ 何かの呪い⁉︎ それとも嫌がらせ⁉︎」
「そんな言い方は失礼だろう。彼女は幽霊じゃない。妖精……というか、そのまんま、天使だな」
「天使?」
ぽかんと口をあけて、棚の上の女の子を見上げる。
彼女(ていう表現があってるのか)は、膝の上でその小さな手を組み、眉を八の字に下げて、僕を見ていた。
「この図書館に派遣された、天使だそうだ」
「派遣、天使?」
「そう。毎年この時期になると、図書館の仕事をお手伝いに来てる、天使。噂には聞いていたが、俺も初めて見た」
ハツは物珍しそうに小さな女の子、というか、天使を眺める。
「え、噂って、何処で聞いたの?」
「図書館の館長さんや、図書館に通ってる小さな子どもたちから。毎年この時期になると、天使がやって来て、図書館の仕事を手伝ってくれたり、オススメの本を教えてくれるって。普段は人に見られないよう、ひっそりと息を潜めて生きてるらしいが、小さな子どもや、心から本を愛する大人にも姿が見えるらしい、とも」
じゃあ、何で僕には姿が見えてるんだろう?
僕は小さな子どもじゃないし、本を愛する大人でもないのに。
「仕事の一つとして、人の心を読み、その人にピッタリの本を選んだり、その人が探している本を見つけてあげることもしているらしい」
ハツの言葉に、小さな天使は、嬉しそうにニコニコ笑い、頷いてる。
「昨日、おまえの頭にこの本を落としたのも、おまえの心を読んで、探してる絵本はこれですよ、て伝えたかったからだそうだ。本当は目に付くところにそっと置いておこうと思っていたのに、手が滑って頭の上に落としてしまったから、それを謝ろうと思い、姿を見せた、と言ってる」
天使は頷き、モゴモゴ口を動かしながら、僕に向かって頭を下げる。残念ながら、姿は見えても、声までは聞こえない。
「……事情はわかったけど、この子、本当に天使なの? 図書館の仕事をお手伝いに来てるって言うけどさ、天使は、神様の使いなんじゃないの?」
天の神様の使い、だから天使。
「日本に神様は八百万いると言われてるだろ」
「だから何?」
「図書館の神様とか、本の神様ががいてもおかしくないんじゃないか?」
「そりゃ、まあ、そうかもしれないけど」
……いや、本当にそうか? 図書館の神様なんている?
小さな女の子、というか、小さな天使は、身振り手振りを交えながら、一生懸命ハツに何かを訴えている。
「解説してくれてるぞ。『私は本の神様にお使えする天使です。本の神は実在していらっしゃいます。人間には見えませんが、人間たちが本を読むことが出来るのは、本の神様がいるからであり、』」
「わかった、わかったよ。疑ってごめんね」
天使は「わかってくれればいいのです」とでも言うように、満足そうに頷いた。
この子が、幽霊じゃなくて、天使だっていうのは、良かった。本物の悪霊なんかを見ちゃったら、怖いものね。
まあ、良かったのは、良かったんだけど……なんか、面白くない。
僕が一番最初にこの子を見つけた時、幻覚だって決めつけてたハツが、すんなりこの小さな天使の存在を受け入れて、フツーに会話までしてるのが、なんか……。
僕の気持ちをよそに、小さな天使とハツは、何やら話しを続けている。
「それは、ありがとう。でも、ウチの弟は字ばかりの本が苦手なんだ」
小さな天使は、声こそ聞こえないけど、可愛らしくコロコロ笑い、さらにハツに何かを言っている。
「そうだな、それなら……動物とかは好きなんだ」
小さな天使は、「任せて!」とでも言うように頷くと、その翼をはためかせ、どこかに飛んで行ってしまった。
「あの子、何だって? 何話してたの?」
「うん? せっかくの読書週間、読書の喜びを知ってもらうため、そして頭の上に本を落としてしまったお詫びも兼ねて、これから毎日おまえのために、おすすめの本を用意しておくってさ」
ハツは僕の肩を軽く叩いて、ニヤリと笑う。
「文字ばかりの本が苦手なおまえのために、大人も子どもも楽しめる、素敵な『絵本』をチョイスしておくそうだ。良かったな」
「その顔、すんごい腹立つ」
正直、大きなお世話って思わなくもなかったり……。
翌日から、小さな天使は、本当に僕のためにオススメの本を用意しておいてくれるようになった。
感想文は書いたんだから(正しくは書いてもらったんだけど)、図書館に行く必要はないんだけれど、元来本好きで毎日のように図書館に行くハツに、半ば強制的に連れて行かれるんだ。
「おまえが来るのを待ってる人が、いるだろう?」って。
「人じゃなくて、天使だよ」て言ったら、「おまえは、変なとこに拘るな」って呆れたように返されたけど、それはお互い様だよね。
図書館に行くと、入り口すぐのカウンターのところで、件の小さな天使がちょこんとお座りして待っている。
僕を(僕らを?)見つけると、例のら花が咲いたようなふんわり可愛らしい笑みを浮かべて、僕らを先導する。
彼女が用意してくれてるのは、ハツの言った通り、本嫌いの僕のことを考えてか、大抵の場合、絵本だった。
例えば、ウサギのぬいぐるみが世界中を旅して、持ち主の女の子に手紙を送るお話。
何度も生を繰り返し、最期の最期に恋人のために、輪廻を終わらせる猫の話。
人間の子どもと遊ぶために、姿を変えて、こっそりと下界に降りてきた雷様の子どもの話。
自分の体よりもはるかに大きな絵本を棚から引っ張り出して、僕に差し出す時の、誇らしそうな笑顔。
床に座り込んで絵本を読む僕のすぐ隣で、一緒になって絵本を覗き込む時の、楽しそうな笑顔。
「今日読んだ絵本、面白かったよ」と感想を伝えた時の、くすぐったそうな笑顔。
「また明日ね」と手を振って別れる時の、優しい笑顔。
あの子の笑顔を見ていると、なんか、こう、うまく言えないけれど、天使って本当にいるんだなぁって、しみじみ思って。
ハッキリとした説明は出来ないけれど、あの子は、本当に本が好きで、本が好きだからこそ、本の神様に仕えてて、自分の仕事に誇りを持っている、素晴らしい天使なんだろうなって、なんか、そんな気持ちになった。
「明日で、読書週間も終わりだね」
帰り際、僕がそう呟くと、小さな天使は、ぎこちなく笑いながら、手を振った。
「感想文さえ片付けちゃえば、もう図書館に行く用事なんてないと思ってたのに、この1週間、毎日図書館通いすることになるとは思わなかったな」
「でも、楽しかっただろう? 読書は」
ハツが横目でチラリと僕を見る。
「読書って言ったって、絵本だよ?」
「それでも、楽しかったんだろう? あの子のチョイスしてくれた絵本は」
「うん」
楽しい話、悲しい話、心が温かくなる話、切なくなる話、色々あった。
ドキドキしたり、ワクワクしたり、ハラハラしたり、ジリジリしたり。
感情めまぐるしくて、大変だったし、ちょっと疲れたけど、本を読むと、自分がいる場所を忘れて、非日常の世界に連れて行ってもらったような、そんな気分になるなって。
「毎日は疲れちゃうけど、たまになら、本を読んでも良いかなって思ったよ」
「あの子も、それを聞いたらきっと喜ぶだろうな」
「明日で最後かぁ」
読書週間の間だけ、お手伝いに来てる派遣天使って話だから、明日が終われば、もうあの子に会うこともないんだろうな。
「わからないぞ。来年の読書週間になれば、また会えるかもしれない」
「どっちにしろ、しばしのお別れってことに変わりはないじゃないか」
「まぁ、そうだな」
たった1週間、されど1週間。毎日顔を合わせていた天使、それも花のように可愛い、女の子の天使だ。お別れするのは、やっぱり寂しいものがあるよね。
「弟が世話になったお礼に、プレゼントでも贈ろうかな」
「それはいいけど、何を贈るっての?」
天使が喜ぶものなんて、一般人の僕にはわからない。
「決まってるじゃないか」
ハツは自信満々に言った。
「あの子の大好きな物、思いつくのは一つだけだろう?」
読書週間最終日、僕らが図書館に着いた時には、閉館まで10分を切っていた。
いつものように入り口で迎えてくれた天使は、いつものような嬉しそうな笑顔じゃなくて、「何でこんなに遅くなったの?」と言いたげな、寂しそうな笑みを浮かべていた。
「ごめんね。本当は、もっと、早く来たかったんだけど、ギリギリまで頑張ってたもんで」
不思議そうに首を傾げる天使に、僕は手を差し出す。
「これ、僕とハツから。1週間、君にはお世話になったから。そのお礼。ほんっとに大したものじゃないけれど」
天使は僕の手の中を覗き込み、目を輝かせた。
そこにあった物……緑色の表紙の本、僕とハツで何とかかんとか作りあげた豆本を、天使は嬉しそうに取り上げた。
「一番最初のページだけ、僕とハツでメッセージを書いたんだ。字汚いし、小さくて読みづらいかもしれないけど。後のページは白紙だから、日記にするなり、本の感想を綴るなり、好きなように使って欲しいな」
ハツの提案で、天使に豆本を贈ることは決まったんだけど、内容がどーしても決まらなくて。
本が大好きな彼女のために、物語が書かれた市販の豆本を買ってプレゼントしようか? という意見も出たんだけれど、せっかくだから、記念に残る本にしたい。
それならば、やっぱり、手作りがいいんじゃないか?
なら、手作りの豆本に、僕らが考えたお話でも載せる?
ストーリーはどうしよう?
考えた話を綺麗にまとめて、豆本として製本するのに、どれだけ時間がかかる?
本当に間に合うの?
散々悩んだ挙句、決まらないのであれば、無理して決めることはない、あの子に決めてもらおう、ということで、豆本型のノートにした。
ハツがインターネットで調べて、それを元に僕が作った。説明がよくわからないところは、頭の良いハツに、頭の悪い僕でもわかるように、噛み砕いて説明してもらって。
試作品を何個も作って、一番出来がいいのを持ってきた。
かなり時間はかかったし、ちょっと歪だけど、彼女に対する感謝の気持ちはたっぷりと込めた。
ほんのちょっとでも喜んでくれたら良いな、と思ってはいたけど、天使は豆本をすごく気に入ってくれたみたいで。
1ページ目のメッセージを読み終えると、天使は頬を桃色に染めた。髪と目の色と同じような桃色。
豆本を胸にぎゅーっと抱きしめて、僕らに深々と、頭を下げた。
「『こんなに素敵なものをありがとう。大事に使わせていただきます。またあなた方と出会えた時のために、このノートに私の好きな本を記していきます』だそうだ」
ハツの通訳に、僕はホッと胸をなでおろす。
「気に入ってもらえて良かった。短い間だったけど、ありがとう……君に教えてもらった絵本は、どれも凄く面白かったよ。また来年、ここの図書館で、会えることを楽しみにしてる。そしたら、また、君のオススメの本を教えてね」
天使は大きく頷いた。夕焼け小焼けのメロディが館内に響く。閉館の時間だ。
「『さようなら。私も、また、あなた方に会える日を楽しみにしてます』」
ハツの通訳を最後に、天使はあの花が咲いたような笑顔を見せて、夕焼けの空へと消えていった。
胸にしっかりと、僕らが作った、世界でたった一つの本を抱いて。
「来年までには、もう少し、その本嫌い直しておいたほうがいいかもな」
ハツは嫌味っぽく言ったけど、
「何言ってんのさ。僕が本嫌いだったからこそ、あの子と出逢えたんじゃないか。もし、僕が本好きで読書感想文だって自分で書こうって思ってたら、あの子に逢うことはなかったんだよ?」
ハツは目を丸くして、空を仰ぎ、「そうか。それも、そうだな」と独りごちた。
でも、本当に、来年までには、もう少し本嫌い克服しておいたほうがいいかな。
絵本も楽しいけれどね。
《おわり》




