彼のこと
◯月×日 晴れのち曇り
今日は、みんな、お疲れ様。
ほんっっっとに、疲れたわねえ。
まさか、あんなにドッタンバッタン、大騒ぎになるとは思わなかった。
さっき、簡単に説明はしたけれどね、改めて詳細を日記に書くことにします。
口で言うと、上手くまとまらない気がするし、途中で質問挟まれたり、感情的になられたら嫌だし。
これもある意味で家族の思い出の一つかな? とも思って。
まずは、昼間、伊吹と話をしたところから書くわね。
今日は、みんながいなくて、お昼は私と伊吹の二人だけだったのよね。ちなみに、メニューは素麺。伊吹は、「まーた素麺?」 て文句言いながらも、後になって「お腹はちきれそう」ていうくらい、食べてた。
素麺をすすっていたら、なんとなく、お腹、下腹のあたりが熱くなったの。
初亥は、よくわからないけど嫌な予感がする、ていう時、「心がざわざわする」とか、「心臓の音がうるさい」っていうけどね、実は私も、そう感じる時があるの。
私の場合は、下腹が熱がそれ。熱を使って、「この後、何かがあるよ」ていう信号を出してくれてるのね。
その時の信号は、伊吹の発言だった。
「子どもの声がする」って。
伊吹は、素麺を口に入れたままもごもご喋ったから、汚いからやめなさいてそこで一度注意をしたんだけどね。
口についたつゆを手の甲でふいたから、それもまた注意して、それから、
「子どもの声って、なあに?」
「あんね……、ん、てかね、れんれんの近くに来ると、俺、耳の聞こえ悪くなるんだ」
ここでいう、「耳の聞こえ」ていうのは、伊吹特有の「この世の物ではない物の声」て意味ね。
「なんかねー、妨害電波みたいなのでてんのか、れんれんの前だと、雑音入っちゃって、ほんっとに聞こえづらいんだわ。逆にはっちゃんや、豹くんが近くにいると、すんごいクリアに聞こえんだけど」
「そう。それで?」
「うん、なんだけどね、雑音の中に、時々、すんごい小さな音だけど、子どもの声が聞こえんだわ」
内心、ヒヤリとした。けど、
「そう? 気のせいじゃない?」
伊吹は上から下まで私のことを舐めるように見て、
「違う。今も、うっすら聞こえる。なんか、男の子? の声。れんれんの身体から聞こえる……たぶん、このへん、」
そう言って、伊吹はおもむろに、身を乗り出して、私のお腹、熱くなってる私の下腹に手を伸ばして来た。
「やめて!」
びっくりして、思わず、大きな声が出ちゃった。
伊吹もびっくりして、そのままの態勢で、固まっちゃった。
「あのね、伊吹。いくら、兄弟と言えども、私も女の子なんだから、許可も取らず、突然、お腹を触るようなことはしないで。これが他人なら、間違いなく痴漢扱いされてるわよ」
伊吹は元の位置に座り直して、しおらしく、「ごめんね」と謝った。こういう時は素直なのよね。
「いいよ。お腹触ってみたいなら、触ってごらん。でも、お腹の肉を摘んだりしたら、叩くからね」
伊吹はおそるおそる、手を伸ばして来て、服の上から、私の下腹を撫でた。
「なんか、熱い。ね」
「そうね」
「あのさ、」
眉を寄せて、神妙な顔して、何を言うのかと思ったら、
「もしかして、子ども、出来た?」
呆れて言葉も出なかった。でも、咄嗟に手は動いて、正面から思い切り伊吹の顔をひっぱたいていた。
伊吹は、いひゃい! て喚いてたけど、このくらいして当然よね。ちょっと手が痛かったけど。
「私がそんなふしだらな女の子に見えるの?」
「見えないから、心配してんじゃんかよー。いきなり叩くとか、ひどいよー」
伊吹は顔面を抑えて、涙ながらに訴えた。
「てーか、妊娠じゃないなら、なんで、れんれんの腹から、子どもの声がすんの? おかしいじゃん? それとも、れんれんは腹の中で、なんか飼ってんの?」
飼ってる、という、表現が伊吹らしくて、おもわず笑っちゃった。
「飼ってない。でも、私の中には、私以外にもう一人いるのよ」
お腹を撫でると、さっきまでの熱さは和らいで、触れていて、心地よいくらいの温かさになっていた。
わざわざ言うことじゃないから、黙っていようと思ったんだけどね、これは、きっと、みんなに教えてあげなって、『彼』が言ってるんだなって思って。
だから、私の秘密を伊吹に話したの。
これは、たぶん、みんなも知らないこと。
ずーっと前の話。どのくらい前かっていうと……私もよくわからないのだけど。
ひとまず、わかりやすいように、17年、18年前、まだ私たちが、私たちじゃなかった頃、お母さんの元にたどり着く前からにするわね。
その頃、私たちがいたのは、楽園を絵に描いたらこんな感じ、というような、水と緑と光に溢れたとても美しい場所だった。
そこにいるのは、子どもだけ。みんな揃いの、一枚の布を繋ぎ合わせて頭と手を入れる穴だけ作ったような、白いワンピースみたいな服を着て、思い思いに好きなことをしていた。
遊んだり、眠ったり、木の実を食べたり、川の流れを眺めたり。
あそこには時間て概念がなかったんだと思う。本当に四六時中好きなことをして過ごしていたから。
私たちは、いつからか、わからないけどね、もしかしたら始めからもしれないけど、いつも五人で一緒にいた。
五人で遊んだし、五人で食べたし、五人で眠ったし。
あの頃は今以上にもっと、ずーっと仲良しだったのよ。
でもね、ある時から、私たちは、六人になったの。
あれは、確か、伊吹だったと思う。あの頃はまだ、伊吹は伊吹じゃなかったけれどね、便宜上、伊吹ってことにしておいてね。で、伊吹が、一人ぼっちでいる子を見つけて、私たちのところに連れてきたの。
不思議なことに、その子の顔は靄がかかって、はっきりと思い出せない。きっとあの頃はちゃんと見えていたはずなのよ。今は、何かが邪魔をしているんでしょうね。
その子を見た時、私は、この子が来るのをずっと待ってたって、思ったのね。
長い長い時間、ここで過ごしていたのは、彼を待っていたから。よくわからないけど、私にはそんな確信があった。
彼の方も、私と目があうと、笑った、と思うんだ、どんな表情をしてたか、よく思い出せないのだけれど。
でも、
「待たせてごめんね」
て、言っていたから、彼もずっと私に会いたがっていたんだと思う。
それから、私たちは六人で過ごすようになった。
私と彼はいつも二人並んでいたけれど、遊ぶのも、食べるのも、眠るのも、六人で一緒。
五人の時も楽しかったけど、六人の時は、もっともっと楽しかった。とても幸せだった。
その時の私は、その幸せに終わりが来るなんて、知らなかったの。
ある日、私たちと同じような白い服を着た、おじいさんがやってきた。
不思議とこのおじいさんの、長くて立派な白い髭は覚えてるのね。地面についてしまいそうなくらいに、長ーい髭だったわ。
おじいさんは、手に持った鐘のようなものを鳴らして、子どもたちを集めた。
その中から、おじいさんは、子どもを何人か指差していった。
おじいさんに選ばれたのは、初亥、豹雅、樹里、伊吹、そして彼。その時、私は選ばれなかったの。
おじいさんは、私を抜いた五人引き連れて、川へ向かった。
川には大きな蓮の花が浮かんでいてね、みんなに、そこに乗るように指示したの。
「これから君達五人は、この蓮の船に乗って、あっちの世界へと旅立つんだよ」って話をして。
君達五人。つまり、選ばれなかった私は、みんなと一緒に行くことができない。一人でまた順番が来るのを待っていなくちゃいけない。
真っ先にそれに気付いた樹里が、「六人じゃなきゃ行かない!」って言い出して、豹雅や伊吹も一緒になって反対し出した。
初亥が、「自分が代わりに残るよ」て言ってくれたんだけど、それは、みんなで反対した。
六人一緒じゃないなら、誰か一人が残らなくちゃいけないなら、行かない! て騒いだら、おじいさんも困ってしまったみたいで。
「それなら、三人ずつに分けるかい」なんて言い出して、みんなは、もっともっと騒いだ。
でも、このままじゃいけない、おじいさんのいうことに逆らってはいけない、おじいさんが怒ったら、もしかしたら、私たち六人は、みんなバラバラにされちゃうかもしれない。
そう思って、みんなを止めようとしたら、彼が先に口を開いたの。
「六人で行かせてください。あっちの世界についたら、ちゃんと五人になるから」
私たちは、おじいさんも含めて、彼の言いたいことがよくわからなくて、言葉を失った。
彼は私の手を取って、
「もう離れるのは嫌なんだ。だから、キミと一緒になるよ。僕ら二人で一つになろう。それでいいね」
おじいさん難しい顔をしてあごひげを撫でていたけど、
「向こうの世界で肉体を持ち、一人の人間として生きていくことはできないよ? 本当に君がそれでいいというなら、時間も迫っているし、今回は特別に認めてあげよう」
彼は、「構いません」と言った。
私は、おじいさんの言葉でようやく意味がわかったの。
その時の私たちは、なんというか、「魂」みたいな存在だったのね。
蓮の花に乗って、これから、「人間」として生を受けるために、地上、あっちの世界に旅立つ。
ただし、用意されている場所は、五人分。
そこに六人分の魂が行っても、一人あぶれてしまうでしょ?
あぶれた魂は、仕方ないから、誰かと肉体を共有するしかない。
たぶん、そういうことだったんだと思う。
私は、そんなの駄目だって言った。
ちゃんと、人間として生まれよう。
無理することはないから、あとで必ず行くから、生を受けたら必ず探しに行くから、今は私を置いて、みんなと行ってきてって。
でも彼は、それは嫌だって。
「初めて会った時から数えて、ボクらは一体何回同じことを繰り返してきたかな? 生を受けても、すれ違い。やっと地上で会えたと思っても、またすぐに離ればなれ。キミもボクも、長い時間をかけて、やっとここで会うことができたんじゃないか。もう離れたくないし、探すのも、待つのも疲れちゃったんだ。だから、一つになりたい。ボクらが二度と離れないためには、こうするのが一番なんだよ」
彼は私をぎゅーっと抱きしめて、
「キミが嫌なら、この生が終わったら、また二つに別れよう。でも、お願いだから、今回だけは、ボクのわがままを聞いてほしい」
と、囁いた。
彼の頭越しに、みんなが、不安そうな、泣きそうな表情で、私たちを待ってるのが見えた。
どっちにしろ、五人じゃなきゃ駄目なんだ。一人あぶれてしまうのは、ここにいても、あっちの世界に行っても、変わらないんだ。
決めるのは私。全ては私にかかってる。だから、私も覚悟を決めて、彼を抱きしめ返した。
「ありがとう。ごめんね」
彼は、身体を離して、たぶん、笑ったと思う。
「いつも一緒にいる。いつも君を想ってる。言葉には出来ないけど、たまには、ボクの事を思い出して、話しかけてね」
彼は私のお腹のあたりに手をやると、光の粒のようになって、消えて行った。お腹のあたりがほんわりと温かくなったのは、彼が私の中に入っていった証拠だと思う。
「さようなら、気をつけて。道中、決して、振り向いては行けないよ」
おじいさんに見送られ、私たちは蓮の花の船に乗って、川を下って行った。
そこから、どこへ行ったのかは、覚えてない。
気づいたら、私たちは、この世界に存在していたから。
もちろん、彼も一緒にね。
残念ながら、私には、彼の声は聞こえない。
けれど、話しかければ、熱で答えてくれるの。
穏やかな時は優しい温かさで、危険な時や何かを知らせる時は熱くなったり、時々彼の機嫌が悪い時は、冷たくなったり、痛くなったりね。
彼は、私の大切な人。いつかこの身体を失って、またあの世界に戻れる日が来たら、今度こそ、二人別々の人間として生まれたい。そしてまた地上で巡り会いたいと思ってる。
伊吹は、「切ないね、いい話だね」てボロボロ泣いてね。
ひとしきり泣いて、落ち着いた後、
「お腹の彼と話がしたい!」
て言い出して。
私には聞こえないけれど、兄弟一耳がいい伊吹には、彼の声がかろうじて聞きとれるみたいだから、お腹に直接耳を当てれば、もっとよく聞こえるんじゃないかって。
それこそ妊娠した奥さんのお腹に耳を当てる旦那さんみたいで、さすがに抵抗があったけど、伊吹が、どーしてもっていうし、
「もしかしたら、れんれんへのメッセージとか聞こえてくるかもしれないよ?」
て言われたら。そりゃあ、気になっちゃうじゃない?
だから、畳の上に仰向けに寝て、伊吹がお腹に耳を当てて、ってしてたの。
そこに、豹雅が帰って来たのよ。
私たちを見て、豹雅は、引きつった笑みを浮かべてた。
「え、何、やってんの?」
そこでまた、伊吹が、
「んー? んーと、れんれんのお腹の子の音聞いてんの」
て、なんの説明もなく、しかも誤解を招くような表現で、そんなこと言ったもんだから、豹雅の顔から一気に血の気が引いて。
「お腹の子って、妊娠? レン、妊娠したの⁉︎ なんで、そんな、だって……まさか、誰かに乱暴された⁉︎」
ちがう! なんてこと言うの! て否定するよりも早く、またタイミング悪く、初亥と樹里が連れ立って帰って来て。
豹雅は泣くし、初亥は倒れるし、樹里は「初兄とお姉の弔い合戦だ!」とか怒り狂って「どこの誰にやられた⁉︎」て私に詰め寄ってくるし、伊吹は「超ウケるー」てケラケラ笑ってて、助けてくれないし。
終いにはお父さん、お母さんまでも、「蓮花が妊娠したって本当⁉︎」とか言い出して……誰かさんのおかげで、ほんっっっとに大変な一日になりました。誤解が解けてよかったわよ。
たぶん、この日のこと、私、ずーっと覚えてると思うわ。
これで、説明は全て、終わり。
おわかり頂けましたか?
☆
「これ、本当の話? レンの妄想じゃなくて?」
「信じ難いわよね。でも、私には記憶があるし、お腹が熱くなるのも本当。伊吹だって、声が聞こえるって言うしね」
「全然覚えてないんだけど」
「あたしも」
「初亥は、覚えてるでしょう?」
「覚えてるよ」
「初兄がそう言うってことは、本当なんだ」
「なんでー? なんで、はっちゃんと、れんれんだけ、覚えてるの?」
「さあな。それは、俺たちにもわからない」
「レンとその彼は恋人だったんだ? ずーっと昔からの」
「そういうことになるわね」
「てことは、れんれん、一生独身貫くんだね。お腹の中に彼氏がいるんだもんねー」
「でもさ、例えば、誰か他の人と結婚して、子ども生まれてってなったら、その彼が生まれてくる可能性あるの?」
「それはないだろうな。肉体を持たないって約束でこっちに来たわけだから」
「ふーん。そっかー」
「あのさ、その彼に、あたしらの言葉は届くわけ?」
「ええ、もちろん。今も話を聞いてるはず」
「じゃあ……ありがとう。お姉を、あたしのお姉にしてくれて。もし、お姉が一緒に来られなかったら、あたし、悲しかった。と思う。絶対悲しかったから。ありがとう」
「樹里……」
「いい話だねー」
「いい話だよ」
「いい話だけど、ほのかに百合のかほりがするな」
「ねえ、なんでこのタイミングで、そーゆーこと言うの? 本当やめろ」