日常小話・おやつの時間
萬屋兄弟の日常の一コマ、とりとめのない話。番外編のような物パート2.
おやつを食べながら「食い意地」について話す、長男と三男。
学校が終わって、まっすぐ家に帰ったら、珍しく一番乗りだった。
今日は短縮授業で、部活もないし、図書館にも寄らなかったから。
しかし、これは好都合。鞄の中から紙包みを取り出す。中身はクッキング部の友達から貰った鯛焼きが一つ。
部活で作ったんだけど、余ったからあげる。レンジよりもトースターで温めた方が美味しいよ……と美味しく召し上がるためのアドバイスも一緒に貰ってきた。
温めた鯛焼きに、濃い目のお茶も用意して、お膳立ては完璧だ。
居間の座卓の前に座り、鯛焼きに手をかけたところで、玄関から「ただいまー」と大きな声が聞こえてきた。
「あっ、一人でいいもの食べようとしてる!」
足音荒く、伊吹が居間に飛び込んできた。
「おかえり」
「はっちゃん、それ、どうしたの? 美味しそうだね」
そう言われると思ったから、伊吹の声が聞こえたと同時に、鯛焼きを半分に割ったんだ。
「学校の友達に貰ったんだよ。半分食べるか?」
「食べるっ!」
伊吹は俺の向かいに座り、差し出された鯛焼きを嬉しそうに受け取る。
匂いをかいで、いざ大きな口を開けてかぶりついた……と思ったら、口を閉じ、自分の鯛焼きと俺の持っている鯛焼きの半分を見比べだした。
「どうした? 大きさが気になるのか?」
なるべく均等になるように分けたつもりなんだけどな。
「ううん。そうじゃないんだけどー、」
伊吹は改めて鯛焼きを一口かじり、満足そうにニコニコしながら、
「はっちゃんて、実はすごい優しいよなーって思って」
と言った。
「何だ、突然」
というか、「実は」っていうのは何なんだ。
「ちょっと思ったの。はっちゃんが優しいってのもあるんだけど、うちのこどもたちは、みんな、優しくないよなーって」
「そうか?」
普段、あいつらと接していて、しみじみ「優しいなぁ」と感じることはないけれど、だからって「優しくない」と感じることもない。
「それは、相手がはっちゃんだから、みんな気使ってるんだよ」
「伊吹は、あいつらと接していて、優しくないなって思うことがあったのか?」
「あった」
「いつ?」
「この前。れんれんがおやつにケーキ買ってきてくれたじゃん?」
「ああ、あったな、そんなこと」
先月だったか。新装開店したケーキ屋を見つけたとか言っていたような。
「あの時家にいたのは、れんれんと俺だけだったから、二人で先に食べようってことで、一個ずつ好きなケーキを取ったのね」
「うん」
「俺が自分の食べ終わった時、れんれんはまだ半分しか食べてなくてー。俺が取ったのはプリンで、れんれんはイチゴのケーキだったから、『美味しそうだね』って言ったのさ」
「それで?」
「そしたられんれんは、ちょっと考えて、『じゃあ、一口だけね』って」
「よかったじゃないか」
今の話の何処が優しくないんだろう。
「よくないよ。だって、『一口だけ』って条件つけたんだよ。それって『本当は嫌なんだけど、仕方ないから分けてやるよ』ってことでしょ? 人に物を分け与える気があるなら、もっと気持ちよく分けてくれればいいのにさー。『一口だけ』だなんて、みみっちいと思わない?」
伊吹は口を尖らせて言った。
うん、言いたいことは、わかる。
「一応聞くけど、伊吹は自分の分、全部一人で食べちゃったんだよな?」
「食べたよ?それが何?」
『何か文句でもある?』と言わんばかりの口調に、何故か俺の方がたじろいだ。
「いや、何ってことはないけど……じゃあ、蓮花に『一口だけ』って言われたのに腹が立って、結局イチゴのケーキは食べなかったのか?」
「ううん。食べたよ。一口だけ、ね」
伊吹は、最後の『一口だけ』をわざとらしく強調した。
いや、でも、一口食べたんだったらいいじゃないか。
人に物をもらっておいて、何だろうその言いぐさは。
大体にしておまえが一人で食べたプリンだって、蓮花が自分のお小遣いで買ってきた物なんだぞ。
自分の分だけだってよかったのに、家族全員分のケーキを買ってきてくれた蓮花に対する感謝の気持ちはないのか。
そう思っても、それを口にする気はない。
今ここで偉そうに説教なんてしても、伊吹の機嫌を損ねるだけ。それは面倒だ。
俺の気も知らず、伊吹は拗ねたように、
「ね、れんれん、優しくないよね。ケチぃよね。みみっちいよね」
「どうだろうな」
反論はしないが、賛同も出来ない。
「それにさ、豹くんもひどいんだよ。豹くん帰ってきた後、一人でティラミス食べてたんだ。だから、『美味しそうだね』って言ったの。したら、『うん、美味しいよ』っていい笑顔で返して。でも手は止めないのさ。だからもう一回、『それ、本当に美味しい?』て聞いたら、豹くん、『うん、本当に美味しい』って。でも手は止めないんだよ」
伊吹は口をつぐんで、俺を見つめる。何かコメントを求められているようだが、何を言えばいいんだ。
「……美味しかったなら、よかったんじゃないか」
あ、これ、さっきも言ったな。
伊吹は気付いてないのか、
「そりゃ豹くんはいいでしょうよ。豹くんが食べ終わる直前、もう一回、『それ、美味しいんだ』って言ったら、『美味しいよ、ってさっきから言ってるよね……?』って怪訝な顔して、でも手は止めないから結局一人で全部食べちゃったんだよ! ひどくない!?」
今の話の一体何処が酷かったのか、俺にはさっぱりわからない。
「可愛い弟がじーっとケーキを見つめて、『美味しい?』って訊いてるんだからさー、『食べる?』くらい言ってくれてもいいと思わない!? てゆーかフツーは言うでしょ!? 現にさっき、はっちゃん、俺に『食べる』って訊いてくれたし!」
「そうだな」
俺は、まあ、慣れてるから。
「豹くんは思い遣りがない! 気配りが出来ない! 空気よめない! すなわち、優しくない! ね!? そうだよね!?」
伊吹は鼻息荒く、同意を求めるが、俺は「そーかなー。どーだろーなー」とお茶を濁した。
内心では、そんなまどろっこしいことするくらいなら、自分から『ちょっと頂戴』って言えばよかったんじゃないのか? と思ってる。
伊吹が不服そうな顔をしている。同意を得られないのが面白くないのだろう。怒りの矛先がこちらに向いたらたまったもんじゃない。
「それで、樹里には何て言われたんだ?」
伊吹は「おぉ」と感嘆の声をあげた。
「さすが、はっちゃん、まだ何にも言ってないのに、よく、じゅりじゅりにも意地悪言われたってわかったね」
別に俺じゃなくても、話の流れでわかると思う。
「そう、じゅりじゅりが一番ひどかった! じゅりじゅり、帰ってくるの遅くて夕飯のデザートにチーズケーキ食べてたんだよ。で、癖でね、『チーズケーキ、美味しい?』って聞いたら、つめたーい目で、軽蔑したみたいな口調で、『あんた自分の分食べたんでしょ?』って」
黙っていたら、伊吹は拳で座卓を叩き、「『自分の分食べたんでしょ』って言われたのっ!」と繰り返した。
「それは、何と言うか……アレだな」
アレってなんだ。我ながら今の返しは適当すぎるだろうと反省。
「俺、別に、じゅりじゅりに『ケーキ分けて』なんて言ってないじゃん! チーズケーキ嫌いだし! なのに勝手に勘違いして、人を食い意地張ってる、さもしい人間みたいな扱いしてさ! 失礼にも程があるっしょ!? そう思わない!? 思うでしょ!?」
伊吹は座卓をドンドン叩く。俺は「そうだなー」と唸るしかない。
おまえ、さっき、『美味しそうだね』の裏に隠された『ちょっと頂戴』という気持ちを汲み取ってくれなかった豹雅を思い遣りがないと罵ったくせに、『美味しい?』=『ちょっと頂戴』だと判断した樹里のことを失礼だと批判するのは、矛盾していないか? 頭に血が上っているから気付かないか?
「だからね、そーやって考えると、俺の気持ちをちゃーんとわかってくれる、優しい兄ちゃんは、はっちゃんだけだよなーって。あの日だって、俺、はっちゃんに何にも言わなかったのに、チョコレートケーキまるごと一個、譲ってくれたもんね」
「そうだったな」
それは単純に俺が甘いものがあまり好きではなかったから。そして、俺が帰るまでの間に、兄弟たちにつれない態度をとられたせいで、不機嫌MAXだった伊吹を見るに見かねてだ。
伊吹の機嫌が悪いと、他の兄弟たち(特に樹里)も不機嫌になって、喧嘩に発展する可能性があるからな。火種は小さいうちに消しておいた方がいい。
「それに比べてねー、れんれんはみみっちいし、豹くんは思い遣りがないし、じゅりじゅりは意地汚いし、みんな優しくないよねー」
それには答えず、逆に訊いてみる。
「もし、蓮花や豹雅や樹里が、伊吹がおやつを食べてる時にやってきて、『美味しそうだね』とか『それ、美味しい?』って言ったら、おまえ、どうする?」
伊吹は目を丸くして、
「どうするって、別にどーもしないよ」
どうもしない、とは。
「『食べる?』とか言わないのか?」
「えー、何で俺が『食べる?』とか訊かなくちゃいけないの? 分けてほしかったら『分けて』って自分から言うべきでしょ」
「じゃあ、『分けて』って言ったら、分けてやるのか?」
「んー。その時何食べてるかによるかなー。でも基本、『俺の物は俺の物』だから分けたくなーい」
「そうか」
結局、一番みみっちくて、思い遣りがなくて、意地汚いのはおまえじゃないか。
「でも、はっちゃんにはあげるよ。何にも言わなくてもはっちゃんには、分けてあげる。俺、優しくて、気配りできて、兄ちゃん想いの超良い子な弟だからさー」
伊吹は得意気に言う。見れば、半分にした鯛焼きは既に食べてしまったらしい。
冷めてしまった鯛焼きを差し出し、
「尻尾の方、食べるか?」
「え、いいの? ありがとー。何か悪いねー」
伊吹は嬉しそうに残りの鯛焼きを頬張る。
「やっぱりはっちゃん、超優しーよね! はっちゃんのそーゆーとこ好き。マジ愛してる! って思う」
鯛焼き一匹あげたくらいで、愛してるか。随分と軽い愛だな。
「俺も、おまえの、そーゆーとこ良いと思うよ」
奔放で、勝手で、ワガママで、調子がよくて、気分屋で、自分一番、自分良ければすべて良し。でも、明るくて、無邪気で、良くも悪くも素直で。それが原因で時々腹が立つこともあるけれど、「優しい」も「ありがとう」も「好き」も言い渋ったりしない。「好き」に対する思い入れは深い。だから何処か憎めない。
「おまえは、本当にいい性格してるよ」
「いやぁ」と伊吹は照れた素振りを見せるが、今のは褒めたわけじゃない。
そんなこと言ったら、せっかく幸せそうに鯛焼きを食べる伊吹の気分を害するだろうから、言わないけれど。
あの日の夜、おまえが、みみっちい、思い遣りがない、意地汚いと、散々なじった兄弟たちが、
「伊吹の食い意地は何とかならない?」
と俺に相談を持ちかけてきたのも、今は、黙っていよう。
≪fin≫