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日常小話・奴はこう言った。

萬屋兄弟の日常の一コマ、とりとめのない話。番外編のような物。

 門のところでいっちゃんにあった。


 険しい顔してたのに、僕の顔を見るなり、瞬時に「おかえりー!」と笑顔を向けてくれた。こういう時の切り替えは見事だなあと思う。


「ただいま。怖い顔してたけど、何かあったの?」


「じゅりじゅりと喧嘩」


 いっちゃんは唇を尖らせた。


 険しい顔をしてた理由はそれか。また何かくだらないことで揉めたんだろうな。


「気分悪いからちょっと走ってくる。じゅりじゅりもれんれんも機嫌悪いから、八つ当たりされないよーに気を付けてねー」


 それは嫌だな。


 いっちゃんにバイバイと手を振り、家へ入る。


 レンとジュリーはどこにいるんだろう。部屋に行くには居間の前を通らなきゃだけど。


 八つ当たりされるって決まったわけじゃないのに、見つからないように忍び足で歩いた。


 居間の障子は閉められていた。物音はしない。居間にはいないのかな?


 障子の隙間からこっそり中を覗いてみる。


 いた。二人がいた。畳に座るレンの膝の上にジュリーが顔をふせて体を震わせてる。レンは困ったような顔でジュリーの頭を撫でていた。


 自分の目を疑うってこういうことだ。まさか、そんな、あの気の強いジュリーが?


 見つからないように気を付けていたのも忘れて、僕は勢いよく障子を開いた。


「泣いてるの⁉ 何で泣くの⁉ 泣くほど酷いこと言われたの⁉」


 僕の声を聞くなり、ジュリーは勢いよくレンの膝の上から上体を起こしてそっぽを向いた。僕に泣いてるのを見られるのが嫌みたいに。


「あら、おかえり。早かったわね」


 レンはのんびりした調子で言った。何もなかったように平然としてる。


「え、何があったの?」


「何もないわよ」


 レンはうそぶく。


「隠さないでよ、いっちゃんとジュリー、喧嘩したんでしょ」


「そんなのいつものことでしょ。何かあったうちには入らないわよ」


 それはまあその通りって言えばその通りなんだけど。


「でも、ジュリー、泣いてたよね。気の強いジュリーが泣くなんてよっぽど酷いことがあったんでしょ?」


 背中に向かって訪ねても、ジュリーは返事をしない。スンスンと鼻をすする音だけが聞こえた。


「わかってないわねえ」


 なんだか楽しそうに、得意そうにレンが笑った。


「気が強くたって、力が強くたって、樹里だって人間なんだから。泣きたくなることだってあるわよ。それに、豹雅が知らないだけで、私や初亥の前だとけっこう泣いてるわよ」


「余計なこと言わないで」


 ジュリーは不機嫌丸出しの固い声でぴしゃりと言い放った。


「それで、いっちゃんに何を言われたの?」


 ジュリーは背を向けたままやっぱり答えない。


 レンに視線を移すと、代わりにさらっと答えてくれた。


「伊吹にデブって言われたのよね」


「違うっ! そんな単純な話じゃないっ!」


 突然大声を出すから、レンだけじゃなくて僕までびっくりしてぶっ飛んじゃったよ。


 ジュリーの顔は怒りや悔しさや恥ずかしさや色んな理由で真っ赤になっていた。


「なら、自分で話しなさいな。豹雅は樹里のこと心配してるみたいだから」


 「ねえ?」とレンが僕に同意を求める。僕は力一杯頷く。


 ジュリーは長い息を吐いた。


「……豹兄には見られたくなかった」


 ボソッと呟かれた言葉に、罪悪感。


 帰ってくるタイミング悪かったみたい。迷惑だったみたい。やっぱり居間を覗かないで真っ直ぐ自分の部屋に行けばよかったみたい。今更遅い。


「最近、太ったみたいなの……体重が、少し、増えたんだよ」


 ジュリーは唇を尖らせ、不平不満を述べるみたいに言った。こういうところ、いっちゃんに似てる。


「あたしも一応『女の子』なんで、気にするんで。お姉に太ったかもって話したの」


 ジュリーはレンを見る。レンは頷いて、


「私には全然そんなふうに見えないんだけどね、豹雅はどう思う?」


「えー?」


 何でそう言うこと聞くかなあ。


 でも答えないわけにはいかないみたいだし、まじまじとジュリーを見る。


 ジュリーは兄弟の中で一番背が高いし、上から下まで全体的に平べったい(なんて本人に言ったら絶対怒られるだろうけど)レンに比べたら(比べるのも失礼だろうけど)、体つきがしっかりしてて、凹凸がはっきりしてる。例えるなら海外の女優さんみたい。グラマラスて言うのかな?


 そんなジュリーが多少太ったとしても、毎日見てる僕にはよくわからない。


「太った感じなんかしないけどな。ジュリーはよく筋トレしてるし、筋肉量が増えたんじゃないの?」


 ジュリーは真剣な眼差しで僕を見つめる。じっと見られると、何だか怖い。いや、恥ずかしい。


「あたし、もっと痩せた方がよくない?」


「そんなことないよ。ジュリーは今のままで十分美人さんだよ」


「本当?」


 ジュリーの目力が強くなる。やっぱり怖い。


「本当に綺麗だよ」


 兄が妹にかける言葉じゃない? でも事実、ジュリーは美人さんだ。迫力美人。パッと見、性格キツそうだけど。実際性格キツいけど。


「せっかく綺麗なのにもったいないよ。痩せる必要なんてない」


 僕の言葉にレンとジュリーはうんうんと頷きあう。


「豹雅らしいわね」


「さすが、豹兄」


 ……何となくわかってきたかも。話の流れ的に、レンがジュリーをフォローしてるところに、いっちゃんがやってきて、


「じゅりじゅりデブったのー? やっぱりー? なーんか最近ケツでかくなったなあーって思ったんだよー痩せればー?」


 とか、余計なことを言ったんだろう。


 僕なら「また余計なこと言って」ってため息一つですましちゃうけど、ジュリーは僕とは違う。


 真面目だからどんな言葉でも受けとめる、聞き流したり出来ない。だから傷つく。


 そう考えると、いつも、いっちゃんの悪気はないけど素直すぎる余計な言葉に傷つけられて、ジュリーは可哀想だなって思う。


「きっと初兄も『太ったように見えない』って言うと思う。『でもお前が気になるなら、痩せられるよう努力をするのもいいかもしれない。無理しない程度にな』って励ましてくれると思う」


 優等生な意見。ハツなら言いそう。


「でも伊吹は、あのバカは、『痩せた方がいいよ』って」


「え?」


 いっちゃんのことだから、深く考えもせずにもっとストレートな言い方すると思ったのに。意外と普通。


「ただ痩せろって話ならあたしだってこんな怒んないよ。あいつ……あのバカ、あのサル、その後に、『ブスはどーにもなんないけど、デブは自分の努力次第でどーにでもなるじゃん。どーにかなるうちに、デブだけは何とかした方がいいってー』って!」


 訂正、普通じゃなかった。想像をはるかに越えた酷さだった。


 普段兄弟のことを悪く言うことはないレンもこの発言には呆れたみたい。


 しみじみと、


「ほんっとにおバカよね」


「うん、すっごいバカだよ」


 僕もフォローできない。いっちゃん、何でそういうこと言うの。言っていいことと悪いこと、考えればわかるでしょ。何で言う前に考えないの。


「本当バカ。本当クソ。本当ハゲ。本当サル」


 落ち着いていた怒りが再燃したのかジュリーは拳握りしめてぶるぶる震えている。


「あいつ何なの。ほんっと何なの。何であんなデリカシーないの。頭おかしいの。あんなのが身内なんて最悪なんだけど。本当に嫌なんだけど」


 拳を畳に叩きつけて、ジュリーはやりきれない気持ちをぶつける。


 引っ込んだ涙がまたうっすらと目尻にたまってきた。


 泣くの? 泣いちゃうの?


 こんなジュリーを見るのは初めてで、どうしていいのやら、わからない。


 席を外すのも薄情な気がするし、ずっとここにいるのも申し訳ない気がするし。


 突然何を思ったのか、別に何も思ってないかもしれないけど、レンがやんわりとした口調で、


「樹里の怒りはもっともだけど、だからって自分の弟を汚物に例えて罵るのは如何なものかしらねえ」


 今はどーでもいいよ、そんなこと。


 ジュリーは素早く顔をあげて、レンを睨む。でもすぐにその顔から怒りの表情は消えた。


 障子の隙間からこちらの様子を伺うハツに気付いたらしい。ていうか、いつの間に。


「あら、おかえりなさい」


「ただいま」


 ハツはジュリーの真向かいに腰を下ろした。


「途中からだけど、話は聞かせてもらったよ」


「途中ってどこから?」


「バカ、ハゲ、クソ、サルのあたり」


 それ、話聞いてないに等しいと思うんだけどな。


「で、何を言われたんだ?」


 やっぱり全然話わかってないじゃない。


 今までの流れをレンとジュリーで説明した。


 一通り聞き終えると、ハツは頷き、きっぱりと、


「それは全面的に伊吹が悪い」


「でしょ⁉」


 ハツの同意を得られたのが嬉しいのか、ジュリーは勢い込む。


「お前は今のままで十分綺麗だから、伊吹の言ったことなんて気にすることはない」


 頷いたけれど、ジュリーの表情は暗い。気にするな、と言われて気にしないでいられたらいいけど、そうもいかないよね。


「伊吹は謝ったのか?」


「謝ってない」


「じゃあ謝らせよう」


 ハツはズボンのポケットから携帯電話を取り出す。


「その前に……樹里、今回のことは全部伊吹が悪い。だから謝らせる。でも、バカ、ハゲ、クソ、サル……は、まあいいとしても、頭おかしいとかデリカシーがないとか責めることはするな」


「何でよ」


 ムッとしたような声でジュリーは問う。


「あいつは悪気があって言ったわけじゃないから」


 ジュリーの目がぐわっと見開かれた。


「悪気がなかったら何言ったっていいっての⁉」


「そうは言わない。でも、あいつは自分が言ったことで、樹里がこんなに傷ついてるなんて、思ってもいないはずだ。いつもの悪ふざけの延長、コミュニケーションの一種だと思ってる」


 ハツは大真面目な顔で言った。


「何で初兄にそんなことがわかんの。悪気がないって何で言い切れるの。あたしを傷つけるためにわざとあんなこと言ったかもしれないじゃない」


 ジュリーの表情は険しい。でも、怒っているというより、伊吹を責めるなと言ったハツに対して、結局初兄も伊吹の味方をするんだねと悲しそうに語っているように見えた。


「なら逆に聞くけど、樹里は伊吹に対して物を言うとき、悪意を込めてるか? 伊吹を傷つけようと思ってるのか?」


 ジュリーの目が戸惑ったように揺らいだ。


「昨日、伊吹が元気よく帰って来た時、お前は『うるせーのが帰って来たよ』って言ったな。あの時、本当は伊吹に対してうるさいから帰ってくるなって思ってたのか?」


「思ってない。そんなこと思うわけないでしょ」


 決まり悪そうに、でもきっぱりとジュリーは否定した。ハツは表情を崩さない。


「じゃあ何であんなこと言った?そんなこと言う必要ないだろう?何で普通におかえりって言えない?」


「それは、」


 言葉に詰まったジュリーは、うつむく。


 僕は何だか心の中がドキドキざわざわして、しきりにハツとジュリーを見比べてしまう。


 レンは穏やかな笑みを浮かべて、ハツの話を聞いている。


「……そんなの、昔っからそうでしょ。伊吹とは喧嘩ばっかりしてるから、『ただいま』『おかえり』の挨拶も普通に出来ないの」


 「や、」。ジュリーは言葉を切って、少し考える素振りを見せる。


「……出来ないことはない。けど、普通にしたらそれはそれで何か変な感じするし、今更だし。そんな深く考えて突き詰めることじゃない。初兄にはわからないかもしれないけど、あたしと伊吹はお互いにお互いをバカにして罵って、それが当たり前、それがコミュニケーションになってんだよ」


 そこでジュリーは何かに気付いたようにハッとして顔をあげた。ハツが優しい笑みを浮かべる。


「自分でわかってるじゃないか」


 ジュリーは悔しそうに、


「でも、あたしはすっごい傷ついた!」


「確かにお前は伊吹の言葉で傷ついたな。じゃあ伊吹が日頃お前に投げつけられてる、バカだのアホだのサルだのって言葉に傷ついてないって言えるのか?」


 ジュリーは唇を噛み締めてハツをにらむ。レンが小さく拍手をする。何でこのタイミング? その拍手はどういう意味?


「ごめんな、樹里。お前を責めるつもりはないんだよ。ただ感情に任せて伊吹を罵るようなことはしてほしくなかったから」


 ハツはようやく携帯電話をいじり出した。


「お前が伊吹を想ってるくらいには、伊吹もお前のことを想ってるはずだよ」




 いっちゃんは十五分くらいで帰って来た。


 走ってきたらしく、居間に飛び込んできたときは、全身汗だく目も鼻も耳も頬も真っ赤になっていた。


「ごめん、じゅりじゅり! マジ超ごめん! 全部俺が悪かった!」


 ジュリーの姿を見るなり、畳の上にひれ伏して土下座。


 そこまでやる?


 僕もレンもハツも、当のジュリーまでびっくりして、ちょっと引いちゃったくらい。


「はっちゃんからメールもらって走って帰ってきたんだよ。俺がデブスって言ったから、美容整形手術を受ける、それが出来ないなら死んでやるって大騒ぎしてるって。いつものジョークのつもりだったんだよー。そんなことで死ぬとか言わないでよー。俺のタイプではないけど、じゅりじゅりは美人さんだから! 整形とか必要ないから! 俺の言葉が信用できないなら、今すぐ俺の友達50人くらいにじゅりじゅりの写真送って美人かどうかアンケートとるからさー、そんなことで死ぬなんて言わないで!」


 一気に捲し立てられて口を挟む隙もなく、ジュリーは困惑の表情のまま固まっている。


 レンが眉を寄せ何か言いたそうにハツを見た。おそらく、いっちゃんに送ったメールの内容について咎めるつもりだったんだろう。


 ハツはレンの視線に気付いてるだろうに気付いてないふりをして、じっとジュリーといっちゃんのことを見つめていた。


「……あんたさ、」


 ようやくジュリーが口を開いた。真正面からいっちゃんを見据える。


「他の子にも言ってんの? デブだとかブスだとかゴリラだとか」


 いっちゃんはとんでもないと言わんばかりに首を振った。


「女の子相手にそんなこと言うわけないじゃん!」


「あたしだって女の子なんだけど?」


 いっちゃんは、きょとん、として、三秒後くらいに、


「そっかー! じゅりじゅりも女の子だったんだー! 忘れてたー!」


 ジュリーは肩を落とし、レンは声を殺して笑い、ハツは頷いて、僕は呆れた。


 いっちゃんに悪気がないのはよーくわかったけど、もうちょっと考えようよ。


「わかった、じゃあ、もう、じゅりじゅりのこと、ブスとかデブとかメスゴリラとか、デカブツとか身長と胸にとられて脳ミソまで栄養回ってないんだねーとか言わない」


「あんた、いつもそんな酷いこと樹里に言ってたの?」


 同じ女の子として聞き捨てならなかったらしく、レンが悲鳴に近い声をあげた。


 でも、いっちゃんは気にしない。


「言ってたよー。でももう言わない。他の女の子と同じように、やさしーく接するから」


 「ね、それで許してくれる?」と笑ういっちゃんに、ジュリーは「それはそれで気持ち悪いんだけど」と返す。身も蓋もない。


「その代わりー、じゅりじゅりも俺のことバカだアホだハゲだクソだサルだって馬鹿にすんのやめてよね。OK?」


「それは無理」


 ジュリーは間髪いれずに答えた。


 今度はいっちゃん(と僕ら3人)の方が面食らった。


「え、無理? 無理なの? 何で無理? お互いに悪口やめよーって言ってんのに? 何で無理なの? そんなに俺のこと嫌い? そんな罵りたい?」


 今度はいっちゃんの方が悲しそうにジュリーに迫る。


「てわけじゃないけど」


 ジュリーは不貞腐れたような顔して、ボソボソ喋る。


「今までずっと喧嘩友達みたいに、顔見れば罵りあってたのに、それがなくなったら、変な感じにならない? あたしと伊吹じゃないみたいて言うか、変に緊張して今まで以上に会話なくなりそうて言うか、仲悪くなりそうていうか」


 今だって決して仲が良いとは思えないけどな。


「んー、確かにじゅりじゅりの言う通りかもー」


 いっちゃん、天井を仰ぎながら、少し考えて、


「じゃあ、やっぱり今まで通りでいっか。言い過ぎたらその時はその時で謝ればいいしー」


 軽いなあ。


 でも、ジュリーが「それがいい、そうしよ」って納得してるんだから、いいか。


 この時間はなんだったんだろうて思わなくもないけれど。


 それから、いっちゃんがお詫びとして買ってきたプリンをみんなで食べた。


 味が二種類あって、誰がどれを食べるかでまたいっちゃんとジュリーが揉めたけど、いざ食べ始めたら、「美味しいねー」「幸せー」と掛け合いしだしたから、やっぱり何だかんだでこの二人は仲がいいんだろうな。


 僕にはわからないけど、二人なりに仲良くやってるんだろう。


 今日も僕らは平和だ。




<FIN>

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