何時か、もしも。
○月×日 曇
昨日の夜というか今日の朝というか。何時だったのかはっきりしない。
夜中、豹雅と伊吹で何やら話をしてただろう。
二人のヒソヒソ喋る声で目が覚めたんだ。うるさかったわけじゃないが、一度目が覚めてしまうとなかなか寝付けないから、聞くとはなしに二人の話を聞いていた。
たぶん、ゲームの話とか、昨日見たテレビのこととか、学校のこととか、そんな他愛もないことだったんだと思う。
ぼんやり聞き流していたら、会話が途切れて、しばらく間が出来た。
そして唐突に伊吹が言ったんだ。
「五人のうち誰かがいなくなったらどーする?」と。
いなくなるという表現が曖昧で漠然としてるなと思った。
「いなくなるって、どういうこと? 離れて暮らすってこと?」
「ううん、死んじゃったらーってこと」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「でも、いつかはそーゆー日が来るわけじゃん?」
「そりゃ、いつかはね。でもそんなの僕らがもっと大人になって、それこそ就職だの結婚だの自立したあとの話でしょ?」
甘いな、豹雅は……と思ったら、伊吹も同じことを言った。
「甘いねー、豹くんは。このご時世、何時何処で何が起きるかわからないんだよ。みんなで100歳まで生きられればいーけどさー、現実的に考えてそーゆーわけにはいかないでしょ」
「それは、まあ、そうだけど」
「だからー、もし、近い将来、誰かがいなくなったらどーする、てこと」
また少し間が出来て、豹雅の唸るような声が聞こえてきた。一生懸命考えているらしい。
俺は反対側を向いていたから、二人の姿は見ていない。ちょっとでも身動ぎしたら二人が話をやめてしまうんじゃないかと思って、そのままの体勢で話を聞いていた。
「忘れる……忘れるよう努力する、かな」
長考の末、豹雅が出した答えは俺としては意外な物だった。
「え、忘れちゃうの?」
「だって、ずっと五人で生きてきたのに、四人とか三人になったら寂しいし悲しいから。何か見る度に、楽しかったこととか思い出して、毎日泣いて暮らす。そんなの嫌だから」
もしもの話なのに、豹雅は本当に苦しそうに言った。
「だからね、薄情だけど、最初からいなかったことにしたい。僕たちは五人兄弟じゃなかった、いなくなった兄弟のことは、そんな人間は初めから存在しなかったって思って、毎日明るく元気に生きたい」
「そりゃ薄情だわー、ないわー」
批難するような伊吹の言葉に、豹雅は気を悪くしたようだ。
「じゃあ、いっちゃんはどうするの」
「俺はねー、心中する」
心臓が大きな音をたてて鼓動した。飛び出てくるんじゃないかと思って、咄嗟に口許を押さえた。
「心中」なんて、まさかそをな物騒な言葉が出てくるとは思わなかったから。
「心中? 自殺てこと?」
「ちょーっとちがう。心中だもん、残された兄弟みんなで死んじゃうの。そーすりゃ俺らも、先にいっちゃった兄弟も寂しくない。いい考えじゃーん?」
無邪気に笑う伊吹の声に狂気を感じた。どこがいい考えなんだ。
そんな伊吹の話を聞きながら、「あー、なるほどね、それは思い付かなかった」と感心してる豹雅もどうかしてる。
「それ、誰がいなくなってもするの?」
「するよー。何で?」
「いっちゃん、ジュリーとはあんまり仲良くないから」
「あー、そっかー、そーだねー」
伊吹はちょっと考えて、
「俺、じゅりじゅりいなくなったら、後悔すると思うんだよね」
「何を?」
「もっと仲良くしておけばよかったーとか、もっと優しくしてあげればよかったーとか。今は喧嘩ばっかりだけど、いなくなったらやっぱり寂しいよねー」
そうやって普段の生活を省みるは大切なことだ。
そう思うのなら、今のうちから仲良くしておけばいい。
明日からでも樹里と喧嘩しないように気を付ければいい。
と思っても、声には出せない。
「じゃあ、もし、僕が真っ先にいなくなったら?」
「もちろん、寂しいし、悲しいよ。もっといっぱい一緒に遊んでおけばよかったなーて思う」
姿は見えないけど、豹雅が笑った気がする。
「レンがいなくなったら?」
「かなしーよねー。れんれんには、いつもいっぱい迷惑かけてるしー、可愛がってもらってるしー……ちゃんとお礼言ったことなかったから、そっちでも後悔すると思う」
「ハツがいなくなったら?」
たっぷり十秒間があった。思わず振り返ろうと思ったくらい。
「……どーやって生きていったらいいのかわかんなくなると思う」
「わかる。僕もハツがいなくなったら、どうしたらいいかわからない」
思いがけず胸が熱くなったか。が、泣くわけにはいかない。それ以前に話の内容が危ない。感動してる場合じゃない。
「はっちゃんがいなくなったら、俺ら、ぜーったいダメになるもん。そしたら、やっぱ、みんなではっちゃんを追うのがいいよねー。したら、はっちゃんも寂しくないだろうしー」
寂しいとか寂しくないとかの問題じゃないだろう。自分のせいで兄弟たちが後追い自殺なんてしたら、死んでも死にきれない。
「でもさ、そう思ってるのはいっちゃんだけだよね。みんなが心中なんて嫌だって言ったらどうするの?」
「実力行使。強制連行」
淡々とした物言いに、背中がゾクッとした。
「……いっちゃんの気持ちはわからなくもないけど、でも、やっぱり僕は生きていたいな」
「なーにー、豹くん、裏切るの」
伊吹が不服そうな声をあげた。
「裏切るも何もないよ。最初に言った通り、僕はいなくなった兄弟のことは記憶から抹消したい派なんだから」
「みんなに悪いなーとかは思わないの?」
「僕のせいで死んだとかなら思うよね。でも、そうじゃないなら思わない。生きてるなら、生きなきゃ。てか悪いなーて思わなきゃなのは、むしろ、いっちゃんの方じゃない?」
豹雅の問いかけには答えず、伊吹は冷ややかに、
「ほんっとに薄情だねー」
「兄弟に依存しすぎなのもどうかと思う」
「裏切り者には制裁を加えなくちゃーねー」
「いっちゃんにはいっちゃんの考えがあるように、僕には僕の考えがあるってだけの話じゃない」
「駄目。そんなの許さない」
「いっちゃんに駄目とか言う権利ないでしょ。僕の人生なんだから。僕が僕の人生をまっとうするのがそんなにいけないこと?」
不穏な空気になってきた。止めるべきかとも思ったが、二人の話が何だか気味が悪くて下手に関わりたくない気持ちもあり、動けずにいた。
「もし、」
伊吹の方が先に口を開いた。
「俺や豹くんより先に、誰かがいなくなることがあったら、俺はぜーったいにみんなと心中するよ。その時はまず真っ先に豹くんを消すから」
「いいよ。僕だって、そんなことになったらいっちゃんを消す。存在も、僕の記憶からも抹消するから」
「えー、豹くん、俺のこと消す気なのー? 可愛い弟なのにー?」
「自分が生き残るためには仕方ないことだよね。それに僕一人だけの問題じゃない。僕といっちゃん以外の兄弟を守るためにも、いっちゃんを生かしておくわけにはいかないんだ」
何か危ない宣言をしだした。血を分けた兄弟が己の信念と人生と他の兄弟たちの命のために戦おうとしている。何だこれ。俺は夢でも見ているんだろうかと混乱した。
「豹くんなんかに出来るかねー」
馬鹿にしたような伊吹の声。豹雅は動じない。
「誰が一人でやるって言った?」
「と、言うと?」
「ジュリーに協力してもらう。ジュリーは、きっと、心中なんて嫌だって言うよ」
そう来たか。確かにあいつなら豹雅につくだろうな。でも記憶から抹消するっていうのは反対しそうだ。
「もし、じゅりじゅりが一番はじめにいなくなったらどーすんの?」
「そしたらレンを味方につけるよ」
「れんれんはダーメ。俺がとるよ。れんれんなら、俺の気持ちわかってくれると思うしー」
蓮花は気丈に見えて意外と脆い部分があるから、絶望と悲しみに暮れている時なら、伊吹の馬鹿げた提案にも乗ってきそうだな。
豹雅が樹里と組み、伊吹が蓮花と組む。
ということは、これは俺が一番はじめにいなくなったらという仮定で話を進めているということか。
例え話だけど、いい気はしないな。
「じゃあさー、もし、れんれんとじゅりじゅりが同時にいなくなってー、俺と豹くんとはっちゃんの三人が残されたら、はっちゃんはどーするかなー?」
また嫌な方向に話が動いたな。
「ハツなら、心中するなんて言わないよ」
「でも、だからっていなくなった兄弟のこと、きれいさっぱり忘れて、毎日明るく楽しく元気に生きましょー! とも言わないと思うけどなー」
「なら、本人に聞いてみる?」
またもや心臓が大きな音をたてた。勢い良すぎて今度こそ口から飛び出るんじゃないかと思った。
「寝てんじゃないのー?」
「確かめてみようよ。意外と起きてて、僕らの話盗み聞きとかしてるかも」
盗み聞きとは人聞きが悪い。が、否定は出来ない。何だかよくわからないが、とにかく起きていることがバレるのは不味いと思って、じっとしていたのは事実だから。
「そーいや、はっちゃん、さっきから全然動かないよね。もしかしたら、息してないかもしれないよー」
息。確かに止めてた。
「もし、はっちゃんが息してなかったらどーしよーねー?」
「まず救急車だね。駄目だったら、その時は……さっきの話の通りでいいんじゃない?」
「そっかー」
ずずっと引き摺るような音が二つ。近付いてきた。
眉間に皺が寄らないように、不自然にならない程度にそっと目をつむる。心臓はバクバクで身体はガチガチに強張っていた。
風を感じて、顔の真ん中、鼻の辺りをなんとも言えない生暖かさが覆う。
このまま鼻と口を塞がれたらどうしよう、なんて馬鹿なことを考えてしまった。
「どう?」
「息、してるねー」
「生きてるね」
「生きてたねー。あ、でも、ちょっと鼻息荒いかも」
「何それ」
「心臓の音もね、いつもよりおっきーと思う」
「何興奮してんだろ」
「何かマジになってんじゃないのー」
小さな声で笑いながら、二人の気配は離れていった。
心の中で60秒を10回数えてから、起き上がった。
伊吹も豹雅も頭からすっぽり布団を被って眠っていた。
最後の二人の会話を頭の中で反芻して、きっと、からかわれたんだろうなと結論付けた。
耳のいい伊吹なら俺が本当に眠っているか寝たふりをしてるかなんて、呼吸の音ですぐわかるだろう。
二人とも俺が起きてたのをわかってて、わざとあんな話をしたんだ。
どこまで本気だったのかはわからなかったが、腹いせに布団の上から枕で顔の辺りを殴ってやった。
声を出さずにいたのは、痛みをこらえていたのか、本当に寝ていたのか、定かではない。
☆
「念のため聞くが、あれは俺をからかっていたんだろう?」
「最初はね」
「最初は?」
「はっちゃんが起きてるのに寝たふりしてるから、ちょーっと怖い話でもして驚かしてやろっかーって、即興で話題ふったんだけどー、豹くんが酷いこと言うから白熱しちゃったんだわ」
「いっちゃんの方が酷くない?」
「どっちもどっちだろ」
「れんれんとじゅりじゅりならどーする?」
「心中なんてするわけない。実力行使とか強制連行て殺人とかわんねーよ」
「そうね。伊吹の考え方は自分勝手で宜しくないわね。ちゃんと相手の意向を確認してからにしないと」
「確認されても、イエスとか絶対言わないけど」
「同じく」
「れんれんはー?」
「そうねぇ……どちらかというと、伊吹の考え方に共感できるから、もし誰かがいなくなるなんてことになったら、その瞬間に世界が滅亡すればいいな、とは思うかしら」
「だから何でそんな過激で自分本意な考え方しか出来ないわけ?」
「周りに迷惑かけずに、平和に生きようよ」
「樹里はどうだ?」
「あたしは生きるよ。豹兄とは逆で、ちゃんと皆がいたこと胸に刻んで皆の分まで生きていきたい。残された人間に出来ることは、一生懸命生きることだよ」
「俺も、それが最善だと思う」
「とか言ってー、じゅりじゅりのことだから、いなくなったのが、俺や豹くんならまだしも、はっちゃんやれんれんなら悲しさのあまり発狂しちゃうんじゃないのー?」
「それって、ジュリーにとって僕やいっちゃんは別にいなくてもいい存在てこと?」
「そんなことないよ! 伊吹はともかく、豹兄は大事な存在だから!」
「今の、俺に対してちょー失礼な発言じゃない?」
「それで、初亥はどうするの?」
「俺も樹里の意見に賛成だな。でもいざそうなったらって考えると……」
「ほらぁ、だからやっぱ心中エンドが一番平和だって!」
「平和じゃねーよ!」
「というか、あなたたち、心中とか記憶から抹消するとかって、それ本気で言ってたの?」
「うん」
「当たり前じゃん」
「マジかよ。引くわ。うちの野郎共は頭がおかしいのか……あ、お姉も似たようなもんか」
「その野郎共の中に俺は入ってるのか?」
「私は野郎じゃないわよ。それと、野郎だなんて、女の子がそんな言葉使わないの」
「ごめん、初兄は違う。言葉遣いなんて今どーでもいいでしょ。大事な話してんだから」
「大事かな?」
「言葉遣いも大事なことよ」
「何かこの話長くなりそうだな」
「これはもう徹底的に議論しあうしかないねー」
「このままじゃ眠れなさそうだし」
「サミット開く?」
「じゃあ、各自トイレを済ませ、食料を持参の上、10分後に再集合。て、ことでいいかしら?」
「「「「はーい」」」」