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前編

 人通りの少ない夜の街を少女は歩く。

 ふわりふわりと、舞台の上で舞うように。

 真紅のスカートをひるがえし、細い手足が夜風を切る。

 点々と灯る街灯を道しるべに。

 肩にかかる亜麻色の髪からわずかに香る、甘い香り。

 月明かりが、薔薇の髪飾りを茜色に輝かせる。

 大きなアイスブルーの瞳は、黒々とした夜を映し出す。

 どこまでも広がる漆黒の世界は、彼女の領域だ。

 少女は夜の眷属。

 そう、彼女の名は──……。


  * * *


 さて、ここで問題だ。

 そう言うと金の吸血鬼は、にこりと笑って少女の鼻をつつく。

 クリニーク・ハッピー・フォーメン。柑橘系のその香水の香りが眠りから覚めたばかりの吸血鬼の少女を覚醒させる。

「それは夜空に輝く星に勝るもの。詩人が込めた言の葉よりも重いもの。どんなに高く積まれた現金よりも尊いもの」

 スラスラと彼は歌を歌うように問題を読み上げる。舞台俳優も兼ねる彼の声は高く朗々としていて、甘い。緩く波打った彼の蜂蜜色の髪が、月明かりに照らされて銀に光る。白のレース付きシャツに包まれた細腕を、まるで指揮者のように大ぶりに振るう。

 少女はまぶたを擦りながら、その声を一つも取りこぼさないように耳をすませている。

「そして、誰もが欲しがるもの。例え口ではどんなに否定していても、ね」

 片目を閉じ、彼は人差し指を己の口元に当てた。

「さて、それは何でしょう」

「それが、今日のゲームですか? モンドさま」

 イエス! と彼──モンドは頷いた。

「制限時間は教会の鐘が鳴るまで。……さぁ、見つけておいで。僕のリトルロゼ」

 リトルロゼの【親鳥】である吸血鬼モンドは、時々気まぐれで課題を彼女に与える。例えば「林檎を籠いっぱい貰ってくる」という物質的なものだったり、「泣いてる子供の数を数えてくる」といった謎なものだったり、様々だ。

 それをクリア出来なかったら、リトルロゼの負け。クリア出来たらモンドの負け。ただ、それだけのゲームだ。

 正解など、無いに等しいゲーム。ただ、モンドの欲求を満たすだけのものだ。

 それなのに、リトルロゼが答え探しに熱意をあげるのには、理由がある。このゲームの景品は大変魅力的なのだ。

 このリドル、絶対に解いてみせる。

 燃えるような決意をアイスブルーの瞳に灯らせ、うっすらと光る街頭が並ぶ道を、リトルロゼは一人歩く。


   * * *


「なにそれ」

 鏡越しに、華奢な青年は無愛想な顔のまま言った。じゅうぶんに手入れされた長い黒髪を何度も何度も櫛ですきながら。

「だから、それは夜空に……」

「それは聞いた。僕が聞きたいのは、何で僕がそれを答えなくちゃいけないのか? だよ、リティ」

 ようやく彼は朱塗りの鏡台から来訪者へと視線を移す。燃え尽きた黒炭のような目は、どこか呆れたような色を浮かべている。

出合った当初はその視線を向けられるたびに身をすくめる思いだったが、半年ほど経てば慣れてしまった。今ではその目つきが彼らしくてしっくりくる、とまでリトルロゼは思っている。

 だけど、もう少し優しくしてくれてもいいじゃないかとも思う。真紅のシーツの上でリトルロゼは頬を膨らました。

 リトルロゼの静かな怒りに、彼はやれやれとわざとらしいため息を吐いた。

「全く……。急に仕事場に押しかけてきたと思えば、またそんなくだらない遊びのことだし」

 【くだらない】という単語にリトルロゼは激高した。

「そんなことないもん! 椿にはモンドさまのお気持ちがわからないだけだもんっ」

「わからなくて結構」

 にべもなく椿は切り捨てた。再び鏡へと視線を戻す。腰まで伸びた髪を慣れた手つきで結い上げてゆく。ある程度形を作ると、緋色のトンボ珠のついたかんざしを挿す。唇に紅を差せば、それだけでもう咲き誇る花のようだ。キモノという東洋の民族衣装に身を包んだ椿は、リトルロゼよりも女性らしい色気が満ち溢れていた。大きく開いた後襟から覗くうなじが情欲を注ぐ。

 思わずリトルロゼが見惚れていると、椿が口を開いた。

「そうだね、さっきの答え。教えてやるよ」

 立ち上がり、椿は振り返る。床まで届く帯が、白檀の香りを振舞いつつひるがえる。

 威風堂々とした口調で、彼は言った。

「財布だよ、自分の」

「……【どんなに高く積まれた現金よりも】って前提があるじゃん」

 腹帯に挿してあった黄金色の扇を椿は音を立て開く。それで口元を隠せば、扇の色は彼の白い肌を一層際立たせた。

「どんな大金でもそれが自分の物じゃなければ意味が無いだろう? 自分の財布の中に納まっていれば、それはもう自分の物さ。金さえあれば、どんなことがあっても生きていけるからね」

「だけど……」

 不服そうなリトルロゼの口を、椿は扇を振りかぶり黙らせた。唇には穏やかな笑み。しかし、漆黒の瞳には研ぎ澄まされた刃物のような輝きを携えて。

「さぁ、もう予約客が来る時間だ。子供はお家におかえり」


   * * *


「久しぶりに訪ねて来たと思えば……」

 鎮痛な面持ちで青年は手で額を覆う。何故彼がそんな表情を浮かべるのか、リトルロゼには皆目つかない。淹れられたミルクたっぷりのコーヒーをすすりながら、口を尖らせる。

「いいじゃんか。それとも来ちゃダメだったの? ジェシー兄」

 リトルロゼの問いかけにジェシー──ジョシュアは、大きく頭を振った。

「いや、そんな意味で言ったのではなく──あぁ、もう。どうしてこんな」

「だからさっきも言ったじゃん。ジェシー兄は何だと思う?」

 ネクタイを緩ませながら、くたびれたスーツをハンガーにかける。週末はクリーニングに行かなければ。そんなことを思いながら顔を上げれば、クローゼットの内扉に付けられた鏡に疲れた顔が映っていた。

 痩せた頬に相反して健康的に焼けた肌。柔らかな栗色の髪は汗でぺったりと張り付いている。ずれた眼鏡をかけ直し、彼は妹の正面の椅子に座る。

 時間の輪から外れてしまった妹。行方をくらました四年前から変わらない姿のまま、故郷を遠く離れたこの魔天楼で偶然再会した。初恋を実らすためだけに、妹は闇の住人へと姿を変えた。

 共に日々を過ごしていたはずなのに、自分はこんなにも変わってしまった。共にかけっこをした足の速度を緩めて、小さな子供服をスーツに変えて。故郷を離れ、毎日を生きるために働いている。

 彼女だけが、子供のままで時を止めてしまった。闇の世界で生きるヴァンパイアとして──。

 その事実を、改めて思い知らされる。思考も行動も、【人】のものではない。

 ジョシュアを苦しめる葛藤なんて、きっと彼女は持ち合わせていないのだ。

「ねぇージェシー兄ぃー?」

 黙りこんでしまった兄を心配したのか、リトルロゼは彼の頬に軽く触れてきた。体温の無い、冷たいだけの死者の手。それでようやくジョシュアは意識を取り戻した。

「あ、あぁ。聞いてるよ。えーと、何だっけな」

「聞いてないじゃんもぅ! そんなんだからジェシー兄はモテないんだよ、昔から」

 含んだばかりのコーヒーを思いっきり噴出してしまった。あまりにも勢いが良すぎたため、机を飛び出し床にまでコーヒーが飛び散ってしまった。

 間髪でそれを避けたリトルロゼは悲鳴まじりの声で怒鳴った。

「きったないなー!」

「ゲホッ……ごめ……ゴホッ」

 咳き込みつつも手はティッシュを掴み取る。何回かまとめたそれで、床を拭く。

「本当にしょうがないな、ジェシー兄は」

 苦笑しつつもリトルロゼはティッシュを持ち、兄を手伝う。その頭が、ちょうどジョシュアの目線の先になる。

 妹は亜麻色の髪を揺らしながら、どこか楽しげな様子で口元には八重歯を覗かせている。悪戯めいたその表情は、昔と変わらない。そのことにジョシュアはどこか安堵していた。たとえ、この世の者で無くなっても、自分は妹を見捨てられない。それは、きっと──。

「……家族、かな」

「え、何が?」

 ぽかんとした表情を浮かべるリトルロゼの鼻を、ジョシュアは軽くつついた。……昔のように。

「さっきの問いかけの答えさ。僕にとってそれは、家族だと思う。何よりも大切な宝物さ」

 もしこの繋がりが許されないことだとしても、安易に手放すことなんかジョシュアには出来ない。そんなことをすれば、必ず深い後悔に飲み込まれてしまうだろう。

 だから、良心が耐え切れる限り、妹の側にいよう。

 自然と顔に穏やかな笑みが浮かぶ。

 だが、当の妹本人は眉をしかめて、一言こう言った。

「ジェシー兄。手を洗ってきてよ」


       【続】

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