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World's End Online  作者: yuki
第四章 それぞれの想い
79/83

それぞれの想い-10-

 自由の翼、帽子屋に捕まっていた元奴隷、アセリアで合流したギルド連合。

 総勢893人からなる大部隊が、最低限の見張りを残してアセリアからやや離れた草原の只中に大集結していた。

 通りすがりの商人が目にしたらさぞかし景気よく腰を抜かすことだろう。

 まだ陽は昇っておらず、所々で焚かれた篝火がぱちぱちと爆ぜながら火の粉を散らす。

 まるでこれから始まる苛烈な戦いを示唆しているかのようだった。


「みんな、今日までよく生き抜いた。右も左も分からないこの世界では一日を過ごすだけでも苦労の連続だったろう」

 担当する作戦ごとに整列したプレイヤー達の先頭、丸太で組まれた櫓の上からケインが声を張り上げる。

「だが、それももう終わりだ。僕等は答えを手に入れた! この理不尽を、今日で終わらせる!」

 派手な演説は人を惹きつける。一種の洗脳と言われてしまえばそれまでだが、作戦の前に高揚感を与えるのは悪くない。

「敵は確かに強大な力を持っているかもしれない。だが、僕等は決して一人ではない! 支え合う仲間が居る事を忘れるな!」

 一人で勝てない相手なら十人で相手をすればいい。十人で勝てない相手なら百人で相手をすればいい。

 そこには単純な算数以上の効果があるのだ。

「僕等の帰りを待つ人の為にも、決して死ぬな!」

 ケインが拳を振り上げると、そこかしこから応という叫び声が草原を振るわせる。

 プレイヤーの醸し出す熱気に誘われるようにして山の頂から太陽が顔を覗かせた。

 作戦決行の合図が昇り、待機していたプレイヤーへ命令を下す。

「これより進撃を開始する! ポータルゲート展開! 各員、全力で進めぇぇぇ!」

 最後の戦いが幕を開けた瞬間だった。






「ふっ、どうやら始まるようでござるな」

 朝靄の立ち込める要塞の屋上で三日月ウサギが吐き捨てる。

 見渡す限りの全方位にポータルゲートの転移門が出現し、大量のプレイヤーが続々と湧き出してきた。

「偽の情報を掴まされても面倒です。連絡はこれで終わりましょう」

 帽子屋の肩には小さな鳥型の魔物がとまっている。足には手紙をやり取りする為の筒が取り付けられていた。

「お役目ご苦労様」

 無造作に魔物を掴むと指に力を籠める。限界を超えた瞬間、ぽんとコミカルな音がして魔物は空中に霧散した。

「後はあれを皆殺しにすれば良いだけでござるな?」

 三日月ウサギが集結しつつある一団を眺めながら愉しそうに嗤う。

「ええ。敵はこちらの地雷原を突破しようと目論むはず。右往左往する虫けらをわざわざ見逃す手はありません」

 要塞の屋上には魔導師(ウォーロック)狙撃手(スナイパー)のほか、各種攻城戦用兵器が所狭しと並べられていた。

「バリスタ準備完了。耐魔の森を確認次第狙撃します」

 彼らはみな熟練の攻城戦経験者だ。敵の定石も対策も最初から頭に刻み込まれている。

「よろしい。まずは相手の出鼻を挫きましょう。手の空いている者はポータルゲート3、5、7番で背後から奇襲します。分かっているとは思いますが、深追いはしないように。一撃を与えたら即時離脱が基本です。良いですね?」

 帽子屋の指示にAgi特化の近接職を中心とした少数精鋭の奇襲部隊がポータルゲートに飛び乗った。

「さぁ、狩の時間を始めましょうか!」






「まだです! もう少しだけ待ってください!」

 草原からポータルゲートに乗ると要塞の目と鼻の先に転送される。

 真っ先に飛び込んだセシリアは続々と集まりつつあるプレイヤーを尻目に、今か今かと合図を待っている魔術師を押し留めていた。

「転移直後が隙だらけなのは向こうも分かってるはず。だからきっと……」

 何かを待っているかのように警戒を続けるセシリアの元へ1本のナイフが飛来して青い障壁が甲高い音を鳴らした。

 敵からの攻撃。だというのに、セシリアは待っていましたとばかりに目を滾らせる。


「信号弾撃って!」

 待ってましたとばかりに魔術師は空へ向かって炎の球を打ち出し、ひゅるひゅると気の抜ける音を鳴らした後、上空で派手に爆散した。

 これを合図にセレス王の派遣した部隊がポータルゲートを阻害する結界を周囲一帯に展開する手筈になってる。

 つまり、奇襲に出てきた敵は帰り道を失ったのだ。

「全軍反転! 森の中に居る敵を制圧しろ!」

 誰が開幕早々に城攻めをしなければならないと決めた?

 狩りの基本は敵を誘き出してからの袋叩きである。

 よもやポータルゲートを封じられるとは思わなかった奇襲部隊は思った通り大きな混乱に見舞われていた。


「早くしろ! 敵が多すぎる、抑えきれねぇぞ!」

 奇襲は小規模の分隊で行われるべきものだ。大人数に包囲されれば勝ち目はない。

「さっきからやってるよ! けどポータルゲートが開かねぇんだ!!」

 想定外のアクシデントに彼らは焦りを募らせるばかりだ。

 何より、焦りは視野を狭くする。1度試してダメだった時点で走ってでも逃げるべきだったのだ。

 だが、ポータルゲートさえ開けば逃げ切れると考えた彼らはその場から動こうとも思わなかった。


「発見した! 敵は前3支1の4人構成!」

 彼らに与えられていた僅かながらの逃走の可能性がこの瞬間に霧散する。

「魔術師は支援を抑えろ! 前衛はこっちでなんとかする!」

 飛び出してきたプレイヤーは7人。背後からは複数の魔法も飛んできている。

 氷の矢が必死にポータルゲートを出そうとしていた最大主教(アークビショップ)の腹を貫いた。

「がァぁぁっッ!」

 壮絶な悲鳴が木霊し、痛みに耐え切れず片膝をついたところに爆発が起きる。

 抵抗する暇もなくごろごろと斜面を転げ落ちた先にも、更なる魔法の応酬が待ち構えていた。


「てめぇらよくも……! 殺す、殺す殺す!」

 激情のままに敵の暗殺者(アサシン)が武器を抜き放った。

 鋭利な刃はてらてらと不気味な色彩を放ち、毒が塗られているであろう事を雄弁に物語っている。

「苦しみながら死ねェッ!」

 他の2人も彼に倣うようにして武器を抜き放った。形だけなら3対7と優勢だが、そこには如何ともしがたいレベルの差がある。

 振りぬかれたカタールの刃を騎士は手にした剣でどうにか弾くのがやっとだった。

 それだけでも腕には分厚い鉄板を全力で叩いたかのような痺れが残っている。


「なんだその腑抜けた一撃はヨォ!」

 Strがまるで違う。暗殺者(アサシン)が身体を弾かれた攻撃の勢いを逆に利用して、回転しながらの2発目を放った。

 攻撃の軌道を読めたわけではない。たまたま剣があっただけだ。

 受け流す事のできなかった一撃は数キロはある騎士の剣を空高く打ち上げる。これでもう攻撃を防ぐ術はない。

「目障りなんだよ!」

 死近距離からの刺突が騎士の腹にクリーンヒットし、貫通した刃が背中から顔を覗かせる。

「ぁ……ぐっ」

 口から大量の血を吐いた騎士はそのまま意識を失い、残された6人に動揺が走った。

「どいつもこいつも自分だけが不幸って面しやがって。元の世界に帰る? アホ抜かしてんじゃねぇぞ!」

 騎士の腹からカタールを捻りながら抜き、動かなくなった身体を興味なさ気に蹴り飛ばす。

 一瞬の間を置いて最も近い一人に狙いを定めると威勢よく飛び掛かった。


「させるかっ!」

 その刃が届くより早く、持ち直した一人が横から割入るように槍を振るって押し留める。

 暗殺者(アサシン)は文字通りの横槍を憎々しげに睨みつけ、攻撃を中止して身を逸らした。

 だが、攻撃の手はそれだけで終わらない。レベルで追いつけない彼らは手数や連携で押し返すしかないのだ。

「そこですっ!」

 離れた場所から的確に放たれた弓手の矢が暗殺者(アサシン)の足を寸分の狂いなく貫いた。

「っ! クソがぁぁぁぁぁっ!」

 焼け付くような痛みに元より攻撃をかわす為に不安定だった体勢が崩れ、絶叫とともに地面を転がる。

「今だ、全員かかれぇぇぇぇっ!」

 そのチャンスを逃すほど彼らも甘くはなかった。




 どこもかしこも戦況は似たりよっかりだ。

 奇襲に出てきた3つのグループを、犠牲を出しつつも一つ残らず制圧し、12人もの戦力が要塞に突入する前から削り取られる。

 これで背中を脅かされる心配はしなくて済みそうだ。

 念の為に少数の哨戒を残しつつ、一同は再び要塞の前に召集され列をなす。

「要塞への道を作ります! 設置魔法の駆除作業始めてください!」

 セシリアの合図の元、今度は一筋の雷光が青空を迸った。

 束の間を挟み、森の奥から大小様々な家畜が群れを成して現れる。

 鶏、豚、牛、馬、羊、驢馬と言えなくもない、けれどどこかしら異なっている動物達。

 残った金貨を元手にリュミエールとアセリアで買い付けたものだ。


 耐魔の森は設置魔法にも効果があるとはいえ、あくまでダメージ量の減衰のみ。魔法が持つ追加効果や状態異常までは防げない。

 移動速度低下や麻痺睡眠石化などの拘束効果で進軍が遅れれば耐魔の森を破壊されるリスクが高まる。

 触媒に限りがある以上、障害物となる設置魔法は予め撤去する必要があった。

 問題はどうすれば効率的に設置魔法を駆除できるのか、だ。

 魔法や岩などの無機物をぶつけても設置魔法が反応を返すことは無い。

 一体何に反応して起爆するのだろうかと考えた末、物は試しとばかりに家畜を効果範囲へ侵入させてみたのが事の始まりだ。

 結果は上々。恐らく、一定以上の『生命力』に反応しているのだろう。

 虫や微生物サイズでは無理だが、鶏程度の大きさを持つ生命体であれば設置魔法を起爆させられる。

 設置魔法を撤去するには、敵の再展開以上の速度で起爆させ、数を減らし続けるしかない。

 ゲームではプレイヤーによるゾンビアタックしか方法が用意されていなかったが、この世界ではそんな理不尽な制限を守る必要なんてないのだ。

「追い立てて!」

 総勢4桁に及ぶ家畜が魔法によって追い立てられ、次々に設置魔法を起爆させた。






「ハッター、理由は不明ですがポータルゲートが発動しなくなっています。恐らくアセリア内部と同じ物かと。奇襲に出ていた部隊の一部が帰還出来ず、被害が出ました」

 耳を疑うような報告に帽子屋が思わず舌打ちをする。だがそれで反省は十分だ。

 方々に手を尽くしても手に入れられなかったポータルゲートを阻害する技術をどうやって手に入れたのか。

 やはり敵はこちらの想定を上回ってくる。

「……やってくれるではありませんか。被害の特定を急ぎなさい」

 万が一を想定し、一度に3グループ以上出撃させない決まりを作っておいたのが功を奏した。

 被害は想定の範囲に留まっている。しかし、12人もの同胞が失われたのはあまりにも大きい。


「背後の安全を確保次第、敵は設置魔法の駆除にかかるはずです。どんな手を使うつもりか知りませんが、遠距離職は持ち場に待機して警戒を厳に」

 高レベルの前衛が一つずつ設置魔法を潰すか、耐魔の森を使って強引に押し進むか。

 どちらにせよ設置魔法の範囲は要塞からの射程距離圏内を示す。

 無防備な虫けらをピンで留めるかのごとく蹴散らす事は容易だと考えていた。

 それだけに、突如として起こった目の前の事態に帽子屋が目を見開く。

 森の中から大量に現れた小さな影が、あろうことか設置魔法の仕掛けられた区域に突入し、派手なエフェクトと爆音を響かせ始めたのだ。


「よくも次から次へとふざけた手を……!」

 攻城戦経験者にとって設置魔法をプレイヤーが除去するのは不変の常識だ。

 慣れてしまったが故に、それが当たり前で回避不能の現象のように思えてしまう。

 ゲーム内に家畜なんてシステムはない。だから彼らは、こんな方法で設置魔法が駆除できると考えが至らなかった。

「ですが、所詮は猿の浅知恵に過ぎない」

 敵の目的さえ分かれば有効な対策は幾らでも思いつける。

「属性を炎に変更! 魔術師は家畜の前に炎系魔法で弾幕を展開し、弓手は範囲スキルで家畜を迅速に駆除しなさい!」






 追い立てられた家畜の群れが四分の一も進まない内に要塞から魔法が放たれる。

 展開された圧倒的な火力が家畜を巻き込み、瞬く間に消し炭へと変えていった。

 前方に展開された炎の壁は獣にとって恐怖でしかなく、背後から追い立てても一向に進んでくれない。

 このままでは半分も進まぬ内に用意した家畜達が全滅してしまう。それはつまり、後半の設置魔法は手付かずで残ってしまう事を意味する。

 だというのに、セシリアは余裕を崩さない。

 攻撃されているのはただの家畜で、こちらに人的被害が出るはずもなく、少しでも設置魔法を削れれば丸儲けなのだ。

「焦ってる焦ってる。でも足元ばかり見てると……」

 セシリアの合図で氷の魔法を使った信号弾が空に打ち上げられる。

「頭上から何が降ってくるか、分かりませんよ?」






 要塞の数百メートル上空で数人の大男がフレアドラゴンにしがみ付きながら震えていた。

「怖ぇ! 超怖ぇ! つか風強すぎてマジパネェ!」

 安全対策にドラゴンの胴と自分の身体を縄で結んでいるが、手を離せばそのままつるりと落下しそうで、こみ上げる恐怖を軽減するには至らない。

 彼らはまだ陽が昇る前からずっと雲の中に身を隠し、合図が届くのを今か今かと待ち続けていた。

 そこへ地上から放たれた氷の魔法が飛来し、浮かんでいた雲の水分を固めて地上に降らせる事で綺麗に消し去る。

「来ました、合図です!」

 待ち侘びた瞬間に緊張が高まった。

 今、遥か下方の要塞では上空への警戒が薄れている。

「いよぉし! ヘマすんじゃねぇぞ!」

 大男の号令でフレアドラゴンが急降下を始めた。

 顔を叩く湿り気を帯びた冷たい風が途切れ、霧に覆われていた視界が一気に開く。隠れ蓑にしていた雲を抜けたのだ。

 ここまで来たらもう引き返せない。敵がこちらに気付かない事を願いつつ一気に距離を詰める。

 この任務は最も危険度が高く、セシリアからも無理はしなくて良いと言われていた。

 だが、この作戦が成功すれば戦況は大きく動く。


「もう少し……もう少しだ!」

 フレアドラゴンの身体はプレイヤーに比べてあまりにも大きく、狙われれば避けきれない。

 自分自身に当たらずともフレアドラゴンを撃墜されれば空中での足を失い地上へ墜落するのだ。

 その先に待っているのは明確な『死』に他ならない。

 だから発見が困難な距離からの、牽制目的でも構わないと指示を受けていた。

 それでも、と大男は思う。

「目の前にまたとないチャンスが転がってるってのに、何もしないで引き下がれるかよっ!」


 【遠見】持ちの弓手が何かの拍子に上空を仰げば間違いなく見つかる至近距離に足を踏み入れる。

 予定よりずっと敵に近い必中射程圏内だ。

「ここまで来れば十分だ! 全員、決められたタイミングでインベントリをぶちまけろ!」

 彼らが取り出したのは錬金術師が生成した、攻撃スキルの触媒として用いられる塩酸瓶・火炎瓶・機雷瓶と、煉瓦や岩や鉄板を始めとした重量物の数々。

 3桁に及ぶストックを一人一人がタイミングをずらして残らず真下に放ると、投げ捨てた物が地上に到達するよりも早く踵を返し、隠れ蓑にしていた雲へ引き返す。

 家畜の役割は何も設置魔法の駆除だけではない。彼らの行った航空爆撃を悟らせない為の囮でもあった。






 最初はガラスの割れた音。

 変な臭いがしたと思った瞬間、屋上の一角が轟音とともに吹き飛ばされ、圧倒的な熱量を持った炎が荒れ狂った。

 反射的に上空を見たお茶会のメンバーが攻撃を忘れて唖然とする。

「っ! 上空に弾幕を張れぇぇぇ! バリスタ部隊は魔法で防げない重量物を破壊しろッッ!」

 瞬きする時間にも満たない一瞬で何が起き、何をすべきなのかを判断した帽子屋が鼓膜を震わせる大絶叫を放った。

 流石と言うべきだろう。

 少しでも対処が遅れていれば、立て続けに巻き起こる爆音によって指示は掻き消され、壊滅的な打撃を受けていたに違いない。

 帽子屋はそれを寸でのところでどうにか押し返す。

 上空にありったけの火力を集中したおかげで投下されたアイテムが瞬く間に破壊され、蒸発していた。

 時折すり抜けた瓶や岩が地上で爆ぜるがm起動は逸らされているので大きな問題にはならない。

 このまま弾幕を緩めなければ何の問題もなく凌ぎきれる。

 だが、その間は地上で起こっている家畜の進行を阻めなくなった。






「無茶するなって言ったのに……」

 地上から爆撃部隊の姿を見ていたセシリアは未だに鳴り止まない己の心臓をぐっと掴む。

 万が一にも発見されていれば敵の狙撃主(スナイパー)が一匹残らず撃ち落せる距離まで降下していた。

 家畜の行進で意識を釘付けにしているとはいえ、警戒している者が残っていたなら全滅していてもおかしくない。

 とはいえ、彼らのおかげで想定以上の功績を上げられたのは確かだ。

「耐魔の森を展開! 彼らが命をかけて作ってくれた好機です。絶対に無駄にしないで!」

「準備は良いな!? これより、敵要塞内部へ突入する! 突撃部隊は俺に続け!」

 セシリアの合図に続いて、突撃部隊の指揮を取っていたカイトが声を荒げる。

 ひたすらに続く草原へ呪術師(ドルイド)が触媒を投げつけると、瞬く間に3メートルくらいの曲がりくねったひょろ長い樹木に成長し、なんとも不気味な花を咲かせた。

 木を中心に青白い光が灯り、耐魔の森が完成する。

「内部では支援・回復魔法の効果も著しく減衰します! ヒールではなくポーションによる回復を心がけて!」

 先頭を重装甲のタンカーが走り、後方の魔術師が家畜を設置魔法の未踏破地域に誘導する。


 投下タイミングを意図的にずらす事で長い間、断続的に攻撃が続くよう計算された爆撃は、要塞まで残り半分を切っても未だ手を緩めていない。

 いける。誰もがそう思った瞬間、要塞の扉が開き、お茶会の前衛陣が姿を現した。

「屋上が片付くまでここを通すな! 要塞内部にさえ入られなければ上下で挟撃できる!」

 人数は圧倒的にお茶会が少ない。突撃部隊は高レベルを中心に編成されており、双方のレベルは僅差だ。

 それだけに少なくない犠牲者が出るだろう。……まともに『正面』からカチ合えば。


「アルス・マグナ」

 軽装なのを良い事に、タンカーの前へ躍り出たセシリアが味方の最上位職である王室騎士(ロイヤルナイト)の手を握る。

 ステータスの共有が行われたのを確認してから、彼は全力で愛剣を振り上げた。

「インペリアル……」

 目を開けるのが難しいほどの眩い光が辺り一面を包み込む。

 かつてセシリアが脅しに使った、ゲーム上では不具合として処理された不遇のコンボが、再び日の目を見る時が来たのだ。

「ストライクッ!」

 刹那、草原を大嵐が蹂躙する。

 発生した極光の衝撃波は大地を地中深く抉り、地層さえも塗り替えながら、木も、草も、土も、岩も関係なく、それどころか音さえも飲み込みんで、果てには要塞の一部を完全に消滅させた。


「っぐ……」

 濛々と立ち込める土煙を前にセシリアが片膝をつく。

 予想だにしなかった衝撃がこちら側にも雪崩れ込み、繋いでいた手を離してしまったせいで【アルス・マグナ】が解除される。

 隣では技を放った王室騎士が転がり、白目を向いて動かなくなっていた。

「やっぱり、1発が限度ですね……」

 セシリアの最大MPは約4400。騎士のMPは約800。

 合算して5200になったMPで【インペリアル・ストライク】を放った場合、消費MPは30%の1560。


 【アルス・マグナ】は解除されると、合算時に消費したMPが本来のMPから差し引かれる。

 つまり、セシリアのMPは4400-1560で2840。騎士のMPは800-1560でマイナスにはならないから0だ。

 この世界に来た時にMPを使い続けた場合どうなるか実験した時に一定以下に割り込むと眩暈を感じた。

 一瞬にしてMPが0になってしまった騎士はそれを通り越しての完全な気絶なのだろう。

 MPの回復にはゲーム以上の時間が掛かる。

 ネタと名高い【アルス・マグナ】を取得しているのはセシリアを於いて他に居ない。

 強力ではあるが、次に放てばセシリアも意識を保てなくなる。

 1回きりの大技だったのだが、結果からすれば想像以上の戦果を上げた。

「なに、してるのっ!」

 セシリアが荒い呼吸とふらつく身体を庇いながら、壮絶すぎる威力を前にぽかんと口を開けている味方を一喝する。

 睨み付ける瞳が「早く前に行け」と無言で語っていた。

「と、突撃ィ!」

 あまりの出来事に足が止まっている事に今更気付いた彼らが慌てて行進を再開する。

 障害は全て吹き飛ばした。要塞はもう目と鼻の先に迫っている。






「城門突破されました! 防衛に向かっていた前衛部隊は壊滅した模様です! 侵入を防ぎきれませんっ」

 帽子屋は答えず、今しがた目の前で起こった理不尽なまでの破壊の痕跡に遠い目をする。

 セシリアとインペリアルストライクのモーションを合わせて考えれば、彼らが『バグ技』を活用したのは明白だ。

 ここには奴らをBANする神も運営もいない。何でも好き放題というわけだ。

「あれをもう一度使われたら……要塞は壊滅します」

 ただの一撃で地形すら塗り替える攻撃に恐れを抱くのは当然だろう。

 だが、帽子屋は仲間の抱いた杞憂を鼻で笑って見せた。

「恐れる必要はありません。あんなもの、ただのコケ脅しです」

「しかし、攻城戦においてあれ程の打撃は……」

「確かに、これがゲームで、城を奪い合っているのだとしたら、間違いなく運営にメルボムを敢行します。ですが、彼らの目的はこの要塞でも我々の殲滅でもない。帰還用アイテムの奪還です。要塞ごと我々を粉微塵にすれば発見は至難の業ですよ」


 瓦礫の中から小さな宝物を探すなんて手間を、彼らが取るとは思えなかった。

 だというのに、仲間の表情は焦りを帯びたままだ。

「ですが、アイテムは我々の手を離れると……」

「ええ。我々は確かにそれを知っている。しかしながら、彼らは我々ではありませんよ」

 帽子屋の言い分にようやく焦りが取れる。

「それは最大の機密です。どこに耳があるか分かりません。絶対に口外しないよう気をつけなさい」

 それきり、こくりと頷いて押し黙った。

「前衛に生き残りはいますか?」

「か、確認中ですが、直前に回避と相殺を行ったとの情報があります。あの距離と彼らのレベルなら恐らく間に合ったのではないかと。ただ、満足に動けるとは思えません」

「分かりました、彼らに退避勧告を。ここに居る皆様も要塞の中へ。予定より早いですが室内戦へ移行します。準備はできていますね?」

 帽子屋の命令に仲間が次々と頷き、持ち場を離れて要塞の中へ消えた。






「左右よし! 正面よし! 現在のブロックに敵影なし!」

 障害物が多く射線の通りにくい室内戦は、小回りの効く前衛が敵の潜んでいそうなポイントを潰して行動範囲を広げていくのが基本だ。

 室内を確かめる時は影から手を伸ばしてドアを少しだけ開けてみたり、物を投げ入れてみたりと、フェイントを織り交ぜるのも忘れない。

「退路の確保はしっかりと固めろ! これから本部とABC班に分かれて索敵行動を開始する、互いにフォローできる距離を計り間違えるな!」

 1班につき12人。

 PTメンバーを守る守護者が1、真っ先に部屋へ飛び込んで安全を確認する足回りの良い前衛が4、弾幕を張れる魔導師が4、回復を担当する支援が3だ。

 弓手は魔法のように特定の地点へ継続的にダメージを展開するのが難しく、室内では矢を射っても避けられやすい事から加えていない。


「こちらA班、食堂らしき広いフロアに侵入。敵影なし、室内の索敵を開始する」

 声を張り上げて他の班と連絡を取り合う手筈になっているのだが、食堂を探索中に返事が来ないことに気付く。

「B班、C班、返事はどうした!」

 A班は左の部屋に、B班は通路を直進し、C班は右の部屋に入っただけで互いの距離は近い筈だ。

 何か起こったにしては何の音も聞いておらず首を傾げていると、一人がハッと顔を上げる。

「音がしなさ過ぎませんか!?」

 よくよく振り返れば、廊下を歩いているはずB班はともかく、同じように室内を探索しているC班から扉を開けたりする音がしないのは不自然だ。

 となれば、考えられる理由は一つしかない。

「警戒してください! 部屋に消音魔法が展開されてます!」


「良く気付いたでござるよ」


 ドン、と初めて強烈な音が響いた。引き返そうとした魔導師が苦悶の表情を浮かべながら床を転がる。

「そして真っ先に部屋を出ようとする輩が一番初めに死ぬのも、世の常識(フラグ)でござろう」

 支援が咄嗟にヒールを発動させるが、真っ黒に塗りつぶされたHPには効果がなかった。

「無駄でござる。拙者の【暗殺(アサシネイション)】をただの魔導師風情が防げるとでも思ったでござるか?」


 騎士【インペリアル・ストライク】が用意されているように、暗殺者(アサシン)にも代表格の大技がある。

 三日月ウサギの放った【暗殺(アサシネイション)】もその一つだ。

 【インペリアル・ストライク】と違って単体にしか効果はないが消費MPは少なく攻撃力も高い。

 その上、認識外からの攻撃、ハイドアタックが成功した場合に破格のダメージボーナスを得る。

 装備が整っていればHPの高い騎士系列さえ1発で倒しかねない危険なスキルだ。

 特に隠れる場所の多い室内戦においては無類の強さを発揮する。


「貴様ァァッ!」

 だが、余程のレベル差がない限り、認識外からの攻撃が成功するのはファーストアタックだけだ。

 同レベル帯なら油断しない限り見失う事はない。

 前衛2人が弾かれる様にして前へ出る。

 同時にタンカーの守護者が各種防御スキルを展開、後衛の守りを固めた。

 怒りに身を任せるのではなく、仲間との連携を第一に考えた布陣が自然と構築されていく。


「パーマフロストッ」

 魔導師が部屋全体にデバフ魔法を展開すると、食堂は瞬く間に白い極寒模様へ塗り替えられ、手足の筋肉をぎちぎちと締め付けた。

「拙者の手が! 足が! 大事な部分が縮こまっていくでござるぅぅぅぅぅ!」

 三日月ウサギは回避を主軸にしたAgi型で耐久力は高くない。

 この魔法で機動力さえ奪ってしまえば得意の不意打ちや速度を生かした連撃を封じたも同然だった。

 味方の前衛のAgiも大きく削がれてしまうものの、万が一にも攻撃を受けた際にすぐ回復魔法を放てるよう、支援の準備も整っている。

 これが、個人では絶対にパーティーを下せない理由だ。


「絶対に許さねぇ!」

 左右に分かれた前衛が一気に距離を詰め、三日月ウサギに斬りこむ。

 今まで何度も感じた事のある、『数秒後に必ず討ち取る』気配に身を任せてスキルを発動した直後。

「甘いでござるなぁ」

 三日月ウサギの姿が掻き消えたと同時に前衛の一人が床を転がった。そのHPは完全な黒に染まっている。

 当てられると確信した攻撃の直前に油断から姿を見失い、ハイドボーナスを得た【暗殺(アサシネイション)】が成功したのだ。

 残った前衛が慌てて後退し距離を取る。

「凍結耐性……!」

 理由に見当が付いた前衛は苦々しい声を上げた。

 三日月ウサギは【パーマフロスト】の影響を受けていない。

 魔法の発動を確認してから意図的に自分の動きを遅くしていただけだ。

 ゲームなら敵のステータスウィンドウに状態異常が表示されるからこんな初歩的な嘘に引っかかることはないが、この世界にそんな便利なシステムはない。

 結果、味方の前衛の機動力を奪っただけで両者のAgiの差は最悪な形で広がってしまい、三日月ウサギ本来の速度を追えなくなった。


「自分の弱点ぐらい把握しているでござるよ。対策を施すのは当然でござろう?」

 踏み込みからの一撃が騎士の体力を1割ほど削る。続いて2発目、3発目がこれまでの動きとは明らかに異なる軽やかさで踊った。

 必死に剣で捌くも両者のAgiに差がありすぎる。相対する騎士の体力は減少を続け、遂に半分を切った。

 そう、半分を切ったのだ。

「ヒール回復急げ!」

「やってます! でも効果が全然出てない!」

 3人の支援が同時に全力のヒールを投げ続けているにも拘らず、騎士の体力が一向に回復しない。

 いかに三日月ウサギの攻撃力が高かろうともありえない事態だ。

「まさか……!」

 魔導師の一人が咄嗟に、三日月ウサギを中心に味方を巻き込む形で範囲魔法を展開し、

「おいっ!」

 味方の制止を振り切って発動させた。

 部屋の中に灼熱のマグマが沸き立ったと言うのに少しも熱さが感じられない。

「耐魔の森だ! この部屋は耐魔の森の範囲に含まれてる!」


 【パーマフロスト】は状態異常を付与する魔法で、ダメージを軽減する耐魔の森の効果を受け付けない。

 それに対し、先ほど魔導師が放った攻撃魔法や支援のヒールといったダメージに関する魔法は耐魔の森によって効果の殆どを軽減されていた。

 ならば今すぐにでも耐魔の森を壊せば良いのだが、見渡す限りに木のオブジェクトは存在していない。

 そしてこれこそが室内戦の恐ろしいところでもあった。

 魔法の効果は空間に対して働くため、壁を貫通するのだ。

 見通しの良い平地戦と違って、見える場所に耐魔の森が置かれているとは限らない。


「ダメはこっちで引き受ける!」

 減り続ける体力に歯止めが利かず、遂に守護者が前衛にもダメージを肩代わりするスキルを展開する。

 このスキルを受けた相手は守護者の持つ防御スキルの一部が適用されるようになるのだ。

 三日月ウサギから受けるダメージがあからさまに減り、減少の一途を辿っていた体力が瞬く間に盛り返し始める。

「本当に阿呆揃いでござるな。手を伸ばしすぎた守護者など……」

 戦況はひっくり返ったはずなのに三日月ウサギが不敵に笑った。

 ぞくり、と背筋に冷たい物が走る。やばいと思った時にはもう遅かった。

「ただの、カカシでござるよ」

 三日月ウサギが強攻撃を放つと同時に後ろへ飛び退って距離を取る。

 刹那、部屋の中を再び灼熱の炎が荒れ狂った。

 しかし今度は、その威力を少しも減衰させていない。


「ぐぁぁァッ!」

 守護者の口から耳を覆いたくなるような絶叫が迸った。

 後衛3人、支援3人に加え、残っていた前衛3人のダメージまでもを一挙に引き受ければ、いかなるタンカーでも凌ぎきれない。

 最大値を保っていた膨大なライフが一瞬にして黒く染まり、魔法が止む頃には物言わぬ骸と化す。

 それは彼らにとって、仲間を一人失った以上の意味を持っていた。

 特に顕著なのは後衛だ。守護者はダメージを肩代わりして貰う事で痛みを感じなくて済むという、心理的な防壁でもあったのだ。

「人を殺す覚悟とは痛みを受ける覚悟でござる。その程度の覚悟もないお主らが束になったところで、拙者達は負けぬ」

 三日月ウサギの身体は魔法によって黒く煤け、腕や足の肉が炭化していた。


 魔法によって吹き飛ばされた壁の向こうにはお茶会のメンバーが油断なく構えている。

 呪術師(ドルイド)魔導師(ウォーロック)最大主教(アークビショップ)……。その中に守護者(ガーディアン)の姿はない。

 三日月ウサギは全身を苛む痛みを堪えて立ち上がった。

「今回復します!」

 壁の向こうから現れた背の低い女の子が三日月ウサギに向かってヒールをかける。

「あぁぁぁ癒されるでござるなぁぁぁぁぁ。まなたんのヒールを受ける為なら炎の中にだって飛び込むでござるよぉ」

「うひゃぁっ!? やめてこないで近づかないで!」

 復活した三日月ウサギが不気味なウィンクを返すと女の子は怯えた様子で後ずさる。

 A班の生き残りはそれを信じられないといった面持ちで眺めていた。


 三日月ウサギは最初から、守護者が支えきれない人数へダメージ肩代わりスキルを使わせる為の餌だったのだ。

 隣の部屋に設置した耐魔の森で三日月ウサギを援護しつつ、守護者が動いた瞬間に自分達で耐魔の森を破壊。

 魔導師が壁越しに、三日月ウサギを巻き込むと承知の上で高位魔法を使った。

「狂ってやがる……」

 もし三日月ウサギがヘマをしてこちらの前衛の攻撃を受けていれば、味方の魔法で焼き殺されていた。

 自分の命すら省みない戦略はまさに狂人と呼ぶに相応しい。

「拙者が狂ってるのは昔からでござる。だから拙者はこの世界に賭けるのでござる。何せ……」

「ウサギさん!」

 背の低い少女が名前を叫ぶと、何かを言わんとして居た三日月ウサギが不自然に押し黙る。

「まぁ、どうでも良いことでござる。さっさと続きを始めるでござるよ。まずは支援から、でござったか」


 それから先は一方的な展開だった。

 心の防壁を失った後衛は明らかに動きが鈍く、人数差があるのに上手く立ち回れていない。

 対人戦に特化した呪術師(ドルイド)は敵にまわすと厄介で、後衛の動きを完全に押し留めていた。

 こちらの攻撃魔法は通らないのに、敵の攻撃魔法は間髪入れずに降り注ぐ。

 陣は決壊し、残されたメンバーは本部まで逃げ帰るしかなかった。

 当然ながら無防備な背中を晒す彼らをお茶会が見逃すはずもない。

 攻撃が止む頃には一人の例外もなくその場に倒れ伏していた。






 被害に気付いたのはそれから暫く後の事だ。

 ABC班は同時に襲撃を受け、どうにか撃退できたC班だけが本部へと戻り、消音魔法を使った襲撃の事実を伝えた。

「やっぱ外で待機させてる奴らを追加で呼んだほうが良くないか? もう屋上に誰も居ないんだろ?」

 バグ技で吹き飛ばした敵の前衛部隊についても一通り拘束が済んでいる。

 今なら後続のプレイヤーを安全に誘導できるかもしれない。

 しかし、セシリアは緩く首を振って提案を拒む。

「ダメです。彼らのレベルでは敵に会った時に対処できません。パーティーに加えても足を引っ張るだけです。屋上もまだ制圧できていませんし、大掛かりな移動をすればすぐに攻撃されます」

 人数が増えすぎて統率が乱れたり、低レベルのプレイヤーが集団で人質に取られるのも厄介だ。

 それに、気になることもあった。

「敵の居場所も把握できました。残りの人員でもう一度編成を行いましょう」


 指令役は残った方が良いんじゃないかという意見を一蹴したセシリアは、見知った顔ぶれを引き連れて要塞内の探索に向う。

 前衛は親方、盾役にカイト、火力にユウトと支援役に自分、それからC班に混ざっていた呪術師(ドルイド)の5人だ。

 少人数にしたのには理由がある。お茶会は近隣の部屋を利用した奇襲を行っていた。

 再編成したABC班が再び襲われた際、迅速に敵本体を発見して叩くのがセシリア達の役目になる。

 消音魔法によって、部屋の中で発生した音は漏れてこない。

 セシリア達は急ぎ足で一つ一つ部屋を潰して回るしかなかった。


「まさか早々に当たりを引けるとは思いませんでした」

 探索を始めてすぐに立ち寄った狭い部屋の中に、帽子屋と三日月ウサギを初めとする、総勢7人のお茶会メンバーがひしめいて居るのを見て臨戦態勢を整える。

「これはこれは。どうやら招かれざるお客様のご到着のようですね」

 困ったとばかりに顔を竦める彼の手には血に塗れた短剣が握られていた。

 着ている服も、まるで執拗に何かを切り刻んだかのように赤く染まっている。

「しかし驚きです。他人を見捨てて命乞いまでした貴女がよく再び私の前に姿を現すつもりになりましたね?」

 帽子屋の挑発的な言葉にセシリアが「ひぅ」と息を呑んで僅かに身体を後退させた。やはり未だに恐怖が抜けきっていない事を実感させられる。

 親方はそんなセシリアを庇うように身を乗り出し、

「おいおい、あんまり嬢ちゃんを苛めんなよ?」

 気付いた時には斧を担ぎながら斬りかかっていた。


「お父さん、あれやって!」

「任せとけッ!」

 距離を取った帽子屋を親方が追い縋る。水平に構えられた斧が勢い良く振りぬかれた。

「その程度の速度でこの私を捕捉したつもりですかっ!」

 帽子屋は軽いステップでそれを避けると、大振りの後の無防備な身体めがけて短剣を突き立てるべく足を踏み出し、不意に弾かれるようにして背後へ飛んだ。

 寸でのところを大斧が通り過ぎ、眼前を過ぎ去った暴力的なまでの風圧に背筋を凍らせる。

 親方は斧を振った時の衝撃を殺すのではなく、独楽のように回転する事で維持、加速させつつあった。

 Strカンストという元来の馬鹿力に遠心力までもが加わって強化された一撃は石の壁さえも軽々と打ち砕く。


「馬鹿げた真似をっ!」

 短剣は敵の攻撃をいなすか躱してからの一撃が領分で、間違っても重い両手斧の攻撃を受けきれる武器ではない。

 高速で回転しながら周囲を見境なく破壊する親方の勢いを削ぐには役不足だった。

 逃げ場のない狭い室内では確かに強力だが弱点もある。

 直接刃を交えなければならない武器による攻撃を挑む気にはなれないが、魔法ならば関係ない。

 帽子屋が指示を出すまでもなく2人の魔導師が詠唱を始めた。

「させませんっ!」

 それを同伴した呪術師(ドルイド)が差し止める。

 魔導師にとって呪術師は完全なメタ要素の塊だ。対策に集中できる間は相手が2人だろうと関係なく全ての魔法を中断させられる。

「カイトはドルイドのカバー! ユウトは敵の支援を狙って!」

 その間にユウトの魔法が完成し、奥で支援魔法を展開していた最大主教を巻き込む。

 だが、足元に展開された【聖域】が受けたダメージを瞬く間に回復させていた。


 敵の構成は前衛2、後衛3、支援2。お茶会の呪術師は他の場所を担当しているのか、この場には居ない。

 後衛の一人は弓手で狭い室内での攻撃に四苦八苦していた。

 こちらの呪術師を狙ってはいるが、カイトの盾の影に隠れられてはなす術がなかった。

「この部屋は皆様をもてなすにふさわしくない。撤退しますよ!」

 狭い室内での戦闘に不利を見て取った帽子屋は身を翻し、もう一つの出口へと駆ける。

「逃がさねぇぞコラァッ!」

 その後ろ姿を親方が怒声交じりに追いかけた。


 もうどのくらい走ったのか。彼らは曲がり角の度に一人、また一人と分散し、前を走るのは帽子屋と三日月ウサギの2人だけだ。

 セシリア達は分散ぜずに帽子屋と三日月ウサギのコンビを奇襲に警戒しながら追いかけている。

 しかし、走れども走れども追いつく気配すらない。

 帽子屋と三日月ウサギはお茶会きってのAgi前衛で、移動速度にも補正を受けている。

 それに比べてこちらはパワーファイターの親方に、盾のカイト。Agiにステータスを割く余裕のない後衛3人だ。

(こんなんじゃいつまでたっても追いつけない!)

 焦りを覚えたセシリアが内心で吼える。

 そう、追いつけるはずがないのだ。彼らは自分達より圧倒的に逃げ足が速いのだから。

(あれ、じゃあなんで)

 ふとした疑問が脳裏を掠める。

 どうして、距離が離されていないのだろうか。


「やられた……!」

 両者のステータスに大幅な差があるのに距離が縮まらないのは、帽子屋と三日月ウサギに振り切るつもりがないからだ。

 そうまでして追いかけっこを演出する理由があるとすれば時間稼ぎをおいて他にない。

「2人は囮です! すぐに本部へ戻りますっ」

 何かが起ころうとしている気がした。この事態を根底から覆す、何かが。

 セシリア達は慌てて今まで走って来た道を駆け戻る。

 途端に猛烈な後悔の波が押し寄せた。

 ほんの少しでも考えれば分かるはずだったのにと、心の中で幾度となく吐き捨てる。

 帽子屋への恨みと憎しみが判断を鈍らせていた。


 部屋に入った時の挑発がセシリアの判断を鈍らせる為の布石なのだとしたら、最初から争うつもりなどなかったのだろう。

 虱潰しに探しているセシリアを見て、わざと見つかるように仕組んでいた可能性すらある。

 理由は分からないが、故意なのだとすればその目的がろくでもない何かであろう事は疑う余地もなかった。

 引き返したセシリア達を2人は追ってこない。

 既に目論見が達成されてしまったのではないかと言う不安が一気に膨れ上がる。


「セシリア、前方に敵だ!」

 思考に沈んでいたセシリア目掛けて飛んで来た矢をカイトの盾が的確に弾く。

 分散して逃げたお茶会のメンバーはどこかで再集結してセシリア達の行動を監視しており、通路を塞ぐ形で陣を展開していた。

「っ! 魔法がきます! 1発目は防げません!」

 幾らメタ性能がある呪術師でも、予め待ち構えて詠唱を終えていた魔法まではどうにもならない。

 通路を埋め尽くすほどの巨大な火球生み出され、セシリア達に向かって直進する。近くには逃げ込めそうな部屋も曲がり角もなかった。

 被弾を覚悟したセシリアが足元に【聖域】を展開。同時にカイトが盾を構え、少しでも威力を減衰させようとユウトが魔法で迎え撃つ。


 互いの魔力が接触した瞬間、頑強に思えた要塞が嵐の小船のように揺れた。

 荒れ狂う炎が肌を焦がし、焼け付くような痛みを生む。

 セシリアは歯を食いしばって堪えつつ回復魔法を発動した。

 煙が晴れた通路には球形の大穴が穿たれ、焼けた床は完全に抜け落ち、下の階と繋がった広い吹き抜けが顔を覗かせている。

 いっそ清々しいまでの劇的ビフォアーアフターだ。


「自殺でもするつもりですか」

 セシリアは吹き抜けの向こうに立つお茶会のメンバーに向かって憎々しげに問う。

 室内のオブジェクトが破壊不能だったゲームとは違うのだ。

 壁も床も高威力の魔法の前には豆腐にも等しい防御性能しか持ち得ず、お互いのレベルが高ければ相殺の余波だけで要塞その物が崩落しかねない。

 敵もそれは分かっているはずだ。なのに、使ってくる魔法の規模が少しも抑えられていなかった。

 それどころか動揺する気配すら見て取れない。

 自分達も余波を受けて小さくない怪我を負ったにもかかわらず、だ。


「自殺できるだけ結構な事じゃない?」

 セシリアは焼けた肌に回復魔法を受けながらくすりと笑った女性の自虐的な回答に会話を諦めた。

 退く気がないのは目を見ればわかる。

「忘れてました。狂人に会話は無意味でしたね」

 背後から帽子屋と三日月ウサギが奇襲してこない事を考えると、目の前の5人が足止め役で、帽子屋達はどこか別の場所に向かった可能性が高い。

「よっぽど不味い何かがあるみたいですね。だから死ぬ気で邪魔に入ったとか」

「さぁ、どうかしら。このままお喋りに興じても良いのだけれど」

 それとなくカマをかけてみるが、こんな単純な手に引っかかる筈もなく、女性は何の表情の変化も見せてくれない。

「絶対にごめんです」



 通路が焼け落ちたせいで本部へ戻る為の迂回路を探すはめになった。

 ただでさえ面倒なのに、その上で狂人を相手にしている暇はない。

 焼け落ちた通路を早々に諦めてくるりと反転。元来た道を戻り、別のルートを探し始まる。

 しかし、道なりに進んだ先の通路でも同じように床が抜け落ちていた。

 本部は入口のすぐ傍、1階にある。穴を降りて地下から進むなら何処にあるかわからない階段を探す必要が出てきてしまう。

 見たところ、地下の天井はかなり高く、3メートルはあるだろうか。一度降りたら登るのは苦労しそうだ。

 できることならこのまま1階を移動したい。

「……とか考えてるんでしょうけど、無駄よ。通路は全部壊したわ。ついでに地下の階段もね」

 溜息を吐きながら背後を振り返る。いつの間にか、先ほどの顔ぶれが通路の先に並んでいた。

 ここは敵のホームフィールド。地の利は向こうにある。

 背後には大穴。落ちるか戦うかの2択と言うわけだ。


「嬢ちゃん、何が理由があって急いでるんだろ?」

 唐突に親方がセシリアにだけ聞こえる声で耳打ちする。

「なら、ここは俺達に任せな。ユウトを護衛につける。逃げ場のない通路なら役に立つだろ」

 どうやって? と問うまでもなう親方はセシリアを担ぎ上げ、

「って、ええええ!?」

 悲鳴を無視して幅10メートルはあろうかという穴の向こうに投げ飛ばした。

「ちょっと待ってお父さん……。この腕はまさか僕にも同じ事を……」

 続けて青ざめる息子にも手を回して良い笑顔で頷く。

「男の子ってのはな、どんな時でも女の子を守るもんなんだよ」


 親方のStrを持ってすれば体格の小さなセシリアやユウトを対岸に投げ飛ばすなど容易い。

 恐らく、向こう側までは破壊していないのだろう。追ってきたメンバーはあからさまに動揺していた。

「先に行け! 後からちゃんと追いついてやるからよ!」

 強引なやり口に呆れはしたものの、与えられたチャンスにセシリアが大きく頷くとユウトの手を引いて廊下の奥に消える。


「好き勝手してくれるじゃない。でも良いわけ?」

 高圧的な女性の魔導師が支援も魔導師もなしにどうするつもり? と目だけで問う。

「ユウトの前で人殺しはできねぇからな。それに、テメェらも前衛なしじゃねぇか」

 親方達の近くに魔法を避けられるようなスペースはない。

 一方で彼女達も近づかれたら成す術がない。

 全ては呪術師の少女が敵の詠唱をどれだけ妨害できるかに掛かっていた。


 詠唱。妨害。詠唱。妨害。

 時折ダミーで詠唱する振りを織り交ぜながら、両者は拮抗した勝負を繰り広げる。

 真剣な眼差しで敵の魔導師の動きを追う少女めがけて矢が射かけられるが、カイトの盾によって悉く打ち払われた。

 横幅3メートル程度の狭い通路では盾をかわせる位置に回りこめない。

 その間に親方が前へ突出し、一息に5人を打ち倒そうとする。

 距離さえ詰めてしまえば魔導師と弓手の装甲は脆い。

 そうはさせまいと親方の前に一際小柄な少女の最大主教(アークビショップ)が迎え撃って出た。


「こ、ここは通しません!」

 大柄な親方を前に手を広げて立ち塞がる。体格からしても酷く頼りない前衛だ。

「悪ぃが手加減してらんねぇんだよ。怪我したくなきゃそこをどきなッ!」

 親方は殺気を漲らせて本気の視線をぶつける。

 どんな姿をしていたとしても、彼らは多くのプレイヤーを手にかけた敵だ。

 か弱い姿に踊らされて手を抜くつもりはない。

「んだよ、空気読めやクソ爺ぃ」

 途端に少女の雰囲気が一変した。手にした棘付きのモーニングスターを親方に力一杯振るう。

 大斧と比べれば子どもの玩具にも等しい獲物だというのに、ダメージを受けたのは親方だけだ。

 あろうことか少女は攻撃を避けようともしていない。


「親方、【リメス】だ!」

 最大主教(アークビショップ)は決してか弱くない。

 スキルと防具さえ整えば持ち味の支援魔法と回復魔法を活用する事で圧倒的な装甲を持ち得るのだ。

 セシリアのような、PT支援を目的にしたキャラクターはヒールの回復量に直結するIntやMidの他、詠唱を早める効果のあるDexに多くのステータスを割り振るのが一般的で、耐久値の基礎となるVitまで手が回らない。

 しかし、お茶会は攻城戦に参加しているギルドである。

 目の前の少女もまた、通常では選択されにくい攻城戦向けのステータスをしていた。

 ヒールの回復量に直結するIntやMidは勿論上げる。

 だがそれ以上に、耐久力を上げるVitにも並々ならぬステータスを振り込んでいた。

 代わりに詠唱速度は完全に切り捨てる形になるが、攻撃を耐え続けるという点では並みのタンクを凌駕する。


「ヒャッハー! 臓物をブチまけろォ!」

 少女は目を血走らせながら縦横無尽にメイスを振るう。

 幾度かの攻撃で1度目の【リメス】は剥がしたが、その瞬間に背後の支援に再び【リメス】を展開された。

 呪術師(ドルイド)は魔導師2人の妨害で手一杯で、支援までは見切れていない。

 メイスのダメージ自体は微々たる物だが、どうにも武器に毒状態付与のエンチャントがかけられているらしい。

 最大体力に見合ったダメージを一定感覚で与え続ける毒状態だが、この世界ではHPの減少以外にも熱でうなされるような気だるさを誘発する。

 メイスの先端に触れないよう気をつけつつ、親方は手にした斧を縦横無尽に振るった。

 幸い、この廊下は広くない。

 背後に回られる可能性を心配する必要はなく、ただ真正面の相手に集中すれば良い親方にとっては有利な条件だ。

 それを証明するかのように、少女に展開された2枚目の【リメス】も瞬く間に削り取られた。


「ウラァッ!」

 青い障壁が飛び散ったのを確認した親方が斧の峰で少女の腹を打ち据える。

「っがぁっ」

 おおよそ少女らしからぬ獣染みた呻き声を上げると、浮き上がった身体が壁に叩きつけられ、血を吐きながら床を転がった。

 手加減したとはいえ、肋骨の2、3本が纏めてへし折れる一撃だ。

 少女でなくとも暫くの間は呼吸さえままならず、まして立ち上がるなどありえない、筈だった。

 だが目の前の少女は何のこれしきとばかりにゆらりと身体を起こしてみせる。

「随分とお優しいこって。反吐が出らぁ」

 潰れた肺から吐き出された声は擦れていて酷く聞き取りにくい。

 にやりと笑うと同時に少女の身体を薄緑の光が包んだ。

 受けたダメージが瞬く間に回復し、間髪いれず親方へ挑みかかる。


「痛みを感じてねぇな」

「あァそうさ。コイツの濃度によっちゃそういう効果もあんだよ」

 インベントリから取り出した、赤を通り越し黒くなりつつある薬品を一息に飲み干す。

 痛みさえなければ、意識の続く限り回復魔法を使い続けられる。

 少女はゲームだった頃と全く同じ感覚で自分の身体を動かせていた。

 親方が斧の持ち方を変える。その顔にもう迷いはない。

「いいじゃねぇかその表情。愉しくやろぅぜぇ?」

 理性の感じられない獣染みた笑みを浮かべて少女が躍り出た。


 何度斬っても、何度弾き飛ばしても、少女は自分の傷を即座に癒して立ち上がり続ける。

「ィイ! 良いよこの世界は!」

 何が愉しいのか、時折肺に流れ込んだ血を床に吐きつけながら、少女はけたたましい笑い声響かせる。

 ゲームでは一方的に攻撃を引き受けるキャラの事を肉壁と称する事もあった。

 目の前の少女がまさにそれだ。

 床も壁も天井も、目に見える範囲は少女の血がぶちまけられ滑っている。

「ほラほらドうしタ? あたしのMPはマだ半分にもなってねェぞ!」

 常軌を逸した少女は決して強くない。ただ何をしても殺せないだけだ。


 呪術師の少女の目が僅かに泳ぐ。千切れた腕を繋げて起き上がる少女の向こうで魔導師の詠唱が今までより二呼吸分進んだ。

 身体の一部を撒き散らしながら何度も起き上がる少女の姿は底知れぬ恐怖や狂気も一緒に撒き散らしていた。

 魔導師の位置関係上、凄惨な光景がどうしても呪術師の目に映ってしまう。

 狙っているのかいないのか、それが少しずつ積み重なって呪術師の集中力を削いでいるのだ。

 物理的なダメージであればカイトが変わってやれるが、精神的なダメージはどうにもできない。

「耐魔の森さえ使えればどうにかなるのに……っ」

 お茶会は完全に魔法に頼った戦法を取っている。耐魔の森で効果量を下げられればすぐにでも勝負はついたはずだ。

 なのに、触媒がない。

 手持ちはここに来るまでに全て使い切っていた。

 本当ならどうにかできたのに。そうしたらこんな光景は見なくて済んだのに。

 魔導師の詠唱がさらに一呼吸分進んだ。後四……いや、三呼吸で発動できる。

 カイトが呪術師の精神状態を鑑みて、いっそ自分も参戦するべきかと身構えた。敵の弓手は相当な高レベルだ。DPSは決して低くない。

 ヒーラーの居ない今、攻撃に転向してダメージを受ければタンクとしての役割が果たせなくなる危険性はある。

 だとしても、ここで座しているよりは……。


「カイトさんッ!」

 いよいよ防御姿勢から身体を起こそうと決意しかけた時、背後からユウトの声が響いた。

「その子にこれをっ!」

 投げつけられたアイテムがカイトの目の前に転がる。

 ゴルフボールくらいの大きさの、細い木が絡まって出来た球根。耐魔の森の触媒だ。

 焦りに塗れていた呪術師の少女の目に活気が戻る。

 同時に気付いた弓手が触媒を破壊すべくスキルを放つが、呪術師の少女が拾い上げる方が僅かに早かった。


「芽吹け! 魔を食らう呪木!」

「しまっ……!?」

 種を床に押し付けてスキルを発動させる。たったそれだけで大勢は決した。

 胴が寸断しかかっている少女が壊れた機械のように回復魔法を繰り返すけれど、今までのような逆回しじみた回復力は発揮されない。

 一向に力の戻らない身体を起こして親方に殴りかかろうとするが、這って足を掴むのが精一杯だった。

 親方はそれを無造作に振り解く。


「逃がしちゃった時点でこうなるとは思ってたけどさ。あーあ、仕方ないかぁ」

 魔法主体のお茶会にはほんの少しの勝ち目も残されていない。

 しかしそれでも、未だ諦めようとしなかった。

「ま、どちらにせよ同じよ。まさかこれで『片付いた』なんて考えてないわよね?」

 何食わぬ顔でインベントリから華奢な短剣を取り出し、魔法が使えなかろうが殺し合いを続けるという意志を示す。

 無謀を通り越した自殺行為にカイトも呪術師の少女も言葉を失った。

 その中で親方だけは静かに敵を見据える。

「カイト、盾を仕舞ってくれ。そうすりゃお前さんも向こうに届く。ここは俺に任せて呪術師の嬢ちゃんとユウトを連れて入口に戻ってくれ」

 有無を言わせぬ口調に迷いはしたが、カイトは言われるがままに盾をインベントリへ仕舞うと、親方は2人をそれぞれ片腕一本で担ぎ、あらん限りの力で対岸へ放り投げた。


「五対一でも余裕って事?」

「あぁ」

 返事とともに持っていた大斧を全力で放り投げ、咄嗟に避けられなかった弓手の頭に柄がめり込み昏倒する。

 その隙に間合いを詰めた親方はいつの間にか両腕にナックルを装備していて、至近距離からの強力無比な一撃を叩き込んだ。

 【リメス】の薄青い光が一瞬にして砕け散り、その向こうの柔らかな身体にまで貫通する。

 ついでとばかりに床を這っていた最大主教にも一撃を加えて昏倒させた。

 ほんの一呼吸で3人が意識を失う。

 まだ身体を動かせる2人が最後の悪あがきとばかりに左右から強襲するものの、親方は迫り来る短剣を強引に掴み取ってみせた。

 後衛が前衛に近接戦闘を挑んでも結果は例外なくこうなる。


「なんで、アンタがっ!」

 全力を注いでいるのにピクリともしないナイフを握り締めながら、歯を剥き出しにして魔導師が激昂する。

 その瞳には僅かながらの涙さえ浮かんでいるように思えた。

「俺にはユウトが居る」

 親方は静かに囁くと掴んだ短剣に力を籠める。高額なボスドロップが軋み、悲鳴を上げ、遂に細かな亀裂が走った。

「テメェらみてぇなのには付き合いきれねぇんだよ!」

 硬質な音と共に短剣が砕け散る。驚きに目を見開く二人へ瞬速の裏拳が叩き込まれた。

 宙に浮かんだ身体が背後の壁に叩きつけられた衝撃で大きく凹む。

 床に倒れこんだ5人を暫く見下ろしてから、出口を探すべく踵を返した瞬間、ずるりと人の這う様な音が聞こえる。

「トドメが、まだじゃない……」

 壁が硬めのクッションの役割を果たしたおかげでぎりぎり意識を失わずに済んだ魔導師が、自由に動かない身体を必死に動かして転がっている矢に手を伸ばす。

 そんな物を手にしたところで傷一つ付けられないはずなのに、親方は焦燥に彩られた声を張り上げた。

「待てっ!」

 魔導師の女性は満足げに笑い、掴み取った矢を躊躇う事なく自らの心臓へと突き刺した。

 魂を揺さぶるような絶叫が辺り一面に響き渡る。狂気薬を服用していたのは前衛の役割を務めていた少女だけだ。

 想像を超える痛みがある筈なのに手を緩めず、深く、より深く体内に矢を導いていく姿はいっそ神秘的ですらあった。

 今ならまだ矢を強制的に抜いて手元にある回復薬を飲ませれば命だけは助かるかもしれない。

「クソったれ、そういう事かよッ!」

 だが親方は何もせず苦々しい表情で吐き捨てると、自殺に走った女性を一瞥しただけでその場から駆け出した。






 親方に投げつけられたセシリアは入口に向かってひた走る。周囲を警戒している余裕はなかった。

 全速力で3分の道のりを、幸いにも敵に出くわす事もなく駆け抜け本部に転がり込む。

 セシリアの尋常ならざる様子に誰もが目を丸くして、何か良からぬ事があったのではないかと身構えた。

「ここで、私が、居ない間に、何があった!」

 荒い息で掠れた途切れ途切れの言葉は聞き取り辛く、また意味も良く分からずに誰もが首を傾げる。

「ど、どうしたんすか!?」

 青年が落ち着かせようと水を手に近寄ったが、飛びついてきたセシリアによって哀れにも組み伏せられ馬乗りのまま襟首を掴まれた。

「あったこと全部、答えて!」

「あ、あった事っていわれても!」


 ガクガクと定まらない視界にギブアップを叫ぶと、ようやくセシリアが落ち着きを取り戻す。

「えと、先の探索班の生き残りが回収できたんで、屋上に誰も居ない今の内に運び出したくらいですよ。第二次探索班からの連絡もまだありませんし……」

 探索に出ていたABC班が同時に襲撃された時、連れていた支援職は誰一人として帰ってこなかった。

 回復役は残しておくと厄介で、最初に狙う候補としては最もポピュラーだ。

 そのせいで突入班に深刻な支援不足が起こり、戦意を喪失する程の怪我人が出た場合は安全の確保できている今の内に外の拠点まで搬送する計画になっていた。

 てっきり帽子屋が入口を占拠し、封鎖した上で要塞の随所に仕掛けられた爆弾が……という破滅的な計画でも実行したのかと思っていたのに、襲来はおろか、人影すらも見ていないという。


「そんな……。だって帽子屋は確かに……」

「と言われましても。あとは……そうだ。怪我人の一人に酷い状態の人が居ましたね」

 青年も何を話していいか困り果てて、咄嗟に印象深かった一幕を告げる。

「酷い状態?」

「顔に集中攻撃を受けたみたいで、原形留めてませんでした。可愛そうに……女の子だったんですよ? 回復はしたんですけど、ちゃんと自分で治ってるか確認するまで誰にも見せたくないって泣いてました。うぇ、思い出したら気分悪くなってきた……。当分肉は食えなさそうです」

 相手を怯ませる為に顔を狙うのもテクニックの一つにはある。

 だけど、原形を留めないほど集中的に狙うだろうか。何処か腑に落ちない気がした。


「それ、誰だったか分かる人は居ますか?」

 まかさと思った。幾ら彼らでも、そんな真似をするのも、されるのも、常軌を逸している。

「え? いや、A班の誰かじゃないっすかね。顔を覆って泣いてるのに直視なんて出来ませんよ。こう見えて紳士ですから」

 けれど彼らの答えはセシリアの推論を裏付けるものばかりだった。

 何故か誇らしげに胸を誇っている青年の襟首を再び掴んで目一杯揺さぶる。

「その人は今何処!? すぐに取り押さえて!」

「ちょ、何言ってるんですか!?」

 突拍子もないセシリアの行動に青年は理解が追い付かず、ただ慌てふためくしかない。

「いいから、何処に居るのか答えて!」


 これだけ情報が揃ったのに気付いてくれないもどかしさを噛み殺しながら、セシリアはなおも青年を揺さぶり続ける。

 思えば最初から違和感はあったのだ。

 ポータルゲートを封じた以上、お茶会に退路はない。

 要塞内にこちらの精鋭が侵入した時点で遅かれ早かれ勝敗は決する。

 それでもお茶会が未だに降伏の兆しを見せないのは、手元に帰還用アイテムがあるからだ。

 最後の最後まで抵抗を続けて、どうしてもダメなら現実世界に逃げ帰ればいい。


 ABC班が襲撃されたと聞き、地の利と少人数を活かしたゲリラ的な攻勢を仕掛けてくるものとばかり思っていた。

 なのに、要塞の外にはあれだけあった設置魔法がどうして室内には1つも設置されていないのか。

 帽子屋の持っていた血濡れのナイフ。Agi職である彼が浴びるとは思えない雑な返り血。

 退路のないお茶会。抜けられる筈のない包囲網。要塞内部で感じた抵抗の薄さ。

 そこに時間稼ぎを合わせると一つの可能性に至る。


「お茶会は負傷者を装って包囲網の外に帰還用アイテムを持ち運ぶつもりなんです!」

 自由の翼とアセリアのプレイヤーの大部分は元から面識が殆どない。

 会議の際に顔を合わせたと言っても、百人規模の大集会で、一人一人の顔を覚えているような時間もなかった。

 帽子屋も急造のパーティーだという事は最初から看破していた筈。

 そこで彼らは仲間の顔を損壊して誰だか分からないようにしたうえで負傷者に見立て本部へ送り込んだのだ。

 軽傷ならいざ知らず、顔が分からなくなるほどの重傷を味方から受けたとは誰も考えない。


 味方の一人を拘束して傷を負わせるのは簡単だが、そんな目に逢わされれば裏切るに決まっている。

 だから顔に酷い傷を負ったお茶会の誰かは、自らの意志で狂気の沙汰とも思えるこの作戦を受け入れたのだ。

 後の事を考えれば理性を失う訳にはいかず、狂気薬も服用できない。

 顔を抉る壮絶な痛みをひたすらに耐え続けるほどの覚悟があったのだろう。

 ははは。そんな馬鹿な事があるものか。誰もがそんな顔で目を見合わせる。

「つい今しがた搬送されたばかりですから、今頃要塞の出たところくらい、かと……」

 だがお茶会はそれをしかねない程の狂気を既に何度も見せつけていた。

 次の瞬間、示し合わせたかのように入口へ殺到する。




 視界の先に搬送中の女性の姿を見つけ、確保しようと駆け出そうとしたところに、行く手を遮る形で人影が降って沸いた。

 トレードマークの帽子と、不機嫌さを隠そうともしない顔。

 隣には三日月ウサギまで並んでいる。

「本当に貴女は……邪魔ばかりしやがって、」

 やれやれとコミカルに肩を竦めてみせるが、目は少しも笑っていない。

「目障りだろうがァァッ!」

 口調を繕う余裕もない壮絶な怒りと憎悪に染まった帽子屋が牙を剥きながら吠えた。

「貴様だけはここで殺す……。何としても、何を犠牲にしようとも! この僕の計画をよくも……よくもひっくり返してくれたなァ!」

「うっはwwwマジギレでござるよwww。まぁ拙者も、これに気付かれるとは思わなかったでござる」


 お茶会を代表する2人の登場にあからさまな動揺が広まった。

「お前は彼女を確保しろ。残りは殺せ」

「御意に」

 殺気を漲らせながら短い指示を飛ばすと、三日月ウサギは言われるがまま、負傷者を運んでいた一団へ全力で挑みかかる。

 慌てて武器を手に対応するが、本部の人員は突入班の中でもレベルが低く、三日月ウサギを相手にするには心許ない。

 怪我人を守りながら戦わなければならないと言う状況も手伝って、瞬く間に一人二人と斬り伏せられていく。


「生かしておいたのが間違いだった。貴様など最初から生まれてこなければ、こんな結末は生まれなかったッ!」

 帽子屋の口にした謂れのない誹謗は子どもの癇癪と毛ほども変わらない、失笑を誘うものだ。

 実際、それを聞いた幾人かは何を馬鹿なと鼻で笑い飛ばしている。

 だが、ことセシリアにおいては致命的な刃になりうる。

「ち、がうっ」

「違うものかッ! この、化け物がァ!」

 反射的にセシリアが大きく後ずさった。


「今日ここで何人が死んだ? 奴らがどんな死に方したと思っている。どいつもこいつも可愛そうなくらい苦しんで、呻いて、ガタガタ震えてたさ。全て貴様のせいだ。貴様が口車に乗せてここに集めたんだからなァ! 昔から口だけは得意だったもんなぁ……。おっとそうか、死んだ奴のことなんてどうでも良かったか! 駒として使い捨てる気分はどうだ? ……答えて見せろォォッ!」

 セシリアが不安定な足場に躓いて尻餅をつく。いや、不安定なのは足場ではないく、心の方か。

 確かにセシリアが居なければ帽子屋に関わる事もなく、死ななかったプレイヤーもいるだろう。

 もっとも、セシリアが居たおかげで生き延びたプレイヤーの方が圧倒的に多い。

 どちらの命がより大切かなんて人に決められるものじゃない。


「セシリアさんは下がっていてください」

 怯えるセシリアの前に駆けつけてきたプレイヤーが帽子屋から守るように立ちはだかる。

「あんな奴の言う事に耳を貸す必要なんてありません。僕は僕の意志でここに立っている。あいつらが許せなかったから参加する事に決めたんだ。だから、顔を上げてください。胸を張ってください。貴女は何も間違ってなどいません」

 差し伸べられた手をセシリアが恐る恐る掴み取る。

 優しく手を引いて立ち上がらせると、後ろに並んだプレイヤーに引き渡した。

「好き勝手抜かしやがって。もういいだろ、こんな気違いの話なんざ聞く必要もねぇ!」

 並んだプレイヤーが揃って武器を抜き、言葉にせずとも同意を顕わにする。

「良いだろう。貴様のせいで何人死ぬか、よく数えておけ!」


 帽子屋が人数差を物ともせずに集団の只中へ斬り込んだ。

 多少のダメージを気にも留めない強引な攻めに、抑えきれなかった前衛が浅い傷を負う。

 距離が近すぎるせいで魔導師は強力なスキルを使えず、帽子屋が離れる瞬間を待ち構えるしかない。

「この程度の攻撃で止められると思うなァァッ!」

 怯えて戦意の衰えているセシリアからは何のプレッシャーも感じない。

 四方八方から味方の隙を補う形で割り込んでくる斬撃に、帽子屋は異常なまでの反射神経で対応してみせた。


 いかに帽子屋と言えども多勢に無勢では重い攻撃を放てず、辛うじて浅い傷を付けるに留まりプレッシャーにもなっていない。

 ところが近距離での乱戦が続く内に、浅い傷を負ったプレイヤーの動きが鈍り始めた。

 毒。それも、本来は彼が扱えない暗殺者(アサシン)専用の強力な物だ。

 遂に一人が苦しげに地面へ倒れこんだ。プリーストが懸命にヒールをかけるも、苦悶の表情は和らがない。

 高位の毒の治療が出来るのは同じ暗殺者(アサシン)だけなのだ。


「こっちも毒の治療急いでっ」

「不味いな、アタッカーが減っちまってる!」

 毒の治療を受けて戦線復帰するよりも、毒状態で動けなくなる方が早い。

 帽子屋は手数を重視したスニークで、状態異常や特殊効果のあるスキルで敵を妨害したり引っ掻き回すのが仕事だ。

 これだけの数を相手に、レベル差があるとはいえ善戦しているのは型にはまっているからに他ならない。

 相手の型を外さなくては

 。帽子屋の狙いが状態異常で軽い傷を負わせることが狙いだとすれば打つべき対策は一つに絞られた。


「【プロテクション】」

 セシリアが【リメス】より効果の劣るものの、一度に多人数へ障壁を展開できる支援魔法を発動する。

 早々に戦線復帰する姿を尻目に、帽子屋がギリリと奥歯を噛み締めた。

「結局は危険な戦闘を他人に任せて甘い蜜を吸うだけか!? いい御身分だなァ!」

 帽子屋にとってセシリアの存在は悪夢だ。再び感情を逆撫でて戦意を失わせるべく口を開く。

 しかし、今度はセシリアも帽子屋からの口撃をどうにか耐え忍んだ。


「怖い、けど。まだ感情がぐちゃぐちゃだけど。今は全部、忘れます。帰ったらフィアが全部聞いてくれるから。私はもう、一人じゃないっ」

 瞳に先ほどまでの怯えの色はない。

「私は私の目的の為に。後悔は、全部終わってからにします」

 完全な復活を遂げたセシリアを前に、帽子屋の瞳が憎悪と嫌悪に染まる。

「ハッ! 何もかも全部後回し? 聞いて呆れる!」

「私もそう思います。でも思ったんです。貴方さえ居なければフィアだって苦しまずに済んだんじゃないかって。そう考えたら、なんだか死ぬほど腹が立ってきました。他の全部がどうでもよくなるくらいに!」

 セシリアはもう揺るがない。帽子屋の顔が益々苛立たしげに歪んだ。

「まぁ良い。時間は稼いだ。撃て!」


 何を、と考える暇もなく帽子屋や三日月ウサギをも巻き込む形で派手な魔法が上空から放たれる。

 既にここら一体の耐魔の森は効果時間が切れてなくなって久しい。

 見上げれば要塞の屋上に生き残ったお茶会のメンバーが集結していた。

 人数はギリギリ10に満たない9人だけ。それでもなお、彼らは諦めず、物陰に隠れながら魔法の準備を整えていたのだろう。

 完全な不意打ちに巻き込まれた全員が例外なく倒れた。


 最初に復帰したのは帽子屋と三日月ウサギだ。

 即死しない程度の、されど尋常ならざる痛みに呻いている間に、屋上から彼らにだけ回復魔法が飛ぶ。

 動けるようになった2人は搬送中だった女性の胸元から輝く宝珠を掴み取ると、要塞を取り囲むプレイヤーめがけて突き進んだ。

「まずい……。包囲を突破するつもり、です」

 作戦がばれた以上、周囲が動揺している今しか突破口はないと悟ったのだろう。

 包囲網に向けて気をつけろと叫んだつもりだったが声にならない。

 魔導師による同時攻撃はそれだけ深刻なダメージをセシリア達に与えていた。

 次を撃たれたら意識どころか命さえ飛びかねない。早く回復魔法をかけなければ全滅してしまう。

 それが分かっているのに、どうにか身体を起こそうと力を入れた腕はずるりと滑るばかりだった。


 狂気薬の影響で痛覚の大部分が麻痺していた頃が懐かしい。

 生身の身体はこれしきの事で言う事を聞いてくれなくなる。

 いっそ、未だに保存してある薬を使うべきか迷って、すぐに首を振った。

 あんな物に頼るなんてもう二度とごめんだ。

 不自由で、簡単に壊れてしまうからこそ、大切にしようと思える。

(負けて、たまるかっ!)

 一番失いたくない物。家族とフィアの顔が思い浮かぶ。

 元の世界に、リュミエールに帰る為にもこんなところで寝転んでいる場合じゃない。

「サンク、チュアリ」

 どうにか魔法のイメージを地面に反映する。漏れ出した優しげな淡い光がくすぶっていた身体中の痛みを瞬く間に癒した。

「全員要塞内へ退避っ! 追撃を警戒してくださいっ」

 セシリアの回復魔法によって痛みの消えたプレイヤーは慌てて立ち上がると空を見上げ、ぴたりと動きを止めた。

「なんか、もう大丈夫みたいですよ」

「へ?」

 間抜けな声を出しながらつられるようにして屋上を見やる。

 視界の先には探索班のメンバーが生き残った帽子屋のメンバーを残らず打ち倒す姿があった。




 最後まで残った帽子屋と三日月ウサギはセシリア達を引き離し、包囲するプレイヤーの群れに向かって駆けていた。

 正面からは大量の魔法と矢がひっきりなしに襲ってくる。

 避けるなんて時間の無駄だ。インベントリにしまってあるポーションを浴びながら力の続く限り前を目指す。

 身体を削られる痛みは既に感じていない。足を動かす感覚も消えて久しい。

 あれを蹴散らして逃げるのだ。

 ……どこへ?

 どこかへ。追っ手のこない場所へ。

 この宝珠が他の誰かの手に渡らない場所へ。

 そんな場所があるのかすら分からないけれど、今を乗り越えなければ先がない。


「終わりでござるな」

 唐突に聞き慣れた声がしたと思った瞬間、帽子屋の視界が唐突に反転した。

 いつの間にか両腕の感覚もなくなっている。これではポーションを使う事もできない。

 自分は前を向いて走っていたのではないのか。なのにどうして目の前がこんなにも暗いのか。

 何かが近付く音が聞こえる。くぐもった音。誰かの話し声。


「これ、生きてるのか……?」

「いや死んでるだろ。手も足も千切れてるし矢が刺さってないのは口くらいだぜ」

 誰かの声が教えてくれる。

 そうか、まだ口は動くんだ。なら、まだやれる。まだ可能性はある。

 インベントリからアイテムを口の中に具現化した。誰かの息を呑む音がはっきりと聞こえる。

 顎にしっかりと力を入れて、ガラス瓶ごと噛み砕く。

 身体に活力がみなぎってきた。しかし、手足は一向に動かない。

 一時的に回復した視界で身体の場所を探す。そこに口を近付け、再びポーションを噛み砕いた。

 口から零れた赤緑の液体が傷口と転がっていた右手に掛かり、感覚が戻ってくる。

 それを使って左手を繋ぎ直す。最後に近くの焼け焦げた足をくっければ元通りだ。

 両目に刺さった矢を抉りながら抜き捨て、隣に転がる三日月ウサギにポーションをかける。

「いつまでそうしているつもりですか? その姿でいるのは、もう飽いたのでしょう?」

「そうでござったな」

 ゆらりと三日月ウサギが身体を起こした。




「なんだよ……なんなんだよあれは!」

 動かなくなった帽子屋と三日月ウサギの様子を見に行ったら、ばらばらになった身体を拾い集めて立ち上がった。

 いっそ笑えるくらいチープなホラー映画染みた演出に、誰もが恐れをなして逃げ帰っていく。

 攻撃を仕掛けようにも逃げ惑うプレイヤーで一時的に射線が塞がれおり、手が緩んでしまった。

 2人はその隙に復活を遂げるミラクルを引き起こし、武器を手に再び立ち上がる。

 腰を抜かした一人がすれ違いざまに首を飛ばされ、転んだ一人が5つに分割された。

 つい先ほどまで「仕留めた」と息巻いていたのが夢だったかのように、2人は快進撃を続ける。


「奴らを近づけさせるな! 後衛は火力を集中しろ! 今度は動かなくなっても手を緩めるな! あれは……化け物だ、確実に殺せ!」

 動かなくなったから大丈夫だろうと言う慢心が、今や両者の立場を大きく変え始めていた。

 要塞から十分な射程で長時間攻撃できたさっきまでと違って、今は距離が近すぎる。

 再び手足を寸断し、動きを止めてから集中砲火を浴びせかけるのは至難の業だ。

 このままでは包囲網を抜けられる。森の中に逃げ込まれたら追撃は困難と極めるだろう。


 弓を構えていた男が、杖を向けていた女が、目と鼻の先、息吹さえ届きそうな距離に迫った2人を前に慌てて後方へ飛び退く。

 遂に2人が包囲網の端まで届いたのだ。

「地獄に旅立つ準備は出来ましたか?」

 帽子屋が武器を構え、身を屈めて踏み込みの体勢を取る。

 乱戦になれば高レベルの2人を止められる物は居ないだろう。無数の屍を築き上げてから悠々と逃げられる。

 最悪の可能性に誰もが絶望しかけた、刹那。

「セイクリッド・パージ!」

 遥か遠方から放たれたセシリアの最高位攻撃魔法が空を貫いた。


「がっ……ァァァァァッ!」

 目的を達する直前の横やりに帽子屋が怒りをぶちまけながらもその場に膝をついた。

 その相手がセシリアとなれば尚更だ。

 上空から押し寄せる光の本流は想像を絶する重圧でもって帽子屋と三日月ウサギの身体に地面に縫い付ける。

 予め飲んでいた狂気薬のおかげで痛みこそないが、沈ませていた体勢も相まって身動きは取れそうもない。

 だが、それだけだと帽子屋は判断する。

 細かい何かが身体中をザリザリと削り取っていく感覚に包まれるが、この1発で終わるほど体力は少なくない。

 耐え切ったと同時に前へ飛び、虫けらどもに紛れ込めば派手な魔法は使えなくなる。


 セイクリッド・パージの攻撃判定は10秒とやや長いが、それさえ過ぎれば身体は自由を取り戻せるのだ。

 第三者が帽子屋を攻撃しようとしても発動しているセイクリッド・パージ自体が壁となり、魔法や矢は届かない。

 剣を始めとする物理的な武器などはもってのほか。範囲に入れば例外なく帽子屋と同じ運命をたどるだろう。

 所詮は無駄な悪足掻きだと一蹴し、魔法が途切れる瞬間をしっかりと頭の中でカウントする。

 残り、10……9……8……7……6……5……。

 半分を過ぎ、勝利を確信した帽子屋が口角を吊り上げた。


「早く探せッ!」

 その前をありえる筈のないものが通り過ぎる。

 霞む視界の向こうに、セイクリッド・パージの中に居ながら平然と歩き回るプレイヤーが居たのだ。

「馬、鹿なッ!」

 彼らは動けない帽子屋と三日月ウサギに手を伸ばし、服の上から乱雑に身体を改めると、懐に入っていた宝珠を掴み取る。

「や、めるでござる……!」

 アイテムを奪われた三日月ウサギが必死に暴れても、セイクリッド・パージの効果は未だ続いていた。

「ヤメロオォォォォォォォッ!」

 眼を血走らせた帽子屋が持っていた短剣を今まさに奪われようとしている宝珠へ突き立てる。

 だが宝珠には過去に試みたあらゆる方法でもそうであったように、やはり傷一つすら付けられなかった。


「何故だァ。何故一度は認めておきながらこんな物すら壊せないッ! この世界は僕を! 僕等を認めたんじゃないのかァッッ!」

 それでも帽子屋は悍ましいほどの怨嗟を籠めながら、あらん限りの力で短剣を押し込む。

 壊れろ。こんな物壊れてしまえ。ただひたすらにそれだけを願い、次の瞬間、ほんの僅かに刀身が飲まれた。

「させるか!」

 手を深く斬りつけられたプレイヤーが宝珠を地面ごと蹴り飛ばす。

 まるでその瞬間を見計らったかのようにセイクリッド・パージの効果が途切れ、圧し掛かっていた重圧が途切れた。


 しかし既に宝珠は空に浮かび上がり、伸ばした五指は空を掴むばかりで届かない。

「それに、触れるなぁァァァァッ!」

 ならば拾うまでだと、ぼろぼろの身体を走らせようとした帽子屋が何かに弾き飛ばされた。

「行かせるものかッ!」

 いつのまにか帽子屋の周囲を多数のプレイヤーが幾重にも取り囲み、武器ではなく腕を広げて壁を作っていた。

 その間に落下を始めた宝珠を追いかけていたプレイヤーが見事に掴み取る。

 彼は身を躍らせる程の興奮に湧きつつも、慌てて宝珠を空へ掲げた。

「つかどうやって使うんだよ! 何でもいいからさっさと発動してくれ!」

 それがキーワードになったのかは分からない。

 次の瞬間、宝珠が目も眩むほどの光を空に向かって吐き出した。


【帰還プロセスを起動中……起動完了しました】


 晴天の空に黒い文字列が踊ると、そこかしこから尋常ではない数の歓声が沸き起こる。

 多くの悲願が達成されたのだ。


【システムチェックを実行……システムに破損は見つかりませんでした】


 青い空がコンソール画面のように明滅し、現在の進行状況を表示する。


【帰還シークエンスを実行……World's End内のプレイヤーを検索中。進行度0%。完了まであと74時間。完了次第、リアルワールドへの再コンバートを行います】


 誰もが今か今かとその瞬間を待ち侘びていたのに、突然浮かび上がった74時間の文字で足を滑らせる。

「ちょ、ここまで来てそれかよ!」

「74時間とか長すぎんだろ! 緊急メンテってレベルじゃねーぞ!」

 集まったプレイヤーは口々に文句を垂れ流すが、その顔は例外なく晴れやかな笑顔だった。

 終わったのだ。長かった異世界での、苦難に満ちた日々が。

 それを思えばシークエンスの完了に必要な3日なんて微々たる物だ。

 寧ろ観光気分でこの世界を楽しめる良い機会とも取れる。

 男が飛び跳ねながら声高々に叫ぶ。

「帰れるんだ! 俺達の……」

 世界に。そう続くはずだった。


「よくも……。よくもよくもよくもよくも! 帰れるものか! 帰らせるものかァ! この、虫ケラどもがァァァァァッ!」

「貴様らがした事の報いは受けて貰うでござるぅぅぅぅッ」

 2人の攻撃を同時に受けた男の身体が4つに割れて地面を転がる。

 帰還用アイテムを発動させれば全てが終わるのではなかったのか。

 集まっていたプレイヤー達に動揺が広がる中、帽子屋と三日月ウサギは目を血走らせ、唸り声を上げながら手当たり次第にプレイヤーを斬り殺し始めた。

「い、いい加減にしやがれ! てめぇはもう負けたんだよ! こんな事をして何の意味がある!」

 既に帽子屋達は包囲網に入り込んでいるのだ。背後は先程の歓喜から一転、てんやわんやと逃げ惑うプレイヤーで団子のようにもつれあっている。

 男は恐怖で震えそうになる舌を必死に動かして2人への説得を試みた。


「意味だと? そんな物は必要ない! 消えろ潰れろ虫ケラどもが!」

 手にした短剣が捕捉困難な速度で幾度となく翻される度に赤い血潮が辺りへ飛び散る。

 けたたましい悲鳴に歪んだ愉悦の笑みを貼り付けると更なる獲物へ向かって足を踏み込んだ。

「いい加減にしやがれっ!」

 その背中を今までにない強烈な一撃が殴打する。

 骨の砕ける嫌な音がしたかと思えば、帽子屋の身体は本来なら曲がり得ない方向へくの字に折れ曲がっていた。

「安心しろ。テメェだけはきっちりと向こうへ送ってやらぁ」

 かろうじて動かせる目玉が要塞から駆けつけてきた親方の斧を映す。

「……ぁ。っは」

 帽子屋が何事かを言いかける。砕けた骨が肺に突き刺さっているのか、言葉にはならなかった。

「こ、こいつ、まだ笑ってやがる!」

 遠巻きに顔を覗きこんだプレイヤーが浮かべられた表情を見て怯えた声を出す。

「お、親方! はやくそいつをっ!」

 口の中に出現したポーションが噛み砕かれる。ほんの数瞬もあれば再び起き上がるであろうギリギリのタイミングで振り上げられた親方の斧が地面に転がる帽子屋へと叩き付けられる。

「……馬鹿野郎が」

 確かな手応えと共に、帽子屋の体力が完全な黒一色に塗り潰された。


























 要塞内部の一室でお茶会のメンバーが2人、息を潜ませながら外の様子を眺めていた。

「帽子屋、やられちゃったみたい」

 視界の先で最期の瞬間を悲しそうに見つめる。

「じゃあもう終わりなんだね」

 隣に座っていたプレイヤーも残念そうに溜息をついた。

「短い間だったけど、楽しかったなぁ」

「これならもう十分だよね?」

 お互いにうんと、邪念の感じられない笑顔で頷き合うなり、向かいって手を繋ぐ。

「準備は?」

「良いですとも」


 魔導師(ウォーロック)はどんなにレベルが高くても全ての属性の魔法を極められない。

 だから、どれか2つの属性に絞ってスキルを選択するのが常識だ。

 それ故に同じ属性を極めている魔導師(ウォーロック)と出会う確率はそう高くない。

 しかしこの2人は意図的に同じ属性を極めていた。

 魔導師の高位魔法には隣で同じ魔法を使う事で威力が強化されたり、特殊効果が発動したり、詠唱時間が短くなったりする物がる。

 攻城戦で魔導師を登用する場合は意図的に同じ属性を極めたペアを配置するのが慣例だった。

「それじゃ、始めるよ」

「うん、始めよう」


 誰にも気付かれない一室で2人は長い長い詠唱が始まる。

 発生した巨大な魔法陣に気付いても、2人の居場所に辿りつけなければ詠唱は止められない。

 10秒が経って、20秒が過ぎて、30秒も掛かった詠唱はようやくの終わりを迎えた。


「「【コメット】」」


 2人の口から同時にスキル名が唱えられる。

 魔導師(ウォーロック)が覚えられる中でも最大の攻撃力を持った彗星が虚空に大口を開けて出現した。

 ペアによる多重詠唱(ダブルキャスト)によって、ただでさえ高い威力は天井知らずに跳ね上がっている。

 こうなったら最後、妨害も打消しも通用しない。

 それが真下、2人の佇む要塞へと降り注いだ。

次回最終話といいつつ、実際にはあと2話あります。

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