幕間-奇跡の対価-
1話きりの舞台裏へようこそ。
今回も果ての世界でのクロスオーバー要素が含まれていますが、ご存じなくても問題ありません。
まどろみの中で不意に人の気配を感じた僕は、机の上に組んだ腕枕からゆっくりと顔を起こす。
目の前のディスプレイが吐き出す不健康な光によって薄ぼんやりと照らされた手狭な室内には、大量の本と書類が散らばり足の踏み場もない。
研究中に寝落ちするのは珍しくなくなっていた。
朝と昼の感覚さえ既に乏しい。そうまでして研究に打ち込んでいるのに成果は何一つとして得られない。
……分かっている。本当の自分は世間で騒がれているほど才能に溢れていないのだ。
フルダイブシステムの開発だって、異世界から来た少女がまだ発見されていない新しい法則を教えてくれたから出来たものだ。
自分一人では何も成し遂げていない。
ただ幸運に恵まれただけ。
こんな機材もろくにない名ばかりの研究室では死ぬまで探しても答えは見つからないだろう。
「……それでも、諦めるわけにはいかないんだ」
机に置かれていた、いつ淹れたかも定かではない冷めきったコーヒーを一気に煽る。
世間では未だ『World's End Online』事件の騒ぎが続いていた。
被害者が独身の場合は発覚に時間が掛かるケースも多く、3万程度だった死亡者は最近になって4万に達し、行方不明者の数は計測さえままならない。
ある日突然いなくなった家族や友人が事件に巻き込まれたのか、他の要因で行方をくらましたのか断定が出来ないのだ。
政府はこの事態をどう治めるかで嵐の中に浮かぶ小舟の様に揺れ動いており、プロジェクトも凍結されたまま再開の目処は経っていない。
内部的には成果を急ぐあまり暴走した福部の責任として処理され、彼を積極的に支援していた幾つかの派閥も責任を追及されて解体。
その後釜を狙う者達、今後の舵取りを狙う者達とで、蜂の巣を突いたような騒ぎが続いている。
彼らにとっては十数万人の被害者をどうこうするより、自分の座る椅子を確保する方が大切らしい。
被害者への対応は何ら進んでおらず、政府は今後も詳しい調査を行うと威勢のいい言葉を並べているが、実態は自分達で設立した調査機関に調査費用と言う名目の税金をざぶざぶと流し込んで私腹を肥やしているだけだ。
そのメンバーの一人が自分だと言うのがなんともはや笑えない。
そもそも、一体どうやって調査を進めるつもりなのだろうか。
魔法と言う概念はあまりにも危険過ぎる。当然ながら、事件の全容をそのまま発表するわけにはいかない。
『World's End Online』のプレイ中に発生した死者や重篤な障害に関しては張りぼての理論を盾に金銭で解決を迫ればいいかもしれないが、最大の問題はある瞬間を堺に忽然と姿を消してしまった数万人の行方不明者の方だ。
彼らの肉体は魔法によって存在その物を電子情報に変換され、異世界に送信されたあと、かの世界でゲームのキャラクターをベースに再構築されている。
この世界を幾ら探した所で見つかる筈がないし、異世界とコンタクトを取るにはどうしたって『魔法』が必要だった。
『World's End Online』に多数のプレイヤーが接続していなければ『魔法』は行使できない。
かといって『World's End Online』の再稼働はありえかった。
世間はフルダイブシステムを危険視する声で溢れすぎている。
強引に再稼働しようにも、ゲームサーバーの運営は民間の管理会社に任されているのだ。
管理会社がまともな思考回路を持っているなら、再稼働の許可を出したとしても批判を恐れて自粛する。
『World's End Online』に政府が関与していると知られる訳にはいかない以上、圧力を始めとした強硬な手段も封じられていた。
せめてあの研究所が再稼働すればと思う物の、凍結は未だ解除されていない。
それでも出来る事はある筈だと信じ、ここ1ヶ月はずっと研究所から持ち出してきたデータのコピーを確認していた。
結果は芳しくない。
「……やっぱり異常は見つからないか」
何度システムを見直しても不具合やミスは見つからなかった。
ログを見る限り、帰還用アイテムの生成も問題なく行われている。
これまで行われた『World's End Online』を介しての異世界転移実験は全て成功していた。
規模こそ大きかったものの、全員の転送が揃って失敗した可能性は薄いと言えるだけの自信はある。
にも拘らず1ヶ月以上経った今も誰一人として帰還しないのは何故なのか。
可能性として真っ先に思い浮かぶのは時間軸のズレだ。
こちらの世界とあちらの世界では時の流れる速さが異なっていた為、研究中は魔法によって無理に時間軸を同期していた。
両世界の繋がりが断たれた今、時間軸の同期システムが機能しなくなっていてもおかしくないのだが、腑に落ちない点が一つある。
元々、こちらの世界よりもあちらの世界の方が時間の経過は速かった。
仮に同期システムが停止したとしても、帰還するタイミングが早くなりこそすれ、遅くなるとは考えにくい。
やはり別の要因があるのだろうかと思い直し、凝り固まった背筋を思い切り伸ばす。
その時、不意に何か途方もない違和感を感じた。
何かを忘れているような気がする。
そもそも、どうして僕は目を覚ましたんだっけか。
まどろみの中で微かに覚えた人の気配。
それに思い至った瞬間、暗闇の中から違和感の原因が噴出した。
「やっと気付いてくれましたか」
片足を前へ。膝を折って両手で足元まで広がっている白い裾を摘む。
いつの間にか目の前に佇んでいた少女が、いつかどこかで見た記憶とそっくりそのまま同じ型の一礼をしてみせる。
さほど大柄ではない自分と比べても頭一つ分以上小さな背丈。
膝近くまで伸びた長い髪は紅茶にたっぷりのミルクを注いだかのような柔らかい色合いで、風もないのにふわふわと揺れている。
日本人離れした容姿の少女に面識があろう筈もない。
にも拘らず、僕は優しげな微笑みを浮かべている少女が何者なのか直感的に理解した。
「この姿では初めまして」
随分昔の光景の焼き直しに思わず苦笑さえ零れる。
「それが君の本当の姿ってことかな」
「ええ」
かつて自分に魔法と呼ばれる隠された法則を教えてくれた少女は、あの時と同じように何の前触れもなく突然に姿を現した。
もしや自分は未だ夢の中で、目の前の光景もただの夢なのではないかと思う。
しかし、それを確かめる気にはなれなかった。
夢でもいい。ずっと追い求めていた彼女との邂逅を無理に覚ます必要なんてない。
「君には聞きたい事が沢山あるんだ」
ともすれば震えそうになる声を必死に抑えつけながら、僕は待ち焦がれていた彼女に告げる。
胸に渦巻くのは、彼女なら起きてしまった事件を進展させられるかもしれないという願望だ。
何せ彼女はこの世界に魔法と言う知識を与えた張本人なのだから。
「分かってます。今日はその為に来たんですから」
すると彼女は、まるで最初から僕の言葉を知っていたかのように微笑んだ。
「まずは何から話しましょうか……」
少女は近くに丁度良く詰まれていた本へふわりと腰を下ろしてから可愛らしい仕草で首を傾げる。
聞きたい事、話したい事は両手でも数えきれない。
先程から頭の中では優先順位を巡って数々の案件が目まぐるしい争いを繰り広げていた。
だが、一番最初に話すべき話題は一つしかない。
「教えて欲しいんだ。僕等のせいで異世界へ転送されたプレイヤーが今、どうなっているのか」
全滅した、という最悪の可能性が頭を過ぎる。
僕の緊張した眼差しを彼女も感じたのだろう。幼子を安心させるように優しく笑って見せた。
「大丈夫、貴方のシステムに不備はありません。帰還が遅れているのは彼ら自身の問題です。でもそれも、もう終わります」
もう終わる。それは、彼らが帰ってくると言う意味だろうか?
思わず座っていた身体が前のめりになる。
「一体、彼等に何があったんだ?」
「人は夢を見る生き物ですから」
そう答える彼女の顔はほんの少しだけ寂しそうに思えた。
「世界は理不尽に満ちています」
自分の夢を誰もが叶えられるわけではない。
自分の願った通りの人生を歩めるわけではない。
小さな頃に思い描いていた夢は歳を取るにつれて形骸化し、いつかは妥協して無難なものに摩り替る。
時にはいつまでも夢を追いかける人も居るが、そんな人を見る周囲の目は冷めた物だ。
夢は叶わない。何でもできると信じていた自分が成長とともにどんどん小さく思えて、いつか夢に手を伸ばす事さえ躊躇うようになる。
だから、夢を見るのだ。
「貴方の作った世界は、誰かの夢を叶えたんです」
誰だって一度くらいは憧れを抱いた事もあるだろう。
格好良い部活の先輩、大好きなアーティスト、尊敬する先生や御伽話の主人公。
枚挙に暇はないが、理想の自分になりたいという願望は誰もが持ち得ている。
そしてそれはVRMMORPGで作られたキャラクターや仮想世界に持ち込まれた。
リアルな世界を自分で作り上げたキャラクターで冒険できる『World's End Online』は、プレイヤーにとっての理想そのものだ。
この世界でなら現実の非凡な自分ではない、特別な自分を演じる事だってできる。
『World's End Online』の世界に転移されたプレイヤーは奇しくも理想の自分を手に入れてしまった。
僕は今のこの世界が好きで、多大な未練を抱いている。
まさか『World's End Online』の世界に残りたいと思うユーザーが現れるなんて思ってもいなかったのだ。
あの世界は不確定要素の塊と言える。
理解不能な魔法と言う概念が跋扈し、文明も治安も現代日本と比べれば雲泥の差だ。
少し街を離れれば凶悪なモンスター達が手ぐすね引いて待っている。
世界創造の経緯から考えても、次の瞬間に崩落したっておかしくない。
地雷原の只中に丸裸で置き去りにされるより危険極まりない場所とでも言えばいいのか。
怖くて震えるならいざ知らず、順応して生活するなんて完全に想定の範囲外だった。
挙句、帰るか帰らないかで派閥が出来上がり、帰還用アイテムを巡っての攻防が繰り広げられていると聞かされて思わず眩暈に襲われる。
プレイヤーを異世界へ転移させたのは実験に巻き込んで死なせたくなかったからだ。
事実、間に合わなかったプレイヤーや『転移のエネルギー』として利用した人々は凄惨な状況に陥っている。
だというのに、無事に逃がした人々が殺し合っている現実の何と皮肉なことか。
「この件に関して、私や貴方にできる事はないんです。私は好きな世界に出入りできるわけはありませんし、貴方も干渉できないのでしょう?」
『World's End Online』が再稼働できない今、彼女の言う通り僕にできる事は何もない。
一刻も早く異世界へ転送されてしまった人々が和解し、この世界へ帰還してくれることを祈るしかなかった。
彼女の言葉が本当なら。いや、本当なのだろう。もうすぐ異世界に転送してしまった人々がこの世界に帰ってくるのだろうか。
喜ばしい事態だ。待ち焦がれていた事態だ。
でもその前に、僕にはどうしても彼女に聞かなければならない事が残っていた。
ずっと前から胸にわだかまっていた一つの疑問。
「どうして僕に細工した鉄片を身に着けておくよう教えたのかな」
あれはまだ『World's End Online』でこんな事件が起きるなんて思ってもいなかった頃の話だ。
僕はある日、自分の部屋で奇妙な白昼夢を見た。
目の前の少女が突然現れ、僕に誰かと会う時は細工した鉄片を身体のとある部分に取り付けるよう囁いたのだ。
首を傾げるような指示に従ったのはほんの気まぐれに過ぎない。
おかげで首謀者である福部に撃たれても無傷でやり過ごせたのだが……考えるまでもなく『ありえない』事態だ。
彼女に言われて仕込んだのはほんの小さな鉄片に過ぎず、撃たれた銃弾が運良く遮られる確率なんてゼロに等しい。
けれど銃弾は鉄片の中心を確かに捉えていた。
「……『どうやって』ではなく、『どうして』と聞いた貴方なら、もう答えは出ている筈です」
彼女の言う通り、僕は既に回答を用意している。
考えられる可能性なんて一つしかないのだから。
「君は僕の身に何が起こるのかを予め知っていたんじゃないのか?」
撃たれる場所を事前に知っていたなら、どんなに小さな鉄板でも必ず弾を防げるだろう。
最初に会った時に話していた会話の内容をおぼろげながらも思い出す。
あの時は夢の中の出来事だと思い込んでいたせいで半分以上を聞き流していたし、彼女も自分の身の上を信じて欲しいとは言わなかった。
おぼろげな記憶ではある物の、その中で彼女は今の記憶を過去の自分に転写する、疑似的なタイムリープ魔法を扱えると話していたように思う。
彼女が何も対策を施さなければ僕は撃たれて死んでいた筈だ。
しかし、それを観測した彼女が【僕が死んだ記憶】を過去の自分に転写して、僕が死ぬ未来を回避すべくあの鉄板を身に付けるよう諭したのだとすれば全ての辻褄が合う。
「その通りです。貴方が撃たれる事も、放置すればそのまま死んでしまう事も、全部知っていました」
「それならどうして教えてくれなかったんだ!」
予想通りの顛末に、僕は思わず声を荒げる。
だってそうだろう?
僕が撃たれると知っていたなら、誰が僕を撃ったかを、福部が裏切り者である事実を知っていた筈なのだ。
「君が最初から未来を知っていたのだとしたら、僕等が最初に出会った時からこうなる事も分かっていたんじゃないのか!? 『福部は裏切るから気を付けろ』とたった一言警告してくれていれば、これ程の犠牲者を出さずに済んだんじゃないのか!?」
八つ当たりなのは自覚している。人体実験を推し進めたのは他ならぬ僕自身だ。
所長として研究所内に目を光らせ不測の事態に備える必要があった。
福部の裏切りに関して言えば、研究に没頭して所長としての責務をおざなりにした僕のせいだ。
だが、彼女が数万人を救う手立てを握っていたにも拘らず静観に徹していたのもまた事実。
いや、違うか。数万人が死ぬと分かっていながら、何もしなかったのだ。
「それとも、君はこの未来を予測できなかったのか?」
「いいえ。貴方の言う通り、【今】の貴方と最初に出会う以前からこの未来を予測していました。私はこの状況を、数万人が犠牲になる世界を私自身の意志で望んだんです」
例え嘘でも『そうです』と頷けばいいものを、彼女はどこまでも正直で真っ直ぐだった。
未来の情報を過去に持ち帰れるなら、望む未来を作り出す事だって造作もないだろう。
あの鉄片が僕の命を繋いだ瞬間から何となく分かっていた。
彼女が『魔法』という概念を僕にもたらしたのは、決して善意からではない。
彼女にとってそうしなければならない理由が、目的があったからだ。
「……君の目的はなんだ」
「大切な人を助けたい。ただそれだけです」
たった一人の少年を救う方法をずっと模索していた少女の話だ。
少女の運命は死の因果律によって支配されていた。言うなれば、世界が少女に死を望んだのだ。
けれど少女はそれを拒み、因果律に縛られない方法を模索し、因果律を歪められれば、死の運命もまた歪むのではないかと考え、この世界に存在しえない可能性を求めた。
異世界の知識を持つ別の魂を自分の身体に宿す事で、この世界に存在する筈のない因果を生み出せば少女を取り巻く因果律は歪み、運命による死を回避できるかもしれない。
紆余曲折を経て、少女を助けたいと願った少年の使った『特別な魔法』が少女の因果律を歪める事に成功した。
少女は運命が課した死という収束から遂に逃れたのだ。
だが、話はそこで終わらない。
少女の魂と少女が呼び出した異世界の少年の魂はその過程で融合し、同じ因果律を共有してしまった。
平たく言えば、少女に課されていた死の因果が元の世界に帰った少年の魂にも深く刻まれてしまったのだ。
少女は少年が使ってくれた『特別な魔法』のおかげで因果律に縛られる事はない。
けれど、少年は自分に『特別な魔法』を使ったわけではない。
このままではいずれ死の因果によって紡がれた運命が収束してしまう。
まるで世界がそう望むように、少年は逃れ得ぬ死を招くのだ。
これを避けるには少年を『特別な魔法』の影響下におくしかない。
しかし、少年の持つ『特別な魔法』は少女にだけしか効果がなかった。
少女にだけしか効果がないからこそ、本来なら歪められる筈のない因果律さえ歪めたのだ。
少年が死の因果律から逃れられるとすれば、方法は一つだけ。
『特別な魔法』が掛けられている少女という存在を2人で共有するしかない。
少年の魂を少女の身体へ。
少女の魂を少年の身体へ。
身体と心は同じモノだ。
少年は少女でもあり、少女は少年でもある。
かつて少年が使った『特別な魔法』は、少年の魂が入った少女の身体を守り、少女の魂が宿る少年の身体も守る。
ただし、この魔法を完成させるには少女と少年が同じ世界に存在しなければならない。
「この手を握ってみてください」
言われるがままに差し出された少女の手を握り返そうとして、しかし何も掴めずに通り抜ける。
「これが私にできた限界なんです」
世界を移動するのは少女の才能をもってしても困難を極めた。
研究の末にどうにか作り上げた魔法でも、質量を持たない『魂』の転移しか実現できなかったのだ。
当然、魂だけでは少年と少女が同じ世界に存在したとは言えない。
一人の力では異世界間の質量を持った転送が実現不可能だと悟った彼女は、異なる世界の法則を魔法に組み込むことで加速度的な進化を見込めるのではないかと思い至った。
その結果、白羽の矢がたったのが僕と、フルダイブシステムだったという訳だ。
「ただ徒に研究を進めてもあと一歩が届かないんです」
これは彼女の言う、『今の僕とは違う可能性を進んだ僕』の話だ。
僕はそこでも同じように国と結託して研究を進めていたが、福部は研究に参加しておらず『World's End Online』事件も起こらない。
しかし、僕が年老いて死ぬまでかけても研究は一定の成果を残すだけに留まり、ついぞ完成しなかった。
その世界で晩年に差し掛かった僕が誰ともなくぽつりと呟いたらしい。
『このままではダメだ。研究を完成させる為には大量のデータが必要だ』――と。
だから彼女は『大量のデータ』が集まる状況を自らの手で作り出す事にした。
未来の情報を持つ彼女なら政府の高官に取り入るくらいわけない。
福部の野心に早くから気付いていた彼女は彼を支援する派閥を作り出し、僕の研究に組み込んだ。
その上で研究成果を独占する計画を立案し、それとなく暗示する。
事が上手く進なければ過去に『ロード』し、新しい道を模索すればいいだけだ。
過去にも未来にも存在できる彼女が本気になれば作り出せない未来などなかった。
そうやって多くのプレイヤーを『World's End Online』に転移せざるを得ない状況を作り上げたのだ。
全ては、別の可能性の僕がデータを求めたが故に。
「数万人を転移したデータと、もうすぐ手に入る数万人がこの世界に帰還するデータを合わせれば貴方の研究は完成します」
彼女の言う通り、数万人の転移と言う大規模な魔法の行使だけでも莫大な情報をもたらしている。
そこに異世界からプレイヤーが帰ってくる際の干渉データを加えれば、彼女の求める『世界を繋ぐ魔法』を作り出す事だってできるかもしれない。
少なくとも何らかの足がかりにはなるだろう。
たった一人を救う為に果てしない努力を続ける彼女は頑なで、諦めが悪くて、なにより強い。
けれど僕はどうしても彼女の行いを認められなかった。
大切な人を助けたいと言う気持ちは理解できる。
僕だって家族に何かあれば出来うる限りの努力をするだろう。
だとしても、
「たった一人の為に、君は数万の命を犠牲にしたっていうのか……」
失われた命の重さは計り知れない。
「誰かを助けたいと願う気持ちが悪だとは思わない。でも、誰かを犠牲にしてまで成し遂げるべき事なのか!?」
一人の為に数万人を犠牲にした彼女の行いは、決して肯定されて良い行為ではないと思った。
「決めたことですから」
けれど彼女は一歩も引かない。
失われた者達への自責の念はあっても後悔はしていない。
きっと彼女が生きてきた世界はそういった覚悟が必要なのだろう。
だが、僕にはとても受け入れられる物ではなかった。
「理解はするよ。でも許容はできない。だから僕は研究から降りる」
このまま彼女の思惑通りに事を進めればさらなる犠牲が生まれるかもしれない。
幾ら資料が揃ったとしても、研究する人が居なければ技術も完成しないだろう。
無意味だったと悟った彼女が再びタイムリープ魔法を使って福部の悪事を僕に囁きかけ、数万人の犠牲が出なかった世界に生まれ変われるかもしれない。
「安心してください、研究を強制するつもりはありません」
だが、そんな僕の最後の抵抗を前にしても、彼女は清々しい笑みを浮かべた。
「だって貴方は自分の意志で研究を完成させるんですから」
予想の斜め上を行く言葉に僕は目を丸くする。
たった今、研究には関わらないと宣言した覚悟は本物だ。
本来存在する筈のなかった福部を支持する派閥まで作り上げた彼女なら、僕を拘留して研究を無理強いするなんて真似も出来るだろう。
それにも抗うつもりでいたのに、一体何を言い出すのだろうか。
「貴方は一時の感情に左右される事なく、自分が正しいと思った事を素直に認められる。だから先に宣言します。私の話を聞けば、貴方は積極的に研究を続けてくれるって」
思えば、未来を知る彼女がそう告げた時点で結末は決まっていたのだ。
耳を塞げばよかったのだろうか。
いや、聞かなければきっと後悔しただろうし、彼女の言う通り一時の感情に支配されなかった僕は彼女の話す何かへの興味を捨てきれなかった。
「貴方は事件に巻き込まれた人達を逃がす為に、異世界へ転送するプログラムを作りましたよね。その時、転送対象に条件を加えていた筈です。どうしてですか?」
彼女の言う通り、異世界へ転送した一部のプレイヤーは作為的に選ばれている。
優先したのは街に居る高レベルのプレイヤーだ。
次点で街に居るプレイヤー。その次に高レベルのプレイヤー。最後に、フィールドに居るプレイヤーとなっている。
検索には手間も時間もかかるから全てがそうなっているわけではないが、並列で起動していた幾つかのスレッドにはこの条件を適用していた。
理由は簡単だ。
フィールドやインスタンスダンジョンで強力なモンスターと戦っているプレイヤーより、街に居るプレイヤーの方が、転移された後の生存率が高い。
同じ理由で、レベルの低いプレイヤーよりレベルの高いプレイヤーの方が生存率は高い。
結果、高レベルで街に居る > 街に居る > 高レベル > その他という優先順位が組み立てられた。
「それって、凄く残酷なことじゃありませんか? だって、低レベルの人に罪はない筈です。街に居なかった人にも罪はない筈です。みんな同じ命なのに、どうして特定の誰かを優先したんですか」
彼女の言葉は確かに正しい。命の価値は等しくあるべきで、それを個人の思惑で選定した僕は神をも恐れぬ所業だ。
「100人の命と、50人の命。助けられるのがどちらか片方だとしたら、僕は100人を選ぶよ」
しかしながら、命の価値が同じだとすれば、数で判別するしかないではないか。
本当は見捨てたくなんてなかった。でも、状況がそれを許さない。
それが正解だと胸を誇るつもりはない。けれど犠牲は少ない方が良い。だからより多くの命を救える選択をした。
後悔も自責もある。あっても、それを飲み込むしか許されないのだ。
「私も同じです。だから、数万の人達を……諦めたんです」
一人の為に万の犠牲を静観した少女の台詞とは思えず、咄嗟に激昂しかける。
しかし、理性のどこかがそれをギリギリのところで抑え込んでいた。
「君と僕とじゃ状況がまるっきり……」
「いいえ、同じです。思い出してください。研究の目的がなんだったのか。データがなければ貴方の進めていた研究は頓挫するんですよ?」
言われて研究の目的とやらをもう一度考える。
「確か、君の力だけでは物質の世界間転送ができないから、科学技術を使って理論を進化させる、だったか」
「違います。それはあくまで私の目的です。貴方は……いえ、この世界の政府機関はどうして研究を支援していたんですか?」
最近は政界がずっとごたついていたし、転移されたプレイヤーをどうにか救出できないかを考えるばかりで気にも留めていなかった。
言われてみれば確かにある。『魔法』という新しい法則の研究を政府が支援した理由が。
「資源の生成、か」
面積が小さく、山と海ばかりの日本はいつだって資源不足に悩まされてきた。
物作り大国と言われ続ける程の世界に誇る技術力があっても、材料となる資源なくして何かを生み出す事は出来ないのだ。
資源国が地表から物資を採掘できるのに対し、日本は海底から掘り出すしかない。
手間は膨大で、それに伴い価格も跳ね上がるのに、採れる量は微々たる物。
今までは資源国から必要な資源を買い付ける事で十分に回してこれた。
でもそれは、世界中に資源が溢れていたからこそだ。
鉱山や油田の枯渇が相次ぎ、恐れていた資源の不足が深刻化してきている国際情勢を鑑みて、いつまでも輸入に頼っていられないと考えたからこそ、政府はゼロから資源を生み出すなんていう未曽有のプロジェクトに大金をつぎ込んだのではないか。
「代償のない力なんて存在しません。利便性の高い科学は強力な反面、際限なく世界その物を消費してしまうんでしょうね」
この世界になくならない物なんてないという当たり前の摂理から人は目を逸らしすぎた。
まだ終わりは来ない。少なくとも僕の存命中に世界中の資源が底を尽き、奪い合いが始まるような事態には至らないだろう。
でもそれは、僕の人生と言う短い時間で限定しただけの話だ。
ようやく、彼女が何を言わんとしているのかをおぼろげながら理解する。
「君は『どのくらい』先の未来を知っているのかな」
彼女は多分、世界中から物資がなくなった世界を、終わりを迎えてしまった世界を知っている。
「ほんの100年と少しです。それで、この世界から人はいなくなります。資源を奪い合った末の大きな戦争によって」
僕には彼女の言葉が本当なのか嘘なのかは分からない。
でも、いつかこの星から資源が尽きるのは覆しようのない事実だ。
この星が生き残るには星間飛行ができる宇宙船を作り上げて他の星から資源を得るしかない。
それがどれだけ困難な道のりなのか、科学者でもある僕は理解しているつもりだ。
彼女が僕に『魔法』という未知の概念をもたらした時のように、革新的な技術が外から持ち込まれない限り絶対になしえない。
気軽に宇宙旅行へ行ける時代が訪れるより、この星の資源が尽きるより方がずっと早いのだ。
彼女が僕と接触する以前からこの世界の未来は詰んでいた。
人がいつか必ず死ぬように、星もいつか必ず死ぬ。
人類が気付いていないだけで終わりはすぐそこまで迫っていたのだ。
「残念ですが、この星を存続させられるほどの資源を魔法でゼロから生み出すのは不可能です。代償が大きすぎます」
規模が大きな魔法ほど制御も難しくなる。
かつての研究中に嫌と言うほど思い知らされた。
少し間違えただけで何が起こっても不思議ではないのだ。
世界から資源が減り続ければいずれはこの技術を他国に提供せざるを得なくなる。
目先の利益に目がくらんで危険な技術を濫用する国が現れればいつか必ず事故を起こし、この世界を飲み込むだろう。
「だからこそ、私は貴方に世界を渡る術を求めました」
資源を作り出すより、別の世界とこの世界を繋げて資源を回収した方が代償は少なくて済む。
既に不安定ながらも『World's End Online』とこの世界を繋げ、現地の鉱石や植物を持ち帰る実験には成功しているのだ。
後はこれを安定させ、より少ない魔力で運営できるようになれば資源問題も解決する。
増えすぎた人口を移住させる事だってできるかもしれない。
彼女の言う通り、異なる世界を繋ぐ手段を模索するのはこの世界にとっても最良の選択肢だったのだ。
「100人と50人のどちらかを救うのであれば100人を救うと言いましたよね。今の状況はそれと同じです。私の選択は数万の人達に犠牲を強いました。ですが、完成した技術によって救われるであろう命は『無限』なんです。他の世界と繋がればお互いの技術を交換して更なる発展が望めます。その世界がまた別の世界と繋がって、その先の世界がさらにまた別の世界と繋がれる。この連鎖に終わりはありません。貴方の研究は世界のあり方を大きく変えるだけの可能性を持っているんです。それでも、研究を諦めますか?」
完敗だった。ぐぅの音もでないほど、彼女の理論には隙がない。
数万のプレイヤーを犠牲にしたデータがなければ、いずれこの世界だけでも百億を超える命が失われる。
自分が死んだあとの話だと一笑に伏せればどんなに良かったか。
僕が研究を投げ出すのは未来に生きる百億の命を殺すのと同義なのだ。
もしこれが、彼女以外から語られたのであれば、決して取り合ったりしなかっただろう。
「はは……。それが真実だとすれば、君は僕に救世主になれとでも言うつもりかい……」
少女の言う通り、この技術が完成して数多の世界へ広められれば、今の僕等と同じ境遇の世界も救われる。
反面、この技術を悪用して他の世界を侵略しようとする者が現れる可能性もあるが。
「少なくとも、この世界と私の世界は救われます」
少女の言う通りだった。最初から僕に拒否権なんて存在しない。
未来を知り、過去を変える少女と自分とでは見ている世界の格が違う。
この短期間で僕は自分が如何に浅慮だったかを思い知らされた。
「負けたよ。研究は続けよう。ただし完成すると決まったわけじゃないのを忘れないで欲しい」
本当は必ず完成させてみせると恰好を付けるべきなのだろう。
だが、考えても見て欲しい。もしもこの研究が頓挫すれば少なくともこの世界に住む百億と、未来に生まれるであろう無限の命が失われるのだ。
感じるプレッシャーは筆舌に尽くしがたい。
「一つ確かめたいことがある。もしも研究が成功して、異世界を繋ぐ技術が完成したら、研究成果を過去の世界に持ち帰ることも出来るのか?」
彼女がタイムリープ魔法を扱えるなら、未来に完成するであろう理論を暗記してもらい、過去の自分に輸入して貰う事でWorld's End Online事件そのものをなかったことにできるのではないか。
そんな短絡的な質問を、少女は少しだけ悲しそうに否定した。
「可能ですが、貴方の思っている通りには進みません。世界は因果で結ばれています。今回の犠牲者は研究の完成に必要な因果なんです。ですから過去の貴方に研究成果を伝える事はできても、事件を回避しようと思った瞬間に因果が崩壊し、理論の完成していない世界へ再構築されてしまいます。全部がなかったことになって、また同じ結末を辿るんです」
卵が先か鶏が先か。前提がなければ結果は生まれない。
ずるをして結果だけを生み出そうとしても、世界は歪みを正すように修正される。
研究の完成に犠牲者が必要である以上、その前提を満たさない限り、研究成果自体が生まれないよう世界が作られているのだ。
「そう、か。いや、すまない。もしそうなら、君は最初からそう話してくれたか」
人の夢はどこまでも儚い。
死んでしまった人達は何をしても戻ってこないのだ。
最後に一つだけどうしても気になることがある。
少女はこの結末を最初から予見していたのだろうか。
それとも、過去の自分に記憶を持ち越せる特異な魔法を使ってこの状況をゼロから作り上げたのだろうか。
もし後者だとすれば、一体何度『ロード』を繰り返せば至れるのか。
答えを聞く気にはなれなかった。
ただ一つ言える事があるとすれば、この世界を、それに連なる数多の世界を救ったのは僕ではなく、膨大な時間を繰り返して今と言う可能性に辿りついて見せた少女の方なのだろう。




