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World's End Online  作者: yuki
第四章 それぞれの想い
76/83

それぞれの想い-8-

 穴の開いた床に壊れた机と椅子。

 棚に収められていた荷物までもが散乱しており、さながら嵐でも通り抜けたかのような惨状の部屋で、ベッドに寝転んだセシリアが控えめに名前を呼んだ。

「ねぇ、フィア」

「えっと、もしトイレなら早めに……」

「――!? その話はもうするなっ」

 言い難そうに促したフィアへセシリアが顔を真っ赤にしながら頭突きを食らわせた。


 夜の闇が地平線から顔を覗かせつつある太陽においやられ、朝靄が街にモザイク模様をかける頃合いだというのに、2人とも眠りにつく様子はない。

 あれからセシリアは何度も怯えては持ち直してを繰り返した。

 幸いだったのは、そのどれもが最初に急変した時とは比較にならないくらい安定していた事だろう。

 薬効は殆ど切れた今でもセシリアの精神状態は安定を続けている。

 自我を保てる程度には拷問によって植え付けられた記憶や感情の整理を付けられたのだ。


 女医は暇を見つけては様子を見に部屋へ訪れ、その度に見違えていくセシリアに驚いていた。

 元の世界で精神的なケアを担当していた彼女は心の傷がいかに治りにくいかをよく知っている。

「良い? 大丈夫だと思ってもぶり返すのがPTSDなの。些細な事でフラッシュバックを引き起こす患者さんは多いわ。縛られるのが嫌なら単独行動は慎みなさい」

「そのせいで今まさに新たなPTSDが生まれつつあるんですけど……」

 女医は急に調子を取り戻しつつあるセシリアが、ありがちなハイ状態になっているだけなのではないかという疑いを捨てきれずに事細かな注意を告げた。


「一体いつになったらこの縄を解いてくれるんですか?」

 いい加減お小言にもうんざりしつつあったセシリアが不満を露わにする。

「早くとも夜が明けてみんなが帰ってきてからでしょうね」

 女医は夜が明けたらと告げたが、アセリアで暴れまわっているプレイヤーを鎮圧するのに数時間で事足りるとは思えないし、一段落ついた後には事情の説明も必要だろう。

 少なくともあと半日近くは窮屈な生活を強いられるとみて、ますます不機嫌そうに顔をふくらませた。

「せめて手は前にしてください! じゃないと色々困るんです!」

「あらそう。別に良いじゃない、介護人もいる事だし。自力で外そうとする分には好きにしていいわよ。それじゃ、また後で様子見に来るから」

 慣れているのか、女医はセシリアの必死の訴えを適当にあしらうと早々に立ち上がる。

「もういいですっ。聞いた私が馬鹿でした!」

 歯牙にもかけてもらなかったセシリアはふいっと顔を背けてベッドの上に転がった。

 隣ではフィアが2人の他愛のないやり取りを聞いておかしそうに笑っている。


「納得できません」

 女医が部屋を出た瞬間に腕の中でセシリアがふくれた声を出す。

「何がだ?」

 余裕を取り戻しつつあるセシリアに嬉しさを感じる反面、何もできずに寝転がっているのが暇なのか、時折からかってくるので気を抜けない。

「フィアはこの状況を楽しんでいるのに、私はちっとも楽しくないです」

 ほら来たとばかりにフィアが呻き声を漏らした。


「いや、別に俺だって楽しんでる訳じゃ……」

「嘘です。さっきからやけに声がにやついてるし、時々背中とかお尻とか太ももに硬いのが当たってます」

 想像だにしていなかった文句にフィアが声にならない悲鳴を上げる。

 フィアだって年頃の男の子だ。

 セシリアを逃がさない為に抱きすくめていれば否応なく柔らかさやが伝わってくる上、至近距離からの甘いミルクに似た香りに身体の一部が勝手に反応してしまう時もある。

「やっぱりフィアはそういう趣味だったんですね……。うぅ、穢されました」

「ちがっ!」

 わざとらしく身を縮こませるだけでフィアは途端に慌てふためいた。


「じゃあこれはどういう事なの? ねぇねぇ、どういう事?」

 うりうりうりうりうりうり。

 セシリアがわざと身体を執拗なまでに摺り寄せると、フィアは真っ赤な顔で押し留める。

「おおお落ち着け!」

「私は落ち着いてます。それで、これは一体どういう事なのー?」

 暫く攻防を続けていたが、すぐに飽きたのかセシリアの身体から力が抜けた。

 フィアがほっと安堵の息を吐いたのも束の間。或いは、その瞬間の狙ったのかもしれない。

「今気づきました。もしフィアが襲ってきたら抵抗できないです……っ」

 さも重大な事実に気付いてしまったとばかりにか細い悲鳴を上げたセシリアが身体を硬直させたのだ。


「いやいやいや、襲わないから! しかも凄い今さらだよな!?」

 既に何時間こうして背後から抱きすくめていると思っているのだろうか。

 襲う気があるならとっくに襲っている。

 心からの否定に、しかしセシリアはどこか寂しそうに俯いた。

「……私って、そんなに魅力ないですか」

 酷く悲しそうな声にフィアが思い切りむせた。

「何でそうになるんだ! あぁもう、魅力的だよ。怖いくらいにな!」

「やっぱり襲うんですっ!?」

 冗談だと心では理解しているのに先程の悲しみに沈んだ声色が耳から離れず、咄嗟に思ったままを口にするとセシリアは再び身を縮める。

「だから襲わないって! つか、どう答えりゃ良いんだ!」

 助けを求める悲鳴に近い声色に、セシリアも少しばかり考えてみるが答えは見つからなかった。


「それが私にも分からないんです。暇なので乙女心の理解に励んでみようかと思いましたが、複雑ですねぇ……」

「俺にはセシリアが何したいのかサッパリわかんねぇよ……」

 しみじみと他人を装った物言いに、今度はフィアが泣きそうな声を出す。

「フィアはしたい事、あるんですか?」

「とりあえずまともな会話がしたい」

 フィアにとってはかなり切実な希望だったのだが、腕の中のセシリアは再び重大な事実に気付いたように声を張り上げた。

「難しい話をしてないと理性が保てないです!?」

「今すぐ無茶苦茶にしてやりたくなってきたよ!」

「やだ、怖いよぅ」

 度重なる問答にそろそろ理性の限界を迎えていたフィアが売り言葉に買い言葉で咄嗟に本音を漏らすと、セシリアがびくりと震えて身体を強張らせながら小さく喘いだ。

「あ、いや、ごめん。今のは俺が悪かった。セシリアの嫌がる事は絶対にしない。約束する」

 慌てて身体を少し離し、優しげな声色で絶対だ、と繰り返す。

「えっと、なんかごめん。私も怖がってる振り……だったり」

 途端にセシリアが気まずそうな声色で頭を下げた。

「……」

 それは流石に酷すぎるだろうと、フィアは今度こそ閉口する。


「ごめんね」

 この際、もう話すのは止めようかと思い始めていたフィアに思いのほか気持ちの籠もった謝罪が届いた。

「いっぱい、迷惑かけた」

 今度はわざとらしい演技じゃない。

 もしかしたらそれを素直に言えなかったからあんな風に茶化したのだろうかとも思う。

「迷惑だなんて思ってないさ。だから謝らなくていい」

 下手に飾らず、思いついた言葉を自然に言ったつもりだ。

 それを聞いてセシリアは少しだけ困った顔をする。

「私は嫌な子だから、いつもいつも言葉の裏を疑っちゃう。おめでとうって言われても、本当はそう思ってないんだろうって決めつけて、証明できる理由を探すの。自分でも馬鹿みたいだって思うのに、どうしても止められない。だけどフィアはいつも真っ直ぐで、正直で、幾ら探しても証明できる理由が見つけられなかった。今もそう。だから……ありがとう」

 腕の中からはにかんだ笑みを向けられた瞬間、フィアの心臓が暴れ出す。

 直視するのが難しくて咄嗟に顔を逸らしてから、フィアにしては歯切れの悪い口調で素気なく言った。

「いや、なんていうか、こっちこそありがとう……」


 心臓の鼓動が少しも収まらない。いつの間にかセシリアに回した腕に痛くない程度の力が籠もっていた。

 このままじゃ不味いと思っていても自分ではどうにもできない。

 嫌がる事は絶対にしないと言ったばかりなのに、もし嫌がらなかったら? という希望的観測がふつふつと湧き出してくる。

 じわりじわりとフィアの顔が腕の中に納まっているセシリアへと近づく。

 セシリアも潤んだ瞳でじっと見返していた。

 もう後少しで触れ合いそうな距離になって、このまま行けるところまで行ってしまおうかという思いがフィアの中にもたげた瞬間。

 セシリアが不意ににこりと笑った。

「うん。……じゃあ、第八ラウンド行ってみようか」

「あぁ。分かってたけど、なんつうか色々台無しだよ!」

 その言葉をきっかけに、息の掛かりそうだったお互いの距離も振出しに戻っていた。




□□□□□□□□□□□□□□□□□□




 一方、城塞都市アセリアでは夜が白け始める頃になってようやく事態の収拾が見え始めていた。

 騎士団に協力を要請したのが功を奏し、無力化したプレイヤーの多くを特殊なアイテムで拘束する事に成功している。

 武器と身体の自由を奪えばどうにかなる前衛と違って、後衛、特に魔術師はスキル自体を封じなければ脅威はなくならない。

 幸いと言えるのかは不明だが、この世界でも魔法による犯罪は多く、装着者の魔力の流れを狂わせる事でスキルの使用ができなくなる拘束具が存在していたのだ。

 ただ、これらのアイテムは悪用される恐れも多く一般的な市場には出回っていない。

 騎士団との協力関係が得られるまではそういったアイテムが存在する事すら知らなかったくらいだ。

 少なくとも、ゲームの中には存在していない。

 どうしようもなければ殺すしかない、という選択肢からの解放はプレイヤの心理的な負担を大きく減らしている。

 破壊活動を行っていたのは帽子屋によって狂わされたからであって、彼ら自身がそうしたいとは思っていない筈だ。

 ケイン達が中心となって方々に出向き説得を続けたおかげで事件に対する理解も得られ、拘束したプレイヤーは破壊活動に加担した罪で拘留されたものの、死罪は免れた。

 街の惨状からすれば驚くほどに軽い処罰で済んだのは事態収拾に尽力したプレイヤーの功績が認められたからだろう。

 問題があるとすれば、プレイヤーの力を惜しみなく発揮しすぎた点だろうか。


「一般の方で怪我をされた方はこちらで治療しますー」

「警らからの定期報告、該当区域に敵性反応なしとの事です。中心部の3と4ブロックを安全地域に更新します」

 てきぱきと作業を進めるプレイヤー達を、これまで街を守り続けてきた騎士団員達が複雑そうな顔で見ている。

 この世界の一般的な回復魔法の水準は決して高くない。

 剣や爪でざっくりと斬られた傷を止血できれば一人前。

 骨折や内臓器官の破損まで治療できるのは極一部の天才的な治療術師だけだ。

 ところがプレイヤーはレベル60もあればそれを凌駕してしまう。


 警らに参加しているプレイヤーや騎士団員に無料で配布している回復薬もそうだ。

 この世界で一般に出回っているポーションは現代の傷薬や消毒液を心もち強力にしたくらいの効果しかない。

 高名な錬金術師が調合した一品なら話は別だが、そんな物が市場に流通している筈もなかった。

 しかし、プレイヤー製のポーションは全て二次職の錬金術師か、その上位職が作っている。

 レベルは60どころか80、90に達しており、回復魔法よりも悪目立ちしていた。

 拘束されているプレイヤーが軽微な罪で済んでいるのは、もしかしたら圧倒的な力を持つ集団を恐れているか、利用しようと考えているからかもしれない。

 だとすれば完全にセシリアの術中にはまっていることになる。


「そろそろ頃合かな」

 キャンプ用の携帯テントで作られた作戦本部の一室で、アセリアの平穏はほぼ取り戻されたと報告を受けたケインが顔を上げる。

 アセリアの城壁から内部に移動する最中、フレアドラゴンの背の上でケインとカイトの2人は首都防衛作戦の説明を受けていた。

 騎士団に協力を要請するように指示を出したのも、インベントリ以外の能力を積極的にアピールするよう通達を出したのも今ここにはいないセシリアだ。

 警備を司る騎士団の協力を得られれば避難誘導や区画の閉鎖が効率的に行えるようになり、自由の翼も名前の通り自由に動けるようになるのだが、恐ろしい事にセシリアはそれらをひっくるめてただの副次効果でしかないとまで言い切った。

 本当の狙いはプレイヤーの情報をこの街の権力者へ迅速に流す事にあるのだ。

 騎士団を巻き込んで鎮圧作業を進めればプレイヤーの力量を否が応にも目の当たりにする。

 現場から寄せられた報告は上官を通してこの街の根幹を握っている権力者達へ伝えられ、わざとらしく喧伝するよりもずっと簡単に現状を理解してくれるという寸法だ。

 その上でこの街の最大権力……国王に取引を持ちかける。


 協力を要請した直後と今ではプレイヤーに対する騎士団の態度が明らかに変わっていた。

 もう十分にこちらの情報が伝わっていると考えて良いだろう。

 後は最後の仕上げをこなすだけで目的は達せられる。

「つくづく思うよ。僕に彼女の代わりが勤まるはずがない……」

 ケインの顔が青いのは何も寝不足だけが原因ではない。

 異世界で国を統べる王を相手に大立ち回りを要求されている現実に胃が悲鳴を上げているのだ。

 しかもセシリアはこの交渉を、何を犠牲にしても絶対に成功させるようにと厳命した。

『どうしようもない時はインベントリから取り出した武器で国王を盾にすれば良いです』

 彼女らしからぬ強引で物騒な提案に思わず言葉を失ったほどだ。

 いつもなら真っ先に自分で交渉の席に立つはずなのに、作戦を余す事無く伝えたのは、自分が無事でいられない可能性を考慮しての事だろう。

 セシリアは本気で死んでも構わないと思って作戦を進めていたのだろう。

 勝手に彼女を舞台から降ろした以上、失敗は絶対に許されない。


 騎士団の現場指揮者に『この街の今後に深く影響を及ぼす重大な報告があるから、なるべく上の者と直接話をさせてくれ』と掛け合ったところ、1時間もせずに城への招待状が届いた。

 現場レベルの要求に対する返答にしては異常なほど早い。

 この街の権力者はそれだけプレイヤーの事を良くも悪くも評価しているのだろう。

 迎えに来た兵士に案内され、武装していない事を入念に確認されてから城へ足を踏み入れる。


「お客様をお連れ致しました」

 3メートルはあろうかと言う大きな扉はそれだけでケインを圧倒した。

 奥から「入れ」と言う短い命令が飛ぶと、従者は恭しく扉を開き、ケインを奥へ促す。

 赤い絨毯の他には目立った調度品もない広い部屋には、20を越える男達が椅子のない簡素な机を取り囲んで気難しい表情で何事か話し合っていた。

 入室と同時に刺さるような視線が一斉にケインへ向けられ思わずたじろぐ。

「生憎と取り込み中だ。歓待の準備はない」

 その最奥。30半ばと思わしき精悍な身体つきの男が一際鋭い眼光を向けていた。

 失敗は許されない。セシリアならこんな時どうするか。それだけを考えてケインは姿勢を正す。

「……こちらとしても遊んでいる暇がないのは同じです。すぐにでも本題に入りたいのですが」

 僅かな逡巡の末に出てきたのは若干高圧的ともとれる言葉だった。

 相手に軽んじられているのは自明の理。なればこそ、多少強引にでも自分達の強気をアピールせねばならない。

 そんな真似ができてしまった自分も誰かさんの影響を思った以上に受けているのだとケインは改めて実感する。

 その瞬間から余計な緊張や圧迫感は少しも感じなくなった。

 セシリアの為に、自由の翼の為に。自分が背負う全てのプレイヤーの事を思えばこんな寸劇、ただの茶番だと言い聞かせる。


 男は一瞬の間に見違えるような表情を浮かべたケインを暫しの間眺めると獰猛に笑う。

「なるほど、少しは道理を弁えているようだな。良いだろう、話せ」

「分かりました。この話は必ずこの国の王にお伝えください」

 ケインとしては礼儀を示す為、極真面目に頭を下げたつもりだったのだが、会場からは堪えきれない失笑が漏れた。

「聞いたか皆の者! この国の土を踏みながら世の顔を知らぬとは!」

 中でも先程の男は戸惑うケインに向けて愉快だとばかりに人一倍声を上げている。

「報告は確かなようだな。世はセレス。セレスティアル・ウェッジ・プラティヌム・フォン・アセリア・イリスタ。この国を治める者だ」

 ひとしきり笑い終えた彼は威厳を感じさせる態度で名乗り上げると、今度ばかりはケインが頬を引き攣らせた。

 御伽噺の中の王様は大抵が肥満体で偉ぶっているが、目の前の王は野性味に溢れた豪傑にしか見えない。

 てっきり騎士団の大将辺りかと思っていただけに動揺も大きかったがケインはどうにか心のざわつきを抑え込む。

 正真正銘の王がこんな立ち席の会議場に姿を現しているとは思わなかったのだ。

「それで、貴様らは何者だ。この国に何をもたらす」

 だが、そういう事なら話は早い。気を取り直したケインは遠慮くなく不躾な要求をつきつけた。

「……お願いが御座います。この街に展開されている転移魔法を阻害する術式を暫くの間お貸しください」




 帽子屋は三日月ウサギが根城にしている要塞に引き上げた。

 用意周到な彼らの事だ。恐らく要塞内に食料や回復アイテムを始めとした消耗品を保管しているのだろう。

 奴隷にしたプレイヤーから巻き上げた品々が彼らのインベントリに収まりきれる量だとは思えない。

 一息に攻め落としたかったところだが、自由の翼の戦力の半分はアセリアの救出に向かったし、鉱山から開放した奴隷達は森の中で奇襲を受けたプレイヤーを救出するのに手一杯だった。

 事実を知らされて怒りに駆られたプレイヤーが要塞に突撃を試みたが、周囲には多数の設置型魔法が地雷のように設置されていて思うように攻め込めず、今は包囲するに留めている。

 攻城戦は守る方が圧倒的に有利なのだ。

 攻め落とすなら数を揃えて一気に切り崩すしかない。

 だが、甚大な被害を出して追い詰めても敵にポータルゲートがある限り逃げるのは容易いのだ。

 無理に侵攻してもこちらが一方的に被害を受けるだけ。

 それを分かっているから敵もそそくさと逃げに走らず要塞内に留まり、時には包囲しているプレイヤーを狩りにさえやって来る。

 この状況をひっくり返すにはアセリアに展開されている結界を要塞周辺に張り巡らせ、ポータルゲートを封じるしかなかった。




「ならん」

 セレス王は理由を尋ねもせずに即答する。取り付く島はどこにもない。

 ポータルゲートが発動しないのは首都である城塞都市アセリアだけだ。

 それなりの規模を持つリュミエールでさえ、街中でも好き放題に転移魔法が使えた。

 理由ははっきりしている。一方的に遠隔地へ兵を輸送できるポータルゲートは強力な切り札になり得る。

 仮に地方都市が反旗を翻したとしても、国王は敵陣の本拠地内部に直接鎮圧用の兵力を送り込めるのだ。

 城塞の外から攻略しなければならない地方都市は圧倒的な不利を強いられる。

 国王がこのアドバンテージを持ち続ける限り、反乱に対する抑止力が働き続け、誰も無謀な反乱を起こそうとは考えない。

 だが、もし地方都市がポータルゲートを封じる結界を手に入れれば、首都も地方都市を取巻く城壁から攻略しなければならなくなり、一方的なアドバンテージを失う。

 必然、反乱は長期化し、場合によっては反乱に加担する者まで出てきかねない。

 ポータルゲートを封じる結界は王族だけが知る国家機密であり、国を維持する為の切り札なのだ。

 外へ持ち出すなど言語道断。王の立場からして頷けるわけがない。


「そう答えると思っていました。ですがこちらも首を縦に振って貰わねば困るのです」

 セレス王とケインの視線が激しく交差し、互いに次の一手を読み合う。

 先に顔を歪めたのはセレス王の方だった。

「……先の事件は自作自演、というわけか」

 そして王はケインの思惑通り、決定的な勘違いをした。否、させられたと言うべきだろう。

 首都内部で発生した無差別攻撃は深刻な被害を与えている。

 街やそこに住まう人々にではない。自分達の力では全くと言って良いほど歯が立たなかったこの国の支配構造に対してだ。

 今回はケイン達が協力したから事態の収集がついた。

 では、もしケイン達まで暴れ出したらこの街はどうなる?


 ケインはセシリアから目的の為なら手段を選ぶなと言われている。

 黙っていたのだってこちらは何も言わずとも要求を突き通せるのだと暗に脅す為だ。

 わざわざ真実を伝えてやる必要なんてどこにもない。

 既に無差別攻撃の恐怖は彼らの身に深く刻まれている。であるならば、口であれこれ誤魔化すよりもよっぽど効果的なのだ。

 反面、この手札を切ればケイン達とアセリアは完全に敵対することになる。

 場合によっては全面戦争にも発展しかねない状況だが、ケインにはそうならない確信があった。


 戦争は勝てる見込みがあるからするのだ。

 勝てる見込みのない戦争なんてただの集団自殺と変わらない。

 王が民に自殺を強いるとは考え辛かったし、仮にそうっても反発する者の協力を得られるように立ち回ればいい。

 王を盾にしろとはそういう意味だ。

 どうにもならないなら、王を殺してもっと素直な頭にすげ替えるしかない。

 苦々しい表情を浮かべるしかないセレス王に臣下達の間に初めて動揺が広がった。


 前座は整った。これでもうセレス王は要求を呑まざるを得ない。

 ここから先は迅速な行動が必要になる。

 非協力的な態度でのろのろと作業をされては帽子屋に感付かれてしまうかもしれないからだ。

 だから、ケインは今までの強硬策とはうってかわって、あらかじめ用意しておいた大量の飴を積み上げ始める。

「我々は結界の知識を欲しているわけではありません」

 セレス王の眉がぴくりと動いた。ケインは交渉の余地があると案に告げているのだ。

「ただ、首都からそう遠くない場所にほんの少しの間、転移魔法を封じる結界を張って欲しいだけです」

「何故だ」

「ケリを付けなければならない集団が転移魔法を持っているのです」


 即座に否定された先程と違ってセレス王は考える素振りを見せる。

 彼なりの妥協点を探しているのだろう。焦らずに待ち続けるとやがて重い口を開いた。

「方法を世に一任するのであれば、その願い叶えなくもない」

「迅速に行動できるのであれば手段の如何は問いません」

 一つだけ条件を付け加えるが、セレス王の利を損ねるものではない。

「良いだろう」

 予想通り、未だ苦々しい表情のままではあるが、セレス王は確かに頷いた。

「だが、世にこれだけの無理を通せと申すのだ。貴様らは一体何を差し出すつもりだ?」


 取引は公正でなければならない。

 頼まれたものを一方的に提供するだけの関係はただの奴隷と変わらない。

 ケインは自分達の優位を逆手に奴隷を強要する事もできるだろう。

 しかし、それは考え得る中で最悪の愚策だとケインは思った。

 嫌々ながらに行う仕事と目標を持って行う仕事で結果にどれだけの違いが出るか、彼はよく知っている。

 脅すような形ではあったが、彼らは重い腰を上げてくれたのだ。

 礼には礼を、彼らの行動にはそれに見合うだけの対価を渡さねば胸を誇れない。


「全てを」

 だからケインは予め用意した持ち得る全てを条件として告げる。

「我々とて、結界の重要度を理解していないわけではありません。この国がこの国たる為に必要な結界を欲するのであれば、全てを終えた暁に、我々が我々たる為に必要な全てをお渡しすると約束しましょう」

 そう言ってインベントリから幾つかのアイテムを取り出し、王に向かって献上する。

「盟約の証に」

 王が胡乱げに剣を取り、直後、驚きに目を見開いた。

「馬鹿な……。これは太古に失われたはず……」


 ゲームだった頃のWorld's End Onlineにもこの国があり、街があり、王が居て、歴史があった。

 それをクエストに使わない開発が居たとしたら無能にもほどがある。

 悪魔と戦ったとある騎士の建国物語。

 その最終章をモチーフにしたインスタンスダンジョンで出てくるボスが極稀にドロップする聖剣。

 それはこの国の悲願の一つだ。


「あらゆる魔を払い使い手を癒す聖剣イリスタ。その威力は100の剣に匹敵し、その癒しは倒れた勇者を何度も立ち上がらせた。試してみては如何ですか?」

 武器自体への恒久的な聖属性エンチャント。対悪魔、アンデッドに対する特攻効果。

 10秒ごとに体力の1%を自動回復するリジェネ効果に加え、武器の攻撃力も最上位に位置する、ゲームでも最強と謳われた一品だ。

 提供してくれた人には頭が上がらない。

 セレス王は何かに魅入られるようにして剣を鞘から抜き放ち、壁に向かって軽く振る。

 たったそれだけで頑丈な煉瓦造りの壁はいとも簡単に崩壊した。

 無論、刀身には傷どころか汚れ一つない。

 すると今度は懐から取り出した短刀で自らの腕を軽く裂く。

 赤い血が一滴零れ落ちただけで傷口はあっという間に塞がった。


 セレス王は無言のまま、驚きに見開かれた瞳で渡された他の装備を手に取る。

 そのどれからも尋常ならざる魔力が溢れており、神話に語られるような類の宝具なのだと理解した。

 決して人が作り出せない、太古の神々が残した一品。

「これが、我々が我々たる理由です。これらと同規模の装備を100人分。神話には劣りますが、伝説として語られる装備を500人分」

 騎士がプレイヤーの足元にも及ばなかったのは身につけている装備がただの市販品だからだ。

 ボスドロップの装備が当たり前のプレイヤーに鉄の剣で斬りつけても傷一つ付かないし、ただの鎖帷子では紙にも等しい。

 元の世界に帰れるなら装備は必要ない。

 ケインがこの街と彼らを守る結界の代わりとして差し出したものは、結界がなくともこの街を守れるだけの『力』だった。

 対価としては申し分ない。


「何故これ程の装備を手放すのだ」

 ケインの申し出はセレス王からしても破格の条件だ。

 神話級の装備で武装した騎士団の噂が広まれば結界以上の強力な抑止力になりえる。

 これらの装備はたった一つでも国を揺るがしかねない可能性を秘めているのだ。

 だからこそ、それを捨てようとするケインの意図が掴めずに疑問を呈する。

 それも当然だろう。何せケインが望んでいるのはこの世界において最もかけ離れた概念だからだ。

「我々は戦いを望まない。戻りたいんですよ、武器を握らずとも良かった平和な世界に」

 武器の必要ない平和な世界など、彼等にとっては唾棄すべき妄想の類だ。

 切実な物言いにセレス王が押し黙る。嘘を言っているようには思えなかった。

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