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World's End Online  作者: yuki
第四章 それぞれの想い
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それぞれの想い-4-

 夜の帳が落ちたアセリアの城下町は貴族街を除いて明かりが殆ど漏れてこない。

 蝋燭一本もタダではないのだ。町に住む人々は日が暮れた後の世界を闇の住民の時間と呼んでおり、遅くまで起きていると連れて行かれるなんて話もある。

 しかし、今日に限っては暗闇に沈んでいるべき町の一部が人工的な禍々しい紅い炎によって昼間のように明るく照らされていた。


「3番街で火災発生ッ! 待機中の騎士は現場に急行しろッ!」

「12番街でも爆発です! これで5番8番と続いて4回目ですよ!?」

 城下町の中心に抱かれるように作られた巨大な城では半刻ほど前から兵士達が慌しく動き回っている。

「17番街でも被害発生との連絡あり、人員が不足しています!」

「手の空いている者で非番の兵を招集してこい! 急げッ」

 広い会議室の中央に設置された円卓には城下町の地図が広げられ、所々に黒い×印が付けられていた。

 その中で一人だけ異なる装飾の鎧に身を包んだ壮年の兵士が、厳つい顔を忌々しげに歪めながら集まった部下や伝令兵へ矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 度重なる火災や家屋倒壊が自然現象であるはずがない。

 鉄壁を誇る城塞都市アセリアが何者かに内側から攻められているのは明白だった。


「状況を報告しろ」

 そこへ一際豪奢な衣服を纏った男性が護衛の兵士を引き連れながらやってくる。

 地図を見ていた壮年の男性は即座に居住まいを正して腰を折る。

「城下町アセリア内に何者かが潜伏、破壊工作に出たものと思われます。最初に被害が発生した5番街には至急騎士団を派遣しましたが、連絡が途絶えました。現在も被害は拡大中です」

「敵勢力の規模と目的は?」

「……申し訳ございません。偵察兵は出しておりますが、未だ一人も帰還しておらず、状況は不鮮明のままです。目的に関しても同様で、重要な施設を襲う様子もなく被害は民家に集中しているという事くらいしか……」

「政治的な意図か……? とにかく、これ以上市民へ被害を出すわけにはいかん。該当区画を閉鎖する。すぐに避難誘導を始めろ」

 男性は神妙な顔で唸り声を上げる。状況は決して良いと言えなかった。

 日々厳しい訓練を重ねている彼らが烏合の衆だとは思っていない。発生から今に至るまで定石を撃ち続けてきたのも明らかだ。

 にも拘らず進展がないのは敵が一枚も二枚も上手だと言うことに他ならない。


「発生時刻に大きな差異はないのか?」

「勿論です。地面を揺るがすほどの衝撃がここまで届きましたし、粉塵が巻き上がったのも確認しております」

 地図に書かれた×印の隣には発生した時刻も併記されていた。

 どれも離れた場所なのに書かれている時刻は非常に似通っている。

「敵は少なくとも5部隊以上か。被害報告を考えるとそれなりの規模だろう。破壊の痕跡からして火薬を併用している可能性も高い。アセリアの門を司る番兵も質が落ちたものだな」

「……お言葉ですが、我々騎士団の目は決して節穴ではありません」

 2人は騎士団の怠慢が外部からの侵入者を許したのか、政治的な駆け引きに市民が利用されたのかを巡って真っ向から対立する。

 劇的な被害が数えられるほどの少人数によって引き起こされたのだと微塵も考えていない。

 暫く無言で視線を巡らせていたが、示し合わせたかのように地図へ戻る。

 今は責任の所在を優先するべき時ではない。一刻も早くこの騒動を収めたいと思う心は変わらなかった。


「問題は人手です。非番の者に招集をかけていますが、部隊の編成を考えると避難誘導に人員を避けません」

 身分の差からハッキリとは告げていないが、貴族の権限を使って人手を確保しろと暗に言っているのは明白だ。

 けれど避難誘導に市民を使うわけにもいかない。出来れば統率の取れる訓練を行っているものが望ましい。

 男性は暫く考えた後、己の権限でどうにかできる組織の名を上げた。

「……騎士学校の生徒を避難誘導に使う。一時間以内に被害の発生した区画と周辺の住民を避難させろ。その後、該当区画を閉鎖して対処に当たる」

 訓練中の学生を使うのに迷いはあったが、何も戦闘に狩り出すと言っているわけではないのだ。

 誘導中に敵と出くわす可能性もゼロではないが、訓練もされていない平民よりは柔軟に対処できるだろう。

 壮年の兵士は一言礼を告げてから急ぎ伝令兵を走らせた。




「全員起床しろ! アセリア内部で火災が発生している! 先程該当区域の避難誘導を行えとの命令が出た! 準備が出来た者から訓練場へ並べッ!」

 気持ちよく眠っていた騎士学校の生徒達はドアを打ち壊すような乱暴なノックの音と怒鳴り声によって、まだ床に入ったばかりだと言うのに覚醒させられる。

 だが不満を口にする者は誰一人として居ない。そんな事を口にすれば上官に殴りつけられるだろうし、何より彼らの境遇からすれば不満などでようはずがないのだから。

「ここで功績上げれば叙勲されるかもしれないぞ!」

「在籍中に叙勲された例なんて殆どないんだろ!? それでなくとも顔を売れれば憧れの部隊に引き抜かれるかも!」

 現実を知らない生徒達は訓練ではない本物の事件と聞いて心躍らずにいられなかった。

 慌しく準備をすると我先に校庭へ殺到し、10分もしない内に整列が終わる。

 その中にはセシリアの策によって騎士学校へ強制的に入校させられたフィアの姿もあった。

 しかし、特別扱いで中途入学してきたフィアの周囲はあからさまなくらい誰も寄りつかない。

 この学校に着たばかりのフィアはセシリアに助けられた挙句、そのまま屋敷に取り残さざるを得なかった自分の弱さを認めたくなくて酷く荒れていた。

 話しかけてくるクラスメートを、本来の彼の性格からすれば考えられないくらい邪険にあしらっていれば足並みも遠のく。

 今もかつて見せていた晴れやかな笑顔を微塵も感じさせない、どことなく不機嫌そうな険しい目つきを真っ直ぐに向けていた。


「これから火災のあった地区と燃え広がる可能性のある隣接した地区の市民を内壁外へと避難誘導させる! いいか、これは訓練ではない! 繰り返す、これは訓練ではない! 各員それを自覚し、日頃の訓練の成果を活かせ! 時間があまりない、班ごとに担当区域へ向い迅速に避難を完了させろ、いいな!」

「「「はッッ!」」」

 教師役でもある騎士の怒鳴りつけるような声に並んでいた生徒が揃って敬礼を返す。

 散開の号令を待たずして日々訓練に明け暮れている騎士見習い達は普段から組んでいる班毎に分かれ目的地へ一斉に駆け出した。

 その中には当然ながらフィアも居るのだが、彼と班を組んでいる他の面々の表情は苦い。

 入学当初よりは多少コミュニケーションを取れるようになったとはいえ、未だ彼らにとってフィアは未知数で、どう扱えば良いのか分からない存在だった。。

「えーと、ただの避難誘導みたいだし、気楽に頑張ろうよ」

 ややフィアから距離を置いて走っている班員の集団からじゃんけんで負けた一人が溜息と共に抜け出し、先頭を駆けるフィアに笑いかける。

 栗色の髪の毛は肩先までと長く、可愛らしい顔立ちも手伝ってまるで女の子のようだ。

「……そうだな」

 しかし当のフィアはニコリともせずに淡々と答える。


 彼らがフィアと出会ってそう日は過ぎていないが、とてつもない集中力で毎日倒れるまで訓練に励んでいる姿を何度も目にしていた。

 単純な努力家とは一線を賀した、常軌を逸している過酷な訓練には教師役の騎士でさえ呆れたくらいだ。

 そんな彼が今回の任務で無茶をしでかすのではないか。

 班員の失態は班の責任でもある。連帯責任で評価を下げられてはたまらないし、厄介ごとに巻き込まれるのもごめんだ。

 かといって確かな実力者でもある彼に直接言うのは憚られる。

 転入当日にあった実戦形式の訓練で教師役の教官を一撃で吹き飛ばした光景は今後も忘れられそうにない。


 騎士の戦闘は敵を自分の間合いに引き込むところから始まる。

 長剣にせよ槍にせよ、武器が届かなければ何の意味もない。

 しかし、フィアの持つ魔剣は付与スキルのアクアスラストがあるおかげで、近接武器の間合いの外から攻撃できる。

 詠唱を必要とする魔法より手早く、かつ威力を落とせば連発も出来る特性は近接武器を扱う騎士と最高の、或いは最悪の相性だった。

 親方やカイトの訓練も手伝って、フィアはセシリアの目論見通り、剣を打ち合わない中距離戦闘なら各上を相手取っても一方的にいなしてしまえる程に成長していた。


「(でも……)」

 割り振られた区域に向かって駆けつつ、フィアは心の中で自問する。

「(こんな事をしていて、本当にセシリアを助けられるのか……?)」

 セシリアが身を挺して逃がしてくれたのも、正面からやり合ったところで少しも勝ち目がないのも理解している。

 カイトにも自由の翼にいるより全く関係のない騎士学校の方が安全だと言われた。

 それはつまり、自分の存在が足手まといだと言われたに等しい。違うか。足手まといなのだ。完全に。寸分の隙もなく。

 大切な人が危機に瀕しているのに、助けに行く資格すら与えられないもどかしさ。

 これでは一体何の為にセシリアについていくと決めたのか。

 強くなりたいと思った。

 技術や経験が短期間で身に付くとは思えないけれど、与えられた課題を完璧にこなすくらいならば出来るはず。

 ……いや、できなければならない。

 そんな想いを胸にフィアは夜の街をひた走る。




□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




「とりあえず、僕としては事情を聞きたいんだけど……」

「後にしてください」

 纏めてポータルゲートへ押し込まれた狩組の疑問を代弁すべくケインが尋ねるものの、セシリアは何かに焦っている様子で短く跳ね除けた。

 なにより眼が据わっているせいでこれ以上深く追求できない。

「外部城壁まで移動します。急いでください、時間がないんです」

 支援魔法によって身体が軽くなった面々は目と鼻の先にある城門まで何がなんだか分からないまま走らされる。

 とはいえ、現状を理解しようと試みる時間が増えるにつれ、理不尽な状況を納得できない者が出てくるのも無理はない。

「いやでもよ、帽子屋の追い込みを中断してまで連れて来られてるんだぜ? 事情くらい……」

「いいから黙って従え。拒否権があると思うな。勝手な行動をしたら死ぬほど後悔させてやる」

 だが、セシリアは漏れ出てきた疑問を感情のない一言と容赦のない脅しで黙らせる。

 しかしそれも束の間の事。これでは彼らも報われないと思ったのだろう。

「……ごめん。後でちゃんと話すから、今は私の指示に従って。その代わり、全部終わったらどんなお願いでも聞くから」

 バツの悪そうな声でそう付け足すと、方々から『仕方ない、やってやるか』と溜息が漏れた。


「なぁ、あの城門閉まってね?」

「だよな……通用口とかあるのか?」

 城門との距離が迫るにつれて狩組の面々が素朴な疑問を抱き始める。

 今はまだ日付が変わってそう時間も経っていない、真夜中だ。

 城壁を閉ざし、招かれざる者の来訪を拒むのは当然の自衛手段と言える。

 城門の前には幾人かの行商人が閉門までに辿りつけず、夜明けの開門を待つ為に野営を行っている姿も散見できた。

「どうするつもりかな」

 ケインは何も言わず黙々と傍を駆けるセシリアに向かって尋ねるが、なんとなく想像がつく。

 夜間に使われる緊急用の通用口もあるにはあるが、貴族向けに発行される書類がなければ通してもらえない。

 何より、今のセシリアがそんな面倒な手段を取るとも思えなかった。


「あの壁に向かって全力でインペリアルストライクを叩き込んでください」

 力技での強引な突破に、あぁやっぱりかと嘆息する。

「……本気かい?」

「大マジです」

 念の為に城塞都市アセリアの壁を壊す意味を理解しているのかと言う意味で尋ね返したが、セシリアの意志は揺らがない。

 恐らく、そうまでしてまでしなければならない何かがあの壁の向こうで起ころうとしているのだろう。

 言うまでもなく、王城を抱える都市の外壁を破壊すれば重罪だ。

 逃げ切るのは難しくないとしても、姿を見られて手配されようものならこの世界を生きるうえで致命傷になりかねない。

 そんな一大事だというのに、セシリアは何も語らず自由の翼を巻き込もうとしている。

 果たして彼女は本当に帽子屋から『解放』されているのだろうか。或いはこれも帽子屋が仕組んだ罠なのでは。

 いや、それともそうせざるを得ないほど逼迫した状況に立たされているのか。

 どちらが正しいのか結論を得るより先にケイン達は目的地である城壁の前へ到着した。


「セシリア」

 ケインが眉間に皺を寄せながら少女の名を呼ぶ。

 自由の翼の代表者として、何も聞かずに壁を壊すわけにはいかない。

「分かってます」

 連れ去られたと言うだけで仲間を疑う行為をケインが快く思っていないのは顔を見れば明らかだった。

 それでも彼には自由の翼を取り纏める責任がある。

「時間がないから今は概要だけ、詳しい話は後にしてくださいね」

 セシリアはそんな彼の難儀な立場に苦笑しつつ、自分が捕まっていた時に聞かされた事のあらましを、城塞都市アセリアでおきつつある事件の全容を語り始めた。




□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




 何も見たくなかった。

 何も聞きたくなかった。

 何も考えたくなかった。

 与えられた個室に置かれたベッドの上で布団に包まって必死に目を閉じても、頭の中では先程行われた余興が何度も何度も繰り返し再生される。

 目蓋の裏から処分された彼女達の姿が消える事はなく、怨嗟の声が今も頭の中に直接木霊していた。

 ごめんなさい。

 何度繰り返したかも分からない謝罪の言葉だけが留まる事なく口から零れる。

 助けを求めたせいで沢山の人が犠牲になったから?

 自分と言う存在がこの世界に生まれてきてしまったから?

 もはや誰への謝罪なのかも、何に対する謝罪なのかも曖昧だった。

 時間の概念すらも曖昧になっていく中で、急に視界が白に塗り潰される。


「起きなさい。時間よ」

 顔を上げれば見知らぬ女が被っていた布団を剥いでいた。

 それだけで身体は機械仕掛けの人形のように起き上がる。

 無駄な抵抗はしない。その気概さえとっくに失っていた。

 例え今ここで襲われたとしてもなすがままにされるだろう。

 セシリアの中にあった感情や人格は繰り返される帽子屋の余興によって大きく欠落していた。

 胸の中に残っているのは恐怖と終わりのない自己否定だけ。

 帽子屋の洗脳はセシリアの深い部分にまで効果を及ぼしていた。

 それこそ、もう二度と逆らおうなどと思えなくなるほどに。

 帽子屋は毎日それを自分の手で確認して、しかし満足せず、より強固なものに変えようとする。

 そんなセシリアが元の人格の一端を取り戻せたのは眠りネズミのおかげだった。


 セシリアの身の回りの世話や監視を男性プレイヤーに任せるわけにはいかない。

 彼女を連れ去ったのは三日月ウサギとの取引を間近で見せることで自由の翼の感情を逆撫でし、愚直な攻めに走らせる為だ。

 とはいえ、三日月ウサギがセシリアを欲しがっているのも事実。

 元からネジの外れている奴ではあるが、セシリアの事になるとそのネジが際限なく緩む。

 もし万が一誰かが興味本位で手を出し、三日月ウサギの耳に入ったりしたら機嫌を損ねかねない。

 しかしながら、MMORPGの男女比率は著しく偏っているのが普通で、このWorld's End Onlineも例外ではなかった。


 セシリアの世話と監視を言い付けられる女性プレイヤーとなれば選択の幅は無いに等しい。

 帽子屋はゲーム時代からお茶会のメンバーで個人的な交流もあった女性プレイヤーに任せていたのだが、頼まれた女性も計画の実行が迫るにつれて多忙になり、セシリア1人にかまけていられる暇がなくなった。

 数日間寝食を共にした彼女は変わり果てたセシリアの姿を一番よく知っている。

 既に抵抗する気も失せ、生きた人形と成り果てた彼女に危険はないと判断し、帽子屋に無断で監視と世話を屋敷に住む別の女性プレイヤーに任せたのである。

 その女性が眠りネズミの一員だとも知らずに。


 古今東西、情報を集めるには幾つかの手段がある。

 真っ先の思いつくのが盗聴だ。

 ただし、盗聴器を始めとした文明の利器がないこの世界ではリスクが高い割に成功率は低く重要な情報を掴めるとも限らない。

 だから眠りネズミはもっと確実性の高い、直接的な情報収集に乗り出していた。

 前述の通り、プレイヤーには女性が少なく、ハニートラップを仕掛けるにはまたとない状況だった。

 にも拘らず殆ど情報が落ちてこない帽子屋の情報統制能力には辟易したが、彼女達も直前に来てようやくチャンスを掴んだ。

 セシリアの監視と世話を頼まれた女性も内偵の為に紛れ込んでいた諜報員の一人だったという訳だ。



 丸くなって怯えるセシリアに世話役を頼まれた少女は帽子屋の計画を話した。

 危険な賭けではある。

 バレれば殺されるだろうし、彼女も身を投げ出す覚悟だった。

 帽子屋の奴隷と化しているセシリアが味方になってくれるかは未知数だ。

 ここでの会話を帽子屋に告げ口しないとも限らない。

 けれどセシリアは恐怖と警戒に染まっていた瞳をほんの少しだけ透明にして、帽子屋の計画に反応を示した。


 セシリアの人格が完全に壊されたわけではない。

 そもそも三日月ウサギが欲している以上、反応を返せるくらいの余地は残しておく必要がある。

 帽子屋はセシリアの自己犠牲精神につけこんで、『お前がいるから他人が傷つくのだ』と繰り返し刷り込んだだけ。

 その結果、重度の自己否定に陥り自分と言う人格を薄れさせている。

 自由の翼とアセリアが同時に襲われると聞かされて、薄まっていた人格の一部が僅かに浮き上がった。

 自分には守りたいものがあったはずだ。その為にここに来た筈だ。帽子屋の計画は守りたかった何かを傷つける。

 止めなくては。何をしても。何を犠牲に支払ってでも。

 元よりセシリアは自分に価値があるなんて思ってない。生きる理由さえ他人に委ねている始末だ。


 けれど今回ばかりは怖かった。

 自分が傷つくのはいい。でもまた、自分のせいで沢山の誰かが傷つくかもしれない。

 守りたかったものまで失ってしまうかもしれない。

 既に一度失敗しているのだ。

 一人で突っ走って最善だと思う方法を選択した結果、あの4人は何をされた?

 もし守りたかった2人までそうなったらと思うと怖くて頭を抱える事しかできなかった。

 かつては持っていた筈の強い意志も、何をしてでも目的を完遂すると言う気概も、もう心の何処にも残っていない。


 何もせず、ただ帽子屋に従っていれば辛い現実を知らなくて済む。

 自分が犠牲になっている限り、帽子屋は自分の前で誰かを傷つけたりしない。

「……怖いの。もうあんなのは嫌。目の前で誰かが酷いことをされる姿なんて見たくない。聞きたくない」

「でも、それで本当に問題が解決するの?」

 少女の言葉にセシリアが耳を塞いだ。

「逃げてるだけで一体何が変わるの?」

 ガタガタとセシリアの小さな身体が震える。力の限り閉じた目蓋の裏には相変わらず消えない犠牲者達の姿があった。

「貴女が大切にしてた2人も今回の襲撃対象に含まれてる」

 途端にセシリアの目が見開かれる。幾ら耳を塞いでも聞こえてくる声を完全に防ぐ事なんてできない。


「なんで……」

 アセリア襲撃時いて思い浮かんだ最悪の可能性がそれだ。でもフィアとリリーは現地の王立学園に保護されている。

 プレイヤーを襲う計画なら2人は関係ないと思いこむ事も出来た。

 けれど現実は違う。自由の翼に2人を連れてきたとき、セシリアとケインは周囲の目を気にして2人をプレイヤーだと偽った。

 そしてリュミエールのプレイヤーから情報を収集していた帽子屋もまた、2人をプレイヤーだと思いこんでいる。

 アセリアにいる全てのプレイヤーを対象とする計画に2人が含まれない筈がなかった。


 以前のセシリアなら可能性に至っただけでも行動に移しただろう。

 けれど今は行き場のない感情をただぐるぐるとかき混ぜる事しかできない。

 少女は怯えきったセシリアを臆病者だとは思わなかった。

 愛おしそうに胸へ抱き寄せてから耳元で小さく囁く。

「ごめんなさい。でも今の私達には余裕がないの。だからどんな小さな可能性でも、賭けるわ」

 セシリアに見えない位置で赤い液体の満ちている凝った意匠の小瓶を取り出して蓋を開けると、震えているセシリアの口にそっと流し込む。

 抵抗はなかった。されるがままに流し込まれた液体を嚥下し、次の瞬間には胸を押さえて苦しみだす。

「後は貴女次第よ」

 少女はそう言って悶えているセシリアに背を向け部屋を後にした。




□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




 帽子屋の目的はこの世界に囚われた瞬間からずっと変わっていない。

 元の世界への拒絶。

 この世界への執着。

 何が彼をそうまでさせるのかはわからない。

 しかし彼は最初から元の世界へ帰るつもりなどなかった。

 転移アイテムのすぐ傍に居たのは都合の良い偶然に過ぎなかったが、三日月ウサギを悪役に据えて対立構造を作り上げたのは必然だ。

 分かりやすい敵を作り、自分がその敵と対立する構図を描くだけで何の苦労もなく信頼を勝ち取れるのを、彼は経験から知っていたのだろう。

 そうした理由は幾つか考えられる。

 不慣れな異世界で勝手気ままに行動され、自分達に害が及ぶのが不本意だったから。

 何が起こるか分からない以上、使える駒は多いに越した事はないから。

 そして何より、帰還方法を知ってしまったプレイヤーを皆殺しにするなら、彼らを管理する必要があったから。


「帽子屋がどうしてそこまでして元の世界を拒むのかは分かりません。でも、元の世界に帰れる方法があった痕跡すら許せないのは事実みたいです」


 だから帽子屋は三日月ウサギがアイテムを持ち去った瞬間、いや、持ち去らせた瞬間からここに至るまでの計画を練った。

 勿論、全てが目論見通りに運んだわけではないだろう。

 何度も計画の変更を余儀なくされただろうし、不測の事態だって起こり続けたはずだ。

 それでも帽子屋は計画を諦めず、持ち前の柔軟さで都度修正を繰り返し、この状況を作りあげた。

 千に近いプレイヤーを一人残さず完璧に殺しきるなら、それなりの舞台と筋書きを整えなければならない。

 弱いプレイヤーは抵抗する力も弱く、多少強引でも纏めて駆除できる。しかし、上位のプレイヤーはそうも行かなかった。

 彼らを同時に敵に回せば絶対数の少ないお茶会では勝ち目がない。

 どうにかして勢力を分断できないだろうか。

 その結果思いついたのが三日月ウサギからのアイテム奪還を餌にした一連の計画である。


「狙いは僕らだけじゃないだって……?」

 俄かには信じられないような話にケインは眉を寄せて考え込む。

 いかに帽子屋が情報を統制しようとも作戦を決行する際には周知が必要になる。

 その瞬間、水面下で情報収集を行っていた眠りネズミも知るところになった。

 けれど、帽子屋が自分達を襲う計画を立てていると触れ回ったところで誰が信じると言うのか。

 三日月ウサギの手の者が遠征を中止させる為に触れ回っている根も葉もない方便だと言われてしまえばそれまでだ。

 そんな噂を風潮すれば瞬く間に捕えられ、殺されるだろう。

 眠りネズミは後手に回らざるを得なかった。

 だからせめて事が起こった時、帽子屋の近くに居るであろうセシリアを仲間へ引き込もうとした。


「話は分かった。でも、森とアセリアの襲撃を同時に行うなんて人手が足りない筈じゃ?」

「ええ、足りません。だから彼はこの薬を使ったんです」

 そういってセシリアはインベントリから小さな赤い液体の満ちている小瓶を取り出した。

「これが何かご存知ですか?」

 その瞬間、ケインが驚きに目を見開く。

「まさか……狂気薬!?」

「正解です。効果は相当強力でした。効果時間はあまり長くないですが、依存性は高くて、一度でも服用すると定期的に飲まない限り酷い禁断症状が襲ってきます」

 詳しい解説にケインはまるで服用した事があるみたいだなと思い、言葉を失った。

 つい数日前に帽子屋の屋敷で会ったセシリアからは生きる気力のようなものが少しも感じられなかった。

 あの状態がほんの数日で自然に回復するとは思い難い。

「それを、使ったのか……」

「そうでもしないと、私は私でいられないの」


 狂気薬は元々軍隊が戦場で兵士の士気を維持する為に使っていた薬品だ。

 命を懸けた殺し合いが怖くないはずがない。

 敵兵といえど命を奪う行為に後ろめたさを感じないはずがない。

 戦争と言う非日常の世界ではそういった諸々の感情を薄れさせ、容赦なく敵兵を殺せる精神状態を作り上げる必要があった。

 命令だから仕方ない。戦争だから仕方ない。悪いのは自分ではない。

 そういった都合の良い思いや願望を『強く信じ込ませる』のが狂気薬の本質である。


 セシリアは『大切な人を守りたい』という願いを薬で増幅して本来の自分の断片を取り戻した。

 けれど、薬によって得られた今のセシリアには以前よりも顕著な歪みが生まれている。

 自分の首を躊躇う事なく刎ねてみせたのも、何度も自分の身体を刺して見せたのも、その片鱗に他ならない。

 常識を逸した行動は薬品による理性の欠如がもたらした結果だ。

 それでもまだ、理解の出来る範疇にどうにか留まっている。


 ところが帽子屋はこの薬を『他のプレイヤーが自分を殺そうとしている』と思い込ませたプレイヤーに服用させた。

 胸の内にある疑心暗鬼を、セシリアより圧倒的に高い濃度の薬品で増幅すればどうなるか。

 誰だって死にたくはない。でも、目に映る人間全てが自分を殺そうとしている。

 なら、『殺されるより先に相手を殺す』しか選択肢はない。

 先に殺意を向けてきたのは相手だ。なら、自分が相手を殺しても咎められる謂れはない。

 アセリア内部ではポータルゲートが使えず、逃げ場もなかった。

「同士討ちを誘発するつもりか!」

 帽子屋は手駒の不足を薬品によって暴走させたプレイヤーで代用するつもりなのだ。


「彼の目的はプレイヤーの殲滅です。身内同士で争ってくれる方が都合が良いんでしょうね」

 既に計画は始まっている。もし高い場所からアセリアを見下ろしたのなら、宵闇の中で煙る炎が視認できただろう。

「私の目的はアセリアにいるプレイヤーの救出です。付き合ってくれますか?」

 断る理由などなかった。セシリアが焦っていたのも当然だ。

「……すまない」

「分かってます。全部自業自得ですから」

 ケインの謝罪の意味をセシリアは何も聞かずとも理解して自嘲気味に笑う。

「そういう事なら僕にも案がある。ここから城下町まで馬を使っても1時間は掛かるはずだ。一度リュミエールに戻って応援を呼ぼう。空から行けばもっと早く着く」

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