それぞれの想い-1-
拉致されたプレイヤー達がアセリアやリュミエールから見て遥か北に位置する山岳地帯の鉱山へ集められているという情報はその日の内に持ち帰られ、狩組を中心に協議が行われた。
徒歩で移動するには無理がある距離だ。かといって、ポータルゲートの位置記録情報もない。
どうやって現地に向うか悩んだ末、捕縛していたサモナーの一人に移動手段としてフレアドラゴンを提供して貰う事になったのはごく当然の流れと言える。
とはいえ、敵である彼らがそう簡単に「はい」と頷く筈もない。
特に赤髪の少年は自由の翼の甘い態度につけあがり、生意気にも憎まれ口を叩くほどの余裕さえ取り戻していた。
だがしかし、彼らを使う以外に目的地へ向かう方法がないのも事実。
どうしたものかと頭を悩ませていた所、カイトが赤髪の少年との平和的な話し合いの場を持ちたいと名乗り出た。
2人きりで説得に当たる事、僅か数分。
飛び出してきた赤髪のサモナーは号泣しながら頭を地面に擦りつけ、『協力させて欲しい、いや寧ろさせてくださいお願いします』と必死の形相で懇願してきたのだ。
何があったのか気になったものの、彼の身体に外傷らしき物はない。
不思議そうに首を傾げたプレイヤーに向かって、カイトは実に楽しそうに「生意気な少年って『イイ』よな」と意味深な発言を残した。
何はともあれ、現地までの移動手段を手に入れた自由の翼は偵察を得意とする盗賊系のプレイヤーを選りすぐり、捕まっているプレイヤーの状況を確かめるべく、現地へ調査隊を派遣する事に決めた。
その中には『眠りネズミ』の一員であるコノハも含まれている。
暗殺者でもある彼女のスニークスキルは偵察の為にあるスキルと言っても過言ではない。
信用すると決めたケインから調査に参加して欲しいと頼まれた彼女は驚きを露わにした後、必ず成功させてみせると力強く頷いた。
地図上の距離から逆算すると急いだとしても移動に1日は掛かる。
そこから調査に1日費やしたとしても、戻ってこれるのは早くて3日後。セシリア達の拉致から4日も経過している。
帽子屋の言っていた1週間後の遠征がタイムリミットだとすれば残された時間は僅か3日。
ギリギリのタイムスケジュールに選ばれた調査隊の面々は準備もそこそこに旅立っていった。
ケインやカイト、親方といった高レベルプレイヤー達は今回の調査に参加していない。
赤髪が召喚できるフレアドラゴンは3匹。1匹に4人程度なら搭乗可能とはいえ、人数が多ければ速度もその分だけ落ち込んでしまう。
それに、隠密活動系のスキルを持たないカイト達では調査活動の足を引っ張るだけだ。
万が一にも探っているのが敵にばれれば計画は水の泡を通り越して、悪い方向に転びかねない。
今回ばかりは専門家に任せて諦めるしかなかった。
一日千秋の思いで待ち続ける事3日。
夜になれば調査隊が戻ってくるだろうと思われていた日の朝早くに事件が起こる。
帽子屋の使いだと名乗る男が帽子屋からの言伝を伝えに自由の翼へ訪れたのだ。
調査隊の件がバロンから露呈したとは思えない。
リヒターは大商会の頭目を務めるだけあって、思いもよらぬ方法でバロンから情報を引き出してくれた。
プレイヤー達が集められている北の鉱山地帯は鉱石を扱う商人にとって有名な場所だ。
他とは比べ物にならないほど質のいい鉱石や宝石が採掘できる反面、鉱床が強固な岩盤で幾重にも守られているせいで採掘は困難を極める。
何か新しい画期的な採掘方法が考案されない限りは奴隷を死ぬほど扱き使っても採算が合わないとまで言われており、どんな商人も宝を前に手をこまねいている状態だった。
しかしつい1ヶ月ほど前から急に開発が進み、驚く商人達を尻目に今もなお驚異的な産出量を記録しているらしいのだ。
情報は巧妙に包み隠されていたが、大商会たるリヒターの情報網を持ってすれば鉱石や宝石の出所を洗うくらなんてわけはない。
バロンと面会の約束を取り付けたのだって、かの地の鉱山の開発方法を共有できないか提案する為だった。
プレイヤーはゲーム開始から10数日で達する30程度の低レベル帯であっても、この世界の住人と比べれば圧倒的な力を持ち得る。
強固な岩盤を持つ鉱山と言えども、彼らの力と彼らが作り出す採掘道具さえあれば十分に採掘可能だ。何より産出の増えた時期とも一致する。
リヒターはバロンに金貨を渡し、どうやって掘り進めているのかそれとなく尋ねるだけでよかった。
その答えが「人力」だとすればプレイヤーの関与は疑いようもなくなる。
バロンからすれば自らの利益の為にどうやって採掘しているのかヒントを聞きだそうとしているようにしか思えない。
もし事態が露呈したのだとすれば、バロンからではなく、先日調査に赴いた調査隊絡みの方が確率は高いのだ。
まさか調査隊の面々に何かあったのではと言う最悪の想像が頭を過ぎる。
誰もが警戒の視線を向ける中、使者を名乗る男は恐縮したような態度で封のされた手紙をケインへと渡した。
「帽子屋から手紙を預かってきました」
怪訝に思いながらもケインはその場で古風な蝋の封を剥がし、小さな便箋一枚だけの簡素な手紙を読み進める。
中には『三日月ウサギから帰還用アイテムを奪い返す為の遠征について説明したいから直接アセリアまで訪れるように』という内容のメッセージが、ことさら丁寧な口調で書かれていた。
調査隊の件が露呈したわけではない事に思わず安堵の溜息が漏れ、表情がふっと和らいだのも束の間。
今度は末尾に書かれていた『セシリアにも会わせる』という文面に、目を見開いて硬直した。
その後には『前回のような大人数をもてなす余裕はないので、多くても2人で来るように』と続けられており、どう考えても罠の可能性が高い。
もう一度最初から文面を読み直した後、どうしたものかと悩ましげに溜息を吐く。
それを読み終えた合図だと受け取ったのだろう。
「それで、ケインさんをアセリアへ案内するよう言われているのですが……」
使者の男は言いつけられた役目を果たすべく、すぐにでも一緒に来て欲しいと話す。
「少し待ってください。……カイト、これを」
ケインはそう断りを入れてから近くに立って警戒していたカイトを呼び寄せ、帽子屋からの手紙を渡した。
忌々しげに文面を眺めていたが、やはりケインと同じ位置で驚きから目を丸くしている。
「どうしたい?」
セシリアを引き合いに出された以上、ケインに拒むつもりはなかった。
どうやらそれはカイトも同じだったようで当然だとばかりに無言で頷いてみせる。
「分かりました。すぐに準備をしますから、暫くお待ちください」
部屋を出た2人を数人プレイヤーが後から追いかける。残りは使者の見張りを続けるようだ。
「拘束しますか?」
見たところ、相手の装備はそれほど高価な物ではない。レベルも高くて7、80といった所か。加えてこの人数なら反撃を許さず一方的な攻撃が可能だ。
「いや、手は出さないように」
だがその申し出をケインは緩く首を振って却下する。
敵地に送りつける人材が帽子屋にとって重要であるはずがない。
使者の男達が帽子屋に頼まれただけの、お茶会とは深い関係のないプレイヤーなのだろう。
ここで彼を拘束したところで自由の翼に何のメリットもないどころか、無実のプレイヤーを強襲し拘束したと批判されるのがオチだ。
2人はこのギルドに残ると決めてくれたプリーストの元へ赴く。
セシリアによってオークから助け出された彼女は支援職の少なかったこのギルドを率先して助けてくれた。
襲われた経験があって怖いだろうに、演習や討伐にも参加してくれている。
「何かあったんですね」
聡い彼女はケインとカイトが一緒に訪れた事で大体の事情を察したようだ。
「少し頼みたい事があるんだ。今はクロが居ないから」
「頼み事、ですか? 分かりました。私にできる事ならなんでも」
このギルドに残っているプリーストは3人。身近でセシリアを見る機会が多かった影響か、誰一人として帽子屋の誘いには乗っていない。
その内の一人であるクロは位置記録と帰りのポータルゲート用に調査隊へ同行している。
アセリアで万が一の事が起こった時の為に、迎えを兼ねて様子を見てきてくれる誰かが必要だった。
「5時間後にアセリアへ迎えに来て欲しいんだ。それで、もし位置記録した場所に僕達が居なかったらすぐ戻って皆に伝えてくれないかな。くれぐれも街の中まで探したりしないように。誰に何を言われても、だよ」
まるで小さな子どもに言い聞かせるようなケインの物言いに真剣な様子で頷く姿を見届けた後、踵を返して使者を待たせている広間へと向かう。
取り残された彼女は何か言いたそうな表情をしていたが、結局言葉にはならず後姿を見送るに留めた。
2人が戻ってくると、使者の男の仲間と思しきプリーストが出したポータルゲートに臨戦態勢を維持しながら足を踏み入れる。
転移場所が見知らぬどこかや敵に囲まれた僻地という最悪の可能性も考慮していたが、予想に反してアセリアの外周部に程近い場所だった。
「そう緊張しなくても構わないと思いますが……。アセリア付近で危険なアクティブモンスターが沸いたと言う報告はありませんよ?」
「油断しているときが一番危ないと聞きますからね。それに……危険な魔物はアセリアの中に居ますから」
「はい?」
小さく零した独り言に使者の男が首を傾げる。
しかし聞き返す気にはなれなかったのだろう。身近に居た馬車へ手を挙げて合図を送ると、城下町まで向かうよう話しかける。
アセリア内部まで馬の体調に寄るものの1時間以上の長い道のりだというのに、道中の会話は全くもって弾まなかった。
案内役の男達も最後は話すのに疲れたのか、外の景色にうつらうつらと舟を漕ぎ始める。
そうしている内に馬車は城下町を抜け、奥まった貴族街の入り口に辿りつく。
礼を言って降りると案内役の2人は愛想笑いを浮かべて屋敷へと歩き始めた。
「本日はようこそおいでくださいました」
帽子屋の屋敷に足を踏み入れるやいなや、待っていましたとばかりに歓待を受ける。
ここを訪れたのはつい数日前だと言うのに随分と前の事のように思えた。
案内役の2人は役目を終えたようで、帽子屋に一礼するとそのまま屋敷を後にする。
残ったケインとカイトは帽子屋に促されるまま屋敷の3F、色鮮やかな庭園を見渡せるバルコニーへと連れて行かれる。
「そう剣呑な目つきをなさらずに。この場所にしたのも狭い室内では緊張させてしまうのではないかと考えたからですよ」
「そんな事はどうでもいい。用件はなんだ」
上機嫌で話す帽子屋と違って2人の表情は険悪という二文字を体現していた。
帽子屋は小さく肩を竦めてから「良いでしょう」と小さく零し、バルコニーに備え付けられたウッドデッキへ腰掛ける。
「先日、三日月ウサギの持つ帰還用アイテムを取り返すべく1週間後に遠征を行うと言いましたね? 既に3日後に差し迫っており、大方の指針も決まりましたのでご連絡しようとこの場を設けたのです。本来なら私が赴くべきですが、生憎と多忙な身でここを離れられないものですから」
街から出られないのは多忙のせいではなく、闇討ちの危険性を肌で感じているからだろうと思いはしても口に出したりはしない。
もしも彼が頻繁に街の外へ出入りしているのであれば遠慮なく襲っていた。
「詳細はこちらの紙に書いてあります。どうぞお持ちください」
手渡されたA4サイズの上質な紙には3日後に行われる作戦の詳細が細かな字で纏められていた。
三日月ウサギの本拠地はここから半日ほど進んだところにある、打ち捨てられた要塞跡地だ。
内部の建物は碌な手入れもされず雨風に晒され続けたせいで朽ちかけているものの、敷地をぐるりと囲む高い岩壁は未だ現役の威光を失っていない。
周囲は足首が隠れる程度の草丈の平原が見渡す限り続いており遮蔽物もなく敵の接近をすぐに気付ける。
プレイヤーの住む街には滞在できない彼らにとって、またとない根城となっていた。
その要塞から少しばかり離れたところに鬱蒼と茂った森がある。
遠征に参加するプレイヤーはこの森の手前に転移し、直線距離で200メートル程度の森を徒歩で横断。
分散して要塞を取り囲み、一息に陥落させる。
この作戦で重要なのは囲い込みが終わるまで敵に発見されない事だ。
故に、遠征は夜に行われる。
ポータルゲートで直接森を抜けた場所に転移したいところだが、夜の闇にポータルゲートの閃光は目立ちすぎた。
多少面倒だとしても光を通さない森の手前側に留めて歩くのは合理的な判断と言える。
人数を分散するのはこちら側の数の利を活かし、万が一にも逃がさない為だ。
三日月ウサギの陣営が何人いるのか分からないが、アセリア連合より多いと言うことはあるまい。
四方八方から攻撃される状況が続けば立てこもっている彼らにとって相当なプレッシャーとなる。
書かれている作戦は意外にも的を射た妥当なものばかりだ。
なのにきな臭さを感じずにはいられない。
「深夜零時にアセリア城壁付近へ集まってください。皆さんは私達の班と一緒です。共に元の世界へ帰ろうではないですか」
大仰な様子で高らかに宣言したあと、握手を求めて右手を差し出すが2人が応える筈もない。
「茶番は良い。さっさとセシリアに会わせろ」
「やれやれ。これから大事に挑もうと言うのに強調心のない方々だ。……まぁいいでしょう。来なさい、お仲間が呼んでいますよ」
カイトが苛立ちを露わに言うと、帽子屋は手持無沙汰の手に苦笑を零しつつ軽快に指を鳴らした。
何の真似かと一瞬眉を顰める中、部屋の奥から一人の少女が紅茶のセットを手に現れる。
陽の光を受けて煌めく銀にほんの少しの金を足したような長い髪も、まだ成長しきっていないあどけなさを漂わせる体躯も、類を見ないほど整った可愛らしい小さな顔も、記憶にあるセシリアと何ら変わっていない筈なのに、2人は目の前の少女が会いたいと願っていたセシリアだと瞬時に理解できなかった。
「セシ、リア……?」
悪巧みを考えついた時は得意げに笑い、落ち込んだ時には目尻にほんの少しだけ涙を溜めてこの世の終わりのような絶望感を浮かべる様子が実にコミカルなのに、何かを成し遂げようとする時は驚くくらい凛々しくもなる。
めまぐるしく変化する可愛らしい表情は命の輝きに満ち溢れていた。
それが、2人の知るセシリアと言う少女だ。
にも拘らず、目の前の少女の無機質な瞳は人なら誰もが持ち得る筈の感情を少しも宿していない。
まるで魂の抜けた冷たい人形のようだった。
「セシリアに何をしたっ!」
首に着けられた銀の輪を見た瞬間、カイトの自制心が一瞬にして消し飛ぶ。
咄嗟に伸ばした腕で帽子屋の襟首を力任せに掴みあげると、間に置かれていたテーブルが載っていた小物もとろも倒れ込んで盛大な音を立てた。
それでもなおカイトの怒りは収まらず、腰につけていた長剣を引き抜き、帽子屋目掛けて走らせる。
しかし刀身が首を切断するよりも早く、帽子屋はいつの間にか取り出した一対の短剣で掴まれていた襟を切り飛ばし距離を稼いだ。
「血気盛んなお方だ。ただ協力して頂いているだけですよ」
虚しく宙を切った長剣をカイトは油断なく構え直す。タンクであるカイトにAgi重視のスニークを補足する術はない。
帽子屋の屋敷で剣を抜いた以上、すぐにでも取り巻きから援護が飛んでくるだろう。
一撃で仕留めきれなかった時点で状況は最悪な形へと傾いた。
それでもなお、カイトに剣を納めるつもりなど微塵もない。
「武器をおしまいなさい。怖がっているではないですか」
だが帽子屋は少しも取り合わず、バルコニーの一角を指差す。
そこには取り落とした紅茶に濡れるのも構わず、へたりこんで小刻みに震えているセシリアの姿があった。
「セシリア……」
恐怖に彩られた瞳は騒動の元凶であるカイトへと注がれていたが、声をかけると同時に頭を抱え俯いてしまう。
セシリアに怯えられていると言う事実はそれだけでカイトの心を深く抉る。
「カイト、今は抑えよう」
ケインが振り上げられた剣に手をかざす。
帽子屋もここで本格的に戦うつもりはないようで、取り出していた短剣を既にしまっていた。
苦虫を噛み潰したような顔をしつつカイトもどうにか剣を鞘へと戻す。
「どういうつもりだ……」
怨嗟の声に帽子屋は軽快に答えた。
「どうもこうもありませんよ。ただ遠征の作戦をお知らせするついでに、会いたがっていたセシリア嬢と引き合わせただけです。ただこの様子ですと、彼女があなた方に会いたがっていたのかは疑問ですね」
帽子屋はそのまま頭を抱えて震えているセシリアに近づき、腰を屈め耳元で何事かを囁く。
たったそれだけでへたりこんでいたセシリアの身体が機械仕掛けのように跳ね上がった。
くすくすと笑い声を上げる帽子屋にカイトはただ奥歯を噛み締めて堪えるしかない。
「セシリア、そいつに何をされたんだ。頼む、答えてくれ」
触れる事も出来ない距離で必死に話しかけるが、答えは返ってこない。
それどころか、まるで帽子屋にお伺いを立てるかの如くちらりと顔を仰ぎ見ている。
「どうぞ。本当のことを話してあげなさい」
帽子屋は事もなげにそう告げると、セシリアは一度肩をぴくりと振るわせてから小さな、擦れるような声で話す。
「……何もされていません」
「そんな筈ないだろうっ!」
明らかに言わされていると分かる嘘にカイトが思わず怒鳴り返す。しまったと思った時にはもう遅かった。
セシリアは小さく悲鳴を上げてから、まるで化け物でも見ているかのような表情で再び震え始めていた。
「私を悪者にしたいらしいですが、どうでしょう。この際確かめてみては?」
何を、と尋ねるより先に帽子屋はセシリアの腕を引いてカイトと自分の間と歩かせる。
「貴女が望むのであればこのまま彼らと一緒に行っても構いませんが、どうしますか?」
「……ここに、残ります」
にやついた帽子屋の問いかけに、セシリアは迷う事無く即答した。
「だ、そうですよ?」
それを受けて帽子屋の笑みはより一層深くなる。
「お前が言わせているだけだろうがッ!」
反吐が出るような自作自演を見せられ、思わず掴みかかりそうになったカイトをケインが咄嗟に引き留める。
「落ち着いて。ここで騒いでも帽子屋の思う壺だ」
今のカイトにとっては他人行儀に聞こえるケインの声すら耳に障った。
目の前でセシリアが酷い状態になっているのによくも平然としていられるなと、意味のない罵声が喉元まで競り上がる。
しかし、それらの言葉が実際に口から飛び出す事はない。
直前に見えたケインの瞳が、怒りに我を失いかけていたカイトですら目を見張る程の憤怒と怨嗟に染まっていたからだ。
「……悪い」
自分よりパニックになっている人間を見ると落ち着くのは本当らしい。
実際濃密な怒りに触れたカイトはいつのまにかほんの少しとはいえ平静を取り戻していた。
同時に、あれ程の怒りを蓄えてなお正気でいられるケインへの驚きを隠せない。
「説明が以上なら僕達はこれで失礼します。戻って準備を進める必要がありますから」
ケインだって出来ることなら今すぐにでもセシリアを助けたい。
けれど、その為の手札が揃い切っていないのも事実だ。
事を荒立てても勝ち目がないのであれば、今は無事を確認できただけで良しとするしかない。
淡々と受け答えを続けているのだって、そうしていないと感情が暴走しそうだからだ。
「分かりました。是非とも万全な体制を整えて頂きたく思います。そうそう、それから彼女からも言いたい事があるそうですよ」
帽子屋はそういうとわざとらしいサインをセシリアに送った。
するとやはり機械仕掛けのように腰を折って何ら感情の窺えない言葉を機械的に吐き出す。
「……私も遠征に参加しますから、皆さんの参加をお待ちしています」
「皆様が来ないと彼女一人に負担が押しかかる事になります。……意味はお分かりですね?」
隠す気のない脅しにカイトとケインは忌々しそうに頷く他なかった。
帽子屋との会議を終えた2人は結局襲撃される事もなく、約束した地点で待ち合わせの時間が来るのを待つ。
「良かった。無事だったんですね」
ほっとした表情の彼女と違って、カイトとケインの表情は重い。
女性は2人の様子にどんな言葉をかけるべきか迷っていたが意を決して口を開く。
「あの、調査隊の人達がついさっき帰って来たんです。今はケインさん達の帰りを待っています」
「そうか。分かった、すぐに戻ろう」
すると途端に顔色を変え、寝転がっていた身体を跳ねるようにして起こした。
次の瞬間、空間にぽっかりと口を開けた扉に2人は飛び込むように消える。
「おかえりなさい」
「どうだ!? 嬢ちゃんには会えたのか!?」
会議用の一室に駆け込むと既に狩組は勢揃いしていて2人の帰還を心待ちにしていた。
手紙にあった『セシリアと会わせる』という一文は既に全員が知る所だ。
親方を始めとした多数のプレイヤーがセシリアの安否を気にしていた。
中には『セシリアがそう簡単に捕まる筈はない。きっと何か策があるんだ』と信じる者も少なくない。
ケインもそうである事を願ってやまなかった一人だが、あの様子を見るとそうも言っていられなかった。
「会えはしたけど酷い状態だった。何をされたのか知らないが、早く助け出さないと間に合わなくなる」
後悔と無力さに塗れたカイトが詳しく説明すると室内は重苦しい空気に包まれる。
けれど黙っているだけでは何も解決しない。
ケインは毅然とした態度で立ち上がると会議の舵を取るべく声を上げた。
「まずは調査隊の結果を聞きたい」
「はい。リヒターからの情報に間違いはありませんでした。この鉱山にほぼ全てのプレイヤーが集められています」
人手が不足しているのは帽子屋も同じだ。
奴隷にしたプレイヤーを細分化して管理するだけのリソースが確保できず、簡略化する為に一ヶ所で集中管理されていた。
これならあちこちに手を回す必要もなく、自由の翼にとっても都合が良い。
「帽子屋が派遣している監視役は2人でしたが、鉱山内部では一部の奴隷化したプレイヤーに高待遇を与えて看守に転用しています。まるでどこぞの監獄実験でしたよ……。捕まっているのは全部で凡そ700人。内100人程度が看守化している模様です」
敵の情報、内部の大まかな地図、普段奴隷達が何処に閉じ込められているのかまで、調査隊は予想以上に大胆な調査を行っていた。
「本当に凄いです……。『眠りネズミ』ではできなかった事をこうも易々と……」
「いえ。コノハさんのスニークスキルがなければこうはいきませんでした」
コノハは感嘆の吐息を漏らすが、これほどの情報を揃えられたのは、探査魔法を使われない限り完全な気配遮断ができるスキルを持つ彼女が居たからこそだ。
何せ捕まっている奴隷達は隷属の首輪で魔法やスキルを封じられている。
中にさえ入ってしまえば探査魔法で炙り出される危険性もなく、好き放題に調査を進められたのだ。
思った通り、帽子屋は奴隷達の居場所が外部に漏れる可能性を考慮していない。
いや、外部に漏れないようにするべくバロンに護衛と言う名の監視を付けているのだ。
上手くすり抜けて情報を持ち帰ったリヒターには感謝してもし足りなかった。
「んじゃいっちょ助けに行こうぜ!」
敵の守りはたったの2人。
暗殺者と魔導師で、レベルは高いと思われるが今の自由の翼の戦力でも十分制圧できる。
親方の掛け声にあちらこちらから『おうっ』という威勢のいい返事が響くのも無理はない。
けれど、ケインはそんな彼らに向かって思いもよらない言葉を投げかけた。
「いや、救出に向かうのはもう少し後にする」
ここまで来て何を言い出すのかと、幾人かがケインの顔を訝しげに窺う。
「おいおい、ここまで来て臆病風に吹かれたってんじゃないだろうな」
親方が不満と戸惑いを顕わにどういうつもりか詰め寄ると、それを庇うように黙っていたカイトも口を揃える。
「俺もすぐ救出に向かうのは反対だ。このタイミングで救出に動けば帽子屋に警戒される」
今ここで奴隷達を解放すれば、その結果はすぐにでも帽子屋に伝わるだろう。
たとえ奴隷にされたプレイヤー達を助けられたとしても、帽子屋の傍にいるセシリアが助かるとは限らない。
「じゃあどうするつもりなんだ? まさかこのまま放置するわけじゃねぇよな」
「勿論助けるよ。無視なんてできないさ。僕らの計画を進める上で捕まっている人達の協力は必要不可欠だからね」
助けられる手があるのに伸ばそうとしないのは親方の流儀に反するのだろう。
納得がいかないのも分かるが、今回ばかりは抑えてもらうしかなかった。
「ずっと前から考えてはいたんだ。でも、どうすれば実現できるのか分からなかった。今は皆のおかげでほんの少しだけ前進したけど、やっぱり成功する保証はない。それでも、僕にはやりたいことがある」
独り言のような淡々とした口調で語り始めたケインは、怪訝な表情を浮かべているプレイヤーの顔を順々に眺めながら立ち上がる。
しかし次の言葉はなかなか出てこず、彼の顔には迷いが浮かんでいた。
シンと静まり返った会議室の中で誰もがケインの言葉をじっと待ち続る。
随分と長い間を過ごした後、
「帽子屋を倒すしかない」
ケインは覚悟を決めて宣言した。
「倒すって……」
唐突な宣言に集まった狩組が例外なくどよめく。
無理もない。アセリアでは今のところ、帽子屋は元の世界へ帰る為に行動していると認識されている。
敵対すればアセリアを拠点にしている多くのプレイヤーを敵に回す可能性があるのだ。
「あいつら、相当高レベルの集団なんだろ? 俺たちだけじゃ対抗なんてとても……」
それに彼の言う通り、お茶会は人数こそ少ないが全員高レベルの精鋭揃いで、自由の翼との戦力差は歴然としている。
おまけに大規模PvPコンテンツである攻城戦にも毎週参加しており、対人戦の経験も豊富だった。正面からやりあったところで勝算は薄い。
「確かに僕達だけじゃ勝ち目は薄いかもしれない。でももし、拉致された七百人のプレイヤー達が力を貸してくれるなら、戦力差はひっくり返る。……いや、ひっくり返して見せる」
レベルやステータスの差は大きな壁だ。一人二人の人数差で覆すのは難しいかもしれない。
けれど人数だってある種の力だ。もしそれが数百も集まれば、きっと戦力差だって覆せる。
「帽子屋の目的は正直なところ分からない。もしかしたら帰りたい一心で強引な手段を使っているのかもしれない。……だけど、その為に多くの人達を犠牲にするなんて事が許されて良いはずないんだ」
薬物を使われたプレイヤーが現実世界で後遺症に悩まされないなんて保証はない。
連れ去られたプレイヤーが鉱山の中で受けた仕打ちを忘れる事もないだろう。
元の世界へ帰るのが幾ら重要だったとしても、死ななければ何をしても許されるなんて暴論が罷り通って良い筈ないのだ。
「……親方の言う通りだったよ。最初から悩む必要なんてなかったんだ。僕は彼のやり方が『気に食わない』。だから止めたい。たとえ強引な手段を使ってでも」
三日月ウサギ達より帽子屋を優先すればどう転んでも帰還は遅れる。
無関係な人達からすれば時間を無駄するだけと呆れられるかもしれない。
それでもケインにとって、多くのプレイヤーを帽子屋の支配から開放する方が優先すべき事柄だと思えたのだ。
「止めるって言っても具体的にはどうするんだよ」
「生死は問わない。結果には僕が全ての責任を持つ」
お人好しのケインから殺す事さえ厭わないという言葉が出てきた事に、再び会場が大きくどよめく。
その一言は嫌でもこれから行われるであろう本物の対人戦……血みどろの殺し合いを連想させた。
同じ戦闘でも、モンスター相手に戦うのと、人相手に戦うのでは意味合いが全く違う。
たとえそれが帽子屋のような否定しようのない明確な悪人だとしても、そう簡単に割り切れるものではない。
どこか遠い出来事のように捉えていた行為が急に現実味を帯びてきて、多くのプレイヤーは未だ迷いを隠せなかった。
それも当然だろう。つい最近まで、ここに居る誰もが日本国の堅牢な法律に守られ、日々を生きるのに命の危険など感じたこともないただの一般人だったのだから。
ケインにも無理強いさせるつもりはない。けれど、甘い態度を取れない状況になっているのも確かだ。
だから一つだけ逃げ道を用意した。
「作戦は『自由の翼』のメンバー全員で行う。参加したくない人はギルドから抜けてくれて構わない。でも、一度抜けたメンバーを再加入させる事はないと思って欲しい」
もう二度とギルドの支援を受けられなくなる覚悟があるなら、この世界で一人生きていく覚悟があるなら、この作戦を拒んでも構わない。
それが嫌なら是が非でも作戦に参加して貰う。
今までの自由な方針から一線を駕した条件に、プレイヤー達の間でかつてない動揺が生まれた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それは俺達を見捨てるって事か!?」
そう捉えられても無理はない。けれどケインははっきり『違うのだ』と首を振る。
「セシリアがどれだけ必死になってこのギルドを支えてくれたか君達なら知っているはずだ。僕達は何度も彼女に助けられた。これは僕らが果たさなければならない義務なんだ。都合の良い時だけ頼って危険が迫ったら斬り捨てるような人達を、僕は同じギルドのメンバーだと認められない」
自由の翼には『ギルドに所属するプレイヤーは皆が平等であり、対等である』というルールがある。
セシリアが身を挺してまでギルドを守ったのなら、ギルドに所属するプレイヤーも身を挺して彼女を守るべきではないのか。
しかし、いざ命を懸けろと言われてすんなり頷ける人がどれだけ居るだろうか。
ケインにとっても彼らは貴重な戦力で、出来る事なら一緒に戦ってほしい。けれど、危険な作戦を強制したくないとも思っている。
この作戦にはどうしたって人手が必要だ。どっちつかずの中途半端なプレイヤーに構っている余裕はない。
だからこれは、そんなケインがどうにか妥協して捻りだした折衷案なのだ。
表面上はなんでもない風に装ってはいるものの、内心不安で押しつぶされそうになる。
もし彼らに『それならこんなギルド出ていくと』言われてしまえば計画は潰える。
最終的には彼らの良心に頼るしかない。
故にケインは卑怯でもなんでも、彼らの良心の呵責を煽る言葉を並べる。
「逆に問おう。君達はセシリアを見捨てるのか?」
真っ先に反応を示したのはやはりというべきか親方その人だった。彼の盛大な笑い声が会議室に充満する。
「何しみったれた顔してんだお前ら! 迷った時点で答えなんて出てんだよ。心ん中じゃ助けたいって思ってんだろ? なら迷うな。ここで逃げ出して後悔するより、男気出して助け出した方が気持ちがスっとするに決まってんだろ。安心しろ、何かあっても俺等が守ってやらぁ。だからさっさと嬢ちゃんを助けに行くぞ」
誰だってセシリアの事をどうでも良いとは思っていない。出来る事なら助けたい。けれど目の間に立ちはだかる不安が身体を鈍くさせているのだ。
そんなプレイヤー達にとって、迷う素振りのない親方の鼓舞はとても眩しく思えた。
「……そうだな。ここまでして貰って何もしないわけにはいかないか」
「確かに。世話になりっぱなしだったのに恩も返せないようじゃ生きてる意味が分からなくなりそうだ」
「仮に元の世界に帰れたとしても一生負け犬ってか。そんな人生はごめんだね」
「それにケインさんが言うくらいなんだ。勝算があるに決まってる」
ほんの少しだけ背中を押された彼らは一人、また一人と参加の意思を示し始める。
結局、狩組の中から離脱者は一人も出なかった。
この作戦はギルドメンバー全員で行うとの宣言通り、今まではリュミエール内での作業に従事していたプレイヤーも巻き込むことになる。
そちらにも同じ条件を突き詰めるつもりでいたが、狩組から離脱者が一人も出なかった以上、断る勇気のある者は居ないだろう。
そもそも今このギルドに残っているプレイヤーはセシリアを信じる事を選んだ者達だ。
或いは最初から、こんな卑怯な手で参加を迫らなくとも頷いてくれたのかもしれない。
「……ありがとう。それじゃ、改めて今後の作戦を話そうと思う」
ケインの一言にざわついていたメンバーが一斉に口を閉じて聞き逃すまいと集中する。
「目標は帽子屋及びお茶会の殲滅。ただ、彼らをアセリアで襲撃するわけにはいかないんだ」
理由は勿論、周囲へ甚大な被害を及ぼすと考えられるからだ。
プレイヤーを奴隷にして売り捌くような連中なら、一般人を盾に使うくらい平然とやってのけるだろう。
強襲できるロケーションは街の外。それも、一般人がまず近づいて来ない場所に限られる。
問題はアセリアに引きこもっている帽子屋をどうやって街の外に誘き出すかだが、幸運にも自由の翼は既に好機を掴んでいた。
ケインは帽子屋から受け取った紙を取り出して計画の概要を説明する。
「帽子屋達は三日月ウサギ達からアイテムを取り返す為に彼らの潜伏する要塞まで遠征を行う予定でいる。今日の呼び出しでもセシリアをダシに参加を迫られたんだ。どういうつもりか知らないけど、当日はセシリアも連れて行くつもりらしい。作戦決行は関係者が一堂に会するこのタイミングを於いて他にない。森の中に入って周囲との連係が取り辛くなったところで帽子屋を強襲しセシリアを取り返す」
唯一無二のチャンスであるこの瞬間を逃せば、もう二度と好機は巡ってこない。ケインには何故かそんな予感がしていた。
「ただし、この計画には解決しなければならない問題が幾つかある」
一つ。自由の翼の現存戦力ではどう足掻いても帽子屋の戦力に届かない。
二つ。足りない戦力を補う為には鉱山に捕らわれているプレイヤーを充てるしかない。
三つ。鉱山に捕らわれているプレイヤーを助けに行くタイミングは慎重に見極めねばならない。
鉱山で強制労働させられているプレイヤーの数は700人。看守役にされているプレイヤーを感情的な理由で除いても600人。
脅すような形になるが『協力を条件に助け出す』と言えば大多数のプレイヤーが協力せざるを得ないはずだ。
これだけの数が纏まればいかに高レベルプレイヤーといえど焦りを覚えるに違いない。
しかし、今すぐ助け出すわけには行かない事情もある。
鉱山に捕らわれていたプレイヤーが救出されたと分かれば帽子屋は自由の翼の目論見に気付くだろう。
そうなったが最後、遠征の話が流れるどころか、報復としてセシリアに手をかけないとも限らない。
救出は帽子屋に露見しても絶対に問題ないと言えるタイミングで行う必要があった。
即ち、遠征開始直後である。
「今回は二面作戦になる。僕ら狩組は帽子屋に顔を覚えられているから遠征に参加しないと怪しまれる。だから捕まってる人達の救出は狩組以外で当たらなきゃならない」
ケイン達が遠征に参加している間、戦力として見られていない自由の翼のプレイヤーが一丸となって鉱山からプレイヤーを救出。
その後、ケイン達に同行しているクロが適度なタイミングで位置情報を記録し、リュミエールに転移。
待機していた最大800人規模のプレイヤーをケイン達の元へ転送し、帽子屋とお茶会を数の力で包囲殲滅する。
こうして説明するのは簡単だが、作戦の成功には幾つもの乗り越えなければならない壁があった。
ここに居ない自由の翼のメンバーが実戦を伴う救出作戦に参加してくれるかどうか。
鉱山を守っている2人の高レベルプレイヤーを低レベルプレイヤー主軸で押さえ込めるかどうか。
救出したプレイヤーが作戦に乗ってくれるかどうか。
遠征組が森の中を歩いている間に救出を成功させ、帽子屋を包囲できるかどうか。
特に低レベル中心のメンバーで高レベルの暗殺者と魔導師を相手にするのは厳しいと言わざるを得ない。
坑道まで逃げられると道は狭く、数の利を生かして取り囲む事も出来ない上に、唯一の出口に繋がる橋を壊されたら救出その物が難しくなる。
決して長くないタイムリミットがあるのも厄介だ。
遠征組が森を抜けてしまうと帽子屋を包囲できなくなってしまう。
救出後の意思確認を考慮に入れると救出自体には殆ど時間をかけられない計算になる。
何か、高レベルの2人を出し抜く方策が必要不可欠だった。のんびり考えている猶予はない。
それでも、諦めるわけには行かないのだ。
「反撃開始だ。いつまでも思い通りになると思わせるな!」
カイトが胸に渦巻く悩みを振り切るように叫んだ。
何をしていいか分からなかった数日前とは違う、明確な目標を手にしたプレイヤー達は口々に『応』と続く。
帽子屋への反撃の狼煙は着実に立ち上りつつあった。