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World's End Online  作者: yuki
第四章 それぞれの想い
65/83

気ちがい達のお茶会-7-

 帽子屋が自由の翼の本部へ突然現れてから3時間後、リュミエールの幻想桜前は多くのプレイヤーで溢れかえっていた。

 思い思いのグループで集まって、帽子屋に付いて行くべきかどうかを延々と議論し続けている。

 カイトはそんなプレイヤー達の姿を忌々しそうに眺める事しかできない。

「一体誰のおかげでここまでやって来れたと思ってるんだ……」

 ぽつりと漏れた言葉が彼らに届くこともなかった。


 セシリアがフィアとリリーを連れてアセリアに向かった後、カイトはリディアを伴って集まりつつあったプレイヤーに先程の出来事を含めた事情を説明した。

 しかし、帽子屋が与えた先入観を覆すには至らず、結果は芳しくない。

 リリーを襲ったのは三日月ウサギで、帽子屋との関連性を証明する物的証拠が何もなかったからだ。

 逆にセシリアがフィアとリリーを伴って城塞都市アセリアへ向かったと言う話は、彼らの疑心暗鬼を加速させる結果に終わっている。


「2人ともセシリアに騙されてるんだよ」

「ギルドには確かに問題児が多かったけどさ、帽子屋は特に問題起こしたとか聞かねーし」

「お茶会開いて初心者支援もしてたよね」

「セシリアって異常なくらい帰りたがってたじゃん。人数制限あったら真っ先に飛びつくだろ」

「ゲーム時代だってネカマして騙しまくってたわけだし、何か怪しいとは思ってたんだよね」


 まるで示し合わせたかのような論調でセシリアへの批判が飛び交う度、彼らは辺りを見渡して「そうだろ?」と同意を求めるような視線を投げかける。

 誰かが頷くと、それを見ていた誰かもつられるようにして首を縦に振っていた。

 要するに、彼らは自分の意見と言うべき物を何一つとして持っていないのだ。

 ただ過半数がそうしているから自分も同調しているだけに過ぎない。

 何か問題が起こったとしても、それは言い出した別の誰かのせいで、流に乗って頷いただけの自分には何の責任もないと思い込んでいる。

 中には帽子屋に懐疑的な考えを持つプレイヤーもちらほらと居たが、理解されることはなかった。

 当然だ。彼らの目的は議論ではない。同じ意見を持つプレイヤーと慣れ合う事さえできれば心が満たされるのだから。

 少数派の懐疑的な意見は、彼らにとって受け入れがたい異分子でしかなかった。


 せめてケインが居れば、少なくない恩義を感じている彼らに耳を傾かせ、説得する事が出来たかもしれない。

 恐らく帽子屋はそんなケインの気質を理解した上でケルベロスを野に放ったのだろう。

 ギルドマスターとして、何より一人の人間として、討伐任務の先陣を切ると見越されたのだ。

 狩組ではあれどあまり表に出てこないカイトや、相談役ではあれど狩組ではなかったリディアの言葉では彼らに届かない。

 とはいえ、もし仮に親方やユウトが今この場に居たとしても届きはしなかっただろう。

 彼らを動かしてきたのはいつだってケインとセシリアの2人きりで、それ以外のメンバーの影は余りにも薄すぎたのだ。


 だからもうとっくに説得は諦めている。

 そもそも、本当に説得する必要があるのかさえカイトには今一つ判断がつかない。

 帽子屋の策にはまってセシリアを追い詰めた張本人達を苦労して助ける必要があるのか。

 いっそ居なくなってくれた方が、ここに残ったセシリアを信じているプレイヤーだけの方が、自由の翼は安定するとさえ思う。

 カイトもリディアもただの人間だ。

 帽子屋からもたらされた不確定な情報だけでセシリアが裏切ったのだと決めつけた彼らに、言い知れぬ仄暗い感情を抱いたとしても仕方のない事だろう。


 そして、約束の時間が来た。

 幻想桜のすぐ近くの空間が歪み、8人のプレイヤーが飛び出してくると、出現地点を取り囲むように広がって武器を構える。

 一瞬プレイヤーの表情が強張ったものの、強襲の可能性がないと見るや手にしている武器を下ろした。

 ややの間をあけて再び空間が歪み、最後の一人、帽子屋本人が軽快なステップで現れると、帽子を胸に一礼して声を張り上げる。

「皆様お待たせ致しました! それではこれからポータルゲートを展開致します。移動される方はこちらにお越しください」

 所々から歓声すら沸きあがる様子をカイトは複雑な思いで見ている事しかできない。

 いっそ何もかもを忘れて斬りかかってしまおうかと考えた瞬間、

「ダメだよ」

 幾分冷静なリディアの右手がカイトの肩に添えられた。

「……分かってる」

 帽子屋と一緒に出てきた連中の装備はどれも高位のボスレアで固められている。

 最低でもレベル100以上。もしかすると115を超えている、ゲームでも一握りしかいなかった廃人が含まれているかもしれない。

 今の戦力ではどう足掻いたところで勝ち目はなかった。


「行きたい奴は行けば良い。その代わり、何が起こっても助けはないと思え」

 ざわつく彼らに向って、カイトは最後に忠告する。

 予想通り、ポータルゲートに向かうプレイヤーの流れは殆ど変わらない。

 けれど、その中で未だどちらも選べていなかった数人はカイトの言葉に押される形で待つ方を選んだようだ。

 帽子屋はそんなカイトを見やって一度だけにやりと挑発的な笑みを浮かべる。

 ――信頼など、たった数分の寸劇で崩れ去るのです――

 言葉はなかったが、カイトや、良い様に踊らされてなお、それに気付く事も出来ないプレイヤー達への侮蔑が籠められているのは傍目からでもよく分かった。

 長い行列は順調に消化されていき、やや距離を置く事で残る意志を示していた数十人のプレイヤーを除いた全員が帰り道のないポータルゲートに消えていく。

 どうやらここで派手な問題を起こせないというのは本当らしく、帽子屋達は襲撃もせず素直に帰って行った。

「……帰るぞ」

 カイトは一部始終を眺めた後、踵を返して屋敷へと向かった。その後ろをついて行かなかったプレイヤーが続く。

 まずはケインが戻ってくる前に状況の整理をせねばなるまい。

 残ったプレイヤーの人数を数えるのは、酷く憂鬱だった。




 意気揚々と、或いは何も考えず流れに従って潜り抜けたポータルゲートの先には、硬質な岩肌からなるただっ広いだけの空間が広がっていた。

 明るい陽の光で溢れていた広場から来ただけあって暗闇に目が慣れておらず、辺りを見回しても壁に等間隔で備え付けられた篝火が照らし出す僅かな範囲しか視認できない。

 誰かが天井に向けて目を凝らしていたが、篝火の光は全く届いておらず、相当な高さがあると窺えるだけだ。

「ここがその遺跡なのか……?」

 誰となく漏れた質問に、壁に取り付けられていた篝火を掴み取った帽子屋がくつくつと小馬鹿にするような笑い声をあげた。

「いいえ、遺跡ではなく鉱山ですよ。皆様は今日からここで掘削作業に励んで頂こうと思います」

「掘削作業……? なんだよそれ」

 考える事をとっくの昔に放棄していた彼らは、訳がわからないと言った様子で聞き返した。

「やれやれ……。こんな無能共をのさばらせていれば、いかに指揮官が有能であったとしても救い難い。セシリア嬢には同情を禁じ得ませんね」

 ここまで言っても理解できない頭には心底呆れたのか、肩を竦めて首を振ると盛大な溜息を吐く。

「つまり皆様はこの私に騙されたのです。セシリア嬢から言われませんでしたか? "リュミエールから出てはいけない"と」

 帽子屋はそう告げるなり、一度だけ指をぱちんと鳴らした。

 音は何度も壁に反響し、折り重なるようにして天井へと駆け上っていく。

「では、無能な役者達の幕を閉じるとしましょうか」

 それが合図となって、彼らを取り囲む形で隠れ潜んでいたお茶会のメンバーが武器を手に姿を現した。

 ぎらついた視線と人間味の欠けた獰猛な笑みに、自由の翼の面々は追い詰められた小動物のような悲鳴を漏らす。


「一体何のつもりだよ!」

「狩組に引き合わせるんじゃなかったのか!?」

 威勢のいい声があちらこちらから上がるものの、目の前で鋭利な刃をちらつかされるだけで息を呑み、一歩また一歩と後退する。

 広がっていた輪が徐々に収縮され、中心部はさながらおしくらまんじゅうのようだった。

 もう後がない限界まで追いつめられた所で、一人が意を決して足を前に数歩分踏み出し声を荒げる。

「いい加減にして俺達を解放しろ!」

 彼の勇気を見せつけられた幾人かが冷や汗を流しながらも同じように前へ出た。

 自分達は同じプレイヤーで人間同士なのだから、そこまで酷い結果にはならないだろうという希望的観測を胸に。


 けれど、彼らは大きな勘違いをしている。

 彼らが異界の地であっても人間的な生活に甘んじてこれたのは、自由の翼にずっと守られてきたからだ。

 法律も秩序もない世界で人の命がどれ程軽い存在になるのか、その全てがほぼ完璧に機能していた日本で当たり前のように生活していた彼らは気づいていない。

 帽子屋にとって、目の前の彼らはもう"人"ではなかった。

 自分の計画を推進する為の労働力、ひいては無数に存在するただの歯車。

 反抗する歯車など必要ない。何せ替わりは幾らでもそこにあるのだから。


 前に出た全員の首が例外なく空を舞う。

 噴水のように噴き出た赤黒い液体が、人肌を彷彿とさせる生温かさと吐きけを催す生臭さを持って、雨のように残されたプレイヤーへと降り注いだ。

 しかし、絞り出された耳障りな絶叫は、直前に展開された高レベルのサイレンスによって潰され出てこない。

 異様な無音に包まれ、恐慌状態に陥ったプレイヤーは次から次へと走り出し、彼らを囲んでいるお茶会メンバーの元へと我武者羅に突撃する。

 武器を手にした者も居たが、結果に変わりはなく、微動だにしない躯だけが積み重ねられた。

 まるでゴミのように解体された肉塊をこれでもかと見せつけられ、後続のプレイヤーは逃げる事も立ち向かう事も出来ず地面にへたりこむ。

 きっと自分達も彼らのように殺されるに違いない。

 理解しているのにただ震えるばかりのプレイヤーに向けて、帽子屋は場違いな拍手を繰り返す。

「それで良いのです。歯車とは今の皆様のように従順であればいいのです」

 抵抗すれば容赦なく殺すと、忠告より先に"実践"されては従うしかなかった。


「それでは今皆様がお持ちのあらゆる装備とアイテムを差し出してください。断っても、後で隠し持っていることが判明しても殺します。そうそう、もし隠し持っている人を教えて頂ければ、その方には特別な計らいを致しましょう」

 回収に向かったメンバーに武器を突き付けられた彼らは青ざめた顔で言われるがままにアイテムを渡す。

「あぁ? てめぇ、本当にこれで全部か?」

 強面の暗殺者(アサシン)に凄まれた一人の青年が曖昧に頷いた瞬間、暗殺者(アサシン)は迷う事無く手にしたカタールで全身を貫いた。

 サイレンスの効果は未だ継続しており、苦悶の叫び声が空気となって喉から漏れる。

 彼は痛みにのたうつ青年の傷口を踏み躙ると、恐怖に引き攣った顔を無造作に掴んだ。

「こちとら隠し持ってる奴の顔なんざとっくに見飽きてんだよ。大体、ポーションが1個もねぇはずねぇだろうが。隠すならもうちょっと上手くやれや」

 回復用のポーションを1つ取り出して青年の傷に垂らす。治ったのを見計らって彼はもう一度カタールを突きつけた。

「全部出すか死ぬか選びやがれ」

 再びの問いかけに、青年は今度こそインベントリに入っていた全てのアイテムを床にぶちまける。

 回復ポーションだけに留まらず、それなりに高額な装備品まで混じっているのを見た瞬間、彼は青年の胸倉を掴んでいとも簡単に放り投げた。

 数メートルも跳ね上がった後、硬い岩肌に背中から叩き付けられ鈍い音が響き渡る。

「そいつは地獄行き決定だ。あんまナメた真似してると今すぐここでぶち殺すからな」

 暗殺者(アサシン)の底冷えした声と、叩き付けられた青年の苦しげな呻き声に、まだアイテムを回収されていないプレイヤーの顔が恐怖に引き攣った。


「おいおい、アイテムと装備は全部出せっつったよな」

 別の場所では回収に当たっていたお茶会のメンバーが心底楽しくてしょうがないと言った声色で目についた相手を脅しつけている。

「ぜ、全部出しましたっ! ほんとにもう何もないですっ!」

 相手はまだ幼さの残る少女で、突きつけられた刃物を見て可哀想なくらい震えていた。

 助けようとする者は誰もいない。

 それどころか、騒ぎを聞きつけたお茶会のメンバーが続々と集まり、げらげらと笑いながら面白半分に武器をちらつかせ恐怖を煽る。

「何言ってんだ。着てる服が残ってんだろ? それともあれか? 俺等に脱がして欲しいってことか? おぃどうするよ、誘われちまったぜ」

 ただ殺されるよりも残酷な未来が頭を過ぎって、少女は泣きながら着ていた服を脱ぎ始める。

「おい見ろよ! マジで脱ぎ始めたんだけど」

「全部だからな。一枚も残すんじぇねぇぞ」

 男達はそんな彼女を取り囲んで侮蔑の言葉を投げかけながら嘲笑った。

 と、そこへ、あろう事か帽子屋が割って入る。

「勝手な真似は慎んで頂きたいものですね。着替えて頂く必要はありますが、こんな場所で衆目に晒されながら着替える必要はありませんよ」

 少女が脱ぎ掛けていた服をそっと元に戻してやり、集まっていた男達を散らす。

「皆様におかれましても、我々に忠実でありさえすれば危害は加えません」

 その上で堂々と宣言した彼にはほんの僅かな希望が入り混じった視線が向けられていた。


 勿論、帽子屋の行動もお茶会のメンバーの行動も最初から仕組まれていた演技に過ぎない。

 理不尽な状況下で分かりやすい悪と正義を演じると、それを引き起こしたのが正義を演じた帽子屋であっても、一定の信頼を勝ち得るのだ。

 帽子屋は悪だが、まだ話が通じるのではないか。

 一縷の希望を抱かせる為だけに用意された茶番が、これから始まる地獄のような日々の要となることに、誰も気付けはしなかった。




 アイテムを回収された彼らは性別毎に用意された小部屋で何の効果もないただの服に着替えさせられ、隷属の首輪をはめられた。

 その後、10人ずつのグループに振り分けられ、鍵のかかる扉の付いた大部屋に押し込まれる。

 目を凝らすと、明かりの乏しい薄暗い部屋の奥には新しく入って来たプレイヤーを見つめる影が幾つもあり、不安げに身を寄せ合っている。

 どうしたものかと硬直状態が続いていたが、不意にその中の一つがのっそりと立ち上がり、自由の翼の面々へ近づいてきて柔和な笑みを浮かべた。

「やぁ、初めまして。僕はイグニス。君達も捕まったみたいだね」

 着ている服も首に着けられた銀色の輪もプレイヤーと何ら変わらない。

 年は20過ぎくらいだろうか。明るい金糸のような髪も、小顔で男にしては笑うと可愛らしくもある顔も煤で汚れていたが、はっとするくらい美麗な容姿をしているであろう事が窺い知れた。

「安心して良いよ。ここに居る皆もWorld's End Onlineのプレイヤーで、騙されてここに入れられたんだ。君達だってそうだろう?」

 立場も境遇も同じとあれば、警戒心も薄れようものだ。イグニスの柔和な笑みにつられて、自由の翼の面々もほっとした表情に変わる。

「こっちにおいで。できれば外の状況とか君達の境遇とかを教えて欲しい。僕らもここがどんな場所で何をさせられているのか詳しく話すよ」


 帽子屋の策略によって奴隷にされた彼らは、労働力としてこの鉱山に売り込まれた。

 今では凡そ500人程度のプレイヤーが無理やり働かされているのだと言う。

 幸い、レベル20程度でも一般人に比べて強靭な肉体を持っているおかげで、過酷な労働環境でもどうにか生活できている。

 仮に怪我や病気にかかったとしても、狭い一室で鎖に繋がれた、同じく奴隷のクレリックが治せる範囲であれば治療もしてくれる。

 おかげでこんな環境にもかかわらず、死者や病人は一人も出ていなかった。この時代の常識から考えれば驚異的と言っていい。

「だけど、僕らはこんな生活ごめんだよ」

 一通りの説明を終えるなり、イグニスは真面目な表情でそう断言する。

 誰だってこんな奴隷生活から抜け出させるなら抜け出したいに決まっている。

「そこで君達に頼みがあるんだ。……僕らと一緒にここから逃げないか? 計画は考えてある。でもその為にはどうしても君達が必要なんだよ」

 イグニスの提案は魅力的だったが、今しがた仲間を目の前で殺されたばかりの面々からすれば即答なんてできない。

 どう答えるべきか迷っていると、イグニスは再び柔和な笑顔を浮かべて言った。

「すぐに答えが欲しいとは思わないよ。……君達に何があったのかは分かる。僕達も同じだったからね。……でも、ここでの生活が辛くなったら相談して欲しい」

「そうそう。こんな状況だけど同じ部屋になったんだし、協力していこうぜ。俺達仲間だろ?」

 元住民達の温かい言葉に迎え入れられ、居場所を失ってしまった自由の翼の面々は涙さえ零しそうだった。


 翌日から鉱山での労働が始まる。

 何が採掘できるのか不明だが、開発技術はそう高くないのだろう。

 岩盤が硬いのも手伝って、ただ力任せに山を内側から削り取る無計画な手法で掘り進められている。

 Strの高い前衛職が工具でもって少しずつ岩を砕き、後衛職が転がった岩や土砂を集めて分類所に運び、鑑定スキルを持つ者が選り分けを担当する仕組みになっていた。

 1日のノルマは一般的な奴隷の労働力が生み出せる数値の5倍近くに高く設定されており、休憩している時間はない。

 もし達成できなかった場合は部屋毎に連帯責任を言い渡される。

 何より異質だったのは、奴隷を見張る為の奴隷が多数存在していた事だろう。


「彼らは帽子屋に取り入って監視役を与えられたんだよ」

 私語は禁止されているが、監視の目が緩んだ隙を見計らってイグニスはこっそりと説明する。

 隷属の首輪でスキルの使用が禁止されても、完全に無力化できるのはスキル攻撃を主体とした魔法職だけで、Strによる筋力補正を受けている前衛は武器さえあればそれなりに戦える。

 この世界の住民に武器を持たせて監視役をさせても返り討ちに会う可能性の方が高いのだ。

 かといって、お茶会の中から500人を監視できる要員を捻出する人員的余裕はない。

 そこで帽子屋が編み出したのが、奴隷にしたプレイヤーの中でもそれなりのレベルを持つ者達に下位プレイヤーの監視をさせると言う方法だった。


「監視役は数多くの特権を持ってるんだ。外には出られないけど陽には当たれるし、衣食住も僕達とは比べ物にならないくらい保障されてる。それに、僕達を好き放題管理する権限を与えられているんだ」

 元から素質のありそうなプレイヤーを選び、徹底した拷問で心を挫いた後、解放されたければ下位プレイヤーを痛めつけろと脅しつけた。

 地獄のような苦しみにのたうった後では断れる筈もない。

 まして帽子屋に、「悪いのは貴方ではありません。全てはの責任は命令を下したこの私にあります」と囁かれれば尚更だ。

 何をしても責任は全て帽子屋に発生するのだと理解させた上で、見返りに今までとは比べ物にならない待遇を与える。

 たったそれだけで、当初は尻込みして居た筈のプレイヤーは立派な看守に仕上がった。

 あらゆる行為の責任を転嫁できるようになった彼らが、小国の暴君にも等しい振る舞いをするようになるまで、そう時間はかからない。

 不意に湧き上がる苛立ちを監視対象である奴隷にぶつけても、好みの奴隷を欲望の捌け口にしても、悪いのは全部帽子屋なのだ。

 中にはそれを良しとしないまともな監視も居たが、すぐに他の監視達によってただの奴隷へと戻された。


 黒パンと豆だけの味気なかった食事は、肉汁の垂れる分厚いステーキや白いふわふわのパン、沢山の野菜で煮込まれたスープに変わった。

 毎日朝から晩まで休みなく駆けずり回る必要のあった労働は、定期的に持ち場を見回りさぼっている奴隷を痛めつけるストレス発散の場に変わった。

 支給される服も、今までのボロ切れとは違い寒さに凍える必要なんてない。

 固い床に薄い毛布一枚を敷いて眠らなければならなかった頃は疲れなんて取れず筋肉が強張って仕方なかったのに、今ではふかふかのベッドでぐっすりと眠りにつける。

 こんな特権に一度でも浸かってしまえば、もう二度と手放そうとは思えなくなる。

 例えその為に、帽子屋から与えられる悪魔的な指令をこなさなければならないとしても。


 帽子屋とて、監視役に裏切られるのは致命的ではないにせよ面倒な手間が掛かる。

 どうせなら奴隷と監視役で対立構造を取って貰った方が、言うなれば憎み合ってくれた方が手っ取り早いのだ。

 その為、監視役へ日に一度、5人の奴隷に暴力を振るうよう命令し、果たさなかった監視役は再び奴隷へ降格するルールを作っている。

 別にそのルールが守られているかはどうでもよかった。

 守らなければ降格するかもしれないと言う恐怖心さえあれば監視役は命令に従う。

 もし仮に形骸化したなら、その時はルール通りに奴隷へ差し戻せばいいだけだ。

 その上で、今まで虐げられていた奴隷達を監視役に繰り上げれば、もっと"面白い"事になるに違いない。


 そんな帽子屋の目論見は想定よりずっと効果的に、奴隷達のヒエラルキーを決めていた。

「おい新入り、モタついてんじぇねぇぞ」

 ニタニタという表現がよく似合う、嫌味な笑みを貼りつけた3人の監視がイグニス達5人へ近付いてくる。

「仕方ないだろう。彼らは昨日来たばかりでまだ作業に慣れてないんだ」

 初めての作業に手惑うのは当然で、イグニスは咄嗟に背後の新人である自由の翼のメンバーを庇うべく監視達の前に立ち塞がった。

 硬い岩盤を砕くのも、転がった岩を運ぶのも、効率よく進めるには最低限の経験が必要になる。

 しかし、監視達にとってそんな道理はどうでも良い事柄だ。

「お前は誰に向かって口聞いてんのか分かってんのか?」

 次の瞬間、男の一人が手にしていた金属製の警棒をイグニスのこめかみに向けて力の限り叩き付けた。

 鈍い音がしたかと思えば、彼の身体が恐ろしいくらい簡単に宙を舞い、ごろごろと転がる。


「うわ、痛そー。最初から張り切り過ぎだろー」

「別にヒールすりゃ治るんだしどうでもいいじゃん」

 3人は微動だにしないイグニスを見ようともせず、手にした警棒を唖然としている新人の目の前で勢い良く振るっていた。

「はい注目ー。皆さんにお知らせがありまーす。新人に舐められるのって好きじゃないんだよねー。だからまず最初に身の程ってのを知って貰う必要があると思うんだー」

 監視役の一人はそう告げるなり、へたり込んでいるプレイヤーのすぐ傍へ警棒を打ち付ける。

 跳ね上がった小石が頬を叩き、鋭い断面によって浅い傷を残す。たったそれだけで、上ずった悲鳴が漏れた。

「そう、その表情だよ。お前達はただ暗い顔して働いてりゃいいわけ。下手な勘違い起こす前にそれを分からせてやる俺等って優しくね? 帽子屋に知られたら殺されちゃうわけだしさ」

 一体何がそんなにおかしいのか、3人はけらけらと笑いながら身の毛もよだつような冗談を言い合っていた。

 狂っている。そう思っても、新人にはどうする事も出来なかった。

「大丈夫だって。どうせヒールすりゃ治るんだから」

 全く安心できない一言と共に振るわれた一撃によって意識が一瞬で吹き飛ばされたのは、ある意味幸運だったのかもしれない。



 新人が標的にされるのはよくある事で、別々の部屋で作業させられていた面々も同じような被害にあっていた。

 最初に圧倒的な立場の違いを見せつけて抵抗心を削ぐべく、監視達が独自に考案した方法だ。

 彼らの傍若無人ぶりは日を追う毎に目立ってきている。今ではもう、自分達が奴隷を虐げる事に何の疑いも抱かない程に。

「彼らは監視の中でもとりわけ最低な奴らだよ」

 例外なく気絶するまで暴行を受けた新人達が目を覚ますのを待ってから、イグニスは沈痛な面持ちで告げる。

 クレリックのヒールで肉体的な損傷を回復できても、精神的な恐怖は簡単に消えたりしない。

 元は同じ境遇の奴隷だというのに、何の躊躇いもなく暴力を振るわれて平気でいられる筈がなかった。

 どうして自分がこんな目に合わなければならないのか。湧き上がる憤りはあっても発散できる場所がない。


「……誰だよ、最初に帽子屋が正しいって言った奴は」

 独り言のような小さく擦れた誰かの声は新人達の耳にべたりとまとわりつく。

 自分の受けた理不尽な扱いを向けられる矛先があるとすれば、より立場の低い者だけだ。

 一体誰のせいで帽子屋が正しいと言う話になったのか。

 勿論、誰か一人のせいである筈がない。帽子屋の妄言を信じてポータルゲートに乗ったのは他ならぬ自分自身だ。

 けれど彼らは自分に何の責任もないと思い込んでいるが故に、犯人を捜し出さねば気が済まなかった。


「そういえばお前、帽子屋の方が正しいってしきりに騒いでたよな」

「はぁっ!? そういうお前だって頷いてだろうが! てか、セシリアが嘘ついてるかもしれないって言い出したのはお前が先だろ!」

「俺じゃねぇよ! あいつが先に言ってたのを聞いた!」


 言った言わないの水掛け論は不毛の極みで、そもそも証拠が存在しないのだから答えが出る筈もない。

 だからこそ彼らは必至に頭を巡らせて答えを作り出そうとした。

 お前だろ。違う、あいつだ。違う、俺じゃなくてあいつだった。そうだ、あいつだ。そういえばそうかもしれない。

 証拠のない犯人探しなんて、ババ抜きで終わる以外に結論を得る方法はない。

 いかに自分と同調してくれる相手を探し出し、孤立した一人を全員で囲い込めるか。

 最後まで仲間を見つけられなかった一人があらゆる咎を背負わされ生贄にされる。

 真実なんてどうでもいいのた。ただ、一人を除いた全員が犯人を一斉に指し示すだけで事足りる。

 悪いのは……。


「いい加減にしないか!」

 その最後の一人が決められるギリギリのタイミングでイグニスは彼らを頭から怒鳴り付けた。

「決めつけに一体何の意味がある! 何の犯人を捜しているか知らないが、それが分かれば君達は救われるのか!? この状況がどうにかなるのか!?」

 突きつけられた正論に誰もが押し黙る。

「そんなくだらない議論で時間を費やす暇があるなら、ここから逃げる手立てでも考えた方がマシだ」

 ここがどんな場所か、新人達でも1日で理解できた。

 法も秩序もありはしない。ただ力のある者が力のない者を虐げるだけの場所。

 一分一秒だってここに居たくないのは共通の見解だった。


「そういえば昨日、ここから逃げる算段があるって言ってたよな」

 新人の一人がはっとなってイグニスの顔を見やる。

「ある。でもその為には君達の協力が必要なんだ」

「こんな場所はもう沢山だ。何でも言ってくれ、出来ることなら手伝いたい」

 誰かの言葉に俺も俺もと手が上がる。

「……良いのかい? 失敗したらどうなるか僕にも予想できない」

 目の前で仲間を殺された瞬間は未だ脳裏に焼き付いて離れない。

 けれど、今だって似たようなものだ。過酷な労働と監視達からの暴行を受け続ければいつかきっと死んでしまう。遅いか早いかの違いでしかない。


「君達の覚悟は分かったよ。問題はどうやってここから逃げるかだよね」

 この鉱山は3つの守りによって成り立っている。

 一つ目は帽子屋の考案した奴隷同士の相互監視システム。

 1ヶ月経った今でも大きな混乱は見られず、寧ろ想定以上の働きを見せていた。

 二つ目は鉱山の地形。

 奴隷を労働力とする鉱山では如何にして逃げ道を失くすかが重要になってくる。

 この鉱山も例に違わず、外に出るには山の中を通る地下水脈の上に渡された吊り橋を通らなければならない。

 有事の際にはこの吊り橋を跳ね上げてしまえば、どう足掻いても外へ通じる道を失うのだ。

 地下水脈は流れが速く、鋭い岩肌で覆われている為、飛び込めば生きては出られない天然の砦だった。

 三つ目は隷属の首輪。

 お茶会から直接派遣された2人の監視の目に留まれば隷属の首輪を発動されるし、もし仮に鉱山の外へ出れたとしても、専用の結界外に足を踏み出すだけで否応なしに自白用の魔法が発動する。

 つまり無事に鉱山から抜けるには、派遣された2人の監視員を倒して主従の指輪を奪い取り、隷属の首輪を解除する必要があった。

 が、低レベルの彼らが束になって掛かったとしても勝てる見込みはないだろう。

 相対した時点で隷属の首輪を発動されて行動不能に陥るのは目に見えている。


「一見完璧に見えるかもしれないけど、弱点はあるんだ」

 お茶会のメンバーは他に何かしなければならない事があり、鉱山の防衛に人員を割けないでいる。

 たった2人をどうにかできさえすれば、自由の身になれる可能性は十分あるのだ。

「でも、隷属の首輪がある限り俺達にはどうしようもないだろ……」

 だがそれは望みの薄い願望でしかない。

 装備もアイテムも取り上げられてしまった彼らが自分よりはるかにレベルの高いであろう相手に勝利する方法があるとは思えなかった。

「確かに僕等では敵わない。でも他のプレイヤーに助けを求められたらどうかな」

「それこそ無理だろ。Wisもないのにどうやって助けを求めるんだよ。そもそも、ポータルゲートで連れてこられたのはお互い変わらないんだろ? だとすりゃここがどこなのかすら分からないじゃないか」

 助けを求めるのは妥当な案だったけれど、"誰"に"何処"へ助けに来てもらえばいいのかさえ分からないのでは話にならない。

 それ以前に、監視の厳しいこの場所からちょっと助けを呼んでくるなんて真似ができるとも思えなかった。

 そんな無理難題を前にしてもなお、イグニスは余裕の笑みを浮かべて言う。

「その無理難題を解決する方法が見つかったとしたら?」


「どんな方法があるっていうんだよ」

「あるじゃないか。この鉱山から唯一、毎日毎日外へ搬出されている物が」

 懐疑的な彼らに向ってイグニスが取り出したのはここから掘り出した鉱石だった。

「一見普通の鉱石だけど、実はこれ、一度割ったのを粘土質の土で貼りつけたんだよ。中には手紙と銀貨を1枚入れてある。これを幾つも作って紛れ込ませたんだ」

 ――この手紙を見つけた方は、リュミエールの風見鶏亭に宿を借りているインディスへ届けてください。謝礼に金貨を1枚渡します――

 鉱石の中の手紙を見つけた誰かが謝礼につられて届けてくれる事を願ったのだ。

 銀貨を1枚入れたのは話に信憑性を持たせる為。仮に気付かれたとしても、誰がやっているのかまでは把握できない。

 そして手紙の中には、もし読んだなら特定の手順で返事をくれるよう書いてある。

「その特定の手順と言うのがこれさ。掘削作業用品の中に手紙を紛れ込ませる事。僕は用具の管理をしているからね。監視役もまさか用具の中に手紙が仕込まれてるなんて気付かないだろう?」

 広げられた小さな手紙には『すぐに助ける。状況の詳細を希望』とだけ短く書かれていた。


「けれど一つだけ問題があってね……。君達がやってきた影響で配置換えがあったんだ。粘土質の土が取れる採掘場は僕の知る限り一ヶ所しかなくて、僕はそこに配置されなかった。配置されたのは君達、新人の中の一班なんだよ。お願いだ、代わりにこの手紙を細工してくれないかな」

 新人の一人は託された手紙を大切そうに胸に抱く。これが彼らにとっては唯一残された希望だ。

「……分かった。俺に任せてくれ、ちゃんとやり遂げてみせるよ」

「結構は明日、最後の石運びに紛れ込ませて欲しい。その時、連絡相手にそれと分かる様、目印を付けて欲しいんだ」

 きっと上手くいく。誰もがそう信じて……信じ込まされていた。

 彼らは未だ、ここがどんな場所なのか全く理解していなかったのだ。




 翌日、手紙を隠し持った新人は時折挙動不審な節を見せつつも仕事に励んだ。

 そして言われた通り、隙を見て作っておいた目印の付いた手紙入り鉱石を最後の石運びに紛れ込ませる。

 何も問題はない。言われた通り役目をこなせたと安堵の息を零した瞬間、何の脈絡もなく突然お茶会のメンバーが現れて紛れ込ませていた本命の鉱石を掴み取った。

「これか、報告にあったのは」

 何が起こったのか理解できず、仕込みをした新人はただ目を丸くして固まる。

 その目の前で鉱石はいとも簡単に割られ、中に仕込まれていた手紙を発見された。

「……ハッタ―に連絡を入れろ」

 男は手紙を付き添っていたもう一人に渡す。渡された男は小さく頷くと一瞬にしてその場から姿を消した。

「んじゃ後はこっちだな。お前ら、随分と舐めた真似してくれるじゃんかよ。確か自由の翼……だっけか。ハッタ―が念の為に気を付けろって言ってた通りだな」

 全身から殺気を漲らせて、近場に立っていたプレイヤーへ憂さ晴らしとばかりに猛烈な勢いの蹴りを食らわせた。

 骨の砕ける嫌な音が狭い室内に木霊し、赤黒い液体の混ざった胃液を吐き散らしながら喘ぐ。

 肺に骨が突き刺さったのか、呼吸は擦れて今にも死に絶えそうだった。

「おっと、手加減したりなかったじゃんよ。殺すとハッタ―に何か言われそうだしな」

 手紙の件で帽子屋が何か聞き出そうと考えるかもしれない。殺して咎められるのは自分だ。

 男は一人ごちに呟いてから、取り出したポーションを無理やり流し込む。

 何度も咽てはいたが、死にそうになくなったのを確認すると力任せに腕を引っ張り上げた。

「お前ら全員独房行きだ。さっさと歩け」


 意味がわからないまま隔離された場所に作られた懲罰用の独房に連れてこられる。

 本来は一か所につき一人なのだが、何故かあの場にいなかった自由の翼の構成員も全員集められており、狭い室内に押しやられていた。

「一体どういう事だよ!」

 苛立ちから監視に向けて叫ぶ者もいたが、お茶会メンバーが出てきたせいで雰囲気はピリピリとしており、関わり合いになりたくないのか無言を貫いている。

「計画がばれたんだろ。……くそ、俺達どうなるんだよ!」

 冷静になって考えれば可能性はそれしかなかった。しかし、あれほど順調に進んでいた計画がどうして表沙汰になったのかが分からない。

 誰もがあれほど脱出に希望を抱いていたのに、何故今さらになって裏切るのか。


 しかし、そんな懸念はイグニス率いる元居住者達によって呆気なく霧散した。

 最初は彼らも捕らえられたのかと思った。

 同室だったし、この計画の発案して推し進めていたのは彼らに他ならない。

 けれど、着ている服が昨日までのボロではなく、監視達と同じものである事に気付いた瞬間、如何に無能な自由の翼の構成員達と言えど何が起こったのかを理解する。

「悪いね。君達が夜中にこそこそと話し合っていた鉱石を使って外部と連絡を取るって話だけど、密告させて貰ったよ」

 いけいけしゃあしゃあと嘯くイグニスに、独房の中にいた構成員達の顔色が青く染まった。

「まさか……騙したのか」

 イグニスは応えないが騙されたのは明白だ。

 ここへ来た時、帽子屋が言っていたではないか。もしアイテムを隠し持っている者を見つけて報告すればそれなりの報酬を出すと。

 つまりここでは、不穏分子の密告は功績になりえるのだ。

 事と次第によっては、奴隷が監視の立場を得るのも不可能ではない。今の彼らのように。


 最初から外部との連絡を取ってすらいなかった。イグニスが話した内容は自由の翼の面々を騙す為の作り話だ。

 そもそも、どこのだれに売るのかもわからない鉱石の中に手紙を入れたとして、気付かれる確率は如何ほどだと言うのか。

 例え砂漠の中から針を見つけるに等しい幸運を手に入れたとして、大体の人間は一緒に入っていた銀貨一枚を懐にしまうだけで満足する。

 金貨一枚をくれるなど、事実だとしても厄介事に違いない。

 現代より圧倒的に人の命が軽いこの世界では、厄介事に首を突っ込んだが最後、生きて帰れる保証なんてないのだ。

 プレイヤー相手に取引しているという前提でもない限り、事が上手く運ぶ可能性なんてゼロに等しい。


「恨まないでくれよ。僕らだっていつまでもこんな生活はごめんなんだ」

 こんな作戦にまんまと騙された君達が悪い。

 人として扱われない地獄の様な毎日は、彼らの中にあった筈の倫理観をいつの間にか吹き飛ばしていた。

 どうしも逃げられないなら、この鉱山の中で"マシ"と言える立場にのし上がるしかない。

 一番簡単なのは脱走や反乱と言った重大な計画を密告する事だが、陥れるにしても肝心の相手がいなければ始まらない。

 しかし、同室のプレイヤーは既に疑心暗鬼に陥っており、そう簡単に騙されるとは思えなかった。

 最悪の場合、罪の擦り付け合いや足の引っ張り合いになって共倒れになりかねない。

 出来ればもっと簡単に騙せそうな標的が欲しかった。

 そこに降って湧いてきたのが自由の翼の面々だ。見るからに緩そうな顔で、ここがどんな場所なのか少しも理解していない。彼らにとってまたとない格好の標的といえる。

 予め考えていた嘘の脱出劇を信用させ、その最後の仕込みを密告する事でお茶会のメンバーに現場を押さえさせれば言い逃れる術はない。

 手伝っただけだと、共犯だと騒がれても捕まった後では信用される訳もない。

 計画は目論見通りに進み、その功績を認められたイグニス達は過酷労働に勤しむ奴隷から、気楽な監視役へと昇進した。


「ふざけんなっ!」

 あらん限りの力で独房の壁に怒りをぶつけたところで何かが変わるわけもない。

 もうとっくに事は起こり、そして何より終ってしまった後なのだ。

 今さら結果を覆すなんて真似が出来たなら、それは奇跡にも等しいだろう。

「待ってくれよ! なぁ、俺達どうなんだよ!?」

 怒り狂ったり、嘆き悲しんだり、放心したりと、様々な反応を示す面々にイグニスはあの柔和な笑みを浮かべて言った。

「さぁ? 殺されるんじゃない?」

 まるで他人事のように。いや、完全に他人事なのだ。

 ここでは自分の身一つ守ることさえ難しい。1ヵ月近くも監禁された彼らが狂うのには十分すぎる時間だった。


「誰か、助けてくれよ……」

 ぽつりと漏らしたものの、一体誰が何処にあるかもわからない鉱山の中に閉じ込められている自分達を助けてくれるというのか。

 ポータルゲートに乗る直前にカイトが叫んだ一言は未だ耳に残っている。

 騙していたのは帽子屋で、セシリアはずっと正しかったのだ。

 考えてもみれば、この世界に来てからセシリアは一度だって自分達を裏切った事なんてない。

 ギルドを支えるべく身を粉にして働いている姿を、いつから当たり前のように感じていたのだろうか。

 中には、ネカマは必死にならなきゃいけなくて大変だと、他人事のように思っていた者さえいる。

 そんな自分達に都合よく助けを差し伸べてくれる存在が居るとでも?

 何もしていないどころか、ただ迷惑をかけてばかりいた自分達に救う価値があるとでも?

 ……分かっていた。助けはない。

 それが自分達のせいである事に、彼らは今頃になってようやく気付いた。

途中までイグニスさんが善人だと思った方は極一般的な普通の方でしょう。

最初からイグニスさんが怪しいと思った方は、中々疑り深い性格をしているのではないでしょうか。

最初から悪人だろと思った方はどこか歪んでいる可能性が高いです。ピンチです。もっと他人を信じてあげてください!


-6-と-7-は帽子屋の悪逆非道さ加減と、人間の心理的な物を書いてみました。

鬱系は筆が全く進まない……。

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― 新着の感想 ―
最初から怪しいと思ってた(調教済み)
[一言] 多分、歪んでるやつの割合高そう
2024/02/20 00:43 最初から悪人だろと思ってた人1
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