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World's End Online  作者: yuki
第四章 それぞれの想い
64/83

気ちがい達のお茶会-6-

※※※※※※

※ 注意 ※

※※※※※※ 

今話は帽子屋がセシリアの服従させ二度と反抗しないよう、全力で心を折りに走るお話です。

人によってはえぐいと感じる可能性が多分にございますので、暴力的な表現が苦手な方は次話まで飛ばす事をお勧め致します。

帽子屋の策略によりセシリアの心が折れたところで次話に繋がると理解していただければ、今話の内容を見なくとも問題ありません。

※※※※※※

※ 注意 ※

※※※※※※

「さて、躾の前に1つ説明しておきたいことがあります」

 帽子屋は紅茶で満ちたティーカップをソーサーの上に戻しながらセシリアへ視線を向ける。

「今から1週間後に、三日月ウサギ達の根城……旧要塞跡地を総攻撃します」

 睨みを利かせていたセシリアが、ほんの僅かに別の感情を宿した。


 三日月ウサギと帽子屋は裏で繋がっているというのがセシリアの持論だ。

 証拠はない。しかし、帽子屋が乗り込んできたタイミングで三日月ウサギも現れたとなれば、繋がりを疑わない方が難しいだろう。

 挙句、帽子屋はまるでセシリアが来るのを見越していたかのように屋敷で準備まで整えて待っていた。

 何か裏があるに決まっている。

 セシリアの顔色に変化があったのは、それが一体何なのかに頭を働かせたからだ。

 反応を面白がる為に無意味な嘘を吐いた?

 本当に元の世界に帰ろうと思っている?

 協力関係にある三日月ウサギが邪魔になった?

 幾ら考えても判断材料が足りなすぎて結論を出すには早すぎる。


「そう難しい顔をする必要はありません。総攻撃をかけるのは本当ですからね。貴女をこうして手に入れたのは、返事を頂けそうにない自由の翼の皆様にも参加して頂きたかったからです」

 帽子屋の言葉をそのまま信じたりはしないが、セシリアの身柄を使って自由の翼に何らかの要求を呑ませようとしているのは確かだ。

「随分と乱暴な勧誘ですね」

 卑劣な手口を冷ややかな口調で皮肉ると、帽子屋はやはり楽しそうに笑った。

「発言を許可した覚えはありませんよ。物は物らしく主の命令を忠実に聞いていれば良いのです。これは躾の回数を足さねばなりませんね」


 いかなる理由か知らないが、帽子屋は自由の翼をお茶会の傘下に取り入れたがっている。

 今は混乱の局地にあったとしても、ケインがアセリアから持ち帰った運営のメッセージを見せればプレイヤーも帽子屋の嘘に気付かされるはずだ。

 これ以上ないくらいの被害を受け、どれだけ危険な人物か知れ渡った今、彼からの要求を簡単に飲むとは思いたくない。

 地雷原に自ら足を突っ込む馬鹿が一体どこにいるのか。安全地点で様子を見るほうが余程賢い。

 けれど、世の中には賢い選択肢を無視して自ら危険に飛び込む酔狂な輩もいる。

 セシリアはケインとカイトが自分の為に虎穴へ飛び込むだろうと、半ば確信していた。

 2人が動けば釣られる形で狩組も賛成し、彼らによって生かされているメンバーも否応なしに巻き込まれるだろう。


「この状況でも彼らの心配ですか? まずは自分の身を案じるべきだと思いますがね」

 お前の考えている事はお見通しだと言わんばかりに帽子屋がセシリアの思考を代弁した。

 瞳にはこんな状態でそんな事を考えて何の意味があるのかという侮蔑の色が濃く浮かんでいる。

「まぁいいでしょう。総攻撃の際は貴女にも協力して頂きたいのです。貴重な高レベルのヒーラーですからね。腐らせておくのは勿体ない」

 帽子屋は一貫して攻撃の総攻撃の姿勢を崩さないでいる。

 確かに攻城戦をするなら高レベルのヒーラーが必要不可欠で、セシリアはまたとない人材だ。

 しかし、もし本当にただ元の世界へ帰りたいだけなら、こんな回りくどい真似をしてセシリアを手中に収める意味は無いはず。

 なにより、帽子屋の行動はセシリアにとって悪意が過ぎる。

 自分とあまりにも違う価値観を正確に予測するのは困難を極めた。


「しかし懸念もあるのです。戦場で貴女に好き勝手されては困るのですよ。だからこそ躾が必要なのです。あと少しで私も自由の翼の方々を幻想桜まで迎えに行く必要がありますから、先に済ませてしまいましょうか」

 帽子屋がセシリアの腕を掴んで立ち上がらせる。セシリアも無駄な抵抗はせず、されるがままに従った。

 そのままお茶会に使っていたサンルームを出て赤い絨毯が敷かれた長い廊下を進み、階段へ辿りつくと下へ下へ下っていく。

 2F、1F。しかし階段はそこで終わらず、なおも地下へと続いていた。

 近くに地下水でも流れているのか、下るにつれて湿度が増し、黴臭さが鼻につくようになる。

 地上1階分の倍近い段数を降りてようやく小さな部屋へと辿りついた。

 どうやら物置に使われていたようで、雑多な荷物が考えなしに積み上げられており、埃で白く飾られている。

 こんなところに何の用がと思っていたが、帽子屋はずんずんと奥に進み、分厚い床板の一部をはがした。

 巧妙に隠された隠し扉。その奥からは薄っすらとした光と一緒に微かな音が洩れてきている。


「さぁこちらですよ」

 帽子屋の案内にセシリアが後ずさった。

 洩れてきたのは金属が擦れあう嫌な音と、苦しげな人の呻き声だ。

 本能がこの先は足を踏み入れてはいけない危険な領域だと警告している。

「手の焼ける子猫ですね。ただケージの中に入って貰うだけですよ」

 くすくすと、得体の知れない不気味な笑みを浮かべてセシリアの腕を強引に引っ張ると、抵抗するのも構わず階下へ降りた。

「なに、これ……」

 広がっていた地下空間は屋敷の面積と同じくらい広く、2つのフロアに分断されている。

 壁と天井は全て鋼鉄製で、万が一にも崩れないように補強までされていた。

 いや、見取り図なんてどうだっていい。問題なのはこの地下フロアの用途だ。


「貴族の中には使用人に奴隷を使う者も居るのですよ。そういう者達が粗相をした時には躾が必要でしょう? 中には躾の方が目的になっている貴族もいるそうですが、どちらにせよ、屋敷で騒がれるのは煩わしいのです。アセリアは住宅が密集していますからね、碌な防音技術の発達していないこの世界ではこうして地下に部屋を作らない限り、他所様に迷惑をかけてしまう」

 広い方のフロアには狭苦しい鉄籠が幾つも並んでいて、プレイヤーと思しき人間達が押し込められていた。

 ある者は全身を苛む苦痛にのたうち、ある者は帽子屋の姿を見て可哀想なくらい怯え、ある者は錯乱して失禁までしている。

 しかし、彼らは感情を露わにできる分だけまだ"マシ"な分類だった。

 愕然としたセシリアの瞳が更に奥、様々な声で溢れかえる空間の中、唯一何の音も聞こえてこない薄闇の中に閉じ込められた人達の姿を捉える。

 狭い鉄檻の中で身動ぎ一つせず、空虚な瞳はどこか遠い、ここではない場所をぼうっと眺めるばかりで、感情や理性と言った人間らしさをもはや欠片も宿していない。

 心を壊され、感情すら失った人間のなれの果て。


 どうしてそうなったかなんて考えるまでもなかった。

 もう一つの部屋には人を縛り付ける為の拘束具に加え、まな板を思わせる大きな台、天蓋付きのベッド、丈夫な木の板をXの字に張り合わせた物、細かい棘のついた鞭や太い針といった物騒な代物が数えられないくらい並べられている。

 何より信じたくないのは、その幾つかが今、目の前で使用されている現実だった。

 薄手の生地が垂れ下がったベッドの向こうでは2つの影が蠢き、可動式の拘束具をぐるりと囲む男達の隙間からは男の物とは明らかに異なる白い肌と小さな体躯が僅かに見え隠れしている。

 聞いているだけで胸を掻き乱される悲痛な叫び声がただひたすらに許しを乞う様を、男達は一人の例外もなく、醜悪な顔に気色の悪い笑みを貼りつけて楽しんでいた。

 彼女達の喉から絞り出された恐怖と絶望がセシリアの精神を蝕む。

 一体どうすれば人はここまで酷い事ができるのか分からない。だからあれは断じて人なんかじゃない。

 目の前に広がる光景がとても現実のものとは思えず、何もかもを拒絶するかのように頭を抱えてへたりこんだ。


「おや、ご存知ではなかったのですか? あの少年に"酷い目に合う"と自ら申されていたというのに」

 こんな場所があるなんて知る筈がない。あれはフィアを突き放す為の嘘を補強する材料に過ぎなかった。

 耳を塞いでも届いてくる声が脳を揺さぶり、目を閉じても何が起こっているのか理解できてしまう。

 渦巻く悪意と、それを悪意とすら思っていない男達の嘲笑は、セシリアに昔の出来事を嫌でも思い出させる。

 その反応に気を良くした帽子屋は小刻みに震えているセシリアの身体を強引に引き上げ、少しでも声から遠ざかろうと耳を塞いでいた手を引き剥がし、抵抗できないよう後ろ手に締め上げた。

「ここに居る方々は皆、課せられた労働から逃げ出そうとした者達です。元の世界へ帰りたいなら我々に協力するべきだとは思いませんか? しかし如何せん低レベルで戦力にならない方が多い。ならばせめて、高レベルのプレイヤーが万全の力を発揮できるよう生活を支えて欲しいと思っていたのですが……それすら拒否されては、こうするしかありませんね」

 鉄檻の中の人影はどれも等しくセシリアと同じ銀色の首輪を着けられている。

 帽子屋に騙され、奴隷にされたプレイヤーが逃げようとした末路がここだ。


「英雄色を好むと言うではありませんか。人肌が恋しいと相談を受けまして、どうせならと有効活用させて頂きました。壊れた後は生きた人形として売れますしね。英雄が英気を養えるのみならず、今後は逃げ出す心配もなくなり、彼女達も資金を生み出し、元の世界に帰る為の糧となる。後は優しい買い手の元で帰還用の日を待つだけです。非常に効率的だとは思いませんか?」

 帽子屋の言葉はどこまでも本気だった。

 彼には罪悪感どころか、悪意さえない。それどころか、非常に効率的な仕組みを構築できたと誇ってさえいる。

「貴方は……自分がなにをしてるか、分かっているんですかっ!」

 セシリアは掴まれた腕が痛むのも無視して顔だけでも振り返ると、気圧されながらも精一杯叫んだ。

 例え現代に帰還できたとしても、壊されたプレイヤーの精神が元に戻るか保証なんてない。

 画面の向こう側の出来事で済んでいた時とは違う。

 この世界はもう遊びの枠を超えて、現実と地続きになっている。


「まさか貴女からそんな言葉を聞けるなんて思いませんでした。目的の為に手段を選ばないのは貴女も同じでしょう」

 確かにゲーム時代ではどう相手を利用し、つけこみ、懐柔するかばかり考えていた。

 帽子屋の言う通り、目的の為に手段を選ばなかったのは1度や2度ではない。

 だがそれは、電子上の仮想空間で繰り広げられる遊びの一環だったからだ。

 勿論、遊びだからと言って相手を故意に傷つける行為が正当化される訳ではないとしても。

「それでも、ゲームと現実は違います。幾らこの世界がゲームと似通っていたとしても、この世界は遊戯じゃない」

 結局はその一言に尽きる。


「分からない人ですね。遊戯ではないからこそ、全力を尽くさねばならないのです。自分以外は所詮他人ではありませんか。生き残る為に犠牲が必要とあらば致し方ありません」

「狂ってます。貴方も、三日月ウサギも、それを肯定する人達も」

 帽子屋はセシリアがどうして犠牲を躊躇うのか理解が及ばないようだった。

 こんな世界でお上品ぶったところで何の意味もない。使えるものは使えばいい。

 例えそれが人だとしても、ここはそういう世界なのだと笑う。

 そんな言い分をセシリアが受け入れられる筈もなく、饒舌に語る帽子屋を終始睨みつけることで反抗の意志を示し続けた。

 すると彼は眉間にしわを寄せて何事かを考えた後、唐突に不敵な笑みを浮かべて言う。

「一つ面白い余興を考えました。貴女が本当に他人を犠牲にしないでいられるか、これは中々楽しくなりそうです」



 帽子屋の合図で男達が集まり、部屋の隅に積まれていた見るからに重そうな鉄檻をサイコロの5に似た配置へ移動させた。

 4つの鉄檻に囲まれた真ん中の鉄檻にセシリアが押し込められる。

 1辺は1メートルよりあるかないかくらいで、座るには十分でも立てる高さはない。

 格子の感覚は握り拳より狭く、手足を伸ばすのも難しかった。

「私をどうするつもりですか」

 正座を崩した形でぺたりと座り込んだセシリアが、随分と上にある帽子屋の目を睨みあげながら尋ねる。

「反抗できなくなるくらいに壊れて頂きます。狼を飼い馴らすには牙を抜くのが一番ですからね。隷属の首輪の効果はご存知でしょう?」

 帽子屋は自分の、何もついていない首を指さす。


 隷属の首輪の発動条件は大きく分けて3つ。

 一つ目は装備者が体内の力、いわゆるスキルや魔法を使おうとした時。

 二つ目は展開された隷属の首輪と連動する探知系領域魔法の外に出た時。

 三つ目は登録された主従の指輪を持つ主人が自分の意志で発動させた時。

 どの場合でも隷属の首輪に設定された魔法が装備者に対して発動する。

 大抵は麻痺や昏倒といった状態異常系の魔法だが、帽子屋が何を仕込んでいるのかは分からない。

 セシリアも今のところ、敢えて抵抗するような真似はしていなかった。

 仮に上手く逃げられたとしても、帽子屋は再びフィアとリリー使って、今度は確実にどちらかを殺したうえでセシリアに迫るだろう。

 弱点は一つだけあれば十分急所になり得る。

 カードが2枚あるなら、片方はすぐに切り捨てて相手に本気だと示すセオリーを帽子屋が外すとは思えない。

 せめてケインとカイトが何らかのアクションを起こすまで、この立場に甘んじるほかなかった。

「では何が起こるか、その身で体感して頂くとしましょうか」

 帽子屋が右手の人差し指にはめた指輪を反対側の人差し指でそっと撫でる。


 主人による隷属の首輪の発動に、セシリアは覚悟を決めて、身に起きるであろう何かに耐えるべく目を閉じた。

 けれどそんな物は気休めにさえならない。

 まず最初に訪れたのは全身を焼かれたような、皮膚と言う皮膚がバリバリと剥がされるような壮絶な痛みだった。

 遅れて目玉を何か細い物で貫かれ、奥にある神経の塊を引きちぎり、捏ね繰り回したかのような、もはや痛みとも言えない衝撃が脳天に突き刺さる。

 全身を苛む激痛は留まるどころか身体の中へ中へと浸透し始め、ついには心臓や内臓といったあらゆる臓器がゆっくり削り取られていく悍ましい感覚に包まれた。

 もはや思考を維持することなどできず、叫ぼうとしても喉が引き攣って声どころか息さえできない。

 視界はいつからか明滅を繰り返し、あらゆる音は消えてなくなり、ただ「痛い」という感覚が極限まで増幅されていく無間地獄。

 全身を少しずつ切り取られても、足からゆっくり磨り潰されても、これ程の痛みと苦しみは再現できないだろう。

 耐えられたのはほんの一瞬だ。精神に深刻な傷を残すと察知した脳はいとも簡単に意識を手放して苦しみから解放される。

 あの状態があともう少しでも続いていたなら、もう二度と目を覚ませなかったかもしれない。


 だが、闇に落ちた筈の意識は一瞬にして覚醒させられたた。口の中に広がった苦味に悲鳴を上げて飛び起きる。

 皮膚は身体についたままだし、視界も普段と変わらない。

 あれ程まで全身を苛んでいた、この世の物と思えない苦痛は完全に消え去っていたのに、精神は未だ先程の衝撃から立ち直れていなかった。

 息を吸っているのか吐いているのかも分からず、ガタガタと震える自分の身体をしっかりと抱きしめながら後ずさる。

 たった数歩で背後の柵に触れたセシリアの口からあられもない悲鳴が漏れた。

「少しは落ち着いたらどうですか?」

 帽子屋の声に、恐怖に染まったセシリアの瞳が僅かながらの理性を灯す。

「なにを……したの」

 乱れてままならなかった呼吸を意識的に整えながら震える声で尋ねた。


「痛みを効率よく与えるのは意外に難しいのですよ。人は脆弱ですからね。生きたまま全身を解剖し、ありとあらゆる神経を切り刻みたくとも、肯定の半分にも届かない内に死んでしまう。ですが、それは肉体を伴うから。人の意識へ直接干渉して痛みを認識させる魔法さえあれば、身体を直接痛めつけるのとは比べ物にならない密度の苦痛を与えられるのです。私が貴女にしたようにね。それではもう一度お楽しみ頂くとしましょうか」

 得意げに笑う帽子屋は愕然としているセシリアに良く見えるよう腰を落とし、見せつけるかのように主従の指輪を撫でた。

「待……っ!」

 止めようとしたセシリアの身体が声にならない悲鳴を上げてガクガクと痙攣し始める。

 発動した時間は僅か1秒にも満たない。たったそれだけでセシリアは再び気を失い、着ていた簡素な白のワンピースに漏らしてしまった汚れが広がっていく。

 帽子屋はそれを満足げに眺めた後、再び状態異常を回復する薬品を無理やり口の中に流し込んだ。


 またも強制的に覚醒させられたセシリアは先程と比べ物にならないくらい怯えきっていた。

 隷属の首輪に設定されている魔法は犯罪者に口を割らせる為、この世界の住民が開発した独自の自白魔法だ。

 相手が犯罪者なら遠慮する必要も、その後の安否を気遣う必要もなく、長期間使われれば発狂する事も珍しくない。

 この魔法で洗いざらいを吐かされた罪人は例外なく死を望んだ。

 現世の地獄を体験した彼らにとって、死は何よりの救いに変わったのだ。

 ただの一般人に過ぎないセシリアに絶え凌ぐなんて真似が出来る筈もなかった。


 身体は恐怖で震えが止まらず、口から漏れる声も言葉を成さず、涙を流しながら反対側の格子にすがりつく。

 そこへ帽子屋がほんの少し近づいただけで膝に頭を抱え嗚咽を漏らし始めた。

 哀れを通り越し、病的にも思える姿に彼は勝ち誇ったかのような笑みを浮かべながら話す。

「さて、まずは汚れてしまった服を着替えましょうか。今日から貴女はこの狭い檻で作られた城の姫です。着飾らねば民に示しがつきませんからね」

 扉を開けて、最奥で身体を縮こませているセシリアを強引に引きずり出すと、拷問部屋の一角に備え付けられたクローゼットへと案内する。

 並べられた様々な趣向の衣服はどれも男達が行為を楽しむ為に用意された物だ。

 帽子屋はその中から透けるような薄青の生地を幾重にも巻いて作られた、場違いなほど可愛らしいドレスと、セットになっている下着を選び出しセシリアに押し付ける。

「すぐに着替えてください。遅れるとどうなるか分かっていますね?」

 ちらり、と指輪を見せただけでセシリアの顔が恐怖に染まった。


 着替られる場所が用意されている筈もなく、数人の男が嘗め回すような視線を向ける中で服に手をかける。

 ちらりと見えた白い素肌に男達が下卑た笑い声をあげても、セシリアの耳には全く入っていなかった。

 ただ帽子屋の言われた通り早く着替えなくてはと言う意識だけが先行し、手渡されたドレスを頭から被ると、濡れてしまった下着を脱ぎ棄てて新しい物に着け替える。

 その頃になってようやく、ほんの少しだけではあるものの、心が平静を取り戻した。

「どういうつもりですか……」

 今のセシリアはたったそれだけを聞くのにさえ、多大な精神力が必要だった。

 伏しがちな視線は帽子屋の顔に向かず、ただひたすら手元の指輪を追いかけている。

「ですから、余興に御参加いただくのです」

 幾ら自白魔法の効果が強力でも、たった数度の使用で心が壊れたりはしない。

 帽子屋はセシリアが思考力を取り戻すのを待ってから先を続けた。


「物語はこうです。ある所に美しく心優しい姫が居ました。彼女は国民の為、身を粉にして働いていましたが、国民はそれを分かってくれず、事あるごとに不満を並べ姫を責めます。そんなある日、自分勝手な国民を見かねたシルクハットの魔法使いが現れ、姫の耳元で囁きました。お可哀想に、あんな国民に価値はありません、私が綺麗にお掃除してあげましょう。貴女はただ一言、私に言えばいいのです。助けて、と」

 話の意味が分からず、ただただ目を丸くしたセシリアを帽子屋は再び先程と同じ檻の中に押し込む。

 着替えている間に誰かが掃除したようで、濡れた形跡も臭いもなくなっていた。

「ではルールを説明しましょうか。私はこれから毎日、数時間に1度の頻度で主従の指輪を使います」

 帽子屋の宣言にセシリアの顔が青く染まる。

 たった2度使われただけでセシリアの中にあった反抗心は大きく抉れ、霧散してしまったのだ。

 それを毎日、しかもいつ来るかさえ分からない恐怖に怯えながら待てばどうなるかなんて分かりきっている。

 帽子屋は一層怯えた様子のセシリアを満足げに眺めた後、ご安心くださいと続けた。

「もし姫が助けを求めれば、その日に限り何があろうと主従の指輪を使いません」

 セシリアの表情にほんの僅かだが希望が灯る。

 酷く屈辱的な"助け"を求めさせて笑うつもりなのだろうか。だとしても、あの痛みよりは幾分マシに思える。

 しかし、帽子屋がそんな簡単な条件で指輪の使用を取りやめる筈がなかった。

「そしてここからが肝心です。今から姫を取り巻く4つの鉄檻に4人の国民を配置します。もし姫が自分可愛さに助けを求めたなら、4人の国民は"処分"され新しい国民が補充されます。しかし、もし1週間の間、姫が1度も助けを求めなかったなら、彼女達を姫のポータルゲートで好きに逃がして構いません」


 帽子屋らしい趣味の悪い余興である。

 4人のプレイヤーを犠牲にすれば1日の苦痛は取り除かれる。

 逆に1週間耐え続けたなら、4人のプレイヤーは帽子屋の束縛から逃れられる。

 肝心なのはどう転んでもセシリアを逃すつもりはないという点で、だからこそ余興なのだろう。

 帽子屋は本当にセシリアが他人を犠牲にしないか試したくなったのだ。

 最初から選択肢なんて用意されていない。

 1日の苦しみを緩和する為に4人を処分するなんて真似がセシリアに出来る筈もなかった。

「それでは楽しい余興の時間と参りましょうか。おいでませ、4人の非情なる国民の方々」


 ぼろぼろの服を着せられた4人の女性がセシリアの周りに置かれている鉄檻に収められていく。

 右上には赤い短髪を跳ねさせた活発そうな女性が。

 右下には青い長髪の大人しそうな女性が。

 左下には茶色の髪を肩まで伸ばした幼そうに見える少女が。

 左上には金色の髪を2つに結っている少し釣り目気味で気の強そうな少女が。

 年齢も姿もまちまちだが、街で歩いていれば多くの男性を振り向かせるであろう容姿と、首に着けられた銀色の輪は共通している。

「彼女達には"まだ"何もしていません。姫様、貴女次第で彼女達の命運が決まる事、ゆめゆめお忘れなきよう」

 帽子屋はそれだけ告げると一礼し、意味ありげな笑みを一堂に投げかけると部屋を後にした。

 そして、彼の言う余興が幕を上げる。




 助けを求めず、1週間の間ただ痛みに耐えればいいだけだと考えていたセシリアの予想は開始直後から打ち砕かれた。

 あの帽子屋がそんな単純で面白みのない余興を考える筈もない。

 今のセシリアにはそんな単純な事を考えるだけの余裕さえ綺麗さっぱりなくなっていた。

「早く私達を助けるよう言いなさいよ!」

 故に、金髪の少女が唐突に叫んだ言葉の意味を上手く理解できない。

 セシリアにそんな権限がある筈もなく、例え口にしたところで失笑されるだけだ。

「どうしてそんな事……」

 思わず尋ねたセシリアに金髪の少女はますます表情を険しくして詰め寄る。

「そんなの当たり前でしょ! 貴女が私達を助けろって言うだけで私達は解放されるのよ!?」


 帽子屋が目の前に居ないだけで、セシリアの精神状態は幾分か回復し始めていた。

 戻りつつある思考は彼女の不可解な言い分がどういった経緯で飛び出したのかを半ば自動的に検証し出す。

 結論はすぐに出た。セシリアが教えられた"ルール"と、彼女達に与えられた"ルール"が同じとは限らない。

 『国民は姫の気も知らず我が儘を言う』

 つまりこの余興は、先程帽子屋に聞かされた物語と全く同じ状況に設定されているのだ。

 問題はセシリアと4人、どちらの聞いたルールが"正しいか"だが、これについては考えるまでもない。

 帽子屋はセシリアに助けを求めれば彼女達を処分すると告げている。

 "誰"が"誰"の助けを求めるかには触れていないのだ。

 "セシリア"が"自分"の助けを求めるのではなく、"彼女達"の助けを求めたとしても条件と合致する。

 処分と称して何をするつもりなのかは分からないが、向こうの部屋に何があったかを考えれば楽観視できる筈もない。

 最低でも待機する男達によって散々嬲られ、場合によっては殺されるかもしれないのだ。



 セシリアはひとまず4人と積極的にコミュニケーションを取ろうと試みた。

 ここへ来る前に何を聞かされたのか聞きださないと、帽子屋の言っていた余興の全体像が見えてこない。

 高圧的に叫ぶ金髪の少女へ質問を投げかけつつ情報を引き出していく。

「……つまり、私が貴女方を助けるよう懇願すれば"解放"されると聞かされたんですね」

 先の物語にあった『彼女は国民の為、身を粉にして働いていましたが、国民はそれを分かってくれず、事あるごとに不満を並べ姫を責めます』という設定は予想通り、ここに居る5人の関係を表す物だった。

 あの帽子屋の事だ。セシリアの聞いたルールからしても、"解放"の意味が自由に繋がるとは到底思えない。

 その辺りを含めて理解して貰うべく、セシリアはできるだけ興味を抱いて貰うべく慎重に言葉を選びながら言う。

「私が帽子屋に聞いた話と違います。宜しければ聞いてくれませんか?」

「……話してみなさい」

 彼女達も帽子屋に騙された経験があるのだろう。

 彼の名前が出ただけで分かりやすいくらいの反応を示し、その瞳には先程とは違う警戒の色が露わになった。



「つまり、どっちが本当なのか分からないって事ね」

 それほど長くない内容を十数分もかけてじっくりと、誤解が生まれないよう懇切丁寧に説明し終える。

 4人にはまだ何もしていないというのは本当らしく、捕らわれている人達に比べて大分余裕が窺えた。

 金髪の少女が言うように、現時点ではどちらの話が正しいのか判断できない。

 よって焦点は、セシリアの話した"1週間後に解放される"と言う一点に集約された。

 問題は彼女達にも何らかの期限が課されていた場合にどうするかだったのだが……。


「私達は1週間なんて時間制限、聞かされていないわ」

 帽子屋は何故か彼女達に期限を提示しなかった。

 こういう余興の場合、同じタイムリミットを設定する事で双方にトラブルが起きやすくなるよう企画される。

 そうしないと今の5人のように、「とりあえず1週間過ごしてみる」という、なんとも平和な結論が出てしまうからだ。

 何の進展もドラマもない展開が余興になるとは思えない。

 それとも、純粋にセシリアが4人を犠牲にせず、苦痛に耐えうるかを試しているだけなのだろうかとも考える。

 しかしその予想はすぐに両方とも大きく外れていたと思い知らされることとなった。


 余興が始まってから丁度2時間後、隠し扉から3人の男達が階段を下り、金髪の少女の前へ立った。

 手にしていた鍵で檻を開けると、嫌がる彼女に構わず引きずり出し、両脇を2人の男が固めて片方の部屋へ向かう。

 残された4人が不安げに見守る中、最後尾を歩く男が思い出したように振り返ると、青髪の少女を指差して言った。

「次はお前だからな、何をされるかちゃんと耳の穴かっぽじって聞いといた方が良いぜ? ついでに準備でもしといた方が良いかもな」

 げらげらと不快な笑い声を立てる男を、青髪の少女は意味が分からないといった様子で戸惑いつつ見送る中、セシリアだけはこれから始まるであろう茶番の正体に気付き、悲壮な声で男を呼び止める。

「待って……。待ってよ! 1週間耐えれば彼女達は逃がすって約束でしょ!?」

 男は面倒臭そうに振り返ってから、下卑た笑みを浮かべたまま事もなげに言った。

「別に1週間手をださねぇなんて取り決めはねぇだろうが。ハッターも言ってたぜ? 姫以外は好きにして良いってよぉ。新品が届いたんだ、夜になりゃもっと沢山来るぜ?」

 帽子屋が彼女達に期限を設けなかったのは、そもそも設ける必要がなかったからだ。

 この場所事態が彼女達に悪意と危険を浴びせ続けるのだから。


「離してっ! なにすんのよ!」

 少女の姿なき声はここに居る4人にも十分届いてくる。

 多分彼女達は隣の部屋がなにをする為に用意された場所なのか知らされていない。

 鉄の擦れる音、男達の下品な笑い声、直後に響いた少女の悲鳴は聞く者の心を凍らせるに十分だった。

「何なんですか……っ」

 今まで殆ど会話に参加しなかった茶色の毛をした、まだ幼い少女が、突然聞こえてきた悲鳴に訳も分からず怯える。

 もしかしたら彼女はリアルでもまだ幼い子供といえる年齢なのかもしれない。

 しかし、他の2人はそこで何をされているのか、ここからは見えずとも想像が付いたようだ。

 特に"次だ"と宣言された青い髪の少女の顔は恐怖で痛々しいくらい引き攣っている。

「嫌……私は嫌よッ。お願い、助けて! 貴女が助けを求めてくれれば私達は解放されるんでしょ!?」

 半ば錯乱した様子で格子を掴むと、あらん限りの力で揺すりながらセシリアに訴えた。

 けれど、その願いをセシリアが聞ける筈もない。

 帽子屋の狙いが何だったのか、今はもうはっきりと理解していた。


「ねぇ!? どうして何も言わないのッ!? お願いだから早く言って! 連れて行かれた子が何をされてるかくらい分かるでしょ!?」

 分かっていても、今のセシリアにできることなんて何もなかった。

 理屈と感情は別だ。

 悲痛な彼女の叫び声に無関心を貫けるほど、セシリアの精神は冷たくない。

「どうして助けてあげないの!? それができるのは貴女だけなのよ!」

 彼女達を思えばこそ、助けを求めるなんてできる筈がない。

 けれど、彼女達を思うが故に、悲痛な叫び声を無視する事もできない。

 最初は『お願い』だった青髪の少女の声は段々とセシリアを『責める』色合いに変わりつつあった。

 当然だ。目の前で酷い事をされている少女を助けられるのにも関わらず、ただ震えているだけのセシリアが、彼女にとって『悪』にならない筈がない。

「人でなし! 自分が同じ目にあっても同じように黙ってるわけ!? わざとらしく震えてないで何とか言いなさいよっ!」


 どんなに悪辣な言葉を投げかけられても、セシリアは反論なんてできなかった。

 溺れかけている人に「落ち着いて力を抜けば浮くよ」と冷静に話しかけて実践できる人がどれ程いると言うのか。

 助けを求めれば帽子屋がもっと酷い何かをすると正論を告げた所で、自分の身に危機が迫っている彼女が聞くはずもない。

 セシリアには彼女達を助ける術どころか、自分を助ける術すらないのだから。

 出来ることがあるとすれば、悪役を演じて彼女達の恨み辛みを引き受け、"事が終わった後"に生まれるであろう感情の捌け口となり、心の摩耗をほんの少しでも和らげる事くらいだ。

 けれど、自分に責任のない事柄で延々と責められ続けるのは辛い物がある。

 相手が自分に悪意を持って接しているなら無視もできるだろうが、彼女達には何の非もない。

 偶然帽子屋に目を付けられ、余興に付き合わされてしまった不幸な犠牲者達。

 或いは、自分と言う存在さえ居なければ彼女達はこんな目に合わなかったのではないかセシリアは思っていた。


「……ごめん、なさい」

 ぽつりと、セシリアの口から無意識の内に謝罪の言葉が漏れる。

 青髪の少女はそれを信じられないと言った表情で聞いた後、烈火の如く怒り狂った。

「なんで謝るのよ! 謝るくらいなら助けを求めなさいよっ!」

 少女の言い分は尤もなのに、セシリアは何も言えず、何もできない。

 そこへ突然、あの猛烈な痛みまで襲ってきて、セシリアの意識は遠のいていった。




 今度は回復薬による強制的な覚醒ではなく、ごく自然に眠りから覚めたような覚醒を果たす。

 あまりにも強烈な痛みはセシリアの意識をすぐに刈り取ってしまう為、直後に起こされでもしない限り精神的な負担は少ない。

 多少眩暈がするくらいで、人は良くも悪くも慣れる生き物であるとはよく言ったものだ。

 セシリアが横たわっていた身体をゆっくり起こすと、押し殺した泣き声に加えて、鼻につく生臭さが辺り一面に漂っていた。

 覚悟していたとはいえ、瞳に飛び込んできた景色は思わず吐きそうになるくらい酷い。

 気を失う前に連れて行かれた金髪の少女は再び檻の中に戻っており、白く細い身体には何も身に着けていなかった。

 白く透き通るような肌には痛々しい腫れが刻まれ、至る所に生臭い液体が付着しているが、それを拭う気力もないのだろう。

 反対側で頭を抱えている青髪の少女も似たようなものだ。

 どうやらセシリアが気を失っている間に、彼女の番が回って来たらしい。

 虚ろな瞳で膝を抱え、先程からずっとうわ言を繰り返している。

 残された赤と茶の髪の髪色の少女も檻の隅で縮こまって可哀想なくらい怯えていた。


 不意に、青髪の少女が起き上がったセシリアを捉えた。

 空虚だったの瞳が激しい憎悪と怒りで彩られ、激情の赴くままに格子を殴りつける。

 骨が鉄を叩く鈍い音に、3人の少女がびくりと肩を震わせた。

「一人だけお昼寝なんて気楽なものね……。全部、貴女のせいよ……」

 今にも消え入りそうなか細い声はおよそ感じた事のない程の憎悪に満ちており、耳にべたりと貼りついて剥がれない。

「今度はそこの2人だって……。こんな小さな子まで見捨てるわけ?」

 "次"という言葉にセシリアより幼い少女があからさまな反応を示した。目じりに涙を溜めていやいやと頭を振っている。

 まるで、この悪夢をセシリアが引き起こしているかのような言い分だった。

 元凶である男達に牙を向いても自分の立場を悪くするだけで何の得にもならない。

 行き場のない怒りや悲しみを向けられる場所があるとすれば、助けを求めなかったセシリアだけだ。


 無言を貫かざるを得ないセシリアは肯定も否定もできなかったが、それでは肯定しているのと大差ない。

 少女は憎悪と侮蔑を瞳に浮かべ、胸に渦巻くありったけの感情をセシリアへとぶつけた。

 男達によって刻みつけられた悪意から心を守るには、同じだけの悪意を誰かに撒き散らすしかないのだ。

 セシリアは相変わらず無言で少女の怨嗟を受け止めているが、そのセシリアとて、ただの一般人に過ぎない。

 謂れのない悪意を浴びせられ続ければ、心のどこかで「自分のせいではないのに」と思ってしまう。

 その度に湧き出してきた感情を噛み殺し、抑え続ければ、否応なしに心は疲弊していく。

「私も嫌ですっ。お願いします、どうか助けてくださいっ」

 そこへ、茶色の髪の、セシリアより幾分幼い少女の涙声が重なった。

 自分が男であると自覚しているセシリアにとって、少女の泣き声と懇願は胸を引き裂かれるような痛みを伴う。

 助けたいからこそ"助け"を求められないセシリアと、目前に迫る危機から助かりたい少女達ではどうしたって相容れない。

 帽子屋によって整えられた舞台には救いなんて一欠けらもなく、ただひたすら、悲劇の空回りが連鎖するように作られている。




「どうやら楽しんで頂けているようで何よりです」

 いつの間にか檻の前には帽子屋が立っていた。

 自慢のシルクハットを指で弄びながら、酷い表情のセシリアを見て楽しそうな笑顔を浮かべる。

「もう止めてください……」

 余興を始めたのが帽子屋なら、終わらせる事ができるのも帽子屋だけだ。

「言う事も全部聞くから、だから彼女達は逃がしてあげて」

「それは、助けを求めてたという認識で宜しいでしょうか?」

 狭い檻の中で這い蹲って頭を下げるセシリアに、帽子屋はあくまでも譲らない。

「……っ。違い、ます」

 素直に頭を下げて言う事を聞いてくれるなら苦労する相手ではないと分かったうえでなお、言わずにはいられなかった。


「さて皆様、ここで隠されたルールを明かしましょう」

 唐突に明るい声を張り上げた帽子屋に誰もが身を強張らせたものの、隠されたルールには反応を示す。

 その中でただ一人、セシリアだけは嫌な予感しかしなかった。

「国民には労働の義務があります。既にお二人は労働が何を表すのか身を以ってご理解頂けたと思いますが、あんなものはまだまだ可愛い分類です。これから日を追う毎に忙しくなりますので、過労死には十分お気を付けを」

 帽子屋の言葉に、金髪と青髪の少女は身体を隠す事も忘れて愕然とした。

 先程の内容でさえ、2人にとっては受け入れ難い苦痛の連続で気がおかしくなりそうだったのに、それが"可愛い分類"だと称された以上、翌日は、さらにその翌日はより過酷な行為が待ち受けている事になる。

 隣の部屋で視界に映った見るからに恐ろしげな器具の数々はまだ記憶に生々しく残っていた。


「それからもう一つ。我々は姫に一切手を出しません。そして国民である貴女方が労働に励み続ける限り、姫の生活は保障されます。国民が解放される条件は姫が国民を"助けて"と願った時だけ。ご理解頂けましたかな?」

「なに、それ。じゃあ私達が無理やり働かされ続ける限り、この子は生活も安全も保障されてるって事……?」

 国民には労働の義務があり、彼女達はそれを拒否できない。

 拒否できない以上、労働は維持され、姫であるセシリアの生活は保障され続ける。それも、一切手を出されないと言う彼女達からすれば破格のオプション付きで。

 自分達とは比べ物にならない高待遇に、4人の眼つきが険しい物へと変わった。

「そんなの……解放される訳ないじゃないッ!」

 金髪の少女が叫んだように、帽子屋の告げた隠しルールはあまりにも不公平だ。

 国民が解放されるには姫が"助け"を願わなければならないのに、姫が"助け"を願っても生活を保障してくれる国民を逃がしてしまうだけでメリットがない。

 押し黙ったまま国民を強制的に働かせている限り、生活も安全も保障されるのだから。


「ええ。ですからもう一つ隠しルールがございます。姫を恨めばいいのです。貴女方の恨みの強さに従って、姫に着けられた隷属の首輪が定期的に発動します。身に覚えがあるのではないですか?」

 その言葉に青髪の少女がはっとなって顔を上げる。

 あらん限りの憎悪をぶつけた時、セシリアが確かに気絶したからだ。

「隷属の首輪の苦しみはご存知でしょう。傲慢な姫を懲らしめられるのは国民たる貴女方だけです。どうぞ存分に姫をお恨みください。その苦しみに姫が耐えられなくなったとき、きっと姫は貴女方の解放を願うでしょう」

 あぁ、そうだったと、セシリアは帽子屋が自由の翼に何をしたのかを今さら思い出す。

 対立構造を生み出し、互いに互いを憎悪させる寸劇が、彼の最も得意とする分野だ。


「じゃあなに。最初にあの子が言っていた、1週間経ったら助けるとか、助けを求めたら私達が処分されるとかいって言う話は……?」

「はて、何の事でしょう。私は存じ上げませんね。なにせ他人を利用するのが得意な、あのプロネカマたるセシリア嬢ですから、都合の良い嘘なんてお手の物ではないですか?」

 青髪の少女の質問に、帽子屋は何の事かと両手を上げて知らぬ存ぜぬを突き通す。

 そして最後にセシリアへと近づき、取り出した薬品を飲ませる傍ら、耳元でそっと呟いた。

「賢い姫なら全てのルールが成り立つことにお気づきですね?」

 帽子屋の告げた最後の台詞は"ルールである"と前置きしていない。故にただの欺瞞に過ぎない。

 けれど、今や完全に敵意に彩られた4人の国民達がセシリアの話を信じるとは思えなかった。


「今しがた姫様に呑ませたのは"スタン"の耐性増加薬です。隷属の首輪の欠点はあまりの痛みに耐えかね、一瞬で気を失ってしまう所にありますが、スタン耐性の高まった今、姫様はそう簡単に気絶できません」

 楽しげに告げる帽子屋の台詞に、今度はセシリアが恐れ戦く。

 今まで3回とはいえ首輪のもたらす純粋な激痛に耐えられたのは一瞬で意識が刈り取られたからであって、数分もあの苦しみが続けば気が狂いかねない。

 少なくとも、精神的な損耗は加速度的に早まるだろう。

「次のお仕事まであと2時間です。それでは、引き続き余興をお楽しみください」

 既に会話でとりなせる限度を大きく逸脱していた。

 4方向から向けられる鋭い視線にセシリアの身体が縮こまる。

 自分達はこんなに辛い目にあっているのに、一人だけ安全圏に居るなんて許せない。

 攻撃手段を得た彼女達の行動は迅速で遠慮の欠片も見受けられなかった。


「どこかで見た顔だと思ってたけど、そっか、あの有名なセシリアだったんだ。最初から全部騙してたわけね。手のひらの上で踊る私達を見て内心ほくそえんでたんでしょ」

 彼女は自分の身に起こっている全てが、まるでセシリアのせいであるかのように語る。

 『自分達を助けられるのに自己保身に走って見殺しにしているのだ』、と。

 国民を助ければ姫の生活は保障されなくなると帽子屋が明言した以上、彼女の言い分はセシリアに"犠牲になれ"と言っているに等しい。

 それがまかり通るのであれば、セシリアが彼女達を犠牲にするのもまた、まかり通らなければならない矛盾に、少女は気付いていなかった。

 いや、気付いていないのではなく、気付かないようにしているのだ。

 諸悪の根源が誰であるかははっきりしている。帽子屋だ。

 だというのに、誰も帽子屋へ怒りをぶつけないどころか、彼の言葉を疑ってすらいない。

 ……帽子屋の言葉が正しいかなんて、もうどうでもいいのだ。

 勝ち目のない相手に真っ向から反抗しても何の得にもならないのは周知の事実なのだから。

 ただ心置きなく憎める相手が出来ただけで、彼女達には救い足り得る。

 そしてセシリアも今さらそれを拒もうと思わなかった。

 1週間耐え忍べばこのくだらない余興は終わらせられる。分かって貰う必要なんてない。



 時計のない空間では1分が1時間のように感じられ、特に"次"だと言われた2人の憔悴は見るに堪えない状態だった。

 それでも時間は過ぎる。

 2時間後、階段から降りてきた男達によって、半ば錯乱状態の2人が引きずり出された。

 暴れまわるものの、両者の力関係は歴然としている。後衛職らしき少女達が前衛職である男達に敵う筈もない。

 助けを乞う悲鳴は恐怖と絶望に満ちていて、セシリアは咄嗟に助けを求めそうになる口を噛み締める事で強引に塞ぐ。

 彼女達を助ける為にはこうするしかないと分かっていても、耳をつんざく悲鳴は容赦なくセシリアの心を抉った。

「あの子が幾つだと思ってるの!? なのに……あんたには良心って物が少しもないわけッ!?」

 青髪の少女の罵りに、強く握り過ぎた手のひらを爪が裂きぷつりと血が垂れる。

 隣の部屋から聞こえてくる少女達の悲鳴はセシリアの精神を大きく掻き乱し、思わず「違う」と叫びたい衝動に駆られたのを、寸での所でどうにか飲み込んだ。

 叫んでどうなると言うのか。今の彼女達を支えられるのは強い憎しみと言う感情だけなのだ。

 例え彼女達が真実を理解したとしても、感情の捌け口を失えば精神がもたない。


 そこへ、またあの痛みがセシリアに降りかかってきた。

「っ!?」

 視界は依然と同じように明滅を繰り返し、あらゆる音や感覚は消え去り、ただ苦痛だけがセシリアと言う存在を塗り潰していく。

 帽子屋の飲ませた耐性増加薬の効果は絶大だった。

 以前なら既に吹き飛んでいた意識は未だ残り続け、終わりの見えない地獄にのたうつ。

 いつ終わったのかも分からない。

 気付けば身体を包むドレスに顔を埋め、喉を詰まらせながら大粒の涙を流し続けていた。

 未だ痙攣が収まらないセシリアを見て、檻の中に残された2人の少女はいい気味だと耳障りな笑い声を立てる。

「次はもっと苦しめてあげるわ。……そうよ、もっともっと苦しめばいいのよ。それが嫌なら私達を助けなさい」


 セシリアの心の中で何かがピシリと音を立てた。

 ――人の苦労も知らないで――

 隷属の首輪による拷問は容赦の欠片もなく、ひたすらに暴力的で心を揺さぶる。

 何かをしようとする意志を粉々に砕き、逃れる為にどんな命令でも頷く人形へ変えてしまう。

 ――もういいじゃない、本人が望んでいるんだから、助けを求めても――

 隣の部屋から聞こえてくる鳴り止まない悲鳴が、少女達の罵りが、拷問によって砕かれつつあるセシリアをある結論へと追い立てた。

 ――悪いのは彼女達で、私じゃない――

 その瞬間、我に返ったセシリアの口から絹を裂いたような悲鳴が漏れる。

 今、自分は一体何を考えて、何をしようとしていた?


 彼女達は帽子屋に騙されているだけで、何も悪い事なんてしていない。

 悪いのは彼女達ではなく、こんな余興を計画して始めた帽子屋とそれに付き合っているお茶会のメンバーだ。

 彼女達が自分を責めるのは帽子屋がそうやって仕組んだから。

 それを知りながら、彼女達に悪役を押し付け、死んでも構わないと考えた自分が何よりも恐ろしかった。

 逃げ場がないと言うのは、つまりこういう事だ。


 突如怯えだしたセシリアに2人の少女は驚きを隠せなかったが、子供のように泣きじゃくる姿を見ていると徐々に怒りが湧いてくる。

 ――自分だけは安全地帯に居る癖に――

 ――身を穢される苦しみも知らない癖に――

 何の罪もない筈の両者のは確執を深めるばかりで、坂を転がる岩のように止まることなく悪い方向へ駆け下りていく。

 破裂するのは時間の問題だった。




 翌日には一番幼かった少女が壊れた。

 殆ど何もしゃべらず、空虚な瞳で身体を横たえているが、時折狂ったようにけたけたと笑ったり、突然泣き叫んで暴れたり、居もしない誰かに機嫌よく話しかける事もある。

 感情の制御が上手くいかず、自我が崩壊しかかっているのは明らかだった。

 けれど、男達は知った事かとばかりに今なお余興を終えるつもりはない。

 一方でセシリアにだけは温かい食事と換えの服まで与えられ、待遇の差をこれ見よがしに見せつけた。

 人は良くも悪くも慣れる生き物だ。

 少女達から投げかけられる侮蔑の言葉がセシリアの心に段々と刺さらなくなっていく。

 ある種の開き直りとも取れる感情の変化は、隷属の首輪の発動と同時に爆発しそうになることもままあった。

 いつか本当に何の罪もない少女達を生贄に捧げてしまうのではないかという恐怖ばかりが膨らみ、セシリアの心を蝕んでいく。


 帽子屋の余興はセシリアを追い詰めるのにこれ以上ないくらい効果的だった。

 セシリアは過去、妹を助けるつもりが逆に苦しめてしまい、生きる意味を失いかけている。

 猛烈な自己嫌悪から抜け出せたのはその妹に許されたからこそだ。

 彼女の為に裏で努力していた事を認めて貰えた経験は、しかし美談で終わらない。

 自分は妹を助けようとしたから生きる意味を与えられたのだという思い込みが、誰かの為なら自分の身を犠牲にするのも厭わない歪な精神構造を作り上げてしまった。


 帽子屋はそんなエピソードを知る由もなかったが、自由の翼の一連の活動を調査する中でセシリアの異常な献身性は理解している。

 まるで自分の命なんてどうでも良いかのように振る舞う記録には帽子屋と言えど眉を顰めた。

 これでは今まで彼がしてきたような拷問にかけたとしても、簡単に屈服してくれるとは思えない。

 いっそ殺してしまえれば楽だと言うのに、帽子屋にはセシリアを殺せない理由と、牢獄の中で隔離し続けておけない理由があった。

 だからこそ、二度と反抗しようと思わなくなるくらい徹底的に心を折り、絶対的な服従の印を刻み付ける必要がある。

 だが、当の本人が命すら惜しくない精神構造をしていてはどんな拷問も意味を成さない。

 どうした物かと考えていた帽子屋だったが、不意にその精神構造にこそ弱点があるのではないかと考えた。

 その集大成がこの余興である。




 3日目の朝、隷属の首輪の拷問から目覚めたセシリアを迎えたのは山と積まれた、夥しい血と白い骨で彩られた肉の山だった。

「姫様の助けに馳せ参じて、この帽子屋、不届きな国民どもをご覧の通り処分致しました」

 あっけらかんと言い放つ帽子屋はこれ以上ない程の笑顔でセシリアに笑いかける。

 さも、それが隔離されていた少女たちのなれの果てであるかのように。

 実を言えば、積み上げられた肉の山は人間の物ではない。お茶会のメンバーが外で狩ってきた魔物をそれらしく飾り付けただけのものだ。

 だが、当然のことながらセシリアがそれを知るはずもなく、帽子屋の思惑通り、少女たちのなれの果てだと誤解する。


「な、んで……」

 目の前の光景が信じられず視界がぐにゃりと歪み、耳鳴りがわんわん響く。

 むせ返る生臭さに、セシリアは堪えきれず胃の中の物を吐き出した。

「姫は願ったではありませんか。私を助けてと」

「違う、私は願ってなんかないっ」

 セシリアにそんな記憶はない。否、ある筈がない。

 これは全て、帽子屋が仕組んだ余興でしかないのだから。


「いいえ、確かに願いました。国民に理不尽な苦痛を与えられた後、姫はもう嫌だと泣かれました」

 今までだって数えきれない程そう思ってきた。

 一生分の涙を使い果たすくらい泣きじゃくった。

 だから、帽子屋の台詞はセシリアにも身に覚えがある。


「姫はきっと国民から浴びせかけられる非情な言葉に心を苛まれたことでしょう」

 心と身体を目の前でずたずたにされた少女達の、怨嗟に満ちた言葉が少しも刺さらないなら、それはもう人ではない何かだ。

 今はただ捌け口になるしかないと理性では理解していても、感情が耐えられるかはまた別問題である。


「だから姫はとうとう、国民の皆様方を告発したのです」

 遂に我慢の限界に達したのだと、帽子屋は告げた。

 何度も爆発しかけたセシリアは、それを否定できずにただ小さく震える。

 そして、最後に。

「姫は自らの助けを願いました」

 その結果にできた"モノ"を帽子屋が指さした瞬間、身を削られるような悲鳴が地下室を満たした。


「違う、私はそんなの言ってない……」

 セシリアは頭を抱えて震えながら自分に言い聞かせるように何度も何度も呟く。

 助けを求めようとしたのが1度や2度ではなければ、声に出す直前で我に返り噛み殺した時もある。

 いつかそれが間に合わず、口を滑らせてしまうのではないかと怯え続けていた。

 心が一番不安定になる拷問の直後で、絶対に言わなかったと自信を持てるはずがない。


 言ったかもしれないし、言わなかったかもしれない。

 セシリアがどうにか精神の均衡を保てているのは、そのどちらが正解か確定していないからだ。

 自分が覚えていない以上、帽子屋の嘘だと思いこむ事で身を守ることもできる。

 しかし当然、帽子屋はそれを許さない。

 最後に残されたセシリアの悪足掻きを砕くべく、にこりと笑みを浮かべて告げる。


「分かりました。では姫様が納得できるように、もう一度最初からこの余興をやり直しましょう」

 たったそれだけで、罅だらけのセシリアの心を砕くには十分すぎた。

 本当に助けを口にしていなかったとしても、選択肢として思い浮かんでしまった時点で、いつか口にするであろう事は明らかなのだから。

 何より、あの地獄をもう一度繰り返す精神力なんてどこを探しても見つかりはしない。





 それからすぐにセシリアは檻から出され、屋敷の一室を宛がわれた。

 以前の溌剌とした様子は微塵も感じられず、瞳は後悔と懺悔の思いで深く沈んでいる。

「あの余興を繰り返したくなければ、分かっていますね?」

 帽子屋の確認にセシリアは酷く怯えながら頷いた。

 その何処にも反抗心は窺えない。完全な傀儡と化した姿に、帽子屋はとても満足げだった。

「貴女の出番もすぐに来るでしょうから。それまでは大人しくしていてください」

 どの道、隷属の首輪をしている限りこの屋敷から出られない。

 帽子屋は最低限の監視だけを残して本当に服従しているのかどうか様子を見るつもりだった。

 一人残されたセシリアはそのままベッドに倒れ込む。

 溢れてくる涙を胸に抱いた枕に押し付けて、ただひたすらにごめんなさいと謝り続けていた。

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