気ちがい達のお茶会-3-
「元の世界へ帰る方法が城塞都市アセリアで見つかりました。まだ詳細を確認している最中ですが、きっと皆さん一緒に帰れますよ」
城塞都市アセリアでの一件から3日後。
防衛任務に参加していた自由の翼のメンバーがリュミエール騎士団と一緒に帰ってくるタイミングを待って屋敷の庭に全プレイヤーを集め、元の世界に帰る方法が見つかったと伝えた。
あちこちから歓声が巻き起こる中、高い壇上に立ったセシリアはその様子を注意深く窺う。
余程嬉しかったのか、仲の良いプレイヤー同士で肩を組んだり、抱き合ったり、嬉し涙を流している。
反面、表立って反論しないもののどこか残念そうにしていたり、不満そうな表情を浮かべているプレイヤーも散見できた。
自由の翼にも帰還を心から望んでいないプレイヤーが少なからず存在するという事実に、セシリアの内心は穏やかでない。
帽子屋に管理されている城塞都市アセリアのプレイヤーが、リュミエールのプレイヤーに接触しないとは限らない。
全員が強制的に帰還させられる件もいつかは知れ渡る。その時何が起こるのかはセシリアにも予測がつかなかった。
A-Mad-Tea-Partyの企みや三日月ウサギが起こした事件の詳細を語れないのも重く胸に圧し掛かる。
話せばどうしても"何故そんな事になったのか"を説明しなければならない。
一つの嘘を隠し通すのには沢山の嘘が必要になる。
それでも、この事実だけは伝えなければなるまいと真剣な表情で声を張り上げた。
「落ち着いて聞いてください。城塞都市アセリアはA-Mad-Tea-Party、お茶会と呼ばれていたギルドが取り纏めています。彼らは抵抗できない低レベルのプレイヤーを集め、奴隷として働かせているそうです。絶対に口車に乗らないでください」
喜びに浸っていたプレイヤーが驚愕に揺れる。
俄かには信じられない話だけあって、まさか、そんなはずがといった戸惑いの声が波紋のように広がっていく。
具体的な内容を話せば信憑性も増すだろうに、それができない歯痒さを今はただ堪えるしかない。
「最後に、城塞都市アセリアはリュミエールより治安維持活動が活発です。領主様に身分を保証して貰える書状の発行を依頼しますので、配布されるまでは絶対にリュミエールから出ないでください。この街にいる限り皆さんの安全は保証されています。でも、街の外はその限りではありません」
セシリアは帽子屋が奴隷の活用に城塞都市アセリアで取り入った権力者を利用していると考えていた。
彼が幾ら有能だとしても、量産した奴隷の管理や、働き先を探して売り込みむなんて真似を短期間でこなせたとは思えない。
元から奴隷の扱いに長けている現地の協力者がいるとみてまず間違いだろう。
奴隷商会か、それを取り纏めている貴族かは分からないが、この世界の権力者と繋がっているならば、リュミエールの領主が身分を保証している、つまり後ろ盾になっているというカードはきっと役に立つ。
グレゴリーは由緒正しい家柄の大貴族だ。生半可な奴隷商会や貴族ではおいそれと手が出せる相手ではない。その息が掛かった人間だと分かればトラブルを避ける筈だ。
同じ理由から、グレゴリーの威信が掛かっているこの街で大きな騒ぎを起こすとも思えない。
この街に留まる限り安全は保障されているといっても過言ではなかった。
問題はグレゴリーに何のメリットもない身元保証人を引き受けてくれるかどうかだったが、丁度良い交渉材料が転がり込んできている。
説明を終えたセシリアはまだ興奮の冷めていないプレイヤーを残し、屋敷の奥にある応接間へと向かった。
暖かな陽光を取り入れる窓はまだ昼まだというのに全て厚手のカーテンでぴったりと閉じられており、変わりに陰気くさい蝋燭の薄明かりが室内をぼんやりと照らしている。
「お役目ご苦労さん」
カイトが労いの言葉をかけるや否や、セシリアが疲れたとばかりに思いきり息を吐く。
「しっかし、嘘はあんまり良くねぇと思うぞ? 巡り巡っていつか自分に返ってくるからよ」
「必要な嘘だってあるよ。セシリアさんが頑張ってくれてるのは僕らの為でもあるんだから」
隣では今回の提案に乗り気ではない親方を、息子であるユウトが宥めていた。
「嬢ちゃんの言ってることも分かるさ。だけどよ、嘘って言うのは相手を信じてないってこったろ?」
「お父さん!」
それでもなお煮え切らない親方へ、遂にユウトが我慢しきれず咎めるような口調で名前を呼ぶ。
「良いんですよ、ユウトさん」
親方の言い分は何も間違っていない。相手を信じていないのは事実だ。その事実に、セシリアの胸がずきりと痛む。
彼の根が正直なのはセシリアも良く知るところだ。
以前はそれを好ましいけれど馬鹿げているなんて断じていたのに、今は眩しくて少しだけ羨ましい。
相手を信じるのは今も怖い。フィアやリディアのおかげでほんの少しだけ解消されたものの、誰でもという訳には行かなかった。
心から信じられるのは今のところ、真っ直ぐな気持ちを向けてくれたリディアとリリーとフィア、馴染みのあるカイトくらい。
ケインを初めとした馴染みのある狩組のメンバーもほんの少し、匙一杯分くらいは信じている。
たった数人といえど、過去の事件から今まで家族以外の誰も信用できなかった状態から比べれば大きな進歩と言えた。
が、裏を返せば、その他大勢に関しては匙一杯分も信じていないと言うことになる。
「全てを話して自由の翼が混乱……いえ、分裂しないという保障はありません。お茶会が信用できない以上、付け入る隙を作りたくないんです」
セシリアはそう言って部屋に集まってもらったケイン、カイト、親方、ユウトに頭を下げる。
真実を知るのが2人ではいささか少なすぎると判断し、信用できる3人にもアセリアで起こった全てを話した。
「話さなかった責任は全て僕が持つ。だから今はまだ、それぞれの胸の中にしまっておいて欲しい」
ケインの援護射撃に3人は強く頷く。
「他ならぬ嬢ちゃんの頼みだ。言われなくとも話したりしねぇよ」
意に沿わぬといえ、親方は一度口にした言葉を反故にしたりしない。
怖いのはついうっかり口を滑らせることだが、近くにユウトがいればフォローしてくれるだろうと信じることにする。
「ん? 何笑ってんだ?」
「……え? あ、いえ、なんでもないです」
いつの間にか微笑んでいたセシリアに親方が首を傾げる。
以前の自分なら、きっとこの場に親方は呼ばなかっただろう。その進歩がほんの少しだけ嬉しかったのだ。
「そうだ、それからケインさんに渡したいものがあるんです。結構重いし手間も掛かりそうなので後で時間をください。とりあえずこれから領主様の所に行って話を詰めて来ますね。そこで身分保証、後見人の話もしてみようと思います」
微笑んでいた理由を知られるのに気恥ずかしさを感じ、急いで本題に戻る。
今朝方、自由の翼宛てにグレゴリーから依頼が届いた。
どうもリュミエールに程近い小さな集落から見たこともない魔物に襲われたと報告があったらしい。
森を抜けてきた魔物が他にいる可能性がある為、自由の翼も討伐に協力してくれないかという話だ。
不謹慎ではあるが、交渉材料としては申し分ない。
「皆さんはこのまま準備をお願いします。……それであの、1つだけ我侭を良いですか?」
始めからこの依頼は受けると決めている。事前準備を頼む傍ら、セシリアは言い淀みながら珍しくお願いをした。
「構わないよ。どうかしたのかな」
「今回はここに残りたいんです。いえ、勿論魔物が潜んでいる地点からポータルゲートを頂ければ討伐には参加します。でも、その、今はリディアの傍に居たくて……」
あれから3日も経つというのに、リディアは未だセシリアに腕が回復したことを言い出せていない。
いや、既に数えるのも億劫になるくらい言い出そうとしているのだが、その度にセシリアがまるで示し合わせたかのように過剰なスキンシップを挟んできて中断されてしまうのだ。
リディアを睨むリリーの眼力は日を増すごとに強くなっているものの、リディアが自分で言わなければ意味はないと弁えているようでだんまりを決め込んでいる。
今では積み重なる罪悪感と無防備なセシリアからもたらされる幸福感の板ばさみで本当に病人のようにやつれていた。
セシリアはそんなリディアの様子を片腕が動かなくなったせいだと信じて疑わず、さらに過剰に世話を焼くという悪循環にはまりこんでいる。
「そうだね。今は傍にいてあげるといいよ。ダンジョンの奥にでも行かない限りそれ程危険な敵は出ないと思うから、僕らだけでも大丈夫。もし万が一君の力が必要になったら、その時はお願いするよ」
甲斐甲斐しく世話をするセシリアの姿はケインも良く目にしているだけあって、勿論だと頷いた。
「はい。ありがとうございます」
「気にしなくて良いよ。今までだって十分すぎるほど頑張ってくれたんだ。少しくらい休んだって文句は言わせないから」
これで最近元気のないリディアの様子をずっと見ていられると安堵したセシリアに続いてカイトも声を上げる。
「あー、ちょっと良いか? 俺もセシリアと一緒に残りたんだ。無茶しないか監視役は必要だろ? 前みたいのはもう沢山だ」
カイトも、セシリアを止められずリディア一人に大役を押し付けた結果、怪我までさせてしまったと酷く後悔していた。
ちなみにカイトは腕が治っているとリディア本人から聞かされている。
いや、正確にはセシリアを除く主要メンバー全員がリディアの腕はとっくに治っているのだと知っている。
誰もがリディアの意思を優先して、或いは自己犠牲にばかり走って周囲を心配させるセシリアを反省させるべく黙っているのだ。
「はは、そうだね。じゃあカイトにはセシリアの監視をお願いしようかな」
「うぅ。もうしませんってば」
十分な信頼を勝ち得ているセシリアだったが、一人にすると何をしでかすか分からない点に関して言えば全くと言っていいほど信用がない。
自室に戻って会談用の正装に着替えている最中、待てども来ないセシリアに痺れを切らしたのか、隊長のゼフェルが直々に馬車で迎えにやって来る。
相変わらずむすっとしているが、馬車に乗り込もうとするセシリアへ手を貸すくらいには紳士らしい。
がたがたと揺れる馬車の中で人となりを知るべく色々な話題を振ってみたのだが、どれも一言二言で途切れてしまう。
結局諦めて重苦しい沈黙に包まれる中、屋敷までの短いようでいて長い十数分間を過ごした。
どうやら会談にはゼフェルも参加するらしく、案内役のメイドも伴わずに勝手知ったる我が家とばかりに広い屋敷内をずんずん進む。
やがて以前使った応接間の前に来ると両手で扉を開け放ち、ぞんざいな態度で言った。
「連れてきたぞ。始めるとしようか」
「……ノックくらいはして欲しいところだね」
不躾な態度にグレゴリーは苦言を呈するが、ゼフェルは意に介さない。
「……勝手に決めた事をまだ怒ってるのか。軍部の調整も一応領主の役割だろう?」
「親父さんの遺言に軍部は俺に任せるとあっただろう?」
「任せるじゃなく、言う事を良く聞いて協力しろだろ。基本は任せているじゃないか」
ふんっと鼻を鳴らしたゼフェルに、グレゴリーが大きな溜息を漏らす。
それからセシリアを見て、わざとらしく1度、咳払いした。
「おっと、すまないね。外部の人が居るところでする話ではなかった。どうやら君に対する警戒心が大方抜けたらしい。早速だけど本題に入ろうか」
事の発端は2日前、ここから馬で1日と掛からない4つの集落が魔物に襲われたのが始まりだ。
内2箇所の集落では街道を警邏していた騎士団と接触。
こちらは20人がかりだったというのに、たった1匹を討伐で半数が重軽症を負わされた。
まだ訓練中で熟練とは言い難いが、オーク程度なら難なく打ち倒すくらいの実力はある。
にも拘らずこれだけの被害を出したということは、オークとは比べ物にならない程強力な固体だと推測できた。
報告に戻った軽傷の騎士によると、魔物は馬ほどもある頭が2つ付いた黒い狼だったらしい。
目は死んだように虚ろで、口からは悪臭の酷い涎が耐えず溢れており、悪魔の化身だと騒ぎたてていた。
「リュミエールでは一度も報告されたことのない種類で、最低でも4体。もしかしたらオークが森の中を通ったせいで深い部分に住んでいた魔物が追い出されたのかもしれないね。ともかく、これ以上領内で好き勝手に暴れさせるわけには行かない」
グレゴリーの説明した魔物にセシリアは心当たりがあった
ケルベロス。冥府に繋がっていると言われている洞窟型ダンジョンの中盤で出てくる、2つ頭の獣型モンスターである。
高い攻撃力と俊敏性を持つ反面、行動パターンは単純でHPも低い。
火と光属性に弱く群れで襲ってくる為、近づかれる前に片端から薙ぎ払えれる火力さえあれば凄まじい効率を叩きだせる人気狩場のMobで、その外見からわんこそばと呼ばれ親しまれていた。
だが、リュミエール周辺でポップするなんて話は聞いたこともない。
ゲームとこの世界は非常に似通っているが、独自に発展した部分もあるようなので、洞窟から抜け出した固体が偶然迷い込んだ可能性もなくはないのかもしれないが、イマイチ引っかりを覚える。
とはいえ、自由の翼のレベルからすればオークよりちょっと強い程度の雑魚でしかなかった。
ケルベロスは群れ単位で行動するから厄介なのであって、単体なら比較的低レベルでも十分対処できる。
そう伝えると、グレゴリーは満足げに大きく頷いた。
「実に頼もしいね。それから今回は騎士団からの要望で、混成部隊を作って対処に当たることになった」
「混成部隊、ですか?」
突然の申し出にセシリアは戸惑いの声を上げる。
「今後、君達と組む機会は増えるだろうからね。今の内に連携を取れるようにしたいんだ。恥ずかしい話だが、騎士の中には平民と一緒に戦うのを好ましく思っていない貴族もいるんだよ。だから間近で君達の実力を発揮してもらって、彼らの鼻を明かして欲しい」
グレゴリーの言うことは最もだが、騎士団員の目が常にあると転移魔法や高度な治癒魔法を開けっ広げに使うのは躊躇われる。
どうしたものかと悩んだセシリアに、グレゴリーは苦笑してからもう一つ条件を追加した。
「君達にも知られたくない事はあるだろうから、今回の混成部隊は同じ目的地に同じルートで向かうだけで良い。できれば積極的に交流して欲しいけど、同じキャンプで寝食を共にしろとまでは言わないよ」
知られたくない魔法を使う時は離れて使用することもできる。
随分と大胆な配慮が窺える条件に、セシリアはそれならばと頷いた。と同時に、こちらの要件を伝えるのも忘れない。
「領主様に一つお願いがあります。身分を保証してくれる書状を私達全員に発行していただけませんか」
身分の保証というのはそれなりに厄介な問題だ。
保証した人物が何か問題を起こせば、保証したグレゴリーにも責任が降りかかる。
「リュミエールの領民証程度ならすぐに出せるが……」
一口に身分の保証と言っても、領主の権限を代行する大掛かりな物から、ただの通行証まで様々な種類がある。
グレゴリーが即断できたのは中でも比較的軽い、領民であることを保証する証明書までだった。
「勿論それで構いません」
「分かった。人数が多いからね、7日くらい掛かりそうだけど構わないかな」
「はい。ありがとうございます」
セシリアやケイン個人にならともかく、無暗に重要な証明を発行するわけにはいかない。
今はそれだけでも十分だった。
自由の翼をリュミエールに取り込もうというのは本気らしい。
グレゴリーの態度は以前とは比べるまでもないくらい軟化していて、互いに譲歩できるラインを探り合う無駄な時間はなくなった。
「襲われた4つの集落は距離がある。広範囲に分布している可能性があるとみていい」
「それなら分隊単位で分散して行動しましょう。襲われた4つの集落を中心に各隊が別ルートを取り、森で合流するのはどうですか?」
「しかしそれでは戦力的に問題が出ないか?」
「自由の翼で調整します。高速詠唱の出来る魔術師が居れば一人でも対処できますから。万が一の場合は狼煙で隣接する部隊の協力を仰げるよう配置とルートを調整しますしょう
詳細をただひたすらに淡々と取り決めるだけの会談はとんとん拍子に進み、終わるのはあっという間だった。
最後には自然と握手まで交わして、有意義な時間に揃って満足する。
広範囲の探索が必要になる為、狩組全員で事に当たる必要があるものの、得られる報酬も大きい。
馬車の送迎を受けて屋敷へ戻ったセシリアはすぐに召集を掛け、作戦の打ち合わせに入った。
翌々日、なるべく早く出発したいというグレゴリーの意向もあって準備もそこそこにリュミエールを発つ。
反対意見は殆どなかった。オークとの戦いで少しは自信がついたのか、或いは帰還方法が見つかってやる気に満ち溢れているのか。
帰還方法を詳しく調べる為に残るという事にしたセシリアに、誰もが満面の笑みで宜しくと頭を下げていたのを思えば後者かもしれない。
ここ数日思い悩むことの多くなったリディアの世話をこれでもかと焼きながら、頭の片隅で今後の方針を煮詰める。
一番の問題はお茶会と帰還アイテムを持ち去った一派だろう。
お茶会はアイテム奪還を目標に掲げているが、セシリアにはそれが建前に思えて仕方なかった。
本当は元の世界に興味などなく、自分がこの世界で何不自由なく暮らす為にプレイヤーを利用し、盤石な地盤を作ろうとしているだけなのではないか。
大義名分や慈善活動にかこつけて利益を得るのはお茶会の得意分野だ。
借用書を書いたのはプレイヤーと言えど、騙す形で奴隷にするなんて、まさしく"気ちがい"と評するしかない。
でも、それならどうして自由の翼に同盟へ加入して欲しいと告げたのだろうか。
それも、時間が無いから決断を急いでくれと脅しつけてまで。
元の世界に帰る気が無いなら、対抗戦力が集まらない状況を維持するのが一番好ましい筈だ。
何も難しい話ではない。自由の翼が裏で三日月ウサギと繋がっているか調べる時間をくれと言えば何ヶ月でも停滞させられる。
なのに帽子屋は時間が経つほどこの世界に慣れ、同盟内の戦う意思が薄れてしまうかもしれないという至極真っ当な意見を口にした。
奴隷になった青年の話を聞くまでは、帽子屋も帰りたいのだと何の疑いもなく信じてしまったくらいだ。
どうして停滞を望むはずの帽子屋が事態を動かそうとしたのか。その意図が幾ら悩んでも見えてこない。
元の世界に帰りたい気持ちがあると信じさせる為? いいや、それならもっと上手い言い回しは幾らでもある。決断を急がせる意味はない。
まるで彼の心の中には帰りたい気持ちと帰りたくない気持ちが同居しているようだった。
出発した狩組を見送った後はリディアの部屋に行く。彼女にも城塞都市アセリアで起こったことを全て話していた。
今は堅苦しい病室から作業部屋に戻っており、最近良く眠れないのだとついうっかり漏らしたのを聞いたセシリアによって、今はベッドの中へ追いやられている。
隣には薄い寝巻き一枚のセシリアがぴったりと肌を密着させる形で添い寝していた。
眠れない原因はそこにあるのだが、嬉しくないはずがないリディアが言い出すわけもなく、疎いセシリアが気付く筈もなく、負のスパイラルはここでも続いている。
黙っているとそのまま手が伸びそうなリディアは変な気が起きないように、こうして難しい会話で気を紛らわすしかなかった。
「実は本当に頭がイカレてるとか」
リディアの言葉にセシリアが唸る。
イカレ帽子屋の名前は伊達ではないということだろうか。
「……いえ、そんな筈ありません。あんな策略で大勢のプレイヤーを嵌めたんです。巧妙に隠しているだけで、何か絶対に企みがあります」
それが分からない以上、安全圏であるリュミエールに籠もって様子を見るしかない。
「でもそんなに計画的なら、奴隷になった青年が逃げられるのかなぁ。それとも現場は杜撰とか?」
せめて何か一つ手がかりになるものがあればと思い悩んでいると、リディアが何気ない疑問を吐露する。
その瞬間、ぴくり、とリディアに触れていたセシリアの手が撫でるように動いた。
くすぐったさと気持ちよさが入り混じった不意打ちに、リディアが小さな悲鳴を上げる。
しかし当のセシリアは難しい顔で考え事をしており、全く耳に入っていないどころか無意識でむにむにと握っては離してを繰り返していた。
その度にリディアがあられもない悲鳴を上げていると言うのに少しも気付いていないのは、それだけ考え事に熱中している証拠だろう。
「確かにそう言われてみるとおかしいかも。隷属の首輪を嵌めてるのに、私が馬車に乗ったタイミングで接触するなんて都合が良すぎます」
「おかしいのは君の手つきだよっ。お姉さんその気になっちゃうから! 都合良いけど都合良くないの!」
「そうです、現実はこんなに都合よくありません。ということは、最初から仕組まれてた……? ううん、あの様子が演技だとは思えない。偶然じゃないなら、逃がされた?」
会話が通じているのか通じていないのか。
ついに我慢の限界に達したリディアが煩悩全開でセシリアへ飛びつこうとした瞬間、猫のようにするりとベッドから抜け出る。
「ごめんなさい、ちょっとカイトのところに行ってきます」
「え、ここまでして生殺しなの!? 」
心ここにあらずといった様子で駆け出したセシリアには、リディアの悲しげな叫び声がやはり少しも聞こえていなかった。
もし青年との接触が故意だとすれば、帽子屋の意思が介在している。
わざと奴隷を逃がして間接的に伝えるという遠回りな方法にしたのは、帽子屋に気付かれない内に真実を知ったと思い込ませるため。
その結果、お茶会を警戒する方向に話が進み、守りの態勢を固めながら様子を窺う流れになった。
同盟への参加を即答しなかったおかげで、自由の翼の戦力はグレゴリーの依頼に集中できている。
敵の狙いは恐らくそこにあるのだ。
用があって出掛ける時は部屋に必ずメモを残す、用が無いなら部屋に居るとルールを決めたおかげで、カイトを探すのに苦労しなかった。
食堂で遅めの朝食をとっていたカイトの元に駆け寄る。
「カイト、ケインさんが戻ってきたら重大な要件があるから引き止めて!」
ケインはプリーストのクロと一緒の班で、日に1度、リュミエールに異常が無いか戻って確認すると決めていた。
先程出発したばかりなので今すぐ戻ってくるとは思えないが、セシリアはこれからグレゴリーの屋敷に向かう為、念をいれておくに越したことはない。
「ケインを? どうしてまた」
食事の手を一旦休めたカイトが不思議そうに首を傾げた。
「作戦変更。散らばる前に纏まって貰わないと……」
「待て待て、広範囲に分散している魔物の討伐なんだろ? 一箇所に集めても意味なくないか?」
突然組み立てた作戦をまるっきり反対にしようと話すセシリアに、カイトは目を丸くする。
セシリアもそう思って分隊による広域探査を提案したのだが、つい先程事情が変わったのだ。
「多分だけど、少人数に分散させるのが敵の狙いなの」
考えても見れば、お茶会を怪しんで参加を即断せず戦力を浮かした瞬間にケルベロスが出現し、グレゴリーから討伐依頼が舞い込むなんて都合が良すぎる。
狼や犬は基本的に群れで行動する。ケルベロスが犬と言えるのか分からないが、少なくともゲーム内ではそうだった。
なのにどうして元居たダンジョンから遠く離れたリュミエールに、それも単体で出現してるのか。
見た目が可愛いとはお世辞にも言えないし、凶暴な上に知能が低いから飼いならすのも難しい。
ペットショップの店員がうっかり逃がした線は薄いだろう。
「俺も疑問ではあったけどな、異世界なんだ、ゲームと違くても不思議じゃないし。それともセシリアは何か見当がついたのか?」
カイトの問いかけに、セシリアは小さく頷く。
「序盤用で殆ど見かけなかったしマイナー職だからすっかり忘れてたけど、サモナーの召還魔法にケルベロスがあるのを思い出したの。もし領内のケルベロスが人為的に呼び出されたんだとしたら、敵はプレイヤーの可能性が高いと思う」
敵がケルベロス単体だと思ったからこそ、少人数で対応できると考えて分隊を提案したのだ。
「ケルベロスは序盤でしか使わない低級獣族だよ。もし召還したのがプレイヤーだとしたら、どうしてわざわざそんな弱いモンスターを召還したの?」
サモナーの召喚魔法にはケルベロスなど比較にならない高位モンスターがわんさといる。
セシリアの言う通り、わざわざ弱いモンスターを召還する必要はないだろう。にも拘らずケルベロスだったのは、何か理由があるからだ。
「例えばだけど、油断して少人数に分かれた所を順に襲うつもり、とか」
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城塞都市アセリアの貴族街にある屋敷の一部屋で、帽子屋は肥え太った30半ばの男性と優雅にお茶を楽しんでいた。
いや、優雅と言うには苦しいか。男性はふてぶてしい表情で帽子屋に向かって尽きない苦言を呈している。
「どういうことだ! 貴様の話ではとっくにリュミエールの鉱山が我らの手に落ちているのではなかったのか!? この無能がっ!」
怒りのままにテーブルへ拳を叩き付け、乗っていた食器の揺さぶられる不快な音が鳴り響いた。
「ですから申し上げたではありませんか。我々が直接乗り込めば掌握は一瞬で終わると。それを自然災害に見立てて欲しいなど難しい注文を出し、計画を不確定にしたのはバロン様ですよ?」
この世界に転移した帽子屋はすぐに城塞都市アセリアの奴隷商と深く関わっている貴族を調べ上げ、一目で俗物だと判断したバロンにとある儲け話を持ち込んだ。
大量の奴隷が手に入りそうなのですが、どこか働ける場所を提供できませんか。
思惑通り乗って来たバロンに手持ちの金貨を数枚渡して信用させ、貴族お抱えの奴隷商人と言う立場を首尾よく手に入れる。
突如大金を手にしたバロンは上機嫌で帽子屋を行きつけの酒場に連れ込むと、酒に酔ってこんな話を漏らしたのだ。
「最近は男の奴隷が売れ難くて困っているのだよ。ここ最近は戦争もなくて、労働力が過剰になりつつある。せめてグレゴリーの野郎から鉱山を取り戻せれば浮いた奴隷を馬車馬のように働かせてやるというのに……」
役立たずの寄生虫を強制労働させ利益を得ようとしていた帽子屋にとって、あまり好ましくない愚痴について、詳しく聞きだしたのは言うまでもない。
今から数年前、とある大きな鉱山の領有権を巡ってバロンはグレゴリーと言う若い領主を相手に戦った。
なにせまだ正確な地図が発達していない時代だ。国の設定した領域は曖昧で境界線近くに天然資源があると、どちらの領土に属しているかで揉める。
国も騒動を嫌って下手に口は出さず、当事者同士の話し合いという名の領有権を賭けた戦争を認めていた。
結果はバロンの惨敗。以後はリュミエールが領有権を持つ物とされ、王立裁判所で和解が成立している。
王立裁判所の判決は王の言葉に等しく、一度和解が成立してしまうと迂闊には手を出せない。
バロンは巨額の富を生み出す鉱山を前に歯ぎしりするしかなかった。
「分かるか!? あの男は我が領土を武力に物を言わせ何食わぬ顔で奪い去ったのだ!」
酔い潰れながら憤慨するバロンに、帽子屋はよくわかりますと頷き、ある提案をしたのだ。
「もしよろしければその鉱山、この帽子屋が取り返して差し上げましょう」
帽子屋の提案は武力行使による制圧だったが、そんなことをすれば真っ先に自分が疑われるし王立裁判所の判決に背いたとして重罰を受けるだろう。
それを避ける為には幾つか策を練る必要があった。
幸い、リュミエールが力を付け過ぎていると危惧する貴族は多い。
何かしらの大義名分さえ掲げられれば、鉱山を奪い返しても王立裁判所は合法とみなすだろう。
バロンから情勢を引き出した帽子屋はゲームで培った知識を使い、成功は保障できないと事前に前置いた上でオークを利用する作戦を提案した。
鉱山を守る騎士団の大部分を自主的に撤退させられれば、自らの領地ではないと公言したに等しく、奪還の大義名分になり得る。
そうなれば金の力でバロンの元に帰属させることも可能だ。
問題はどうやって騎士団を自主的に撤退させるか。
ゲーム内でリュミエールは商業都市と呼ばれ、マーチャントクラスの転職場でもある。
フィールドには初心者向けのMobが多数配置されており、少し離れた場所にはオークの住処というダンジョンがあった。
フィールドのノンアクティブモンスターでレベルを上げた後、パーティーを組んでオークの住処を攻略するのが初心者向けテンプレートにもなっている。
帽子屋はオークの住処を計画的に襲撃し、リュミエールへと追い立てた。
故郷を追われ移住先を探さねばならなくなったオーク達にとって、目の前に広がる広大なリュミエールの土地はさぞ魅力的だっただろう。
オークの大移住が少数の人間によってもたらされたとは思うまい。
バロンの要求した自然災害の体裁も整っていた。
際限なく雪崩れ込んでくるオークを迎え撃つ為には、鉱山を守らせている騎士団を動かさざるを得なくなる……筈であった。
帽子屋の目論見が外れたのにはいくつか理由がある。
一つ目は豚といえども考える頭が少しはあったこと。
リュミエールは人間が多く暮らす土地で、移住には危険が伴うと彼らも知っていた。
そこで部族の中でも力のある者を集め先遣隊とし、人間に対抗できるか調べようとしたのだ。
二つ目はリュミエールの戦力を見誤ったこと。
プレイヤーが一丸となって立ち向かうとは思わず、先遣隊を易々と撃滅されたオーク本隊はリュミエールへの進行を断念。
今は別方向に進路を取っていた。
「何故だ! 途中までは上手く進んでいたというのに! あれだけの数のオーク相手に何故兵を引き上げんのだ!」
「貴方様が攻め込むだろうと先方も承知していたからでしょう。オークの行動パターンが確立されている訳でもないのに無謀な手であるとハッキリ申し上げた筈です」
顔を赤く染め上げ感情的に当たり散らすバロンに嫌気がさしたのか、帽子屋は冷ややかな口調で告げる。
「貴様は黙っておれッ!!」
格下の平民風情に失態を突かれたのが余程苛立たしいのか、赤を通り越して赤黒くなった顔で怒鳴りつけた。
失敗を嘆いたところで、まして怒り狂ったところで得る物はない。帽子屋はやれやれとばかりに肩を竦めた。
「おやおや、ご自分で話があると仰られたのに黙れとは。この帽子屋、自らの頭がイカレていると自負しておりますが、貴方様の頭はより重症なようで」
「何だその口の利き方はッ! 誰が貴様に手を貸してやっていると思っている!」
怒りが頂点に達したバロンはティーカップを掴みあげると帽子屋に向かって投げつける。
狙いも何もない杜撰な投擲だったが、帽子屋の被ったシルクハット目掛けて一直線に宙を飛んだ。
しかし、帽子屋には軌道がしっかりと見えていたのだろう。
自慢のシルクハットをさっと外すだけでカップは背後の壁に激突し、陶器の割れるけたたましい破砕音を響かせただけに終わった。
いい加減、帽子屋の中で目の前の樽男に対する不快指数が耐えがたい物に変わる。
何よりお気に入りの帽子を狙われたことで帽子屋の目がすっと細まった。
「それは勿論、貴方様が私に、そして私が貴方にですとも。我々の間に上下の関係はなく、いわば一つの運命を共にする間柄。短気は損ですよ。でなければついうっかり貴方様の情報を鳩に変えて飛ばしてしまいそうです」
「……分かっておる。だがあの鉱山は必要なのだ、どうにかして手に入れろ。いいか、その際に必ず鉱山を守る憎きリュミエールの騎士共を撤退させるのだ。でなければ自らの領土ではないと認めた。王家に金を回すとしても詭弁は必要になる」
先程のバロンの態度が子供の癇癪だとすれば、帽子屋の態度は喉元に突き付けた刃だ。
有無を言わせぬ口調と脅しに小物のバロンはひとたまりもなく怒りを収めた。
とはいえ、こんな男でも帽子屋にとっては今はまだ大切なビジネスパーソンだ。取り繕うのも忘れない。
「承知しておりますとも。既に次の手は打ってあります」
「ほほう、それはどんなものだ?」
温和な雰囲気に戻った帽子屋にバロンは内心胸を撫で下ろしつつ尋ねる。
「領内に猟犬を紛れ込ませました」
「して、それは強いのか?」
「いいえ、さしたる強さではございません。あれは撒き餌とでもいいましょうか。リュミエールにはどうやら強力な精鋭が揃っているようでしたので、まずは彼らを間引こうと思います」
いつもながら謎めいた物言いにバロンの顔が難しくなる。頭を働かせるのは苦手なのだ。
「ふむ。どういうことか説明したまえ」
「ですから"撒き餌"なのです。首都にほど近い場所へ放ちましたから、それなりの範囲を探す必要がございます。必然、大人数で固まるより少人数で散らばる方が効率的でしょう? 一度に相手をするのは骨が折れますが、一人二人なら赤子を捻るようなもの。死体は魔物に襲われた風を装えば不審には思われません」
帽子屋の説明にバロンはようやく納得が言ったのか、先程とは打って変わって楽しそうに頷く。
「なるほどな。いや、良く考えたではないか」
「リュミエールの戦力が低下したところで再びオークの行先を塞ぎ、今度は徹底的にリュミエールへ押しやります。今度ばかりは騎士団を引き上げざるを得ないでしょう」
「そうかそうか。よくぞやってくれた。では成功の報せを待っておるぞ」
そうして最後に握手を交わし、帽子屋はバロンの屋敷を後にした。
先の戦いでも戦況を覆したのはプレイヤー達だ。
以前の調査で、廃人はとっくにリュミエールを去り足手纏いと判断されたライト層しか残っていないと聞いただけに、以後の調査はしていなかった。
それがまさか、500人近いプレイヤーが集う巨大組織に成長していたなど、悪い夢にも程がある。
その中心にセシリアの姿を見つけて帽子屋の焦りはさらに募った。
何せゲーム時代、たった2度しか参加していないセシリアに、苦労して作り上げた"お茶会"イベントを丸ごと乗っ取られかけたのだから。
人心掌握術などとは到底思えない。あれはもう、帽子屋からすれば性質の悪い洗脳だった。
誰も彼もが揃ってセシリアの名前を呼び、集まり、慕う姿はある種の宗教と言って良い。
司会進行役をしていた帽子屋のことなんて誰も見ておらず、結局半ばセシリアが視界をする形でイベントは進んだ。
彼女のアバターがお茶会屈指の問題児である三日月ウサギの好みでなければどうなっていたことか。
彼をけしかけ、場の雰囲気を悪くさせることでセシリアに身を引かせる作戦は功を奏したが、この世界でまた運よく身を引かせる事ができるとは限らない。
何としても彼ら自由の翼だけは、最低でもセシリアだけは潰さなければ自分が潰される。
手をこまねいていれば近い将来、この世界で苦労して築いてきた全てを彼女に乗っ取られるだろう。
悪い予感でも想像でもない。これは予言だ。何もできなければ確実に訪れる不可避の未来だ。
帽子屋にとってセシリアとはそういう存在なのだ
待たせていた馬車に一人で乗り込むと、帽子屋は身に着けていた手袋を汚らわしそうに外して路地へと放る。
「いやはや、豚と会話するのは疲れますね。彼もそろそろ用済みでしょう。この計画が成功に終われば、我々を脅かすモノは殆どなくなります」
一人しか乗っていない馬車の中で、まるで誰かに語りかけるかのように帽子屋は言った。
答える者などここには居る筈がないのに、声だけがはっきりと漏れる。
「そうでござるな。拙者も楽しみでござるよ」
耳にべったりと張り付くような粘着質な声。見渡しても帽子屋以外の姿はなく、かといって外から聞こえた物でもない。
「準備の方は如何ですか?」
「万端でござるよ」
「それは重畳。 役立たずなサモナーの方々にも、最後くらい役立って欲しいものです」
そうして帽子屋と姿のない誰かはくすくすと、或いはげひゃげひゃと笑い声を漏らす。
人通りの少ない路地で2人を声を聴く者は黒服の御者以外に誰も居なかった。