気ちがい達のお茶会-1-
「荒唐無稽にも程があります……」
箇条書でびっしりと埋め尽くされた1枚の紙を5度も読み返したセシリアは指をこめかみに当て深い溜息を漏らした後、机の上にぱさりと落とした。
反対側にはシルクハットを被ったセシリアより少しだけ年上の、まだ青年になりきれていない男性が神妙な様子で何度も頷いて見せる。
「えぇ、えぇ。分かりますよ。痛いほどわかりますとも。ですがこれはただ一つの真実なのです」
見た目に反し、酷く老熟した声色は大仰な物言いと合わさって役者のようでもあった。
元の世界に帰る方法があると知らされたセシリアは居ても立っても居られず、すぐに城塞都市アセリアへと赴いた。
城塞都市アセリアにはポータルゲートの使用を阻害する結界のようなものが展開されており、街の外に出ないと使えないらしい。
案内役のポータルゲートは郊外に記録されており、用意されていた馬車で街へと移動することになる。
ゲーム内でも首都とも呼ばれ屈指の広さを誇っていただけあって、この世界での敷地面積は尋常ではない。
外周部は身の丈ほどもある巨大な石で組み上げられた十数メートルにも及ぶ頑強な城壁が3重に連なっており、長閑な田園風景の続く平地を突き抜けると、東京ドーム数個分の敷地はありそうな王城を中心に城下町が広がっている。
ゲームの設定資料集では昔使われていた鉱山の跡地を改装し王城に作り替えたとあったが、なんとまぁ巨大な山を改装した物だ。
使者のプレイヤーに案内されたのはその中でも富裕層ばかりが集まる一角だった。
赤煉瓦で組まれた屋敷はいかにも立派で、備え付けられた庭にも緑が目一杯芽吹いている。
腕のいい庭師が居るのだろう。鮮やかに咲き誇る花や生い茂る草木は屋敷の外観を引き立てるべく小奇麗に整えられていた。
セシリアとケインを応接間へ案内すると案内役は退室し、代わりにシルクハットを被った男性がやってきて、挨拶もそこそこにファイリングされた1枚の紙を差し出しだされたのがつい先程のこと。
フルダイブシステムの原理。
利権を巡っての闘争。
実験で殺されそうになっていたプレイヤー。
それを防ぐべく、異世界への転送を試みた天才博士。
脱出の為に多くの命を犠牲にして作られた帰還用アイテム。
セシリアが荒唐無稽だと呟いたのも無理はない。
転移直後の城塞都市アセリアに空からばらまかれたメッセージは、今まで見たどんな映画のシナリオよりも酷かった。
けれど信じないわけにはいかない理由がある。
紙の上を踊る、筆を意識しながらも鋭角的な切込みが見受けられる文字はセシリアを始めとするプレイヤーにとって馴染み深い"MS明朝"と呼ばれる、日本語Windows端末にはデフォルトでインストールされている書体だったからだ。
魔法の発達に伴い、早くから紙面上に研究成果を残す風習が根付いたからか、この世界の製紙技術は高い。
だがそれは個人が書き記すものであったため、印刷技術の発達はほとんど進んでいなかった。
こんな複雑な書体を目の前にあるだけで十数枚分も正確に書き写すなんて真似が簡単に出来るとは思えない。
事情を説明する為に元の世界から送られたのだと考えた方が自然だ。
「現実は受け入れられましたかな?」
「受け入れるしかないです」
今のセシリアが浮かべているのと同じ表情を、少年は何度も見たのだろう。
どこか楽しげに笑うのを尻目に、セシリアはどうとでもなれとばかりに天井を仰いだ。
しかし、書いてある内容が事実だとすればどうしても腑に落ちない点がある。
どうしてプレイヤーはまだこの世界に捕らわれたままなのだろうか。
メッセージには起動するだけで全員が元の世界に帰れるアイテムを城塞都市アセリアへ転送したとあった。
既に転移してから1ヶ月以上も経っているのだ。誰かしらが起動していてもおかしくない。
にも拘らず誰も起動していないという事は、起動できなかったか、起動しなかったかのどちらか。
「起動の仕方が分からず、皆で頭を悩ませてる展開が良いんですけどね……」
自分で言いながら、セシリアはその可能性の低さを痛感している。
運営側だって少しくらいは気が回るだろう。複雑な使用方法を設定するとは思わなかった。
となれば答えなんて悩むまでもなく、最初から決まっている。
「つまりこうですか。元の世界へ帰りたくないアグレッシブな方が居て、帰還用アイテムを掻っ攫った挙句トンズラこいた、と」
「いやはや、たったこれだけの情報からそこまでご理解なさるとは。ご明察恐れ入ります」
ぱちぱちと、やる気の欠片も感じられない拍手を打ち鳴らされる。
こんなものは頭の緩い芸能人がわんさと出演するクイズ番組の1問目にも等しい。
「そういえば自己紹介もまだでしたね。私の名前は……」
言葉と共に男性が軽やかに立ち上がり、頭に乗った帽子を掴みあげ、流れるような動作で腰を折ると優雅に一礼する。
しかしセシリアは面倒臭そうに目を細めると彼が口にするより早く先を続けた。
「マッドハッター。A-Mad-Tea-Partyのギルドマスターさんですよね」
A-Mad-Tea-Partyはゲーム内でもそこそこ有名なギルドだ。
名前が長い上に英字なので、もっぱら「気ちがい」とか「お茶会」と呼ばれている。
そのギルドマスターである彼も「帽子屋」と略されることが多かった。
特徴的な大人ぶったとも大仰とも取れる話し方が良い意味でも悪い意味でも有名である。
彼のギルドの活動方針は定期的な"お茶会"の開催。
特殊な言い回しだが、中身は効率を目的としない気楽かつお遊び感覚の臨時パーティーの主催だ。
MMORPGではパーティープレイを前提とした狩場の方が多く、そういった狩場の方が経験値も楽に稼げるようになっている。
友達やギルドメンバーを集めて行くのが一番だが、レベルが合わなかったり接続時間が合わなかったり、稀に友達と呼べる存在が居ないこともあるだろう。
そんな時は初対面のプレイヤー同士が声を掛け合いながら募集している"野良パーティ"に参加するのが一般的なのだが、一つ問題があった。
野良パーティの募集に入って大丈夫なのか不安に思っているプレイヤーが思いのほか多いのだ。
初めて挑戦するダンジョンで立ち回りが良く分からない。
今のレベルと装備でちゃんと狩れるだろうか。
他人に迷惑をかけないだろうか。
誰にだって"初めて"はあるし、それは怖くもある。
何も知らずに参加して必要な装備やスキルを覚えていないと、パーティーメンバーから罵倒されることもある為、物怖じするのも無理はない。
お茶会の目的はそんな最初の一歩を踏み出せないプレイヤーが気楽に経験を詰める機会を提供することだった。
効率を求めない遊び目的であると明言することで参加者のプレッシャーをなくし、熟練のプレイヤーが必要な装備やスキル、出てくるモンスターの特性や気を付けたい立ち回りなども教えてくれる。
初めていく狩場の予習や、腕をあげたいライト層のプレイヤーには好評を博しており、多数の参加者で賑わっていた。
"初めてを応援します"という彼らのキャッチフレーズは多くのプレイヤーが1度くらい耳にしている。
「流石は元アイドル、現プロネカマアイドルのセシリア嬢。覚えておいででしたか」
忘れるはずもない。
かつてはセシリアも布教活動の一環としてこのお茶会へ参加していた。
このゲームはパーティーメンバーが一定範囲のレベルに収まっていないと経験値の分配が行われない。
レベル100のプレイヤーがレベル1のプレイヤーと組んで本来倒せない筈の敵を倒し、経験値を荒稼ぎするレベリング行為を制限するためだ。
お茶会の主催する野良パーティーは効率度外視と公言しているだけあって誰でもウェルカム。
集まったプレイヤーのレベルはばらばらで、経験値の分配を行える範囲内に収まることはまずなかった。
こうなると、モンスターに与えたダメージの比率で経験値が分配されてしまう。
ABCの三人でHP100の敵を攻撃し、Aが70、Bが30、Cは支援キャラで0のダメージを与えたとしたら、Aには70%の経験値が、Bには30%の経験値が入るが、Cには1も入らないのだ。
ただでさえ数の少ない支援職が無償奉仕を求められるお茶会に参加することはまずない。
セシリアはそこを狙い、毎回無償奉仕してくれる心優しい支援として自分を売り込んだ。
目論見は概ね成功し、布教活動は満足できる成果を残した。……あの事件が起こるまでは。
「いつぞやのお茶会ではお世話になりまして。……できればウサギさんにはお会いしたくないのですが」
「ゲーム内では随分と慕われておいでではありませんでしたか?」
「あれは盛られただけです。知ってますか? ウサギって性欲の権化なんですよ?」
ウサギさん。正確なプレイヤーネームは「三日月ウサギ」。
10代半ばの外見をしている女性アバターに対し、変質的なストーキングやハラスメント行為で知られている直結厨だ。
何度目かのお茶会で偶然居合わせた彼にセシリアはいたく気に入られ、以降のお茶会では毎回付きまとわれるばかりか、顔を合わすたびに不具合を利用したハラスメントの被害にあってきた。
性質の悪さと迷惑度は群を抜いており、数々の直結と出会ってきたセシリアでさえ顔を合わせるのが苦痛になった程である。
3度目のお茶会で我慢の限界に達し、何よりお茶会の雰囲気が荒れてしまう為、それ以降お茶会に顔を出すのを諦めている。
「えぇ、知っておりますとも。我がお茶会に参列する一人がご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げたい気持ちでいっぱいです」
形式上の謝罪は白々しいばかりで、誠意の欠片も含まれてはいなかった。
なにせギルドマスターである帽子屋は現場を何度も目撃しているというのに、止めるどろこか注意すらしていない。
「その言葉はお茶会の時に聞きたかったものです」
「あれは所詮遊戯の一つ。子どもが好きな相手に意地悪をするようなものです。それに貴女はあしらい方も上手でしたので、差出がましいかと思いまして」
「女の子が困っていれば手を貸すのが紳士では?」
「えぇ、確かに。ですが私は帽子屋。吸った水銀で頭がイカれておりますので」
文句を言ったところで帽子屋が少しも悪びれないのは分かっていた。
A-Mad-Tea-Partyの方針は来る者は拒まず、去る物は追わず。
所属しているギルドメンバーが何か問題を起こしたとしても一切関わろうとしない完全放任主義で有名だったからだ。
外部の掲示板では悪い噂が絶えず、どこのギルドも加入を拒んだ問題児の巣窟とさえ言われている。
お茶会の開催にしても形式上は初心者の支援を謳っているが、得られたアイテムは全て開催資金として回収される仕組みになっており、攻城戦の資金源に流用されていた。
集まった盾役に練習と称しひたすら敵を引っ張ってこさせた挙句、レベルの高いA-Mad-Tea-Partyの魔法使いが範囲攻撃で殲滅し、一人だけ経験値を荒稼ぎしていたこともある。
彼らは断じて単なる世話焼き集団ではない。慈善事業の裏側でそれなりの利益を生み出しているのだ。
彼らが外部の掲示板で「気ちがい」と呼ばれる所以はそこにある。
「もういいです。それより本題に入ってください」
元よりほんの嫌味のつもりで謝罪は求めていない。
うんざりとした様子で先を促すと、帽子屋はわざとらしくにこりと笑った。
「どこまで話しましたか。そうそう、確か帰還用のアイテムを持って逃げ出した裏切り者が居るところまででしたね」
自分の人生に満足していない人なんてたくさん居る。
セシリアだって自分を必要としてくれる家族が居なければ元の世界に帰りたいと思わなかったかもしれない。
運営から、いや、怪しげな研究者からすればまさか帰りたくないプレイヤーが出るとは思いもしなかったのだろう。
アイテムはユーザーが使わなければ効果を発揮しない。
全員が帰還できるアイテムを作ったところで、それを望まない人物の手に渡れば何の意味もなかった。
「一体誰が持ち去ったんですか?」
「貴女の大好きな……いえ、貴女を大好きな三日月ウサギさんですよ」
もしかしたらそれさえ分からないのではという最悪の想定が頭を過ぎるが、どうやら杞憂に終わったようだ。
しかしながら、飛び出した名前にセシリアの顔が嫌そうに歪む。
「おまけに、敵は彼一人ではありません。いやはや、思ったより居るものですね。現実の世界に未練のない方々が」
例えば、明日をも知れないフリーター暮らしで不安を抱えていたり。
例えば、何年も引きこもっていて、未来の展望が望めなかったり。
例えば、特別な自分という願望が現実になってしまったり。
VRMMORPGは現実逃避の場所としても最適だった。
現実の自分が家の中でたった一人っきりだとしても、たくさんの人が溢れかえる仮想空間はあたかもコミュニケーションを取っているかのような気になれる。
本当の自分を隠しながら、理想の自分を演じるプレイヤーも少なくない。
彼らにしてみれば現実の世界よりもゲームの世界の方が好ましかった。
もし扉を潜るだけで現実の世界へ戻れる設定だったなら何も問題はなかっただろう。
残りたい人は残れば良いし、帰りたい人は帰ればいい。
けれど運営が用意したアイテムは全員の強制的な帰還で、あろうことか帰還を望まないプレイヤーの手に渡ってしまった。
「我々はアイテムを巡って対立し、大きな戦闘になりました。結果は惨敗。いいえ、相手にすらならなかったと言った方が正しいでしょう」
元の世界に帰りたいと思っている勢力はライト層と呼ばれる中級者を中心に構成されている。
対する反対派は朝も昼も夜もなくこのゲームに耽溺していた廃人層を中心に構成されていた。
持っている装備も、ステータスも、アイテムも、レベルも頭一つどころか二つ三つは上回っている。
両者の戦力差は歴然だった。赤子が大人に勝てる道理はない。彼らは悠々とアイテムを持ち去り、城塞都市アセリアを去ってしまった。
「ですが、諦めるわけにはいきません」
負けた一番の理由は戦力不足だ。足りないのであれば増やせばいい。
帽子屋はアセリアに居た多数のギルドへ呼びかけ、対抗勢力を作り上げるべく奔走した。
だが、相手は規格外の廃人集団。城塞都市アセリアに残った戦力をかき集めても差が埋まったとは言い難い。
「今の戦力では対抗できるだけの力がありません。そこでお願いがあります。どうかあなた方"自由の翼"にも我々の同盟に加わって頂きたい」
元の世界に帰る為には運営が用意した帰還アイテムを奪い返して起動するしかない。
理屈では分かっているし、他に方法があるのかと聞かれても答えられない。
でもそれは、どう言葉を言い繕っても殺し合いと変わらないのだ。
「戦争をするつもりですか」
「それしか手はありませんよ」
暗い表情のセシリアへ帽子屋は断言する。
元の世界に戻るのが正しいのか、この世界に残るのが正しいのかは人それぞれだ。自分の意見を押し通そうとすれば必ず対立する。
話し合いができるとも、譲渡できる条件があるとも思えなかった。
結局どの世界でだって最後に物を言うのは武力なのだ。
「私だけでは決められません。戻ってみんなの意見を聞かないと」
重大な案件を個人の一存で決められる筈もなく曖昧な返事を口にする。
「分かりました。色よい返事をお待ちしておりますよ」
もう少し粘られるかと思ったが、帽子屋はあっさりと引き下がった。
「一つ、良いですか?」
「なんなりと」
「参加しているギルドは多いんですか?」
「申し訳ありませんが同盟でない方にお教えできる情報ではありませんね」
セシリアが裏で反対派と通じている可能性もある。帽子屋としては当然の返答だろう。
「では、その代わりと言っては難ですが、一つだけ」
がくりと肩を落とす姿に、帽子屋は少しだけ迷ってから付け加える。
「次の攻略を失敗すれば、我々はもう二度とアイテムを取り返すことなどできなくなるでしょう。聡明な貴女なら理由を説明するまでもありませんね?」
沈んでいたセシリアがハッとして顔を上げた。
1度目の惨敗でお茶会率いる帰還派は少なくない被害を受けたが、急なことで戦力も対策も不十分だったと言い訳できる。
しかし、十分な戦力と対策を練ったはずの2度目が失敗に終われば残されたプレイヤーはどう思うだろうか。
勝てるはずないと諦め、危険を冒すよりこの世界で生きるべきだと考えられてしまえば、もう二度と対抗勢力は作れない。
プレイヤーを止められるのはプレイヤーだけ。にも拘らず、人数には限りがあるのだ。
「反対派のプレイヤーは手を出されない限り襲ってきません。ああ見えて意外と頭も回るようです」
もし彼らが積極的にプレイヤーを襲っていたなら身を守る為に戦わざるを得ず、対抗勢力もずっと大規模になっていただろう。
だが、今のところ彼らは手を出されない限り反撃しない専守防衛を貫いている。
この世界で生きる覚悟がありさえすれば、彼らは完全に無害なのだ。
それは下手に刺激するのを避け、心が折れてこの世界に迎合する瞬間を待っているとも言える。
時間をかければかけるだけこの世界の暮らしに慣れてプレイヤーは戦う意味を、元の世界への執着心を、闘志を失うだろう。
やがて子狐が食べたこともない葡萄を酸っぱいと言ったように、この世界も良いんじゃないかと思い始めてしまう。
急がなければ3度目の攻略が望めないどころか、2度目の攻略さえ立ち消えてしまうかもしれない。
早急に答えを出しますと付け加えたセシリアに、帽子屋は満足げな笑みを浮かべて今一度頷いて見せた。
帰るなら来た時と同じようにポータルゲートが使える場所まで馬車を用意すると申し出てくれた帽子屋に、セシリアはこの街を見て回りたいからと断りを入れ屋敷を後にした。
城下町にはリュミエールと同じように、タクシー代わりの馬車が走っている。
街の中を一見ランダムにぐるぐると歩き回った後、セシリアは周囲を確認してから丁度目の前を走っていた馬車を捕まえた。
「郊外へお願いします」
御者へ行き先だけを告げると同乗したケインに向き直る。
あんな話の後で観光をする気になれるはずもない。案内を断ったのはケインと二人きりで話したいことがあったからだ。
「正直言って、お茶会は信用なりません」
過去に遺恨があるからではない。
思えば自由の翼の屋敷へ使者がやってきた時点で小さな違和感を感じた。
何かがおかしい気がするのに、具体的に表現することはできず、喉の奥を小骨がつかえたような、えも言われぬ気持ち悪さを抱いていたのだが、先程の階段の途中にようやく正体に気付けたのだ。
「実は僕も気になったことがあるんだ」
違和感を覚えたのはなにもセシリアだけではなかった。
ケインも柔和な表情を少しだけ厳めしく変えている。
「リュミエールから城塞都市アセリアへ向かった一団が居るのは話したよね。帽子屋さんは彼らが僕らのことを話したと言っていた。でもね、僕らが纏まった規模になったのも、自由の翼を名乗り始めたのも、彼らが出発した後なんだ」
「やっぱりですか。私も丁度同じことを聞こうと思っていたんです」
2人の違和感は全く同じ。
リュミエールを出て行ったプレイヤーからの情報にしては自由の翼の内情に詳しすぎる。
そもそも自由の翼という名称自体、つい最近までギルド内部でしか使われていなかった。
ポータルゲートの位置情報は記録していただろうから、いつでも戻って来れたかもしれない。
だが、レベルの低いプレイヤーを置き去りにした憂き目もあるのに戻った理由は何なのか。
彼らがリュミエールを早々に発った理由の一つは金貨の規制が行われたからで、物資を買いに戻って来たとも思えない。
ゲーム内でも王都へ向かう途中に街は幾つかある。補給はそちらで済ませた方が自然だ。
「使者の人が真っ直ぐ屋敷に着いたのも疑問です。あの時間はまだほとんどのプレイヤーが屋敷に居た筈ですから。まるで少し前からリュミエールの様子を調べましたって感じがするんですよね」
リュミエールに滞在するプレイヤーは500人以上。相互の顔は覚えきれていない。
立たせている門番はプレイヤーかどうかをゲーム中の質問を投げかけて答えられるかどうかで判断している。
もし城塞都市アセリアのプレイヤーがリュミエールに紛れ込んで情報を集めていたとしても気付けないだろう。
「問題はどうして事前に情報収集したかってところですよね」
単に慎重だっただけなのか、或いは他に理由があるのか。
もし悪気がなかったのだとすれば調べさせてもらったと一言告げるべきだろう。
何も言わなかったのは知られたくないからで、裏に好ましい理由があるとは思えない。
元の「気ちがい達のお茶会」を知っているだけあって、どうにもきな臭さが抜けなかった。
がたがたがと揺れる馬車の室内であれこれ考えても答えは出なかった。
「とりあえずみんなが戻ってきたら一度話し合おうと思うのですが……一つ良いですか?」
セシリアは珍しく不安げな上目遣いでケインを覗き込む。
「なにかな」
「帰る方法が見つかったことは言おうと思います。でも、全員が強制的にという件は伏せておきたいんです。その、詳しく調査しているとかで」
「それは、どうだろう」
突然の申し出にケインは難色を示した。
伏せようとしている情報はプレイヤーにとってかなり大きな真実となりうるからだ。
同じ組織に属し、平等を謳っていたケインにとって、例えギルドマスターといえど情報を公開せずにしておくのは心苦しいのだろう。
けれどセシリアにも、ケインの心情を慮った上で押し通したい理由がある。
「ケインさんが躊躇うのは分かります。でも、伝え方というか、明かし方を考えたくて。多分帰りたくない人も一定数は居ると思うんです。この状況でギルドの中で意見が対立してしまうのは危険ですから」
相手が何を考えているか分からない状況下で、自由の翼にトラブルを増やしたくないのだ。
もしかしたら付け入る隙にもなりかねない。
「帽子屋さんの出方が分かってから明かしたい、ということかな」
「はい」
申し訳なさそうに頷くセシリアに、ケインは負けたとばかりに小さく笑って見せた。
「……そうだね。分かった、僕も胸の中にしまっておくよ。もしかしたらだけど、彼らがリュミエールで大々的に真実を明かさなかったのは、僕らが明かすタイミングを考えられるようにしてくれたんじゃないのかな」
言われてみれば、お茶会はリュミエールで大っぴらに真実をばら撒くこともできたはずだ。
そうしなかったのには何か理由でもあるのだろうか。
「……明かすタイミング、ですか」
何か引っ掛かりを覚えてもう少しよく考えようとした、瞬間。
馬の嘶く声と御者の悲鳴がセシリアの思考を裂いた。
それ程早くもなかった馬車だが、急制動をかけると想像以上に揺れるらしい。
軽いセシリアの身体は見事に空をとんで、反対側に座っていたケインへと倒れこむ。
「何してるんだ! 危ないだろう!?」
何事かと目を回していると、御者らしき男性が誰かを怒鳴りつける声と、道行く人が騒ぎ立てる声が届く。
釣られるようにカーテンを開けて外を覗くと、20過ぎくらいの彫像めいた青年が身体を張って馬車を遮る様子が見て取れた。
着ている服はぼろぼろの古着で、首には見覚えのある銀色の装飾具が嵌められている。
……隷属の首輪。奴隷か犯罪者にしか使われない、この世界でも忌み嫌われているアイテムだ。
男の顔に見覚えはない。城塞都市アセリアで誰かに恨まれるほど過ごしても居ない。ならあれは一体何のつもりだろうかと首をかしげた瞬間、青年がよく通る声で叫んだ。
「セシリア……だな? 頼む、俺の話を聞いてくれ! 俺はプレイヤーだ!」




