ラボラトリー-2-
落ち着いて話ができる場所として連れてこられたのは小さなカフェだった。
年季の入ったマスターにホットコーヒーを2つ頼み、他に誰もいない店内の奥ばったボックス席を陣取る。
「まず始めに、僕がどんな研究をしているのかは知ってるかな」
「報道されてるやつなら一通りはな。あれだけ毎日聞かされりゃ嫌でも頭に入ってくるっての」
脳科学と言っても分野は幅広い。記憶や感情、人の免疫能力の制御や、体調の管理、神経の伝達。
小さな器官に秘められた未知は未だ多く、解明するには幾つものブレイクスルーが必要だと言われていた。
ところが、霧島はまるで最初から答えが分かっているかのように様々な理論を解明し、ついには神経パルスの解析まで成し遂げてしまった。
それが神の頭脳と言われた彼の最初の研究成果だ。
外部媒体への記憶の保存、参照。視覚や触覚といったあらゆる感覚の再現。感情の生成に、異常神経の遮断。
この技術が社会に与えた影響は筆舌に尽くしがたいが、中でも医療は大きな躍進を果たす。
脳の発した神経パルスを機械によって解析、電気信号へ変換する技術によって、身体の機能を失った人達がその機能を取り戻した。
あらゆるアレルギー症状は小さなイヤリング型の抑制端末によって制御できるようになった。
神経パルスを吸収・遮断する技術は副作用のない麻酔として、末期医療や妊婦へ使われている。
記憶を外部媒体に保存する事によって、アルツハイマーを始めとした認知症の治療法も確立した。
今までは文字通り匙を投げられていた患者が次々と健康を取り戻す様は、ある種の魔法のようですらあったという。
しかし、霧島裕也の研究はそこで終わらない。いや、とあるニュース番組で、まだ始まってすらいないのだと豪語した事さえある。
脳科学の天才が次に何を生み出すのか。世間の注目が集まる中、ついにそれは姿を現した。
神経パルスを電気信号に変換し、相互に送受信を行う技術の最終形態でもある全感覚共有機構。
通称、フルダイブシステム。
この瞬間、人は電子上の仮想世界という、新しい世界を創造したのだ。
理論上、仮想世界に制限はない。
国土は無限。ヘルメット状の接続機器を被って起動するだけという極めて簡素な利便性。
山登りだろうが、海水浴だろうが、遊園地だろうが、冬山のスキーや氷上のアイススケートだろうが、この世界に存在するあらゆる娯楽は家から一歩も外に出ず、万に一つの事故もなく楽しむことができるようになるだろう。
もしかしたら、事故を楽しむ"娯楽"すら生まれかねない。
仮想と現実の境目はこの装置によって限りなく薄れるのではないかと大いに騒がれた。
幾つかの業界はこのニュースに、業界そのものが消失するのではないかと危機感をあらわにし、毎日のように悪魔の発明だとバッシングを繰り返し、社会問題にもなった。
しかし、そんな彼らの予想は発売と同時に儚くも崩れ落ちてしまう。
世界が霧島裕也のスペックに追い付いてこれなかったのだ。
ゲーム機本体だけでゲームが遊べるだろうか?
否。遊ぶ為のソフトがなければただの箱に過ぎない。
フルダイブシステムも同じだった。
登山を仮想空間上で楽しむには、登山という行為をプログラム化し、ユーザーの動作に合わせて再現するソフトウェアが必要になる。
今までのようなコマンドでの制御は許されず、脳から発せられたあらゆる行動データをエラーなく適切に処理しなければならない。
絶対安全、それでいてリアルな実感を得られる機能を作るのに、一体どれほど大規模なシステムが必要になるか。
結果は無残と言わざるを得ない。大手ゲーム会社は次々に延期、撤退を表明。かといって、中小企業が作り上げられる代物ではない。
せめて基本的な動作や感覚のフィードバックをパッケージ化した製作基盤をどこかの会社が作り上げ配布しなければ、街ひとつ作るだけでも数年かかると言われたほどだ。
「あの時は正直参ったよ。プログラムは詳しくなかったから、ありとあらゆる企業が白旗を上げるなんて思わなかった。だから僕らで作るしかなかったんだよ。世界初の、VRMMORPGをね」
フルダイブシステムを作り上げた霧島としては歯がゆい事この上なかっただろう。
必要なプログラムが膨大だというのなら、発注する企業の数を増やして人海戦術に頼るしかない。
問題は誰がどうやって舵を取るかだ。
大規模なプロジェクトとなれば膨大な人件費を要するのだから、どうしたってスポンサーが必要になる。
数百の会社を年単位で雇い続けられる基盤を持つ企業なんて、日本政府を除いて存在しなかったわけだ。
「つまり、お前はこう言いたい訳だな。あの"World's End Online"を作ったのは日本政府の力を借りたお前だと」
2年ほど前に発売した日本産の、フルダイブシステムを活用した次世代型VRMMORPG。
とある大手ゲームメーカーが連携して舵を取り、あらゆるシステム・ゲーム会社、果ては個人のフリーランサーまでもを巻き込んでどうにか完成に漕ぎ着けたと言われている。
しかしながら、その開発者やスポンサーに日本政府が含まれていたなんて話は聞いたこともない。
「その通りだとも」
だというのに、霧島はあっさりとそれを肯定した。
人生で驚ける回数が限られているとしたら、俺はここで全てを使い切るかもしれない。
「流石に税金を使ってゲームの開発を支援していたなんて公にはできないから、幾つかのダミー会社を経由して資金を注入してるけどね」
「……なぁ、ここから出たら俺って消されるのか? だからこんなにぽんぽんと情報を渡すのか? それともからかって遊んでるのか?」
これだけの物を見せつけられれば、どんな荒唐無稽な話でも現実味が帯びてくる。
事が終わり次第、「お前はもう用済みだ」と言われ、頭が真っ赤な花を咲かせるのではないかと疑うのも無理はないだろう。
「実にネガティブだな……。安心しろ、誰かが訴えても揉み消されるし、証拠が出ても紛失すると"決まって"る。個人をいちいち始末したら却って不自然だし面倒だろ」
意訳、警察も検察も裁判所もグルなので不測の事態への対処はばっちりです。
それもそうかと一息ついた瞬間、霧島が悪そうな笑みを浮かべる。
「ただ、ここでの事を吹聴して回ったりすると不幸な事故に出会うかもしれないけどね」
「……気を付けさせて貰うよ」
やはり俺は、相当ヤバイ橋を渡らされているらしい。
「で、なんでネトゲの開発なんて始めたんだ?」
こうなりゃ毒食わば皿までだ。報酬は悪くないのだから、開き直ってさっさと慣れた方が良いに決まっている。
映画じゃ順応できない人間から死んでいくのが常だからな。
それに、話を聞いていて気になる点も幾つか出てきた。その内の一つがどうしてネトゲを作ったのか、だ。
フルダイブシステムを活用するのに向いているジャンルだというのは理解できる。
分からないのは霧島がどうしてここまでして、わざわざネトゲの製作に踏み込んだのかだ。
霧島の専門はプログラムじゃない。領分であるフルダイブシステムは完成している。
今までの彼なら、発見した技術の転用は企業にまかせっきりで関わる事もなかったはずなのだ。
自分の成果が周囲の技術不足で利用されない事が許せなかった?
だから自分で実現しようと、数兆はくだらない金額を動かしたのか?
……ありえない。何も考えていない政治家ならともかく、実際に国を動かしている官僚には損得勘定くらいできるだろう。
天才学者の頼みとはいえ、採算の取れないプロジェクトにこんな馬鹿げた金額を投入するとは思えない。
かといって、たかだかゲームの一タイトルで投入した金額を回収できると見込んだわけでもないだろう。
それに、フルダイブシステムを活用して欲しいだけなら、ネトゲを作るより開発支援用のプログラムパッケージ群を作れば事足りる。
わざわざネトゲを自分で作るより遥かに費用は掛からないし、無料で公開すれば数多くの企業が殺到するだろう。
そうしなかったのは霧島に何か別の企みがあるからに違いない。
「ネトゲを作らなきゃならない理由があったんだろ? それを話してみろと言ってるんだ」
俺の言葉に、霧島はニヤリと唇を吊り上げる。まるでB級映画に出てくるチープな悪役だ。
「察しが良いな。オンライン上で多数の人間が長時間フルダイブシステムを使ってくれる要件に、オンラインゲームが一番適していたんだよ。利益でいえば完全な赤字だしね。それを税金でどうにか賄っているのが現状だ。最近ニュースでよく、意味不明の用途がニュースになっているだろう? 増税が関係のない団体に使われてるとか、年金の為替運用に失敗したとか。あれは全部この事業のダミー団体だよ。そうやって"合法的"に税金を流しているのさ」
「は……?」
ニュースを見て、また無駄遣いしやがってと、政治家の無頓着な金の使い方に苛立った事くらい誰でもあるだろう。
まさかそれが税金を流す為の芝居で、オンラインゲームの赤字経営に補填されてるとは誰も思うまい。
「ひでぇ! 今すぐ全国の納税者に謝れ! ついでに俺にも謝れ!」
何かにつけて徴収される税金は給料の30%近い。つまり人生の1/3を税金として捧げているようなものだ。
それがまさか、プレイしてもいないネトゲの赤字補填に使われている? 一国民としてはとてもじゃないが看過できない。
しかし当の霧島は澄ました顔でこう言ってのけた。
「最終的に数倍にして返せばいいんだよ、大事なのは過程じゃない、結果さ」
「赤字のネトゲがどう黒字に繋がるんだ! 世界展開でもする気かよ!」
「いや? 正直ネトゲはどうでもいいと思ってる。やってるのは管理だけで、後は大手ゲームメーカーに丸投げだしな」
「こいつぶっちゃけやがった! 黒字展開の未来が少しも見えねぇ!」
その場で頭を抱えた俺に、裕也は楽しげに笑い声を漏らす。
「まるで昔と変わっていないな。やはり新堂を選んで正解だった」
「変わっていないのはお前も同じだな。今でも天才脳科学者とは思えねぇよ」
大学の時はよくこうして馬鹿話に花を咲かせたものだと今さらながらに思い出す。
「……その通りだな」
そこへ不意に、呻き声にも似た呟きが裕也の口から洩れた。
擦れていて何を言っているかまでは分からず、「何か言ったか?」と聞き返すが、「いいや」と小さく返すだけだった。
「話を戻そう。大切なのは、"オンライン上で多数の人間ができるだけ長時間フルダイブシステムを使ってくれる"事なんだよ」
先程の様子が気になりはしたが、露骨な話題を変えた事を考えれば、触れて欲しくないのだろう。
それ以上深くは追求せず、話の先を促す事にした。
「どういう事だ?」
「単純な利益や個人的な趣味でこのプロジェクトが進められている訳ではないことくらい分かるだろう? 莫大な費用に見合うだけの""何か"がなければ、国は金を出したりしないさ」
投資した金額に見合う何かを得られると判断したからこそ、政府は金を出した。
そういえば確か、ネトゲの開発自体は霧島が言っていた通り、有名な多数のメーカーが舵を取って中小メーカーを取り纏めて行っていると新聞で読んだ記憶がある。
とすれば、この馬鹿みたいに大掛かりな研究所は、ネトゲとは関係ない何かの為に設けられたということになる。
「……一体この施設は何を研究してるんだ」
「プラシーボ効果を知っているかい?」
霧島は俺の質問に答えず、逆に不可解な質問を投げ返す。
勿論、と俺は頷いた。薬学を専攻していたのだから当然だ。
治験で薬物の効果を測定する時、偽薬と呼ばれる薬理的な影響のないブドウ糖や乳糖が被験者へランダムに与えられる。
他にも、不眠症や下痢、慢性的な頭痛に悩まされている患者へ本物の薬と一緒に偽薬を処方する事もある。
人の認識とは不思議なもので、効果のない筈の偽薬にも関わらず、実際に症状を和らげる事も少なくないのだ。
偽薬は薬ではないのだから、当然副作用は出ない。
慢性的に薬物を服用する患者が体調を悪化させないようにする為の措置としても有名だった。
しかし何故そんな事を聞いたのかはさっぱり分からない。
「なら、どうして効果のない筈の偽薬で症状が改善するのかな」
霧島の言うとおり、薬理的な効果がないのに症状が改善するのはおかしいという意見も多いのだが、人には元から自然治癒という症状の改善手段がある事を加味すると理論的に説明できる。
例えば、薬を飲んだという行為が、これで病状が和らぐと言う精神的な安定をもたらしストレスが軽減する事によって、本来の治癒能力が普段以上に活発化する。
他にも、薬を飲んだから症状が改善されるという思い込みによって、免疫機構が強化されるという話もある。
「つまり、全ては思い込みによる心理的効果って事かな」
「……いいや。実際はそうとも言い切れないんだ」
確かに、先の2つの例は心理的な側面から効果の立証に迫っている。
だが、最近の研究によって"必ずしも心理的な効果によって引き起こされる訳ではない"と立証されつつあるのだ。
もし偽薬が心理的な効果によって引き起こされるなら、薬という概念を理解できない動物や幼児に同じ実験を行っても効果が出ない筈である。
ところが、実験を行うとそのどちらにも、偽薬による効果が確認できるのだ。
「ぶっちゃけ理由は分からん。まだ解明されてないからな。その内どこかの天才脳科学者様が解明してくれると思ってるよ」
偽薬を投与した患者の神経パルスを測定し、解析した結果を積み合わせれば、偽薬による脳の命令も解析できる。
ただ、どれが偽薬によってもたらされた脳の命令なのかを判断するのに数億ケース近いデータが必要と言われていて、実現はまだ難しいだろうと言われていた。
俺としては茶化したつもりだったのだが、霧島は顔を顰めてぽつりと漏らす。
「解明されている」
「……は?」
意味が分からなくて、俺は愚直にも再び問い返した。
「だから、解明されているんだよ」
フルダイブシステムが開発されてからまだ日は浅い。
この短期間で数億近いケースを積み重ねるのは世界中が協力しても絶対に不可能だ。
茶化したお返しに軽口でも叩かれたのかと思ったが、どこか苦しそうな表情は演技で作られたようには見えない。
「ちょっと待て、解明されただと?」
だからといって、俺にとっては到底信じられない話だ。何せ、つい最近まで薬品の開発に携わっていたのだ。
偽薬の効果が立証されたのであれば、例えお茶の間には流れなくとも、研究者の間で大きなニュースになる筈なのに、今までそんな話を聞いた事はない。
「規制されているんだ」
困惑している俺を見て、霧島が補足する。
「規制……? どうして規制する必要があるんだよ」
偽薬の効果が科学的に立証されたという事は、薬を使わずに治療する指針が見つかるかもしれないということだ。
薬の副作用に苦しんでいる人は数えきれないほどいるというのに、隠し続ける理由があると思えない。
「説明するよ。ただし、この話はあまりにも突拍子がなく、荒唐無稽だ。それでも最後まで聞いて欲しい」
「荒唐無稽なのはこの設備もそうだろ。いいから話せ、お前は昔から前置きが長い」
容赦がないなと笑いながら、霧島は小さな携帯端末を取り出して何かを表示する。
柵の中に鉄柱が生えている寂しげな景色。
子どもの玩具に似た、金色に輝く模型。
上空から撮られた、広範囲の地面に絵柄が書かれた白黒の写真。
古めかしい、それでいてとても精緻な日本地図。
水晶らしき透明な何かで形作られた髑髏。
どこかの遺跡らしい場所で撮られた形の整っている大きな石の写真。
「これらは全て、オーパーツと呼ばれている骨董品の写真だよ。知っている物もあるんじゃないか?」
霧島の言うとおり、見覚えのあるものも幾つか散見できた。
1枚目は時々テレビにも出る錆びない鉄柱。
3枚目は有名なナスカの地上絵。
4枚目は伊能忠敬が寛政12年に作り始めた日本地図。
5枚目はレバノンにある宗教都市、バールベックの遺跡で使われている世界最大の巨石として有名だ。
どれもこれも、当時の技術では作り出せる筈がないと言われている、曰くつきの遺産だ。
「贋作もあるけど、中には確かにあるんだよ。当時の技術どころか、今の技術でも実現不可能な物が。特に4枚目の測量は人力で行える精度を超えているし、5枚目の巨石に関しては現代の技術をもってしても動かせない。つまり、存在できるはずのないものが存在しているわけさ。この世界には科学で説明できない不思議なことがまだまだ山のようにあるんだよ」
科学は万能ではない。調べて、確かめて、やってみて、同じ結果を得られたなら、それは法則として記される。
その集大成が科学だ。この世界は広いし、宇宙規模ともなれば更に広くなる。解明されていない法則や技術はまだまだ眠っている。
「新堂。君は何もないところから火を生み出すことができると思うかい? 手品なんかじゃない。質量保存の法則を超えて、0から1を。無から有を作り出せると思うかい?」
「無理だろ」
即答した。確かに科学に可能性があるのは認める。けれど、それとこれとは話が別だ。
なのに、霧島はまだ納得していなかった。
「どうして無理だと思うのかな」
「そりゃ、常識的に考えりゃ分かるだろ。中学の頃ならまだしも、今はもう大人だぞ? 物理的にできないことがあるくらい分かってる」
常識。この世界で生きていくのになくてはならないものだ。
親から子へ、子は親になり、また子へ。そうやって時折形を変えながらも、大昔から淡々と受け継がれてきたものだ。
霧島の話す内容はその常識からかけ離れすぎていて、とても頷ける物ではない。
霧島はそれを聞いてどこか寂しそうな顔で頷いた。
「だろうね。人は成長する。子どもが大人になるように、大昔の人と今の我々では決定的な何かが違うんだ。昔の人は手から炎を生み出せると信じていた。踊りで雨を降らせられると信じていた。神はいて、奇跡は起きて、世界には無限の可能性があると強く信じていたんだ。……あるんだよ、実際に。いや、あったんだ、大昔には。何もない空間から炎や水を生み出す力が、人の願いによってこの世界の法則を捻じ曲げ、存在しないはずの現実を作り出す力が」
「何を言ってるんだ……?」
無から有を生み出す力。質量保存の法則を見つけたアントワーヌが聞いたら卒倒するに違いない。
とても科学者の口から出るような話とは思えなかった。霧島もそれは同じなのか、分かりやすく苦笑している。
「僕も最初は信じられなかったし、理解できなかった。いや、今でも正確には理解できていない。でもそれが実際にある事は否定できない。僕らはそれを便宜上"魔法"と呼んでるのさ」
ここに来る最中、霧島が口にした言葉が脳裏を過った。
「魔法って、お前……」
天才と謳われ、数えきれない程の偉業を成し遂げた科学者とは対極に位置する単語だ。
思わず「馬鹿らしい」と口にしようとしたところで、先に霧島の方が自嘲気味にその言葉を口にする。
「馬鹿らしいだろう? でも実際に再現できてしまえば、法則を見つけてしまえば、それは科学の一部になる。もう一度言おう。無から有を生み出す法則は実在する。再現率は今のところ100%。僕らはそれに"魔法"という呼称を付けただけに過ぎない」
何を言えばいいのか分からずに、またぽかんと口を開ける。
俺がもし心臓の弱い爺さんだったら、もう10回は死んでいそうだ。
「過去のオーパーツ、あらゆる解明不能の現象はこの"魔法"が関わっている可能性が極めて高い。この力は大昔からこの世界に存在していたんだ。一部の人間にしか扱えなかったようだが、科学の発展していなかった時代には重宝がられていたらしい。けれど個人差によるところが大きいし、さして強い力じゃないんだ。個人が変えられる世界の範囲は極限られている。そうしている内に科学が発展して、この力に頼らずとも大抵のことはできるようになってしまった。だから忘れられ、現代には伝わる事もなかった」
解明できない過去の現象は全て解明できていない魔法が関わっている。何と言う強引な理論か。
それではこの世界のすべては魔法で成り立っていることになってしまう。
そう告げると霧島は少し笑って、やはり寂しそうにこう口にした。
「きっと、この世界にできないことなんてないんだ。まだ僕らが知らないだけで探せば方法は必ずある。本来、科学はそういう物だったんだよ。けれどいつからか、人は科学に頼りすぎてしまった。できることとできないことを自分で決めて、解明できない事柄を非科学的と批判するようになってしまった。……人にある無限の可能性を忘れてしまったんだ」
霧島の話は確かに突拍子もなくて、まるきり御伽話そのものだった。
世界を変える力?
失われてしまった能力?
世紀の天才博士が口にする言葉だとは到底思えない。
だというのに落ち着いて話を噛み砕くと嫌な予感が次から次へと噴出してくる。
フルダイブシステム、大規模なネトゲの運営、莫大な資金の見返り。
何一つとして繋がりようもない話だというのに、どうしてか一つに繋がろうとしている気がする。
「……仮にそれが本当だとして、どうして忘れられちまったその力とやらを見つけたんだ?」
「教えてくれた人がいるのさ。最初は夢だと思っていたんだけど、研究結果は現実に残されていた」
「研究成果?」
「世界を変える力がどんな神経パルスから生み出されるかを検証したデータだよ。それが本物なのかは分からなかったけどね。記録された脳神経パルスを再生する技術が当時はなかったから」
大昔の人が使えたという、世界そのものに干渉して無から何かを生み出す力。
古典や民話を紐解けば魔法としか思えない摩訶不思議な力は幾らでも存在する。
もしそれが実在していたとしたら。そして、その使い方を現代人が忘れてしまっただけなのだとしたら。
もしもそれを再現できる技術があるとすれば。
霧島はその両方を自らの手で作り上げてしまった。
「フルダイブシステムにはサーバーから送られるパルスパターンを装着者の脳内で強制的に再現する機能が秘密裏に組み込まれているんだ。幾ら技術が発達しても、研究の方法は大昔から変わらない。予測して、試して、結果を調べての繰り返しだ。その為にはどうしても、膨大なパルスデータを検証するためのデバイス……人の脳が必要だったんだよ。ゲームを遊んでいるプレイヤーの、使われていない脳の領域を拝借して、この力を研究する為に使わせて貰っているんだ」
霧島は言っていた。オンラインゲームは、長時間フルダイブシステムを使ってくれるから都合がいいのだと。
長時間繋いでくれれば、その分実験が捗るから。
本人も気付けない部分で、脳はサーバーから贈られてきた神経パターンの再現し、彼の言う"魔法"の解析を続けている。
この2年間、休む事もなく。
「正気かよ、お前……」
ネット上で見た都市伝説が不意に脳裏を過った。
なんでも、wolrd's end onlineには闇の組織から手が回されて、第六感や超能力を増幅する人体実験をしているらしい。
闇の組織? 第六感のパルス? 人体実験? 今時中学生でも考えないくらいチープな内容の羅列だというのに笑えるくらい的を射ている。
この研究施設で行われているのは紛れもない人体実験の数々だ。
出資者である政府がそれを知らないなんて事はあるまい。
どんな研究者でも犯してはならない禁忌がある。その一つが人体実験だ。
例えどれほどの利益をもたらすとしても、人を人として見なくなった研究に成功などありえない。
「どうしてそんな物に手を出したっ!」
気付けば今にも食い殺さんばかりの勢いで霧島の襟首を掴み上げていた。
製薬会社で働いていた頃、一つの噂を耳にしたことがある。
ライバル会社の劇的な進捗は、貧困国で行われた人体実験によるものであると。
勿論信じていない。というより、信じたくはない。でも心の中に靄が生まれたのも確かだ。
今の俺はそれを霧島にぶつけているに過ぎない。
ただの知的探究心の為に他人を踏み台にしたのだとしたら許せるものではなかった。
「天才と持て囃されて常識も忘れちまったのか!? 研究のためなら何でも許される戸出も思っているのか!?」
怒鳴る俺に霧島は抵抗しなかった。同時に、視線を逸らすこともしなかった。
「どう言い繕っても許されない行為である事は分かってる。言い訳にはならないが、細心の注意を払い人体に影響のない範囲で進めている。勿論、それも絶対とは言い切れない。それでも、どうしても必要なんだ」
霧島の瞳に浮かんでいるのは強い意志だ。
単純な知的探究心でもなく、人体実験が禁忌である事を理解している。
本当は分かっていた。霧島は安易にそんな道を選ぶような人間ではない。
にも拘らず、どうして最大の禁忌に触れてまで成し遂げようとしているのか。
「お前たちは一体何をしようとしてるんだ……?」
掴んでいた襟首を離すと、霧島は幾度か咳き込みながら席に投げ出される。
「このプロジェクトの最終目的は、資源を生み出すことだよ」
十数年前から始まった資源の高騰は、未だ収束の兆しを見せていない。
特に日本は国土の大部分が山と森で、原油やボーキサイトを始めとした数多くの資源を他国からの輸入に頼りきっている。
ここ数年で急激に高騰した相場は、財政に少なくない打撃を与えていた。
これ以上高騰が続けば日本という国は成り立たなくなってしまうかもしれない。
日本政府が焦り始めたのも無理はない。けれど焦れば焦るほど、資源は高騰していく。
自国の領土に資源が少ないのは、日本だけではないのだから。
「近い将来、資源不足が原因で世界は大きな混乱をきたすだろう。ポイントオブノーリターンはとっくに過ぎてるんだ。自給率の低い日本が生き残るには、資源を再生するか、さもなくば生み出すしかない」
「……御伽話にも程があるぞ」
目の前の霧島が狂っているのか、あいつの言葉が信じられない俺が狂っているのか。
こんな太それた施設の中でなければ信じなかっただろうし、今なお、何かのドッキリなんじゃないかと疑っている。
日本政府にはもう時間がない。だから人体実験まで認可して、研究を急いだのだろう。
「真偽については時間が解決してくれる。いずれ君も見る事になるんだから、信じざるを得なくなる」
霧島は至極真面目で、自論を疑っている様子は少しもなかった。
「話を戻そうか。一人が生み出せる力は小さいんと言ったね。残念ながら、大昔の人でも一人で雨を降らせることはできない。だから儀式化して、参加したたくさんの人達から力を集めたんだよ。でもこれには問題もあった。魔法は脳が特定のパルスパターンを構築することで発動する。たくさんの人の脳は一つじゃないだろう? すると互いに干渉しあって、時には1人の時よりも弱くなってしまう。2人いれば2人分の力みたいな単純な合算にはならないんだ。だから殆どの儀式は祈祷文とか動作を取り入れて、参加者が同じパルスパターンを構築しやすいように作られている」
周りの人が押し黙っている場面で賑やかに話そうという人は少ないだろう。
パターンが似ていれば似ているほど、相互干渉はなくなる。昔の人はそうやって大きな力を引き出していた。
「でも僕らにはフルダイブシステムがある。……誰かの脳波と同じパルスパターンを強制的に再生することができるんだ。ネットワークに接続された同型のパソコンと言った方が正しいだろうね。2人が2人になるよりもっと大きく。100が1000に。1000が100000になるような、そんな桁外れの増幅が可能なんだよ。問題はその力の制御と、生み出したい物を生み出すためのパルスパターン解析さ。2年間による研究で物質を生み出すためのパターンはかなり解析できている。問題は、力の制御の方だよ」
ランダムに作られたパターンをプレイヤーの余剰演算領域で再生し結果を測定。
無限にも思える組み合わせの中で、必要な物質を生み出すパターンを約2年もの間、休まずに続けていた。
結果は上々と言っていい。
まだ幾つか探し当てられていない物質はあるものの、今まで発見されたパターンとの類似点を模索し、マッピングすることで大体の当たりはついていた。
もはや出揃うのは時間の問題なのだ。
だが、制御だけは未完成と言わざるを得ない。
……いや、或いはもう既に、完成しているという意見もあるのだ。
「丁度半年前のことさ。僕らはこの力の制御できるか試すために大規模な実験を行った」
接続している全プレイヤーの行動にサーバー障害を装った遅延を発生させ30秒ほど時間を止めたのだ。
同時に、普段は使われていない脳の領域だけで展開していたパルスパターンを最大限まで増幅。
もし実験が成功すれば、地下研究所の一角に作られた巨大な水槽が水で満たされる筈だった。
既に実験が行われたと聞いて、俺は思わず眉を顰める。
「……結果は?」
結果が気になった。霧島は少しだけ時間を置いて「失敗した」とだけ短く告げる。
十万のプレイヤーが作り出した異常なまでの力を制御できなかったのだ。
「生まれた水は一滴だけ。パルスデータの調整が終わった瞬間、こちらの制御から離脱してしまったんだ。すぐに実験は中止、プレイヤーのパルスデータを直前に保存した個々のデータへ切り替えて発生させていた遅延を解除した。プレイヤーには頭痛や眩暈、吐き気といった軽度の副作用を出してしまった」
唯一の救いは重篤な患者が出なかったことだ。
他にも、キャラクター名「セシリア」というプレイヤーが一人だけ感知できる筈のない遅延をブログに書いていたが、些細な問題だろう。
「おいおい、じゃあ今までの全部は無駄足だったって事か? そもそも、お前の言う世界を変える力とやらが本当にあるのか?」
結果が出なかったのならそういう事だ。
薄い根拠でこんな馬鹿げた実験を続けているのだとしたら、やはりおかしいのは霧島に違いない。
だというのに、霧島は小さく首を横に振った。
「実験は失敗した。でもね、僕らの想像を超える置き土産を残してくれたんだよ。こればっかりは正直、頭が痛いね」
訳が分からないと言った表情を浮かべた俺に、霧島はポケットから取り出した携帯端末を広げる。
そこにはこの山とは違う種類の、亜熱帯気候に属すると思われる草が茂った森の中の映像が映っていた。
脳波パターンを同じ物に書き換えた瞬間、十万人のプレイヤーの意識は電子ネットワークを介して繋がり、一つの大きな統合思念が出来上がった。
多数のプレイヤーの意識からなる統合思念に自我と呼べるものはない。
直前までゲームをしていたプレイヤーの「レアが欲しい」、「お金が欲しい」、「レベルを上げたい」といった、細々とした願望が混ざり合っている状態とでも言うべきか。
ただ、その中で一つだけ、誰しもが共通の願いを持っていた。
それが、"World' End Online"への渇望、困った置き土産である。
「彼らが願ったのは何だと思う? World's End Onlineの"創造"だよ。彼らは世界その物を作り上げたんだ。信じられない事にね」
笑えるくらい荒唐無稽な話だ。たった十万人の欲望によって、世界が一つ生み出されたのだから。
ゲームの世界観を根幹におきながら、法則に関してはこの世界とあまり変わらない。
作り出された世界が何処にあるのかは依然として判明していないが、この世界からまるでゲームの管理画面を叩く感覚で干渉すら可能だった。
特定の手順を踏めば実際に足を踏み入れる事すらできてしまう。
既に数人が急いで取り寄せた宇宙服に身を包み、人工の世界に自生していた植物と鉱石を持ち帰っている。
そのどちらもが、この世界には存在しない、いや、存在するはずのない物だった。
「おまけにこちらとあちらでは時間の流れ方が違うらしい。定期的に観測しているいるんだが、最初は何もなかった世界に今は人が生まれて、文明を作り上げ、今じゃ10世紀頃のヨーロッパといったところかな。幸いだったのは、巻き込まれたプレイヤーが居なかったことだよ。統合思念は全プレイヤーの意見の集合体だ。半数以上はこの世界に未練があったらしい」
俺はもうどうでもよくなっていた。
理解不能、理解不能、理解不能。さっきから脳がひたすらにエラーを発している。
こんなもの、理解しろという方が無理なのだ。
どの道、この施設で暮らさねばならない。真実はいずれ、その目で見ることになるだろう。
冷めてしまったコーヒーを一気に煽ってから、俺は天井を仰いで盛大に溜息を吐いた。