リュミエール-18-
「送迎ありがとうございました。流石にあの話を聞いた後で夜道を歩くのは怖かったですから」
念の為に同乗してくれたゼフェルへ向かって深く頭を下げた。
「構わん。屋敷に入るまで見届けるよう言付かっているからな、さっさと行け」
見張りに立っていたプレイヤーが何事かと目を丸くしている隣を通り抜けて屋敷へと入る。
途端に馬の嘶く声が聞こえ、馬車は屋敷へと戻って行ったようだった。
思っていたよりも収穫は多く、今後の展望も見えてきてほっと胸を撫で下ろす。
最後にもう一度リディアの様子を見てこようと病室に向かおうとした瞬間、同じ方向から騒々しい足元が響いてきた。
明かりが乏しく暗闇に呑まれている廊下は見通しが悪く、一体何事かと注意深く伺っていたところ、手身近な明かりに浮かんだのは血相を変えた女性だった。
「何かあったんですか?」
直接話した事はない筈だが、どこか見覚えのある顔だった。
「馬車が見えて……もしかしたらセシリアさんかと思って……私、病室から走ってきて……」
よほど全力で疾走したのか息も絶え絶えと言った様子で、荒く息を吐きながら何事かを伝えようとしていた。
「リディアが起きたの」
その一言でセシリアの顔が跳ね上がる。思い出した。彼女はよくリディアと一緒に居たプレイヤーだ。
心配して世話を焼いていたのだろう。それで起きた瞬間に立ち会ったのかもしれない。
肩に乗っていた手を振りほどいて、お礼もそこそこに駆け出す。
「待って! まだ続きが……!」
背後から投げかけられた言葉はまだ擦れていて、セシリアの背には届かない。
追い縋る余力も残っておらず、彼女はその場で後姿を見送ることしか出来なかった。
「リディア!」
扉を壊さんばかりの勢いで駆け込んできたセシリアに、部屋番をしていた女医が驚いて手にしていた本を取り落とす。
備え付けのベッドの上では上半身を起こしたリディアも何事かと目を丸くしていた。
「良かった。本当に良かったっ」
無事に目を覚ました姿に感極まって、跳ねるようにしてリディアを押し倒す。
「ど、どうしたの!? まさか君から飛び込んでくる日が来るなんて……もしやこれがデレ期!? 遂にお姉さんの苦労が報われたーっ!」
突然の事態に驚きつつも、リディアはいつもと変わらない屈託のない笑顔を浮かべて押し倒してきたセシリアを抱きしめた。
どさくさに紛れて頬ずりしてみたり、左手をお尻に伸ばすのも以前と何ら変わらない。
普段ならすぐに逃げ出すところだが、今日ばかりは後者をしっかりとガードしつつなすがままにされる。
「起きなかったらどうしようかって……」
血溜まりの中に沈んだ姿。もう二度と目を覚まさないんじゃないかと言う不安に、何度苛まれた事か。
「心配してくれたんだね。ありがとう、でももう大丈夫」
伝わってくる暖かい体温は紛れもなくリディアが生きている証拠だ。
何事もなくて本当に良かったと心の底から安堵した、瞬間。
心に余裕ができたおかげか、何故かほんの少しだけ、胸に刺さったような違和感が湧き出た。
いつものリディアと何かが違う気がする。
出会い頭に抱きつかれたことは数知れず。過去と今で何かが足りていない。
気になって記憶を掘り起こす。思い出しすのは簡単だった。足りない何かは息苦しさだ。
リディアに抱きつかれたときの頭の位置が丁度胸の辺りで押し付けられる形になっていて息がしにくかった。
ネカマプレイで胸を押し付けることはあっても、押し付けられることはまずない。
まして中身は男なのだ。気恥ずかしくなって余計に暴れたのも当然と言える。
にも拘らず、息苦しさがなくて違和感を感じているのはどういう訳なのか。
いや、そもそも自然にリディアの胸へ飛び込み押し倒した時点で男としての何かが失われつつあるのでは。
途端にリディアに抱きついている自分が気恥ずかしくなって、慌ただしく身体を起こす。
以前はそれだけでも一苦労だったのに、今日はやけにすんなりと身体が離れた。
きっと目覚めたばかりで本調子ではないのだろう。
残念そうな表情のリディアをなるべく見ないようにしながら、手を貸して身体を起こそうとする。
自然と彼女の全身が視界に収まって、違和感は確信へと姿を変えた。
「その右腕……どうしたんですか」
普段のリディアは右腕で頭を押さえ込みながら、左手でお尻を撫で回していた。
そのせいで胸元に息苦しくて、同時にがっちりと押さえられて抜け出すのも大変で。
でも今日は、その右腕が不自然なくらいだらりと垂れ下がっている。
抜け出すのが簡単だったのも当然だ。押さえる物が何もないのだから。
リディアは困りきった顔で何かを話そうとするが、言葉にはならず、ただの呻き声で終わる。
言い難い事があるのは一目瞭然だった。
けれど。リディアもどう告げるべきか悩んでいるのだろう。
やがてそんな彼女に焦れたのか、やるせなさそうに女医が呟いた。
「動かないのよ」
言葉の意味をセシリアは上手く飲み込めず、ただぽかんと右腕を見つめる。
「あぁもう! 折角あたしが何て言おうか考えてたのに。それは直球過ぎ!」
「良いじゃない。どう言い繕っても現実は変わらないわ」
横槍を入れられたことにリディアは文句を言うものの、面倒とばかりにばっさりと切り捨てられていた。
わざとらしく拗ねた振りをしてみせるが、相手は少しも動じていない。いや、気にしてすらおらず、再び手にした本へと視線を落としていた。
「どういうことですか」
セシリアは目の前の2人のやりとりが理解できず、反射的に尋ねる。
「あはは。なんていうか、斬り飛ばされたところから感覚がなくってさ。脈はあるし、目立った傷もないから医学的にはちゃんと繋がってるらしいんだけどね。あぁ、でも大丈夫だよ。製造の後任も見つかってるし、片手が使えなくても意外と何とかなりそうだからさ。なんならその身体で確かめて行くかなっ?」
そうして、最悪の症状をまるで何でもない事のような笑顔で告げた。
「なに、それ」
予想だにしなかった後遺症にセシリアの顔が色を失くしていく。
訳が分からなかった。
片腕が使えなくなったのに、どうしてそんな明るい顔をしていられるのか。どうして何でもない事の様に振る舞えるのか。
「全然大丈夫じゃないじゃない! 待って、確か欠損効果は上位の回復魔法で治るから……」
本来は予想してしかるべきだったのだ。目覚めただけで問題が解決すると思っていた数分前の自分を殴りつけてやりたくなる。
斬り飛ばされた腕が元通りになるなんて、一体誰が決めたと言うのか。
倒れていたリディアに使った【レメディウム】はセシリアが扱える治癒魔法の中でも最上位の回復効果がある。当然、部位破壊の回復効果も含まれていた。
しかしあれだけの傷だったのだ。もしかしたら1度では足りなかった可能性もある……筈だ。
そう思って準備に入ったセシリアを、リディアは困り顔で押し留める。
「あのさ……。それはもう良いかなって。実はさっきまで色んな回復魔法を使い続けて貰ったんだけど、効果はなかったんだ。悪くもないのに謝られるのはしんどいから」
寂しそうな笑顔で隣のベットへと視線を向ける。
今までリディアにばかり目が行って気付かなかったが、そこではクレリックの女性が一人、死んだように眠っていた。
たったそれだけでセシリアは何があったのかを理解する。
リディアがこんなにも落ち着き払っているのは、彼女の献身的な治療にも拘らず効果がなかったからだろう。
考え得る回復魔法を何度も掛けなおして、でも効果は見られなくて、その度に謝られて、次第に魔力が尽きて意識が朦朧としているのに諦めきれず、倒れるまで使い続ける姿をリディアは眺めていることしかできなかった。
いや、リディアのことだ。治そうと頑張ってくれている彼女を前に、何もできない自分、頑なに動かない右腕を悔い続けたことだろう。
「嫌、です」
それでも、何せずに諦められるほどセシリアは達観していない。
「やってみないと分かりませんっ!」
悲鳴にも似た叫び声をあげて準備に入ったセシリアの性格をリディアも良く分かっていた。
それ以上は拒まず、どこか寂しそうな、申し訳なさそうな表情を浮かべるだけだった。
その姿がまるで、既に治らない事を知っているかのように映り、セシリアの胸の内に最悪の想像が巡る。
魔法が万能だったのは、ゲームだった頃だけではないのかと疑問に感じたことがある。
ヒールの原理を考えた時、可能性として思い浮かぶ方式が2つあった。
1つは傷が"ある"という事実を魔法で"ない"状態に書き換えてしまう、フラグを変えるだけのゲーム的な原理。
もう一つは人が持つ本来の回復サイクルを魔法によって補助・加速し、瞬時に治してしまう物理的な原理。
どちらが正解なのかセシリアにはわからないし、確かめ様のない事だ。
結果として傷が治るならどちらでも構わないとさえ思っていた。そもそも傷を負わないことが一番なのだから。
だが、この2つの原理には埋める事の出来ない大きな差がある。
もし回復魔法が人の回復サイクルを元に行われるとしたら、効果にはどうしても限界が生まれるのだ。
そんな限界に達するような怪我はしないつもりでいたし、誰かがなるとも思わなかった。
仮に誰かがなったとしても、自分とは関係のないところで起こるだろうと思っていた。
目を開けるのが難しいほどの極光が一呼吸ほど部屋を照らした後、不安げに見守るセシリアに向かって、リディアは小さく首を振る。
「どうして!? 回数が足りないだけなら、もう一度!」
「落ち着いて。その魔法は消費が激しいはずだよ。君まで倒れたらどうするの?」
再び魔法を使おうとしてセシリアを、今度は先程よりも強い調子で阻む。
セシリアの知る限り、【レメディウム】より強力な回復魔法は存在しない。
この魔法で回復できない状態異常は上位クラスの暗殺者が高額な触媒を利用して作る猛毒くらいなものだ。
勿論、リディアの症状がその猛毒からきている筈がないし、そもそもこの毒を扱える高レベルの暗殺者はこのギルドに居ない。
ならばどうして治らないのか。
魔法は万能のように見えて、決して万能ではない。つまりは、そういう事なのだろう。
ゲームは所詮ゲームだ。
部位破壊による欠損も実際に足が吹き飛ぶわけではなく、システム的な制約が課せられるだけで現実味はなかった。
先程の想像の通り、治癒できる怪我に限界があるのかもしれないし、切れてしまった骨や肉を繋ぐ事は出来ても神経は繋がらないのかもしれない。
或いは、セシリアの回復が遅すぎたのかもしれない。
いずれにせよ、リディアの腕を治療する方法がない事には変わりなかった。
だというのに、リディアは落ち着き払って憔悴しているセシリアを宥めてさえいる。
原因が誰にあったかなんて考えるまでもなかった。
「私のせいだ……。あんな計画を立てたから……。だから……」
「ううん、それは違うよ。これはあたしが選んだの。だから君のせいなんかじゃないし、気にする必要だってない」
色のない表情でうわ言の様に呟くセシリアを、リディアは優しげな声色で諭しながらそっと撫でる。
けれど、リディアの声が優しくあればあるほど、慰められれば慰められるほど、セシリアの胸の内には黒い靄が積もっていった。
「なんで、どうしてそんなに冷静なんですか!」
酷い八つ当たりだと自分でも分かっていながら、感情の爆発は止まらない。
「もっと恨み言とか、あるでしょう!? 全部私のせいなのに、どうしてそんな、何事もなかったみたいな顔していられるんですかっ」
呆れるくらい自分勝手な言い分が止め処なく溢れてくる。
罵ってくれた方がどんなに楽だったか。殴られたとしても、刺されたとしても文句は言えない
なのにリディアは優しいばかりで、散々に喚き散らすセシリアをあやすように抱きしめる。
「あたしのしたかった事をちゃんと成せたから。犠牲は最初から覚悟してた。君だってそうでしょう?」
オークの特性を利用した作戦である以上、予め覚悟はしていた。
どうせこの身体は作り物の紛い物。元の世界に戻ればなかった事になる。
だからどんなに傷つこうと死にさえしなければ関係ないと割り切った。
でもそれは自分の身体に対してだけで、他の誰かを含んでいない。
当然だ。自分の身体だから自由にできるのであって、他人の身体を傷つける覚悟なんてあって良い筈がない。
たった一人で行くと決めたからこそ、危険を承知で作戦を立案できたのだ。
リディアがそれに加わる必要なんてなかった。自分だけで完結しなければならなかった。
思いがけず2人に増えた時点でもっと安全な計画に変更すべきだった。
それが思いつかないなら、せめて一人きりに戻るべきだったのだ。
セシリアにはリディアを強制的に転移させる方法があったのだから。
でもそうしなかった。
「あの場ですぐにポータルゲートを使うべきだったのに、来てくれた事が嬉しくて、強引に帰しても何するか分からないなんて勝手な理由を作って、オーク相手なら2人でもなんとかなるだろうって何の保証もない癖に軽く考えたっ! ごめんなさい……。私はどうすればいいですか。どうしたら責任を取れますか」
今さら後悔したところでリディアの腕は治らない。
勝手に溢れてくる涙が不甲斐なくて、罪悪感と申し訳なさで顔を上げることもできなかった。
「泣かないで。これはあたしが選んだの。だから誰にも責任なんてない。んー、でももし君があたしの物になってくれるっていうなら大歓迎かな!」
俯いたまま擦り切れた声で謝り続ける。けれどそれは、最初から全てを覚悟していたリディアにとって見当違いの申し入れだ。
今回の代償についても自分の中でとっくに完結している。誰かに背負わせるつもりはない。
だから冗談めかして、セシリアが絶対に受け入れられない条件を口にしてこの話は終わらせるつもりだった。
「……それで満足してくれるなら、構いません」
リディアにとって想定外だったのは、馬鹿げた提案が受け入れられたことだ。
セシリアなら断ってくれると確信していただけに、思わず間抜けな声が漏れる。
「あはは、冗談も大概にしないとお姉さんは信じちゃうよ」
「なら、これを付ければ信用してくれますか」
そういってインベントリの中から差し出したのは銀色の小さな首輪だった。
装飾は全くと言っていい程ないシンプルな造りだというのに、やけに気味悪く映るのは効果を知っているからだろう。
セシリアが襲ってきた相手を娼館に貸し出す際、暴れた時の為に方々を回って手に入れた隷属の輪と呼ばれる一種の拘束具だ。
対となる魔法具を使用すると様々な苦痛を与えることができ、犯罪者や奴隷に使われる。
冗談にしても性質が悪かった。まして本気なのだから笑えない。
「流石のあたしでも、怒るよ」
反射的に動いた左手が小さな手に乗っていた首輪を弾き飛ばし、壁に当たって微かな金属音を響かせる。
穏やかな口調だというのに有無を言わせぬ迫力が滲んでいて、俯いたままのセシリアは可哀想なくらい怯えていた。
「ね、ちょっと席を外してくれないかな?」
「……はいはい。分かりました、お邪魔虫は退散させて貰うわ。どうせ今日は誰も来ないでしょうし」
考える素振りを見せたものの、じっと見つめてくるリディアの視線に折れて、手にしていた本を棚へ戻すとさっさと廊下へと出た、と思いきや、閉まる直前でひょいと顔を出す。
「そうそう。……汚さないでね、掃除が面倒だから」
それだけ言い残すと後は返事も待たず、廊下を遠ざかっていく足音もすぐに聞こえなくなった。
部屋に居るのは3人だが、1人は意識が飛んでいるのだから2人きりといっても差し支えないだろう。
リディアは小刻みに震えているセシリアを見て考え込んだ後、何かを決心したかのように力強く頷き、間抜けな掛け声とともに転がした。
大した抵抗もせず、なすがままにされているセシリアにリディアは文字通り絡み付く。
さながら等身大の抱き枕と化したセシリアの顔を自分の方へ向けさせると、真面目な表情で尋ねた。
「どうしてあたしは怒ってるんだと思う?」
先程の有無を言わせぬ迫力はもうなかった。
セシリアは突然の事態に目線を彷徨わせていたが、リディアとは合わせないよう下を向いたまま、ぽつりと答えた。
「私が、気に障ることを言ったから」
想像通りの答えに、リディアは思わず吹き出した。
セシリアは限りなく曖昧な正解を口にするのが上手い。
確かに、リディアが怒ったのはセシリアの言った通り、気に障ったことを言ったからだ。
その点では正解かもしれないが、問題はもっと奥にある。
「じゃあ何が気に障ったか分かってる?」
続けられた質問に、セシリアは何も答えない。踏み込んだ質問には曖昧な正解が存在しないからだ。
そしてその答えをセシリアが知っていたなら、最初からリディアを怒らせることはなかっただろう。
何か答えたいのにその何かが分からず、俯いて身を捩る姿に呆れと微笑ましさが込み上げてくる。
「あぁもう可愛いなぁ! でもダメなんだから! 今日という今日は分からせてやるっ」
セシリアの身体を強く引き寄せると一瞬だけぴくりと反応したものの、目立った抵抗はない。
怪我を治せなかったから、せめてもの償いに何をされても構わないと思っているのだろう。
「君はほんとにばかだよ。全然分かってない。頑なで、意地っ張りで、独りよがり」
セシリアの提案は魅力的だ。自分好みの少女を好き勝手出来ると言われて嬉しくない訳でも、妄想が膨らまないでもない。
本人に知られたらさぞ嫌な顔をされるだろうが、セシリアのことは特に気にかけていたのだから。
もし本人の好意の上だったなら、今頃理性を失っていたかもしれない。
でも今は違うと分かっていて、それがほんの少し寂しくて悲しかった。
「君は笑うべきだったんだよ。あたしの腕が動かなくなっても気にかけず、作戦が成功したことを喜ぶべきなの」
俯いていたセシリアの視線が跳ね上がったかと思えば、何を馬鹿なと声を荒げる。
「そんな事、出来る訳ないじゃないですかっ」
誰かが大怪我をしたのに、作戦が成功したからといって喜べる筈がない。
それが人として誰もが持ち得る当たり前の感情だろう。
だというのに、リディアは不思議そうに首を傾げて尋ねるのだ。「どうして?」と。
聞きたいのはセシリアの方だった。
怪我をさせた挙句、後遺症を残し、その治療もできない。
せめてもの慰みに渡せるものがあるとすれば、気に入られていたこの身体くらいだった。
そんなことをしても腕のかわりになんてならないと分かっていながら。
リディアが怒るのも当然で、かといってセシリアには他にできることが思い浮かばない。
そこへ追い打ちをかける様に、今度は気に掛ける権利すらないとまで告げられた。
悲しそうなリディアの顔を見れば、単純に責めている訳ではないとすぐにわかる。
でも肝心の理由が、セシリアには幾ら考えても分からなかった。
「まだ本調子じゃないみたいだから、あたしはもう寝るね」
あっさりと絡まっていた手足が解け、同時に身体を包んでいた温もりも遠ざかる。
それがまるで突き放されているように感じられて、セシリアは思わず縋るように手を伸ばしたが、リディアはわざと見なかったことにして自分から離れた。
はっきりとした拒絶の意志を感じて、これ以上ここに居ても迷惑になるだけだと暗い表情のまま立ち上がる。
去り際に声を掛けようか随分と迷っていたが、結局何も言えず部屋を後にするしかなかった。
音のなくなった室内で、誰かがわざとらしい溜息を吐く。
「それだけで良かったの?」
いつの間にか隣のベッドで寝ていた女性が目を開けていた。
「それとも、理性の限界に達したとか?」
「ち、違うよ!?」
軽口を真に受け、弾かれるようにして飛び起きたリディアを女性はくすくすと笑う。
「少しくらいは反省して貰わないと、ここまで仕込んだ意味がないし」
「そうね。あの子はもうちょっと周りを気にすべきね。。他人に対しては敏感なのに、自分に対しては鈍感なのよ」
彼女もむくれながら言い返したリディアと同じ意見だったようだ。
ミイラ取りがミイラになって一体何の意味があると言うのか。
セシリアの献身は健気を通り越して自虐的な領域になりつつある。
何が彼女をそうまでさせるのかリディアにはわからなかったが、放っておくなんてできなかった。
「でも大丈夫かな。結構酷いこと言ったし、嫌われたらどうしよう……」
不意に、強気だった口調が弱々しく変わる。決めたこととはいえ、乙女心は複雑らしい。
「普段あれだけ無茶苦茶しておいて今さらそれを言うの……?」
「いや、あれは何ていうか、ただのスキンシップっていうか」
「それにしては激し過ぎよ、もう少し自重なさい。……まぁでも、貴女の性癖の原因があの子にある事を考えたら、自業自得と言えなくもないのかしらね」
遂に不安から頭を抱えて転がりだしたリディアを呆れながら眺めていると、突如無表情のまま立ち上がったかと思えば不気味な笑い声をと共に押し倒される。
「ちょ、ちょっと、なんのつもり!?」
「なんか一人で寝るのが寂しくて、一緒に寝てくれないかなって」
目を白黒させてもがいている女性に、リディアは熱っぽい声でしなだれかかった。
蕩けた表情のリディアに、女性が冷や汗を流したのは言うまでもない。
そんな状態のリディアと一夜を共になんてすれば、どうなるかは明白だった。
「やっぱ理性吹っ飛んでるじゃないっ!」
半裸の女性が涙目で部屋を飛び出し難を逃れたのは、それから約30分ほど後の出来事になる。
次話でリュミエール編完結です。