リュミエール-17-
使者の前に差し出されたセシリアは抵抗する暇すら与えられずに、表で待機していた屈強な兵士達に担がれるようにして馬車へ乗せられ、抗議の声に耳を傾ける事もなく荒い運転で屋敷へと運ばれた。
枷こそ付けられていないものの、逃げられぬように四方をがっちりと固められて歩かされる姿は罪人そのものだ。
「ちょっとこの扱いは酷くないですか」
歩きながら意義を申し立てるが、まるで何も聞こえていないかの如く誰も反応を示さない。
そもそもこんな夜遅くにうら若き乙女を強引に連れ出す必要があるのか。
「そりゃまぁ、ありますよねー……」
原因に山ほどの心当たりが、具体的には街中にばら撒いた例の機関紙が思い浮かび、その場で斬り捨てられなかっただけ感謝すべきかとがっくりと項垂れる。
途端に背後から無言で押し出され、仕方なくと十字架を背負った罪人よろしく、とぼとぼと歩き始めた。
「さて、君に聞きたいことは山ほどある訳だが、まずはこれについて意見を聞こうかな」
グレゴリーの背後と出入口にはこれまた屈強な兵士が並んでおり、威圧的な視線を向けられている。
会談というより尋問といった方が適切な状況に強烈な既視感を覚え思わずこめかみを手で押さえる。
グレゴリーの隣にはゼフェルまで控えているのだから尚更だ。
もしかしたら、使者を寄越したのは彼がセシリアの事を伝えたからなのかもしれない。
この期に及んで腹芸をするつもりもないのだろう。テーブルの上には例の機関紙が置かれていた。
彼にしては実に単刀直入な切込み方だ。
さて、どう言い訳した物かと逡巡する。
1、知らぬ存ぜぬを突き通す。
……配布元の身元くらい、彼ならすぐに調べられる筈だ。あれだけ大規模にばら撒けば目撃証言もすぐに集まるだろう。
2、我関せずを貫く。
……何を馬鹿な。セシリアは自由の翼の顔役でもある。自分の組織がした事に我関せずが通用する筈もない。
3、どうにかして誤魔化す。
……無理だ。何かしらの誤解や疑念を抱いているのならまだしも、彼はとっくに結論も裏も取っている。
(結局、開き直るのが最善って事ですか……)
心の中だけで何度目かも分からない溜息を吐きつつ、こうなる事は分かった居たのだからと無理にでも自分を励ます。
本当はもう少しばかり考える時間が欲しかったのだが、そうも言っていられない。
「何か問題でも?」
途端に、グレゴリーは豆鉄砲でも食らったかのような表情に変わった。素直に認めるとは思わなかったのかもしれない。
しかしそれも一瞬の事。次の瞬間にはまた元の表情に戻っていた。いや、ほんの少しだけ喜色の片鱗を浮かべている。
「こんな物の発行を認めた覚えはない」
封建制度で成り立っている世の中だ。情報規制や言論弾圧が行われていたって不思議ではない。
出版や広報に領主の検閲が必要だと言われれば弁明の余地はなかった。
つまりグレゴリーは、「無許可で何してくれちゃってる訳?」を盾に、自由の翼へ「オトシマエつけて貰おうか」と繋げたいのだろう。
先程僅かに滲ませた喜色は、思いもよらないところで自由の翼に付け入る隙を見出したからか。
だがセシリアに「はいそうですか」と頷くつもりはない。
一度開き直ったのだから、この際アクセル全開でどこまでも開き直るつもりでいた。
「つまり迅速に回収せよ、との事ですね。領主様の意向とあればすぐに。……ただ、"領主様が回収を命じた"事で何かよからぬ噂が広まるかもしれません。勿論そうならないように細心の注意を払いますが、人の想像力とは時として飛躍致しますので」
意訳、「良いですけど、回収ついでにある事ない事吹き込みますよ?」
記事の内容はグレゴリーと自由の翼を褒め称える物で不審な記述は存在しないと胸を張って言える。
にも拘らず、領主の名の元に強引な回収を行えば「一体何故?」と思う者が少なからず出てくるだろう。
あとは都合のいい"解答"を用意して不穏な噂を作り上げてしまえばいい。
想像だにしなかった切り返しにグレゴリーの表情が今度こそ固り、直後に深い溜息を零した。
こんな手を使われると思って居なかったグレゴリーは何の対策もできていない。
大勢に広まってしまった噂を消すのがどれほど難しいのか、政の中枢に居るグレゴリーが知らない筈もない。
そして、噂によって扇動された市民がどれほど厄介なのかも。
「随分と直接的な脅迫だね。それだけで君を拘束するには十分な理由になる事くらい理解しているだろう?」
「ご忠告申し上げただけのつもりでしたが、口が過ぎたようですね。それに、領主様なら理由などなくても拘束するのは難しくないでしょう」
暫くの間は互いに朗らかな微妙を浮かべながら牽制が続き、やがてグレゴリーが気の抜けた様子で小さく嘆息してみせる。
「難しいさ。碌な結末にならないのが想像できるからね。まぁいい、今回の件は不問とする。率直に言えば君達には感謝してるんだ。だが、あまり勝手なことをされてはそうも言っていられなくなる。今後は十分留意してほしい」
「ええ。寛大な処置に感謝します」
リュミエールの面子を立てる為、真実と違う内容をわざと記事に盛り込んでいたからギリギリセーフといったところか。
もしそれがなければ、例えばグレゴリーが偏狭の村を計画的に見捨てたという真実をすっぱ抜いていたなら、今頃屋敷は衛兵でぐるりと包囲され問答無用で火を放たれていただろう。
その線引きを見誤らないように気をつけろという、彼なりの忠告だと受け止める。
勿論一線を踏み越えるつもりはないが、このまま良い様に使われる立場に甘んじるつもりはないという意思は伝わった筈だ。
「分かれば良い。君達は一度下がってくれ。何かあればこちらから呼ぶ」
グレゴリーはそれだけ言うと思いのほかあっさりと引き下がり、背後に並んだ兵達へ人払いを命じる。
どうやら先の一件は本題でなかったらしい。
鎧を鳴らしながら部屋を出たのを確認した後、グレゴリーは一枚の紙を取り出し、魔力を篭めた。
途端に描かれていた魔法陣が光を帯び、次の瞬間には弾け飛ぶ。
「結界の一種さ。今から話す内容を誰かに知られるわけにはいかなくてね。残念な事にこの屋敷にも諜報員が紛れ込んでいるのさ。事情があって追い出すわけにも行かないし、厄介極まりないよ」
セシリアにも薄い魔力の膜が自分達の周りを取り囲むように形成されているのが感じられた。
恐らく、中で発生した音はこの膜を通り抜けることが出来ないのだろう。設置型サイレントといった所か。
「話はゼフェルからも聞いている。その上で君達に問いたい事がある」
グレゴリーは今までずっと柔和な笑顔をその顔に貼り付けていた。
交渉の場で感情を悟られないよう、付け込まれない様にする為のポーカーフェイスに違いない。
セシリアだってネカマモードの時はセクハラの憂き目にあってもいつだって優しげな笑顔を振り撒いていた。
自分には敵意がないと表明して、より効率よく相手の懐に潜り込む為に。
けれど今のグレゴリーは酷く真剣な表情で、これから話す内容が極めて重要なものであると物語っていた。
「君達は一体、何者なんだ」
酷く曖昧でありながら、本質を的確に射抜いた質問だ。
何者かと問われても、ありのままの答えを伝えるわけにはいかない。
かといってわざと確信からずれた答えを返すのも躊躇われる。
彼が知りたいのはセシリアという名でも、自由の翼という組織名でもなく、もっと根源的な部分なのだろう。
「……敵ではないつもりです」
熟考の末に出てきたのは、質門と同じくらい曖昧な答えだったが、グレゴリーは一定の満足を得たようだ。
「率直に言おう。手を組んで欲しい。出来る限りの便宜は図るつもりだ」
「どういう意味ですか……?」
今までにない直接的な表現にセシリアは首を傾げる。これではまるで全面降伏だ。
何か裏があるのではないかと訝しむのも当然と言える。
それを分かってか、グレゴリーはさらにとんでもない条件を続けた。
「言った通りの意味さ。今までのような表面的な付き合いではなく、君達をリュミエールへ招きたいと思ってる。信用出来ないのであれば君との婚姻も辞さない」
グレゴリーが何を言っているのか瞬時には理解できない。
婚姻と言ったか。聞き間違いでなければ、結婚と同義である。男と女がくっついて生涯を共にすると誓い合うあれだ。
それをグレゴリーがしてもいいらしい。誰と? ……自分と。
「こ、婚姻って! どうしてそうなるんですか!」
理解が追い付いた瞬間、純白のドレスに身を包んだ自身の姿が脳裏に過り、セシリアは立ち上がらずにはいられなかった。
羞恥か、或いは怒りによって頬を赤く染めたセシリアが思わず叫んだのと対照的に、グレゴリーは落ち着き払っている。
「私と婚姻すれば君も領主としての権力を振るえるようになる。これ以上ない信用の証だと思うが」
寧ろどうしてそこまで反応するのか理解できないといった具合だ。
セシリアも階級制度の蔓延る社会では感情より身分や立場を重視する政略結婚が一般的だという知識を持ち合わせてはいる。
しかしそれは所詮知識であって、いざ自分がその対象にされて落ち着ける筈もなかった。本当の自分の性別を考慮すれば尚更だ。
幾度か深呼吸を続け、どうにか平静を取り戻す。
席に座りなおしながらやや剣呑な視線で尋ねた。
「どうしてそうまでする必要があるのですか」
今のグレゴリーからは、どんな条件を飲んででも自由の翼との繋がりを深めようとする意志が感じられる。
その理由を、彼はいとも簡単に吐露した。
「今のリュミエールが非常に不安定な立場にあるからだ」
領主が持てる私兵の数は領主間の闘争を軽減する為という建前と、過剰な兵を持たれる事への不安という本音によって厳密に管理されている。
リュミエールの定数は金銭で便宜を図ってもらっているが、広い国土を守るにはぎりぎりと言っていい。
オークの侵攻を受けた広く深い森はそれ自体が要塞と同じだと信じられており、簡単な観測所しか設けていなかった。
不可侵領域という神話が崩れ去った今、再び同じ事が起こらないよう監視体制を強化する必要がある。
しかし、単純に王都へ定数の引き上げを要求したところで一蹴されるのがオチだろう。
既にリュミエールの兵力は王都からも危険視されている。
もしも王都との距離が今の半分だったら、これ程の戦力を認めてもらう事は出来なかった筈だ。
つまり、今の兵力からどうにか人員を捻出するしかない。
「具体的には森の出口を囲う形で防壁を構築する。だが、完成には少なく見積もっても2年近い歳月が必要になるだろう。その間はどうしても他の拠点から人を引っ張って固めるしかない」
今回の一件は内密に処理されたが、普段からリュミエールの動向を窺っている周辺の領主は何かあったと感づいている。
そこへ大幅な兵力の移動があれば、今がチャンすとばかりに手を出して来かねなかった。
「一度動かした兵を戻すにはどうしたって時間が掛かる。だからこそ、ずっと前から転移魔法の必要性を感じていた。空の上の星を掴むような"夢"さ」
転移魔法は国によって違いがあれど、門外不出である事に変わりはない。違うのはその扱いくらいだ。
破格の待遇で持てなして居付かせるか、拷問によって恐怖を植え付けて管理するか。
転移魔法を使える魔術師は国の管理下に置かれなければならないと定められており、もし隠せば厳罰が下される。
自分の手に置いておきたくても、それが許されないのではどうしようもない。
過去に幾度か、転移魔法を使える魔術師を領主が隠し持っていた事例がある。
その結末はどれも家系の断絶という、凄惨な結末で締めくくられていた。
ただ、この勅命には一つだけ抜け穴がある。
対象となるのは自国民だけで、外国に籍を置く魔術師が転移魔法を覚えていたとしても管理下には置けない。
もしそんな事すれば外交問題どころか、一方的に宣戦布告されても文句は言えないだろう。
外国の魔術師が自主的に力を貸してくれているという状況なら、リュミエールも転移魔法習得者を手元における。
だがそれはグレゴリーが言ったように空の上の星を掴むような、夢みたいな話だ。
外国でも転移魔法習得者が国に管理されているのは変わらない。
彼らに自由はなく、他国の一領主に預けるなんて事がある筈もなかった。
「リュミエールには外国の貿易にも使われている大きな港がある。赤字の補填に転移魔法を貸し出されていると言い張れば一応の説明にはなるだろう。貿易に関しては独占権を持っているからね。商品が魔術師だったとしても、規則上の問題はない」
「理屈は分かりましたが、確認を入れられたらどうするのですか?」
「この屋敷に王都の諜報員がいるように、王都にもこちらの諜報員がいるんだ。密書を預かった船舶を特定するのは難しくない。外国への航路は限られているし、後は買収されるか海に沈むかを選んで貰うつもりだよ。密書さえ手に入れば適当に偽造して返信すれば良い。リュミエールは交易が盛んだからね。航路や貿易に関する協定で色々な国と書面を残してる。複製もどうにかなるだろう」
国を騙そうなど、悪代官ここに極めりである。
目的の為ならどんな手段も厭わない。これがグレゴリーの本性でもあるのだろう。
ばれればただでは済まないだけあって、彼なりに成功する確信を得ているようだった。
「婚姻はともかく、関係の強化はこちらも望んでいた事ですから、良い返事ができると思います」
断る理由は特に見つからないが、独断で決める訳にもいかないし、条件を煮詰める必要もある。
もしかしたら、今後はリュミエールという権力を使わせてもらえるかもしれないと内心喜んでいるところに、グレゴリーの咳ばらいが聞こえた。
「それから、君達の転移魔法については箝口令を引いている。知っているのは一部の人間だけだが、事実を覆い隠すのに君の治癒魔法を使わせて貰った」
木は森の中に。多数の重症者を癒した治癒魔法は後方の拠点からも良く見えていた。
それを持ち上げる事で、転移魔法の噂を包み隠そうという魂胆らしい。
ただし、治癒魔法も転移魔法ほどではないにせよ、大きな政治的価値を持つ。
「既にこの話はリュミエールを拠点としている貴族達にも伝わっている。その容姿に加えて、高度な治癒魔法を扱えるとなれば狙おうとする貴族も出てくるだろう。十分に気を付けてくれ」
グレゴリーの説明によると、魔法とは家系で作られるものらしい。
長年同じ魔法に触れ続けると、体内のマナが適応し定着する。
すると生まれてきた子供も影響を受け、触れ続けてきた魔法への適性が高まるのだ。
一部の貴族はそうやって何代も何代も同じ系統の魔法だけを使い続け、適性を高めてきた。
培った技術や知識を継承し、より強力な魔法を生み出し、発展させてきた。
魔力だってそうだ。高い素質を持つ魔術師から生まれた子供はやはり高い素質を生れ持って生まれてくることが多い。
浅い家系の魔術師はどうしても代の長い家系に比べて後れを取ってしまう。
だから貴族なら誰もが名のある家系や、高い魔力を持つ相手を結婚相手に添えたがる。
セシリアの持つ魔力や治癒魔法の素質は彼らとってまたとない逸材と言える。
「ただし、外面を気にする貴達が平民をまともに扱うとは思えないけどね。地下牢に監禁されて家畜の様な余生を過ごしたいならお勧めだよ」
最後に付け加えられたグレゴリーの言葉にセシリアの頬が引き攣る。
ニート生活には憧れを感じるが、鎖に繋がれて欲望の捌け口にされるのはお断りだ。
今後街を歩く時は誰かと一緒に行こうと、強く頷いた。