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World's End Online  作者: yuki
第二章 異世界
49/83

リュミエール-15-

「報告します! 懸念されていた左翼部隊の被害ですが、現段階で犠牲者はおりません。重軽症者は全てセシリアと名乗る少女によって治療され……その、何と言いますか、怪我一つないとの事です」

 作戦司令室に飛び込んできた伝令兵は戸惑いを露わに、持ち帰った情報を総指揮官の大男、ゼフェルへと報告する。

 本来なら伝令兵が戸惑うなどもってのほかだが、今回ばかりは叱責も飛ばず、誰もが唸るばかりだった。

 戦場を見渡せるこの場所から事の一部始終を眺めていなければ、今頃馬鹿も休み休み言えと怒鳴り散らしていたに違いない。

「夢でも見てる気分だ……」

 誰かがぽつりと漏らした一言はこの場の誰もの心境を雄弁に語っている。


 ジェネラルオークの魔法によってもたらされた被害は間違いなく甚大だった。

 相反する魔力の干渉によって威力の減衰が起こっていなければ、今頃数多くの兵があの場で消し炭に変わっていただろう。

 動けなくなる程度の重傷で済んだのは奇跡にも等しい僥倖といっていい。

 多数のオークを撃滅するには強力な範囲火力が必要になる。

 それが出来るのは十数人で一つの魔法を構築する儀式魔法だけだ。


 本来、魔法とは一人で一から十までを制御しなければならない。

 それを無理やり多人数で分担する儀式魔法は出力が跳ね上がる反面、制御が難しかった。

 実戦で運用できる魔術師は少なく、失えば任務の遂行に大きな支障をきたしてしまう。

 熟練の魔術師部隊が一網打尽にされかけた時は、総指揮官たるゼフェルでさえ憔悴を隠し切れなかった程だ。

 何とか全滅を免れたとはいえ、部隊は満身創痍。救援を差し向けるにも時間を要する。

 脅威度の高い後衛を真っ先に狙われた事で、最前線に展開された重装部隊まで被害が及ばなかったのは唯一の救いと言えた。

 彼らが撤退支援に努めている間にこちらから救援部隊を差し向ければ、儀式魔法を担う魔術師の回収だけはどうにか間に合うだろう。


 撤退支援と言えば聞こえはいいが、実情は味方が逃げ果せるまで生きた壁になれと言う事だ。

 重装部隊は特徴的な大盾からも分かるように壁としての機能に特化している。

 帯剣しているとはいえ、オークを相手に立ち回るには貧弱と言わざるを得ず、後方からの火力支援が期待できない今、押し寄せてくる敵勢を相手に戦線が維持できるとは思えなかった。

 1人を救う為に10人の犠牲が必要になる。

 例えその1人に10人以上の価値があるとしても、受け入れ難い選択であることに変わりはない。


 オークの統率者が強力な魔法を使うという報告……いや、"警告"は事前に自由の翼から受けている。

 しかしながら、開戦してそれなりの時間が経つというのに一度も発動しない状況を鑑みて、危険性はないと判断してしまった。

 あまつさえ、自由の翼が只者ではない一団だと気付かされてからは、単独で戦果を上げる為に作り上げた嘘なのではないかと疑ったくらいだ。

 自分達の領内で余所者たる彼らに戦の主導権を握られるのは政治的に不味い。

 だからこそ、手札の中で最も強力な儀式魔法部隊を前面に出し、手柄を一方的に浚われるのを防ぎたかったのだが……。

 結果は無残の一言に尽きる。

 警告されていた通りの強力な魔法が魔術師部隊を襲い、彼らが魔力干渉をしてくれなかったら間違いなく全滅していた。

 それどころか、大勢の負傷した兵もたった一人の少女によって、ご丁寧に無傷の状態まで回復させられる始末。

 援護どころか足手纏いにしかなっていない現状に、そうそうたる面々の表情も渋くなろうと言うものだ。


「彼らは一体何者なのだ……。グレゴリー殿は何をしたのだ」

 締め切られた部屋の外からは彼らを称える兵達の声が騒がしいほど漏れ聞こえてくる。

 撤退を一切認めない死守命令は最後の一兵が斃れるまで戦い続けろという、数ある命令の中でも一番理不尽で非効率的なものだ。

 そういった戦場では兵がただの駒になる。使い潰され、うち捨てられ、後に残るのは誰ともしれない死体の山だけ。

 だとしても、ここを通せばリュミエールが、自分達の村や町が滅びるかもしれないのだ。

 誰もが決死の覚悟で臨んでいたのは確かだが、だからといって死にたいわけではない。

 戦わずして勝利を運んだ自由の翼を歓迎し、英雄視するのはごく自然な流れといえる。

 実際、作戦司令室に集まった各部署の上級士官達も今さら彼らの活躍にケチをつける気などないし、一個人としては多大な感謝も称賛もしていた。

 だが、彼らの表情が決して明るくないのも事実。

 結果的に見れば無傷の勝利とはいえど、とても諸手を挙げて喜べるような顛末ではない。


「続いて報告します。ですが、その、こちらの情報が本当に正しいのかどうか……。いえ、勿論それなりの確証は得ています。ですが、これはあまりにも……」

「構わん、続けろ。大地を割る程の一閃も、地面に大穴を開けるような魔法も、大怪我で動けない兵を瞬時に回復させる少女も十分に与太話の分類だからな。何があろうと今さら驚かんし、疑う気にもなれん」

 釈然としない様子で言い淀んだ伝令兵にゼフェルは憮然とした面持ちで命じる。

 どんな荒唐無稽な話だろうと、やりかねないと思わせるだけの結果を既に出しているのだから。


「では、報告致します。自由の翼なる一団には少なくとも2名の転移魔法習得者が居る模様です。その他に治療系統の魔法を使う者が若干名。戦線に復帰できないような傷でさえ、瞬時に治癒していたとの報告もあります。大部分の魔術師は単一魔法ではなく、異なる属性を掛け合わせた強力な魔法を扱う他、目視が限りなく困難な場所から的確に狙撃する弓兵や、多対1に優れた騎士が多数在籍している事も確認できました」

 報告が進むにつれてゼフェルの表情は苛立ちを帯び始め、終わる頃には数人くらいなら殺せそうな殺気さえ撒き散らしていた。

 胸で組まれた丸太のような腕には傍から見ても分かってしまうほどの力が込められており、ともすれば目の前の机を叩き割りかねない。

 伝令兵はその拳が我が身に振るわれないか気が気でないようで、怯えた表情を浮かべながら数歩退いていた。

「……報告御苦労。引き続き情報を集めろ。何かあったらすぐに連絡を回せ。下がっていいぞ」

 いつになく抑揚のない命令にこれ幸いと頷き、敬礼もそこそこに部屋を飛び出していく。

 規律を重んじる騎士団では到底容認できない不作法なのだが、今この瞬間に限り誰もが気にした様子はない、というより目に入ってすらいないようだった。

「転移魔法習得者……という事は、王都が絡んでいるのでしょうか」

 終わりの見えない重苦しい沈黙に耐えかねたのか、まだ年若い副官が唐突にぽつりと呟く。

 それはこの場に居る誰もが、発言した当人である副官も含めてあり得ないと確信している可能性だ。

 にも拘らず敢えてこの疑問を口にした意図を数人の上級士官は苦笑交じりに理解する。

 今ここでしなければならない事は何か。

 副官が促した通り、情報の整理と対応策の選定だ。

 その中身に領主であるグレゴリーへの不信が含まれたとしても、保身から口を閉ざすなどあってはならない。


「王都からの援軍、という訳ではないだろうな」

 大規模な魔物の襲来や領民の反乱等でどうしても手におえない事態が発生した時、領主は王都へ援軍を要請することができる。

 ただし実際に寄越してくれるかは国王と、それに連なる貴族議院の采配次第だ。

 大抵は周辺の領主に兵を貸し出せと命令するだけで、王都から直接援軍が送られる事は滅多にない。

 周辺地域と友好的ではないリュミエールにとって、第三者に分かってしまう形で救援を要請するのはリスクが伴う。

 まして、王都に住む貴族議院共の利権に対するがめつさは貴族なら誰もが知るところだ。

 ただでさえ、年若いグレゴリーが自分達より広い領地を任されている事に不満を持つ輩は多く、援軍の要請は付け入る隙を与える事になる。

 遠征費用を盾にした理不尽な金銭の請求、領地の運営体制への言及、場合によっては息のかかった軍隊を暫定的な防衛戦力として捻じ込んでくるかもしれない。


 最悪なのは領地の割譲を求められた場合だ。

 普段いがみ合っている貴族達も、他者の既得権益を奪う事に関してだけは協力的だ。

 国王が直に差し止めでもしない限り、彼らを止めるのは難しい。かといって、国王を引き出すほどの取引材料はない。

 現行の法では【平民は土地に付属する物】と定められており、領地の割譲が行われれば、住んでいる平民の統率権も一緒に移る。

 勿論、住んでいた人達が追い出されない為に、なんて優しい理由ではない。

 住まわせる土地を譲渡した後で、平民だけを突き返されても扱いに困るからだ。

 仮に余所へ移住させるにしても、環境を整えるのに莫大なコストが掛かってしまう。

 貴族が面倒事を避ける為にそのまま住まわせておけばいいと決まりが作られたに過ぎない。


 領民からすれば同じ土地に住み続けられるという利点があるように思えるかもしれないが、現実は優しくない。

 新しく領主になった側からすれば前領主の元で暮らしていた領民など、不穏分子でしかない。

 裏で情報を流しているかもしれないし、知られたくない何かを密告されるかもしれない。

 重税を課して遠まわしに排除するか、場合によっては適当な罪状をでっち上げて住民を丸ごと奴隷商に売り払ってしまう事もあるくらいだ。


 もしここで対外的に敵が多いリュミエールが土地を割譲すれば、そこに住む領民への迫害は避けられない。

 場合によっては外交的なカードとして使われる可能性もあった。

 例えば、暇を持て余した貴族達の考案した残虐な処刑法を片っ端から試されたとして。

 謂れのない罪で虐殺されている事実はすぐにでもリュミエール全体へ知れ渡るだろう。

 だからといって、グレゴリーにできる事は何もない。罪人を裁くのは領主の役目であり、口を出せば内政干渉として扱われる。

 傍観を決め込むグレゴリーに、リュミエールの領民はどんな反応を示すだろうか。

 元領民を見捨てたとなれば、培ってきた信用が揺らぐ可能性もあった。

 とはいえ、下手に手を出せば戦争へ発展する可能性さえある。

 グレゴリーが今の段階で救援を要請するとは思えない、というのが共通の見解だった。


「やはり金で雇われた傭兵の類か? いや、それにしては……」

 考えられる可能性として真っ先に思い浮かぶのは急場の戦力として金さえ払えば気軽に扱える傭兵だ。

 魔物の討伐に領主間の闘争、果ては国家をかけた戦争まで。

 必要な時に必要な分だけ兵力を補充できる傭兵集団はどこでも一定の需要がある。

 本来ならリュミエールも大量の傭兵を雇用して事に当たりたかったのだが、近場の領地との関係を考慮して軍備を増強し続けた結果、領内に出没した魔物の討伐程度なら訓練がてら対応できるようになってしまい、仕事のないリュミエール周辺に腰を据える傭兵集団は居なくなって久しい。

 王都まで赴けば話を聞いてくれる組織もあったが、商談を纏めてから大量の兵を引き連れて帰るには時間が足りない。

 それこそ、転移魔法でもない限りは。

 確認できる限りでも2人の転移魔法習得者が居るのだから話としては筋が通るように思える……のだが。


「傭兵ギルドに転移魔法習得者が居るなんてこと、あり得るんでしょうか」

「そんな事はありえない。絶対にだ」

 確固とした否定の言葉に誰しもが頷く。

 そもそも転移魔法は秘儀中の秘儀であり、生まれた直後から特殊な訓練を受けた高位の魔術師でも習得できる確率は1割に満たないとまで言われている極めて稀有な魔法だ。

 少数とはいえ、遠隔地へ瞬時に人員を送り込める転移魔法はどの国でも必要不可欠であるとともに、脅威でもある。

 要人の暗殺、間諜の潜入、盗品の横流し、関税の高い品物の闇取引、薬物の違法売買など、悪用しようと思えば幾らでも悪用できてしまうからだ。

 もし転移魔法を習得できれば国が莫大な報酬と待遇で迎え入れてくれるのだから、わざわざ傭兵集団に留まる理由はない。


 まして、ただでさえ少なくない武力を保有する傭兵集団を危険視する声は多いのだ。

 万が一傭兵集団がフリーの転移魔法習得者を招き入れたとしても、噂が広まった瞬間に反逆の兆しありとして潰される。

 さしもの傭兵集団でも、国そのものを相手にして勝てるはずがない。

 そうやって捕まった転移魔法習得者がどれ程凄惨な目に合うかも与太話の一つとしてよく知れていた。

 王城へ申告すれば破格の待遇が約束されているのに、わざわざ危険を冒して痛い目に合おうとする物好きな人間が居る筈もない。


「綺麗に話してくれるとは思えんが、ひとまず話を聞くべきか。そこのお前、今すぐケイン殿を探し出してここへ呼べ。騎兵部隊は早馬の用意だ。事の詳細をグレゴリーの奴にも聞かねばならんだろうからな。補給部隊はすぐに宴の準備を進めろ。予定より大分早く片が付いたから余剰物資があるだろう。伝令部隊はそれに紛れて彼らと接触、可能な限り情報を集める事。時間を稼いでいる間に、何が目的の集団なのか徹底的に洗え。このままリュミエールに連れて戻るべきか今一度考慮する必要がある」

 ゼフェルの指示によって集まっていた上級士官が短い敬礼と共に駈け出す。

「難儀な応援を寄越してくれたものだな……」

 窓の外を眺めながら、彼は小さく呟いた。




 日が沈み、空も暗くなりつつあるというのに、一帯には多くの篝火が灯され、昼の様に明るく照らし出されている。

 斧を手に転がされた木の面を削って椅子を作り上げる傍らで、数人の男達が木箱を組み合わせてから布を敷き、簡単なテーブルを組み立てている。

 勝利を祝う酒宴を用意すると宣言されてから数時間、その準備は着々と整いつつあった。


 中には開幕を待ちきれず、葡萄酒が並々と注がれたコップを打ち鳴らし、顔を赤らめながら騒いでいる男達も居る。

 呆れ気味に彼らを仰いでいる偉そうな兵士も居たが、今日ばかりはお目こぼしに預かっているようだった。

 予定より早く片が付いた事で帰路の分を除いた食材を盛大に振る舞われる事になり、特に主賓である自由の翼の面々が座る区画には、乗り切らない程の料理が次から次へと運ばれてくる。

 どれもが暖かな湯気と香草の香りを立ち昇らせており、腹を空かせていた面々は我先にと料理へ飛び付いていた。

 そんな彼らの姿をセシリアはやや遠くの、暗がりの中に沈んだ木箱に腰かけながらぼうっと眺めている。


「気分はどうかな?」

 不意に、頭上から慣れ親しんだ声が響いた。

 見上げるより先に果実のジュースが注がれたグラスを差し出され、反射的に受け取る。

「まだ回復中です。リュミエールへ戻るには、もう少し掛かりそうですね」

 気だるげにグラスへ口を付けると、戦場だというのに冷たい液体の感触が喉を通りぬけて行った。

 甘酸っぱい葡萄に似た飲み物は、そこらで男達が煽っている酒に使われた果実を砂糖と一緒に煮詰めて冷ましたものだ。


「我ながらに羽目を外しました」

 MP管理はヘイト管理と並んで、支援職の大事な仕事の一つと言える。

 いざという時にMPが尽きて魔法が使えず、PTが壊滅なんて事になればすみませんでしたでは済まされない。

 危ない時は素直に休憩を申し入れ、安全圏まで回復させる必要があるのだ。

 とはいえ、戦闘の度に休憩を申し込まれたのでは狩の効率が下がってしまう。

 出来るだけ休憩の回数を減らすには、無駄のない支援を心掛ける必要があった。

 例えば、常に最大レベルの回復魔法を使うのではなく、減っているHPにレベルを合わせて消費を抑えるとか。

 ありとあらゆる支援を掛けるのではなく、必要な人に必要なだけの支援を行うとか。

 早々に支援魔法を掛けなおすのではなく、時間ぎりぎりに更新するとか。

 その為には各職業の役割やスキルの計算式を熟知しておかなければならない。


 セシリアも高レベルの支援職だけあって、MP管理は当然のように身に着けている。

 捕らわれた人々の救助に加え、ジェネラルオークの魔法によって瀕死になった兵達を癒しても、残存MPは頭の中でしっかりと計算されていた。

 問題はその後、ユウトへアルス・マグナを使って挟撃を仕掛けた時だ。

 敵の殲滅に王手が掛かって判断力が鈍っていたのか、詰めが甘いという評価は未だ健在であると言える。

 セシリアにとってものMP管理とは、ゲームで常々から行っていた、言わば呼吸の様な物であった。

 当然ながら、この計算は最大MPが0になるまでを基準にして作られている。

 要するに、ゲームでは0まで使えたMPが、この世界では0になるより先に眩暈や昏睡を引き起こす事をすっかり忘れていたのだ。

 戦場のど真ん中で気を失なったにも関わらず、こうして生きて帰ってこれたのは親方、ユウト、カイトの3人が優秀だったからに他ならない。


「まだ体調が優れないようなら僕だけで行ってこようか?」

「……いえ、私も行きます。知りたい事が色々ありますから」

 心配そうに顔を覗き込むケインへそう告げると、よろめきながらも立ち上がる。

 回復力を増加させる魔法を使っているおかげか、立って歩くくらいなら問題ないくらいまで回復していた。

 一人の兵士が「総指揮官が自由の翼の代表者と話をしたがっている。感謝の言葉もあるだろう」という連絡を携えてケインを訪ねてきたのは数時間前の事。

 ただの近接戦ならともかく、大規模回復魔法や転移魔法まで見せたとなれば、感謝の言葉だけで終わるとは思えない。

 セシリアが参加を強く望んだのも当然だが、立って歩けるまでは回復していなかった。

 そこで、今は手が離せないと理由を付けて会談を遅らせてもらったのだ。


「ちょっと派手にやりすぎましたし、弁解も必要でしょう?」

 当初の計画はリュミエール軍の目が届いていない場所でオークの数を減らし、戦力が低下したところを殲滅してもらうと言う物だ。

 彼らが安全にオークを殲滅できるよう支援に徹する事で自由の翼への人的被害は抑えられるし、協調するつもりがあるのだと行動で示せる上に派手なスキルを乱発する必要もなくなり、怪しまれる事もないだろうという目論見があった。

 それに、領内で起こった戦の主導権を第三者に握られるのは、彼らの面子を潰すのと同義でもある。

 リュミエールの軍事力を司る彼らと友好的な関係を築けなければ、今後の自由の翼の立場が悪い方向へ傾くかもしれないという心配もあった。

 それが蓋を開けてみれば計画と正反対の方向に突き進んでいる。


「正直に言えば、意外です」

 無傷で敵を倒すのは難しい。それはゲームであっても同じ事だ。

 どんなに回避力を上げたところで確率によって被弾する。多くの敵に囲まれれば尚更だ。

 最前線で戦ったプレイヤーは誰も彼も大小さまざまな傷を負った。リアルな痛みに取り乱した者も少なくない。

 待機していた支援職がすぐ回復に回ったし、携帯していた回復薬を使って傷その物はすぐに癒えたけれど、傷を負った事実は変わらない。

 ケインはその事実を何より嫌っていた。

 法治国家とは程遠く、権力者の一声で処刑されても文句さえ言えない世界へ来たというのに、彼は甘い。

 斬られれば痛い。そんな当たり前な現実をプレイヤーに体感して欲しくなった。

 身を以って知ってしまえば、ここが現実世界から掛け離れた異界なのだと理解せざるを得ないから。

 ギルドの中に居れば安全で、衣食住も保障されている。

 そんな彼らに現実を突きつけるのは、1度目に感じた恐怖と不安を再び与えるのと同じだと考えている。


「君のおかげで少し考え方が変わったんだ。今まではずっと、どうすれば守れるかを考えていた。でも今は、どうすれば終わらせられるかを考えてる」

 プレイヤーを集めて、コミュニティを作って、生活の基盤を築いて、生活は安定した。

 けれど、一ヶ所に定住したことで得られる情報は減り、元の世界へ帰ろうとする意欲そのものが薄まった。

 元の世界へ帰るには、危険な外へ出なければならない。

 誰もがそれを本能的に理解しているからこそ、内側の安全な暮らしに手早く慣れたのだろう。

 けれど現状を維持するだけでは元の世界に帰れない。


「今回の作戦はみんなで決めた物だよ。帰りたいと願っている人は沢山いるけど、どうしたらいいか分からない人も多かったんだ。でも君のおかげで、少しは道が開けたんじゃないかな」

「少し開けただけでオークの大群に斬りかかれるのだとしたら、大したものです」

 漫然と続けていただけの日常が努力次第で変えられる。

 それを目の当たりにしてやる気が満ちてきているのだとケインは言った。

 ありがたいと思う反面、セシリアには一つだけ気にかかっている事がある。

 帰りたい人がいるように、もしかしたらその反対が居るのかもしれない。

 今までは良くも悪くも現状の維持だった。問題の棚上げと言ってもいい。だからこそ、大きなトラブルもなかった。

 でもそれが、帰ろうとする方向に大きく動き始めたら。

「なんて、考え過ぎですかね」

 悲観的に物を考え過ぎかと、セシリアは自嘲気味に小さく呟いた。

「……? 何か言ったかい?」

「いいえ、なんでもありません。それより、そろそろ会いに行きましょうか。遅れた事を気にされてなければいいんですけど……」

 やる気になっている今、ケインへ根も葉もない不安を話す訳にはいかない。

 若干ふらつく身体を支えてもらいながら、2人は待たせている指揮官の部屋へと歩き出した。



 やはりと言うか、お偉方がケインを名指しでここへ呼んだのは単純に労いの言葉をかける為ではないらしい。

 広い室内に並べられたコの字型の机には、それなりの地位を持つと思わしき壮年の男達が腰かけ、入室した2人に鋭い眼光を向けている。

 まるで獲物を狙う鷹にも似た視線には、一挙一動も見逃さぬと言う気概がはっきりと感じられた。

 開いた一辺へ足を進めると背後の扉が閉じられ、2人の衛兵と思しき若い兵で固められる。

 軍の上層部が一同に会しているのだろう。ちらりと盗み見た彼らの顔は緊張に打ち震えていた。

 位置的にはセシリアとケインのの真後ろ。直接見られている訳ではないにしても視界には映る。

 一つ二つならまだしも、20に近い視線が集まれば強力な威圧感がそこに生まれる。

 まして、一つ一つが絶大な権力まで握っているとなれば震え上がるのも無理はない。

 気に入らないと言う理由だけで斬り捨てられたとしても、ここでは戦死という大義名分で闇に葬れてしまうのだから。


 ケインは最初に訪れた時のような簡単な会見を想像していたようで若干表情が引き攣っていた。

「どうみても軍法会議ですね……」

 ケインにだけ聞こえるように、極小さな声でぽつりと呟いたのだが、余程耳が良いのか、或いは唇の動きを読みでもしたのか、幾人かの眉が吊り上る。

 話したい事があると言うのは建前で、吐かせたい事があると言うのが本音だろう。

 既に従順な振りをして関係を構築する作戦は舵を正反対に切っている。

 敵対はせず、されど従僕にはならず、出来れば一目置かれる関係が望ましいのであって、されどこうも一方的な態度を取られた挙句に許容すれば今後の関係に影響を残すであろう事は容易に想像できた。

 だからこそ、セシリアは相手が動く前に打って出る。


「遅ればせながら参上致しました。自由の翼当主ケインと、その補佐を務めておりますセシリアと申します。以後お見知りおきを」

 これだけの視線を受けて少しも動じる事がないセシリアに、幾人かは驚きを滲ませる。

 この世界に転移した瞬間、100を超える人数から追い立てられたセシリアからすればたかだか20人の視線など恐れる物ではない。

「ですが、遅れすぎたようですね。末席まで埋まっているとは思いもしませんでした」

 まずは軽い先制を入れた瞬間、途端に部屋の空気が揺れ動いた。

 堪らず椅子を鳴らす者、唖然とする者、眉を顰める者。或いは楽しそうに笑う者。


 セシリアとケインが到着したからといって、すぐに部屋へ招き入れられた訳ではない。

 用意があると言われ30分近くも待たされた末にようやく招かれたのだ。

 にも拘らず席を用意しなかったのは、同じ席に座ると言う行為を彼らが忌避したからに他ならない。

 要するに、自由の翼は自分達と席を共にする関係にはないと判断されたわけだ。

 確かに一介の傭兵ギルドが正規軍と同列に扱われる事は少ないが、今回の戦績を考慮した上でそう断じたのだとすれば、それは軍の優位を主張したいが為の陳腐なプライド表現でしかなくなる。

「それとも戦場ではレディを立たせる慣習がおありなのですか? でしたら申し訳ございません。こういった場には疎いもので」

 田舎の農民でもそんな慣習がない事くらい分かる。


「貴様、たかだか傭兵の分際で何をっ!」

 セシリアの遠回しな要求に、腹に贅肉を溜めた壮年の男が唾を飛ばし、机と椅子を弾き飛ばさんばかりの勢いで糾弾する。

 早口な割に怒りで呂律が追い付いておらず、理解するのが難しかったが、頭に血が上っている事だけはよくわかった。

「もういい、お前は頭を冷やしてこい」

 しかしそれも束の間、すぐにゼフェルが激昂した男に向かって、呆れたように命じる。

 彼は最初誰がそれを言ったのか分からずに言い返そうとしていたが、寸での所でゼフェルの言葉だと理解しすると、顔を青くして一礼し、驚くくらいあっさりと部屋を後にした。

 驚くくらい静まり返った室内では数人の男達が困惑した表情でゼフェルを見やる。

「勇ましい御嬢さんではないか」

 彼は衛兵が再び扉を閉めるのを見計らってから、くつくつと心の底から楽しそうな笑い声を漏らす。

「貴君らの席を用意しなかった非礼は詫びよう。この通りむさ苦しい男ばかりの所帯でな、レディに対する教育がなってないのは確かだ。すぐに用意させる」

「……お心遣い感謝致します」

 もう少し血気盛んな集団かと思っていたのに、目論見は外れたらしい。

 試されたのかと思うくらい迅速でいて非の打ちどころのない対応に、表面上は嫋やかに頭を下げたセシリアだったが、内心では舌を巻く思いだった。


「此度の任務への参加、御苦労であった。貴君らの功績が作戦の成功に大きく寄与した事はグレゴリー伯も喜ばれるだろう」

 同じ椅子が用意された後、ゼフェルはまず謝礼の言葉を述べたが、当然ながらそんなものはただの前座だ。

「理解してほしい。我々の任務はこの地を守る事なのだ。オークの撃退もその一つに過ぎん。懸念事項があれば例え同じ戦場を駆け抜けた仲間であっても調査をしなければならない時もある」

 国以外の所有は認められていない転移魔法に、常識では考えられない規模の魔法と、圧倒的な個々の戦闘力。

 おまけに正体不明と来ては信用できないのも頷ける。

「心得ております。私達に協力できる事であればなんなりと」

「貴君らの惜しまぬ強力に感謝する」


 表面上は"話を聞く"という体裁だが、退路を塞がれた時点で尋問と言い換えても差し支えあるまい。

 本来なら縛り上げられた上で乱暴に尋ねられたとしても文句が言える立場ではないのだ。

 ここに参列している面々の中には、そうするべきと訴えた者も居るだろう。

 だというのに、結果的には信じられないくらい紳士的なコンタクトを試みてきたのには理由がある。

(ま、働きアリに逃げられたら巣が成り立たないって事でしょうね……)


 軍と言えど、多数の人間から成り立つ組織の一つに過ぎない。

 ゼフェルや参列する面々がそれなりの地位や権力を持っていたとしても、末端の兵が反旗を翻せば崩壊するのみだ。

 特に今回は火急の防衛という事もあり、徴兵されて参加している農民も混ざっている。

 平時から訓練を受け、上の命令は絶対と認識させられた正規兵と比べて扱い方が難しかった。

 自由の翼への表立った横暴は英雄視している末端から反感を買い、場合によっては組織の運営に支障をきたしかねない。

 ただでさえ余裕がない局面で暴動など起こされようものなら、その被害は計り知れなかった。

 セシリアもこの状況で強行手段は取れないと踏んだからこそ、同格に扱えなどという身の程を弁えない要求を投げつけられたのだ。


 尋ねられた質問はわざと核心を逸らして答えつつ、相手の出方を伺う。

 幾度かの問答で分かったのは、彼らが思った以上にグレゴリーから情報を渡されていないという事だ。

 自由の翼がリュミエールに居た事はおろか、グレゴリーとの関係すら知らされていない。

 手元にあるのが、彼の寄越した援軍の一つと言う粗末極まりない情報ともなれば訝しむのも当然と言える。

 質問の意図も明快で、主にグレゴリーとの関係性、転移魔法と回復魔法のからくり、自由の翼の目的を把握しておきたいようだった。

 セシリアはそんな彼の目論見を利用しつつ、質問を重ねる形で自分の知りたい情報を引き出しにかかる。


「なるほど……。大体わかりました。ありがとうございます」

 半刻ほど話し続けただろうか。ようやく一段落ついた所で優雅に一礼すると、ゼフェルはやりにくそうに頷く。

 外見は年端もいかない少女だったのが功を奏したのか、仕草や挙動を研ぎ澄ませ、それなりの身分を持つ貴族だと思いこませたのが上手く効いたのか。

 恐らくその両方だろう。ネカマ時代に鍛えた演技力は意外と汎用性に富むらしい。

 大事なものを色々と失っている気がしなくもないが、既に気にするのは辞めていた。

 とはいえ、ゼフェルにもリュミエールを守る者としての責務があり、相手が誰であろうと引き下がるわけにはいかない。


「そろそろ教えて貰おうか。貴君らの力は何なのか。何が目的で援軍を引き受けたのか。こればかりは是が非でも答えて貰わねばならん」

 これが職務である以上、彼は絶対に引いたりしない。

 かといってありのままを話すメリットもない。

 セシリアも聞けそうな情報は先程すべて引き出しており、これ以上会話を長引かせるつもりはなく、さてどうした物かと小さく首を傾げてから逡巡する。

 誤魔化し方には大きく2通りの方法がある。話題を逸らすか、知らぬ存ぜぬを突き通すかだ。

 セシリア達が何者なのか、どのような条件でグレゴリーと契約したのか。

 馬鹿正直に答えるのは当然として、ぼかして答えるのも踏み込まれると面倒だ。

 彼らの職務を満たしつつ、何も答えない方法。となれば、残された道は一つしかない。


「グレゴリー様から連絡のあった通りです。申し訳ございませんが、私の口からそれ以上を話す事はできません」

 セシリアはにっこりと、これ以上ないくらい満面の営業スマイルを浮かべる事にした。


 グレゴリー様から私達の情報は聞いている筈です。援軍が来ると。

 え? 確かに聞いたけれど、私達が何者なのかまでは聞いていない?

 ……そうですか。なるほど、そういう事ですね。

 恐らく、グレゴリー様には何か考えがあって"故意"に伝えなかったのでしょう。

 であれば、雇用されている我々が軽々しく領主様の伝えなかった情報を伝える訳には参りません。

 申し訳ございませんが、グレゴリー様に直接伺ってください。


 時に笑顔で、時に申し訳なさそうにわざとらしい三文芝居を繰り広げるセシリアに、ゼフェルを始めとした男達の表情は刻一刻と渋さを増し、隣に座るケインの表情も引き攣っていく。

 いつ帯刀しているサーベルの柄に手が伸びても不思議はない空気が流れ、ケインも同室した上級士官も気が気ではない。

 だと言うのにセシリアは相変わらず柔和な笑みを浮かべながら先程の一言を繰り返している。

 その度にゼフェルの渋面は塗り重ねられ、今では壮絶というべきか、龍すら殺せそうな眼光でセシリアを睨んでいた。

「私に申されても、その、困ります」

 幾度目かの押し問答の末、セシリアが柔和な笑みを崩し、困惑した表情で身を縮ませると、どうやったのか瞳に涙を溜めて上目遣いにゼフェルを見上げる。


 グレゴリーの思惑によって秘匿されているのだと言うセシリアの言い分を否定する材料は誰にもない。

 確認しようにもここはリュミエールから遠く離れている。

 使者を出したとしても往復に6日は掛かってしまう。かといって、結果が出るまで駐留するわけにもいかなかった。

「……確かに何らかの機密があって、わざと知らされなかった可能性はある」

 最後の一押しをしてから数秒後、ようやくゼフェルが重い溜息と共に諦めの言葉を口にする。

「だがな、貴君らが奴に"自分達の情報を話すな"と言われたとは到底思えん。大方、我々に知らされていた情報が少ないと踏んでそのような話を作り上げたのだろう?」

 完璧な解答に、セシリアは意味深な笑顔を返すだけで何も言わなかった。

 沈黙が暗に肯定を示唆しているとはいえ、頷いたわけでも否定したわけでもない。

 ゼフェルは小さく鼻を鳴らすと、それ以上詮索する事はなかった。代わりに苦々しい表情で苦言を零す。

「随分な狸ぶりだな……。あいつの周りにはこういう輩しか集まらんのか」

 人の事を言えるのかと思いはしたが、当然口には出さず、ここぞとばかりに話題を変える。

「良いのですか? 領主様に知れたら不敬罪で首が飛びますよ?」

「構うものか。あれが幼少の頃から仕えてきたが、無邪気だった頃が懐かしい」

 グレゴリーとゼフェルが並んでいる姿は中々想像しにくいが、それなりに気心の知れた仲らしい。

 小さな頃から、という事は彼の両親と繋がりがあったのかもしれない。


「まぁ、いい。今はあいつの決断を信じる事にする。軍の規律を乱すような行為を慎んでくれるならもう何も聞かん。撤収作業が終わり次第リュミエールへ進路を取る予定だ。今宵は作戦成功を祈って祝宴を催す予定でいる。貴君らが参加してくれれば兵達も喜ぶだろう。是非楽しんでくれ」

 締めの言葉に思う所のある面々も居たようだが、異議を唱える事はなかった。

「お誘いありがとうございます。良い休息になると思いますから、皆には参加するよう通達致します」

「"皆には"、か。変なところで正直だな。貴君は先にリュミエールへ戻る気か?」

 終わりの気配を感じて安心したのか、少しだけ零れたセシリアの本音をゼフェルは目ざとく見つける。

 暫しの沈黙の後、セシリアは素直にそれを認めた。ここで否定して監視を付けられるのは面白くない。

 振り切るのは簡単だとしても、後で難癖を作られるのはお断りだった。

「……ご明察恐れ入ります。領主様に報告致したい事もありまして、許可を頂けますね?」

「それがあいつの命令なら俺にはどうする事も出来ん。だがここは領内でも辺境だ。好からぬ輩が徘徊している可能性も……。そうか、転移魔法か。なら一つ条件がある」

 転んでもただでは起きないつもりなのか、ゼフェルは悪巧みを思いついた子供のように意味深な笑みを浮かべる。

「一人も二人も手間は変わるまい。ついでだ、俺も一緒にリュミエールへ運んでくれ。なにせ早急にグレゴリーと話し合わねばならん事が出来たのでな」

「……一度戻れば、ここには再転移できませんよ?」

「構わん。既に任務は終わり撤退を残すのみだ。俺が居なかろうが軍は動く」

「……分かりました」

 プレイヤー以外に転移魔法を使うのは抵抗を感じたものの、こうまで言われて断るのも難しい。

 小さな抵抗はいとも簡単に払いのけられ、仕方なしとばかりに頷いた。

「出発は1時間後。それで構いませんね」




 約束どおり一時間後に転移魔法でリュミエールの街へ戻ると、ゼフェルはすぐにグレゴリーの元へ向かっていった。

 セシリアはその姿を見送った後、屋敷の一角に用意されている病室へ足を運ぶ。

 病室といっても簡単なベッドが幾つか並んでいるだけで、保健室と評したほうが正しいのかもしれない。

 常に回復職が一人は待機しており、治療を必要とするプレイヤーに回復魔法を提供している。

 殺風景な廊下をまっすぐに進み、目的の部屋の前に立つ。

 しかしいざ扉を開けようとして、その指が微かに迷った。

 赤黒い血だまりの中に沈んだ少女の姿は忘れようとしても忘れられないだろう。

 切り飛ばされた腕は繋がった。止まっていた心臓も動き出した。

 リディアに何かある筈ないと思いながらも、"もしも"の可能性がどうしたって頭を過ぎる。

 数度の深呼吸の後、セシリアは意を決して扉を開いた。


「あら、おかえりなさい。予定より早かったわね。大丈夫だった?」

 部屋にはクレリックの女性が一人、この世界の書物らしきものから僅かに顔を上げて気のない返事を投げかける。

 室内には幾つかのベッドが並べられているが、その内の一つだけがカーテンで覆われていた。

「オークの討伐も救助も無事に終わりました。……リディアさんの様子はどうですか」

「大丈夫、安定してるわ。まだ意識は戻らないけど、この分なら明日には目を覚ますでしょうね」

 閉じられていたカーテンをくぐって、未だ眠り続けているリディアの顔を覗き込む。

 安定していると言っていた通り血色は良く呼吸も規則正しい。

 けれど寝顔は無表情で、見慣れたあの弾けるような笑顔がないことに喪失感を覚えた。

「心配なのは分かるけど、自然に起きるのを待ったほうが良いわ」

「……はい」

 睡眠状態を回復する魔法を使えば強引に目覚めさせることもできるが、自然に目覚めるまで待った方が良いというのが彼女の判断だ。

 現実世界では大きな病院に勤めていた女医でもあり、よくここで魔法ではどうにもできない精神的なケアを担当してくれている。

 彼女が読んでいた本も、この世界の医学や薬学に関する物だ。


「それと帰って来たばかりで難だけど、領主様から戻り次第顔を出すようにって何度もラブコールを受けたんだけど、どうする?」

 くすくすと品のいい笑みを漏らす彼女を尻目に、セシリアは肺に残っていた空気を残らず絞り出さんと深い息を吐く。

「休む暇はありそうにないですね。例の作戦は順調に進みましたか?」

「ええ。私達は号外をばら撒くだけだもの。失敗のしようがないわ」

 そう言うと、机の上に置かれていた1枚のプリントを差し出した。


 セシリアが出発前にケインへ話した、英雄になる方法。

 突然この世界に迷い込み、何の後ろ盾もないセシリア達が唯一権力者と対等に渡り合える手段。

 ただ捕らわれた人達を助けるだけでは英雄になんてなれっこない。

 大事なのはその後。その事実をどうやって効果的に知らしめるかにある。

 自由の翼は最初期に首都へ行くパーティーに混ざれなかったライトユーザーが多く、リアルでは様々な仕事についていた。

 例えば雑誌の編集だったり、イラストレーターだったり、新聞の記者だったり。

 そういったプレイヤーによって作られた物がこの一枚のプリント、小さな新聞だった。

「この世界じゃ情報媒体はまだまだ発展途上みたいね。分かりやすいって別の意味でも高評だったみたいよ」

 絵心のあるプレイヤーも協力したようで、見る人が見ればセシリアだとすぐに気付けるくらい特徴を捉えたイラストまで添えられている。

 以前手配書の似顔絵を描いたのと同じ人物だろうか。


 リュミエールの偏狭にある村でも見捨てる事無く救援部隊を派遣したグレゴリーの判断は、領民にとって嬉しいニュースに違いない。

 その功績を過剰なくらい褒め称え、同時に身を挺して救援に当たったセシリアの事も大きく取り上げられていた。

 読んでいると気恥ずかしくなる内容だが、編集者に言わせると、幼く可憐な少女が誰かを助ける為にその身を犠牲にしようとしたと聞いて悪い感情を抱く者は居ないのだそうだ。

 脚色や煽りが散見できるものの、大筋としては間違っていない。

 後は助けた人々に取材をして、切って貼ってを繰り返して作り上げた感動的な文面を幾つか載せていた。


 英雄になる為に必要な条件その一。沢山の人々の尊敬と憧れ。

 リュミエールの街を根底から支えているのは貴族ではない。平民である市民だ。

 軍の末端が自由の翼を救世主と持て囃した事によって強攻策を取れなくなったのと同じように、市民からの支持を勝ち取れば自由の翼は領主であっても強権を振るえない、不可侵の立場を手に入れられる。

 グレゴリーは、自分の領内に権力の及ばない組織ができる未来を避けたい筈だ。

 例え功績を残したとしても、誰にも知られないのでは意味がない。

 単純にグレゴリーへ報告しただけではご苦労様の一言で片付けられるだけならず、外部に漏れないよう握り潰される可能性さえある。

 だがここまで広がってしまえば、グレゴリーでも握り潰すのは不可能だ。

 先制攻撃は成功に終わった。後は直接交渉でどうなるかだ。

 そう考えた瞬間、不意に背後の扉が乱暴に開かれる。

 やってきたのは見慣れないプレイヤーで、セシリアを見つけるなりほっとしたのか、大袈裟な安堵の息を漏らした。

「よかった、やっと見つけましたよ。何か領主の使いとかいう人が待たせてもらうって居座ってて。無言で睨んでくるし、不機嫌オーラ全開で空気最悪なんですよ。早速なんですけど来てください」

 捕まった人達がリュミエールに送った時点で当初のセシリアの仕事は終わっている。

 まさかその足で防衛戦に参加するとは思わず、ずっと屋敷内を探し回っていたらしい。

「分かりました。それじゃ、後半戦始めましょうか!」

 部屋を出る瞬間、僅かに背後を仰いでから、先を歩くプレイヤーの後に続いた。

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