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World's End Online  作者: yuki
第二章 異世界
47/83

リュミエール-プロテクション-

 領地同士での小競り合いが頻発する時代だけあって、首都は守りやすい地形に作られる事が多く、リュミエールも例外ではない。

 オークの進駐する方向からリュミエールに向かうには山岳地帯を越えなければならない。

 山道は整備されておらず、原生する樹木で覆い尽くされていた。

 無理をすれば山中の踏破も不可能ではないといえ、火を放たれれば逃げ場がなくなる。山には入らず、その麓に広がる狭い道を進まざるを得ない。

 とはいえ、あくまで平原に比べて"狭い"だけだ。

 豊富に取れる森林資源を使って築いた防衛ラインはかなりの幅を持つ。


 狩組と有志の参加者は100に満たない小規模な軍勢だ。

 この人数であらゆる場所を万端に護るのは不可能と言っていい。

 だからこそ、数々の策を巡らせる必要があった。


「各班はもう一度分担を再確認しろ! 既に観測班からオークの進軍が報告されている。実戦までの時間は残り僅かだ、各員心してかかれ!」

 陽の下で赤髪を滾らせているグレンは目の前でせわしなく準備を進めるプレイヤーに檄を飛ばす。

 突然の方針変更に伴い混乱は生じたものの、どうにか間に合わせる事ができた。


「ケイン、観測班より追加連絡。あと30分くらいで敵勢力が奇襲地点へ到達するみたいよ。ベースポータル担当、攻撃ポータル担当は配置済み。陽動ポータル担当のクロ君は観測班に同行中だって」

 各班のリーダーとケインが額を合わせて最終調整を行っている所に長い金髪の女性が近づく。

「ありがとう。奇襲部隊の準備はもう出来てるかな?」

「ええ。多少の緊張は仕方ないけどね。大部分が討伐経験者だし、作戦に支障はないと思う。隊長も、檄を飛ばすのはいいけど、準備は出来ているんでしょうね?」

 そう言うとケインに向けた柔らかな笑顔とは対照的な冷めた視線でグレンを見据える。

 彼女は奇襲部隊の一員で、作戦に向けて準備をしていた所に突然現れた隊長のグレンに用事があると言われて連絡役を丸投げされたのだ。

「いやな、こういう時は士気が重要なんだって。むさい男が行くより見た目麗しい美女の方がやる気が出るだろ?」

「一応考えがあっての事だったんだ。てっきり連絡事項を覚えきれないからかと思ってた」

 額に汗を浮かべながらの釈明は鼻で笑われた上に辛辣な言葉で斬り返されたが、それ以上は何も言わなかった。

 たった一言で済んだのは仮初のアバターとはいえ、容姿を褒めたからだろうか。心の中で密かに安堵の息を吐く。

「くれぐれも無理はしないように」

「何言ってんだ、最初の計画より楽じゃねぇか。今度は前みたいなヘマしねぇよ」

 心配そうに声をかけるケインへ任せておけとばかりに親指を立てて見せると、奇襲部隊の集合地点へと向かう。


「これから大軍相手に大立ち回りをするのに、随分と余裕があるのね」

「ったりめぇだろ。これはクロの仇でもあるんだ。人間様の力ってのを思い知らせてやる」

 目の前で斬られた友人の姿は今でも彼の網膜に焼きついて離れない。

 草原を染めた血飛沫と鉄の匂い。色のない表情。無事に治療出来たとはいえ、あんなのはもうたくさんだ。

「熱意は分かったけど、3割までだからね。それ以上は本番にして」

「分かってるよ。第一、俺は陽動で攻撃はしねぇっての」

 グレンは、だからこそ釘を刺された事にも、背後で溜息を吐いている女性にも気づかなかった。



 2体のジェネラルオークに前後から挟まれる形で隊列を組んだオークはリュミエールに向かいひたすら前進していた。

 大型の盾のみを構える重装部隊、槍を手にした突撃部隊、斧や剣をぶら下げた遊撃部隊、弓を携えた後方支援部隊、そして最後に、物資を乗せた牛車を走らせる補給部隊。

 背の低い草が見渡す限りに広がっている草原では身を隠す場所など見つかる筈もない。

 やや離れた位置で周囲の警戒に当たっている哨戒兵もいるが、気を張っているとは言い難かった。

 ポータルゲートを知らないオーク達からすれば、こんな場所で伏撃が行われるとは思ってもいないのだろう。

「対象の接近を確認。交戦域まで移動した。作戦開始だ、ベースへ戻るぞ」

 まだ数キロも先だと言うのに、彼の目には迫り来るオークの軍勢がはっきりと映っていた。

 弓をメインに使うアーチャー系列は命中率、射程距離向上の為の各種スキルが備わっている。

 この【遠見】もその一つだ。発動する事で本人の視力を段階的に引き上げる事ができる。

 これだけ距離があれば察知される心配もない。念の為伏せたままの状態でポータルゲートを発動し、するりと忍び込んだ。


「陽動部隊は敵を攪乱する事に集中しろ! 攻撃部隊は背後から敵補給部隊を攻撃するが加減を忘れるなよ? 撤退を迫るような被害は出すな、俺達の仕事はあくまで進軍させる事にある!」

 グレンの声に部隊は応と叫んだ。前衛、後衛共に20人の合わせて40人。内、攪乱に15人。後衛の護衛に5人。攻撃役に20人の圧倒的な火力構成だ。

「第一陣用意、合図とともに一斉に飛び込め! 転移後は散開し周囲の状況確認を怠るな、矢の飛来が予測される、弾くか蹴散らすかは各自の判断に任せる。危ないと思ったら距離を取って援護を待て、準備はいいな!」

 そこへ偵察から戻ってきた2人が駆け付ける。交戦域への到達を確認。ベース担当のプリーストがすかさずポータルゲートを展開する。

「陽動部隊突撃ィ!」

 グレンは獣染みた声を上げながら真っ先にポータルゲートへと身体を滑り込ませた。控えていた他の面々も足音を響かせながら続々と飛び込んでいく。

 転移先は敵部隊の真正面だ。とはいえ、未だ距離は遠い。凡そ数百メートルといったところだろうか。

 対象物の少ない平原で距離を測るのは難しいが、そんなものは関係なかった。

 息を大きく吸い込み、ゲーム内では数え切れない程使い続けてきたヘイト上昇スキル【咆哮】を上げる。

 十数人分の叫び声は大気どころか地面さえ揺るがす勢いだった。

 プレイヤーに気付いたオークはすぐに臨戦態勢を整える。後方の補給部隊を守るべく兵が展開され、弓が引き絞られた。

 百を超える弓が矢を打ち上げる。風を切る弦の音は遠いプレイヤー達にも届いていた。

 それを合図に、オークへ向かって一斉に突き進む。

「クロ、俺の後ろに居ろ! 今度はきっちり守りきる!」

 離脱用のプリーストは彼らにとって欠かせない存在だ。【プロテクション】の効果も絶対ではない。

 何より、あの時と同じ目に合わせるつもりは微塵もなかった。


 最大射程間際の遠方に居る相手に1発目の矢が当たる確率はゼロに近い。

 その日の天候、風向き、湿度といった気象条件によって同じように撃っても飛距離が変わるからだ。

 だから1発目は具合を測る観測用。それを基に偏差を割り出し、本命の2発目以降を撃つ。

 案の定、大部分はプレイヤーを通り越すか届かないかで、危険な位置に降り注いだのは数えられる程だ。

 そんな攻撃で怯むはずもなく、【ヘイスティ】の効果を受けたプレイヤーは盾を構え警戒する重装部隊に迫っていた。

 想定外の移動速度を目の当たりにしてオークに動揺が走る。

 だが、本当の勝負はこれからだ。

「クロ、ポータル展開! 各員速やかに帰還せよ!」

 目前に迫りくる敵を見据え、いざ会戦と身構えた瞬間に姿が消えた。

 オーク達が周囲を見渡してもそれらしき影はなく、かといって隠れられる場所も見当たらない。

 一体どういう事かと混乱が生じる中、それは突然巻き起こった。



「攻撃部隊準備! 転移後は速やかに伏せろ! 前衛がヘイトを稼いでいるとはいえ完全ではない、くれぐれも見つかるなよ!」

 前衛がポータルゲートに飛び込んでからきっかり10秒後、攻撃部隊用のポータルゲートが開かれる。

 位置は敵補給部隊の後方だ。前衛に注目が行っている間に伏撃の準備を済まさなければならない。

 頭から飛び込むようにして次々とポータルゲートに吸い込まれていく。その向こうでは飛び込んだ勢いを利用して地面を転がり、低い体勢を維持する。

 後は視界の端に留めた敵に向かって遠距離魔法を発動するだけだ。溢れだした魔力の奔流に後方の補給部隊が愕然と振り返るが、もう遅い。

 詠唱を止めるべく駆け出した集団は、半分も詰められずに魔法の完成を拝することになる。

 大地から突きあがる岩の槍が、天から降り注ぐ無数の火球が、鋭利な刃となった氷の吹き荒れる嵐が、青白い光をまき散らす轟雷が、不可視の風で作られた大鎌が、範囲内に居た補給部隊の一団を一瞬にして呑みこむ。

 耳をつんざく轟音と断末魔が収まれば、後には黒く変色した平原が残るだけだった。


 背後からの奇襲を想定していなかったオークの混乱は想像を絶していた。

 手の空いていた遊撃部隊が飛ぶようにして駆けつけるも、既にプレイヤーはポータルゲートから帰還済みで姿形もないとくれば尚更だ。

 正体不明の一団を迎撃するどころか捕捉さえままならず、指揮を執っているジェネラルオークは苛立たしげに乗っていた牛車を叩く。

 戻るべきか、進むべきか。不思議と敵の攻撃は一時的に止んでいる。混乱に乗ずるならこれ以上のタイミングは無い筈だ。

 現在の損耗率は補給部隊のみで1割に満たない。物資は減ったが敵地から略奪すれば済む話だ。

 敵の要塞の規模と戦力は把握している。負ける要素は見当たらない。

 気になる要因はあれど、この程度の損害で人間相手に退くのは一族の恥。

 豚の鳴くような声で進軍の指示を飛ばしたのは当然の帰結と言える。

 その上で伏撃を警戒し、部隊を広範囲に展開。動きがあればすぐに対応できる手はずを整え、補給部隊を中心に据え置き守りを固めた。

 よもや人間がこの状況を作り出す為にわざと加減していたとは思いもよらなかっただろう。



「第一次作戦完了。これより、第二次作戦に移行する。いいか、逃げるオーク共の尻を叩いて走らせるのが俺達の仕事だ。各員、転送準備にかかれ!」

 観測班が敵の散開を確認。

 どこに潜んでいるか分からない人間を探し出すにはとにかく索敵範囲を広げるしかない。

 見せつけた範囲火力の高さを鑑みれば密集隊形が危険な事も分かる筈。否、分かって貰わなければ困るのだ。

 それくらいの知能を宿していた事にグレンは安堵さえしている。

 身を寄せ合って震えられたのでは誤って殺しすぎかねない。


 ケインからも撤退だけはさせるなと念を押されている。

 観客の目の前で派手に殲滅するという彼らしからぬ提案には内心驚いたものだ。

 たった一人が全員の為に身を危険に晒すのと、たった一人を守る為に全員を危険に晒すのでは意味合いが違う。

 この選択が自由の翼にとって、マスターの判断として適切なのかは微妙な所だ。

「だが、それがいい」

 グレンは心の底から湧き上がる爽快感に人知れず豪快な笑みを漏らす。

 細かい事情を説明されたが、そんな物は些事に過ぎない。要するにケインは選んだのだ。

 ただ一人の為に自由の翼を使うと。

 実に愉快な気分だった。

 組織の為に誰かを切り捨てる頭は掃いて捨てるほどいるが、誰かの為に組織を使う頭なんてそう居るものか。

 これだからケインの傍は止められない。

「野郎共、二回戦目だ! 気合いれていくぞ!」

 観測班から第二次作戦の到達を受け、折り重なる怒号と共に陽動部隊が再びポータルゲートへ雪崩れこんだ。



 首尾は上々といっていい。

 再び現れた陽動部隊が【咆哮】を上げると共に攻撃部隊が密かに転送され、攻撃直後に離脱する。

 想定よりオークの散開範囲が広く、詠唱中の魔術師を発見され攻撃されるアクシデントもあったが、逆に広く散開しすぎたせいで数は揃っておらず、護衛の前衛で十分に対処できる程度だ。

 しかし、ジェネラルオークとてただ黙って人間からの攻撃を受けるばかりではなかった。

 ポータルゲートは位置記録した場所にしか転送できない上、記録できる数も極僅かだ。

 攻撃を繰り返せば出現位置に何らかの法則があると露呈してしまう。

 現に3度目の攻撃を敢行した際には2箇所の位置記録がオークによって取り囲まれ、使用できなくなっていた。

 飛び込んだ先はオークのたまり場でした、なんて事になったら洒落にならない。

 既に目標の3割には達しつつある。この辺りが引き際と判断したグレンは陽動部隊に最終指示を投げた。


 転移先はオークの大軍より若干の位置を取っている。

 再びの【咆哮】に対するオークの反応は鈍い。既に彼らは陽動だと気付かれ、危険度は低いと判断されているからだ。

 それよりも、直後にやってくる魔術師をどう防ぐかの方が遥かに重要だった。

 だからこそ、そこに付け入る隙がある。

 周囲を警戒し、いつでも飛び出せるように身構えているオークを見て、グレンが笑う。

「各員、攻撃準備!」

 攻撃部隊は陽動部隊の背後に隠される形でとっくに転移済みだった。

 魔法の詠唱が始まり、魔力の流れを感じ取ったオークがようやく背後に隠れた一団に気付く。

 しかしもう遅い。歩兵が辿りつくにはあまりに距離がありすぎた。

 オークが一斉に弓を放つが、観測射撃を済ませていないのでは当たる筈もなく、運よく丁度いいコースを辿った一握りの矢も盾の一振りで弾かれる。

 重装兵が前方に集められ壁を作って防御を固めたが、高威力の魔法を防ぎきるには装備も能力も圧倒的に足りていなかった。

 数十の兵が紙屑のように吹き飛ばされ、構えていた頑強な鉄の盾は飴細工のように溶け、砕け、或いは抉られる。

 それでも、後続への被害を防いだと言う一点においては歓喜の声が上がっていた。


「大分手前に撃ったってのに、結構吹き飛んだな……。やっぱ盾を持とうが弓を持とうがオークはオークか」

 余波で軽く怯ませるだけの筈だったのだが、魔法の効果範囲を見誤ったらしい。既に3割のボーダーをオーバー気味だが、沸き立っているオークを見て安心すると共に、ポータルゲートでの撤退ではなく、再詠唱の指示を出す。

 むざむざ攻撃してくださいとばかりに隙を晒した形だというのに、誰にも焦りは見て取れなかった。

「隊長、ジェネラルオークの詠唱を確認、弓の射出準備も整っています。準備を」

 予想通り、今度はいなくならない集団に向けてオークは大規模な攻勢に出る。

 彼らにはケインの居る場所まで快進撃を続けて貰わねば困るのだ。その為に一芝居打つこともやぶさかではない。

「よし、10秒後に撤退するぞ! 置き土産を忘れるな!」

 各々がインベントリからリュミエールで仕入れた安物の装備を取出し、そこらに投げ捨てた。

 他にも領主に手配して貰った罪人の死体に鎧を着込ませた物を幾つか転がしてある。

 プレイヤーがポータルゲートに飛び込んでから十数秒後、閃光と共にジェネラルオークの魔法が大地を吹き飛ばし、次いで無数の矢が飛来した。

 結果を確認しにきた哨戒兵が見つけた物を、彼らはどう受け取るだろうか。

 草原に勝利の鬨の声が鳴り響いたのは言うまでもない。






 奇襲作戦が行われた翌日の早朝、防衛ラインの一角に作られた作戦司令室には張り詰めた空気が流れていた。

 筋肉質な身体に癒えない傷の痕が見て取れる偉丈夫、壮年を通り越した白髪の老人、学者然とした男。

 その中で一際整った端正な顔を引き締めるケインの姿はどこか浮いていた。

 さらさらと風に揺れる美しい金色の髪や、細く、ともすれば女性にも見間違えられそうな肢体は舞踏会では栄えるであろうが、こと戦場には似つかわしくない。

「先ほど、野営を行っていたオークが進軍を開始したとの情報が届きました。これより我々は迎撃に移ります」

「相変わらず、ケイン殿の報告は迅速ですな。それに比べて我々の諜報部隊の体たらくと来たら……」

 偉丈夫の男が溜息を漏らすのも無理はない。プレイヤーの観測班にはポータルゲートがある。ほぼリアルタイムで連絡できるのは大きなアドバンテージだ。


 グレゴリーから強力な援軍を派遣したという連絡を聞いた時、誰もが歓喜した。

 しかし、到着した彼らを見るや否や、落胆の声が溢れたものだ。

 年の瀬は揃って10から20。体付きは子供のそれで、どうみても戦い慣れているようには見えない。

 まだ訓練も済んでいない少年兵が掻き集められたのだろうと嘆く者さえいた。

 挙句、彼らは自分達が前線で戦うから、撃ち漏らしたオークの掃討に集中して欲しいと要請してきたのだ。

 眩暈を感じない指揮官がもし居るならどうかしている。

 なるほど、確かに強力な助っ人だ。

 群がるオークの前に立たせて生きた肉壁とし、もろとも吹き飛ばして良いのであれば戦局は多少有利に傾くだろう。

 自国の守るべき民を生贄に捧げなければならないとなれば、悪夢以外の何ものでもない。

 それが前途有望な年若い騎士達ならば尚更だ。

 ところが、事態は彼らの想像を予想しない形で上回る。

 自らをケインと名乗った若者は確かな決意を瞳に秘めていたが、決して悲壮な覚悟ではなかった。

 集まった部下に次々と指示を飛ばし、指揮官に持ち込んだ作戦の説明を行う。

 目標はオークの撃滅。そればかりか、ただ一人の犠牲すら出さないと言い切ったのだ。


「10時方向、設営完了しました。現在2時方向に取り掛かってます。こちらも後十数分で完了する見込みです」

 報告に来たメンバーにケインが頷く。

 防衛ラインと言っても、結局はただのバリケードに過ぎない。

 どこか一か所でも崩されればそこから雪崩れこまれ、前後から挟撃される。そうなればプレイヤーとて危険だ。

 かといって、これだけ広い面積を完璧に守りきるのは難しかった。

 オークだって人間の魔法は警戒している筈だ。密集するより拡散し、数を使った面での制圧を試みるだろう。

 まずは敵の拡散をどうにかして防がなくてはならない。


「地図上のこの2箇所には、絶対に兵を入れないでください」

 防衛ラインの右端と左端の一部は赤い線で囲まれ、大きなバツが付けられている。全体からすれば4割程度だろうか。

 ここはプレイヤーが可能な限りの設置魔法とトラップの類を仕掛け、いわゆる地雷原にしているのだ。

 一歩でも踏み入れれば即座にズドン。ただし1発で巻き込める範囲はそう広くないし、仕掛けた数も多いとは言えない。

 あくまで敵を牽制し、踏み入れるのを躊躇させる為の、いわばコケオドシだ。ラインに沿った外側ばかりで、内側には一つも仕掛けられていない。

 前を進むオークが次々爆死すれば動揺する。その上で何もしかけられていない中央へと誘導するのだ。

 守るべき範囲を減らせれば、それだけプレイヤーの火力を集中させられる。

 全体を守るのは難しくとも、制限をかけて範囲を狭めれば楽観視はできないが無理ではない範囲といえる。

「ご安心ください。皆様の事は我々、自由の翼が必ず守ります」


 この場を任されている指揮官からすれば笑うしかない。

 命を懸けて民を守る決意をしたというのに、自分よりずっと若い集団に守ってみせると言われたのだ。

 性質の悪い事に、彼らの練度は自分達を遥かに上回ると来ている。

 戦場に出ても足手纏いだと言われるのははるか昔、まだ見習いだった頃以来だった。

 この場で最も腕の立つ指揮官でさえ、見るからにひ弱なケインに掠る事すら出来なかったのだから。

 身の程を弁えさせんと試合を挑んだまでは良かったものの、終始ケインに遊ばれただけだ。

 今まで幾度となく魔物を屠ってきた自慢の剣技も、体裁きも、まるで王宮の舞踏のように流され、受けられ、あしらわれる。

 避けることも出来た筈の必殺の一撃すら、わざと真正面から、それも軽々と受け止められたのでは自らの驕りを認めざるを得なかった。

 強力な援軍を派遣したと言うグレゴリーの言葉は紛う事なき真実だったのだと。




「やっぱお前は下がっといた方が良いんじゃねぇか?」

 防衛ラインの前方には準備を終えた自由の翼が展開されている。その中央、一際突出している一団にケインの姿はあった。

「いや。こういう時にこそ前に出るべきだよ。それに、これは僕が望んだ事でもあるんだ」

 何かあれば取り返しのつかない事になると分かっていても、彼は前に出る事を選んだ。

 大将自らが最前線に赴けば士気も上がる。何より、後ろでじっとしているのはもうたくさんだったから。

 見晴らしがいいだけあって、随分と遠くではあるものの、直進を続けるオークの姿も薄らと見て取れた。

 敵もプレイヤーに気付いている事だろう。そろそろ臨戦態勢に移動するはずだ。

 数分後、オーク達は行軍速度を緩め、陣形を整える。

「僕からの命令は唯一つ。絶対に死者を出すな!」


 ケインの声に沸き立つプレイヤーを見て、防衛ラインを守っている兵達は複雑な心境だった。

 突撃の防波堤になってくれるのはありがたいが、戦力差は軽く見積もって5倍以上の開きがある。

 バリケード越しに戦ったとしても厳しい戦況だというのに、何もない平地であの数を相手にできるとは思えなかった。

 隊列を組んだ重装オークが大盾をかざしながら怒涛の勢いで押し寄せる。背後では一斉に観測射撃が行われていた。

 矢を防ぐ屋根が作られた防衛ラインと違って、彼らには盾しかない。それどころか盾すら持っていないまでもいる始末だ。

 そんな装備で一体どうやって敵を防ぐというのか。諦観にも似た空気が辺り一帯を包む。

 挙句、彼らは想像だにしない暴挙に出る。

 後方に広がる防衛ラインからの援護を受けるには、今より後方に下がったほうが良い。

 だというのに、中央に固まっていた数人が敵に向かって駆け出したのだ。



 ケインの率いる一段は飛んでくる矢を意にも返さず、ただ敵に向かい愚直に直進した。

 オークの一部が地雷原に踏み込み、構えていた盾ごと吹き飛ぶ。止まれなかった後続も次々に二の舞を演じた。

 これは何かあると一度足を止めた頃合を見計らってケインとグレンが吼える。展開されているオークが一斉に2人へ視線を傾けた。

 あの人間が通ってきた道は安全に違いない。そう考えた右端、左端のオークはすぐに進路を転換する。

 これで彼らの役目は完了だが、ここまで来てのこのこ帰ろうとは思わない。

「クロ、転移の準備を頼む! 限界までここで迎撃する!」

 ここで孤軍奮闘して見せれば後方に控えている仲間に自信を与えられる。そう考えたケインは仄かに赤く輝く剣を抜き放った。

 前衛の武器にはエンチャンターによってオークの弱点である火属性が付与されている。

 それを振り上げ、肉薄しつつあるオークへ全力で振るった。

 【フレアスラスト】。空に描かれた剣の軌跡から炎が溢れ、命を得たかのごとく解き放たれる。

 続けて一閃、再び一閃。剣先が縦横無尽に虚空を切り裂き、生まれた業火がオークの盾を叩いた。

 凄まじいまでの衝撃を堪えきれず、攻撃を受けた1匹が思わずたたらを踏む。

 爆散した火の粉がぱらぱらと降り注ぐ中、何のこれしきと体勢を直そうとした瞬間、再び盾が衝撃に揺れた。

 ぐらりと体が傾き、重い盾を支えきれずに転がる。隠されていた視界が開け、それがオークの見た最期に景色になった。

 数十にも及ぶ炎の衝撃波は体勢を崩したオークを次々に切り刻み、焼き払う。狙われた一角は進むことを諦め、盾を構え足を踏み込み、防御の姿勢をとった。

 その間に別方向から槍を、斧を、剣を携えたオークが殺到する。

「右方向は任せた。こっちは僕が引き受ける」

 ケインはそう言って、向かってくるオークに向き直った。

 体内を巡る力の一部を惜しみなく流し込み、力強い輝を放つ刀身を振り上げる。

 騎士である彼が扱える中でも最大級の範囲と威力を誇る、片手剣専用スキル【インペリアル・ストライク】。

 数メートル先まで迫ったオークは無防備な姿を晒すケインを見て醜悪な笑みを浮かべた。斧を構え、がら空きの胴を抉るべく足を踏み出す。

 刹那、ケインの剣が大地に向かって叩きつけられた。

 たったそれだけで地面が爆ぜる。轟音と共に生まれた衝撃波は大地を、立っていた多数のオークを纏めて吹き飛ばす。

 分断された身体から真っ赤な液体が迸り、巻き上げられた土砂と一緒に雨の如く降り注いだ。

 恐ろしいまでの威力を誇る攻撃は、しかし1度だけで終わらない。

 裂帛の気合と共に振りぬかれた2発目は、近づきつつあるもう一つの集団へ襲い掛かる。

 だがそれでも、数で押し潰さんと群がってくるオークを止めるには至らない。

 インペリアル・ストライクは最大MPの30%を消費し、消費した量が多ければ多いほど威力と範囲が強化される。

 ゲーム時代でも爆発的な瞬間火力には世話になることが多かったが、特性上連発はできないのだ。

 急激なMPの消費に伴い、ケインは荒い息を繰り返していた。もう一発撃てば意識が吹き飛ぶに違いない。

 背後を振り向けばグレンも大技を放ったのか片膝をついている。

 疲弊の色を見せた彼らをオークが放置する筈もなかった。今がチャンスとばかりに後続が雪崩れ込む。

「僕にはこれが限界か……クロ、頼む」

 軽い眩暈を振り払いながらグレンに手を貸し、オークが辿り着くより早くポータルゲートへと足を踏み入れた。


「誘導班の帰還を確認! 詠唱中の魔術師は即座にぶっ放せ!」

 孤立したケイン達はオークからすればさぞ良い的に見えた事だろう。

 強力な攻撃を垣間見た以上、早急に潰したいと考えるはずだ。

 おかげで彼らの居た場所だけは不自然なくらいオークが密集している。魔術師からすれば狙ってくださいといわんばかりだ。勿論、こんな好機を逃すつもりはない。

 長距離射程の魔法が炸裂し、群がっていたオークは呆気ないくらい簡単に一網打尽となった。

 敵の損耗は先の奇襲を合わせ4割に達している。

 このままやられ放題でいられるものかと、観測射撃を終えたオークの弓兵が本命を放った。

 放物線を描く矢は驚くほど正確にプレイヤーへ進路を取る。盾で防げば身動きが取れなくなるのは必定だ。

「矢が来るぞ! 防衛部隊、準備はいいな!」

 声はないが、幾人かが大きく頷く。直後、準備していた魔法が空に向かって解き放たれた。

 魔術師のスキルツリーは属性によって分けられている。専門とできる魔法はせいぜいが2つまで。

 彼らはその中でも風の属性を重点的に習得したプレイヤーだった。

 空に作られた巨大な竜巻は飛んでくる矢を吸い込み、切り刻み、或いは粉砕し、てんで違う方向へ弾き飛ばす。これにはオークも、後方で固唾を呑んで見守る人間も目を見張った。

 軽い矢はどうしても風に弱い。だからといって、上空に竜巻を作り、あまつさえ停滞させるなどどうかしているとしか言いようがない。

 何より恐ろしいのは、それがたった数人の魔術師によって作られた物であると言う事だ。

 これでは弓兵が何の役にも立たない。戦場で面の制圧ができないのは大きすぎる痛手だ。


 矢が届かないと知ったジェネラルオークは展開される竜巻を止めるべく魔法の詠唱に移る。

 彼らとて魔力は有限だ。後方に築かれている防衛ラインへの攻撃に使う為温存していたが、出し惜しみしている場合ではない。

 一方でプレイヤーもジェネラルオークの魔法には警戒していた。

 防衛ラインに作られた物見櫓に登っていたレンジャーの男性は、【遠見】によって拡大した視界の中に詠唱を始めたジェネラルオークをしっかり捉えている。

「させるかっての」

 身長に近い大きな弓だというのに、彼は軽々と引き絞る。超長距離での弓による狙撃は当然難易度が高い。

 にも拘らず、観測射撃すらしていないというのに、彼は自分の放った矢がどこに飛ぶかを正確に把握できていた。

 これから彼が飛ばすのは普通の矢ではないからだ。

 【ファントム・アロー】

 精神力によって作られた矢は物理的な干渉を一切受け付けない。風の流れは勿論のこと、障害物や射程距離さえもだ。

 何も番えられていない弓は、しかし確かに何かを飛ばした。数秒の間を空けて、詠唱中のジェネラルオークの額へと寸分違わず突き刺さる。

 視界の中ではジェネラルオークが頭を抑えながら転げ回っていた。

 物理的な干渉を受け付けない制約がある以上、肉体的なダメージは発生しない。その代わり当たると精神力を削られる。

 この世界では傷のない痛みを生み出せるのだ。

 集中力を切らしたジェネラルオークの魔法が完成を待たずに霧散する。

「っしゃあ! またつまらぬ物をZAPしちまったぜっ」




 ジェネラルオークを突然襲った神経を抉られるような痛みは、襲った時と同じように突然薄れていった。

 何が起こったか理解できずに、彼は再び詠唱を始める。直後、またしてもあの激痛が頭を貫く。

 もはや人間から何らかの妨害工作が行われてるとしか思えなかった。

 魔法は使えず、矢による制圧も行えない。

 自分達より貧弱な人間に、あろうことか数で勝っていながら手をこまねいている。

 撤退はできなかった。逃げ帰るなど一族の恥だ。力で成り立っているオーク社会において敗北は死より覚えの悪い不名誉である。それに、物資も残り少ない。

 先日の奇襲で補給部隊を襲われたのが今になって響いていた。

 何もかもが想定と違いすぎる。

 此度の進軍に駆り出されたオーク達は精鋭揃いだというのに、たかが数人相手に苦戦する始末。

 いや、もはや認めるしかあるまい。此度の人間は何かがおかしかった。

 ただの一撃で大地を砕き、多数の同胞を葬った一撃といい、雨のような矢をものともせず呑み込んだ竜巻といい、貧弱とは程遠い有様だ。

 真正面からぶつかれば精鋭といえど勝ち目は薄いと感じてしまうほどに分が悪い。

 何かが必要だった。この状況を打破しうる"何か"が。でなければ同胞はただ死体を積み上げるだけだ。

 戦場をぐるりと見渡す。我らが勝っているのは数である。いかに個々の力が強力だとしても囲んでしまえばどうにでもなる。

 問題は戦場が限定されていることだ。左右の一帯は足を踏み入れただけで身を焼き尽くす罠が仕掛けられている。

 これさえなければ広範囲に兵を散開できるのだ。数を活かし、人間を取り囲み、殲滅する事も夢ではないというのに。

 そこまで思い至った瞬間、不意に一つの疑問がジェネラルオークの頭を過ぎった。

 "何故、人間はこの罠を一帯に仕掛けなかったのだ?"

 我らは攻める事が、人間は守る事が勝利条件だ。罠という卑劣な手段は人間にとって効率的な手段である。

 であるなら、全域にこの罠を埋めてしまえばいい。

 限定的な範囲にしか仕掛けなかったのはどうしてか。仕掛けなかったのではない、仕掛けられなかったのではないか。

 つまりこの罠は我らの行動範囲を妨げる為のものであり、局所的にしか埋まっていないコケオドシなのではないか。

 試してみる価値はあった。




 おかしいと思ったのは詠唱を止めたという連絡が入ってからすぐ後の事だった。

 オークの進撃が急に緩まり、敵陣に慌しい動きが見て取れたのだ。

 【遠見】で様子を伺っていたレンジャーの男性は、オークの補給部隊が、引き連れている牛車に詰まれた物資をせっせと下ろしている姿に首を捻る。

 おかしな動きがあった時に報告をするのが彼の役目とはいえ、これは報告すべきなのかどうか。

 戦闘が始まってからまだそれ程時間は経過していない。武器や矢といった物資を補充する目的とは思えない。

 ならば一体何をしているというのか。それが分からなければ報告のしようがない。

 一挙一動を見逃さないように眺めていると、すっかり荷物のなくなった牛車が移動を始める。

 後方から前方へ。その先にあるのは、誰も居ない空白のスペースだ。

「おいおい、マジかよ……。急いでケインに伝えろ! 左右の地雷原がハッタリだとバレた可能性が高い! やつら牛車で誘爆させて掃除するつもりだ!」

 物見櫓の下に居たメンバーが顔を青くしてひた走る。だが、連絡よりも早く戦場に爆音が響いた。

 次々に突撃する牛車によって埋まっていた設置魔法と罠が反応する。境界線には集中して埋められているが、少しでも食い込むまれると何も起こらない。

 当然だ。設置できる人員も、数も限られている。持ち合わせているリソースを集中させても淵をなぞる形でしか設置できなかったのだ。

 地雷原の仮面は剥がれつつあった。恐る恐るではあるものの、オークの分隊が進入し戦場を急速に拡大し始めている。


 やや遅れて連絡を受けたケインは見通しの甘さに苦い表情を作る。

 散開したオークを今の人員で押し留めるのは不可能に近い。

 プレイヤーの実力を見せ付ける為には彼らだけで守り切る事が重要だったというのに、目標は果たせそうになかった。

 脳裏にただ一人奔走していた少女の姿が過ぎり、情けなさに拳を打ちつける。

 四方から囲まれ、乱戦になれば範囲の広い大技は味方を巻き込むリスクが付き纏ってしまう。

 ラインを突破される恐れが出た時点でバリケードまで後退し、リュミエール軍と共闘するべきだ。

 ただでさえ私情の為に彼らを駆り出している。これ以上の危険を背負わせるわけには行かない。何かあってからでは遅いのだ。

 指示を出すべく動き始めたケインだったが、そこへ聞きなれないしゃがれた声がかかる。

「もし。我々はあなた方に比べて余りにも非力ですが、あの地帯を守る事くらいならできましょう。バリケードには戦慣れしていない兵もおりましてな。ここは一つ、力を貸してはくださらんか」

 いつのまにか作戦司令室に居た老人と、魔術師らしき数人が傍に立っていた。後ろには幾人もの兵士が列をなしている。

 ハッタリを見破られた事で状況が悪化したと判断した彼らは独断でここまで赴いたのだ。

「まだ後退する猶予は十分におありでしょう。お眼鏡に適わぬようであれば指示に従いますゆえ、どうかご一考を」

 後退すればその分オークは戦線を押し上げる。できる事ならここで押し留めたいのは共通の見解だった。

「無理そうならすぐに引きます。それで良ければ手を貸して頂きたい」

 ケインの申し出に、控えていた兵士達が意気揚々と応える。自分達の領地を自分達で守れない事に少なくない引け目を感じていたのだろう。


 行動だけで言えば日々訓練を重ねている彼らの錬度はプレイヤーを上回る。統率の取れた動きは乱れることもなく、あっという間に配置を終えていた。

 右翼は引き続きプレイヤーで守りを固め、左翼はリュミエール軍に任せる。盾を構えた一団が壁の如く整列し、後方では魔術師達が忙しなく準備を始める。

「儀式魔法準備! 魔法陣の構築を急げ!」

 何かの白い粉を各々が振りまき、やがて大掛かりな図形を浮き上がらせていく。

 ゲームに儀式魔法というカテゴリは存在していなかった。何人かのプレイヤーは興味深そうにその様子を覗いている。

 やがて図形が完成したのか、数十人からなる部隊がその上に立ち、手を掲げる。

「なるほど……。図形を媒体にする事で複数人の魔力を集めてるのか」

 個々の魔力はプレイヤーに比べるまでもないが、数十人単位となれば話は別だ。練りあがった膨大な魔力は蜃気楼のように大気を揺らし、風を生み出す。

 次いで、彼らは見事な唱和で呪文を紡いだ。


(あま)駆ける光芒(こうぼう)が詠い廻る経絡(けいらく) 災禍となりて降り来たれ』


 所々で厨二病キターと場違いな発言が飛び交う中、練りあがった魔力が空へと打ち上げられる。

 数秒後、それは炎を纏った巨大な岩という形でオークの頭上へ降り注いだ。

 途方もない質量を持つ巨石が着弾する度に地面は激しく揺れ動き、砕けた石片が散弾銃の如く周囲を襲う。

 直接押しつぶされたものは言わずともがな、破片一つでも当たり所が悪ければ即死だ。運悪く全身に浴びて元の形が分からないくらい崩れた屍骸さえ転がっている。

 圧倒的な破壊力には、プレイヤーでさえ暫し目を丸くする。

「僕達も負けてはいられない! みんな、一気に行こう!」

 片面は任せても問題なさそうだと判断したケインが続行の指示を出すと、準備していたプレイヤーが一斉に魔法を解き放った。

 狙うのは最前列のオークから少し離れた場所だ。手前のオークと後続のオークを分断するのが主目的である。

 大量に来られなければオークなどただの雑魚。前衛は縦横無尽に駆け巡り、孤立したオークを片っ端から殲滅する。

 オークは吹き荒れる魔法で思うように後続が近づけず、迂回するか魔法が止むのを待つかを迫られる。

 どちらを選ぶにせよ、駆けつけた頃には既に大部分のオークが切り伏せられた後だった。

 既に損耗は6割に達しただろうか。今や弓兵も近接用の武器を取り上げ突撃を敢行している。

 このまま押し切れる。誰もがそう思った。




 ジェネラルオークにとって、このような展開が認められる筈もない。

 既に自軍の半数近くが討たれ地に伏している。

 人間の防衛は想像以上に硬く、これまでとは何もかもが違っていた。

 漠然と"負け"の2文字が頭を過ぎってしまうほどに追い詰められている。

 既に幾人かを伝令役として後方拠点に向かわせていた。

 恐らく、我々はここで負けるのだろう。

 だが、このまま何もできずむざむざ殺されるのだけは認められない。

 誇り高きオークの戦士として、貧弱な人間どもにただ一方的に嬲られたとあっては死んでも死にきれない。

 彼にとって兄弟にも等しかったもう一人のジェネラルオークは部下と共に降り注いだ巨石によって死に絶えた。

 せめてその礼を尽くさなければ。

 自分にできることは何か。どうすればあの人間共を1匹でも多く同じ目にあわせられるか。

 方法は初めから一つしかない。ジェネラルオークだけが扱うことのできる魔法の行使だ。




 物見櫓の上からジェネラルオークを監視し続けていたレンジャーの男が再び弓を引き絞り、放つ。

 視線の向こうではジェネラルオークが頭を抱えていた。しかし、数瞬後には再び詠唱に入る。

「はいはいわろすわろす。何度も何度も無駄詠唱乙」

 その場から動きもしない敵など、彼にとっては的でしかない。

 数えるのも面倒な詠唱妨害の後、懲りない奴めとあざ笑った瞬間、不意に表情を歪めた。

 ――先程、確かに詠唱をとめたはずである。にも拘らず、視界の先に映るジェネラルオークは既に詠唱を行っている。一体いつ再開した?――

 慌てて再度射撃を行い様子を見た。苦しそうに頭を抱え、詠唱は確かに止まっている。そして再びの詠唱。射出。今度も止まって……ない。

 確かに当てた筈だと再び射る。不可視の矢は間違いなくオークの額を貫いていた。だというのに、詠唱は止まらない。

 そこから更に2発。詠唱がようやく止まる。が、間髪射れずに再詠唱。射る。止まらない。射る。止まらない。射る。止まらない。

「なんでだよ……。攻撃受けたら止まる筈だろうが! バグってんのか!? 片方のジェネラルオークが潰されたからって荒ぶってんのかよ!」

 彼は知らなかった。魔法の詠唱とはすなわち、精神の集中だ。詠唱中断のメカニズムは痛みによって集中が途切れることで発生する。

 だからもし、途方もない痛みをものともしない強靭な精神力を持ちえたなら、どんな攻撃であろうと、死なない限り詠唱は止まらなくなる。

「ケインに伝令! 魔法の詠唱が撃っても止まんねぇんだ!」

 ジェネラルオークの魔法は詠唱が長い代わりに威力が高い。もし巻き込まれたらどうなることか。最悪の想像が頭を過ぎり顔が青く染まる。

「くそ、止まれっ」

 狙撃で一番必要なのは冷静な心だ。焦りに染まった思考では照準がぶれ、当たるものも当たらない。

 リミットだけが刻々と近づき、それが更に彼の心を焦がす。

 彼が背負っているのは数十か、或いは百に達する人命だ。これまでの人生の中でそんな物を背負った経験がある筈もない。

 外せば人が死ぬ。それは自分が人を殺すのと同義ではないのか。

 そんな考えが脳裏に浮かび、手が震える。腕には力が入らず、弦を引く事もできなかった。

 震えは足にも伝播し、もはやまともに立ってさえいられない。

「なんだよこれ……。どうしろってんだよ……」

 来るべき音を聞かない為に、来るべき景色を見ない為に、彼は頭を抱え込むようにして耳を塞ぎ目を瞑った。

 それを無責任だと罵れる筈もない。

 撃ち続けたとして、当て続けたとして、軍を率いる長が持ち得た強靭な精神力を挫く事ができたかは誰にも分からない。

 何より、彼はどこにでもいる、ただのゲーム好きな少年でしかなかったのだから。




「ケインさん! ジェネラルオークの魔法が攻撃しても止まらないそうです! 恐らく発動しますっ! 対象は不明、この戦場のどこかです!」

「っ!」

 伝令が走ってここまで来た時間を考えればもう猶予は殆どない。

 HPの少ない中レベルの魔法職がまともに受けたりすれば一撃で消し飛ぶ可能性すらある。

 対策はあった。ジェネラルオークの使う魔法は爆発を伴う火炎系魔法だ。

 火耐性を向上させるレジスト魔法を使えば大幅にダメージを削減できる。

 だが戦場に分散して貰っている支援に指示を飛ばす時間はない。

 近くにいるのは全体へ指示を伝える為の魔法を空に打ち上げて貰う魔導師が一人だけ。

 それにしたって、撤退時には爆破系魔法を空へ複数回打ち上げるという簡単な命令しか設定しておらず、ジェネラルオークの魔法に警戒し、レジスト魔法を展開せよなんて複雑な命令は下せない。

 今から戦場全体をカバーする事なんてとてもできない。

 最低限、どこを攻撃するのか分からなければ手の打ちようがなかった。

「彼から他に何か聞いてないか!? どんな些細なことでも良い、時間がないんだ!」

 必至の形相で迫るケインに、伝令役の青年が唸り声を上げる。

「そんな事言われましても……。バグってるのかとか、片方が潰されて荒ぶってるのかとか、彼も混乱してるみたいで……」

 直前の会話を思い出しながら繰り返す。するとケインはハッとした様子で叫んだ。

 ジェネラルオークの一体はリュミエール軍の使った儀式魔法が直撃し、死亡している。

 攻撃対象は左翼に広がっているリュミエール軍に違いない。

 だがそれが分かったところで肝心の対策は時間的に不可能だ。

 どうにかして、隣にいる魔導師の彼に使える魔法を有効活用できないか。

 ゲームの記憶を必死に思い返し、一つの魔法が浮かび上がる。

「【パーマフロスト】は使えるか!?」

 肩を掴まれた魔導師は驚きつつも頷いてみせる。

「すぐにリュミエール軍のいる場所へ使うんだ!」

 言われるがままに彼は魔法を詠唱し、発動した、直後。

 リュミエール軍の只中に出現した燃え盛る炎が爆散した。


 火系魔法と水系魔法が同時に、同空間に展開された事で互いの魔力は干渉しあい、効力を大幅に減衰させる。

 咄嗟に思いついたケインの案は正解だったのだ。

 しかし、被害は甚大の一言に尽きた。整然と並んでいた前衛部隊は吹き飛び、儀式魔法を行っていた魔術師も一人残らず地に伏している。

 苦しげな呻き声がそこかしこから溢れ出し、どうにか生きていることだけは証明していた。

 オークの大軍はこれ幸いと無力化された左翼に群がっている。彼らを通すわけにはいかないが、中央と右翼に展開されたプレイヤーでは間に合わない。

 放置して下がるべきだろうか。そうすればバリケードで持ち直し、2回戦に洒落込む事もできよう。

 だが、ジェネラルオークの魔法を受けて倒れている左翼のリュミエール軍は間違いなく虐殺されるだろう。

「どうすればいい……」

 ケインがポツリと呟く。自由の翼の安全を考えるなら考えるまでもない、退くべきだ。


 だってそうだろう?

 オークに襲撃されて戦力に余裕がないから、リュミエールは自由の翼を受け入れているのだ。

 問題が片付いて軍が街に戻れば晴れて強硬姿勢を取れるというのがセシリアの予想である。

 なら、戻る軍が居なければどうなるか。

 たとえば、ここでリュミエール軍が全滅したとすれば?

 街を守る組織を失ったグレゴリーは、それでも自由の翼に強硬姿勢を取れるだろうか。

 恐らく否だ。軍の再編成が終わるまでは飴を握らせてでも即戦力である自由の翼に街を守ってもらうしかない。

 そして再編成には短くない時間を必要とするだろう。プレイヤーにとっては願ってもない展開だ。

 オークに襲撃されて死ぬ分にはプレイヤーに責任を問う事もできない。

 リュミエール軍の数を減らしてくれればくれるだけ、後の交渉は有利になるのだ。果たして、彼らを助ける意味があるのか?


「各員に伝達……」

 セシリアならこんな時どうするのだろうかとケインは思う。

 考えるのも馬鹿らしかった。決まっている。

「左翼を全力で守る。絶対に犠牲は出すなッ!」

 リュミエール軍が壊滅すれば自由の翼に頼るしかなくなる事に、聡明な彼女が気付かないはずがない。

 でも彼女は自分の身を犠牲にしてでも英雄になる事を願った。

 人の命を奪うのではなく、助ける選択をした。

 人からの悪意を説いて見せた癖に、どうしようもない御人好しなのだ。

 彼女のしたかった事、成したかった事を邪魔するわけには行かない。

 是が非でも守り抜いてみせると、ケインは戦場を駆けだした。

プレイヤーの魔法に詠唱をつけなかったのは失敗でした……。

厨二成分的な意味で。

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