リュミエール-13-
セシリアの言い分に不満がなかったわけではない。
本拠地内部の位置情報を記録できれば侵入が容易くなるのは事実だが、だからといって安全が保障されたとは言い難い。
転移先で多数のオークに囲まれるのは目に見えているし、その上で捕まっている人々の救出を行う必要があるのだ。
しかし、危険を顧みずに他人を助けようとするセシリアの姿勢に共感を覚えた面々が居るのも事実。
動員は少数で済むという事もあって、勝手にすればいいと言う空気も出来上がりつつあった。
拠点への攻勢についても、一部の攻城戦参加プレイヤーを中心として、指針がまとまりつつあった。
毎週末に開催される攻城戦はこのゲームで行われていた大規模Pvイベントだ。
用意された城を巡ってギルド同士の大規模な戦闘が行われる。勝者には報酬の他、様々な恩恵を受ける事ができる為、参加しているプレイヤーは数多い。
古めかしくありながらも美麗さを持った城と炭鉱に潜むオークの拠点では天と地ほどの差はあるが、基本的な戦略は似たような物だ。
「味方に魔法が当たる糞仕様さえなけりゃ、弾幕張ってるだけでなんとかなるのにな」
「現実的に考えると当たらない方がおかしいんだから文句言わないの。多数相手なら魔法で薙ぎ払うしかないね。オークのHPを考えれば中堅でも1発で倒せるはずだよ」
忌々しそうに舌打ちするプレイヤーを諌めながら、一人が即興で作った地図を机の上に広げると手持ちの銅貨をばらばらと撒く。
散らばっている大量の銅貨は敵であるオークを、重ねられた銀貨は捕らわれた人達を、数枚の金貨をプレイヤーを表している。
「一般人を守りながら戦うって時点でオークの接近はNG。魔法の隙間を抜けてきたのは前衛が的確に処理する事」
銀貨の束を中心に置き、それを守るように金貨を数枚配置。群がるオークに向けて魔法を放つ。
ざっくりとした円形の効果範囲をペンで書きこむと、その中にあった銅貨を取り除いた。
稀に抜けてくる銅貨には中の銀貨が動き、取り除く。
魔法はオークの接近を阻む為の盾だ。積極的に敵へ撃つのではなく、一定の間隔で魔法を敷き詰めて内部の安全を確保する。
「問題は弾幕を張る魔系の人数ですね……平地戦だと最低6、7人って所でしょうか」
魔法の位置が近すぎると自分達は勿論、守るべき一般人にも被害が及んでしまう可能性があった。
安全を考慮すると、自陣から2、30メートルは離す必要が出てくる。
半径が広がれば守るべき円の面積も増えるのだ。オークが入ってこれないように隙間なく魔法を敷き詰めるには最低でもそのくらいの人数が必要になる。
だが、後衛だけで6、7人と言う数字はセシリアにとって受け入れ難い。
「多すぎますね……。半数に減らせませんか?」
魔法には詠唱やクールタイムがあるのだ。何らかのアクシデントでオークに侵入される可能性もある。
接近された時の事を考えると前衛を連れていく必要があった。
理想形としては前衛3人と後衛3人。6人くらいなら本陣への影響は少ないし、撤退もスムーズに行える。
本当はもう2人くらいずつ欲しい所だが、増えすぎると支援が滞りかねない。
「無茶言うなぁ……。まぁ、場所を選べば何とかなるとは思うよ? ポータルゲートで戻ってくるなら退路は気にしないで良い訳だし、背後を壁か崖にすれば守る面積も半分だ」
「その理論で言えば角を取るのが理想だな。守る場所はさらに半分だろ?」
地形を利用すれば何とか。拠点内部の情報が乏しい現状では何とも判断しにくいが、可能性はあった。
やはり情報が少なすぎるとセシリアは思った。
敵の数は? 配置は? 武装は? 捕われた人々は纏めて管理されているのか? 小分けにされているのか? そもそも拠点内部の地形は?
今のままでは分からない事があまりに多すぎて、いかに攻城戦に慣れている彼らと言えども指針までしか作れない。
後はもう、自分の目で確かめるしかなかった。
拠点内部の位置情報を取る傍ら、必要な情報も可能な限り収集した上で対策を審議する。
「前衛を3人、後衛を3人見繕っておいてください。レベルは問いませんから、状況判断ができそうな人でお願いします。私は準備を終えたらここを発ちます。後は情報が集まってからですかね」
窓から差し込む朝日は未だ登りきっておらず、寝ている人が多いのか、屋敷の中は静まり返っていた。
おかげで背後からついてくる苛立たしげな足音は酷く目立っている。
「どういう事か説明して貰おうか」
珍しく不機嫌さを隠しもしないカイトに、セシリアは取り繕ったような笑顔を浮かべて振り向いた。
ずっと腕を組んだまま怖い顔で仁王立ちしているのを間近で見ていたのだから、不満があるのは百も承知。
ケインの様に異議を唱えなかったのは、セシリアに対する理解が彼よりあったから、というだけだ。
少なくとも、考えなしにこんな真似をする性格ではない。考え抜いたうえで強硬手段に出たのだとしたら、何を言っても止まる筈がない、と。
「何考えてんだ、一人で行くなんて危険過ぎる。救出に行くなら本陣を終えてからでいいだろう。無理に侵入する必要だってない、数十人で攻めれば押し込める」
いかに堅牢な守りとはいえ、プレイヤー数十人が押し掛ければ矢を射る暇も石を投げる暇もなく圧倒的な火力で蹂躙できるだろう。
不幸にも交渉材料にされた捕虜の犠牲は出ると予想されるが、大多数を救出できるなら成功とみて良い。
グレゴリーが欲しいのは"領主として捕まった人達の救出も行い、一定の成果を得た"という結果だ。
「ダメだよ。不確定要素がありすぎる」
しかし、セシリアはカイトの案を真っ向から否定した。
「場慣れしてる狩組はともかく、新しく加わった人達が連戦に耐えられると思う?」
難しいというのがセシリアの見解だ。かつてフィアの居た村がオークに襲われたと聞いた時、オーク程度ならと安請け合いした。
ゲームでは1ダメージまで減らすのだって難しくない敵だ。
数十匹に囲まれても、理論上はヒールを使いつつ杖で殴っていればいずれ倒しきれるような相手に、際どい所まで追い詰められ、あろうことか危ない所をフィアに助けられたのは今でも苦い思い出である。
横領組が娼館よりも狩組への編入を選んだのは、討伐対象がオークだと知っていたからと言うのもある。
ゲームと同じように身体を動かし、スキルを使えると体感できれば、序盤のモンスターなど恐るるに足らず。
大軍を相手に戦うと告知されても、どこか侮った空気が流れているのはそのせいだ。
故に、彼らはあの時のセシリアと同じような洗礼を受ける羽目になるのかもしれない。
ゲームではない、"本物"を体感した後で、追撃を、それも拠点の攻略を行える余裕があるとは考えにくかった。賭けるにしてはあまりにも分が悪すぎる。
「だとしても、元狩組さえ揃っていれば攻略は出来る筈だ」
高レベルのプレイヤーを中心に纏まっていた狩組の実力は本物だ。全員が的確に動けば拠点の攻略も不可能ではない。
だがそれは"的確に動ければ"の話だ。
「それも無理。狩組の一部メンバーは捕虜と面識があるみたいだし、人質に使われたら内輪揉めに発展しかねないもの」
特に、人数を割いて助けに行こうと息巻いていた人達はとても連れていけない。全体の安全より私情を選んだ時点で適正無だ。
パーティー全員の命がかかっている以上、時には非情な判断も必要になる。
「なら、数日時間を置くとか……」
「あれだけ組織だって動けるなら伝令兵も居る筈だよ。一匹でも残せば後方の拠点に連絡がいく。大部隊が撃滅されたと知れば撤退するだろうし、数日あれば逃げ切れるんじゃないかな。そもそも、味方が数日で使い物になる保証もないし」
反論の余地はなかった。カイトの案が成功するには幾つもの偶然を乗り越えなければならない。
「だったら、お前の案も不確定要素だろ!」
そしてそれはセシリアの案も同じだ。無事に帰ってこれるかどうかなんて誰にも分からない。
どちらの案も失敗すれば捕まった人々は助からないのは同じだ。違うのはセシリアが助かるか助からないか、それだけ。
なら、セシリアが助かる方を選ぶべきではないのか。
「違うよ」
だというのに、セシリアは再びカイトの案を真っ向から否定する。
「私が助かる為に必要なのは、拠点へ一人で侵入する方なの」
「どういう事だよ」
誰がどう考えても、一人で敵地へ赴くなんて自殺行為だ。にも拘らず、セシリアは自分が助かる為に必要な事なのだと断じる。
理由を聞いても曖昧に笑うだけで何も言わなかった。
「大丈夫、ちゃんと帰ってくる算段もあるから」
「具体的には?」
「愛と勇気と気合?」
「真面目に答えろ!」
茶化す様な物言いに抑えきれなくなったカイトが乱雑に肩を掴む。
けれど、セシリアは困ったような顔をするばかりで何も言わない。
最初から怪しいと思っていた。
「やっぱり何も思いついてないんだろう」
「思いつくも何も、分からない事だからけなんだから。出たとこ勝負以外に方法はないし」
敵地の真ん中に飛び込むのに、作戦の一つもなし。それを無謀以外の何と言えば良いのか。
「馬鹿も休み休み言え。中止させてくる、言いたい事が山ほどあるからちょっと待ってろ」
カイトにとって、到底看過できる内容ではなかった。
元より、発案者とはいえセシリア一人がリスクを背負う内容に不満を抱いていたのだ。
反対する奴は自分一人で勝手に行けばいい。そう思ってセシリアに背を向けた瞬間、足がもつれ床に倒れ込んだ。
「っ!」
一瞬、自分の身に何が起きたのか理解が追い付かない。
思考は靄がかかり、瞼が勝手に閉じようとしていた。ようやく強烈な睡魔に襲われている事に気付いたが、明らかに人為的な物だ。
刻一刻と霞んでいく視界の中で背後のセシリアへ振り返る。
「ごめんね、カイトはきっと、何を言っても反対するだろうと思って」
片手で口を覆いつつ、もう片方の手に持っていた瓶を振って見せる。【スリープパウダー】と呼ばれる錬金術師の作った状態異常薬。
抗いようのない睡魔によって意識が沈むまで、そう時間はかからなかった。
「ああもう、眠らせる場所を考えるべきだった……」
ぐったりと、怖いほどに動かないカイトの身体を半ば引き摺るようにして移動する事30分。
普段は徒歩1分もかからない距離だと言うのに、今は肩で息をしながら全身に汗を浮かべている。
まさか動かない人間の身体がここまで重いとは思ってもみなかった。しかしここまでくればどうにでもなる。
部屋の前の壁にもたれさせると中に入る。2人はまだ寝ているようで、仲睦まじく身を寄せ合っていた。
起こすのは忍びないと思いつつもカイトをずっと外に置いておくわけにはいかない。
これは仕方ない行為なのだと正当性を心の中で主張しながら布団に潜り込むと、熟睡中のフィアの身体に乗り上げた。
「フィア、起きてください」
耳元で囁きを繰り返すと、フィアが唸り声を上げて薄く目を開ける。
「おはようございます」
悪戯っぽい笑みを浮かべたセシリアが朗らかに挨拶をすると同時に、自身の足とフィアの足を絡めた、瞬間。
おおよそどんな文字列にもならない奇怪な悲鳴が屋敷中に響き渡った。
「頼むから、頼むからもっと普通に起こしてくれ!」
情けない声で懇願するフィアの声に、隣で寝ていたリリーが起き上がる。
「お姉様、お帰りなさい」
まだ頭が働いていないのか、寝惚け眼のままで飛びついてくる姿は普段よりも幼く見えた。
「なあセシリア。連れて来てくれたことも、寝床を用意してくれたことも凄く感謝してるんだけどさ、やっぱり俺とセシリアはその、男と女なわけだし、同じベッドで一緒っていうのは何というか、問題があると言うか……」
ベッドの端に腰掛けながら彼女を抱きしめると、まだ眠いのか膝を枕にしながら再びうとうとし始める。
「起こしてごめんなさい、まだ寝てるといいですよ」
髪をゆっくり撫でると、心地よいのか表情を和らげた。
可愛らしい寝顔を堪能していると、不意に隣から寂しげな声がした。
「なぁ、聞いてるか……?」
勿論、聞いている筈もないと正直に、それも満面の笑みで告げると、彼もまたぐったりとベッドに倒れ込んだ。
本人には決して言えた事ではないが、フィアのリアクションは見ていて楽しい。
常に全力で生きている姿はセシリアからしても眩しい物がある。何より、弄るととても面白い。
沈んだ気分を浮上させるにはこれ以上ないくらいの清涼剤だ。
「フィアはやっぱり力持ちですね。私なんてここに運ぶまで30分もかかったのに」
肩で担ぐようにして持ち上げた身体を引き摺る事もなく室内に入れ、ベッドの上に寝かせるまでほんの数十秒だ。
住んでいた村で酔っぱらいの後始末をしていただけあって、フィアの手際は実に軽やかだった。
「最初から呼んでくれれば手伝ったのに、どうしてここまで運んできたんだ?」
「あー、ええと、思いつかなかったと言いますか、部屋の前で気付いたと言いますか……」
曖昧な物言いだったが、フィアには「そっか」と頷いた。
「セシリアって見てると自分一人で何でもしようとする気がしてさ。あ、いや、確かに何でも出来てるんだけど、力仕事くらい任せてくれよ」
果たして誤魔化し通せたと言っていいのか。フィアがあともう少し鋭ければ、呆けた様子で真顔になったセシリアに気付けたかもしれない。
リリーが起きていなくて良かった。フィアも無自覚に鋭い時があるが、リリーはそれよりずっと鋭い。
本当の所は心を落ち着かせる時間が欲しかったからだ。
元はネット上の付き合いだったとはいえ、今では数少ない大切な友人だと思えるくらいの関係にはなっている。
心配してくれたことは素直に嬉しかった。正直な所を言えばオークの巣窟になんて行きたくもない。
ありがとうとごめんなさいがごちゃごちゃに混ざった表情を抑えるには悪態をつきながら肉体労働に勤しむのが一番早い。
行かないで済む方法なんていくらでもある。
それこそ数日姿を消して、オークに見つかったけれど拠点には連れて行かれず殺されそうになったから作戦は失敗だと言えば良い。
カイトの言うように、事が終わった後で余力のあるメンバーが集まる事に賭けるのもありだ。
けれど、それは逃げの一手に他ならない。
事は既にセシリア一人の問題ではなくなっている。
カイトはお酒の飲み過ぎで倒れたと言う、彼からすれば実に不本意であろう理由で納得してもらっていた。
スリープパウダーの効果時間はステータスによってまちまちだが、自身に使われた時は1日近く眠らされていた。
少なくとも数時間で目覚めたりはしない筈だ。その間に全ての準備を終えて出発しなくてはならない。
「少し真面目な話になります。実は私だけ遠出する事になりました。それでひとつお願いがあって……」
いつになく神妙な様子にフィアが不思議そうに首を傾げている。
「カイトがもし何か変な事をしようとしてたら……止めてほしいんです」
「いつもじゃないのか? 前もセシリアの為とかいう理由で踊らされたし」
「そんな事は……」
ない、と言おうとしたセシリアだったが、この部屋の入手した経緯然り、最近気になる男の子がいる発言然り、フィアを使った悪戯然り、まともな事をしている場面が咄嗟に思い浮かばない。
ネカマである自分が言えたことではないが、ネナベであるカイトもこの世界では特異な存在なのだ。
「とにかく、もし一人で何かしようとしてたり、急に出かけようとした時は止めて欲しいんです」
我ながら曖昧な言い方だが、今はこうするしか手がない。
カイトの中身が女性であってもアバターは男性だ。セシリアと同じ手は使えないが、単騎で拠点に乗り込まないとも限らなかった。
セシリアと違い、カイトの場合は無謀を通り越して自殺に近い。
幾らレベルが高かろうとも圧倒的多数の相手を、それも高所を取られた状態で戦って勝ち目はないのだ。
説明に長い時間はかけられなかったが、真剣な様子は伝わったようで、フィアは任せておけとばかりに頷いてみせた。
移動中の食事、寝袋といった旅具、もしもの場合に備えて錬金術師達の作ったポーション類をインベントリに限界まで仕舞い込む。
ポーションの在庫を吐き出させるのにやや時間を取られたせいで、余裕を見ていた約束の時間を少しだけ過ぎていた。
慌てて屋敷内の一角、ポータルゲートを秘匿する為に設けられた転送専用の一室へ向かう。
古びた木製の扉を押しあけると、軋んだ音に反応してケインと黒髪の若い男性が視線を合わせる。
「お待たせしました。転送をお願いします」
普段通りのセシリアと違って、2人の男性の表情は苦いを通り越して苦しげだ。
「……クロ、ポータルゲートを頼むよ」
「本当に良いんですか?」
何度同じやり取りを繰り返した事か。
ケインは甘いけれど、社会で人を取り纏める立場にあったのだ。リスク計算も損得勘定も人並み以上には備えている。
リュミエール軍の近くで取得した、位置情報を使わせて欲しいと申し出ても許可は下りず、思い直すよう諭された。
いや、形式上は説得だとしても、実際には命令と言っていい。
彼は大軍相手に消費する魔力や気力を鑑みれば、すぐに再出撃とはいかない事に感づいていた。
危険を承知でセシリアの案に乗るか、捕まった人達を諦めるか。
これが軍隊なら迷う事無くセシリアの案に乗るべきだ。一兵の犠牲で多数が助かるなら賭けてみる価値は十分にある。
しかしながら、このギルドは軍隊ではない。プレイヤーを守る為にこそあるのだ。
だからケインはセシリアを選び、捕まった人達の事は諦めようと諭した。
それがまさか、セシリアに諭される真逆の展開になるとは思ってもみなかった筈だ。
「大丈夫、ちゃんと帰ってきますから」
眩い光の扉によって窓のない室内が明るく照らし出される。
一度だけぺこりと頭を下げたセシリアは躊躇う事無く扉の向こうへと足を踏み入れた。
残されたケインと、クロと呼ばれたプリーストは大きな溜息を吐く。
「損な役回りで申し訳ない。本来なら僕が行くべきなんだろうけど、生憎この身体では無理そうだ。無事を祈っているよ」
自嘲気味に笑う彼の表情は未だ苦々しいながらも、確かな決意を宿していた。
同時刻、会議室ではオークの大軍をどう対処するかの議論が続いていた。
初めての戦闘とあって、慎重に事を運びたい新参も積極的に参加している。
数的有利を発揮しているオークに真正面から突撃するほど馬鹿げたことはない。
なるべく遠くから、出来る限り気付かれないよう、それでいて壊滅的ダメージを与えるのがベストだ。
こちらも基本方針は既に決まっていた。
先の理想論を現実にするには奇襲しかありえない。それも1度ではなく、2度3度に渡る奇襲だ。
本来奇襲という物は一度しか機能しない。実行と共に奇襲が露呈するからだ。裏返したカードを表にすれば数字と絵柄は分かってしまう。
だが、オークとて一定の知能はあるのだ。戦隊を組んで進軍されると、奇襲で崩してもすぐに補充される。
だからこそ、1度ではなく2度3度に渡る奇襲が必要不可欠とされた。
そこで編み出されたのがポータルゲートによる、一撃離脱作戦だ。
兵糧が限られ、可及的速やかに進軍する必要のあるオークが山や森といった進軍に適さない地を進むとは思えない。
リュミエールの構築した防衛網を突破しようとしているのだから、なおさら進軍ルートは見極めやすかった。
その中で奇襲の警戒がされにくい"開けた土地"の東西南北4か所を位置情報に記録。
観測係がオークを発見次第、別途設けたベースからポータルゲートにてプレイヤーを転送、魔法攻撃を行った後、即座に離脱する。
後は観測班が注意の向いていない方角を確認し、随時転送、魔法攻撃、離脱を繰り返せばオークに対処する術はない。
オークが好戦的な戦闘部族だという情報を勘案しても、総兵力の5割を損耗すれば撤退せざるを得ない筈だ。
もし決死の覚悟で突撃を敢行するようでも、半数なら十分防ぎきれる防衛網が展開されている。そこへプレイヤーも加われば守りは盤石だ。
後は細かな配置や使用するスキルを詰めるだけ。これから大軍を相手取ると言うのに、和やかな雰囲気さえ流れ始めていた。
そこへ用事があると抜け出していたケインとクロが戻ってくる。
「ケインさん、用事はもう済んだんですか? ……ケインさん?」
近くにいた一人が気さくに出迎える物の、彼は見た事もないほど厳しい表情をしていて、思わず疑問符を浮かべた。
雑談に興じている一部のプレイヤーを除いて、ケインに気付いた人々は何か悪い事でもあったのだろうかと自然に声を潜ませる。
やがて雑談に興じていた数人も、突然訪れた異様な静けさに気付くとせわしなく辺りを見回し、ケインを見つけて口を閉ざした。
「今回の作戦について、皆に聞いて欲しい事があるんだ」
何も言わずとも静寂が訪れた室内に、彼の凛とした声が響く。
「遠くから少しずつ数を削ぐつもりだったけど、予定を変更する。当初の目的通り数は削るけど、撤退を見越した5割から3割に変更。同時に背後を封鎖し、進軍を強制する」
誰もが、ケインが何を言っているのか理解できなかった。
奇襲での目標損耗率を5割から3割に変更。これでは折角の奇襲の機会だというのに"手を抜く"と言っているのと同義だ。
挙句に背後を封鎖しての進軍強制。逃げ帰るならそれで良しと言っていたのは他ならぬケインである。
奇襲を受け、その原理も分かっていないオークは危険地帯からの早急な離脱を目論むに違いない。
尻を叩かれ駆けだした豚のようにリュミエールの防衛網へと突き進んでしまう。
7割に損じたとはいえ、未だ規模は大きい。防衛網で多数の死傷者が出るのは明白だ。それは自由の翼の評価を落とす事に繋がるのでは?
「ちょっと待ってくれ、意味が分からないんだが……」
これには古参も新参も同意見で、顔を見合わせるばかりだった。
ケインの意見のどこにも合理性が感じられない。
「つまりこういう事だよ。リュミエールの軍が見ている所で派手にぶっぱなそう。僕らがどんな存在なのか、一度深く理解してもらう必要がある」
光の扉を潜り抜けた瞬間、柔らかな風がセシリアの髪を揺らした。
目を開ければ狭苦しい部屋はどこへやら、見渡す限りの大平原が続いている。
透き通るような青い空に浮かぶ雲、遠くに見える山々は霞んでいて、どれ程の距離が離れているか想像もつかない。
インベントリから地図とコンパスを取り出して慎重に方向を見極めた。
比較対象の乏しい草原では位置を見失ってしまうと大幅な時間のロスにつながる。
大体の方角に歩けば目的地である鉱山地域へぶつかるとはいえ、逼迫している状況下では最短のルートを行きたいものだ。
何より、道を間違えた時の無力感はいかんともしがたい。
目的地までの距離は徒歩で4、5日といったところだろうか。勿論歩いて行くのは無謀だ。当然、一人箱根駅伝を開催するつもりもない。
「道中、お願いしますね……」
恐る恐る、といった様子で、ギルドから借りてきた移動用の足に声をかけた。
うんともすんとも言わないが、凶悪な瞳でちらりと一瞥するなり、つまらなさそうに前足を揃えて座り込む。
「……お手」
そっと手を差し出すと、小さく「がぅ」と吼えられ、噛まれない内に一瞬で手を引っ込める。
一芸は身に付けていないか、馬鹿にすんな、お前なんぞに差し出す手はねぇという意思表示なのだろう。
古くから人間移動用の足として動物を使っていた。
砂漠地帯ではラクダ、荷物運びにロバ、長距離の移動に馬。
MMORPGでも動物が移動手段としての役割を担っているのは珍しくない。
だから目の前のそれは紛れもなくセシリアの為に貸し出された移動手段なのだ。
ぱっと見は犬に見えなくもない。白銀の毛は滑らかで、凛々しい佇まいには気品さえ漂っている。
だが犬と言うには余りにも大きすぎた。座っている状態だと言うのに、目線はセシリアのやや下で小さな馬ほどもある。
どっしりとした構えの頑強な太い足は大地をしっかりと捕え、カーブを描く爪は柔らかい人肉などいとも簡単に引き裂くだろう。
分類上は狼。それも、魔物である。おまけにゲーム内ではオークなんぞより余程強力だった。
モンスターテイマーやレンジャーは調教というスキルを持っていて、前者はほぼあらゆるモンスターを、後者は鳥獣型モンスターを飼う事ができる。
育てれば戦闘力にもなるし、種類によっては移動手段にも使えるのだ。
目の前で鎮座している狼様は覚えるスキルが便利で攻撃力も防御力もそこそこ、体格の割に移動速度も速く、攻略Wikiやスレでもイの一番にお勧めされる優良種である。
名前は銀狼。ゲーム内で何度も見かけた事はあるし、頼んで乗らせて貰った事もある。
非常に大人しく従順な性格で、愛想の良い大きな犬程度の感覚だったのだが、こうして本物が目の前に鎮座していると緊張せざるを得なかった。
はっきり言えば怖い。襲いかかってこられたら対処の仕様がないからだ。
生きたまま臓腑を貪り食われるのは遠慮したいものの、歩いて向かう訳にもいかない。
今までだってケインや狩組の誰かが乗り回していたのだ。今更安全について心配する必要はないのだと自分に言い聞かせる。
「早速なんですけど、乗せてください」
しかしシルバーウルフは反応1つ示さない。もはやセシリアを一瞥さえしなかった。
「……乗せてくださいませんか」
レベルの高いモンスターはかなり高度な知性を持つ。元から適正値の高い狼となれば、ある程度の人語を理解しても不思議はなかった。
故の低姿勢、俗にいう土下座外交である。
微動だにしなかったシルバーウルフは「なんだこいつ」みたいな視線を投げかけた後、セシリアのマフラーをパクリと咥えた。
食べられる、と思わず身を固くしてたセシリアだったが、シルバーウルフは面倒臭そうに首だけで持ち上げると背中へ放り、意外と静かに立ち上がってから再び小さく吠える。
どうやら座っている状態が待機状態で、好き勝手に乗りやがれと言う意思表示だったようだ。
今思えば、昔に乗せて貰った時もお座りの状態から乗った気がする。
ゲーム内とは比べ物にならないリアルな毛並みは思ったよりもずっと柔らかく、ふわふわとしていて心地良い。
特有の獣臭さがないのは体質なのか、テイムした主人の手入れが行き届いているからか。ついつい我を忘れて頬ずりを繰り返していた。
特に首の後ろ辺りの毛並みは逸品で、顔を埋めるとうっかり安眠しそうである。
お腹の毛はどうなっているのだろうと手を伸ばした瞬間、シルバーウルフが再び吼えた。
怒らせたかとびくりと身体を竦ませる。恐る恐る顔を上げると、振り返りながらどっちに行けばいいんだゴルァと目で伝えていた。どうやら怒ってはいないらしいと胸をなでおろす。
慌ててインベントリから地図とコンパスを取り出すものの、シルバーウルフとの心温まるやり取りのせいで取り乱していたせいか中々思うように確認できない。
背中の主人があまりにもヘタレだった事に気分を害したのか、突然首を回し地図を加えると道端に落とした。
「あ、ちょっと!」
慌てて拾いに降りようとすると、すぐに地図を咥え直しセシリアの前に突き出す。
おずおずと受け取って方角を再確認しようとしたところで今まで待機していたシルバーウルフが歩き出した。
「待って! 方角が合ってないと……あれ」
偶然なのか、それとも意図したのか、進む方向は間違っていない。
同時にシルバーウルフの速度が上がった。歩きから早足へ。それはまるで、問題ないからさっさと掴まれと促しているようでさえある。
不思議に思いながらも体勢を低くしてしがみ付くと、流れる風景の速度が一気に加速した。
「もしかして、地図読めたりするの?」
例えば、セシリアは地図上の目的地を指で触れている。そこに残っていた臭いを嗅ぎ取って、方角を割り出したとか。
まさか、そんな筈がないと思った瞬間、心の中を見透かしたかのようにシルバーウルフが小さく吠えた。
さしずめ、馬鹿にすんじゃねぇぞという事だろうか。
「か、賢い……」
再び聞こえた鳴き声は心なし上機嫌だったようだ。これなら襲いかかって来られる心配もないだろう。
「お願い、出来るだけ急いで欲しいの」
そうと分かれば要望あるのみ。シルバーウルフが小さく鳴いた。多分、振り落とされても知らねぇぞみたいな。
どうやら今までは主人を気遣って揺れすぎないよう、速度を落としてくれていたらしい。
本気を出したシルバーウルフの速度は驚嘆の一言に尽きた。もはや風景を眺める暇などありはしない。ひたすら身体を押し付けて風の影響を受けないようにしなければ吹き飛ばされかねない。
大地を踏みしめる衝撃がストレートに内臓を揺さぶり、どうして昼食を摂ってしまったのかと後悔する。
身が持たないと思ったところで不意に速度が緩んだ。どうやら主人の体調管理までこなせるらしい。
聞き慣れた小さな鳴き声。身の程を知れという事だろう。返す言葉もなかった。
このままシルバーウルフの判断に任せた方が上手くいくという確信にさえ至り、ぐったりと項垂れた。
※シルバーウルフのセリフは怯えたセシリアのバウリンガルを通しております。