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World's End Online  作者: yuki
第二章 異世界
42/83

リュミエール-11-

 混雑を極める食堂内で人目を集めていたセシリアの「一緒に寝て欲しい」という一言は、カイトやフィアは勿論の事、なんとなく視線を向けていた無関係のプレイヤーまでもを呆然とさせ、賑やかだった筈の食堂はセシリアを中心とした一角をまるで通夜か何かのように静まり返らせた。

 だがそれも、ほんの瞬きするほどの間だけに過ぎない。

「なぁ、あれってセシリアだよな……。ネカマの」「その筈だけど、どういう事?」

「遂に幾つく所まで行きついたのか!?」

「おい、あいつ誰だよ、ちょっと俺と変われッ!」

 発言の意図を各々が解釈し、困惑や驚愕だけに留まらず中には妬みにも思える言葉さえ混じって爆発的に膨れ上がった。

 セシリアの一言が届いていなかった場所では突如として沸き立った集団を迷惑そうに、或いは興味深げに眺めて眉を顰めている。

 

「セシリア、何か考えての事だろうけどさ、流石に時と場所くらいは考えようぜ」

 若干引き攣った笑みを浮かべたカイトが諭すようにセシリアの肩へ手を置いたが、当の本人ははてと首さえ傾げて見せた。

 それだけでカイトにはまたセシリアの悪い癖が出たのだと理解する。

 これと決めると周りが見えなくなる詰めの甘さ。この騒ぎが一体どうして引き起こされたのか、一番理解していないのはセシリア本人だった。

 セシリアは自分の事を未だ男性だと思っているのに対し、既に周囲のプレイヤーはセシリアをネカマだけど今は正真正銘の女性だと受け取っているのだろう。

 だからセシリアが考えた。カイトの言い分からして、先の自分の一言には何か問題があったらしい。その問題とは一体なんだろうかと。

 数瞬後、セシリアの笑顔は凍りつき蒼白に染まった後、耐えがたい羞恥から身を竦ませ顔を赤く染める。

 ようやく先の一言が他人にどう解釈されるかの理解が追い付いたようだ。

「ち、ちが、今のはそういう意味じゃ……」

 反射的に否定の言葉を口にするも、平静を欠いた状態で出てきた言葉は普段のそれと違い、酷くつっかえつっかえで、この上ないほどしどろもどろだった。

 それが余計ギャラリーの関心や邪推を買ったようで、あれよあれよという間に噂は生き物の如く食堂内を駆け巡っていく。

 どうにか心を落ち着け、多少の平常心を取り戻した頃には既に挽回不能なまでに広まりきってしまっていた。


 立ったままでは目立つと席へ移動を促したカイトにセシリアは口から魂が抜けているかのような様子でふらふらと付いて行く。

 なるべく人目に付きそうにない端の席に当てを付けるとセシリアがぐったりと机へ突っ伏した。

 カイトとしても先の発言の本当の意図について聞きたい事は山ほどあったが、今のセシリアを見ているとそれもできそうになかった。

「とりあえず食事をとってくるか。遅くなりすぎて試作品を食わされるのも嫌だろ?」

 セシリアは少しだけ顔を上げて料理の置かれている区画をちらりと眺めるなり、盛大な溜息を吐いた。

 ただでさえリディアに着せられた服で人前に立ちたくないのに、つい今しがた盛大な自爆をかました所だ。人でごった返しているあの場所に混じって料理を選ぶ勇気は持ち合わせていなかった。

「熟練度最大の寝たふりしてるから、私の分も適当にお願い……」

 木製の机の上に腕を組んで突っ伏す不動の構えを取ったセシリアに、カイトは気の毒そうな、それでいて憐れむような声で言った。

「何の意味もないスキルだけどな、それ……」


 一人座席に残ったセシリアはひたすら小さく身を縮ませているが、近場の幾人かは当然セシリアの存在に気付いている。視線の数は増すばかりだった。

 それどころか。

「セシリアが男とデキてたってマジ?」/「マジらしいよ。今相手の特定してるらしいけど、見覚えないらしいってさ」

「おい聞いたか、セシリアが求婚したらしいぞ」/「あれ? 俺は男にコクられてOKしたって聞いたけど」/「部屋を占拠して酒池肉林が展開されてるんじゃないのか?」

 周囲のプレイヤーはすぐ傍にセシリアが伏しているのも構わず、好き勝手に噂話を捲し立てている。

 その中には既に尾ひれが幾付いている物も少なくない、どころか、尾ひれが付いた物しかない。たった数分でこうなのだ。明日にはどれ程荒唐無稽な物になっているのかなんて想像だに出来ない。

 セシリアの発動している寝たふりは一切の意思疎通を行わないと表明する事で外界との接触を一方的に断つスキルだ。とはいえ、物理的に隔離されている訳ではないのだから囁かれる会話はどうしても耳に入ってきてしまう。

 いっそのこと食堂全体に沈黙魔法でもかけてしまおうかと衝動的に思ったが、一時的に会話が途絶えるだけで、寧ろ余計面倒な事になりかねないと、僅かばかりの理性でどうにか押し留める。

 伏せている限り逃げる事も出来ず、突き刺さる視線と聞こえてくる会話に身動ぎさえできない。針のむしろとはこういう事かと別の何かを夢想して現実逃避するしかなかった。


 それでも誰かに話しかけられる事がないだけマシだとセシリアは思っていた。

 こんな空気ではどんな生真面目な返事も紆余曲解を得て歪んでしまうに決まっている。

 ネトゲ―マーの大部分は学生と社会人だ。ここに集っているプレイヤーは学生経験がある筈。それなら、この寝たふりの意味を理解してくれるだろう。

 そう思っていたのに、中には空気が全く読めない人種も少なからずいるらしい。


「話は聞かせて貰った! あたしは断固抗議するっ! 異議ありだよ、明らかに矛盾してるよ!」

 寝たふりの最中に話しかけるのは最大の禁忌である事くらい、経験した者なら誰でも知っていなければならないというのに、リディアは知った事かとハイテンションの叫び声を一つ上げ、突っ伏したセシリアの肩をしっかりと掴んで引き起こした。

「ひゃぁっ」

 まさかそこまでされるとは思っていなかったセシリアの口から甲高い悲鳴が漏れる。

 目の前数センチの所に整ったリディアの顔が近づき、思わず固まった所で彼女は続けて叫んだ。

「男とデキでた上に部屋で酒池肉林なんてどういうことっ!? お姉さんも混ざる!」

 寧ろどういう事か聞きたいのはセシリアの方だった。一体どういう理屈でこんな発想になったのか。

「少しは嘘を嘘と見抜いてください! あんな壁の薄い部屋で何かしてればもっと前の段階から変な噂が立つに決まってます!」

 若干の苛立ちと共にそう言い切るとリディアは一瞬考えてから得心したかのような唸り声をあげた。だがセシリアの追及はそれだけに留まらない。

「そもそも、こんな事態になった原因は全部貴女のせいなんですよっ! どうしてくれるんですか」

「え、いや、それはおかしくない?」

 怒りも冷めやらぬ様子で指を突きつけられたリディアは流石に予想外だったのか目を丸くする。

「おかしくないです! この服を着せたのは誰ですか、人を散々弄んで、先の失言だって食堂で変な事をされたせいです! そうに決まってます!」

「お、おぉぅ、なんだか君に言われるとそんな気がしてくるような、しないような……」

 服に関しては身に覚えがあるだけに否定できず、食堂で悪戯したのも事実だ。かといって、それが先の発言にどう繋がるのかいまいち理解できず、リディアは曖昧に言葉を濁す。

 セシリアはまるでその事に付け込むように語尾を荒げていた。

「どうしてくれるんですか!」

 憤慨するセシリアに迫られてリディアは暫し考え込んでから、急にぱっと顔を上げ、満面の笑みでこう言った。

「そっか、じゃあお姉さんが心ゆくまでたっぷりと慰めてあげる」

「予想通りの返答をありがとうございます。もう二度とその口を開かないでくれると嬉しいのですが」

「うん、年下の可愛い女の子に罵られるのも良い物だね!」

 反省の色が全く窺えない彼女に、セシリアはまるで汚い物でも見るかのような冷たい視線を投げかけたが、それでさえリディアにとっては喜ぶべき物らしい。

「ポータルゲート」

 短い詠唱の後、スキル名を口にするなり、背後に開いたゲートに向かってリディアの身体を思い切り押し込み、次の瞬間にはゲートを閉じた。

 転送先は屋敷の一室だから実害はない。

 が、未だ僅かに残る魔力の粒子を眺めつつ、どこかの牢獄の位置情報でも記録しようかとセシリアは半ば本気で考えていた。


 リディアが戻ってこない内にそそくさと食事を終えた4人は衆目の視線を感じながら逃げるように食堂を後にする。

 しかし部屋に戻っても微妙な空気は残り続けていた。

 カイトはどこか不満そうにセシリアへ視線を送り、フィアは普段通りを演じようとしているのが見え見えで違和感が際立っている。リリーはそんな兄とセシリアを見比べて難しい顔をしていた。

「それで、さっきのあれは一体どういう意味なんだよ」

 遠慮の欠片もなく切り出したカイトの言葉に、フィアとリリーの動きが止まる。3人とも気になって仕方がないのだろう。

 もう少し言い方を選ぶべきだったと後悔しても今更何の役にも立たない。

 しかしどう切り出すべきか、カイトにはそのままを話しても伝わるけれど、フィアとリリーに理解できると思えない。

「……フィアは苦手な物ができたら、どうしますか? 例えば嫌いな野菜が増えたりしたら?」

 まさか自分に質問が振られるとは思っていなかったのだろう。鳩が豆鉄砲を食らった表情とでも言えば良いのか、ぽかんと口をあけてから慌てふためいた。

「好き嫌いはダメですよ、兄様」

 そんな兄が答えるより早く隣の妹が小言を漏らすあたり、過去に苦労した事があるのかもしれない。

「リリーの奴、そう言うのに限って嬉々として食べさせるんだよ……。おかげで慣れはしたけどさ」

 苦手を克服する為にわざと問題に直面する事で身体を慣れさせる方法はそう珍しい物ではない。

 同じように、男性と距離を感じるようになりつつある自意識を元に戻したいのであれば、逆に距離を詰める事でその状態に慣らしてしまえばいい。

 

 食事の前にカイトから聞かされた理論は確かに正しかった。

 人は生まれた時には何も持っていない。

 日々を過ごす中で様々な情報を得て蓄積し、考える力を、判断力を身に付けていく。

 溜めこんだ大切な物が消えてなくなってしまう事はないのだろう。けれど、なくならないまでも、変わってしまう物はあるのだ。

 カイトはそれを成長だと評したが、この世界に、こんな姿で来なければありえなかった変化を成長と呼べるほどセシリアは強くない。

 カイトのようにありのままを受け入れるのは難しかった。

 身体を戻すのが難しいと分かっているからこそ、元の世界へ帰還する事を誰よりも強く望んだのだ。


「それって何か問題なのか? いや、小さな時は男とか女とか関係なく遊んだ記憶もあるけどさ、男同士が良くなる時期ってのもあるだろ?」

 フィアの言い分は尤もだ。成長の過程で同性同士で固まるなんて誰でも一度は通る道だろう。

 女子グループと仲がいいだけで囃し立てらたり、異性と言う存在に敏感な時期はセシリアにも覚えがあった。

 事情を全く知らないフィアが勘違いするの無理はない。

「一般的にはあるのかもしれませんが、私にはあってはいけないんです」

 断定的で突き放す様なセシリアの口振りにフィアはなおも首を傾げていた。

 その一方でカイトはセシリアの意図に気付いたのだろう。呆れたとばかりに肩を竦めている。

「なるほど。でもそれなら俺でも良くないか?」

「ダメ。カイトは性別カイトだから」

 傍から見れば意味不明なやり取りだったが、カイトには伝わったらしい。

 男に対する防衛本能を慣れる事によって抑え込むのだから、必然的に相手は男性である必要が出てくる。

 確かにカイトの肉体は男性であるが、本当の姿を、リアルでは女性である事を知っているのだ。男性として見るには無理がある。

 かといって信用のおけない相手に誰彼問わずこんな事を頼むわけにはいかなかった。

 ネカマだと知れ渡っているのだから変な気を起こされる事はないだろうと思いつつも、万が一と言う可能性はある。

 いや、寧ろネカマだから手が出しやすいと思われているかもしれない。

 だからこそ絶対ではないにせよ、ほぼ確実に安全な男性を選ぶ必要があった。候補としてはマスターのケインか、同室のフィアだ。

 しかしここ最近の事情を考えるとケインに頼むわけにはいかない。横領組を纏める為には自分達を助けてくれた救世主ケインと、彼らを貶めようとしたセシリアという構図を維持する必要がある。

 その二人が仲良く同じ部屋で寝泊まりしていたらどう思われるか。少なくとも良い方向には転ばない。

「だから一緒に寝てください」

 どうしてその結論に至ったのかフィアには相変わらず理解できなかったが、隣にいるカイトは仕方ないかと納得している様子で、再び理由を聞くのは憚られた。

 第一、もう一度聞いても理解できなかったらどうすれば良いか分からない。少なくとも保護者のように見えるカイトが納得したという事はそれなりの理由があると見ていいのだろうと自己弁護する。

「なぁ、本気なのか?」

 けれどフィアは「はい」とも「いいえ」とも言えず、何とも曖昧な疑問を投げかける事しかできなかった。

「私にとっては必要な事なんです。……"私"の傍がどうしても嫌で嫌で仕方ないなら、諦めます」

 わざとらしく肩を落とすセシリアを見てフィアが動揺する。勿論演技だったが、年季の入った仕草を疑える筈もない。

 

 無理を言ってついてきた手前、セシリアの頼み事はどんな些細な物であっても断り辛い。

 それに、もしここで「嫌だ」といえばセシリアを心底嫌っていると遠回しに言っている様なものだ。

 かといって気軽に「はい」と頷くのにも抵抗がある。

 せめてもう少し簡単な頼み事なら喜んで受けるのに、と思わずにはいられない。

 いや、考えようによっては恐ろしく簡単な頼み事ともいえる。

 何せ、一晩一緒のベッドで過ごせば目的は達せられるのだから。

 自分では答えが見つからず、咄嗟に近くにいたカイトへ助けを求めるように視線を送るが肩を竦めるだけで何もしてはくれず、それどころか不貞腐れているようにも見えた。

「ダメですか?」

 迷った時点でフィアが押し切られるのはもう決まっていた事だ。

 ただしリリーも一緒に3人でならという条件を取りつけられたのはフィアにとって最大の僥倖だろう。

 もしかしたら恩人へ間違っても変な気を起こさないようにする為の、フィアにとっては唯一の抵抗だったのかもしれないが。


 古いといえども貴族の屋敷だ。その調度品であるベッドは現代の一般的な物よりも大きい。

 とはいえ、小柄とはいえセシリアとリリーに一般的な体格のフィアが加われば完全に定員オーバーだ。

 距離を取って眠る事は難しく、かなり接近する必要が出てくる。

「ちょっと狭いですけど、その分くっつきましょう」

 無邪気な笑みでリリーとフィアにそう告げるセシリアにリリーは楽しげな笑みを浮かべていたが、隣に立つフィアはまるで魂が抜けたかのように呆けていた。

 その肩にカイトの手が載せられ、幾分かの魂が舞い戻ってくる。

「まぁ頑張れ。間違っても変な気は起こさないようにな」

 もう片方の手が腰の刺したままの剣を揺らすのを見て味方がいない事を悟ったのだろう。がっくりとその場に項垂れた。


 暫くは気を逸らそうと雑談やちょっとしたゲームに興じていたのだが、遠征でたくさん歩いたこともあってか疲れていたのだろう。

 リリーは1時間もしない内に船を漕ぎ始めてしまった。フィアも眠いのか先ほどから何度も欠伸を繰り返している。

 速ければ明日か、遅くとも3日後までにはグレゴリーから何らかのアクションがあるだろう。

 そうなればオークの群れ相手に戦う必要が出てくる。いつまでも夜更かしするのはあまり良くないと、早めに布団へ入る事にする。

 フィアとカイトは簡素な部屋着に着替えるとセシリアが着替えられるよう外へ出ようとする。

「待って。今日は必要ないから」

 カイトはセシリアの服にかけられた魔法を知っているからか、憐れむような視線を投げかける。

 が、何も知らないフィアは不思議そうに尋ねた。

「セシリアはそれ、着替えないのか?」

「出来る事なら脱がせて欲しいくらいです」

 もし砂や埃で汚れたとしても洗う事さえできない。それどころか、お風呂に入る事はおろか、身体を拭く事も満足にできない服に一体何の価値があるのか。

 リディアの遺産に若干の苛立ちを覚え、少し不貞腐れるように告げた瞬間、固まったフィアを見てまたしても失言を漏らしていた事に気付いたのだろう。

「あ、今のは違うの。ちょっと特殊な魔法がかかってて、脱ぎたくても脱げないのであって、別に誰かに脱がせて欲しいとか考えてるわけじゃないんです!」

 肌にぴったりと貼り付いたように脱げない様子を見せてようやく納得したのか、フィアがほぅっと安堵の息を漏らした。

 この期に及んでまだ何かさせられるのではないかと心配していた様子だ。

 

 いっその事フィアに何もかもを話してしまった方が良いのではないかと思う時もある。

 初めて出会った時に自分の事を何も話さなかったのは警戒されたくなかったからと言う理由が一番大きい。

 異世界から来て、本当は男だったけど、こんな姿になりましたと言って警戒されない方がおかしい。

 信じて貰えるよりも頭のおかしい人間だと思われる確率の方がずっと高かった。だからこそ"少女"を演じる事にしたのだ。

 人は理解できない物を理解しようとしない。

 そして理解できない物を見る時、どれ程残酷になるのか、セシリアは何度も思い知ったから。

 本当はフィアやリリーとの時間はあの村の中だけで終わる筈だった。どうにか折り合いが付いたらプレイヤーと合流してさよならをするだけの筈だった。

 それが長引くどころか、今は同じプレイヤー達の居城で一緒に生活している。

 ここで真実を話して理解してもらえるのかと言う不安は勿論ある、のだが。

 一緒に過ごしていたのが男でしたと知られるのは色々な意味で危ない。特に保身的な意味で。知らなければ良い事も世の中にはあるのだ、と思う事にしていた。


 あれだけ強引に進めていたセシリアもいざ隣へ寝そべる段階になると流石に迷いが生まれてくる。

 が、その迷いは後から生まれた望まない感情だと自分に言い聞かせ、セシリアとリリーでフィアを挟むように布団へ入る。

 普段は足首近くまである長いスカートのおかげで布団の冷たさを感じる事もなかったのだが、リディアの作ったこの服ではそうもいかない。

 足を包む冷気から逃れようにも、少し動くだけですぐ傍に横たわるフィアへ触れてしまいそうだった。

 すぐ隣にフィアがいる。そう意識した瞬間、思わず身悶えたくなるほどの羞恥心が沸きあがり身を固くした。

 布団の端、ぎりぎりの位置に居る限り、きっと触れる事はない。フィアもわざわざセシリアへ寄ろうとはしないだろう。

 このまま目を閉じて耐えていれば眠れる。翌朝になれば距離を離せる。心の中にそんな思いが浮かんだ瞬間、セシリアは布団に押し付けていた顔を上げた。

 それでは抗った事にならない。寧ろ性格の変化を促進させているだけではないか。

 ついこの間までは何の抵抗もなかったのだ。その時の感覚を思い出す為にも、今必要な事は何か。

 熱さで回らなくなっている頭をどうにか冷やしながら一度深く息を吸う。

「……寒いからですよ。寒いのが全部悪いんです」

 そう言ってから、開いていた十数センチを詰めるどころか、フィアの隣で安らかな寝息を立てているリリーのように、寸分の隙間も残さぬようぴたりと身体を密着させた。

「うぉぃっ!?」

 フィアから声にならない悲鳴が上がる。胸の上に載せたセシリアの手は上着を強くつかんで離さない。

「ちょっとこれは流石にまずいっていうか色々当たってるっていうか離れて欲しいっていうか、いや、別にセシリアの事が嫌いなわけじゃないんだよ、違うんだよ、違うけどこれは違うんだ」

 最後の方は支離滅裂で何を言っているか分からなかったがフィアがこれ以上ないほど混乱しているのだけはよく分かった。

 身体を動かそうにも隣には眠っているリリーがいるし、かといって隣にはセシリアがくっついているしで、下手に動かせないのだろう。

 まるで壊れたラジオのように意味をなさない言葉を続けるフィアに、セシリアはふっと笑い声を漏らした。

 先ほどまでの緊張や羞恥は何処へ行ったのか、いまはただただ心が軽かった。自分よりパニックになっていると平常心を取り戻すというのは本当らしい。

 これ以上ないくらい慌てふためくフィアを見て、寧ろ悪戯心さえ沸いてくる。

 そういえば足が一番冷たかった事を思い出すと徐に投げ出されていたフィアの片足へと絡めた。

「おやすみ」

 それはいつか、森の中で背中を流して貰った時の心境によく似ている。不安だった心が似た物を見つけた事で軽く変わった。

 大丈夫、まだ変わった訳じゃない。ここから元に戻す事だってできる。

「ちょっと待った、このまま寝る気かよ!?」

「おやすみ」

 情けない声で何事かを叫んでいるフィアの声を子守唄に、セシリアはもう一度同じ言葉を口にしてから、今日はよく眠れそうだと思いながら目を閉じた。




 翌実の早朝、久々の快眠感に満足する暇もなくセシリアの元へギルドの幹部が訪ねてきた。

「領主であるグレゴリーから報告書と依頼の任命書が送られてきました」

 思ったより早いなとセシリアは思いつつも、本部は上へ下への大騒ぎになっているとなればゆっくりしている暇はない。

 目の下に隈を作ったフィアが恨めしそうな目線で見送る中、カイトとセシリアは急ぎケインの元へと向かう。

 送られてきた報告書には他言無用と銘打たれているだけあって、セシリアでさえも眉を潜める様な情報が書き綴られていた。

 事態は彼女の予測よりも遥かに悪かったらしい。

 誰とも知れない一団に、住民に知られれば大混乱では済まない重要な機密事項を託すほどだ。つまるところ、それだけグレゴリーは焦っている。

 とはいえ、自由の翼としても下手に情報を隠されるよりはずっとありがたい。そして彼がここまでしたのなら、こちらとしてもそれなりに応える必要があった。


 送られてきた情報によると敵の拠点は全部で3つ。リュミエールから徒歩で3日ほど離れた場所に広がる広大な草原に一つ。その近場にある森と岩肌の目立つ鉱山として使われていた小さい山にも1つずつ作られているらしい。

 一気に攻め込むにはそれぞれの距離が離れすぎていて戦力を分散する必要が出てくるが、数を減らせば危険は高まり、少なくない犠牲を伴う事になるのは明白だった。

 かといって、どれか1つを集中的に攻めるとその隙に包囲されかねない。

 グレゴリーが用意できた兵の数は凡そ500人。

 リュミエールに常駐させている主力部隊のほか、普段は公道の警備に当たらせている部隊や領地の境界線に作られた砦に常駐している部隊からも可能な限りの人数を引っ張ってきている。

 幾らグレゴリーが事を内密に処理したいと考えていても周辺の領地だって馬鹿ではない。昨今の不審な動きが領地内に侵入した魔物の影響だろうという事くらいとっくに気付いている筈だ。

 領有地周辺の警護を疎かにすれば魔物と人間に挟撃される可能性もある。これ以上の人数はどうしても集められなかった。

 対するオークは拠点一つにつき100体前後と確認されている。

 数の上ではリュミエールが圧倒的に有利だが、グレゴリーは拠点へ攻め込む事はしなかった。


 攻城戦における攻め手の不利は戦術を齧った事のある者なら誰もが知るところだ。オークの身体能力、とりわけ腕力は人より遥かに高い。

 これだけ人数差があろうとも守備を固めている拠点に真正面から兵を差し向けるのは分が悪く、防衛ラインを引いて迎え撃つ為の布陣を整えたのは、戦闘を長期化させる可能性を加味しても妥当な判断といえた。

 広い草原ならオークが攻めてきても遠くから矢や魔法を浴びせかけられる。敵も矢を放ってくるだろうが、動く必要のない防衛線なら予め対策を講じるのは難しくない。


 食料が豊富に確保できるリュミエールと違ってオークは遠征しているのだから、遅かれ早かれ食糧問題に悩まされる。

 オークが襲える範囲にあると思われる集落は全部で4つ。そのどれもが小さく、十分な食料は得られそうにない。

 森や川で狩をして凌ぐにしても日を重ねる毎に獲物は減るのだから、そう遠くない内に侵略するにせよ撤退するにせよ動かざるを得ない。

 ならば気を急ぐよりどっしりと構えて迎え撃つべきだというのがグレゴリーの判断だった。

 その予想は当たっている。両者の均衡状態はそう長く保たなかった。

 オークは早々に3つの拠点の中間地点に中継基地を作り、リュミエールへの侵攻の準備を着々と進めている。

 配置した防衛ラインを突破できれば今より潤沢な食料を確保できると踏んでの事だろう。

 防衛ラインを崩されればリュミエールにもう手は残されておらず、集落とは比べ物にならない規模の襲撃を受ける事になる。そんなに事になれば最悪首都機能そのものが崩壊しかねない。

 周囲の領主はこぞってグレゴリーを責め、王都からは領地を守れなかった事に対し処罰を受ける事になる。

 グレゴリーにそれを甘んじるつもりはない。だからこそ堅牢な防衛ラインの構築を、ひいては首都の防衛を最優先項目としたのだ。

 その甲斐あってオークに攻められても十分耐えられるだけの有利な環境を作りだすことに成功している。

 ……ところが、ここに来てグレゴリーの目論見が一つ、大きく外れてしまった。


 予想されていたオークの数は300、多くても400だったのに対し、一体どこに隠れていたのか、それとも本隊が別にあるのか、予想より多くのオークが集まり続け、500を越えた辺りから正確な計測はできていない。

 この数を相手にするのは有利な防衛側といえど厳しいものがある。

 グレゴリーの依頼にはセシリア達の軍勢をここに全力投入し、なんとしても防衛ラインを死守、オークの迎撃を成功させて欲しいと締めくくられていた。


 500以上と言う数を聞いて、ここまで数多くのオークを切り倒してきた面々も顔を見合わせる。

 想定していた数よりずっと多いのだ。不安を感じるのも仕方あるまい。

「大丈夫。敵の数は確かに多いけど、質は悪い。僕達の能力なら距離をとりつつ一方的に殲滅できるはずだよ。そのための作戦も考えてあるんだ。皆にはこれを見て、何か気付いたり、改善したほうが良いと思った所をあげて欲しい」

 ざわめきが大きくなるより先にケインは安心させるようにそう言って、事前に作っておいた作戦表を配る。

 初めから多数の敵と戦うことになるのは織り込み済みだ。正面きって戦うのは愚策で、それなりの案は見繕ってある。

 プレイヤーがいかに強力な能力を持っていたとしても抱えられる敵の量には限界があるし、混戦になれば後衛職の使う範囲攻撃は味方を巻き込んでしまうから使えなくなる。

 できれば常に一定の距離を保ちつつ、反撃を許さない状況で一方的に攻撃したい。

 そこで思いついたのがポータルゲートを積極的に運用した、いわば先の【将軍】が使った攻撃方法だった。


 500と言う数に尻込みしてはいたが、プレイヤーにとってオークは低レベルでよく狩りに行った馴染あるモンスターだ。

 幾ら集まったところで上位職のスキルを受ければひとたまりもない。

 数が多いという事は、それだけ密度が多いという事でもあるのだ。

 もとより後衛職の多い自由の翼は防衛向きの構成で、多数のオークを相手に恐れる必要などない。

 防衛ラインの死守は間違いなく果たされる。

 リュミエールの兵が自滅するような下手を打たなければ犠牲者を出す事もなく終わる事だってできるはずだ。

 にも拘らずセシリアの顔色は良いと言えなかった。

 整った眉を顰め、気難しそうにグレゴリーの報告書を何度も読み返し、溜息を吐く。


 グレゴリーの依頼は防衛ラインを死守する事。それに関する情報は完璧で文句の付けどころがない。

 しかし、貰った情報の中には余分な物も幾つか含まれていた。

 オークの作った拠点近くにあった4つの集落は全てが音信不通らしく、襲われたとみて間違いないだろう。

 戦況が不利になればオークはその集落で捕えた人達を人質に使うかもしれない。

 報告書の中にはそうなった場合でも防衛ラインの死守を優先するように書かれていた。

 大局の前に集落4つ分の人命を気に掛ける事はできない。グレゴリーの中では、既に彼らは死んでいるのだ。

 小を切り捨てるのは上に立つ物の仕事だ。助け出すには人手が足りず、ましてリスクばかりの救出を推し進めるのは領主として見れば失格だろう。

 問題は、切り捨てた筈の人質に関する情報が子細に書かれている事だ。

 

 文面では一切触れられていないが、これらの情報を伝えてきた理由は一つしかない。

 できることなら彼らを救って欲しいというグレゴリーの本音。

 よく言えば人として、領主として、領民に犠牲を強いるのは避けたいから。

 悪く言えば、生存を確認できているのにも関わらず彼らを見殺しにしてしまうと、領主の肩書きに汚点が増えるから。

 簡単な決断ではなかったのだろうが、それでも見殺しにした事実は永遠に消えない。今後の領地運営に少なくない影響を生む可能性を考えると何かしらの手は打っておきたいのだろう。


 人質が連れて行かれたのは岩肌の目立つ鉱山の一角。高所を取られている上に、周囲には遮蔽物になるような物もなく、防衛に向いている地形だった。

 制空権を握られている状態ではいかに高レベルのプレイヤーといえども分が悪い。

 岩陰に隠れつつ岩や丸太を転がされるだけで大ダメージは免れないだろうし、斜面を登るのだって一苦労だ。

 戦法も確立しつつある防衛戦と違って、この拠点攻めは輪を掛けた不利を強いられる。

 それなりの人数で迅速に攻めれば落とせない事もないが、こちらに人を割けば本来の目的がおざなりになってしまう。

 かといって少数精鋭でどうにかなるほど甘い状況でもなかった。

 本当なら断るべきなのだろう。セシリアも報告書に付け加えられた最後の一文がなければこんなに悩むこともなかったはずだ。


 名もなきお姫様へ。


 グレゴリーは冗談のつもりで書いたのかもしれない。

 でも、もしかしたらセシリアに騙された事に気付いた上でこの一文を書いたのかもしれない。

 もしそうだとしたら、セシリアにはこの要望に応える必要がどうしてもあった。

 でなければ今後の交渉で優位には立てない。

 グレゴリーがセシリアの取引に応じたのはオークの脅威があるからに過ぎない。それがなければ遠慮なく切り捨てることも考えられる。

 自由の翼がリュミエールからの退去を命じられたりすれば、セシリアは今後の交渉に必要な集団という唯一の武器を失うことにもなりかねない。

 元の世界へ帰る為に、居場所を提供してもらう為に、グレゴリーの協力は必要不可欠だ。

 けれどプレイヤーを徒に危険に晒す訳にもいかなかった。

 もし攻めるのであれば、99%の確率で犠牲を出さない作戦を考案しなければならない。それも、リュミエールを守る為の防衛戦を同時進行しながらだ。


 敵の拠点の内側に続く裏道でもない物かとおもったが、思いつく限りの抜け道はすでに探され、ないという結論が書かれている。

 グレゴリーの報告書は正確で信用に値する物だ。地理情報に詳しくないセシリアが残り少ない時間を使って探索しても抜け道を見つけられるとは思えない。

 プレイヤーを危険に晒す事無く人質を救出する為にはこの防衛網を無傷で、それもある程度の人数を従えた上で突破する方法を考えなければならなかった。

 だが、そんな方法があろう筈もない。

 それこそ、敵陣のど真ん中にワープでもしない限り。


 溜息と共に報告書から視線を上げると、既に細かな打ち合わせを始めたケイン達の姿が見えた。

 彼らにはまだこの情報を話していない。だからこの情報を知っているのは報告書を真っ先に呼んだケインだけだ。

 プレイヤーの安全を楯にすることでどうにか納得して貰ってはいる物の、防衛ラインを守りきった暁には救出に向かうつもりだと言っていた。

 とはいえ、全てが終わった後に向かったとしても、そこにオークが残っているとは考えにくいが。

 幾ら考えても妙案は浮かばない。

 救出を少人数で行うとしても、事前の打ち合わせは必要だろう。今何か案が浮かばなければもう後はない。

 かといって、無傷で敵陣の只中に複数人で切り込むなど夢物語だ。

 溜息と共に窓へと視線を向ける。すると不意に古びた鏡が置かれていることに気付いた。そこには机の上で難しい表情をした一人の少女、セシリアが映し出されていた。

 現実から逃避するかのごとく、年代モノだなと考えていた瞬間、その表情が固まる。

 もしかしたら、夢物語を現実にする方法が、一つだけあるんじゃないだろうか。

「ケインさん、ちょっと出ます。後お願いしますねっ」

 言うが早いが返事も待たずに部屋を飛び出す。先の【将軍】で助け出した2人の部屋に向かって、セシリアは自身に支援魔法を掛けながら全力で駆け始めた。

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