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World's End Online  作者: yuki
第二章 異世界
35/83

リュミエール-4-

 翌朝、街が賑やかになる頃合いを見計らって、セシリアとカイトの2人は高級な品々が並ぶ貴族向けの服飾店を巡っていた。

 広い店内には色とりどりの煌びやかなドレスに始まり、高そうな宝石が嵌めこまれている指輪やネックレスと言ったアクセサリ、中には香水といった化粧品まで並んでいる。

 セシリアはやや緊張した面持ちで、逆にカイトは物怖じした様子もなく自然体でフロアを見て回っていた。

「色は白で、出来るだけ露出がないのにして。合いそうな装飾品も適当にお願い」

「はいはい。予算は?」

「この店丸ごと買い取れるくらいはあるんじゃない?」

 セシリアの一言にカイトが呻き声をもらした。それからフロアを見渡して目的に叶いそうな物を見渡す。

「2、3着買っていくか?」

「1着あれば十分だっての。そんなに買いたいなら後でリリーさんのを見繕ってあげて。代金なら出すから」

 面倒臭そうに並べられた衣服を眺め回すセシリアはとても買物を楽しんでいるようには見えない。

「折角なんだ、楽しくいこうぜ。とりあえずサイズ調べないとな」

 セシリアは1着しか買うつもりがないのだがカイトは諦めていないようだ。

 服のサイズさえ手に入れば勝手に買ってくることも、うっかり他の服を全て濡らしてしまい買ってきた物に着替えさせることも容易い。

 サイズを測るべく店員に手を引かれ隔離されたスペースに消えていくのを見てカイトは脳裏を過る未来図にくつくつと笑い声を押し殺していた。

 そもそもどうして2人がドレスを捜しに来たのか。事の発端は昨日の夕食まで遡る。



 夕食を終えたセシリアはフィアとリリーに先に部屋へ戻っているよう告げると、カイトを中庭に連れ出した。

 電気もなく、生憎の曇りによって月の光も差し込まない中庭は暗闇に包まれていた。

 屋敷の窓から漏れてくる蝋燭の光によって辛うじて輪郭分かる程度に照らされたベンチへ腰を下ろすと突然こう告げる。

「ドレスを選ぶのを手伝って欲しいの」

「……は? 誰のだ?」

 てっきり明後日の召還について何か話があるのかと思っていただけに拍子抜けしたカイトが間の抜けた声を漏らす。

「私のに決まってるでしょ。着た事なんてないし、カイトならそう言うの、少しは分かるんじゃないかなって」

「熱でもあるのか? いやまさか、フィアを煽ったのが功を奏したのか!?」

「熱とかないし、私だって正直着たくないけど、領主と会談するのに正装しないわけにはいかないでしょ。手持ちの装備で使えそうなのはプリンセスドレスだけだけど、戦闘で使ってたから汚れちゃってる部分もあるし、新調するしかないの」

 よもや自分からドレスを着たいなどと言い出す日が訪れるとは思わず素っ頓狂な声を上げてみせたカイトにセシリアは心底うんざりした様子で返す。


 リュミエールはリルファ王国の中にある領地の一つだが、領地内の自治権が領主に認められており、ある種の都市国家を形成している。

 その権力は小さな国の王と言っても差し支えない。本来ならば面会するにも相当面倒な申請が必要なはずだ。

 そんな相手と会い交渉をしようというのであれば、それなりの格好をする必要がある。

「なんだ、そういう用途かよ」

 てっきり少しくらいお洒落に興味が出たのかと思いきや、どこまでも実用的すぎる用途にセシリアらしさを感じながらも、カイトは残念そうに溜息を吐く。

「当たり前でしょ。あとフィアを煽ったって部分について詳しく聞かせてもらいましょうか。なんか最近よく頭を撫でられたり優しくされたり、突然抱き締められてフィアらしくないなと思ってた所なの。とっとと洗いざらい吐きやがれ」

 おまけについうっかり本音を口走ってしまい、カイトがしまったと思ったときにはガッチリと腕をつかまれていた。

 傍から見れば仲睦まじい男女に見えなくもないが、こうしている今もぎりぎりと力が加えられている。

「最後の方素に戻ってるって! いや、煽ったっていうかなんというかだな、別に悪気があった訳じゃ……」

 何とか言い逃れようとお茶を濁しかけるも、見逃すような性格はしていない。

「言い訳を論破されて罪を重ねるのと正直に話して誠意を見せるの、どっちがいい?」

 ぞくりと首筋に刃物を当てられたような感覚がカイトを襲う。この期に及んで言い逃れしようという気はすっかり失せていた。

「超煽りました。でも言い訳も聞いてくれると嬉しい限りです」

「……言って御覧なさい」

「セシリアがどう思っていようが今のお前は女なんだよ。その意識を少しは持った方がいい。上手くやってるとは思うけどな、自分の事をネカマって言う時点で意識的には男のままだ」

「……それで?」

「ここはゲームじゃない。理由は知らないが傷つきもすれば死にもする本物の世界なんだよ。つまりセシリアに似合う服は幾らでもある。大体今のお前は朝昼晩白のチュニックで違いは袖と裾の長さくらいだろ。素材はいいのに勿体無い、余りにも勿体無い! 四六時中とは言わないけど起きてる時くらいはもう少し可愛らしいものをだな」

「一体どんな重い話が飛び出るかと思えば! 必要な時にだけ着れば十分なの! 着せ替え人形が欲しいならリリーさんをどうぞ!」



 満足気なカイトとげんなりしているセシリアが店を出た時、明るかったはずの空はとっくに夕暮れを通り過ぎ暗く染まり始めていた。

 時間にして凡そ7時間。

 3時間を過ぎた辺りからセシリアは既にどうでもよくなり始めていたのだが、カイトと店員は疲れる様子もなく小さな髪留め一つにも楽しそうに議論を続けていたのだ。

 ドレスを選ぶのに2時間。てっきりそれで終わるのかと思いきや、所々が気に食わないらしく店に勤めていた仕立て屋にその場で仕立て直させるほどの徹底振りだ。

 その作業の合間に小物を探しつつ、最終的にはカイトに仕立て屋2人、店員2人がセシリアそっちのけであれこれと手を加え、セシリアの為にあつらえたと言っても遜色ないくらいぴったりと合った代物に出来上がった。

 純白の布地は光を受けて上品に煌き、所々には金糸でアクセントが縫い付けられている。

 肩を大胆に露出したデザインには容赦なくセシリアのNGが飛んできたが、元々ボレロと合わせる構造になっていた。

 仕立て屋からすれば控えめかつ上品に演出された胸元や随所に縫い付けられたレースやフリル等、ここぞというポイントが数え切れないほどあったが、特筆すべきはその軽さだろう。

 普通の生地を使ったドレスは多重構造のスカートだとどうしても重くなる。

 ところがこのドレスは全ての生地に希少なモンスターが作り出す糸によって織られた最高級の繊維を使っているらしく、羽のように軽い。

 その上、他の繊維に比べて汚れも落ちやすく頑丈なのだそうだ。

 唯一の欠点は大貴族でも顔を青くしかねない金額だろう。もっとも、セシリアにとっては微々たる金額であったが。

「急いで帰りましょう。後で着方とか注意する事があれば教えて。それに、親方とも打ち合わせをしないといけないから」



□□□□□□□□□□



「いいですね、親方は何があっても喋ったらダメです。厳しい顔をして周りにガン飛ばしてください」

「分かってるって。それに、良いと言われるまで何があっても手は出すな、だろ?」

 昨日から何十回も繰り返し覚えさせられただけあって、親方といえどもしっかりと把握している。

「そうです。相手はこの街の領主ですが、一国の王と思った方が近いです。不敬罪で首を刎ねられるのは嫌でしょう?」

 セシリア達の身分はただの旅人、領主から見ればこの街に住む平民より軽い命だ。

 その気になれば好き勝手に拘束する事も適当な罪状で処罰する事も不可能ではない。

 万が一の場合には手荒な手段も辞さない覚悟だったが、今後の事を考えれば可能な限りの友好関係は築きたいところだ。

 少なくともこの街に滞在できなくなるような下手は打ちたくない。


「それにしても、思った以上に大きくなってますね……」

 領主の住む一角を見た感想としては、東京にある皇居が近いかもしれない。

 高い塀が小さな村なら余裕で入ってしまうくらい広い敷地をぐるりと囲んでいる。

 塀の先にはかなり深そうな水の流れている堀が設けられ、対岸には苔の生した断崖絶壁ともいえる岩肌が続いている。

 仮に塀を超えて侵入したとしても堀の中に落ちれば上がる術は無いだろう。

 北と南の2か所に設けられた門には常に複数の兵士が貼り付き、近づく者を誰彼構わず厳めしい顔つきで睨め付けている。

 ゲームの中ではちょっと大きな3階建ての洒落た建物だったと言うのに、とんでもない出世ぶりだ。これが悪事を働いて建てられた物でない事を祈るしかない。

「どうした? いかねぇのか?」

 思わず立ち止まってしまったセシリアのすぐ隣から親方の野太い声が聞こえた。

 いつまでも雰囲気に呑まれ呆けている訳にはいかない。今からこの街の領主を相手に大立ち回りをする必要があるのだから。

 深く息を吸い込んでからゆっくりと吐き出し、視線を上げる。

「よし、行きましょうか」


 真っ直ぐに門へ向かう2人は異様に目立つ。煌びやかなドレス姿の年端もいかない少女と厳つい兵装の大男だ。視線を集めない筈がない。

 門の前まで来た時、隣の親方が醸し出す威圧感に若干萎縮した様子を見せながらも、左右に立っていた兵が手にしていた槍をクロスさせてその場に留める。

「ご用件をお伺いしましょう」

 強硬な態度とは裏腹に出てきた言葉は丁寧な物だった。持っていた小物入れから召喚状を引き抜くと兵士へ差し出す。

「召喚状の通り馳せ参じました。領主様へお目通り願います」

 裾を掴んで一礼するセシリアに訝しげな視線を注ぎつつも受け取った召喚状を開き内容を読み上げ、唸り声を出す。

「少々お待ちください」

 敬礼を返し橋の向こうにある詰所の中に消えると数分後、駆け足で戻ってきた。

「確認が取れました。すぐお会いになられるようです。案内致しますのでこちらへお越しください」

 前後を挟まれる形で重厚な吊り橋を渡り屋敷の中へ入ると2人の侍女が頭を垂れている。

 兵士は彼女達に向かって一礼すると踵を返し門へ向かって戻って行った。どうやらここから先は案内役が変わるらしい。


「こちらへどうぞ」

 長い廊下を何度か折れながら進むと大きな扉のついた部屋の前に人影が見えた。

 侍女はその人影に一礼するとセシリア達を置いて廊下の先へと消えていく。どうやらこの部屋が領主との会談に使われる、いわば応接間らしい。

 しかし、その扉の前には仕立ての良い燕尾服に身を包んだ壮年の男性が立ちはだかり、部屋へ通すでもなくセシリアと親方をじろりと睨んでいる。

 不機嫌さを隠しもしない一文字に結ばれた口元といい、値踏みするような視線といい、友好的な様子は少しも窺えない。

「お前達が自由の翼とか言う集団の代表者? 荒くれ者に年端も行かぬ子供ではないか。話すまでもない、今すぐに帰れ」

 案の定、彼は2人を快く思っていないようだった。

 確かにセシリアと親方の組み合わせはあまりにも異質で、代表者に見えなくとも無理はない。

 だがその程度で「はいわかりました」と踵を返すわけには行かなかった。


「それが領主様の命ならば」

 凛としたセシリアの声に壮年の男性がたじろいだ。

 商人やただの富裕層ならともかく、領主に仕えるような使用人は誰もがそれなりの身分を持った貴族だ。

 よもやただの平民に反論されるとは微塵も思っていなかったのだろう。

 彼の顔が怒りに染まり、激昂しかけた刹那。その口から罵倒の言葉が出るより先にセシリアが告げる。

 「失礼とは存じますが、先程のお言葉が領主様の物であるとは思えません。どうぞ、私共の姿をお伝えになって会われないと仰るかお尋ねください。私共は領主様から召還された身、貴方の一存でこの場を後にするなど出来るはずもありません」

 大男に凄まれ暴力を振るわれたなら、彼はすぐに2人を追い出しにかかっただろう。

 それがまさか、年端も行かぬ少女に完膚なきまでの正論を突きつけられるとは思っていなかったのだ。

「売女が調子に乗りおって……」

 呻くようにそう言い残してから一人だけ扉の中に入ると、すぐにヒステリックな声が漏れ聞こえてきた。



「グレゴリー様がお会いになるまでもありません。年端もいかぬ少女とただの荒くれ者が代表など、性質の悪い冗談もいいところではないですか! 彼らが我々を侮っている証拠です!」

 応接間で侍女の淹れた香茶を啜っていたグレゴリーに、壮年の男性は怒りも冷めやらぬ様子で畳み掛ける。

「バース、とりあえず落ち着いてはどうかな。年端もいかない少女と言っても、10やそこらではないのだろう?」

「14、5か、少なくとも17には届きません。こういった場に少女を連れてくる意味など一つしかありませぬ!」

 確かに、交渉の場において有利な条件を引き出すべく金銭や女性を宛がう行為は珍しくない。

「構わないよ。通してくれ」

 が、グレゴリーにとってそんな事はどうでも良かった。

 賄賂などそう珍しい事ではないが、受け取らなければいいだけだ。

 十全な理性が備わっているのであればどんな誘惑も意味を成さない。


「グレゴリー様!」

「まぁそう熱くなるな。見え透いた罠にかかるようなら僕はここにいないだろう? それでも心配なら同席すればいい。ただし絶対に口は挟むな。これは領主としての命令だ」

 バースはまだ諦めきれぬ様子だったが、彼我の立場は執事と領主。差は歴然と言っていい。

 無言のまま一礼を返すと外に待たせている2人を迎えるべく扉へと向かう。

 その後姿に、グレゴリーは少しくらい余裕をもてればいいのにと呆れるように溜息を吐いた。

「グレゴリー様が会われるそうだ。くれぐれも失礼なきように。もしもの時は容赦なくお前達を拘束する」

 まるで負け犬の遠吠えのような一言に、セシリアは思わず吹き出しそうになるのを堪えるのに必死だった。



 高い天井には豪華なシャンデリアがぶら下がり、壁には大きな柱時計が一つ。

 部屋の中央には3人くらいなら余裕で座れそうな革張りのソファーが2つ、テーブルを挟んで向かい合う様に置かれていた。

 手前側には既に先客がいるようで、栗色の長い頭髪がソファーの背に垂れていた。

 壮年の男性に先導されるまま反対側に回り込むと、座っていた男性が立ち上がる。

 長いドレスの裾を摘んで優雅に一礼するセシリアに向けて、男性は親しみを込めた声色で言った。

「初めまして、美しい御嬢さん。私はこの街の領主をしているグレゴリー家の当主だ。突然呼び出してすまないね」

 果たしてこれは人間なのだろうか、というのがグレゴリーの第一印象だった。

 これまで数えるのも面倒なほど、貴族が開く煌びやかな夜会や舞踏会に足を運んだが、未だかつてこれ程まで整った女性を見た事がない。

 陽の光を受けて透き通るような煌めきを宿した白金の長い髪、穢れを知らない雪にほんの僅かな桜色を灯した染み一つない肌。

 濡れた宝石のような瞳も、優しげな目元も、少女が女性になろうとしている肢体も、何もかもが寸分の狂いなく奇跡的に彼女を作り上げている。

 白を基調とした明るいドレスは清楚で可憐な雰囲気とよく合っており、ただでさえ過剰な魅力をより一層引き立てていた。

 初対面で息を呑む事などこれまでの経験で初めてだ。だがそれも一瞬の事。すぐに思考を切り替え冷静さを取り戻す。


 なるほど、確かにバースが気をつけろと言うだけの事はあると思った。これほどの美貌を持つ少女に迫られて関係を拒める男はそう多く居まい。

 自由の翼については領主の情報収集能力を持ってしても未知数な部分が多かった。

 彼らは何処の国の人間で、一体何の為にこの街へ来たのか。

 古びた屋敷を金貨で買い上げている以上、それなりに裕福なのは間違いない。

 バースの言う通り、交渉用に彼女の様な娼婦を一人二人抱えていたとしても不思議ではない。

 そう、不思議ではないのだが、グレゴリーには彼女が娼婦とは思えなかった。

 理由の一つが脇に侍らせている歴戦の強者といった雰囲気を絶え間なく放っている一人の大男の存在だ。

 交渉役は大男の方で少女は供物の類かとも思ったが、主導権を握っているのは少女の方で、肝心の大男は先ほどからずっと厳めしい顔のまま従者のように黙している。

 まるで交渉役は少女。大男はその護衛をしているとでも言いたげだ。

 常識的に考えれば10代半ばの少女に交渉役が務まる筈もない。事実、グレゴリーを前にした少女の視線は辺りを彷徨っていて、見るからに落ち着きがなかった。


 腑に落ちない点は幾つもあったが押し黙っていても何も始まらない。

 グレゴリーは早速、話を切り出す事にした。

「君たちが最近この街に住み始めた自由の翼と名乗る一団の代表という認識でいいのかな?」

「はい。恐れ多くはありますが、この度の召喚について私に一任されております。若輩の身ではありますが、私からお伝えする内容は一団の総意であると解釈して頂いて構いません」

 交渉の場において互いの立場を明確にするのは最優先項目といえる。

 自由の翼が召喚状の意味を穿き違え、ただの連絡役として小間使いの少女を寄越した可能性もなくはない。

 故に、彼女の返答に驚きを感じずにはいられなかった。この場において一団の全権限を担っていると自ら公言したからだ。

 普通、交渉において自らの立場を明言する事は避けるべきで、曖昧に濁す場合が多い。

 交渉に失敗した時や後から条件を変えたくなった時、権限を持たない交渉役だったのでもう一度話がしたいと迫るためだ。

 相手に言質を取られるほど厄介な物はない。交渉に慣れている人間なら後で幾らか言い訳ができるように、わざと自らの立場を濁す。

 立場を名言するのは王や領主と言った逃れようのない公的な立場に居る者か、交渉の何たるかを知らない素人、もしくは何らかの企みを持つ天才的な策士だけだ。

 目の前の少女はただの素人なのか、それとも策士なのか。

 隣にいるバースは彼女の返答に舐められた物だと隠しもせず鼻を鳴らしていた。

 無理もない。目の前の少女が策士である確率よりも正直なだけの素人である可能性の方が高いだろう。

 正直であることは美徳だが、幾らでも騙し、煽り、自らの欲する物を引き出す駆け引きである交渉には必要ない。

 だからと言ってグレゴリーに手を抜くつもりは無かったが、難しい交渉にはならないだろうと思ったのも確かだ。




 セシリアは応接間に通された後も油断なく室内に視線を這わせていた。

 窓は3つ、入口は1つ。もしもの場合に備えて突破に使えそうな場所と方法を頭の中で簡単にシミュレートする。

 偉そうな執事に娼婦と罵られれば嫌な感情の一つや二つくらい湧いてくるものだが、セシリアにそういった感情は無い。

 どんなに可憐な姿をしていたところで中身は男なのだ。

 同性に抱かれる趣味がある筈もなく、必死に口角泡を飛ばす執事の声を扉越しに聞いた時は思わず笑い出しそうになったほどだ。

 とはいえ、娼婦に思われたのも無理はない。何せ自由の翼は凶悪なオークを次から次へと狩っている集団で通っている。

 よもや10代半ばの一人の少女が何匹ものオークを屠っているとは思うまい。

 セシリアにとって自分がそういう目で見られる事は寧ろプラスに働く。女子供だと思って侮ってくれるなら大いに結構。

 この姿も仕草も、その為だけに用意した物なのだから。

 直結を釣るのと勝手は同じだ。油断を誘って背中を見せたところを容赦なく突き落としてしまえばいい。


「私としては君のような綺麗なお嬢さんと会話を楽しみたいところではあるのだが、すまないね。何かと忙しい身の上なんだ。早速本題に入らせてもらいたい」

 穏やかな物言いだが有無を言わせぬ押しの強さがある。気の弱そうな少女に優しい一面を見せて理解を示しつつも押しを強めて話を強引に持っていく算段なのだろう。

 方法は悪くない。優しさを気遣いだと誤認させる事で相手の譲歩を引き出す事ができる。ただし、相手に見抜かれなければという条件が付くが。

 勿論こんな常套句で気を許すセシリアではなかったが話の御膳立てには乗る事にした。わざと身を固くし、やや上目遣いで相手の顔色を窺うような視線を作り出す。

「お忙しい中お手を煩わせて申し訳ございません。あの、ご用件をお伺いしても宜しいでしょうか」

 ただでさえ小さな身体を縮こまらせながら頭を下げ、おどおどと尋ねる様はグレゴリーにとってさぞ弱々しい生き物に見えた事だろう。

 ネカマの本領は総じて演技力にあると言っていい。VRMMOという仮想空間に進出する事により演技の幅は更に増した。

 表情一つ、仕草一つが相手にどんな印象を与えるのか。ゲームで全く役に立たないプレイヤースキルを誰よりも真面目に研究したと胸を張って言えるセシリアにとって、求められるキャラを作るのは難しくない。

 ひとまずは従順な装いを続けて本音を引き出すのがセシリアの狙いだった。態度の小さい相手に対し増長するのは往々にしてよくある事だ。

 相手より優位に立っていると言う優越感からついつい要らぬ口を滑らせることもまたよくある。

「そう畏まらなくていいよ。君たちに心当たりはあるかい?」

「いえ、あの、申し訳ございません」

 グレゴリーの一言にセシリアは何も知らない幼気な少女を装って、深々と頭を下げて見せた。




 目の前で領主相手とはいえ過剰なほど頭を垂れる少女はどうみても素人そのものだった。

 交渉の場において謝罪するのは自分に非があるのを認めているのと同じだ。理由も分からずに謝ったとなれば徹底的に付け込まれる隙を作ってしまったのと変わらない。

 年端もいかぬ少女は交渉の何たるかを知りもしないのだろう。可哀想ではあるが立場を明言した以上、手を緩めるわけにはいかない。

 彼も彼なりに、この交渉に大きな意味を見出しているからだ。

「実は街の者から不安の声が出ているんだ。旅人は受け入れているが、君たちのような大人数がこれほど長期間滞在していると、どうしても不安がってしまうものでね。とはいえ、彼らを責めないでほしい。外の世界を知らない人が多いんだ」

 俯きがちに話を聞いていた少女の背がぴくりと震えた。

 実際、自由の翼と名乗る一団の人数は集団で旅をするにしても多すぎる。

 10数人の旅団でさえ珍しいと言うのに、グレゴリーの元に届いた報告書によれば人数は500に近い。

 どこかの私兵が集団で解雇されたか、旅人を騙って何か企んでる工作員の可能性の方がずっと高かった。

「大人数で長期間逗留するにも拘らず挨拶が遅れた非礼、重ねてお詫び申し上げます」

 再びの謝罪を受けてふとグレゴリーの脳裏にとある可能性が思い浮かぶ。

 もしかしたら、彼らに交渉の意思はないのではないだろうか。

 古びた屋敷を購入したのだ。この街に留まるつもりなのは確かだろう。となれば領主と大きな問題は起こしたくない筈だ。

 そう考えると目の前の少女が送られてきた理由も、立場を明言した理由も全て納得がいく。

 彼女の役目は交渉などではなく、領主の言う事に従う、いわば人柱だ。無力な少女の方が向いていると考えたのだろう。

 わざと自分の立場を明かしたのだって、反抗するつもりはありませんという意思表示と考えられなくもない。

 となれば、隣の大男は終始平身低頭を貫かざるを得ない少女に万が一にも手が伸びない様にする保険ということか。

「いやいや。領主に挨拶をする旅人の方が珍しいんだ。ただ、君たちは少々普通と違うようだからね」

 なら話は早い。要求を速やかに、順序立てて伝えれば逆らう事は無く全て頷くに違いない。




 セシリアは会話の雰囲気が変わったのを肌で感じ取っていた。相手の言葉から探りを入れる気配が消えたのだ。

 それはグレゴリーがセシリアをただ派遣されただけの哀れな操り人形と評した事に他ならない。

 やはり街の領主と言うだけあって、まだ年若くとも場数は踏んでいるのだろう。一言一言に明確な意志が込められているのがはっきりと感じ取れる。

 穏やかな態度に隠れる針のような言葉の数々。

 質問に質問で返した、「君たちに心当たりはあるかい?」という一言なんて余りにもえぐい。

 セシリアには召喚された表の理由も裏の理由も目星がついていたが、もしこれが本当に年端もいかないただの少女だったならば泣き出してもおかしくはないだろう。

 自分をどうにでもできる権限を持つ小国の王とも言うべき領主に、犯した罪も分からないのかと問い詰められているのと同義だからだ。

 幼気な少女に向ける言葉としては少々尖りすぎている。だからこそセシリアは心を完全に切り替えられた。


 恐れていた最悪の可能性。もしも領主がケインのような善人だった場合。

 何の打算もなく、心からの善意で接してくる相手に付け込んで利用するような真似はしたくなかった。

 否、したくないではなく、出来ないと言い換えても良い。

 かつての自分がそうあった故に、その時の記憶が拒絶するのだ。

 でも、幸いなことに彼はただの有能な領主だった。彼が護るのはこの街であり、その為なら多少の黒い事もやってのけるだろう。

 なら話は早い。向こうが勝手に不利益を押し付けてくるなら、こちらも思う存分やり返せる。

 かつて直結を釣った時と同じだ。彼らの善意が下心と言う思惑の上に成り立つものであるならば、それによって迷惑を被った人達がいたならば、遠慮する必要なんてどこにもない。

「ここに呼んだのは他でもない。幾つか気になる事があってね。どうしてあれ程大量の金貨を持ち合わせていたのかな。失礼を承知で話すけれど、初めは偽物かと思ったんだ。ところがいくら調べても本物だとしか考えられない。一体どこで手に入れたんだい?」

 やはり領主にとって大量の金貨は気になる要素なのだろう。想定していた質問に対し、予め用意していた答えを即答する。

「以前立ち寄った街で盗賊の討伐を依頼された事がありました。報酬は彼らの奪った宝物で、その中に混じっていた金貨をこの街で使わせて頂きました」




 淀みなくすらすらと答える少女に、グレゴリーは唖然とせざるを得なかった。それと同時に、少女の持つ印象が僅かに変わったように思う。

 交渉するつもりがないのは今までの返答や態度から明らかだ。だからこうした会話に意味はない。

 金貨の出所にしてもとりあえず聞いてみただけで、本当の事を答えてくれるとは思っていなかった。

 あれだけの量の金貨をそう簡単に集められるとは思えない。かといって周辺の街から金貨が盗まれたという類の報告も受けていない。

 出所は不明だが、少なくともこの国で悪事を働いて得た物ではないとグレゴリーは判断していた。

 であれば、例え他国で悪事を働き逃げてきた流れ者だったとしても咎めるつもりはない。

 少女が人柱なら余計な事は言うなと釘を刺されている筈だ。精々言葉を濁すに留まるだろうと思っていたのに、事も無げに嘘を吐いてのけたのだ。


 そう、嘘である。少女の弄した弁は一分の事実さえ含んでいないとグレゴリーは確信していた。

 交渉に慣れている分、嘘を見抜く力は他人よりあると自負していたが、そんな経験なんて関係ない。

 少しでも社会に出た事のある人間ならば誰だって先の少女の言葉が嘘だと見抜けるだろう。

 彼らが街に来てからグレゴリーが金貨を規制する数日間で使われた金貨の総数は約380枚。銀貨に換算すると38000枚という途方もない数だ。

 平民がそれなりの暮らしをするなら年に15枚程度の銀貨があればいい。裕福な暮らしをしたとしても20枚は使うまい。

 つまり、たった数日で平民2000人が1年暮らしていけるだけの金額が一つの街で使われたのだ。

 異常事態、緊急事態、それ以外の言葉がグレゴリーには思い浮かばなかった。あの物静かな執事のロウェルが血相を変えて飛び込んできただけのことはある。

 さしものグレゴリーもこの報告には顔を青くするしかなかった。どこかの街か、或いは国が経済戦争でも仕掛けてきたのかと思ったくらいだ。

 後にこれがたった一つの集団によってもたらされた物だと知った時の心境はもはや言葉にならない。

 小さな街一つくらいなら買い上げられる金貨を持つ盗賊など、御伽噺の中以外にはありえないからだ。

 仮に存在を認めたとしても、報酬でくれてやるには金貨の数が余りに多すぎる。これだけの宝物を討伐を依頼した側が把握していないとは思えない。


 隣のバースは少女が事も無げに吐いた嘘を受けて顔を真っ赤にして怒りに震えていた。ただ、口を挟むなと言う命令を覚えているのだろう。

 それがなければ今頃窓にはめられているガラスを割る勢いで怒鳴っていたに違いない。

 (さて、どうしたものかね……)

 少女が嘘をついている事に関してはどうでもよかった。元よりまともに答えてくれるとは思っていない。

 だが、嘘を吐くなら吐くで他に幾らでも方法があったのも事実。こんな分かりやすい嘘をつく必要性があるとは思えない。

 適当にはぐらかすよう通達を受けた少女が無邪気な嘘を吐いたのか、、それとも他に思惑があるのか。

 少女自身の嘘なのか、背後にいる組織から何と答えるか事細かに指示されているのか。

 グレゴリーはそれを調べる為にわざと話を合わせる事にした。


「なるほど。確かにそんなこともあるかもしれない。そんな大量の金貨を持つ盗賊となればさぞ大規模な集団だったんだろうね。どうやって戦ったのかな」

「いいえ、数人でした。もしかしたら盗むのが上手いだけだったのかもしれません」

 興味がある素振りを見せて尋ねると、少女はたおやかな笑みを浮かべたまま、顔色一つ変えずに言い切る。

 そのあまりに荒唐無稽な内容に思わず吹き出してしまった。

 もしも少人数がそれだけ大量の金貨を手に入れたとすれば、危険な海賊稼業を続ける必要なんてない。

 どこか静かな街でんんびりと余生を過ごすだろう。

「ふははは、面白い事を言うね。なるほど、そういう事もあるかもしれない。そういえば君たちが使った金貨は何処にも傷がない未使用品だったね。もしかして金貨の製造所か、はたまた王宮から盗み出したのかな」

「ええ。きっと彼らは御伽噺に出てくるような怪盗だったのでしょう」

「どうだろうね。少なくとも私の耳には王宮や製造所が襲われたという情報は届いていない」

「隠しているのかもしれませんよ。たった数人に金貨をごっそり盗られたのでは面目も何もありませんから」

「確かに、頭の固い貴族が集まる王宮ならそれもあるかもしれない。しかし、私が思うに、その怪盗とやらが御伽噺である可能性の方が高いと思うがね」

「そうですね。彼らが怪盗だったかは、今となっては確かめようのない事ですし」

「その通り。過去の事を考えても仕方ない。つまり君たちはあくまで金貨を偶然手に入れたと言うんだね」

「ええ。神に誓って」

 笑えるくらい意味のない会話の応酬。そのどれにも中身がある様には思えなかったが、グレゴリーは目的を達していた。

 目の前の少女は全ての質問に淀みなく答えて見せた。幾らなんでもここまで入念に返答を用意しておくことはできまい。

 となれば、これらの嘘は全て少女自身が独断で吐いている事になる。気弱な少女が領主に向かって淡々と嘘を吐く意味は何なのか。

 嫌な予感がした。本当に少女は人柱なのだろうか。もっと何か別の意図があってわざとこうした態度を取っているのではないか。

 だがグレゴリーにはその意図がどうしても掴めなかった。




 (中々ユーモアの分かる人じゃないですか)

 嘘に対するグレゴリーの反応は悪くない物だった。少なくとも、こんな意味のないやり取りに怒り出す感情的な性格はしていない。

 隣で顔を真っ赤にして震えているバースとは大違いだ。年若い"領主様"の方がよほど人が出来ている。

 勿論セシリアとて、挑発する為だけにこんなやり取りを繰り返した訳じゃない。

 セシリアはグレゴリーが一体どんな人物なのか。どんな性格でどんな目的があってどんな手段を使うのかを知らない。いわば完全な無知だ。

 相手の事を全く知らないのに事を上手く運ぶなんて出来るはずがない。

 だからこそ彼の人となりを知るべく、意味の薄い会話の応酬をしたのだ。


 結論から言えば、グレゴリーは理想的であると同時に難敵でもある。

 不敬罪とも取られかねない嘘の応酬に顔色一つ変えず付き合う豪胆さと柔軟さ。それは彼が理性的かつ論理的である事を示すからだ。

 馬鹿にされたようなあからさまな嘘に腹を立てるのではなく、『なぜそうしたのか』を探るつもりでいるのだろう。

 己のプライドや立場よりも利益を追求するやり方は領主より商人に近い。

 権力者と流れ者では会話すら憚られる世の中なのだ。

 いかに着飾っても、礼儀を弁えても、姓も後ろ盾も持たないセシリアは領主にとって有象無象でしかない。

 本来なら一方的に要求を突き付けても、或いは拘束した上で強制的に命じても何ら問題はない筈だ。


 隣のバースが顔を赤くしているのも、セシリアに敵愾心を抱いていたのも、ただの平民が貴族と同席する事に我慢ならないからだろう。

 彼は執事長になれる程の家名を持っているが、逆に言えばそこが限界だった。

 執事長にはなれても、家長には、領地を任されるような爵位にはなれない。

 だからこそ余計に大貴族であるグレゴリーが平民と同席して会話するのが不満で仕方なかったのだろう。

 まるで自分の地位を貶められているように感じたのだろう。

 馬鹿げたプライドだと、意味のない自尊心だとセシリアは思う。

 でもそう思うのは自分がそう思わされるような教育を受けてきたからだ。人は皆平等で、かけがえのない物だと刷り込まれたからだ。

 この世界はその前提からして異なる。人は不平等で、越えられない立場があって、平民の命なんて顧みられることはない。

 それがこの世界の教育で、普遍的な常識なのだ。

 (今までの価値観なんて何の役にも立たない。ぬるま湯の中に浸かっているようなかつての生活は目を濁らせるだけ)


 グレゴリーが平民と貴族の垣根を意図的に捨てて交渉の場を設けたのは彼もまた、不確定要素である自由の翼の人となりを知りたかったからだろう。

 彼は初めから金貨の出所を本気で聞き出そうとは思っていない。

 だから嘘を言われても怒らなかったし、良い機会だとばかりに幾つもの質問を矢継ぎ早に投げかけてきた。

 嘘だらけの応酬に付き合ったのは嘘を見破る為ではなく、どうして嘘を吐いたのか、誰に言われて嘘を吐いたのかを見破る為だ。

 セシリアは元より低くなかったグレゴリーの評価を数段階引き上げる。無能だとは思っていなかったが想定以上だ。

 小さく笑い声さえ漏らし合う2人をバースは訳が分からないと言った様子で訝しげに見ていた。


「まぁ、いい。申し訳ないが当分この街では金貨の使用は禁止させてもらった」

「ご迷惑をおかけしたようで。重ね重ね申し訳ございません」

 金貨に関するグレゴリーの判断は的確かつ迅速で脱帽せざるを得ない。

 プレイヤーが持ち込んだ金貨の数は不明だが、セシリアだけで100枚近い金貨を使っている。

 そこに屋敷の購入や価値も分からずに使ってしまったプレイヤーを合わせれば、規制されるまでに少なくとも300枚は使われたはずだ。

 物流網が発達していない世界では地域単位で経済が回っている事も多い。このリュミエールだってそうだ。

 領地で取れた作物や作られた品々の大部分は同じ領地内で流通する。

 野菜や果物は長持ちしないし、小麦粉は道中雨に降られでもすれば一気に価値が下がる。

 木材を加工して作られた日用品は場所を取る物が多く、大量に運ぶのは手間だ。

 遠方に出荷する方法が確立されていないのでは身内で使うしかない。

 よって、外需よりも内需の方が圧倒的に高い訳で、そこに外部から大量の金貨を持ちこまれたらどうなるか。

 短期間で数百枚、もしそれが長期間続いたりしたら上手く回っていた経済の歯車が壊れかねない。

 大量の金貨の流入は街の領主として看過できる物ではなかった。もっとも、それがセシリアの狙いではあったのだが。

 

 金貨1枚が現代換算で1千万近い価値を持つと知ったセシリアに、手持ちの金貨を全て換算する必要性はなかった。

 始めの両替所で20枚分の金貨を交換した時点で、当面以上の生活費は手に入っている。

 街を出歩く事でプレイヤーに発見されるリスクがあったのならばその時点で宿に戻るのがある意味では正解だろう。

 けれど、セシリアはリスクを犯しながらも他の両替所を全て巡り手持ちの金貨を全て両替した。

 別に銀貨が欲しかったのではない。本当の目的は全ての両替所にそれなりの金貨を持ち込むこと。

 プレイヤーが金貨を使うには両替所に持ち込むしかない。こんな貨幣価値の高い硬貨を連日持ち込まれれば両替商だって何かあると勘ぐるはずだ。

 もし彼らが両替を差し控える事態になれば、プレイヤーは生活が立ちいかなくなり、換金できる可能性のある他の街へ移動せざるを得なくなる。

 そうなれば街から脅威となるプレイヤーの数は減り、自身の安全が確保されると考えたからだ。

 もっとも、実際には金貨の価値を逆手に取られ超高額の指名手配を受けてしまい、街から逃げ出す破目になってしまったのだが。


「悪く思わないでくれ。私はこの街の領主だからね。多少強引な方法であっても街を守らなければならない」

「心得ております。これだけの事態にありながら、私共を罪に問おうとされない領主様には感謝の言葉しかありません」

 実際、出所不明の金貨を撒く様に使っていた自由の翼の面々が誰一人として拘束されなかったのは奇跡に等しい。

 グレゴリーがその気になれば逮捕者をわんさと出す事だってできた筈だし、少しばかり知恵の回る者なら要注意集団の手綱として利用できるように何人か拘束しておくべきだろう。

 にも拘らずグレゴリーは誰も拘束していない。それは彼が少しばかり知恵の回る者の数歩先を行っているからに他ならない。

 そして、恐らくそこにグレゴリーの弱点があるとセシリアは踏んでいる。その答えを確定させる為にわざわざここまで出向いてきたのだ。




「話が少し外れてしまったね。私が領主として確認したいのは、つまり君たちが何者なのか、ということなのだよ」

「この国の者ではありませんが、世界を旅する一団です」

 少女はこの質問にも淀みなく答えて見せた。当初から見せている気弱な雰囲気はそのままなのに、グレゴリーはそれが少女の本質ではないと確信を得ていた。

 金貨を禁止にしたと言った時、少女は迷惑をかけたと謝罪している。如何なる理由を持って禁止にしたかは告げていないにも拘らずだ。

 少女が理由を本当に理解しているのか確認するために街を守るという言葉を引き合いに出しても戸惑う様子は見られない。

 人柱など勘違いも甚だしかった。今は数瞬前の自分の愚かさを罵ってやりたい。どうやら少女の見た目に惑わされたのはバースだけではなかったようだ。

 目の前の少女は謝罪の為に用意された人形などではない。それなりの理解力や想像力を持ち得た人格者だ。

 これは一方的に要求を告げるだけの会談ではなくなっている。れっきとした、それも一筋縄ではいかない交渉の場なのだ。

 となると、相手の正体と目的が何なのかを探る必要が出てくる。

 国外の旅人と言われて「はいそうですか」と信じる訳にはいかない。問題なのは彼らの規模と財力だ。それを持ち得る一団を形成するには一体何が必要だろうか。

 500人という途方もない人数を考えると国外の大商隊を狙う盗賊だろうか。暴れすぎてその国に居られなくなり逃げてきた?

 可能性としては考えられるが、使用された形跡のない新品の金貨とは結びつかない。

 基本的に未使用の金貨が手に入るのは貨幣を作っている施設と、その貨幣を受け取る王族だけ。

 つまり、答えはそれ程用意されていない。同時にある可能性へ至ったグレゴリーの頬が引きつった。


「君みたいな年若い女性が旅をするなんて、それなりの理由がある物じゃないかな。礼儀作法は完璧、話し方も気品を感じさせる。何より着ている服は相当上等な品だ。旅をしながらそんな物を着れるのはそれなりの身分にある人と決まっている。例えば、どこかの国のお姫様が勢力争いに巻き込まれ、配下の騎士団を伴って逃げてきた、とかね」

 グレゴリーは彼らの持つ金貨は何らかの悪事によって手に入れたと考えていた。だがもし、それが正当な手段で手に入れたものだったら?

 金貨380枚を数日で消費できる財力を持つ貴族など、どこの国だろうと1つしかありえない。即ち、王族である。

 だとすれば、少女が自分の立場を明言したのだって納得がいく。グレゴリーと同じ、いや、比較にならない程の頂点に立つ者だからだ。

 もし彼女がここでその権力を振るった場合、グレゴリーの存在は紙程に軽くなる。

「ご冗談を。私は姓を持たないただの平民です」

 けれど、目の前の少女はグレゴリーの言葉を否定した。

「……そういう事にしておこう」

 理由はともかく、公に権威を振るうつもりはないらしい。冷静に考えれば権力を振るうつもりがあるならとっくにしているだろう。最初からそのつもりなんてないのだ。

 グレゴリーはそんな簡単な事も思い至れなくなっている自分に冷笑を浴びせつつ一度心を落ち着ける。

 相手が王族かもしれない。たったそれだけでえも言われぬプレッシャーを感じずには居られないが、そう考えてみると今まで見てきた報告書にも納得がいった。


 かつて、彼らの行った魔物の討伐をある兵に監視させたことがある。その強さは異質、異常の一言に尽きた。

 まさに一騎当千、並み居るオークを剣の一振りで切り裂いていく様は御伽噺に出てくる伝説の勇者そのものだ。

 これも一国の姫を守る騎士団ともなればオーク如きに遅れは取るまい。

 ロウェルの報告にあった多数のオークを統率する個体を倒したというのも、これだけの条件が揃うならば信憑性が増す。

 問題はその上でどうやって一団を利用するかだ。

「この街を守る領主として、君たちにお願いがあるんだ」

 王族かもしれないと分かった瞬間からグレゴリーの背を伝う冷や汗は一向に引かなかった。隣には赤かった顔を青くして、やはり震えているバースの姿がちらりと映る。

 無理もない。一国の姫かもしれない相手を娼婦呼ばわりしたのだ。今なお首が繋がっているのは奇跡に等しく、さぞ生きた心地がしない事だろう。

 だが、バースの首がまだ繋がっているという事実がグレゴリーを後押しした。彼らが例え王族とその騎士だとしても、正体を明かすつもりはないと。

 名誉を重んじる立場にありながら、最悪ともいえる侮辱の言葉を目下の人間に投げられても平然としているのだ。剣を抜くならとっくに抜いている。

「君たちの人柄が問題ないのか証明して欲しいと思ってる」

 だからこそ、この会談を用意した本当の目的に触れることにした。

「……なるほど、そういうことですか」

 すっと、少女の目が細められる。浮かべていた柔らかな笑みが急速に冷めていき、無表情にも取れる物へと変貌する。

 それでもグレゴリーは止まらない。

「理解して貰えたかな。それで、その証明の方法なんだがね」

 これさえ口に出せば交渉は終わったも同然だ。決定的な一言を告げようと一呼吸あけた後に口を開いた瞬間、

「必要ありません」

 少女が微笑みと共に勢いよく席を立った。


「私たちの様な不審な団体が長く滞在しているのは望ましくない、ということですよね。今まで気づかず本当に申し訳ございませんでした。早急にこの町から立ち退きますのでご安心ください」

 一瞬、グレゴリーには少女が何を言ったのか理解できなかった。

 ぐわんぐわんと揺らぐ思考の中でどうにか言われた内容を整理して呆然としながらも聞き返す。

「た、立ち退く……? しかし君たちはかなりの人数だろう? それに外には魔物だって」

 しかし、少女の返答は相変わらず迅速で淀まない。

「私たちがどんな存在なのか、一番ご存知なのは領主様なのでは?」

「いや、それは……」

 姫とそれを守る最強の騎士団。並み居るオークを平然と切り伏せる連中がこの辺りに生息する下級の魔物に恐れをなすはずもない。

 何よりグレゴリーが恐れたのは"姫が決めた事は絶対"というルールだ。

 どんなに無茶な内容であったとしても、彼女の一存さえあれば周りの人間は全て付き従うだろう。

「あまり引き伸ばしてもご迷惑でしょうから、今夜から準備に取り掛かります。明後日には移動できるでしょう。ではすぐに準備を始めなければなりませんので。失礼とは思いますがこれにてお暇させて頂きます」

「な……いや、君」

 後はもう流れる様だった。取りつく島もなく少女が踵を返しさっさと扉に向かう。止められる者は誰も居なかった。

 その少女が扉を潜る瞬間、思い出したように1度だけ振り返る。

「そうそう、領主様がお調べになっていた【将軍】の討伐ですが、4人で十分間に合いましたよ。それでは、もし何か御用があれば屋敷に居りますので」

 呆気に取られているグレゴリーの前で応接間の扉が音を立てて閉じられた。


「如何いたしましょう、兵を投じて拘束しますか? 幸い、身分を明かせぬ様子です。あの少女を捕えれば一団の掌握も可能かと」

 頭を抱えていたグレゴリーに向けて一足先に立ち直ったバースが口添えする。彼としても己が身の保身にしたいのだろう。

「……本気で言っているのかい?」

「あの様子ではそれが最も効率的なのでは。拘束する理由を作り上げる事は幾らでもできます。謝罪の言葉を告げるばかりの気弱な性格で荒事にはなれていないかと」

 バースの言葉にグレゴリーが乾いた笑みを漏らした。

「だとしたら君の目は節穴だ。考えうる限り"最悪"の選択だよ。それは」

「といいますと?」

「隣に立つ大男だよ。彼女が4人で行ったと言った統率個体とそれにつき従うオークの討伐。その中に彼も居たらしい」

 ぴくり、とバースの眉が動いた。

「まさか。確か報告では80からなる大群をなしていたはずです。彼ら総出で討伐したに決まっています」

 オーク1体を安全に対処するのに必要な兵の数は2人。前後を囲み絶えず背面から攻撃するためだ。

 強い腕力を持つオークの攻撃を掻い潜るのは難しく、正面から対峙すると防戦一方になってしまう。

 故に、報告の内容はとても信じられるものではなかった。

「それはない。街の門を守っている兵が言うには、この街を出た自由の翼と思われる人物はほんの数人だそうだ。その中に彼が居たのかは定かではないが、そう多くない人数で倒したのは間違いないよ」

 ところが出揃っている情報を幾ら眺めても大量の人員が街を出たという報告はない。

「ぬぅ……」

 ならば他に方法があるはずだと、バースは必死に頭を働かせるものの呻き声しか出なかった。

 何せ他に方法があるのだとすればリュミエールはこんな事態になっていない。

「一人でオーク十数体を相手に戦えるような戦士を経験不足の新兵が集まった所で抑えられると思うかい? 失敗すればもう後がない。彼らが残された最後の希望なんだ。慎重に渡る必要がある」

 この交渉は初めからグレゴリーにとって不利な状況だった。それでもどうにか優位を勝ち取るべく奮闘したつもりだったが、結果はこの様である。

「今思えば、彼女は初めからこちらの意図に気付いていたんだろうな。金貨の件もそうだが、全体的に誤魔化そうという気がまるでない。ああも傲岸不遜な態度である事ない事言えるのは余程の修羅場を何度も潜り抜けた人間だけだ」


 気弱な性格も謝罪も、恐らくグレゴリーの立場を確かめる為に用意したシナリオだったのだろう。

「あんな小さな少女の手玉に取られるとはね……。一国の王女ともなれば毎日がああなのか? だとすれば遠慮したい人生だよ」

 深い溜息を吐いたグレゴリーの顔は、しかしどこか嬉しそうでもあった。

「ロウェル、そこに控えているんだろう? 今現在自由になる財源がどの程度か急ぎでまとめてくれないか?」

 グレゴリーが扉にむかって声をかけると頼りになる執事が音もなく入ってくる。

「畏まりました。最優先事項とし、本日の夕方には必ずお届け致します」

「助かる」

 丁寧に一礼するとそのまま急ぎ足で部屋を出て行った。

「グレゴリー様、一体どうするおつもりで……?」

「彼女を座らせるにはテーブルが粗末過ぎたらしい。確かにこちらが有利になるよう取り計らったが、まさかテーブルごとぶち壊されるとは思わなかったよ。なら次は壊されない程度のテーブルを用意するしかないだろう?」

 そうして降参だとばかりに首をすくめて見せた。

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