リュミエール-1-
「おーい、そろそろ起きろ。朝飯行くぞ」
眠りこけているセシリアをカイトがやや強めに揺さぶるとようやく薄目を開いた。
まだ頭が働いていないのかぼうっと視線を彷徨わせるだけですぐに目を閉じてしまう。
「だから寝るなって」
呆れつつもう一度揺すると迷惑そうに呻き声を漏らして逃げようとする。
「セシリアって朝弱かったっけ?」
そんな2人のやりとりを見ていたフィアがぽつりと疑問を漏らした。隣のリリーもそんな筈は、と不思議そうに首を傾げている。
村では今よりもっと早くに起き出して朝食を用意してくれた姿を何度も見ているが、眠そうにしていた覚えはない。
「今、何時?」
その間もずっと揺すり続けていると目を擦りながらようやく自分の力で上半身を起こす。
「もう9時過ぎだ。夜更かしでも続いてたのか?」
「9時……。9時!?」
言われた時間を反芻した瞬間、素っ頓狂な声を上げて飛び起きる。
まさかと思って窓のカーテンを開けたセシリアが眩しさに思わず目を瞑った。既に陽は高く、暖かな日差しがいっぱいに射しこんできている。
てっきり2時間くらい鯖を読まれたと思っていたのに当てが外れ、呆然と外を眺めていた。
「完全に寝過ごした……」
7時過ぎには起きて8時頃から朝食を摂っている予定だったのにと未練がましく漏らしながらベッドの上へ仰向けに転がる。
別に寝過ごしても朝食が食べられなくなる訳ではない。
これだけの人数の食事を賄うのに一人一人メニューを聞いてから作るのでは時間が幾らあっても足りないから、様々な料理を予め用意し、各自好きな物を好きなだけ食べるビュッフェスタイルが取られている。
家事班が料理をしているのは朝7時から8時半くらいまでの間。
この間なら減り具合を見てメニューも補充されるし、出来たての暖かい物を食べられると言うだけあって一番人の多い時間帯だ。
その後、朝が弱かったり混雑を嫌うプレイヤーが時間をずらして朝食を摂るので、9時頃になると2度目のピークが訪れる。
家事班はもう引き上げているから新しい料理は作られず、人気メニューはここで売り切れになる事も多かった。
この時間を逃してしまうと、残っているのは調理班が飽くなき探求の為に作り上げた試作品と言う名の、当たり外れが極端に偏っている創作料理ばかりになってしまう。
この世界の食材は元の世界と違っているから、試行錯誤を繰り返して食材の性質を掴み、美味しい料理を作ろうとするのは間違っていない。
ただ、誰が食べても失敗作としか表現できない料理を平然と並べるのは如何な物なのか……。
セシリアも何度か試作品を食べたが、ギャンブル性が強すぎて好んで口にしたいとは思わなかった。
よって、"安全"な朝食を食べたいなら遅くとも9時までには食堂へ入るのが常識になっている。
「起こしてくれればよかったのに」
「起こしたよ。7時と8時に。でも全然起きなかったし、随分気持ちよさそうに寝てたから疲れてるのかと思って寝かせておいた」
恨みがましげなセシリアの視線にカイトが呆れた様子で言った。
寝過ごした責任が誰にあるのかは明白で、諦めと共に転がっていた身体をゆるりと起こす。
普段はこの時間に起きようと思えば1度は目が覚める。そこから二度寝する事はままあるが、1度も目を覚まさないのは久しぶりだった。
「いつもより熟睡してたみたい」
もしかしたら信頼できる相手が傍に居たからかもしれない。
寝ている間もずっと温かな体温に包まれているようで心が安らいだのも確かだ。
「ほほぅ。そりゃ抱き枕冥利に尽きるわ」
「だ、抱きしめてきたのはカイトじゃない」
一体どうして抱き枕の役を甘んじたのか。
努めて考えないようにしていたのに、直接言われるとどことなくこそばゆい思いが全身を駆け巡る。
今はアバターの身体だとしても、互いにリアルを知っているのだ。
少しは気になったり意識したりしないのだろうかと思ったセシリアだったが、カイトにそんな様子は微塵も感じ取れない。
それどころか慌てた様子でまくし立てるセシリアに向かい、したり顔でこう嘯いた。
「確かに寝る時はそうだったけどな。朝風呂に入ろうと思ってたのに離してくれなかったのはセシリアだ」
恥ずかしがったりむくれたり百面相を作っていたセシリアが何を言っているんだとばかりに固まる。
「随分可愛らしい寝顔だったぞ? 離そうとすると不安そうな顔で必死にしがみ付いてきて」
「嘘、そんな事、ありえるはずが……」
咄嗟に否定したセシリアだったが、おぼろげな夢の中で温かい何かが離れて行きそうになるのを引き留めようとした記憶が蘇り、尻すぼみに消えた。
何かとんでもない姿を見せてしまったような気がして勝手に頬が赤く染まる。
「仕方ないから朝風呂諦めて撫でてやったら幸せそうな笑顔を浮かべてさ。間違いない、あれならどんな男でも落とせる。俺でさえ不覚にもグっと来たくらいだ」
カイトが楽しげに淀みなく話す度、セシリアの精神力はガリガリと削られ顔を赤くしながらベッドで転げまわっていた。
セシリアが思い出した夢にはまだしばらく続きがある。
が、それを誰かの口から語られるのは小さな頃の奇行、いわゆる黒歴史を読み上げられるのにも似ていたたまれない。
「ごめん、全面的に謝るからこの話は止めよう」
全てをなかった事にすべく懇願するが、逆にセシリアの珍しい姿を見れたカイトは嬉々として先を語り出し、
「まぁまて、ここまで聞いたなら最後まで聞いとけって。そこで試しに優しく抱きしめてみたらまた面白い事に……」
「もういいから! 寝てたんだから覚えてないし! 知らないし! 聞きたくもないし! 私のせいじゃないし!」
羞恥の限界を超えたセシリアによって顔面に向けて枕を力の限り叩きつけられた。
枕如きでダメージを受けたりはしないが、流石に弄りすぎたと反省したようで、今朝作り出された黒歴史の数々を朗読する気はなくなっている。
「心の願望が解放されたんじゃないか? 別に普段からあれくらい遠慮しないで甘えても良いんだぞ」
「そんな願望ないから! うぅ……一生の不覚」
「でも無理が溜まってるのは事実だろ。常に周りを警戒してりゃ疲れるし、眠りが浅くなるのも当然だ。その上夜更かしばっかしてたらいつか倒れるぞ」
布団の上でじたばたしている所に思いがけず心配する台詞が飛んできて思わず顔を上げた。
スタートが最悪だったからか、セシリアは人一倍警戒心が強くなっていた。プレイヤーばかりのこのギルドでは尚更だ。おかげで小さな物音ひとつでも目が覚めてしまう。
この世界は元の世界と違って危険に溢れている。
特に睡眠は無防備な姿を長時間晒すのだから、寝ながらも神経を鋭敏な状態にできるのは悪い事ではない。ただどうしても熟睡するのは難しくなり、恒常的な寝不足感が残る。
だから昨日は警戒そっちのけで熟睡できたおかげで、今日の寝覚めは今までにないくらい快適だった。
「確かにぐっすり眠れはしたかも。今度から疲れた時はお願いする」
「あぁ。いつでも添い寝して抱き枕になってやろう」
「お願いするのは寝てる間の見張りだからね!?」
任せろとばかりに胸を叩いたカイトに向けて念を押すが、始めから彼も何を頼んだくらい分かっているはずだ。
「どうせなら熟睡できた方が良いだろ?」
「別に誰かが傍に居ないと熟睡できないわけじゃないから!」
笑い声を押し殺しながら悪戯っぽく言うカイトにもう一度枕を叩きつけるが2度目はしっかりと受け止められてしまった。
まだ何か言いたげなセシリアをよそに枕を定位置に戻した後、せかすように言う。
「とにかく、さっさと用意しろ。後でケインの所にも行くんだろ?」
セシリアは拗ねた子どもの様な顔をしたが、カイトの言うとおりケインと話したい事が沢山あった。いつまでものんびりしている訳にはいかない。
ベッドから降りるとインベントリから手早く着替えを取出し、寝巻代わりに使っている大き目のチュニックを一気に脱ごうと手をかけた瞬間、カイトが盛大な溜息と共に手を押さえた。
「着替えは見えない所でやれ。俺以外も居るんだから」
セシリアにしか聞こえない小さな声にハッとして周りを見れば、フィアが居心地悪そうにそっぽを向いていた。
今更になって昨日一緒に連れてきたことを思い出すと同時に顔が引きつる。
「え、あ、もしかして2人は起きてまし、た?」
「とっくにな」
「まさか、私が寝てた姿も……」
「余すことなく見られてるから安心しろ」
セシリアの顔色が赤から一転、青く変わる。
「イメージが……。こんな外観だからせめて格好よく見せようとしてたイメージが……」
へなへなと崩れ落ちたセシリアの小さな呟きにカイトが「格好よく?」と首を捻る。余程ショックだったのか頭を抱えて蹲っている本人には聞こえていない。
そこへとてとてと駆け寄ってきたリリーがセシリアの頭を小さな手で撫でながら言った。
「あの、凄く可愛かったです。もしよければ今夜は私と一緒に……」
「良かったじゃないか。今夜も良く眠れそうだな」
リリーの誘いにカイトがにやにやと笑う。ゆらりと立ち上がったセシリアは色々吹っ切れたのか外用の笑顔を浮かべて言った。
「着替えるので、暫く一人にしてください」
この寝室に別の部屋はない。扉の向こうからベッドの上を転がるような音が漏れ聞こえる中、体よく追い出された3人は扉の前で着替えが終わるのを待つしかなかった。
「しっかし、どうしてセシリアはあんなに慌ててたんだ? リリーも時々ああなるぞ」
フィアが不思議そうに首を傾げるがリアルを知らないのだから無理もないだろう。
15歳くらいであれば寝惚けて甘えるくらいあっておかしくないのにどうしてあんなに慌てていたのか。
勿論、セシリアの見た目と中身にかなりの差があるからなのだが、カイトにそれを教えるつもりはない。
いかにもこれから重要な話をすると言った雰囲気を作り、フィアとリリーの肩にそれぞれ手を乗せると真剣な顔をして言った。
「そうだな……。これから長い付き合いになるだろうから、一応教えておこう。セシリアは環境のせいでさ、女の子だって自覚が薄いんだよ。出来れば可愛がってやってくれ。自覚が芽生えるかもしれん」
嘘はついていないが意図的に情報を曲解した内容に気付ける者はこの場に居ない。
フィアにもセシリアの性差を意識させない行動には幾つか覚えがあった。根が素直なだけあって、なるほどと大きく頷いている。
「そうなのか……。でもどうすればいいんだ?」
セシリアと彼らがそれなりの信頼関係を築いているのは一晩でよく分かった。
思わず笑い出しそうになるのを必死に堪えながらその方法を口にする。
「なに、簡単さ。日に何度か頭を撫でるなり容姿を可愛いと褒めるなりすればいい。後ろからそっと抱きすくめるのも効果的だな。顔を赤くしたり言葉に詰まったら効果アリだ」
「そんなんでいいのか?」
「ああ。これを毎日繰り返せばきっと、いや、間違いなく自分が女の子だって自覚が芽生える。頼む、身内みたいな俺から言っても効果が薄いんだ。これはフィアにしか頼めない。セシリアはもう少し着飾ることくらい覚えるべきなんだよ」
「……っ! 分かった、任せてくれ!」
フィアにしか頼めないという下りを強調して言うと何か使命を与えられたかのように力強く頷いて見せた。
「お待たせしてごめんなさい。着替え終わりましたし、食堂に行きましょうか」
そこへ準備を終えたセシリアが廊下に現れる。カイトが今だとばかりにフィアへ目くばせを送った。
声には出さず、軽く顎を引く動作で答えて見せるとセシリアへ近づいて行く。
どこか様子の違うフィアにセシリアが怪訝な表情を浮かべた所で頭を数度柔らかく撫でられる。
「セシリアは今日も可愛いな」
唐突な言葉にセシリアは頬を赤く染め慌てふため……。
「……ごめんなさい。待たせすぎました。明日は寝坊しないようにしますから」
く事もなく、身支度を整えるのに時間を使い過ぎだと言う遠回しな苦言に捉えたようだ。
本気で頭を下げて謝る様に寧ろフィアの方が訳が分からず右往左往していた。
「難儀な性格だな……」
「いや、なんかわかんねーけど悪かった」と謝り合う2人を見て、唯一状況を正確に把握しているカイトがぽつりと漏らした。
ピークを過ぎている食堂はまばらに人が居る程度でがらがらだった。
あんな事があった翌日だから出来合いのパンとジャムしか用意されていないのではないかと思っていたのに、しっかりと用意されている。
もしかしたら目の前の仕事に没頭する事で今の状況から少しでも逃避したかったのかもしれない。
料理を遠目からチェックしてみるとやはり定番所はなくなっていた。
「私、生きて帰ったらケインとお話するんだ……」
「こらこら、無駄な死亡フラグを立てるな」
4人で一緒になって新メニューの置いてある一角に向かう。
「初めて見る料理ばかりです。あ、でもこれは前にセシリアさんが作ってくれたものですよね」
この世界で売られている素材の情報を尋ねた時、変わりにポタージュスープの作り方を教えたのだが早速試してみたようだ。
大鍋の中に2割程度しか残っていないのを考えると新メニューの中ではかなりの好評だったようだ。
「今日は自己主張の激しい料理はないみたい」
ざっと見渡した限り、見た目は極々普通のおいしそうな料理である。
肉団子に赤いソースが絡められたもの。緑色の野菜を数種類使って炒めたもの。緑、白、赤と極一般的な三色で作られた野菜サラダ。全部で10種類の料理が所狭しと並んでいる。
「好きな物を選んで食べてくださいね。ただし味は一切保障されていないのでお気をつけて」
安全だろうスープと黒っぽい色をしたふすまパンに柑橘っぽい味のするお気に入りの果実ジャムを取って一度座席に取って返す。
こういう時、あまり食べられなくなった今の身体も悪いものではないなとセシリアは思った。食べる量が少なくて済むから、変な料理に手を出す必要もない。
フィアとリリーは色々な種類を少しずつ食べる事にしたようで、並べられている料理を順に巡りながら大皿に取っていた。
その様子に少し前の自分の姿が重なる。セシリアも始めてこのギルドに来て食事を取った時、彼等と同じ地雷を踏んだのだ。
加入者への洗礼と言ってもいいかもしれない。
そこへ野菜サラダとスープ、こんがりと焼かれたパンにバターを塗った物をトレーに乗せたカイトもやってくる。
「やっぱり肉料理は避けたんだね」
パンに野菜や肉料理を一緒に挟む食べ方は手軽で美味しい事もあってよく使われている。
ただし、挟む肉はよく吟味する必要があった。
「そりゃそうだろ。何の肉かわかんないしな。おまけに肉団子だぞ」
使われる肉が市場で売られている物とは限らない。例えば狩組が仕留めてきた獲物だったりする事もある。
肉団子に加工されたという事は、素焼きでは見せられない形をしていたか、調味料を加えなければ食べられない味だった可能性が高い。
単に調理者の趣味かもしれないが、この場では見え隠れするありとあらゆる情報を総合的に判断してスルーする努力が必要になるのだ。
「最近思うんだけどさ、意図的にハズレを紛れ込ませてるんじゃないか?」
「いやまさか、そんなはずは……」
「あぅ、口の中がひりひりします……」
朝食を終えた4人がケインの部屋へ向かっている途中で小さな呻き声と共にリリーが口元を抑えた。隣ではフィアも露骨に顔を顰めている。
新メニューにはやはりハズレが幾つか隠されていて、あの肉団子もそのうちの一つだった。
赤いタレはとてつもない辛さを持っていて、もはや素材の味など微塵も感じられない。
前にカイトから貰った桃のような果実のジュースを飲んでどうにか中和していた2人だったが、時間が経つにつれて再び辛味が戻ってきたらしい。
フィアはともかく、リリーをそのままにしておくのは可哀想で、インベントリから狐色をした半透明の固形が包まれたものを取り出す。
「どうぞ。噛まないで舐めてくださいね」
見慣れないものに警戒心を抱いていたが、最終的にはセシリアを信頼したのだろう。包みを解いて口に運ぶと強い甘みに目を丸くしていた。
包んであったのは砂糖と水を3:1の割合で混ぜ、煮詰めて作った簡単な飴だ。
元はこの世界の砂糖の性質を調べるのに作った試作品だったが、思いの他上手に作れたので個別に包装し貯めてある。
「凄く甘いです」
幸せそうな笑顔を浮かべて飴を舐める姿に思わずセシリアも頬を緩めた。
「時々変な料理もあるので、先にフィアに食べてもらうといいかもしれません」
「毒見かよ!?」
暫く廊下を進むといつもの部屋へたどり着いた。
ノックをしてから中に入ると、丁度ケインしか居なかいのか、一人で机に向かっている姿が目に映る。
「おはようございます」
「おはよう。僕に何か用かな」
手元にある紙束から視線を上げて穏やかに微笑む姿はいつも通りだけれど、目元には薄らと隈が浮かんでいた。
あれだけの事があって、昨日は寝ていないのかもしれない。
「ええ。今後の身の振り方を決めました。まだ暫くはここでお世話になろうかと」
「本当かい? 助かるよ。実はギルドに居たクレとプリの大部分は引き抜かれてしまってね、どうしたものかと思ってたところなんだ」
簡単な病気や怪我を治せるクレリックとプリーストは日常生活に必要不可欠だ。
慣れない生活の疲れから風邪を引くこともあるし、合わない水を飲んで腹を下す事もある。
「代わりと言ってはなんですが、お願いしたい事があります。色々事情があって、こちらの2人を暫くの間ここに居させてあげて欲しいんです」
セシリアが紹介した2人を見てケインは小さな唸り声を上げた。
元々この組織はあらゆるプレーヤーの為に用意されている。例え別の場所からやってきたプレーヤーであっても拒否するつもりはない。
が、セシリアは代わりに彼等を加えて欲しいといっている。そんな遠まわしな要求をする理由は一つしかない。
「2人はプレーヤーじゃないんだね」
「はい」
プレーヤーの為の組織に現地の人間を入れるのは好ましくない。
自分達が異分子だと町の住民に知られて居心地がよくなるとは思えないからだ。
「それで君がここに留まってくれるなら安い条件だよ。ただし、2人は近くの村で迷っていたプレイヤーという事にする。それでも構わないかな?」
この状態で新たな火種になりかねない問題を持ち込まないで欲しいと思うのは当然だ。
それでも、ケインはセシリアの案を受けることにした。今後また【将軍】のような厄介な敵が現れた時、彼女の力は必ず必要になる。
ギルドは分裂してしまったけれど、モンスターに対する危機感を募らせているのはどちらも同じだ。
強敵が現れた時、協力関係を築けるようにしておく事で両者の縁が切れないようにしなければならないとケインは考えていた。
「ケインさんはこれからどうするつもりですか?」
セシリアの声にケインがハッと顔を上げた。いつのまにか自分の思考に集中していたらしい。
「どうにかしてプレイヤーの確執を取り除きたいと思って色々考えては見たんだけど……難しいね。現状の維持にばかりかまけすぎたみたいだ」
ギルドは本来、同じ目的を持つ人が集まって作る組織だ。
そうしないと時間と共に加入者の間で認識やモチベーションのズレが生まれてしまいやすい。
同じ目的を持つ者同士なら会話で交流を図りズレを直す事もできるが、急に集まった、それも500人規模の集団では目的や考え方事態がばらばらすぎて難しいだろう。
「これだけの規模ですから、遅かれ早かれ無理は出たと思います」
慰めるようなセシリアの物言いにケインは小さく微笑んで見せた。それでも、彼はどうにかできないか今も考えているのだろう。
そして、それはセシリアも同じだった。
プレイヤーが同じ街の中で離れ離れになっても良い事は何一つない。
もしも何かあったとき、完全に別々の集団になってしまったら、互いの立場が邪魔をして連携を取る事さえできなくなってしまうかもしれない。
それではギルドの意味が全くないどころか、足枷にしかならないのだ。
「ギルドを一つに纏めてみませんか?」
「難しいんじゃないかな。壊れてしまった物はきっと戻らない。彼らの怒りは当然だし、少なくとも今回の件に加担したプレイヤーが残っている限り受け入れてくれないだろう」
セシリアの提案にケインは力なく首を振った。
「でも追放はできない。ですよね?」
狩組の大部分と袂を分かつ事になった最大の理由は、横領に加担したプレイヤーへの罰則が追放ではなかったからだ。
追放の規約はプレイヤーが他人を傷つけた場合にのみ適用される。
横領が起こるなんて予想出来る筈もなく、対応できる規約は用意されていなかった。
本来ならギルドの幹部で話し合い処分を下すべき所で、結果は間違いなく追放になったはずのところを、ケインは自ら頭を下げ説得して回ったのだ。
狩組の面々は言い逃れの仕様がない悪事を看過したケインに納得できない部分も少なからずあっただろう。
ケインが彼らを追放しなかった理由は2つある。
一つは彼の優しさからなる心情的な理由。
もう一つは追放する事で生まれてしまう危険性。
追放されたプレイヤーが反省し、これからは心を入れ替えて真面目に生きて行くとは限らない。
自棄を起こして、逆恨みして、犯罪行為に手を染めてしまうかもしれない。
ギルドに属している大勢のプレイヤーは一人一人違う人間で、同じ人なんて居るわけがない。
でも関係ない他人からすれば、"最近やってきた不思議な組織"というレッテルで一つに括られてしまう。
その中の何十人かを追放したとして、今日から関係ない人達ですと言っても信じてもらうのは難しいだろう。
追放したプレイヤーがもし犯罪に手を染めれば、このギルドが関わっていると街の領主に目を付けられてしまう可能性もある。
"君たちの組織に出入りしていた人間が犯罪を犯した。その補填は君たちの組織で行うべきである。"
そんな事になれば加入している大勢のプレイヤーの立場さえ揺らぎかねない。
「自由の翼に全員を収容しなおすのは、多分もう出来ません。ケインさんが言ったように、壊れたものを元に戻すのは難しいですから。でも、近い形に組みなおす事はできると思うんです」
「近い形?」
セシリアが何を言っているのかいまいち理解できずケインは首を傾げていた。
「系列で纏めるんです」
「それは、親会社と子会社みたいに、僕達が彼らの傘下に入るという事かい?」
口には出してみたものの、ケインは自分で言った言葉がセシリアの主張にどう繋がるのか分からなかった。
けれど口にした答えは正解だったようで、目の前のセシリアはどこか無邪気に笑っている。
「そうです。正確には傘下に入るのは彼らの方ですけど。裏で主導権はとりつつ、表向きは対等な関係を目指していきます」
「そ、そんな事が出来たとしても、かえってトラブルの原因にならないかい?」
思わず聞き返したケインに、セシリアは飛び切りの笑みを浮かべて言い切った。
「嫌ですね、そんなヘマはしませんよ」
ぞわり、とケインの背筋が沸き立ち硬直する。同時にこの組織に居てくれてよかったと強く思った。
セシリアがこういった交渉術に長けているのはケインもよく知るところだ。
「でもその為に必要な手順が幾つかあるんです。それを、ケインさんにお願いできませんか?」
「あ、あぁ。一体何をすればいいのかな」
彼女がこれだけ自信有り気に言うということは、ケインには思いもしない突拍子もない方法が勝算ありで浮かんでいるのだろう。
小さな身体に似合わない雰囲気を纏うセシリアに呑まれつつも辛うじて頷く。
「大丈夫です、全部で3つ、どれも難しくありません。一つ目は【将軍】のドロップを全て売ること。二つ目は【将軍】を倒した事を風潮して回る事。多少わざとらしいくらいで構いません。三つ目は先の2つが終わった後、何らかの形で街の機関から召喚状が届くはずです。求められるのは代表者であるケインさんだと思いますが、そこに私を行かせてください」