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World's End Online  作者: yuki
第二章 異世界
31/83

自由の翼-10-

「やっぱこの人数じゃ限界あるもんな」

「増えればもっと楽になるって。近場なら危険なモンスターも出てこねーし」

「まずは慣らしからか。ちょっと育成プラン考えてみねぇ?」

 人員増加の案がケインの口から出た事を狩組は素直に喜んでいる様子だった。

 解散の掛け声とともに会議が終わり、小さな入口を詰まらせながら続々と退出していく最中、仲のいい数人が纏まってこれからの事を話し合っているのをセシリアは横目で眺めてつつ、人影がまばらになるのを見計らってから、まだ座ったまま白紙の紙束に向き合ってペンを走らせているケインの元へ向かう。

「どうかしたのかい?」

 声をかけるより先に手元に影が落ちた事で誰かが近づいてきたのを感じ取ったケインが顔を上げた。

「えっと、3日後の会議までには戻ってきますから、それまで外出したいんです。どうしてもしたいことがあって……」

「分かった。大丈夫だとは思うけど、気を付けてね」

 この状況下で勝手な行動を取れば良い顔はされないだろうと、多少モメる事まで覚悟していたというのに、ケインはあっさりと許可を出した。

 目的は勿論、【将軍】討伐の出掛けにしたフィアとの約束を果たす為だ。

 数日は新しい依頼を受けないと言うのなら、中途半端だったリリーとの約束も一緒に完遂できる。

 これから先、どのタイミングで休みが取れるか分からない。後顧の憂いを断つ為にも時間がある今の内にこなすべきだと思っていた。


 行先を告げてから早速ポータルゲートを開こうとした時、不意に背後から快活な野太い声に呼び止められる。振り向くまでもない。親方だ。

「あの村に行くんならよ、悪ぃけど俺も乗せてってくれねぇか? ちぃとばかしボウズに頼まれてる事があってな、頼まれたならキッチリ最後までやり遂げねぇと男が廃るってもんだ」

 事前の連絡なしに連れ出してしまったのだから、やり残したことの一つや二つあってもおかしくない。

 村の中でも持ち前の破天荒な性格で周囲を振り回していたようだったが、彼への村人の評価は悪くなかった。今更何か問題が起こるようなこともないだろうと快諾する。

「あれ、ユウトさんは連れて行かなくていいんですか?」

 凸凹コンビの片割れが近くに居ない事に気付き、セシリアはこのまま行っていいのかと首を傾げつつ尋ねた。

「あぁ。暫くは傍に居たいそうだ」

 【将軍】からどうにか逃げてきた10名の傷は既に癒してあるが、大事を取って部屋で寝かされている。

 プリーストは特に精神的な負担が大きかったのもあって、仲の良いユウトは今も甲斐甲斐しく世話を焼いているとのことだった。


「男同士で遊ぶのも構わないんだがよ、そろそろ女の子の一人や二人くらい連れて来てもいいんじゃねぇか?」

「あのくらいの年は男の子同士で騒いでた方が楽しいですから。それに、ユウトさんは女の子を連れてくると言うより連れまわされる方だと思いますよ?」

「おいおい、そんな訳……あるかもなぁ……」

 女性プレイヤーはただでさえ数が少ない上に、ユウトくらいの年だとほんの1、2歳差がとても大きなものに感じられる。

 外観が15歳程度のセシリアでさえ、彼からすれば「年上のお姉さん」だろう。

 小さな容姿に母性を刺激され可愛がられている姿はよく見るが、恋愛感情を抱く人が居るかは疑問だ。

 特に、アバターの身体で過ごすことを強制されている世界では。

「俺を見て育ったなら、もうちっと積極的でもいいはずなんだがなぁ」

「親方を見て育ったからああなんだと思いますけどね……」

 不思議そうに首を傾げている親方に曖昧な笑みを向けるとセシリアは聞こえないように囁いた。


「【ポータルゲート】」

 スキル名を囁くと目の前に人一人が潜り抜けられるくらいの小さなゲートが開かれる。

 親方が意気揚々と潜るのを見送ってからケインに一度振り返る。

「行ってきますね」

 小さく頭を下げてからゲートの中に飛び込むと、術者がその場に居なくなったことで開いていたゲートが消滅した。

 加工された木の部屋を抜けた先に広がっていたのは加工されていない原生林の只中だ。

 村の裏手に出る道を確かめながらふと気になっている事を尋ねた。

「ボウズっていうのはフィアの事?」

「あー、確かそんな名前だったと思うんだがよ、横文字は覚えるのが苦手でな……」

 顔と名前が上手く一致しないとぼやきながら特徴を口にする。間違いなくフィア本人の事だろう。たった3文字だと言うのに中々馴染まないのだと苦笑していた。


「一体何を頼まれたんです?」

「悪ぃがそいつは教えらんねぇんだ。男同士の約束ってやつだな」

 気にはなるものの親方は悪戯っぽく笑うばかりで教えてくれない。

 たった2日間で秘密を共有するほどの仲になっていたのには驚いたが、2人の性格を考えると似通っている所もあり、確かに気が合いそうだった。

「最近にしちゃ珍しく一本通ってるボウズだよ。根性もあるし見てて清々しい。何より夢があるってぇのがいい。でかけりゃでかいほど男もでかくなるってもんだ」

 そう言って、木々の枝に止まっていた鳥が驚いて逃げ出すほど豪快に笑う。親方もフィアの事を中々気に入っているようだ。

「夢ですか……。フィアの夢って何なんだろう」

「そいつはな……って、危ねぇ! これも秘密って言われてたんだったか」

 2週間近く一緒に暮らしていたがそんな話を聞いた事はなかった。親方の話ぶりからすると中々に壮大な物である事が窺えるがどうにも想像できない。

 何より彼の夢を親方だけ知っていて自分が知らない事に、両端から愛犬の名前を呼んだのに、普段構ったりしない父親の方へ、とてとてと駆けていってしまったような何とも知れない寂寥感が胸に残る。

 一体、彼の夢とは何だろうか。頼みごとと何かしらの関連性があるのかもしれない。

 親方に頼めることでフィアの夢にも関係する何かとなれば、範囲はかなり絞られる。しかし確証を得るには少なすぎる条件だ。

「口を滑らせかけた事、こっそり報告しちゃいますよ」

 だからか、どこかひねた台詞が勝手に零れて親方は暫くの間、慌てふためきつつも言い訳を口にする羽目になった。

 どうやらフィアの前では背中で語れる師匠キャラを貫いているらしい。今の姿を見られたらさぞイメージが崩れるに違いない。


 そうしている内に村の裏手に抜けた。

「会議がある前日の夜には戻った方が良いでしょうから、明後日の夕方までしか時間がないと思いますけど、終わりそうですか?」

「それだけありゃぁ十分だ」

 用事が長引くようなら最悪一人だけでも戻ろうかと考えていたが、親方は問題ないと胸を叩く。

 狩れもまずはフィアを訪ねるようで、2人揃って彼の家へ向かった。今の時間なら昼食を取る為に家に戻ってきている筈だ。

 ノックをしてからドアを開くと案の定2人は昼食の最中で、まさかこんなに早く討伐が終わるとは思っていなかったのだろう。驚いた顔をして固まっていた。

「仕事は終わりました。短い間ですけど、暇を貰ったんです。暫く滞在させてくれませんか?」

 勿論、その申し出を2人が断ろう筈もない。



 翌日、フィアとリリーは共に仕事を休んでいた。

 他にする事がないから普段は真面目にこなしているが、小さな村の生計を立てるだけなら毎日朝から晩まで働く必要はない。

 元々、森の中という事もあってこの辺りの土壌は質がよく、水源も豊富にある。

 フィアは朝から心ここにあらずと言った様子で出かけて行った。行先は聞かずとも顔に親方の所だと書いてあった。

 彼が一緒なら危ない事もないだろうと何も知らない振りをして送り出す。

 残されたセシリアはいつもより遅い朝食を食べ終えたリリーの前に、リュミエールから仕入れてきた材料を並べた。

「それじゃ、今日は焼き菓子を作ってみましょうか」

 砂糖や塩といった調味料は現代と同じ白色の粒状だったが、小麦粉は僅かに朱色が混ざっている。

 調理場に赴いて調べた情報によると味や作用は現代のものと非常に似ているらしい。

 フィアもリリーも甘いものが好きならきっと喜ぶだろうと思ってだ。


 作ろうとしていたのは焼き菓子の中でも一番メジャーなバタークッキーだ。

 柔らかな口当たりのスポンジケーキやマドレーヌといったお菓子の作り方も覚えていたが、この世界の小麦の品質は残念ながら繊細なお菓子作りには向いていない。

 一口に小麦粉と言っても薄力粉、中力粉、強力粉の3種類があるのは有名な話だろう。

 違いは含有されるタンパク質の量で、小麦の品種と挽き方によって分類される。

 人力で薄力粉だけを取り分けるのは手間が掛かりすぎるから、一般には流通していない。

 もし手に入れたいなら自分で小麦を一から挽くしかないだろう。流石にそんな時間や設備はなかった。

 流通している小麦粉を何度か振るい、細かいものを集めたつもりだが、単挽きの小麦粉では精々が中力粉止まり。

 小麦粉の質が一番大切なスポンジケーキやマドレーヌを作っても出来が微妙になるのは目に見えた。

 含有されるたんぱく質が多ければ多いほど、生地は硬く潰れてしまうからだ。

 そこまで記事の柔らかさを必要としないクッキーなら中力粉でも体裁は整う。

 材料はバターと小麦粉と砂糖の3つだけで卵は使わない。中力粉のベースに卵を入れる事で生地が硬くなりすぎるのを懸念した為だ。

 薄力粉を使う場合でもサックリとした食感を目指すのであれば卵を抜いた方が成功しやすい。


 一通りの手順を説明してから2人して作業に取り掛かったまでは良かったものの、すぐに小さな壁に行き当たる。

「Strが足りない……」

 夏と冬にクッキーを作るならどちらの方が楽か。断然前者だ。

 バターを常温で放置して柔らかくなるか、ならないかはお菓子作りにおいて非常に重要な問題である。

 冬の硬いバターをクリーム状になるまで練るのに必要な力と体力は筆舌に尽くしがたい。

 ケーキ用の柔らかいマーガリンならともかく、今ここにあるのはインベントリにしまっていた硬いバターなのだ。

 この時間帯はまだまだ陽射しが弱い事もあって気温が上がっておらず、過ごし易くはあってもバターが柔らかくなるほどではない。体重をかけても中々潰れないくらい硬いままだ。

 湯煎や蒸したタオルでバターを温めるといった方法もなくはないのだが、やり過ぎて溶かしてしまうと性質が変わってしまい出来が悪くなる。

 それだけは避けたいとナイフで薄く切っては潰してを繰り返していたのだが、10分も経った頃には肩で息が必要なくらい疲れきっていた。


 原因は言葉通り腕力(Str)不足だろう。元の身体は運動不足とはいえ男の身体だったし、体重も力も今よりずっとあった。

「お姉様、言われた通り何度かふるいにかけました。残った粒の大きなものは使わないんですよね……?」

 少しは柔らかくなれと念じながら休憩していた所に訪れたリリーは不安げに紙の上で小山になった細かな小麦粉を指差していた。

 こちらの世界でも小麦等の穀物はパンに加工して主食となっているが、余程の上流階級でない限りもっと目の粗いふすまの混じったものが使われる。

 不純物を排し、目を細かくした小麦粉で作られたパンは味も品質も柔らかさも増すが、嵩は大幅に減る。

 現代ほど農業の量産体制が整っていないこの世界では大貴族くらいしか恩恵に与れない贅沢品として扱われていた。

 台所を預かっているだけあって目の前の小麦の価値を知っているリリーは先ほどからずっと戦々恐々としながら粉を振るい続けている。

 それこそ、一粒も零さぬよう、飛ばさぬよう、細心の注意を払って。


「ありがとう。こっちも終わったって言いたかったんだけど、もう少しかかりそうかも」

 薄くスライスされたバターはようやく潰れてひとつの塊になった、という所だろうか。まだまだクリーム状には程遠い。

 このまま潰し続ければ次第に練れる柔らかさになり、練り続ければいずれは殆ど抵抗がなくなるくらい滑らかになる。

「もう少し暖かくなればもっと簡単に出来るんですけど……それかフィアが居れば力仕事は任せられるのに」

 手元のボウルの中身を覗き込んでいるリリーに見えるように体重を使ってバターを潰す。いっそ中身に向かって【ホーリーライト】でもぶつけてやろうかと思った所でリリーの声が掛かる。

「あの、手伝いましょうか?」

 自分より小さな少女に力仕事を頼むのは気が引けたが、元々料理の手順を教える為にこうしているのだ。少しは自分でやってみた方がいいだろうと手渡す。

「練れるくらい柔らかくなったら練ってもっと柔らかくするの。でもまだ硬いから潰して柔らかくした方が……」

 ボウルを受け取ったリリーが物は試しとばかりにバターへすり棒を突き立てると胸にボウルを抱きかかえて力を加える。

 無理をする微笑ましい姿に思わず笑顔を浮かべていたセシリアだったが、次の瞬間に凍りついた。

「重いですけど、何とか動きそうです」

 ゆっくりとではあるものの、セシリアでは動かせなかったすり棒はバターをしっかり練れている。

 村で生活していたリリーとStrが初期値のセシリアでは多少の年齢差があっても覆ったのだろう。

「あの、大分柔らかくなってきましたが、どのくらいがいいんでしょうか。……お姉様?」

 塊を潰して練れる様にするのは大変だが、練れる様になったバターをクリーム状にするのは意外に早い。

 大分柔らかくなってきたバターを確認してもらう為に呼びかけたリリーは自分の二の腕を触って難しい顔をしていたセシリアを見て不思議そうに首を傾げていた。


 ここまでくれば簡単だ。砂糖を少しずつ加えながらしっかりと混ぜた後、小麦粉を数回に分けて加え木ベラで混ぜる。

 この時に混ぜすぎると生地の中の空気が逃げてしまいサックリとした食感が失われ、ガチガチに硬いものが出来てしまうので注意が必要だ。

 それを避けるコツはざっくりと混ぜる事。物凄いアバウトな言い分だが、経験で判断するしかない。

 生地ができたら清潔な布で包み、冷たい井戸水を半分くらい満たした桶の中に木の蓋を浮かべ、水に触れないよう載せた後に蓋をする。

 簡易的なクーラーボックスの役割だ。冷蔵庫ほどの冷却性能はないが、常温で放置しては生地がダレてしまう。

 その間に今度は竈を用意する。170℃前後の温度に調節するのはセシリアでも苦労した。

 現代にあったオーブンはメモリに合わせてボタンを押すだけでよかったが、この世界は薪の量と風量を自分で調節しなければならない。

 火を起した後、竈の中に手を差し込んで記憶の中にある温度と照らし合わせていく。初めなどは火が強すぎて手を入れた段階で火傷しそうだった。

 かといって薪を減らすとすぐに温度が下がってしまう。

 1時間近く試行錯誤を続けた結果、どうにか求める温度付近に合わせられる様になった。


 竈の準備が整った後、冷やしていた生地を取り出して硬さを確かめる。やはり温度が下がりきらず柔らかめではあるが、このくらいなら許容範囲だ。

 パンを作る為に用意されていた木の台に小麦粉を薄く撒いてから生地を置き、棒を使って均等に薄く延ばす。

「本当は型で抜いて色々な形を作りたいところですが、型が見つからなくて。今日の所は単純な円にしましょう」

 延ばした生地を一部千切って丸めると潰して円形にしたものを2人揃ってせっせと並べた。

 後はプレートに載せて竈の中に入れる。何度か様子を見ながら焼き加減を確かめて記念すべき1回目が焼きあがった。

「凄く甘い香りがします」

「熱いからまだ触っちゃダメですよ。ちょっと焼き色がキツイから、薪の量を調整しましょうか」

 こんがりと狐色に変わったクッキーを取り出すと甘いバターの香りが部屋に満ちてリリーが嬉しそうに歓声を上げる。

 プレートに並んだクッキーを清潔な布の上に移し替えるとオーブンの熱が冷めない内に次を用意して再び竈に投入した。


 作業を繰り返す事10回、大きなテーブルの上に乗り切らないほど大量のクッキーが量産される。

 試しに一つリリーと一緒に味見をする。口に含むとバターの香りと優しい甘みが一杯に広がった。

 噛まずとも蕩けるような口溶けは卵が入っていないからだろう。中力粉で作ったからか薄力粉より幾分硬いがザクザクした食感も悪くない。

「凄く美味しいです。こんなの初めて食べました」

「お口に合ったなら何よりです。材料はまだ余ってますから、好きに使ってくださいね。果汁とか細かく砕いた果実や木の実を混ぜても美味しいですよ。果汁を混ぜる時は粉を多めに入れて生地の硬さを調整してください」

 作ったクッキーを曲がらない程度に冷ました後、小分けにして布で包んでいく。

「折角のリリーさんの手作りですから、村の皆さんに配ってきましょうか」

 これはリリーに料理を教える約束と、甘いお菓子で喜んでもらう目的の他に村へ留めてくれたお礼も兼ねている。

 夕日が傾く頃、仕事を終えた村人が帰ってくるのを見計らって手作りのクッキーを配った。

 食べた事のない甘いお菓子に驚き、それがリリーの作ったものであると知って誰もが嬉しそうに褒めていた。

 いつかフィアが言っていた、この村は家族みたいなものだという言葉は本当なのだろう。




「遅くなって悪いな、今帰った」

「うわ、何があったの? 泥だらけじゃない」

 お菓子作りも一段落して夕飯をリリーに教えてもらいながら作っていた所にやっとフィアが帰ってきた。

 既に陽も落ちて夜空に満天の星が煌きだしている。帰るには遅い時間だった上に地面を何度も転がったんじゃないだろうかというくらい全身泥と砂まみれで酷い有様になっていた。

 よくよく窺えば腕や手に無数の切り傷と擦り傷が出来ていて見るからに痛そうだ。すぐに回復すると助かったと微かに笑った。

 フィアは農作業を手伝っているから砂を被ったり、泥が跳ねて帰ってくることもあったが、今日はその度合いが違う。だというのに、肝心の理由は話したくないのか煙に撒かれてしまった。

「リリー、拭く物取ってくれ。水で流してくるからさ」

 頼まれたリリーが家の奥から甲斐甲斐しく取ってきたタオルを受け取ると足早に井戸の方へ駆けて行く。

 一体何をしてきたのか、隣のリリーなら何か知っているかもと思い視線を向けた所、彼女も同じタイミングでセシリアを見上げていて、何も知らないとばかりに首を振る。

「とりあえず、リリーさんは着替えの用意をお願いできますか? 私は晩御飯の準備をしますから」

 何があったのかは分からなかったが、今は頭から水を被って帰ってくるであろうフィアの為に準備をしておくべきだろう。


「ふぅ……。やっぱこの時期はまだ冷たいな」

 案の定全身ずぶ濡れで戻ってきたフィアに着替えを渡すと外で着替え、幾分さっぱりした様子で髪を拭きながら椅子に座る。

「それで、一体何をしてきたんです? 今日は遅かったですよね」

 湯気の立つ温かなスープを器に盛りながらそれとなく尋ねる。

「ああ。親方とちょっとな。でだ、セシリアに頼みがあるんだ。この間なんでも聞いてくれるって言ってただろ?」

 けれどやはり肝心な部分を言うつもりはないようだ。気にはなるが隠したいなら無理に聞くのも気が引けてそれ以上の追及を諦めた。

「私に叶えられる事なら、ですよ?」

 話題が変わったことにフィアは安堵して見せた。それにしても、一体何を頼むつもりだろうかとセシリアに緊張が走る。

 何でもと言っておきながら今のセシリアに叶えられる願い事はそれ程多くない。

「大丈夫だって。多分セシリアなら叶えられるから」

 それが顔に出ていたのか、フィアは安心しろとばかりに笑うと先を続けた。


「親方に聞いたんだ。セシリアの勤めてるギルド、自由の翼……だっけ? えーっと、プレイヤー?ってのが集まった傭兵集団で、街の依頼とかモンスターの退治を専門にしてるギルドなんだろ?」

 何を言われても冷静に対処しようと思っていたセシリアの笑顔が一言目から引き攣った。

 そんなセシリアに気付いていないのか、饒舌に語るフィアの口から表沙汰にしない方が良い情報が壊れた噴水のように撒き散らされる。

 情報源が何なのか、考えるまでもない。親方だ。

 普段から何も考えていないのでは? と思う事がままあったが、まさかここまで何も考えていないとは思わなかった。

「そのギルドに俺も入れて欲しい」

「はい?」

 親方の事ばかり考えていたせいでフィアの話は右から左に流れていた。

 当初の冷静な対処を心掛けようという気概は何処へやら、予想外の事態が重なりすぎて咄嗟に何も浮かばず、ただ間抜けな声が漏れる。

「それは良いって事か?」

「いや、その、話が全然見えなくて。ごめんなさい、もう一回お願いします」

 聞いていなかったとはいえず、それとなく誤魔化すと嫌な顔せずもう一度、今度は要点を簡単に纏めて言った。

「戦える奴が足りないって親方が嘆いてたから、俺も入りたいって頼んだんだよ。そしたら"お前さんみたいな奴なら大歓迎だ"って言われてさ」

「なるほど、親方の言いそうなことですね」

 穏やかな口調とは裏腹に、椅子を蹴り飛ばしそうな勢いで立ち上がる。

「ちょっと、親方の所に行ってきます」

 これ以上諸悪の根源を見過ごすわけにはいかない。ギルドの情報を外部に漏らすのも危ないが、フィアを誘ったのはそれ以上にいただけなかった。

「セシリア? 目が笑ってないんだが……」

 薄ら笑いを浮かべて出口に向かうセシリアを見てフィアが恐る恐る声をかけたが返事はない。

「俺なんか不味い事言ったか……?」

 2人になった室内で不安げにポツリと漏らしたフィアだったが、リリーが知るはずもなくふるふると首を振った。

「兄様、追いましょう。村長さんの所だと思いますから」




「ただでさえ私たちの立場は不安定なんですから、親方も少しは気をつけてください!」

 フィアとリリーが後を追って村長の宅を訪ねてみると、広いリビングの一角ではセシリアが咎めるような口調であれこれと捲し立て、親方はただただ項垂れている。

 小さなセシリアが大きな親方を叱りつけている様はシュールの一言に尽きるがセシリアの口調は真剣そのものだ。

 村長は留守にしているのか気を使って席を離れているのかその場には居ない。

 丁度背後から近づいた為、セシリアは2人に気付いていなかったが小さくなっていた親方にはすぐに見つかり、助けを乞う様な視線を送られる。

「聞いてますか! 大体、どういうつもりで無関係のフィアを誘うような真似を……」

 興奮冷めやらぬ様子で詰め寄るセシリアだったが、親方が自分ではなくその後ろを見ている事に気付くと説教を止め背後を仰ぎ見た。

「あー、セシリア。取込中の所悪いんだけど、付いて行きたいって頼んだのは俺なんだ。だから別に親方は悪くないっていうか……」

 フィアの一言にセシリアが不満そうな顔をする。

「どうしてそんな事を頼んだんですか。フィアはこの村で生活していけますよね」

 定住していける場所と安定した生活基盤があるなら危険を背負い込む必要なんてない。

「そうだけどさ。俺にも目的があるんだ」

 暫くの間、無言のまま睨み合うように視線を交差させる。先に折れたのはセシリアだった。

「何が目的なんですか」

 フィアの瞳は真剣そのもので、一時の迷いや思い上がりで言った様には見えない。

 連れて行くつもりはなかったが、一体どうしてそんな事を言い出したのか気になると言えば気になったし、それを知らなければ断るにも断れないだろう。


「俺の父さんは村の出身だけど、母さんは世界を巡る旅人だったんだ。小さな時はよく立ち寄った場所の話を聞いたよ。村の生活が嫌いなわけじゃないんだけどさ、その時から世界中の景色を見て周るのが俺の夢になった。セシリアのギルドは依頼を受けて色々な場所に行くんだろ? なら世界を巡るのとそう変わらない。夢を叶えるいい機会だって思って、親方にダメ元で頼んでみたんだよ」

「身一つで世界旅行ですか……。なるほど、確かに壮大で親方の好みにも合いそうです」

 この世界の旅行は現代と違って気軽に行ける物ではない。

 移動手段は馬車か船と自分の足しかなく、迷ったりしても助けてくれる人はいないだろう。

 世界地図だって完全に出来ていないかもしれない。道も整備されていなければ、野宿だって頻繁にしなければならない。出現するモンスターを追い払える実力だって必要だろうし、旅人という理由で迫害される事だってある。

 セシリアのギルドに入れば多人数での行動が基本になるからこういった危険性はぐっと減るし、近場とは言え色々な場所に赴くのも事実だ。

 村に籠っているよりはずっと広い世界を体感出来るだろう。

 けれど、だからといって「はいどうぞ」と頷くわけには行かなかった。

 外に出るということはモンスター戦うという事だ。ギルドは遊びで外に出かけているわけではないのだから。


 レベルやステータスが未知数のフィアを戦わせる訳にはいかない。

 セシリアが戦えているのは、この世界の身体がゲームのステータスを引き継いで構成されているからだ。

 レベル100超えともなれば普通の人が100年かけて修行して得られるかどうかという強力かつ稀有な力を初めから持たされていると言っていい。

 それがないフィアを参加させるなど以ての外、一緒についてこさせるだけでも危険極まりない。

「ダメです。絶対にダメです」

「別に、セシリアの許可がなくとも親方に掛け合って貰うつもりだ」

 二度に渡る取りつく島もない拒絶にフィアがムッとして拗ねたように親方の方を見る。

 彼はどうすべきか迷っていたようだが、性格を考えれば一度言った事を取り下げるような真似はしないはずだ。

 だが、親方の賛成に関わらず、セシリアは絶対にフィアを入れるつもりはなかった。例えどんな手を使ってでも。

「いいですよ、でも、徹底的に邪魔します。私の脱退を盾に迫れば絶対に通りません」

 支援の重要性はこの世界でも同じ。

 ほぼ全ての傷を瞬時に治癒できるセシリアと新しく入ろうとしている無名のフィア、どちらを取るかと言われれば前者しかありえない事くらい、フィアにも分かったようで今度こそはっきりと険悪な表情を浮かべる。

「危険だって事くらい俺も分かってる。けど夢でもあるんだ。親方に剣の使い方を習えるし、一番の近道なんだよ。それでもダメなのか?」

 夢を語るフィアの表情は切実だ。叶えられる物なら叶えてあげたいとも思う。

「ダメです」

 けれどセシリアは考える素振りさえ見せずに即答した。


「剣の練習に親方が必要だっていうならポータルゲートでの送迎くらいは考えます。何も今すぐである必要はないでしょう」

 フィアはまだ16歳と若く、今すぐ旅に出なくとも無限の可能性があるのだ。

 いつまで手伝えるか分からないが4、5年も剣の腕を磨けば武器の攻撃力やスキルも相まって相当戦えるようになるに違いない。

 ギルドはこの後、ケインの提案によって全員がローテーションなりで戦闘に参加する方向に変わっていく可能性がある。集団の中ではフィアだけを特別扱いするわけにはいかない。

 セシリアはレベルや能力から難易度の高い班に所属する事になるだろう。フィアを強引に混ぜたとしても、適正でない狩場に連れまわすのは危険が伴う。

 かといって別の、もっと簡単な依頼をこなす班に所属させたとして、絶対的な安全が確保されるわけではない。

 偶然、前回の【将軍】の様な群れに襲われたりなんかしたら、ポータルゲートを持たない彼らは全滅するだろう。

 傍にセシリアが居ないのではフォローできないし、セシリアが簡単な依頼をこなす班にずっと付き添うのも無理がある。

 それならずっと村の中に居てくれた方が安全だ。


「どうしてそこまで頑ななんだよッ!」

 けれど、フィアにセシリアの心中が分かるはずもない。

 彼からすれば理不尽なまでに駄目だしをされているに等しく、声を荒げるのも無理はなかった。

 剣呑な雰囲気の2人を見比べていたリリーが突然の大声を聞いて身を竦ませたが、セシリアは意に介した風もなく平然と構えて言った。

「私はフィアが好きです! 無茶して欲しくないし、傷ついたりするのも見たくありません!」

 数瞬前まで苛立っていたフィアが口を開けて呆けていた。こういう所は兄妹で似通っているのか、リリーもすぐ隣で同じように驚いている。

 静まり返ったリビングの中でセシリアだけが取り残されていた。フィアを心配する発言をしただけでどうしてここまで驚かれなければならないのか。

 他人の心配なんて全くしない冷血人間と思われていた? いや、それはないはずだ。なら何か変な事を言ったのだろうかと、先ほどの一言を反芻する。

 フィアはよく無茶をするから心配するのは当然の事。

 今後戦闘に参加する事になった場合、半強制的に駆り出されたメンバーの士気が高いとは思えない。

 無関係のフィアはやる気に満ち溢れている事から、危険な役目を押し付けられる可能性だってある。

 友人として放っておけるはずがない。そこまで考えた時、セシリアの顔が明らかな失敗に気付いた。

「あ、いえ、好きだっていうのはそういう意味じゃなくて、友人として、ですよ……?」


 今の自分の性別を完全に忘れていたのだ。


 言い訳させてもらうなら、ゲームの中でセシリアを演じていた時とリアルの自分の時では受ける感覚に相違があり、今の自分がどちらなのかを適切に判断できていたのが、この世界に来て感覚の相違が緩和され、挙句この2週間の間に慣れ親しみ、今では違和感を覚えなくなったことで素の自分がぽろっと出てしまうこともあり云々と脳内で誰にともなく釈明を繰り広げるものの、勿論口にはできない。

 セシリアからすればフィアはこの世界で初めてできた同性の友人である。真っ直ぐな性格は嫌いじゃない。

「お姉様はやっぱり……」

「違うんです。今のは勢いに任せたというか、深く考えなかったというか、言葉の綾ですから。別に取ったりしませんから」

 俯くリリーに誤解だと告げる。折角埋まってきた溝が決定的になってしまったのではないかと怖かったが、顔を上げたリリーはどこか熱っぽい目をしていた。

「あの、お姉様が本当のお姉様になってくれるなら一番、ですから」

 きらきらとした瞳を向けられてセシリアが言葉に詰まる。フィアは分かってくれるだろうと顔を上げたが微妙に視線を逸らされた。

「あぁ、分かってる。分かってるから」

 余所余所しい態度で気にしてない風を装っているのだろうが完全に逆効果だ。かといって、ここでムキになれば誤解を加速させるだけだろう。

「とにかく、私はフィアの加入には絶対に反対です」

 結局強引に話を元に戻したが、これもこれで話題を逸らそうと必死になっているように見えるかもしれない。

 先ほどまでの殺伐とした雰囲気が溶けてなくなったのは唯一の救いだろうか。

 フィアも言い返そうとしたようだが強く言い辛くなったのか言葉を濁していた。


「大体、リリーさんはどうするつもりなんですか。オークに襲われた時、フィアはリリーさんを心配してましたよね。勝ち目がなくても単身乗り込もうとまでしてましたよね。森の中でフィアが騎士に襲われた時だって本当に危い所だったんです。あの時リリーさんがどれ程心配してたか。一人で外に出るって事は、その心配をずっとかけるって事です。せめてリリーさんがもう少し大きくなるくらいまでは一緒に居てあげてください」

 リリーを引き合いに出せばフィアも大人しくならざるを得ないだろう。まさか若干12歳の少女を連れて行くとは言うまい。そう思っていたのだが、何を言っているんだとばかりに2人揃って首を傾げる。

「……まさか、リリーさんも連れて行こうと?」

「本当は村長に頼もうかと思ったんだけど嫌だっていうからさ」

「当たり前です。そもそも兄様は一人じゃ食事も作れないじゃないですか」

 これにはセシリアも思わず頭を抱えた。外の世界に対する認識がズレているのはどっちなのか。

「リリーさんに何かあったらどうするつもりですか。却下です。全面的に却下です。やっぱりもう4、5年はこの村で大人しくしてなさい」

 フィア一人でも抵抗があるのに、リリーまで加わるとなれば議論の余地はなかった。2人もセシリアの意思が変わらない事を悟ったのか反論はない。

「仕方ないか。他の案で行こう」

「他の案……?」

 怪しげなフィアの呟きに思わず反応し、

「あぁ。無理だった時は誰にも頼らず行こうって決めてたんだ」

 セシリアが再び顔を引き攣らせた。この2人は危機管理能力が全く足りていないと頭を抱える。

 ゲームの中でモンスターの強さを大まかに把握しているセシリアと違い、フィアとリリーはこの周辺にポップするフォレストラビット程度のノンアクティブなモンスターしか知らないのだろう。

 オークに襲われはしたが、あれは例外中の例外だった。井の中の蛙大海を知らず。このまま2人を行かせたら間違いなく数日ともたず溺れ死ぬ。


「やっぱよ、考え直してギルドに入れてやった方がよくねぇか? ボウズは言い出したら聞かない性格だからなぁ。本当にふらりと出かけるかもしんねぇぞ」

 四六時中2人を監視する事なんてできない。もし彼らが本気なら、むざむざバッドエンドしか見えない大海へ逃がすことになってしまう。

「……うぅ」

 このまま何もせずに彼らが旅立ってしまったら間違いなく後悔する。かといってギルドに入れるのも躊躇われた。ずっと一緒に居て監視できるような状況でもない。

 どうすればいいのかと一人悩んでいる所に、フィアが「じゃあさ」と声をかける。

「要は俺が戦えるって事を証明すればいいんだろ? なら賭けをしないか? セシリアと勝負して俺が勝ったら連れて行って欲しい。もし負けたらすっぱり諦めるし、言われた通り4、5年は村で大人しくする。別に居心地が悪い訳じゃないからな」

「……勝負って、何をするつもりなの?」

 じゃんけんやくじ引きなどランダム性の高いものか、フィアが特異な分野の勝負を持ちかけられるのかと思っていたが、彼の持ち出した勝負は意外なものだった。

「この前と同じだよ。先にどっちかの攻撃が1回でも当たったらそっちの勝ち」

 移動する標的を狙えるようにする為の演習の事だろう。

 あの時、フィアは1度もセシリアに攻撃を当てられなかった。にも拘らず、目の前のフィアからは妙な自信が満ち溢れている。

「使える魔法はすべて使っていいんですよね」

「ああ。構わない」

 何か考えがあるのは明らかだったが、場を丸く収めるにはこれしか取れる方法がないのも事実だ。

 あの時使わなかった、フィアが知る由もない魔法を使っても良いのなら負ける気はしない。それどころか完封だって難しくないはず。

「分かりました。勝負はその1回で決めます。毎日とか勝てるまでとか、そういうのはナシですよ。それから、約束はちゃんと守ってください」

 セシリアが頷くのを見て、フィアが飛び上がらんばかりに喜んだ。

「分かってるって。それより、セシリアが負けた時の約束だってあるんだからな」




 翌日、4人は揃って森の外にある平原に来ていた。森の中は遮蔽物が多く勝負には向いておらず、生い茂る草が邪魔とはいえ見晴らしのいい平原の方がやりやすいと思ってだ。

 まだ昇りきっていない陽が薄雲に覆われながら辺りを照らしている。膝丈ほどの草は朝露が乾いていないのか湿り気を帯びていた。

 そんな見渡す限りの平原の只中で、セシリアとフィアは互いに距離を取って相対している。

 魔法である【ホーリランス】は十分フィアを狙える距離だが、彼の使う【アクアスラスト】は届かない。

 このセシリアが一方的に有利な位置取りを提案したのはフィアの方からだ。

 何か考えでもあるのではと思いはしても、距離が近づくほどセシリアが不利になるのだから断る理由はなかった。

 互いに準備ができた事を審判役を買って出た親方に手を上げて伝えると、やや離れた位置から声を張り上げる。

「そんじゃぼちぼち始めてくれぃ!」

 もっとこう、始めとかスタートとかそれっぽいのがあるだろうと思いつつもセシリアはすぐさま目を瞑って意識を集中、魔法の詠唱に移る。

 視界か閉ざされる間際にフィアが【アクラスラスト】の射程圏内まで距離を詰めるべく駆け出してくるのがちらりと映った。

 足元の草は濡れて滑る上にやたらと茂っているせいで足を鈍らせる。フィアがどうにか【アクアスラスト】の射程内まで距離を詰めた時にはセシリアの魔法が既に完成していた。

 足元に広がる魔法陣を見て身構えたフィアだったが、特に何かが起こったようには見えない。

 虚空に白い槍が形成される様子もない事から、使われた魔法は攻撃用の【ホーリーランス】でもなかった。


 セシリアがフィアに攻撃する手段は限られている。

 【スターライト】は【アクアスラスト】より射程が短く、有利な距離から狙えるのは【ホーリーランス】だけだ。

 けれど作れる槍は5本のみ。それをオークと比べて小さなフィアに当てるにはかなりの集中を必要とする。制御中に攻撃を避ける余裕があるとは思えない。

 フィアが気付いているか不明だが、発生から射出までに出来てしまう絶対的に無防備な隙を狙われでもしたらセシリアに避ける術はないのだ。

 かといって、試合開始直後の絶対的有利なタイミングに【ホーリーランス】を使う気もなかった。

 この世界の魔法は自分で制御して当てる必要が出てくる。距離が離れていればそれだけフィアに当てにくくなるのだ。

 今のフィアなら槍の1本くらい叩き落して見せるかもしれない。もし外したり防がれれば再使用できるまでの短くない時間、遠距離攻撃の手段を失う事になる。

 必ず勝たなければならないのに出たとこ勝負はしたくないし、運に頼りたくもない。

 出来るだけフィアを近づけて、けれど安全を確保しながら確実に当てられる距離で【ホーリーランス】を使うのが一番好ましい。

 だからこそ、フィアの攻撃が届かない試合開始直後の有利な時間を使って別の魔法を使ったのだ。


「【サイレンス】」

 警戒して立ち止まったフィアを不可視の魔力が覆い尽くす。

 対象に【沈黙】という、一定時間スキルを使用不可能にさせる状態異常を付与する魔法だ。

 オーシャンズブルーに付与(エンチャント)されている【アクアスラスト】だってスキルの一種には違いない。【沈黙】が成功すれば最低でも数分間は【アクアスラスト】を使えなくなる。

 問題は必ず【沈黙】状態にできる訳ではない点だったが、セシリアは成功すると確信していた。

 ゲーム中での成功率は術者のIntとMid、対象者のIntとMidによって算出される。

 単純に前者が高いほど成功率が上がり、後者が高いほど耐性が生まれる。

 魔法の威力がIntによって上がるのであれば、きっとこれも変わらないだろうし、フィアの耐性がそう高いとも思えない。

 結果は成功。フィアは剣を振り、声とスキルが出ない事に少なからぬ動揺を抱いているのが遠目からでも分かった。

 後はフィアを覆う【リメス】に向かって【ホーリーランス】を当てれば勝ちだ。

 【アクアスラスト】を使うならまだしも、接近して剣を振るうには両者の距離が開きすぎている。

 今ならフィアに遠距離攻撃の手段はないのだから制御に集中する事で動けなくなっても危険はない。存分に狙いを定めることも出来よう。

 勝負を終わらせるべく、セシリアが【ホーリーランス】の準備に移る。だが、フィアはそんな彼女を見て本当に一瞬だけ笑って見せた。


 ゾクリ、と何度も感じた事のある嫌な予感がセシリアの背筋を駆け巡った。

 支援に求められる能力の一つにモンスターの観察がある。

 誰を攻撃しているのか、残りHPがどのくらいか、スキルを使われた時、巻き込まれる位置にいる味方が居ないか。それから、モンスターが変な動きをしていないか。

 制作者の趣味なのか、ランダムに使われる強力なスキルには独特なモーションが用意されている。

 例えばドラゴンは大きく息を吸い込む動作の後、必ず広範囲のブレス攻撃をする。まともに受けるとかなり痛いので範囲外に逃げたり盾を構えて防御の姿勢を取る必要があった。

 これは分かりやすい分類だが、中には小さく十字を切るだとか、指先で小さな陣を描くといった分かり難い物もあり、攻撃や防御に集中している前衛や後衛は見落としやすい。

 だから支援があちこちに気を配って特殊攻撃の予兆を見つけ、パーティーに伝えて対処するのが慣例になっていた。


 フィアの一瞬の笑みは絶対的不利な立場にある者の表情ではない。

 咄嗟に準備していた魔法を中断、慌てて飛び退った所でフィアの気合の籠った"声"と青い衝撃波がすぐ傍を突き抜けた。

 遅れて通り道に生えていた膝丈の草が幾らか切り離され、風に乗って空を舞う。

 もしあのまま詠唱を続けていれば衝撃波は確実に【リメス】を叩いただろう。勝負前に感じていた余裕はどこへやら、冷や汗さえ流して再び剣を構えたフィアを見つめる。

 【沈黙】は確かに成功していた。フィアにあんな器用な演技ができるとは思えない。なら、どうしてスキルが使えたのか。

 答えはすぐに見つかった。フィアが右手に握っていた何かが太陽の光を反射してきらきらと光っている。目を凝らして窺えば、ギルドの錬金術師(アルケミスト)が作った状態異常回復用のポーションが入っている瓶とそっくり、というより同じものだった。

 忌々しげに親方を睨むとあからさまに視線を逸らされる。

「親方……謀りましたね」

 どうしてフィアがそんな物を持っているのか。考えるまでもない、親方が渡したからだ。

 セシリアにとって一方的に有利な距離を提案したのも親方の入れ知恵に違いない。

 よほどの格下やスキルを持っていないモンスター相手でない限り、開幕【サイレンス】は支援の定石だ。廃人だった親方なら簡単に予測できただろう。


 回復薬が1つきりとは到底思えなかった。回復手段のある相手に状態異常魔法を使っても意味なんてない。

 既に互いのスキルは完全に射程圏内だ。後はもう、どちらが先に攻撃を当てられるか。

 【サイレンス】による完封が出来なくなったとはいえ、【ホーリーランス】の5連続攻撃があるのだからセシリアの有利は揺るがない。

 単発式の【アクアスラスト】を空振りさせてできた隙に【ホーリーランス】をさしこめば幾らフィアでも防ぎきれない筈だ。

 まずはこれ以上距離を詰められないよう、自分にヘイスティを、フィアに真逆のデバフであるデクリースヘイスティを展開。

 視界の先で急に足が重くなったフィアが顔を顰めた。それでも構わず追いすがってくるのを視界に収めつつ、セシリアも反対方向に走り出す。しかし足の長さのせいか、普段の運動量のせいか、フィアとの距離は縮まなかったが離れもしない。

 追いかけっこに興じる事5分、不思議とフィアは【アクアスラスト】を1度も使ってこなかった。

 彼の性格からして、これだけの間に何もアクションを起こさないのは珍しいを通り越して不気味だった。となれば、これもまた彼の意思ではないのだろう。

 セシリアの顔に焦りが浮かび始める。何となく、フィアがどうして何もしてこないのか分かった気がした。

 この身体になって体力が上がったと言っても、あくまで引きこもっていた元の身体と比べてだ。毎日畑仕事に精を出しているフィアには敵わない。

 魔法の精度はどれくらい集中できるかにかかっている。このまま走り続けてふらふらになったのでは当てる事すら難しくなる。それがフィアの狙いだ。

 なら、何時までも逃げ回っている訳にはいかない。先手を打つべく急制動をかけフィアに向かって詠唱を始めた、瞬間。


 今まで全く攻撃してこなかったフィアが待ってましたとばかりに叫んだ。

 剣が青く発光したのを見てセシリアはすぐに詠唱を中断、真横へ跳んで軌道から身を逸らす。

 最初から1回目の詠唱は"振り"だけで通すつもりはない。魔法職の弱点は詠唱の隙だ。親方からそれを教わっているなら、立ち止まった瞬間を狙ってくるのは目に見えている。

 この距離で攻撃のタイミングを予測できているなら避けるのは難しくない。

 フィアの【アクアスラスト】は単発式だったから、暫くの間は再使用できないだろう。今の内に詠唱を通せば勝ちだ。

 だが、再び詠唱を始めたセシリアは直後になりふり構わず地面を転がった。

 その目と鼻の先、先ほどまで自分が立っていた空間を青い衝撃波が駆け抜けて行く。

 魔剣であるオーシャンズブルーに付与(エンチャント)されているスキルには、本来ディレイもクールタイムもない。

 親方は一体どんな教育をしたのか、もしくはフィアの飲み込みが異常に早いのか、数日前までは1発撃つのにも時間が必要だったはずなのに、いつの間にか2連発を可能にしたらしい。

 3発目が飛んでこなかったのは不幸中の幸いと言うべきか。次があったなら避けられなかっただろう。


「た、対策万全じゃない!」

 フィアを見据えながら思わず悪態を吐く。状態異常回復薬といい、詠唱の隙をつく戦法といい、避けた所への追撃といい準備がよすぎる。

 それもそのはずで、フィアはここ数日、親方と一緒になって対セシリアの戦法を固めていたのだ。

 元々支援職はこうした戦闘には向いていないし、1発先に当てた方が先というルールでは得意の回復能力も生かせない。

 軽々しくフィアの賭けに乗ったことを後悔し始めるが今は勝つことに集中すべきだと考えを振り払う。

 遠くで心底悔しそうな顔をしている事から、流石に2連続以上の使用はできないのだろう。こうしてバランスを崩している瞬間に追撃がないのは再使用までに時間がかかるからかもしれない。

 けれど今から【ホーリーランス】を詠唱する気にはなれなかった。既に2発目の【アクアスラスト】を使ってから暫く時間が経っている。

 セシリアの取る戦法は変わらない。避ける必要のある【アクアスラスト】が1発から2発になっただけだ。

 避けた場所を狙って2発目が飛んでくるとなると難易度は相当高くなるが、まだギリギリ"無理"ではない。

 遠くでフィアが再び剣を構え直したのが見える。もう移動の必要はなかった。

 再度、何時でも中断できるように、通すつもりのない詠唱を始める。フィアも下手に距離を詰めるような真似はせず、セシリアの誘いに乗ってきた。


 視界の先で剣が深い海のように碧く煌く。数日前、練習で見た時よりもずっと濃い色だった。

 訝しげに思う間もなくセシリアめがけて剣が振られた。逃げ場を極力作らない斜めの斬撃が虚空に描かれると薄青の輝きを灯して射出される。

 同時に剣を包んでいた色が薄く変わった。しかしまだ薄青の燐光は剣に宿り続けている。

 どうやらフィアは1度に【アクアスラスト】2回分の力を剣に流し込み、分けて使っているようだった。

 これなら1度に限り再充填の時間が必要なくなる。充填の遅さは相変わらずどころか、2回分を1度で込めるせいでさらに遅くなっているが、よくこんな方法を思いついた物だとこんな時だというのに思わず感心した。

 だが勝負を譲る気はない。飛んでくる衝撃波の軌道を見据えると横に跳び回避する。

 着地の瞬間はどうしたって体勢が崩れる。ここからもう一度跳んでスマートに避けるのは難しく、転がるしかない。

 余裕のあった初撃と違い、攻撃の方向とタイミングをしっかり見極める必要がでてきた。

 難しくはあるが、これさえ避ければフィアに無防備な時間が生まれる。そこに【ホーリーランス】を通せばセシリアの勝ちは決まったようなものだ。


 揺れる視界の中でフィアの動きを追う。

「セァァァッ」

 フィアの雄叫びと共に無防備なセシリアへ剣が再び振り抜かれた。やや右寄りの追撃で間違いない。飛び込むようにして左側に広がる草むらの中に身を躍らせ幾度か転がって距離を取る。

 後は【ホーリーランス】を差しこむだけ。そう思って立ち上がりかけたセシリアの耳に、聞き慣れたフィアの叫び声がもう一度聞こえた。

「どうして……」

 身を起こしたセシリアが見たのは、未だ輝きを灯したまま、今まさに振り抜かれんとしている片手剣だった。

 既に2発目は撃たれていて、再充填しないと使えない筈。

 咄嗟に今さっき【アクアスラスト】が撃ち込まれたはずの右側に視線を向ける。

 けれどそこには何もなかった。青い衝撃波も、衝撃波が通った時に出来る刈られた草の道も、何も。

 しまったと思った時には既に避けられる余裕も暇も残されていない。

 薄青の刀身が虚空に軌跡を描いた刹那、飛んできた衝撃波が寸分違わず、セシリアの【リメス】を叩く甲高い音が1度だけ静かに空へ吸い込まれていった。




「うぅ……」

 勝負はフィアの勝ちに終わった。最後の2連撃を避ける時、セシリアが攻撃のタイミングを計るのに利用したのはフィアの叫び声だ。

 試合中も、練習の時も、フィアはスキルを使う時に必ず気合の籠った叫び声を上げる。

 今の彼にとってスキルの発動に欠かせない要素なのだろう。セシリアもそれが分かっていたからスキルの発動より一手早く回避行動が取れたのだ。

 セシリアはそれをフィアの弱点だと思って行動していた。

 フィアはそれに気づいていて、叫び声を上げながら剣を振れば【アクアスラスト】を発動させたように思い込ませる事ができるのではないかと考えたのだろう。

 もう少しちゃんとフィアの攻撃を見ていれば斬撃に添った青い軌跡が描かれていない事に気付けたのかもしれないが、数々の対策で焦りを覚えていたセシリアは最後の最後で冷静さを欠いてしまった。


「えーと、俺の勝ちでいいんだよ、な?」

「そうですね。15歳の女の子を大の大人と年上の男の子が寄ってたかって虐めた末の勝利です。どうぞ好きなだけ誇ってください」

 膝をついて凹んでいるセシリアにおずおずと話しかけたフィアだったが、涙ぐんだ恨めしそうな目で言い返されると何も言えずにたじろいだ。

「か弱い年下の女の子を追い回して地面を転がすのはさぞ楽しかった事でしょう。這い蹲らせて言う事を聞かせるつもりなんですね。酷いです、身も心も穢されました」

 朝露の乾いていない時間帯に転げまわったせいか、服どころか腕や顔、髪にも茶色い土化粧が施され薄汚れている。

 それでも作り物染みた可憐さは失われておらず、張本人であるフィアに少なくない罪悪感が襲ってきた。

「いや、でもほら、勝負だったし」

「勝負なら何をしても良いんですね。フィアがそんな人だったなんてショックです」

 わざとらしくぐすん、と鼻を啜ってそっぽを向くとフィアが明らかに動揺する。

 見た目はどうみても年下だが、普段は大人っぽい性格で接していた事から、フィアはセシリアを同年代のように扱っていた節がある。

 それが突然、年相応の振る舞いを見せた事でどう扱えばいいのか考えあぐねているのだろう。地面に座り込んだセシリアを見て言葉を濁していた。


「お姉様! 大丈夫でした?」

 遠くから眺めていたリリーが勝負の終わりを知って駆け寄るとへたり込んでいたセシリアを慰めるように抱きしめた。

「兄様酷いです!」

「え、これ俺が悪いのか……?」

「他の誰が悪いって言うんですか!」

 縋るように身を寄せているセシリアを守るべく、リリーが声を荒げた。

 原因を辿ればフィアの放った【アクアスラスト】にあると言えばある。

 年下の少女に向けて勝負だから仕方ないだろうと豪語するのはいかにも大人げない。

 目の前で抱き合っている儚げな姿を前にした上でそれをおくびなく告げるのはフィアでさえも酷い物言いだと思えた。

 そもそも勝負の提案をしたのは他ならぬフィア自身だ。

「あれ? もしかして俺が悪いのか……?」

 何も悪い事をしているつもりがなかったのにいつのまにか悪役になっている立場を悩みだしたフィアへ聞こえるように、セシリアがわざとらしく言う。

「良いんです、リリーさん。フィアさんが自分より小さな女の子に力づくで言う事を聞かせる趣味があっても、力で負けた私が悪いんです」

 嘘は何も言っていない。多少語彙をわざとらしく選んだが、単純なフィアには「もしかして何か悪い事をしたんじゃないか」を「悪い事をしたようだ」と思わせるには十分だった。

「悪い、そんなつもりじゃなかったんだ」

「でも力づくで言う事を聞かせるんですよね」

「え、いや、それは……」


 リリーの細い腕に抱かれつつ、虐げられた儚げな少女を演出していたセシリアは心の片隅で頃合いを窺う。

 ゲームでは相手にとって都合の良い姿を短くない時間演じてきた。過ごした時間は短いといえど、表裏のないフィアの正確を把握するのは難しくない。

 勝負に負けるつもりはなかったが、フィアの思わぬ成長ぶりと親方の入れ知恵に加え、フィアには負けないだろうと言う根拠のない自信が油断を招いてあろうことか負けてしまった。

 だからといって、仕方ない、ギルドまで案内しますとは言えないし、約束を果たそうとも思わない。

 彼らが外の世界に強い憧れを抱いているのは分かったが、それだけで渡れるほど安全な場所ではないのだ。

 まして、自らの手で危険の只中に放り込むなど以ての外。

 できればずっと安全なこの村で生活して欲しかった。その為ならどんな卑怯な手段だろうと、使える物は全て使う。

 リリーと一緒になってフィアを責め、それとなく自分が悪いのでは? と思わせる所から、自分が悪かったと思い込ませるまでは成功した。

 意地っ張りな彼の事だから、このまま無理に言う事を聞かせる事をそれとなく責め続ければ堪えきれなくなって、自分からなかった事にする、


「……悪い。確かに力づくってのは否定できないかもしれないけど、約束は譲れない」


 はず、だった。


 フィアは息を呑むほど真剣な表情をしていた。彼の望みはこの程度の小細工で崩れる柔な物ではなかったのだ。

「嬢ちゃん、流石にそりゃずるいだろ」

 思ったように進まなかった現実に固まっていると、頭上から親方の咎めるような声が降ってくる。

「……ずるいのは親方です。ポーションの使用ありなんてルール、作ってません」

「Pvでもってこねぇ奴はいねぇからよ、ついな」

 悪びれる様子もなく笑っていたがセシリアに睨まれているのに気付くと尻すぼみに変わり、遂には視線を逸らす。多少なりとも後ろめたさはあったらしい。

「そ、それによ、ボウズのスキルの威力は大したもんだぜ? 腰が引けてる奴らよりはよっぽど強ぇって」

 【アクアスラスト】はレベルや武器の攻撃力、術者のStrで威力が算出される。元の武器の威力が高いとはいえ、確かにフィアの使うスキルの威力は普通よりも高い。

 使いこなせるようになれば中衛として立ち回れるようになるかもしれないが、だからこそセシリアは反対だった。

「中途半端に戦えるより、いっそ何もできないビギナーの方がマシです! 私はこんな事の為にフィアに戦い方を教えたんじゃない!」

 フィアが戦力と認識されれば戦線に出る事も多くなる。まだ経験が浅いのにスキルの威力だけで強さを判断されてしまうのは危険だ。

「なら約束を破るってのか? 条件を飲んだのは嬢ちゃんじゃねぇか。負けたからナシってのは筋が通んねぇだろうよ。始めから飲むつもりがねぇのに受けたのか?」

 親方の言う事は間違いなく正論で、反論する隙もない。けれど、それを親方に言われて納得できる筈がない。

「誰かさんの小細工がなければ私の勝ちで綺麗さっぱり丸く収まるはずだったんです! 少しは責任感じてくださいっ! あのギルドが一体何のために作られたのか、親方だってわかってますよね!?」

 泣いていた儚げな姿はどこへやら、セシリアは凄みをきかせて迫ってきた親方を逆に一喝した。言い返す言葉もないのか、借りてきた猫のように小さくなる。

「本当に、一緒に来るつもりですか。前に襲ってきたオークなんて比べ物にならないくらい危険な敵が沢山いるんですよ? ギルドだって、今は不安定な状態で……」

「心配してくれてるのは分かってるんだけどさ、大丈夫だって」

 からからと笑っている姿を見てる限り、とても大丈夫そうには見えない。

「私は、この村にいて欲しいです」

「俺は、やっぱり外の世界も見てみたい」

 もう一度だけ、どうにか留まってくれないかと頼んだ所で、フィアの意志は変わらない。

 あれだけ真剣な顔をして言ってのけたのだから、もしかしたら外の世界を知ることは、彼にとって何か別の、特別な意味があるのかもしれない。

「……分かりました。断ったら勝手にどこか行きそうだから、仕方なくですよ。もし入ったら私の言う事はちゃんと聞くこと、いいですね。それから、村長さんの許可はちゃんと取ってください」

「あぁ、それな。実はもう言ってある」

 それを聞いて、本当に最初から、何もかも仕組まれていたのだろうと項垂れた。最後に必要だったのはセシリアの許可だけだったのだろう。





「本当に、どうしてこんな事に……」

 リュミエールにある屋敷の一室に転移してきたセシリアはもう一度深く溜息を吐いた。

 時刻は既に夜遅く、日付が変わる少し前だ。村人の説得は本当に終わっていて、旅立つことを告げるとささやかな宴会が行われ今しがた解放された所だった。

 フィアとリリーは荷物を背負いながらガランとした室内を眺めている。

 この部屋はポータルゲートの出口専用に使われているから人の出入りは殆どないし、家具も備え付けられていない。

「ひとまずケインさんに挨拶しないと。その前に荷物くらいは置いていきますか」

 着替えや日用品の詰まった鞄は見るからに重そうだ。

 これからプレイヤーと深く関わる可能性を考えればインベントリの事を伏せておく意味はないし、2人は信用に足る。

 入れて持っていこうかと尋ねたのだが、旅をするに当たって自分で出来る事は自分ですると決めたらしく、断られてしまった。

 ケインがいつも使っている部屋の途中にはセシリアとカイトが使っている部屋もある事だし、寄って荷物だけ置いていく方が良いだろう。

 ゆっくり部屋から出ると左右を確認。夜更けだからか人影は見えず、廊下に付いたランプが弱々しく足元を照らしていた。


 部屋に辿りつくとまだカイトは戻ってきていないのか誰も居なかった。ここまで来る間に誰ともすれ違わなかったのも珍しい。

 それに、廊下が不気味なくらい静まり返っていたのも気になる。

 建てられてから年数が経っている屋敷は所々が傷んでいた。木造なだけあって、隙間や穴が開いていることも珍しくなく、防音性は高くない。

 今までは夜でも廊下を歩くと何処からか誰かの談笑が聞こえていたのだが、今日は少しも聞こえてこなかった。

「何かあったのかもしれません。早速ですけど、行けますか?」

 扉を潜っただけなのだから疲労はない。勿論だと頷く2人を引き連れて、セシリアはケインの部屋に向かった。

 その道中も全く人の気配がせず、古びた洋館と頼りない明かりも手伝って雰囲気はホラー映画そのものだった。

 リリーは部屋を出た時から怖がって、セシリアの腕にずっとしがみついている。もし壁のランプが一斉に消えたりしたら叫び声の一つくらい上げてしまうかもしれない。

「なんつーか、不気味だな……」

「お姉様の住まいに何てこというんですか!」

 フィアも同じ感想を抱いたのか、いつも以上に注意深く辺りを見回していた。

「不気味なのは否めませんから構わないですよ。でも、普段はもう少し賑やかなんです」

 努めて冷静に振る舞っていたセシリアだったが内心穏やかではない。ここまで人の気配がしないのは珍しいを通り越しておかしい。

 ロケーションも手伝ってまるで異世界に迷い込んだようだと、既にここが異世界なことを棚に上げて思った。


 長い廊下を突き進み、角を曲がると目的の部屋が見えてくる。これで誰も居なかったらどうしようかと不安に思っている所に、突如大きな音が轟いた。

「あんな奴らに付き合っていられるか!」

 思わず身体を硬直させてしまう程驚いたが、すぐに人の声だと気付く。

 よくよく耳を澄ませば目的の部屋から何人かの声が漏れ聞こえていた。

 取込中だろうかと思って様子だけ確認すべくドアを少しだけ開けると、見知った狩組の面々が揃っている。

 広いはずの部屋は数えるのも億劫なほど大量の人で埋め尽くされており、もしかしたら狩組が全員集まって明日の打ち合わせをしているのだろうかとも思ったが、その割には場の雰囲気は酷く険悪だ。

「俺も同意だ。ケインさんには感謝してるし、助けたいとも思う。けどもう限界だ」

「元から無理があったんだよ。一度離れるくらいじゃなきゃあいつらもわかんねぇって」

 何の話をしているのかは分からなかったが、半数を超える狩組のメンバーがケインを説得している不思議な構図が広がっている。

「君たちの主張は分かったし、引き留めはしないよ。確かに今回の件に関しては僕も思う所がある。でもやっぱり放置はできないんだ」

 しかし、彼らの説得は届かなかったのだろう。きっぱりと言い放ったケインを見て悲しそうな表情を浮かべていた。

「……世話になった。もし気が変わったら教えてくれ。ケインさんならいつだって歓迎するからさ」

「今生の別れという訳ではないんだ。この屋敷も今まで通り好きに使ってくれて構わないよ」

 踵を返し部屋から出ていく一団に背後から優しく声をかけるが、無言で片手を振るだけで、彼らにそのつもりはないようだった。

 部屋の外で何事かと目を丸くしているセシリアを見つけると複雑な表情を浮かべて去っていく。声をかける者は誰も居なかった。

 人の波が引いた頃、おっかなびっくり部屋の中に入ってみればまだ10人程が残っていたが、さっきまでの混雑が嘘のようにひっそりと寂しげに静まり返っている。

「おや、おかえり」

 恐る恐る入ってきたセシリアを見つけたケインが何事もなかったかのように声をかけると、部屋に残っていた全員の視線がセシリアに集まった後、その陰に隠れるようにひっついているリリーへと注がれる。

 見慣れない少女に幾人かが首を傾げていたが、ギルドメンバー全員の顔と名前を憶えているプレイヤーはまず居ない。深く聞かれる事もなかった。

「ただいま戻りました。……えっと、話したいことがあったのですが、先に何があったか聞いても良いですか?」

「そうだね。すまない、実は事情があって戦力増加の話を今晩、予定より早くする事になったんだ」




 今朝、数人のプレイヤーが血相を変えてケインの部屋を訪れた。

 どうしたのか尋ねた所、彼らは「レベルの低いプレイヤーまで戦闘に狩り出すのか」といたく憤慨している様子だった。

 戦力増加の話の一部が漏れたのだろう。元から隠すつもりはなかったから、誰かが話していたのを偶然、恐らく部分的に聞いたのだ。

 完全でない、言わば断片的な情報は過激な内容だったことも手伝って瞬く間に広がり、口伝の最中に尾ひれがついて、いつしか本来の情報と全く違った形に変わってしまっていた。

 一刻も早く誤解を解いた方が良いだろうと判断したケインは予定を早め、今晩の夕食後に事情を説明すると声明を出した。


 そして3時間前、夕食が終わったタイミングでプレイヤーを中庭に集め、事の次第を話したのだ。

「ギルドの資金に問題が出て来たんだ」

 ケインは下手に事情を隠さず、ありのままの状況を伝えようと考えていた。危機感を煽るやり口は好きになれなかったが、一定の効果があるのも事実だ。

「今までは割の良い依頼があるからどうにかなってきたけど、今後も続くか分からない。これからは依頼の数をこなす必要がでてくる。その為には、今の人数じゃどうしても足りないんだ。だから手を貸してほしい」

 やはり流れていた噂は本当だったのかと、にわかにプレイヤーが過熱するのをケインはすぐに否定した。


 最初からモンスターと戦わせるつもりはない。段階的に訓練を積んで、十分な安全マージンを確保しながら育成を進めるつもりだった。

 その為のスケジュールも既に作られている。狩組がここ数日、寝る間も惜しんで議論に議論を重ね、あらゆる想定と考えうる限りの安全策を詰め込んだ自信作だ。

「何か疑問や改善案があるなら誰でも遠慮なく言ってほしい。それにね、僕は皆もある程度戦えるようになった方が良いんじゃないかって思ってる。この世界であとどのくらい過ごせばいいのか誰にも分からないんだ。いざと言う時、戦えるのは心の支えにもなるはずだよ」

 この先、ギルドが維持し続けられるかなんて誰にも分からない。もしもの時に自分の身を守れるのは自分だけだ。戦闘に慣れるのは誰にとっても悪い話ではない。

 けれど、プレイヤーから返ってきたのは深い拒絶の意思だった。

 平穏な日常と言うぬるま湯に浸かりきっていた彼らは今更非日常に踏み入る勇気をとっくに失っていたのだ。


「絶対に安全とは言い切れないだろ?」

「死んだら取り返しがつかないんじゃないのか?」

「戦う以外の方法を考えるべきだと思う」

「そうだよ、突然戦えとか言われても困るしさ。もっとこうさ、それ以外の方法を考えてみるべきだって」


 ある程度の反発は予想していた事だ。だから狩組も無理に推し進めるような真似はせず、穏便に話し合いを続けるつもりだった。

 なにも今日1日で結論を出そうとは思わない。

 彼らの言うとおり、もっと別の、戦わずして金銭を得られる方法を見つけても良かった。

 例えばアルバイトを探したり、何らかの事業を興したり。プレイヤーがこれからの事に目を向けてくれるきっかけを作れればそれでいい。

 だというのに、事態は思いもよらぬ方向に転がってしまう。


「あの、始めたばかりで戦う自信がないんですけど、戦わないといけませんか?」

 その質問を投げかけたのは、ゲームを初めて間もないビギナーと呼ばれる青年だった。

 初期装備のままでステータスの補正は一切受けていないだろうし、職業レベルも低く攻撃スキルさえままならない。

 ノンアクティブのフィールドモンスターでさえ荷が重いとなれば話は別だ。

 今回の目標はあくまで中レベル以上の、序盤の敵ではまず死なないレベルを持っているプレイヤーにターゲットを絞っていた。

「流石にビギナーや、武器や装備の整っていない人に無理をさせる訳にはいかないからね。これまで通り街で出来る事をお願いするよ」

 青年はそれを聞いて安堵の表情を浮かべ、周りから羨ましそうな視線を投げかけられていた。

「あ、じゃあ俺も今装備無いんで、街の仕事でいいっすかね」

 そこに突然、割入るように別の青年の声がする。彼は初期装備さえ身に着けておらず、この世界の私服を身に纏っていた。

 ビギナーなら仕方あるまい。そう思ったケインだったが、彼の事は覚えていた。始めてセシリアがギルドに訪れた時、ちょっとしたトラブルを起こした青年だ。

 確かレベル80を超えた辺りの騎士で、とてもビギナーとは言えない。

「あの、実は俺も今装備無くて」

 それどころか、彼に感化されたかのように装備を持っていないと申告するプレイヤーが次々に現れ始めた。

 しかも、驚くべきことに大部分が中級者以上のプレイヤーだったのだ。




「嘘をついていた訳じゃないですよね」

「それならまだ良かったんだけどね……」

 あのケインでさえ呆れた顔をしていた。この場に残った面々も等しく渋面を作っている。

 普段から身に着けている装備を倉庫に預ける事はまずない。

 稀にアバターに何も装備させない事で表示できるインナー姿で過ごす酔狂なプレイヤーも居るが、彼らも普段使う装備はインベントリに入れている。

 キャラを作り直す為に全装備を倉庫に入れた瞬間にこの世界へ転移させられた可能性もあるが、そんな不運なプレイヤーが沢山いるとも思えない。

 なら、どうして彼らは装備を持っていなかったのか。

 ゲームなら装備が勝手に消える集団ロストの線もあったが、この世界では自分で手放すか、他人に取られるかのどちらかだ。

 もし後者なら派手な騒ぎになっているだろうから、自分で手放したのだろう。

 手放すといっても方法は幾つかある。捨てたか、あげたか、売ったか、壊したか。こんな所だろうか。


「……個人的には、前線に出る人に快く贈った美談を期待したいところです」

 ありえない妄想だ。もしそうならケインはここまで呆れたりしないし、返してもらえばいい。

「で、彼らはどうして装備を売ったんです?」

 高価な品を捨てる意味があるとは思えないし、引きこもっていた彼らが破損させるとも思えない。であれば、残る可能性は『売った』以外にあるはずもない。

「ギルドの資金不足を解消する為じゃないですよね」

 前に収支計算を見せて貰ったが、プレイヤーの装備を売ってお金を得たログは見つからなかった。

「話が早くて助かるよ。まさか自分の身を守る装備を売る人がこんなに沢山いるなんて思わなくてね」

 転移された直後のプレイヤーにとって、戦闘は身近な物で装備は自分の身を守ってくれる唯一の拠り所だった。

 けれど、ギルドへ加入し平和な日常を手に入れた彼らは戦闘から遠ざかり、装備は必ずしも必要ではなくなった。

 安寧とした日々を過ごすほどこの傾向は強くなり、代わりに別の欲求が生まれ始める。

 日常の(いろどり)とも言うべき、危険ではない刺激的で楽しい何か。要するに娯楽を欲したのだ。

 甘いお菓子や冷たいデザートなどは意外と値が張る。中には多人数で遊べるボードゲームを買ってきて楽しんでいる部屋もあったそうだ。


「つまり娯楽の為にある程度のお金が必要で、装備を売ったと。でも余程買い叩かれない限り、アクセサリ1つでも十分な金額になりますよね?」

 銀貨1枚でも現代換算で10万円近い計算なのだ。如何に高価とは言えど甘いお菓子や娯楽用のゲームを買ったところで、この短期間に装備を全部潰すほど必要になるとは思えない。

「始めの内は彼らもそうしたみたいなんだけどね、最近は高価な遊びまで覚えたらしい。君にこういう事を言うのは憚られるんだけど……。あ、一応そちらの小さい子には聞こえない様にしてくれるかな」

 言い淀んだケインの表情とリリーを気にするような物言いで、高い遊びが何なのか、セシリアにはすぐに想像がついた。

「そういう事ですか。いいです、大体理解できました」

「……話が早くて助かるよ」

 この世界には娯楽が少ない。技術的な問題もあるが、生活に手一杯な人が多く、娯楽文化そのものが発展していないのだ。

 けれど古来より一つだけ、男性と極々一部の女性にのみ楽しめる高額の娯楽設備が大体の国で栄えていた。娼館である。

 ゲームにそういった機能はなかったが望む声は多かった。

 現実から逃避している彼らにしてみれば新機能が実装されましたくらいにしか思っていないのかもしれない。

「それで身ぐるみはがされた、と」

 中級者の装備一式となれば少なくない金額になるはずだ。

 それを全て売り払っているとなれば、1度や2度の遊びではない。足しげく、それも長時間通っていたレベルだ。

 相手に気に入られたいが為に貢いだ可能性もある。

 何せこの街に残るプレイヤーの大部分はネカマだったセシリアに釣り上げられるほど、リアルの出会いが乏しかった人達ばかりだ。

 肌を重ね合わせた相手に可愛らしくお願いされて拒めるとも思えない。


「僕も男だからね。気持ちは分からなくはないけど、控えて欲しかったと思ってる」

 命を懸けて戦っている傍ら、安全な街に籠もり春を買っていたと知った狩組が怒ったとしても無理はない。

「でもこの件に関しては自分の装備を売って得たお金だから使い道に口は挟めない」

 そう思ったセシリアだったが、驚くべきことに彼らは喉元までせりあがっていた不平不満を飲み込んだのだという。

 今後の事を考えれば、今ここで足並みを崩す訳にはいかない。装備を売り払い遊び惚けた行為が軽率だったとはいえ、所有者の自由といえなくもない。

 それを認めて、思う事はあれど敢えて何も言わない事にした。

 ……ところが、事態は更に思いもよらない方向へと転がり始める。


「つーかさ、お前等装備売ってねーのに通ってたよな。どこからそんな金持ちだしたんだよ」

 自前の装備を売って娼館を利用していた一部のプレイヤーがどうにか話題を逸らそうと、苦し紛れに告げた一言。

 当初は金貨が使える時に両替したと嘯いていた彼等だったがすぐにボロが出た。嘘をついていたのは知られたくない事情があるからだ。

 話題を逸らすべく始まった追及はあれよあれよという間に核心に迫り、一つの結論に達する。彼らには一つの共通点があったからだ。

「みんな食材の購入を手伝ってくれていた人でね。……最終的には横領していた事実を認めたよ」

 貴族や商人同士の大口取引ならともかく、青空市で領収書の発行を求めるのは難しい。プレイヤーを信じて言い値でやり取りしていたのだが、そこに少なくない額の水増し請求があった。

 なお悪い事に横領は組織的に行われていたらしく、関与していたプレイヤーが芋づる式に出てきたのだ。

 狩組が堪えていた怒りを爆発させるには十分な理由だ。

 ギルドから抜けて自分たちだけの組織を別に作ろうと声を上げたのも無理はない。それが先ほどこの場を後にした約30名のプレイヤーだった。


「そういう訳で、君もここに残るか向こうに行くか考えておいた方が良い。お勧めは向こう、かな」

 ケインが肩を竦めるのをセシリアは呆然と眺めていた。まさか組織内で横領が、それも組織的に行われていたなどと、誰が想像できようか。

 ケインは相手を愛情で縛るタイプだ。

 今の狩組のように、与えられた恩には恩で報いるタイプの人間に使えば効果的に働くのだが、与えられる無尽蔵の愛情に溺れ、ただ甘んじて増長するタイプは何でも許されるような錯覚を覚えて簡単に境界を越えてしまうデメリットも生まれる。

 自由な空気や何もせずとも生きていける環境がプレイヤーの心を開放的に変えてしまったのか。

 街の中で危険も知らずぬくぬくと暮らしていたプレイヤーが手を出していい物ではないのに、目先の欲に手を出した。

「横領に参加していなかった、戦う意思のあるプレイヤーはいつでも歓迎するそうだよ。他のプレイヤーも、どうするか相談してるみたいだ」

 プレイヤーはこのギルドに残るか移動するかの選択を迫られる事になったわけだ。移動すれば必然的に戦闘への参加を要求されるが、このギルドが非常に危険な状況に立たされているのは誰の目に見ても明らかだ。

 屋敷に誰も居なかったのは、ホールや中庭で今後の事を話しあっているからだった。


 ちらりと周囲を窺うとカイトやユウト等、見知ったメンバーはまだ部屋に残っていた。まだ今後の身の振り方を考えている最中なのかもしれない。

 どちらにせよ、40人近く居た狩組が10人まで減れば今までと同じ利益は見込めない。多少ギルドメンバーが移籍して減ったとしても黒字にするのは難しいだろう。

 対して、新しく作られたギルドは人数が少ない上に狩組が30人はいる。

 今回の件を受けて狩に出れば利益が還元される制度も作られるだろうし、戦うつもりがあるのなら移籍する方が待遇は圧倒的に良い。

「少し、考えさせてください」

 フィアとリリーの話はできなかった。一度、カイトも交えて今後を話し合う必要がある。

 彼も同じことを考えていたのか、話が終わるなり声をかけられた。

「とりあえず部屋に行こう。話はそこで」


 再び長い廊下を戻る事になったが、無人の原因が分かったからか、他に考えるべきことができたからか、来た時の不気味さは薄れていた。

 軋む扉を開けて部屋に戻ると盛大な溜息が溢れ出る。

「ギルドの体制に問題点があるなとは思ってたけど、これは予想外」

 10人では今の人数を支えられるほどの仕事をこなせない。かといって、プレイヤーの育成を安全に行う余裕もなくなった。完全な手詰まりだ。

「向こうに移るっている人、結構いるの?」

 安寧を享受しきっていたプレイヤーがすぐに宗旨替えして戦闘に参加できるとは思えない。

「女性陣はもう移動を決めてる。家事要員は必要だろ? すぐに意見を統一して売り込みに行ったらしいからな」

 元から人数の少ない女性陣という事もあって、結束は固かったようだ。見切りをつけるのも上手いし、全体で纏まって交渉するのも賢い。

 いつまでも結論の出ない相談と言う名の時間の浪費を少人数のグループでしている男達よりちゃっかりしている。

「こういう時の女は強いもんなんだよ」

 今回の事件に一切関与していないという立場も強いし、纏まった女性に頼まれたら「いいえ」とは言えないだろう。

 家事全般の代行と言う、安全だけれど必ず必要な役回りを確保したのも流石だ。

 待遇は相談になるのだろうが、このギルドに居るより良くなるのは間違いない。


「それより、まず後ろの2人の説明が欲しい所なんだが」

 言われてみればまだ紹介もしておらず、どこか居心地悪そうにしていた。

「あぁごめん、忘れてたわけじゃないんだけど、頭が一杯一杯で。2人は兄妹で、こっちの人。兄の方がフィア、妹の方がリリーさん。ちょっと色々あって、ギルド加入の口添えをする事になったの」

「加入の口添えって、ここにか?」

 当然の如く驚きを露にしたカイトの手を思わず握り締める。そう、これが本来あるべき反応なのだ。

 プレイヤーばかりのギルドに関係ないこの世界の住民を入れるのはどう考えても好ましくない。

「何かあったのか?」

「……色々ね。元を正せば全部親方のせいだけど。上手い事嵌められて通さざるを得ないというか、通させられたというか……」

 彼の破天荒な性格をカイトも知っているのか「大変だな」と苦笑していた。

「どの道このギルドも今まで通りには行かないだろうし、なるようになるだろ。俺はカイトだ、よろしく」

 見た目がフィアより2歳くらい年上で背も高いカイトを見て、リリーはまだ慣れないのか恐々と返事を返したが、フィアは物怖じする事もなくきさくに手を握り合う。


「えっとね、とりあえず今日は遅いから悪いんだけど、話は明日にしよう? 眠い時に話しても頭回らないだろうし」

 時刻は既に0時を過ぎている。いつもならリリーもフィアもとっくに寝ている時間で、フィアはともかく、リリーはずっと眠気を堪えているようだったし、セシリアも一度状況を整理する時間を取りたいと思っていた。

「今から部屋を用意するのは無理だから、今日はここを使ってください。私のベッドを2人で使って貰ってもいいですか?」

 立派なお屋敷に備え付けられているベッドだけあってサイズはかなり大きい。これならフィアとリリーの2人で使っても十分入れる。

「俺のベッドを使ってもいいぞ。寝袋で寝るのは慣れてるし」

 カイトも気を使ってもう片方のベッドを指差す。それをみてリリーが驚いた顔をしていた。

「あの、もしかしてここはお二人で使っているのですか?」

「そうですよ。人数に比べて部屋が少なくて、何人かで一緒の部屋を使ってるんです。といってもよく外出してますからまだ数えるくらいしか使ってないですけど」

 セシリアが詳しい解説を交えたが、リリーはまだ煮え切らない表情だ。人見知りだから見知らぬ誰かと一緒の部屋を使うのが不安なのだろうか。

「あの、他の人が気になるなら、リリーさんはずっとこの部屋にしますか? カイトは居ますけど、3人だけですし」

「いえっ! それはお邪魔でしょうから!」

 同室を勧めたセシリアに、リリーは勢いよく頭を振った。邪魔になんて思うはずもないと言おうとした所でどうして彼女がそう思ったのかに行き着いた。

「カイトとはそういう関係じゃないから遠慮しなくてもいいですよ。どっちかというと、リリーさんとフィアみたいな関係に近いのかな。本当の姉弟(きょうだい)って訳じゃないけど」

「そう、ですか……」


「ともかく、今日はもう休みましょう?」

 リリーは2人を見比べてまだどこか納得しきっていない様子だったが眠気には勝てなかったのか小さく頷く。

「流石に部屋の主を床で寝かす訳にはいかないし、俺が床で寝るよ。セシリアはリリーと一緒でいいだろ?」

「今の所2人は客人だし、それを床で寝かすのも……」

 それを他所にフィアとカイトは互いにベッドを譲り合っていた。

 譲られたなら遠慮なく使えばいいのに、年上の意地と男のプライドが噛み合わないのか、先ほどから同じ提案を壊れたスピーカーのように繰り返している。

「男の人同士で使うのはダメなのですか?」

 終わりの見えないやり取りが繰り広げられるのを寝惚け眼で眺めていたリリーが折衷案を漏らした。これだけ大きなベッドなら男2人で使っても絵面はともかく、収まりはするだろう。

「まぁ、俺はそれでもいいけどな」

 不毛な事態にフィアも気付いていたのかあっさりとリリーの提案に乗る。

「それはダメ」

 けれどカイトが頷くよりも早く、セシリアの冷めた声色が折衷案を両断した。

「リリーさんはフィアと一緒は嫌ですか?」

 先ほどの声色が夢か幻だったかのように優しくリリーに問いかける。元から兄に懐いている彼女が嫌と言う筈もなかった。

「なら、フィアはリリーさんと。私はカイトと一緒にベッドを使いますから、それでいいですね?」

 有無を言わせない物言いにカイトも諦めたのか「仕方ないか」と頷いた。

「俺もいいけど、セシリアはそれでいいのか?」

「はい。というか、カイトは男の人の方が好きなんです。手も早いですから一緒に寝たら何をされるか分かりませんよ? それでも一緒がいいなら止めはしないですけど」

 笑顔でとんでもない事を告げられたフィアが見事に固まった。カイトの顔を見て今セシリアが何を言ったのか自分なりに理解しようとしているのだろう。

「おいおい、手が早いは余計だっての。同意がなきゃ手は出さねぇよ。所で寝言って同意に含まれるよな」

 そう言ってわざとらしく唇を吊り上げるとフィアが無言で一歩引いた。顔にはどうしていいか分からない乾いた笑みが冷や汗と共に張り付いている。

「そう言う訳だから、この構成が一番安全なの。私がこの部屋に居るのだって、"一種のセーフティ"なんですよ?」




 結局セシリアの提案どおりフィアとリリーが一緒のベッドを使って眠ることになった。

 荷造りで疲れたのか、布団を被るなり十分と経たず安らかな寝息が漏れ聞こえてくる。

 2人が寝入ったのを見計らってから背中を合わせる格好で布団に潜っていたセシリアがこれまでの経緯を小さな声で話した。

「だから攻撃の瞬間はしっかり見とけって。確かにお前の読みはよく当たるけど過信しすぎてる事もよくあっただろ?」

「仰るとおりで……」

 最後の最後で確認を怠ったのはセシリアのミスだ。自分でこうだ、と思った所を信じきってしまい行動した結果、そこが間違っていて痛い目を見たのは今回だけじゃない。

「でも放っておけないから。ケインには明日話してみるつもり。フィアとリリーの部屋も用意してもらわないといけないし」

「なんだ、ここに残るってもう決めてたのか?」

「……向こうの方が得なのは分かるけどさ、ケインは約束を守ってくれたわけだし、都合が悪くなったからさようならはしたくない。あ、でもカイトは好きにしていいんだからね」

「俺もこっち残るよ。何人残るかわかんねぇけど、やれるだけの事はやってみる」

 セシリアに言われなくともカイトは初めから残るつもりでいた。

 横領に加担した人達も追放の措置は取られていない。代わりに横領した分の対価を労働で返す事になっていた。

 だから狩りに連れて行ける人数自体は前より増えていると言えなくもない。やる気や実力が伴うかはまた別の問題なのだが。

「最低限の引率役は必要だろ。ついでに俺達の苦労を少しでも分かってもらわないとな」

 どうやら今回の件はカイトでさえ腹に据えかねたようだ。

「死なない程度にしてね……」

「大丈夫だ。セシリアが居ればヒールできるからな」

 くつくつとこみ上げる笑みを押し殺す様は悪魔か魔王か。自業自得なのだから諦めて享受してもらうしかない。


「つーか、部屋はここでもいいんじゃないか? 人見知りなんだろ、あの子。それに女性陣が引き払っちまったら一人か兄弟揃っての2人部屋って事になるだろうけど、まだ小さいと危ないだろ。俺達とは違う訳だし」

「そうだけど、カイトはいいの?」

「年下だけど悪くないし、別に俺は一向に構わないぞ」

 フィアとリリーを加えて4人で部屋を使う案はセシリアも思いついていたが口には出せなかった。カイトを困らせる事が分かっていたからだ。

「それ、別に続けなくてもいいよ」

「おいおい、何を突然……」

「私も馬鹿だったけど、よく考えれば色々気づけることもあったの」

 あくまで惚けるつもりだったカイトの台詞を遮る。反対に向けていた背をくるりと返しカイトへと向き直れば彼も首だけを曲げてセシリアを見ていた。

「例えば何をだ?」

「カイトが私に始めて会った時、突然BL談義をしたのはどうしてだろうなって考えた事がある」

 人差し指を真犯人はお前だとばかりにカイトの顔へ付きたてた。

「それから、カイトは他人の感情をちゃんと理解できる。私に周りの目線を気をつけろって言ってくれたし」

 今度は中指を立てて見せ付けるかのように目の前に近づける。

「最後に、寝起きイベント、朝食イベント、お風呂イベントだっけ。ゲームじゃお約束なのかもしれないけど、現実でやったらどうなるかくらい、カイトなら最初から分かってたはず」

 最後に薬指を立てて3本の指で額を軽く叩いた。

「他にも色々あるよ。どうしてカイトは攻略対象の居なくなった個室に留まってたのかとか、ここよりずっとフラグが立ち易い筈の狩組を攻略相手にしなかったのかとか。最後に私を招き入れる所まで計算だったの?」

「さぁてどうだか。しっかし、他人の詮索ばっかり得意になるのはどうなんだ? 時には知らない振りをするのだって優しさだぞ」

 首だけ向けていたカイトが半回転分転がって身体を向けた。片腕を布団の中から抜き出すと痛くない程度の勢いでおかえしとばかりに手刀を繰り出す。

「カイトにばっかり負担をかけたくない。【将軍】の時だってそうだった。こんな状況なんだから、抱え込まないで少しは話してよ。できる事は限られるかもしれないけど、何もできないなんて思ってない」

 友人としての真剣な言葉にカイトは面食らったように固まった後、嬉しさと可笑しさが混ざり合った苦笑を漏らす。

「お前がそれを言うのかよ」

 するするとカイトの腕が伸びてセシリアの背に回されると、流石に予想していなかったのか可愛らしい戸惑いの声が響いた。

「ありがとう。でも"私"は大丈夫だから。この身体になって不便もあったけど基本的に嬉しいのは本当だもの。でもま、今日くらいは抱き枕にでもなって貰いましょうか」

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― 新着の感想 ―
[一言] 親方の行動が子を持つ親としてどうなのって感じだしセシリアの決断はケインの実直さを思えば理解できなくもないんだけど兄妹の加入もそのまま進めるのはさすがに軽率過ぎない? 戦闘員増えるったって装備…
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