自由の翼-6-
加入の同意を得られた事で細々とした決まり事の説明に移る。
まずは部屋割りについて。この屋敷が幾ら大きくても全員に個室を与えられる余裕はない。
だから一つの部屋を数人で纏まり雑魚寝のように使っている。
それくらいはセシリアも覚悟していたから一向に構わないのだが、指定されていたフロアに書かれていた注釈が問題だった。
屋敷の居住区は女性用と男性用で分けてあり、3階の一部フロアは全面的に女性用と決められていたのだ。
「女性と同室ですか……」
「今の君の姿からすれば妥当じゃないかな」
まじまじと身体を見下ろしたセシリアが一際大きなため息をついた。
見た目がどうであれ中身は男で、相手もそれを知っているのだ。この状態で同室を使うのは気まずい。
「反対はなかったんですか?」
「君を心配する声はあったけどね。女性陣は概ね好意的だったよ」
てっきりネカマプレイを毛嫌いされると思っていただけに受け入れる声さえあった事には正直驚いた。まして心配までされたと聞けば尚更だ。
「女性アカウントだとトラブルに巻き込まれがちだからね。彼女達からすれば君の存在は水戸黄門みたいなものだよ」
「……なるほど。敵の敵は味方、と」
ケインの外観からは程遠い古臭い例えにセシリアがくすりと笑みを漏らす。
女性アカウントでプレイすると夜の公園にたった一つだけ灯る街灯に集まる虫の如く直結が沸く。
リアルの性別と同じアカウントしか作れない弊害だろう。
出会い目的で近付いてくるプレイヤーに辟易している女性陣も少なくないのだ。
そんな直結に対して憂さ晴らしをしてくれたセシリアに好意的な解釈をする女性は意外と多い。
「やっぱりどこかで宿を借ります。自費ですから御心配なく」
しばらく悩んだ素振りを見せはしたが、やがてそう結論を出した。
女性と同じ部屋を使えばどうしても互いに気を遣う必要が出てくるだろう。
元よりセシリアの中身はあまり社交的とは言えない性格だ。気疲れしてしまうくらいなら宿を借りた方が良いに決まっている。
ポータルゲートを使ってフィアの家の部屋を借りる手もあったが、今までのように家事を手伝う時間は作れない。
喜んで貸すと予想できてしまうだけに、何から何まで甘えるのは気が引けた。
「すまないね、本当は個室を用意したい所なんだが……」
そんな特例を出せば間違いなく特別扱いしていると一部から、特にセシリアを恨んでいるプレイヤーから非難の声が湧き出るだろう。
ただでさえ今のセシリアは立場的に微妙なのだ。自ら地雷を踏み抜きたいとは思わなかった。
「後は街中で派手なスキルを使うのは遠慮して欲しい。特にポータルゲートは危険だからね。ヒールに関しても注意はして欲しいかな」
ギルドの調査員が調べた所、やはり都市間転送は存在しなかったが、ポータルゲートの存在は確認できた。
ただし、使えるのは限られた優秀な術者のみとされていて、国や軍が完全に囲っており表には出てこない。
この世界にも他国との諍いくらいあるだろう。リュミエールの外壁だって城塞都市を意識したものに違いない。
自由に遠隔地へ人を運べるポータルゲートは国にとって大きな脅威だ。
なにせこの魔法を上手く使えば敵国の背後だろうが只中だろうが自由に転送できることになってしまう。
一箇所に集められ厳重に管理されているとしても不思議ではない。
高い効果を持つ治癒魔法も戦場では脅威だし、兵の損耗を防げるのだから国からすれば喉から手が出るほど欲しいだろう。
「最悪捕らえられて解剖コースですかね……」
「流石にそんな事はないだろうけど、強い力を持つ支援職を集めてるみたいだからね。引き渡せと言われる可能性はあるかもしれない。厄介ごとは避けたいんだ」
危険なのは何もセシリアだけではなかった。最上位職は言わずともがな、上位職だって稀有な逸材なのだ。
それが百人規模で纏まって生活していると周囲に知られれば危険視されて当然だろう。
能ある鷹は爪を隠すと言うし、ギルドとしてトラブルにならないよう穏便に過ごすに越したことはない。
「でも街からしてみれば突然500人近い身元不明人が集まって生活し始めたわけですよね、今の状況って。やっぱりトラブルになってるんですか?」
街の人口から見ればそう多くないが、住みついた一つの団体として考えれば大きすぎる規模だ。
売られていた屋敷を金貨で買い取って生活している時点で街の領主にも知られているとみていい。
「始めは警戒していたんだけどね。まだ1度も、それこそ顔すら合わせた事はないよ」
ケインはセシリアの疑問にゆるりと首を横に振る。
普通なら様子を探られるなり呼びつけられるなり、何らかのアクションがあって当然だというのに、街からの接触は今まで一度たりともなかった。
「1度も、ですか」
「何か言われたらその時考えるつもりだ。もしかしたら気付いていないだけかもしれないしね」
疑問には感じたとしても、わざわざ自分から藪を突く必要はない。確かにその通りではあるが、少し楽観的すぎるのではないだろうか。
「後はそうだね……なんというか、大変言いにくい話題なんだけど、本当なら僕以外の誰かに説明してもらうべきなんだろうが生憎と皆出払っていてね。内面的に男性であるなら僕から言っても問題ないという見解で、これからいう事に変な意味があるわけではなく、必要だからと思ってのことなんだが……」
いつもすまなそうにしている印象ばかりが目立つケインだが、今度のは群を抜いて言い難いらしく、暗い顔をして意味のない冗長な台詞を居心地悪そうに言い淀む。
「私は何を言われても気にしないですから。他にも何か問題が?」
セシリアがやんわり促すと何度か咳払いをしてからバツが悪そうに言う。
「いや、なんというかね……」
てっきり和解の後に納得できないプレイヤーから何か言われたのだろうかと思っていただけに、ケインから出てきたセリフはセシリアにとっても衝撃的だった。
「言い難いんだが君の下着についてなんだよ」
「はい?」
突然何を言い出すんだと怪訝な表情を向けると、ケインも覚悟を決めたのか真剣な表情で言い放つ。
「率直に聞こう。君は今どんな下着を着けている?」
「実はストレス溜まってますか?」
ややの間をおいて、セシリアが咄嗟にお疲れ様ですと頭を下げた。
やがて憐憫の宿る瞳で心配そうな視線を投げかけるとケインは我に返ったのだろう、面白いくらい慌てふためく。
「いや、今の聞き方は不味かった! そういう意味じゃないんだ!」
「そうですよね。マスターとしてみんなを纏める立場にあるんですから、ストレスも多いですよね。密室で中身はともかく外見は可愛い少女と二人きりになってムラムラ来た、と」
セシリアは同じ男ですから全部わかっています、そういう時もありますよと慰め口にしつつ無垢な笑みを向けた。
「違うんだ……。そういう意味じゃないんだ……」
「みなさん決まってそう言うんです。それにしてもよく考えられた外道っぷりですね。女性に言うと問題になっちゃいますけど、ネカマで立場の弱い私なら何をしても平気、と。お見事です。とりあえず話は署の方で聞きましょう」
笑顔を崩さず曲解した見解を告げると自らの罪の重さを自覚してか、ぐったりと机に突っ伏す。
セシリアにとってはちょっとした悪戯のつもりだったのだが真面目すぎる性格のせいで完全に真に受けていた。
「……遊びすぎました。冗談ですって。そういう人じゃないってことは分かってますから。何か理由があるんですよね?」
場を和ませる為のジョークだったと謝ってもなかなか復活せず、直接肩を揺するとようやく少し顔を上げる。
「何も言わないと罪が確定しちゃいますよ?」
すかさず脅しにかかると引きつった表情をしつつも先を続ける。
「ゲーム内で使われていたアバターの下着は現代と同じ物で、この世界に転移した時も着ていたはずだ。でも1着だけという訳にはいかないだろう。この世界にも下着は流通しているが形も素材も違うらしくてね。女性からどうにかして欲しいという要望があって、縫製スキルを持ったマスタースミスが複製しているんだ。だから必要なら君も利用するといい……」
一息につらつら告げ、説明はこれで終わりだと大きなため息を吐き出す。あまりにも率直過ぎた一言を未だに引きずっているのだろう。
「ちょっと言い方を間違う事くらい誰にでもありますって。良かったじゃないですか、本当の女性に言わないで」
「正直な所、僕からすれば君は女性と変わらないんだけどね。仕草と言い、話し方と言い、外見と言い、本当に男性なのかい?」
「それは勿論。個人的にはもう話し方くらいしか意識してないつもりなんですけどね」
ケインは他にも仕事を抱えているようで、説明が終わるなり行かねばならない場所があると部屋を出て行った。
マスターなのに討伐の仕事にも出ているようだし、休む暇は殆どないのかもしれない。
誰も居なくなったところで噛み殺し続けてきた欠伸を遠慮なく零してから部屋の外に出る。
ちょうど起きだしたのだろうか、それとも心配になって様子を見に来たのだろうか、いつの間にか待っていたカイトがセシリアに向かって小さく手を振って見せた。
「よう、ケインの話はどうだった?」
「甘い。甘すぎる。ありえないくらい甘すぎる。交渉とか絶対向かないし、もし付き合ったら相手に散々利用された挙句に捨てられるタイプ。でも相手を恨めないお人よし」
「随分と手厳しい意見で……」
つらつらと辛辣な感想を述べるセシリアにカイトは乾いた笑みを浮かべて聞いている。
「私情に流されて自分から弱点を晒すとか、マスターとしては問題外。素質なしもいいところ」
セシリアがこのギルドに来た理由は幾つかある。中でも断れば村が襲われるのではないかという疑念は大きかった。
彼らと関わってみてその可能性が低いことは分かったが、いざという時に人質にとらないとも限らない。
だからセシリアはどうにか弱みを握れないか、いざという時の保険になるような物がないかと昨晩は殆ど寝ずに対策を練っていたのだ。
今朝方の話し合いはまさに最終決戦、万端の準備を整えて挑んだと言うのに、蓋を開けてみれば相手の自殺点で終わっている。
ケインは互いに信頼できない状態でセシリアと付き合っていくのが嫌だったのだろう。だから正直に積み重なっている問題を晒してみせた。
お互いに弱点を握り合っている状態なら気兼ねのない対等な立場になれると考えたのだ。
「あれでよく今まで何もなかったよ。はいはい他人の意見を聞いてただけじゃないの?」
「い、言うなぁ……。まぁ確かにそんな部分がない訳じゃないから何とも言えないんだけどさ」
自由の翼はぬるま湯の様な場所だ。
廊下ですれ違う人、食堂に居る人、誰もが笑顔を浮かべている。この異常事態を受け入れているようでさえあった。
いや、実際受け入れているのだろう。暴れても叫んでもここから帰れない事を悟った彼らにはそれしか選択肢がなかった。
同じ境遇にあるプレイヤーが沢山いるし、衣食住までも確保されている。
纏めてくれているケインと言う存在もあって、指示に従っていれば安全だって保障される。
今ではちょっと旅行に来ましたとでも言いたげな雰囲気まで醸し出していた。
「みんな現実が見えてない。自分たちの立場を分かってない。ただ与えられた境遇に甘んじてるだけでこれから先……」
感情の籠っていない冷たい声は隣のカイトが口を塞ぐことで遮られる。
「落ち着けって。仕方ないさ。誰だってこんな状況でお前みたいに冷静にはなれねーよ」
カイトの言葉はどこか非難めいていた。セシリアは口を覆っていた手を両手で引っぺがすとムッとしたように彼を見上げる。
「カイトもケインに甘すぎ。性格が弟さんに似てるから?」
「むぅ……」
押し黙ったところを見ると図星だったのだろう。
カイトには歳の離れた弟が居る。彼もケインの様に誰彼問わず優しい性格をしていた。
そういう性格の人間を放っておけないのもこれが原因だろう。要するに、カイトという人物は総じて過保護なのだ。
「でもお前だってああいう真っ直ぐで純粋な性格は嫌いじゃないだろ?」
「むぅ……」
今度はセシリアが押し黙る番だった。
表裏のないケインの性格がギルドの運営において重大な欠陥を抱えていようが、性格そのものには好感が持てる。
「今までだって意見の相違がなかったわけじゃない。その度にあいつは折衷案を出して双方を納得させてる。仲を取り持つのが上手いんだろうな」
ケインがこのギルドを作って生活を保障した事に誰もが少なくない恩を感じている。だから彼の出した折衷案は受け入れられるのだろう。
「ねぇ、人の縛り方ってどんな方法があるか知ってる?」
「ん? 縛りプレイにでも興味があるのか? いや、人の趣味にどうこう言うつもりはないけど程ほどに……」
「んな物に興味あるかっ!」
セシリアが言ったのは物理的な縛り方ではなく、精神的に相手をどう繋ぎ止めるかの手法だ。
大きく分けて【力】と【飴】と【愛情】の3通りがある。
力で縛るのは文字通り、腕力や組織的な圧力を始めとした権力を活用して無理にでも従わせる方法だ。
腕っぷしに自身があるか、権力者であれば幅広く使える反面、よほど上手く立ち回らない限り相手も抵抗するから、いつだって逃亡や反抗のリスクが付き纏う。
飴で縛るのは利害の一致が必要だけれど、互いにメリットがあるなら進んで協調できる上に逃亡のリスクは少ない。
ただし調整に失敗すると不和になったり裏切られる可能性はある。
愛情で縛るのは特殊なケースと称していいだろう。
たとえば家族や夫婦、恋人がこれに該当する。生まれながらにして持った縁や時間を掛けて育まれた絆は余程の事がない限り切れる事はない。いわば、最強の鎖という訳だ。
とはいえ、見ず知らずの他人を愛情で縛るのは非常に難しいと言わざるを得ない。
献身的な愛を注ぎ続けるのは一種の自己犠牲だからだ。
「ケインは愛情で縛るタイプの典型例。正直やりにくい」
「ほう、そりゃまたどうして」
「気付いたら勝手に首輪が付けられてる感じがする」
確かにセシリアはネカマとして多数のプレイヤーを騙してきた。でもそれはゲームという仮想空間の上で、かつ相手に下心があると分かっていたからだ。
純粋に善意を投げかけてくれる相手を辛辣にあしうなんて真似はできない。
その上、ケインはとにかく甘かった。優しさは時として相応の厳しさを持つが、甘さはただ相手を蕩けさせる。
事実、どう言い包めてやろうかと意気込んでいた自分が矮小で醜悪な物に思えてしまい、終盤には冗談でフォローを入れてしまうくらい心を許していた。
そう告げると、カイトは違いないとけらけら笑い声を上げる。
「そうだ、今後は街の宿を借りようと思うから何かあったらそっちまでお願い」
つい愚痴っぽくなってしまった話題を切り上げて、ケインと話した内容を簡単に教える。
宿の当てはついていた。前にリュミエールで使っていた宿屋だ。寝泊りしかしないのだから豪華である必要はない。
連絡が付くように場所の詳しい場所を話うとしたセシリアに、カイトは勿体ないとばかりに告げる。
「ん? わざわざ宿を借りなくても俺の部屋を使うか?」
「カイトが気をつけろって言ったんじゃない。流石に他の男と一緒の部屋はどうなの?」
釘を刺されてからは基準がまだ曖昧ながらも異性との接し方に多少気を払うようにしているのだ。
それでなくとも、同じ部屋で寝泊まりするのはアウトではないか。
「いや、男と同室は勿論ダメだけど、俺の部屋は今個室だしな」
カイトも同意見だったのだが、後に続く一言にセシリアが不思議そうな顔をする。
「……どういうこと? 」
ネナベと言う立場から個室が割り振られたのだろうか。しかし、ケインは特例はないと言っていた。
そういえば、他にネカマやネナベはいなかったのだろうか。
異性アカウントが作りにくいと言われながらも抜け道は存在していたし、特に潜在的なネカマの数はそこそこ居る筈だ。
カイトだって珍しいネナベの一人である。
「ねぇ、一つ聞きたいんだけど、周りにネナベだってカミングアウトしたの?」
「してないし、するつもりもないよ。したところで身体は男なんだし変な気を使わせるだけだろうからな」
どこか遠い目をしてカイトが言う。
「そうだけど。……あの、もしかして結構辛い? その口調でいるのも気を紛らわす為だったりするの? ごめん、全然気にしてなかった」
カイトから多少の知識を教わっていたセシリアでさえ苦労は山ほどあった。
話し方や仕草、気のまわし方や化粧品類の知識をカイトから教わったことはあっても、服の着方を教わったことはない。
ゲームではインベントリ内にあるアイテムを操作して装備すれば一瞬で着替えられたからだ。
アバターはあくまで絵であって人ではない。感覚も制限されていたし、トイレや睡眠も必要なかった。
それが突然、あらゆる制限も保護もない現実と同じ生活を強いられ、何度泣きそうになったことか。
実際の生活ではあまり役に立たないとはいえ、事前に知識を貰っていたセシリアでさえこうなのだ。
特にカイトの場合、女性が男性に変わっている分、心理的な抵抗感が大きい可能性もある。
だとすれば何も考えもせず、気に障る事を言ってしまったかもしれないと肩を落とした。
「考え過ぎだっての。お前を探すのに夢中だったから混乱する暇もなかったしな。それに、予備知識がなかったわけじゃない。絵を描くのに情報を集めて調べたりもしたからさ」
カイトは申し訳なさそうに俯いたセシリアの肩に片手を乗せ、気にするなと諭しつつもう片方の手で慰めるように柔らかな髪を撫でる。
「それにこの身体もまんざらじゃないしな。いろいろ楽しいぞ?」
上目使いで窺ったカイトは楽しそうな笑顔を浮かべていて、翳りらしきものは見つけられなかった。
初めは年下の自分に気を使わせまいとしてくれているのかと思っていたセシリアだったが、どうもそんな様子すらない。
まさか本当にこの状況を楽しんでいるのだろうか。
だとしたらポジティブにも程があると考えた時、ある嫌な予感が一つ湧き上がってきた。
確かめるべきなのだろうか。でも知らない方が良い事もある。戸惑いから表情をめまぐるしく変えるセシリアをよそに、カイトは躊躇う事なく全てを暴露し始める。
「折角男の身体になったんだから少しは楽しまないと。ルームメイトは全員男、俺も男、まさにリアルBLゲー世界! しかも主人公は俺!」
まさにひゃっほう! と飛び上がりそうなくらい浮かれて笑っている姿は途方もなく幸せそうだった。
ネナベである事実をカイトが自ら言うはずもない。この世界の"彼女"は"カイト"なのだ。
今までのカイトはリアルの彼女が作り出した幻影、実態を持たない絵と設定に過ぎなかったが、この世界では違う。
もはや妄想を絵にする間接的な表現など必要ない。思う存分趣味と言う性癖を発揮できる環境にある。
「何をした……」
引き攣った表情で身体を強張らせたセシリアに、カイトは満面の笑みを浮かべて、決まっているだろうと叫ぶ。
「攻略さ!」
個室になる前はカイトと一緒だったルームメイトが居た筈である。
彼らに何があったのかは想像したくなかった。
ゲームからの転移者はアバターを引き継いでいる分、ルックスがそう悪くないのも災いしたのだろう。
「つーか難易度高杉修正汁! 寝起きイベント、朝食イベント、風呂イベントまでこなしたのに脈なしどころか逃げられたんですけど! 他の奴等に声かけてもなんか避けられるしもうなんなの!?」
並べられたイベントと内容を想像したセシリアが狙われた訳でもないのに恐怖で凍りつく。
男の身体を手に入れたカイトは自らの望む世界を構築すべく奮闘した。
今までのゲームの経験を使って4人のルームメイトを落としに掛かったのだろう。その結果が今の擬似的な個室なのだ。
「つまり戦績は4戦4敗と……」
どうにか声を絞り出したセシリアに、カイトが不服そうな顔をする。
「違う。正確には11戦10敗1分けだ」
「それはそれは……ご愁傷様です……」
勿論カイトにではなく、迫られた11人の犠牲者に向けた言葉だ。
女性に変わったことを割りきれていないセシリアだったが、この時ばかりは男じゃなくて良かったと心の底から思った。
「ちなみにその1分けって何?」
「それから顔を合してないから返事を聞いてない」
「それは避けられてるだけだから!」
精神的な意味でこの話題は続けない方が良いと思ったセシリアがさっくりと話題を切り替える。
「風呂イベントって言ってたけど。あぁ、うん、内容はどうでもいいの。言うな、話すな、喋るな! 聞きたいのはお屋敷だけにお風呂があったりするのかって所だけ!」
嬉々として何をしたか話そうとするカイトを気迫で黙らせる。不服そうな視線を投げかけられたが「ある」と頷いた。
「元はなかったんだけどな、マスタースミスが集まって作ったらしいぞ。完成した時には何人もがむせび泣いたとか何とか」
気持ちは分からなくもない。
お湯で身体を拭くだけでも意外とさっぱりするけれど、やはりどこか物足りない。
森の中の泉で身体と髪を洗った事もあるが冷たすぎて苦行のレベルだった。とてもリラックスは見込めない。
やはり日本人としては身に染みわたる熱い湯に浸かりたいのだ。
「それっていつでも入れるの?」
「入れるけどお前は女湯になるぞ? 平気か?」
「あー……。一回相談してからじゃないと問題になりそう。うぅ……」
同じ部屋で寝泊まりしてもいいと言われたが、流石に裸の付き合いが必要になるお風呂まで一緒でいいとは思えない。
1日のどこかで30分くらい、セシリアが使ってもいい時間を設定してもらう必要がある。
「後でケインに相談してみる。とりあえずカイトの部屋が空いてるなら案内して。誰か戻って来そうなら宿屋に行くから」
この屋敷と宿屋を行き来するのも面倒だし、眠っている時はどうしても無防備にならざるを得ない。その点、カイトが傍に居てくれれば少しは安全になるはずだ。
誰も居ないというなら遠慮する必要はなさそうだし、誰かが戻ってくるとも思えない。
「そうだな、戻って来るなら部屋は愛の巣になりそうだしな」
「そうだね……。その時はもう勝手にすればいいと思うよ……」
ありえないだろうなと思いつつ、セシリアは適当に相槌を打った。
カイトに案内された部屋は南向きの窓が2つ備え付けられていて、落ち着いたブラウンのドレープカーテンが風でひらひらと揺れ動き、隙間から外の陽光が漏れ射しこんでくる、それなりに上等な部屋だった。流石は元お屋敷といった所か。
材質は殆どが木材だが、床には落ち着いたブラウンの絨毯まで敷かれている。
元は客間だったのだろうか。大きな木製のベッドが2つ、窓の脇に備え付けられていた。きちんと掃除が行き届いていてシーツも白く清潔感に溢れている。
「じゃあ私はちょっと寝るから」
一昨日はプレイヤーの怒りをどう抑えるか、昨日はギルドとどう付き合うかを考えて、セシリアはこの2日間殆ど休眠を取っていない。
それでなくとも当初は敵地といえるこの場所で常に緊張を強いられてきたのだ。心休まる暇などあるはずもなく、疲労は限界に近かった。
事態が一応の解決を見せた事も手伝って、どうにか堪えていた眠気や疲労がどっと噴き出してきていたセシリアは吸い込まれるように片方のベッドへ倒れこむ。
「うわ、ふかふかだし。現代で使ってるのより上等かも」
ごろごろと転がりながら具合を確かめている姿が外見通りの年相応な行為に見えてカイトが苦笑を漏らす。
「そっちは俺が使ってる奴だぞ」
「んー、確かにカイトの匂いがする」
だが既に睡眠モードにはいっているのか、返ってきたのは生返事だ。もぞもぞと掛け布団を被ると丸くなって目を閉じる。
「っておい、せめて着替えてから寝ろ! 皺になるぞ!」
セシリアが来ているドレスはやたら生地とフリルとレースが多い少女趣味を体現したような物で、そのまま寝れば考えるまでもなく悲惨な結果になるだろう。
完全に寝入る前に無理やり揺り起こされ、みるからに機嫌は悪そうだったが、着ていた服を乱雑に脱ぎ散らかすと再び布団を被る。
「そのままかよ……てか寝巻くらい着ろよ……」
頭まで布団を被っているのは起こすな、話しかけるなと言う意思表示だろう。
散らばった、まだ温もりの残っている服を仕方なく拾い集めるとヨレないように気をつけてクローゼットの中へしまった。
片付け終えたカイトがふとセシリアを見ると、布団を被ったままでは寝苦しいのか小さな顔は外に出されている。
文句のひとつでも言ってやろうかと顔を覗き込んだ時には夢の住人と化して、穏やかな呼吸を繰り返していた。