自由の翼-5-
「ところでさ、このギルドってカイトから見てどう思う?」
セシリアにとって一番気になるのは、ここがどういう場所で信用に値するのかどうかだ。
カイトがずっと所属しているのなら一定の信頼を寄せてもいいけれど、村での一件もある。
「そうだな……。マジで自由って感じだよ。これがフリーダムって奴だな」
確かに開放的な印象は受けるが、抽象的過ぎて何が言いたいのかよく分からない。もう一度深く尋ねると困った顔をした。
「実は頻繁に外に出てるから詳しくないんだよ。俺って狩組だし」
「狩組?」
「そ。モンスターと戦う依頼系の仕事をしてる奴等をそう呼んでるんだ」
自由の翼のギルドメンバーは提示する仕事の内、どれか一つ以上を受けなければならない。
カイトが選んだのは狩組と呼ばれる、依頼を受けて報酬を貰う仕事だった。
盾役はモンスターの特性やヘイト管理に一番気を使い、適時指示を出す司令塔になる事が多い。
レベルも高く色々なモンスターとの戦闘経験がある彼はまさに適任だろう。豊富な盾スキルは味方を守る事も敵を倒すことも出来る。
「そっか、守護者として頑張ってるんだね」
まさにカイトが選んだ職業の名前どおりだとセシリアは小さく笑った。
「まぁな。だからあんまり内情とか詳しくないんだよ。最近忙しくなるばかりだし。あぁ、でもケインは良い奴だよ。あれは本当に表裏がない理想家だな」
カイトの人を見る目は確かだ。セシリアもケインが悪い人だとは思っていない。
ネカマをしているとどうしても人の裏ばかりを勘ぐってしまうが、ケインは幾ら勘ぐっても嫌な部分が殆ど見えなかった。
「でも甘いよね」
率直な一言にカイトが噴き出した。彼も同じ印象を抱いていたからだ。
「だから良いんだよ。このギルドがこうして成り立っているのはあの緩さがあってだろうさ」
ギルドは普通、同じような趣味や嗜好を持つプレイヤーが集まって作るものだ。
でも自由の翼はそれがないように思える。だからこそ、カイトは自由度の高い場所であると告げた。
「とりあえず、明日ケインから詳しい話が聞けるみたいだから。もう少し自分で確かめてみる」
カイトが退くのを待ってから身を起こすと、固い床で寝かされたせいか所々が傷んだ。
立ち上がって目いっぱい身体を伸ばすと小さくお腹がなる。
「とりあえずお腹空いたし、何か食べない?」
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翌日、セシリアは再びケインの元を訪れた。
てっきり複数人が待ち構えているのかと思いきや、普段の部屋には彼一人しかおらず、どこか心寂しげな印象を受ける。
訝しげに思いつつも朝の挨拶をどちらともなくかわしてから、勧められるままに椅子へ腰かけた。
「本当は大人数で歓迎したいところなんだけど、色々と忙しくてね。朝早くから出かけてしまっているんだ。一人二人の日もそう珍しくないんだよ」
不安げに周りを見回すセシリアの心中を察してか、申し訳なさそうに言った。
「初めから決まっていたような物だったんだけど、一応何か大きな物事を決める時は会議で多数決を取る事に決まっているんだ。君の加入は満場一致で可決されたよ。禍根を危険視していた人も居たが昨日のあれを見て問題ないと判断したようだ」
ギルドはマスターがひとりであれこれ決めていることも多いのだが、これだけ大所帯になるとワンマン運営は難しいのだろう。
ケインにしても、何から何まで自分ひとりで決めて引っ張っていくような人柄をしていない。
周りの意見を聞いて尊重し、決を採るのは彼らしいとさえ思えたが一抹の不安も感じた。
「……その多数決は、絶対ですか? 例えばケインさんが抵抗すれば反対多数でも賛成に可決できたり」
「まさか。みんなの意見を無下にはできない。そんな事はしないし、そんなルールもないよ」
多数決であっても、最終的な決定はケインに委ねられるべきではないのか。結果を覆す権限があってもいいのではないのか。
セシリアからすればギルドのマスターとしてこの程度の権利はあってしかるべきだと思っていた。
だがケインはいとも簡単に、あっさりと否定してみせる。さも当然だと言いたげだ。
胸にもやもやを抱えつつもマスターとして決めたのであれば何も言えることはなく先を促す。
「でも何より先に謝らなければならない事がある」
ケインの申し訳そうな表情を見るのはこれで何度目だろうか。
マスターとしての威厳は殆ど感じないが人としての温かさは人一倍溢れている。
そんな彼にこれまでよりずっと深刻そうな顔を向けられたセシリアも感化され何事かと訝しんだ。
「ユウトが随分と強引な方法で君を引っ張ってきたと聞いたよ。すまなかった。あの子はまだ子ども、なんていうのは言い訳にはならないけど、目的の為に手段を省略するきらいがあるんだ。本人も反省していたし、もう二度とこんな事がないようにするよ」
「確か、12歳でしたっけ。リアルでは」
World's End Onlineに年齢制限はないが、ゲーム内で1、2位を争うほどの低年齢層であることは間違いない。
その割には礼儀正しく、どこかズレている親と掛け合いをする姿は漫才の様で時々話題にも上がる。
子どもならではの発想と言うべきか、目的の為に段階をすっ飛ばす事はあるものの頭だって悪くない。
「村に君がいるのではないかという話は僕にもすぐに来たんだ。本当はもっと穏便に済ますはずだったんだよ」
村人が手配人を連れてきてセシリアに反応を示した後、ユウトはすぐにケインの元へ走って事情を伝えた。
それを聞いたケインは村人を説得。
この前の丁寧な印象と切実な様子からひとまず村に行き、会う前にセシリアの意志を聞いた後、彼女が快い返事をすれば村人立会いの下で話し合いの場を設ける運びとなった。
元からギルドに説得へ赴ける人材が少なかった事もあって、強く希望したユウトと親方が朝早い内に村へ戻る事になる。
そこでまた詳細をつめた後、セシリアが起き出した頃に話を通して断られたら素直に帰る手筈だった。
問題はセシリアがリリーとの約束を果たす為に早い時間から起きだして料理に勤しんでいた事。
早朝の村はまだ静まり返っていて到着の騒音が目立ちすぎた事。
セシリアが2人を見て迷うことなくポータルゲートを使った事。
逃げられてはたまらないと、ユウトが咄嗟に止めようとした事。
「君が逃げ出してからこれだけの時間が経っているんだ。もう見つかる可能性は殆どないと思っていた。支援不足は深刻でね、その雰囲気が彼を焦らせて、あんな行動を取らせてしまったんだと思う。本当はすぐに村へ向かわず手紙を使うなり、接触の方法は別にあったはずなんだ。焦って手を早めてしまった僕に全ての責任がある。すまなかった」
そう言ってもう一度深々と頭を下げた。
「もうそれはいいですから。気にしてません」
セシリアはそんなケインに向かって穏やかに微笑むと顔をあげさせる。
別にユウトの一連の行動を恨んでいるわけではないし、村人の安全が保障されるのであれば不服もない。
そもそも、こんな異世界に来て互いに必死なのだ。ありとあらゆる策を巡らすのは当然とさえ思っている。
セシリアだってこれまで何度も打算と計算で人を動かしてきた。他人に同じ事をされた所で文句を言える立場にはないのだ。
恨んでいる無駄な時間があるのならその状況をどうやって覆すか考える時間に割いた方がよほど有意義といえる。
寧ろ、自分を止める為に最善とも言える手をあの一瞬でよく考え付き実行に移せたものだと感心してさえいた。
これもまた、子どもながらの後先考えない我武者羅さのおかげだろう。
が、勿論そんな考えを言葉に変える必要はない。
ケインはセシリアの言葉と笑みが懐の深さから来るものと勘違いしたようで感動さえ滲ませていた。
「事前に会議で加入について検討するなんて偉そうな話だけど、できればこのギルドに加入して欲しいと思ってる。勿論強制はしないし、加入せずともメンバーのみんなには君に手を出さないよう言い聞かせるつもりだから安心して欲しい。どうかな?」
ケインの控えめな言葉に、セシリアは内心驚いた。
和解の場のセッティングを加入条件に提示した段階で、もう加入した事になっているかと思っていたが自由に選んでいいらしい。
もしギルドに悪意があるなら、この言葉の真意は何だろうか。加入しないといったら村を襲う?
カードを切るタイミングにしては早すぎる上に無駄としか思えない。無言の圧力にしては脅しが薄い。
……多分、ケインは本当に善意でしか動いていないのだ。相手の行動を策略で制限するとか、取引を持ちかけるとか、そういう後ろめたい事情を一切持とうとしない。
「分かりました。加入します」
間を空けたセシリアの返事にケインは心の底から嬉しそうに笑った。
思わず椅子から立ち上がりセシリアの手を握る姿は、今すぐに小躍りし始めてもおかしくない。
だがすぐに自分が失礼な事をしていると気付いたのだろう。やや頬を赤く染めると照れた隠しに咳払いをしてから椅子に座る。
「ありがとう! これで今日から正式な自由の翼の一員だ。さしあたって面倒だとは思うがギルドのルールがあるんだ。一応聞いてくれるかな」
といっても、それほど細かなルールがある訳ではないと、威圧感を与えない様に肩を竦めて見せた。
一つ目。プレイヤー同士での争いを禁じる。ただし相手から攻撃され、やむを得ない防衛についてはその限りではない。
二つ目。ギルドに所属するプレイヤーは何らかの仕事を請け負う事。これはいつでも変更して良いし、常識的な範囲であれば休息を取っても構わない。
三つ目。ギルドに所属するプレイヤーは皆が平等であり、対等である。
「これ以外は都度話し合いで決める事になっている。何か質問はあるかい?」
穏やかに微笑んでみせるケインに対し、少し時間を貰ってルールを頭の中で整理する。別に不審なところがある訳ではない。寧ろよくこんな大雑把なルールで集団が纏まっているなと感心さえする。
「……最後の、プレイヤーは皆が平等である、という意味はなんです?」
「レベルの違いで溝ができない様にと思ったんだけど、考え違いだったみたいだ。寧ろ高レベルプレイヤーほど積極的に低レベルプレイヤーに話しかけてくれている」
高レベルプレイヤーが低レベルプレイヤーを見下したり、逆に低レベルプレイヤーが羨んだり、互いのレベル差が何らかの軋轢を生み出してしまうのではないか。
確かに低レベルのプレイヤーを悪く言う人もいるが、高レベルのプレイヤーには面倒見がいい人も多いのだ。
レベルが上がりにくくなった彼等が、休憩を兼ねた低レベルプレイヤーのレベリングを手伝う光景はよく見かける。
それがこのギルドでもいい具合に働いているのかもしれない。
「そういえば、このギルドにはどのくらいの人が居るんでしょうか」
プレイヤーの関係について内心で不安を感じるものの、どうにかできる問題ではない。
セシリアはひとまず胸の内に留めることにして先を促す事にした。
「500人弱だよ。結構な大所帯だろう?」
「そ、そんなにですか……」
500人と聞いてさしものセシリアも驚きに口を開ける。
屋敷の中でプレイヤーとすれ違う事はよくあったが、まさかそれ程大量のプレイヤーが居るとは思っていなかった。
「今の時間は街に出ている人が多いからね。皆にふるまう食材の購入に情報の収集。本当に助かってるよ」
そういえば仕事の中には家事全般、料理も含まれていたと思い出す。この世界の食材事情には彼らの方が明るくなっているはずだ。
機会があれば聞いてみるのも良いかもしれない。
「そういえば、食事も自炊しているんですね。それはコスト削減の為に?」
前にリュミエールに居た時は何かを食べる余裕なんて全くなかったが、昨日暇になった時間帯にカイトと歩き回ってみれば思った以上に飲食店が多かった。
露店を構えて街頭販売する人もいれば、テラスでお茶らしき物と何かの焼き菓子を食べる婦人もいたし、レストランのような物もそこかしこで開店している。
どうもこの街では自炊よりも外食の方が一般的らしい。値段も実にリーズナブルで、少人数なら食材を買って作るのと同じくらいの値段で食べられる。
「確かにこれだけの人数の食費となると馬鹿にならない額になるからね。でもそれ以上に、この街の食べ物は僕らにとって危険なんだ」
危険、と言う言葉にセシリアが疑問符を浮かべた。味が合わなかったりするのだろうか。
でもリリーの作った料理は大味ではあるもののとても美味しかった。
「何ていえばいいのか。現代の日本人は異常なほど綺麗好きなんだよ。この世界と比べるとね」
彼にしては珍しい、どこかどんよりとした物言いである。
「……なるほど。衛生観念がまだ発達していないんですね」
「いやはや、参ったね」
ケインが肩を竦めて悩ましげな顔をしていた。
当初この街に辿りついたプレイヤーは自炊をせず飲食店で食事を済ませていたのだが、腹痛や下痢と言った体調不良に悩まされる者が続出した。
幸い見つけたクレリックが解毒魔法である【アンチポイズン】を覚えていたから事なきを得たが、場合によっては重篤な病気にまで発展したかもしれない。
水が合わないのか、食材が合わないのか。
どちらにせよ食事が出来ないのは致命的で、一部のプレイヤーが調査に乗り出す事になったのだが、結果は凄惨たる物だったという。
「日本みたいな洗剤はないし、食器を入念に洗ったりもしないみたいなんだ。殆ど水をくぐらせるだけと言うか……。その水にしてもかなり色が変わるまで交換していない。それに、とあるレストランでは残飯の再処理までしていてね。僕らからすれば考えられないがこの世界にとっては常識らしい」
残飯の再処理。要するに客の食べ残しをスープや包み焼などの具にする事で廃棄せずに無駄を省くのだ。
別に珍しい事ではない。元の世界の歴史を紐解けば残飯の再利用は極当たり前に行われていた。といっても、数世紀も前の話になるが。
街並みから見てもこの世界が元の世界と同じ技術水準にあるとは思えない。精々が14か15世紀と言った所か。
上下水道すら完備されていないのでは衛生観念が発達するのにまだまだ時間が必要だろう。
とはいえ、プレイヤーからしてみれば元の世界で過去に同様の事例があろうが、衛生観念の発展に時間が必要だろうが関係ない。
再処理という言葉を聴いてセシリアの背筋を怖気が這い登る。
「昨日……カイトと外で食べたんですけど」
「腹痛や下痢といった体調不良がなければ大丈夫だよ。彼もこの事実は知っているだろうから、安全なお店を選んだんじゃないかな」
いくらロールプレイをしていたところでカイトの本質は女性だ。変な場所は選んでいないと思うしかない。
誰かの食べ残しを知らずの内に食べさせられていたなんて考えたくもなかった。
プレイヤーが自炊という最低限安心できる食事を望んだのは当然の帰結と言えよう。
「自炊は最低限の自衛でもあるんだよ。幸い料理ができる人もそこそこ居てね。毎日美味しい物を作ってもらってるよ。食材に関しては農薬自体が開発されていないみたいだから日本よりも安全なんじゃないかな。元の世界の作物が何一つないのは寂しいけどね」
「食べ歩きを楽しみたいと思っていましたが、止めておいた方が無難ですね……」
「はは……。アンチポイズンかピュリファイがあるなら自滅覚悟で試しても良いとは思うけど、お勧めはしないかな」
美味しいお店もあったんだけど、と残念そうに笑うケインだったが、セシリアにそこまでの覚悟はなかった。
「それから、君の仕事に関してだけど……」
ケインは一旦そこで言葉を切って言い難そうに口ごもる。
「討伐に参加して欲しいんですね」
「……すまない。強制はしたくないんだが、君を望む声は大きいんだ。できれば一緒に戦ってほしいと思ってる」
元々彼らがセシリアを探していたのは討伐に参加してくれそうな高レベルの支援職を必要としたからだ。
ここで家事をしたいと申し出ても顔を顰められるだろう。反感を買うに決まっている。
「戦闘できる人は全部で何人くらいいるんですか?」
「43人だよ。最低5人の班を8個作って個別に動かしている。何があるか分からないから最低2班は必ずこの街で待機。どうしても遠征になってしまうから休憩も兼ねてね。生産職も同じくらいで家事全般をしてもらっているのが200人前後、後は調査を担当してもらってる」
やっぱりか、と内心嘆息せずにはいられなかった。
500人以上のプレイヤーが居ると言うのに、報酬を得られる仕事をしているのが1割にも満たないと言うのはあまりにも少ない。
理由は考えるまでもないだろう。システム的な保護のないこの世界でモンスターと戦うのが怖いのだ。
殴られれば痛いし斬られればもっと痛い。
現代の野生動物より遥かに強いモンスター相手に剣や魔法で挑みかからねばならない恐怖はセシリアも知る所だ。
オークに襲われて激痛に悶えていた時、フィアが助けてくれなければあのまま物言わぬ骸になっていたかもしれない。
「みなさん高レベルなんですか?」
「いや、そうとも限らない。最上位職が10人、上位職が25人。基本職も8人いるよ」
「その中に支援職は?」
「クレリックが3人、プリーストが1人だけ。城塞都市アセリアに移動する話が出た時に高レベルプレイヤーが殆どの支援を引っ張って行ってしまってね。……おっと、この言い方は非難がましいか。誰にも彼らの行動を責める権利はないからね」
アセリアに行こうとしたプレイヤーは街が広がったのを見て、当然フィールドも広がったと考えた筈だ。
道中何があるか分からない。HPだけでなく状態異常も回復できる支援は絶対に確保したい。
リュミエールの位置情報を記録しておけば迷ったりしても最悪ここには帰ってこれる帰還手段にもなる。
ゲーム内よりもなお壮絶な支援の取り合いが起こったのは想像するまでもない。
支援プレイヤーにしても情報量の少ないリュミエールより廃人に守られつつアセリアを目指した方が後々の為になると判断するはずだ。
なにせ、ポータルゲートがある限りリュミエールへは自由に帰れるのだから。
8班に対し支援職は4人。内3人はクレリック。このゲームの仕様を考えるに、クレリックのレベルは高くても60前後、プリーストでも80程度だろう。
プリーストは中程度のレベルと言っていいが、クレリックは少々心許ない。まだ初級者段階だ。
「他に支援はいないんですか?」
「居る事は居るよ。プリーストが1人とクレリックが2人。でも彼らは戦うのを怖がっている」
今の4人を誘うのでさえ相当苦労したのだ、とケインは疲労を滲ませた顔で告げる。
「それにこの街にも治療できる人材を置いておく必要があるからね」
現代の様な高度な医療設備がないのだ。病気になった時は魔法の力に頼るしかない。そんな時、支援職ほど心強い存在はなかった。
「正直言って討伐に参加してもらっている支援の人達にはかなりの負担を強いている状況なんだ。特にプリーストの彼はほぼ毎回、休みなく外へ出ている。彼は構わないと言ってくれているけれど、一度精神的な疲労で倒れてしまったんだ。その時一緒に討伐へ出ていたのがユウトなんだよ。プリーストの彼は子ども好きで、ユウトも懐いていただけにかなり強いショックを受けていた。あんな事はもうごめんだから今は休憩をしっかり取らせているけれど、支援の枠は空白になりがちになってる」
支援は元から献身的な人が多い。危険な役回りをサポートする為に無理をしてしまったのだろう。
ユウトが支援の確保に必死になっていたのはそういう事情があったからに違いない。
仲のいい相手が倒れたとなれば、多少の無理を通したとしても交代できる支援を欲しがったはずだ。
「そうまでして討伐をこなし続けなければ支えられないのですか?」
500人は確かに膨大だろう。
けれど製造職のプレイヤーを合わせれば100近い人数が利益を生み出せるはずだ。
どの程度の金額が必要なのかはいまいち想像できなかったが、依頼を片端から受け続けなければならないほど逼迫しているのだろうか。
「百聞は一見に如かずというし、これを見てもらったほうが早いかな」
ケインが差し出したのは数枚の紙束だった。魔法が発達して書物を作る関係か、紙質は異様なほど良い。
1枚目はこれまでの収支計算。2枚目以降は街で出ている依頼の概要と報酬が纏められていた。
依頼は思ったよりも沢山あるようだ。
大部分がアイテムの素材を求めるもので、コートの材料になるフォレスト・ラビットの毛皮を集めて欲しいとか、料理に使う香辛料が森の中の木から取れるから取ってきて欲しいとか、難易度は高くないのだが、報酬も大した物ではなかった。
一人で暮らしていくには十分な報酬を得られるかもしれないが、500人を養える金額にはならない。
難しい顔をしながら依頼のリストを捲っていたセシリアだったが、とあるページに差し掛かるなりハッとなり何度も確認しなおす。
「これ、ミスですか?」
セシリアが指差したのは最近オークが近場に集落を作っているからどうにか追い払えないかという依頼だった。
これまでの依頼の難易度より高いとは言え、火力職のプレイヤーにとってはそう難しくないだろう。
「いや。僕も驚いて確認したんだけどね。それはミスじゃない」
「でもこれ、報酬の桁がかなり違うんですけど……」
過剰と言っても良い報酬だった。リアルなら詐欺を疑っても良い。だがケインは一縷の望みをかけてこの依頼を受けた。
その結果は収支報告書に大きく載せられている。依頼は詐欺ではなく、あっけないくらい簡単に報酬が支払われた。
その上、翌日には同じような内容の依頼が2件も出されている。
「天の助けだと思ったね。ギルドの誰もが歓喜したよ」
この報酬額なら他の依頼を受けなくとも簡単に500人を養えてしまうのではないかとさえ思えた。
なら、どうして今はプリーストが倒れるくらいの過剰な依頼をこなしているのか。
収支報告書にはその理由も大きく書かれている。
「依頼件数は増えているのに後になるにつれて単価が下がってますね……」
依頼はこなせばこなすほど件数が増えたようだ。
だというのに、支払われる報酬は値下がりの一途を辿って、今では最盛期の20%を切っている。
「……受けすぎましたか」
「どうやらそのようだよ。調子に乗ってしまった」
需要と供給。経済の基本だ。今までは恐ろしいモンスターの討伐依頼を受けてくれる人が殆どいなかったのだろう。
けれど、自由の翼は生きる糧を得る為に何度も割の良い依頼を受け続け、依頼者にもう少し報酬額を下げても受けてくれるのではないかと思われた。
多少報酬が下がった所で500人分の糧を稼ぐには依頼を受け続けるしかない。自由の翼にとっては一方的に不利な条件を突きつけられ続けたわけだ。
「今は値下がりも止まっている。恐らく、これ以上下げたら僕らが受けなくなると思ったんだろうね。実際、これ以上値下がりが続くようなら暫く依頼を受けないでみようかと議題にも上がっていたんだ。今は僕らがフル稼働してどうにか現状を維持できる、そんな所かな」
直接掛け合おうにも依頼者の名前は全て別人で、仕事を斡旋している施設でも依頼者の素性は明かせないのだと突っぱねられてしまっていた。
随分と交渉上手な依頼者なのだろう。
となれば残る頼みの綱は製造職の製造スキルだ。
上質な服や武器、薬品を生み出し売却すればかなりの金額を稼げるのではないか。
だが収支報告書を見る限り、大きな儲けは出していない。寧ろ材料費で赤字を出している。
「これはどういうことです……?」
「簡単な話さ。確かに製造職が強力な武器や上質な防具を作れたならかなりの金額を稼げる筈だった。でも製造スキルを使うには素材が必要になる。上質な物を作るならよりランクの高い素材が大量に要る。けど、肝心の素材は倉庫の中で取り出せない。かといって、この世界でランクの高い素材を集めるのはリスクが高すぎるんだ」
素材アイテムは鉱石や毛皮、綿毛やら繊維、時には木材など意外と重量が大きいのが基本だ。だから製造する時以外は倉庫に入れて貯めておく。
製造スキルだけがあっても意味はない。無から有は作り出せないのだ。
かといって街の中で手に入る金属や繊維で作ったとしても高価なアイテムにはならない。
素材の為に遠征して高難易度のダンジョンに潜るのは自殺行為だろう。
アルケミストは戦闘に役立つ回復薬やサポートアイテムを狩組の為に作ったり、マスタースミスは同じく狩組の武器や防具の補修をするので精一杯だった。
「この状況はギルドのみんなが知っているのです?」
蓋を開けてみれば危ない橋をどうにか渡っている状況である。
「……中々痛い所ばかり気付くね。資金は問題ないとしか話してないよ。無用な混乱を招きたくないんだ。いざとなったら装備を手放すか、この屋敷を担保にお金を引っ張ってくるつもりだしね」
プレイヤーの心の拠り所はこの自由の翼だけだ。それが崩壊の危機にあると知ったならどうなるか。
みんなで力を合わせて苦難を乗り越えようとなればいいが、そうなる保証はない。
ケインもそのリスクは肌で感じ取っているのだろう。お人好しではあるものの、決して楽天家ではない性格からして、リアルでは人を牽引する役職についていたのかもしれない。
「状況は分かりました。戦闘には参加します。ですが、1つだけいいですか?」
「勿論。何でも聞いてくれ」
セシリアが頷いてくれた事でケインが安堵を浮かべているが、どこか暗い影が浮かんでいる。
プリーストが倒れてしまった事にショックを受けたのは何もユウトだけではない。
ケインもマスターとして大きな責任と後悔を抱え込んだはずだ。
ギルドマスターとして支援不足はどうにかしなければならない問題でもある。強引なやり口で戦闘に参加させてしまった事を後悔しているのだろう。
「どうして私にここまで話したのです? これ、ギルドの弱点ですよね。私が悪者なら潰されますよ」
気付けば辛辣な言葉が勝手に漏れていた。
「随分と失礼な真似をして連れてきてしまったからね。僕らが君を信用している証を見せたいと思ったのと、僕らの弱点を晒す事で立場を対等にしたくもある」
思わず叫びたくなった衝動をセシリアがどうにか抑えられたのは偶然だろう。
ケインがこういう性格なのはセシリアとて分かっていた。正直やりにくいと内心で嘆息する。
「他のプレイヤーもモンスターとの戦闘に慣れさせるべきです。本来、この世界で頼りになるのは自分の力だけなんだと思います。いきなりアクティブモンスターと戦えとは言いません。ノンアクティブモンスターでも、いいえ、この街から出てプレイヤー同士で演習するだけでも十分経験になると思います」
だからか、勝手に口にする予定のなかった提案がするすると流れた。
ケインは肘をついて組んだ両手の上に額を乗せると暫くの間じっと考え込んでいたが、やがてゆるゆると顔を上げ疲れたように笑う。
「そう、だね。一度議題として提案してみるよ」
今はどういう理由か割のいい討伐の依頼が増えているが、今後減るようなことがあれば運営が立ち行かなくなるかもしれない。
そうなる前に戦えるプレイヤーを増やし、一般的な依頼を大量にこなせる基盤を作る必要がある。
或いは依頼に頼らずモンスターを狩る事で得られる毛皮や肉、特殊な鉱石といった換金できそうなアイテムを稼いでもいい。
少なくとも討伐の依頼が減ったりすれば今の人数で500人を養うのは不可能だ。
ケインもそれは分かっているようだったが、戦えと強制することは出来なかったのだろう。
だがいつかは変わらなければならない。
その為の第一歩として、安全な街の外に出てみてはどうか。簡単な演習をしてはどうか。戦う事に少しずつでも良いから慣れてみてはどうか。
それがセシリアの提案だった。