自由の翼-4-
「そういえばさ、金貨100枚の手配書がこのギルドから出てて、私の保護を考えてくれていたとしたら、どうしてあの時教えてくれなかったの?」
種明かしが終わった後も2人は部屋の隅で身を寄せ合って何となく雑談を続けていた。
正直に言えば、さっきのすぐ後で人前に姿を晒すのは怖かったというのもある。
「そうは言うけどな。金貨100枚で探してます、見つけても保護するだけです、なんて言われて信用できるか?」
「うん、無理」
考えるまでもなく即答した。何もしないと言っている相手が一番危ないのは常識だろう。
ましてあんな事があったすぐ後だ。意図を考えた所で疑心暗鬼に陥っていたのでは悪い想像しか思い浮かべられない。
「それに、あの時はお前を探すのに必死でギルドとは深く関わってなかったんだ。本格的に関わるようになったのはお前を逃がした後なんだよ。だからこの手配書がどういう意図で配られたのか考える余裕もなかった」
「うん、あの時は正直助かった」
カイトは必死でセシリアを捜索していて他の事にかまけている暇はなかったのだ。
初めにギルドに出向いたのも情報が欲しかっただけで、協力する為ではない。
あの時はプレイヤーの少ない外の街へ逃がすのが最も身の安全を確保できる選択だったろう。
「ここがそれなりには信頼できそうな場所だって判断した後、お前が向かった隣の街を探したけど全然見つからねぇし、何かあったのかと心配してたんだぞ」
村に向かおうと思いついたのは歩き始めてからで、カイトには伝えていなかった。
隣の街をせっせと捜索した所で見つかるはずがない。
無事だったことに安堵してか、カイトは珍しく優しい笑顔を作るとセシリアの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でまわす。
「また子ども扱いを……」
ほんの少しだけむくれてからそっぽを向く分かりやすい態度にカイトがからからと笑った。
「まだまだ子どもだろ。悔しかったら酒を飲める年齢になってみろ」
この世界では飲めると返してやろうかと思ったセシリアだったが、嬉々として大量の酒を飲まされ潰さる未来が脳裏をよぎり、慌てて口をつぐむ。
「カイトだって飲めるようになってそんなに経ってないでしょ」
「飲める事実が大事なんだよ」
「わけわかんないよ」
勿論、これは現実世界での話だ。現実のカイトの年齢は22、対してセシリアはまだ18で飲酒は出来ない。
ゲーム内でリアルの話をするのはある意味ノーマナーではあるのだが、そこは互いにリアルを知る仲だ。躊躇う必要なんてない。
「なんか久しぶりにリアルの話題が出た気がする」
ここ暫くはずっと異世界の生活を満喫していたからか、元の世界を思い出すのは懐かしい。
「もうその身体には慣れたのか?」
「あー、うん。逃げてた時は一心不乱で何も考えなかったけど、村で暮らしてた時は最初大変だったよ。色々と。それはもう色々と。でも諦めるしかないし。少しは慣れたのかなぁ」
ゲーム内のアバターと今の身体は同じに見えてまるで違う。
あれはただの絵を意識した通り動かしていたに過ぎないのだと、この2週間あまりで嫌というほど実感させられた。
アバターは生き物ではないけれど、今のセシリアは紛れもない生き物だ。
疲れたように苦笑して見せるとカイトも同じような表情で笑う。それなりの苦労がカイトにもあったのだろう。
「それで、セシリアはこれからも続けるのか?」
何を? と首を傾げたセシリアを見てカイトの表情が複雑な物に変わる。
「話し方とか態度とか。"セシリア"のままで行くのか?」
―ネカマだと既に知れているのだから、素の自分を表に出してもいいのでは?―
カイトの疑問にセシリアは少し考える素振りを見せたが、すぐに性格を元に戻すつもりはないと首を振る。
「暫くは現状維持。カイトも素は使わないでしょ」
カイトのリアルを知るプレイヤーは数少ないが、彼もまたゲーム内でキャラ用の性格を演じている、いわゆるロールプレイを楽しんでいるプレイヤーだった。
だから今の性格は何から何まで作られた物で、リアルとは似ても似つかない。
「俺の場合これも素の一部だからな。じゃ、セシリアは当分、第三者的に見て"女の子"でいる訳だ」
微妙な言い回しだったが、外から見る限りセシリアの精神が男だと分かる人はいないだろう。
曖昧に頷いてみせると、悪巧みの見え隠れする意地悪そうな笑みを浮かべセシリアに迫る。
「じゃあちょっと遊んでいこうぜ」
何をして? と尋ねるより早く、カイトは無防備な姿で見上げていたセシリアの腕を取ると強引に床へ押し倒した。
「密室の男女でできる遊びなんて一つしかないだろ?」
大した抵抗もなく完全に押さえつけられたセシリアは不思議そうな視線を向けるばかりで暴れる様子はない。
強いて言えばのしかかる体重の重さに少しばかり眉を顰めたくらいか。
「これは一体どういう遊びで?」
とぼけた様な声色は何が起こっているのかを理解していないようにも見えた。
「目の前に可愛い女の子が居たらつい襲いたくなるのが男ってモノだろ?」
意地悪な顔付きを更に意地悪く変え、喉の奥で押し殺した笑い声と共に嘯く。
押さえられている手に力を入れてもセシリアとは体格からして違うのだ。抵抗の気配は少しもなかった。
数センチも離れていない位置から耳に吐息をかけられくすぐったさから身悶えた後、付き合っていられないとばかりに呆れた声を出す。
「なんか今世界一ありえない台詞を聞いた気がする。変な物でも食べた?」
「そうだな、今からつまみ食いでもしようかと思ってる」
「それはつまり、私が変な物だって言いたいの?」
「十分変だろ。普通この状態になったら少しくらい焦らないか?」
数度の応酬を繰り返した後、ちっとも様子の変わらないセシリアにカイトが不満そうな顔をした。
密室で力の敵わない相手に押し倒されている状況はセシリアだって御遠慮願いたいが、今のセシリアは何も恐れることなく平静を保っていた。
理由は一つしかない。
「だって、カイトが私を襲うわけないし」
相手がカイトだから。これがもし他の男ならいつかの場面が脳裏を過ぎって半狂乱になるかもしれない。多分セシリアにとってカイトは唯一の例外人物だろう。
手を出されても良いと思っているわけではない。手を出すはずがないという確信があるからだ。
「それは信用からか?」
恐怖や怯えをまるで感じさせない確信めいた言葉に、さしものカイトも先ほどまでの雰囲気を維持できなくなったようだ。
腕に篭められていた痛いほどの力がすっと弱まる。
今なら全力で暴れれば振りほどけるだろうに、セシリアは何もせず、なすがままの状態で四肢を投げ出している。
「それもあるけど、そもそもカイトはリアル女の子……っていうにはちょっと歳食ってるね。リアルおばさ……」
「22歳のオンナノコにその言い草はないんじゃないの?」
万力で締め付けられたかのような力が加えられると同時に、身体を押し潰しかねない体重がかけられ、セシリアがギブアップとばかりに叫んだ。
「痛いって! 図体ばっかり大きいんだから気をつけてよ!」
流石にやりすぎたと思ったのか、無意識下に篭めてしまった力を抜くが表情は拗ねた子どもの様だった。恨みがましい視線を送る姿は微妙に迫力がある。
「そういうセシリアはリアルでもちびっ子だもんね。私より背の小さい男ってどうなの?」
「これから伸びるんだよ! あとカイトが口調を戻さない理由が分かった。正直きもい」
気にしている事をずかずかと言われたセシリアが反撃とばかりに素に戻ったカイトの口調をあげつらうと両者の視線が空中でぶつかり合う。
そう、リアルのカイトは女性なのだ。22歳の女子大生。しかも親はお金持ちという限られた特権階級。
深窓の令嬢という表現は彼女の為に用意されたのではないかと思うくらい、お淑やかかつ儚げな外見をしている。
身長も女性にしてはかなり高く、170近くもあった。それでいてスタイルまでいいのだから神様は不公平だ。
ふわふわとした笑顔を浮かべ、虫一匹殺せませんオーラを放っているリアルのカイトとセシリアが初めて会ったのは数年前になるが、セシリアは未だに彼女が本当にカイトの中身なのか疑問に思う時もある。
勿論リアルのカイトは今みたいな話し方をしない。
お上品なお嬢様然としていて、性格を作っている時のセシリアそのものだ。
睨み合いにも飽きたのだろう。先に折れたのはカイトだった。
目の前で何一つ疑いもせずに純粋な視線を投げかけてくるセシリアを見て呆れを漏らす。
「……本気で襲っちまおうか。言っとくがこっちの世界の俺は男で、お前は女なんだぞ」
「あべこべだねぇ。入れ替われたらいいのに」
けれどセシリアは苦笑さえ浮かべ冗談を言う。少しもその可能性があるとは思っていないようだった。
「全力でお断りだ。何処の誰に狙われてるか分かったもんじゃない身体なんていらん」
吐き捨てるように告げた言葉は彼の本心だろう。
「その言い方は酷いけど、でもそういうこと。カイトは襲われたいと思わないでしょ。だから絶対私に何かしたりしない」
カイトは元が女性だけあって、男性に迫られる恐怖を知っている。
例え性別が変わったとしても見境なく相手を襲うなんてある筈がない。
「そんなのわかんねぇだろ。この身体になってから夜な夜な柔肌を求めて飢えた狼になってるかもしれねぇぞ」
だが諦めが悪いのか、せめて1度くらいは怯えさせようと全く相手にされていないのに精一杯凄んでみせる。
「飢えた狼って、何それ!」
それがセシリアの琴線に触れたのか、腕を押さえられていなければ腹を抱えて大爆笑しかねないほどの笑いの渦を生み出し、暫くの間けらけらと笑い転げていた。
「そこで笑うのかよ」
渾身の演技で凄んだにも関わらず、怖がられるどころか笑われてカイトのプライドも傷ついたのか、声は少しひねていた。
「ごめ、だってカイトが飢えた狼だったら、狙われるのは可愛い目の"男の子"じゃない? 今でも覚えてるよ。初対面の時にまさかBL談義をされるとは思わなかった」
「いや、だって黙って聞いてたし、興味があるのかと」
「あれは言葉を失ってただけ。リアルの見た目だけは麗しのお嬢様っぽかったし。まさか中身がドロドロに腐ってるとは思わなくて、どう反応していいのか分からなかったの。ギャップ萌えにしてもレベルが高すぎ」
天は二物を与えないという諺がある。カイトと知り合ってから暫く経ってから、セシリアはこの言葉を信じてもいいかもしれないと思った。
リアルのカイトは確かに文句がつけようがないくらい綺麗で、優しいお姉さんといった容姿だというのに、性格はどこまでも深く腐っていた。
笑い声は「う腐腐」である。人類が滅亡しても彼女の欲望だけは遥か未来にも受け継がれるだろう。
特にカイトは新撰組をモチーフにしたBLを好む。
カイトという名前の由来だって一番好きな人物の苗字、沖田(okita)をアナグラムして作り出したものだ。
今の性格にしても、自分で出している同人誌に登場する、ちょっと強引に男の子を誘ってちょめちょめする主人公そのまま。
よって、もし欲望のままに誰かを襲う事があったとしても、女性を襲う事だけはありえないと断言できる自信が悲しくもセシリアにはあった。
カイトという性格は一種のロールプレイングなのであって、その延長上で襲うとしたら男性以外にありえない。
いや、むしろ今の立場を活かして積極的に男性を口説きかねない。セシリアにとってはこちらの方がよほど心配だ。誰かにトラウマを植え付けやしないかという意味で。
「正直この事実に関してだけは私が"セシリア"で良かったって心の底から思ってる」
この世界に来る前、セシリアは本当に偶然カイトのホームページを見つけ、興味本位から覗いて見たのだが、『World's End Online』の世界は彼女の創作意欲を大いに掻き立てた様で、よく一緒にパーティを組むプレイヤーと似た男がカイトとちょめちょめに発展する漫画のサンプルが貼られていた。
腐向けの同人誌としてはそれなりに有名なサークルらしく、某書店で委託販売までされているらしい。
「俺の速度についてこれるか?」「いいぜ、全て受け止めてやるよ」
どうみてもキリエにしか見えない両手剣使いと、どう見てもカイトにしか見えない盾使いが全裸で向かい合う姿を見た瞬間、セシリアは無言のままにブラウザを落とし、何も見なかったと強く言い聞かせたくらいだ。
男性と手を握っただけでも顔を赤らめそうな姿と雰囲気だというのに、その裏では男性同士がナニを握り合う場面を日々妄想しているのがカイトという人物の全てなのだ。
忘れたいと願っていた記憶が走馬灯の様に駆け巡って思わずしんみりと答える。
「でもお前の心は男だろ? なら……」
それでもまだ諦めたくないのかしつこく続けるカイトの台詞を、もういいでしょ、と小さな溜息をついたセシリアが遮る。
「TSした主人公が男と一緒になるのはBLと認めないと熱く語ったのはカイトじゃない。同性と言う壁を乗り越える行為にこそ意味がある、だっけ?」
BLという一つのジャンルでも人によって様々な拘りがあった。
基本なのはキャラのカップリング。同じ攻めと受けでも上下がどっちかなど、議論の点は多いらしい。
強制受講させられた講義の中に、登場人物がTSして異性同士になった場合にBLと定義していいのか熱く語っていた。
セシリアは恐る恐る、精神的には同性同士なんだからBLでいいのではと告げた所、10分以上に渡る大演説が喫茶店に垂れ流される事になった。
身体の性別が異なると心理的抵抗が云々。同性同士の愛には単純な肉体関係を超えた利害のないそれこそ神の愛と言うべきアガペーが云々。
あの時の周りのお客さんの視線は今でも夢に見る事があるくらい、苦い思い出として刻まれていた。
「よく覚えてたな。よしよし、実は興味あるんだろ? 初めは抵抗ある人も多いけど、それは上級者用をいきなり読むからなんだよ。まずは初心者用があるからそれを試し……あぁくそ、この世界に薄い本がないのはどうにかならないか」
苛立たしげに呪詛の文言を際限なくぶつぶつと呟く姿の方がセシリアには恐ろしく、初めて身震いしてみせる。
「こっちの世界まで染めないでよね。とにかく本題に戻って。一体どういうつもりなわけ?」
強引に話題を変えなければ四肢を拘束されたまま延々とBL談義に花を咲かせかねないと危惧したセシリアが有耶無耶にする為に声を荒げる。
カイトもこれ以上脅すつもりもなくなったのだろう。あっさりと芝居を認めた。
「もういいや。全然反応してくれないし」
「私を手玉に取ろうなんて10年くらい早い。で、どういうつもりでこんな真似をしたわけ?」
ようやくカイトがいつもの調子に戻った所でもう一度、今度は促すように尋ねる。
セシリアはカイトが意味もなくこんな馬鹿げた真似をするとは思っていなかった。
「警告だよ。ゲームの"セシリア"はいつも周りに気を配って相手を手玉に取ってただろ。でも、今は全然してない」
カイトの言葉はどこか不満げで、責める様な物言いである。
「本物はそんなに簡単じゃないの。今同じ事をしろって言われても無理だよ。そもそも、あんな真似ができたのは相手が私に好意を持ってるか必要としてたから。敵意丸出しの相手には使えない」
ゲームと本物は違う。直接見えてしまう人の感情、安全圏を確保できない立場。
まして一度敵意を持たれた相手に擦り寄っても神経を逆撫でするだけだろう。また同じことを繰り返すのかと関係が悪化するだけだ。
「ならせめて口調を元に戻すとか」
「それは危ないと思う。やっと沈静化した所ですぐに目立つ行為をしたら注目を浴びるだろうし。人の揚げ足を取る理由なんてね、本当に何でもいいの。いつもと違う服を着てる。いつもと違う髪形にしてる。たったそれだけでも攻撃する理由になっちゃう。今はあんまり目立ちたくないから」
素の男っぽい態度を表に出せば開き直ったと解釈されるかもしれない。それが悪い方向に転がるかもしれない。なら現状を維持しようと、どこか悲しげにセシリアが告げる。
「でもどうしてそんな事を言うの?」
そんな空気を振り払うように努めて明るく聞き返した。カイトは警告だといっていたが、一体何に対する警告なのかいまいち分からない。
「お前を狙ってる奴は多いんだよ。元がどうであれ、この世界のお前は紛れもなく女なんだ。その外見も能力も人を惹き付けるには十分すぎる。ましてあの件があるから付け入る隙もあるしな」
「そんなの分かってる。だからいつだってポータルゲートで逃げる心構えはしてるし、人の目がない所には行かないつもり」
セシリアとて全てが解決したわけではない事くらい分かっているとむくれながら返すが、カイトは表情を和らげるどころか呆れていた。
「違う。力ずくで襲われる可能性はそんな心配しちゃいない」
そんなカイトの姿にセシリアはますます訳が分からなくなった。
ギルドの規約がある以上、表だって襲われる可能性が低い事くらいセシリアも分かっている。
その上で間接的に何かされかねないのではと警告してくれていると思っていたのだが、どうも互いの論点がすれ違っているように感じて今度ははっきりと疑問を投げつけた。
「じゃ、何をそんなに警告してるわけ」
カイトも論点がずれている事を察したのだろう。今度は直接的に答える。
「お前さ、正攻法で来られたらどうするつもりだ?」
「へ?」
だがその内容はセシリアにとって理解しがたい、突拍子もない物だった。思わず間の抜けた声が喉から飛び出る。
「狙ってるっていうのは、お前に恋愛感情を抱いてる奴も少なからずいるって意味なんだよ」
「……マジで?」
セシリアの顔はかなり引き攣っていた。
脳内で始まった劇場ではデフォルメされたキャラが向き合って愛を告げている。「好きです付き合ってください」途端にセシリアが正気に戻った。
「いや、ありえないでしょ。こっちはネカマだよ? 周知の事実だよ? あれだけの事をしでかした後だよ? 欲望の捌け口に無理矢理ならともかく、恋愛感情を抱く人が居るとは思えないんだけど」
セシリアにとってはギルドからの追放と言うリスクを背負ってでも直接恨みを晴らそうとするプレイヤーが居る、と言われた方がまだ信じられる話だ。
「マジだよ。少しは他人の視線を気にしろよ。見りゃわかるだろうが」
しかしカイトは何故わからないのかと溜息さえついている。嘘や冗談にはとても見えなかった。
「カイトが言うならそうなのかなぁ……。そういう所はやっぱり"お姉さん"なんだねぇ。ゲームじゃ視線なんて気にしないし、リアルじゃ不快な物ばっかりだったし、そもそも人と会う機会が少ないんだから分かんないって」
ここに来るまでにも幾度か不躾に眺められたが、「あれが噂のネカマか」と高みの見物を決め込んでいるか笑いの種にでもされているのだろうとばかり思っていた。
だが女性であるカイトに言わせればもっと別の、男女間にしか発生しない成分が含まれていたという。
「大体ここで過ごしてる全員がお前を恨んでるわけじゃない。残ったのは低レベル層が多いからな。何をしたか知らない奴もいるし、全部直結の妄想だと思ってる奴もいる。中には諦めきれなくて暴露をストーカー被害から逃げる為の詭弁って思い込んだり、開き直って"我々の業界ではご褒美です"って叫んだ奴も居たな。いっそアイドルでも目指したらどうだ?」
「ご冗談を。死んでも嫌だよ」
世の中には色々な趣味の人が居るという事だろう。"完璧な女キャラが居たらネカマと思え"はMMOを長くプレイしている人にとっては常識だ。
そして恐ろしい事に、リアル女性よりネカマの方が癒されるから好きだというプレイヤーもある程度存在している。
「もし誰かに好きだと告白されたとして、完膚なきまでに振れるか? 思い上がるなよ蛆虫が、くらいの事を言えるか?」
勿論セシリアに「はい」と頷くつもりはない。かといって、カイトが言う様な手酷い振り方もしないだろう。敵を作る事に敏感になりすぎているからだ。
即答できず押し黙っている所に呆れた声が降り注いだ。
「ゲームみたいになぁなぁで済ませようとか考えてるだろ」
「うぅ……」
心中を完全に見破られ、小さな唸り声を漏らす。
断るとしても相手を逆上させないように、恨まれないようにできるだけソフトにするにはどうしたらいいか。世間ではそれをなぁなぁというのだ。
「それが一番まずい。本気で付き合うか手酷く振るかのどっちかにしておけ」
「どうして?」
軽くお断りのニュアンスを伝えるだけでもいいではないか。
「軽く断れば相手も分かってくれるだろう、なんて思うなよ。相手によっちゃまだ終わってない、続いてるって思われちまう。その状態で一緒に買い物なんて行ってみろ、お前にそのつもりがなくとも、相手はデートのつもりで親密になれたと思い込む事だってあるんだ。笑顔一つ、スキンシップ一つでどんどん肥大化していつか襲われるぞ? しかも相手は段階を踏んだと思ってるから悪意がない」
セシリアの思惑は物の見事にダメ出しされた。理由にしてもやけに現実味溢れている。
「もしかして、実体験?」
「好きでもない相手に彼氏面されたことはあった。大学で3人振って3人とも自分が彼氏だと言い張って喧嘩した時は呆然としたよ」
「それはそれは、ご愁傷様です……」
先のカイトの言葉はこの経験から学んだ教訓なのだろう。
ゲームの中でこそこんな性格をしているが、リアルのカイトは特異な趣味があるとはいえ若干控えめな印象の押しの弱いお嬢様なのだ。
「男女間の友情は成立するかってあるだろ。俺は成立すると思う。でもその為には相容れない壁が必要なんだとも思う。お前にとっての壁はBL趣味、俺にとっての壁はネカマの為に女性として鍛えてくれと言われた事。それがあるから友達ができてるんじゃないかね。付き合いたいとは思わないだろ? 互いに」
カイトは男女が友人でいる為には好きにならない為の、一線を越えない為の何らかの心理的壁が必要だと思っていた。
確かに2人は恋人関係になるには無理がある壁をそれぞれ抱えている。
とすると、初対面で自分の趣味を全面的に押し出してきたのもある種の予防線なのかもしれない。
「けど、今お前を狙ってる奴にとっちゃネカマってのは壁にならないみたいだな」
世の中には障害が多いほど恋が燃える奴も居ると嘯くが、セシリアからすれば冗談ではなかった。
「お前があんな復讐を計画したのは俺のせいでもあるんだ。何かあったら2食抜かそうかなって思うくらいには後悔する」
急に真剣な顔つきになったカイトに、セシリアは場を和ませようと柔和な笑みを浮かべる。
「表現がリアルすぎて嫌なんだけど。せめてもう少し荒唐無稽にしてくれればいいのに」
「後悔するのは本当だ。程度はともかくな」
わざわざ言い直したことから、カイトもそれなりにセシリアを心配しているのだろう。そういう性格なのはセシリアも良く知る所だ。
「確かにカイトから女性についてあれこれレクチャーしてもらったけど、あれは自分で望んだ事だし……」
セシリアがここまでネカマとして成功した理由の一つは、本物の女性から知識を教わる事が出来たからだ。
安易に受けてしまった事でこんな状況を作り出してしまったと、見当違いの責任を感じているのだろうと当たりをつけたセシリアがやんわりと否定にかかるが、最後まで言うより先に鋭い否定の声が遮る。
「違う。知識を教えた事じゃない」
「へぇ。じゃあなんなの?」
「……あの復讐自体、元を正せば俺のせいなんだろ? 一番最初のネトゲでお前が女性と間違われて迫害された時、確かに不条理を憤ってたけど諦めもついてる感じだった。復讐を持ち出したのは、お前を擁護した俺が叩かれて引退した後だっただろ」
カイトは今回の計画の真意が自分の仇討だったのではないかと思っていた。随分と傲慢な物言いだというのに、セシリアは笑ったりしない。
「考え過ぎだって」
普段通りの優しい表情は作った物なのか、素なのか、カイトにも分からなかったが苛立ったように先を続ける。
「もっと言えば、俺がネナベをしている理由を話した直後だったよな。それも関係ないってか?」
カイトはリアルを隠して男キャラを使い、男だと名乗るネナベをしている。
初めてプレイしたネトゲでは女キャラを使っていたが、事前知識もなく無防備だった彼女は直結にタゲられた状態でオフ会に出てしまい、リアルの容姿が災いしてリアルストーカーに進化させてしまった。
最終的には大した被害もなく相手も逮捕されたが引越しを余儀なくされ、それ以降ネトゲをする時は男キャラしか使わず、ゲーム内でも男口調を意識して使っている。
仲良くなる契機となったネトゲでカイトがセシリアを「言う機会がなかっただけだ」と擁護したのも、以前絡まれた直結を思い出して憤りを感じたからだ。
復讐に付き合い、ネカマとして通じる知識を教えたのだって同じ理由が多かれ少なかれ含まれている。
「関係ないよ。全部偶然」
「随分と都合の良い偶然だな」
「だから偶然って言うんだよ?」
のらりくらりと質問をかわすセシリアを見て、勢いに任せて言葉にするんじゃなかったとカイトが心の中で毒づいた。
もし仮に自分の主張が事実だとしても、セシリアは絶対に「はい」とは言わないだろう。
ネカマ云々を置いておけばセシリアは至って常識人だ。貴女の為にやりました、なんて恩着せがましい事を言う筈ない。
「あぁもういい。折角、俺のせいでこんな事になったなら申し訳ないな、くらいの事は思ってたってのに。じゃあ全部自業自得なわけだな?」
「最初からそう言ってる」
黙っていれば半々くらいの責任を心の中で持てたのに、こうなると知りつつ言葉に出したのなら全て押し付けたのと同じだ。
「その生き方は早死にするな」
「はてさて、何のことやら」
苦虫を噛み潰したような表情を見せたカイトだったが、見上げるセシリアは正反対の笑みさえ浮かべて得意げにしている。
今更になって言わされる様に誘導されていた事に気付き忌々しげな舌打ちが一つ吐き捨てられた。
「襲う振りして恐怖心を煽りつつ自衛の心を芽生えさせてやろうと思ったのに。大体お前の"セシリア"は不完全すぎるんだ。距離を縮める方法を覚えるばかりで、手を出されない距離を取る方法が分かってない」
カイトの言いたい事は何となく分かるが、セシリアだって好きでそうなっている訳ではない。
「そんな事言われても、ゲーム内じゃ手を出される心配なんてなかったし、距離を取る必要もなかったもの」
「何で支援職なんてやってんだよ。せめて前衛なら抵抗もできるだろうに」
「だって、その方が釣れるし……」
カイトが愚痴っぽく漏らすが、それだって今更だ。前衛や火力では守りたくなる様なか弱さの演出が難しい。
「最悪なチョイスだな」
「こうならなければ最高のチョイスだったんだけどね」
2人揃って意味のない仮定に溜息をつく。
「とにかく、曖昧な接し方はお勧めしない。ただでさえこのギルド女っ気ないからな」
「肝に銘じときます……」
自分の身体を見下ろして、その不便さにもう一度、先ほどよりも深い溜息を付いた。




