自由の翼-3-
翌日には準備が整っていた。皆が一緒にこの屋敷で暮らしているのだから話が行くのは早いに決まっている。
場所は屋敷の中に備え付けられているホールに決められた。
ホールというだけあって、元は何かの演劇やショーに使われていたのかもしれない。
フロアの最奥には小さな舞台が設けられており、今は天井から垂れている暗幕が内側と外側を分断している。
万が一の可能性を考えて、舞台袖にはマスターであるケインやグレンを筆頭に自由の翼の幹部が控えた。
プレイヤーの集まりは上々だ。この街を離れてしまった人も多かったが、それでも舞台のすぐ近くには80近い人だかりができて人口密度を高めている。
その全てがセシリアに釣られた経験を持つのだからだ笑えない。
「感動的なスピーチの用意は出来たかい?」
内側に立つセシリアに向け、ケインは緊張させまいと軽く話しかけた。
今の彼女は昨日着ていた質素なチュニックではなく、豪奢なフリルとレースで飾り付けられたトレードマークとも言えるプリンセスドレスで小さな身体を精一杯着飾っている。
彼らにとってはゲームと同じ姿の方が馴染み深いだろうと思っての事だ。
「そんな物はないですよ。実は何も考えてなかったりするかもしれません」
「そっか。僕らとしては期待しているよ。禍根をこれ以上残さずに済むならお互いにとって悪い事じゃない。でも僕らが一緒に行かなくて本当にいいのかい?」
ケインはセシリアの身を思って今回の件に興味のない信用できる幹部を数人、傍に控えさせると提案したのだが、説得の邪魔になるからとにべもなく断られていた。
彼等からすればセシリアは憎むべき対象である。そんな相手がギルドマスターであるケインから一目置かれ、まるで姫の如く護衛を侍らせているのを見て悪感情を抱かない筈がない。
ケインを誑かしたのかと、余計な詮索が増えるだけだ。
「もし危ないと思ったらすぐにこっちへ来るんだ。僕らで場を収めるから」
「ありがとうございます。出来るだけがんばってみますね」
穏やかに笑ってみせるセシリアはどうにも小さく映り、ケインはますます不安を強めていた。
短い言葉を交わしているところに、準備を手伝っていたメンバーから完了の知らせが届く。
時は来た。ドラマチックな演出を考えているわけではない。ただ偶然持ち得たカードを切ってみるだけだ。
その結果がどうなるかはセシリアにも予測できないが、悪くならないようにと願うしかない。
ガラガラと滑車を回す音が煩いくらいに木霊する中、暗幕が上に巻き取られ足元からホールを照らす陽光が差し込んでくる。
ざわついていた喧騒が始まりを予感して静まり返った。
自身の背の半分まで暗幕が上がった所で、セシリアは潜り抜けるようにしてホールへと飛び降りる。
突拍子もないセシリアの出現を予想だにしていなかったプレイヤーは驚いた顔をしてじっとセシリアを見つめていた。
「御迷惑をおかけしました」
静まり返っているこの瞬間を狙って小さいなりに大きな声を出すと深く頭を下げてみせる。
一瞬の沈黙の後、プレイヤーから罵りの言葉がホールに飛び交った。
「なんでそこで飛び降りるんだ!」
舞台袖から様子を見ていたケインが思わず叫ぶ。隣ではグレンも眉を寄せて事の成り行きを見守っていた。
てっきりプレイヤーとある程度の距離を置いて話すかと思っていたのに、予想とは裏腹に手を伸ばせば届くほど肉薄している状態だ。
今にも誰かから手が出るのではないかとケインは気が気でなかった。
同じプレイヤー同士が傷つけあう場面など見たくない。
それに、もし誰かが手を出せばケインはその者を処分する責務を負っている。
自分で決めた事だ。手心を加えるつもりはないし公正かつ厳正な審査を行うつもりでいる。
だが、2週間程度と短い期間であってもこれまで違反者は一人も出ていないのだ。今日だって、もっと言えば今後永久に出したくはない。
今の所プレイヤーは「口撃」に専念していたが、これがいつ「攻撃」に転じるかは誰にも分からなかった。
「やはり一度止めるべきでは……」
居ても立ってもいられずセシリアに近づこうとしたケインだったが、傍に控えていたグレンによって押し留められる。
「待てよ。過保護なのは結構だが今出て行けばあいつにとっても俺達にとっても良い事にはならない。実際に事が起こるまでは待機するべきだろ。あいつだってそれくらいの覚悟はある」
ケインはまだ納得しかねているようだったが、もう一度強く肩を引かれた事でどうにかその場に留まる。
「お前はこのギルドのマスターだろう。少しは部下を信じてやれ」
もっともな言い分にケインは顔を顰めてから肩の力を抜いた。
「そう、だね。でも彼等は別に僕の部下じゃない。便宜的にギルドメンバーの体裁をとっているけれど、僕らの立場は……」
「はいはい、分かってるって。それよりちゃんと見とけ。万が一の場合に飛び出す必要はあるんだ」
また始まった旧友の癖を面倒そうにあしらうとグレンは再びセシリアへ視線を向けるのだった。
舞台袖にいる彼らの心配をよそに、頭を下げているセシリアはどこまでも冷静だった。
こうして潔く頭を下げているのだって申し訳なく思っているから、というよりも、一方的にセシリアからまくし立てるのではなく、多少は言いたい事を言わせて圧力を下げた方が会話になると思っての事だ。
そこかしこから罵声の声は聞こえているが、フロアに居る全員が声を荒げているわけではない。
10分もそうしているとプレイヤーの怒声はピークを過ぎ、一方的になじる物から「何か言ったらどうだ」や「謝って済むと思っているのか」という、セシリアのアクションを求めるものがちらほらと出現し始める。
そこに至って、セシリアはようやく下げていた頭を上げた。
ここからが勝負どころだ。
何せ、セシリアはこれから一度騙されている彼らをもう一度騙さなくてはならないのだから。
「私に何を言っても、どう思われても構いません。それだけの事はしました。でも、出来る限りの謝罪はさせてください」
良く通る凜とした声がホールに反響する。再びプレイヤーの罵声が巻き起こる中、すぐ近くに居た一人の騎士の手を握った。
涙で潤んだ瞳がやや低い位置から真っ直ぐに騎士を見上げると、先ほどまでの威勢はどこへやら、大いにたじろいでいる。
ゲームでは感じ取れなかった温もりや柔らかさが騎士の手を優しく包み込むと、セシリアはインベントリから取り出したアイテムをそっと手のひらに転がす。
途端に騎士が信じられないとばかりに目を見開き、小さなアイテムとセシリアの顔を交互に見比べていた。
「アベルさん、パーティーを組んだ時はMPに気を遣ってくれてありがとうございました。一緒に組んでいて凄く楽でしたよ。それから、ごめんなさい。これはお返しします」
小さな黒い球。アイテム名は死神の宝珠。
アクセサリーの一種で闇属性の攻撃を大幅に軽減する高額レアであると同時に、グラフィックが黒真珠に似た綺麗な光沢を放つ事から本来必要としない人にも装飾用として人気がある。
「何で、売ったって……」
暴露イベントの要となった集合場所に訪れていた彼に向って、セシリアは確かにそう告げた。
だというのに、手のひらを転がる小さなアクセサリは紛れもなく彼が渡したアイテムに他ならない。
「ごめんなさい」
わざと肝心な質問には答えずもう一度頭を下げると、今度はすぐ隣に立つ騎士の手を同じように握る。
「リザイアさん、景色のいい場所を沢山教えてくれてありがとうございました。幻想桜も綺麗ですが、一緒に見た朝焼けは今でも覚えてますよ。ごめんなさい、これはお返しします」
隣のアベルに渡したのとは違う、純白の輝きを持ったアクセサリ。
セシリアが得意とする光属性の魔法の威力を5%底上げしてくれる、これまた貴重な高額レアだ。
ダイヤモンドに似た綺麗な石は死神の宝珠と同じく幅広い層から装飾品として人気がある。
アイテムを渡されたリザイアと呼ばれたプレイヤーも、隣で見ていたアベルも、近くにいたプレイヤーも、セシリアのやり取りをどこか呆然と聞いていた。
まだ遠くから罵声は聞こえている。
その渦中でセシリアは端から順に、名前と印象的だったエピソードを語って、貢がれたアイテムを手渡していく。
一連のやり取りが5人目に達した時、誰かが堪えきれずに叫んだ。
「まさか、全部覚えてるって言うのかよ。この人数から、何を貰って、何をしたのか……」
罵声が途切れた。
ざわざわと近場の者同士が囁きあう声が隅々まで伝播していく。話題は考えるまでもない。誰かが発した今の一言だ。
少しだけ、騒ぎが全体に行き渡るくらいの間を空けた後、セシリアは寂しそうに、でもどこか嬉しそうに言う。
「忘れるわけ、ないじゃないですか。大切な想い出ですから」
初めは半信半疑だった彼等も、セシリアが何の迷いもなく7人目、8人目に適切なアイテムを返却する姿を見て嘘ではない事を悟ったのだろう。
気付けば罵声は完全になくなっていた。
想い出を語るセシリアの声だけがホールに凜と響いて、段々と場の空気が和らいでいく、
セシリアが9人目にアイテムを返そうとした時、彼は受け取らなかった。
「それはお礼であげたんだ。下心がなかったかと言えば否定できないけどさ、色々助けてもらったのは事実だし、返す必要なんてないよ。どうしても持っていたくないなら売っちゃってくれ。ネカマだったのには驚いたけどさ、よく考えたら性別とかどうでもいいんだよ。またパーティ組もうぜ。一緒に遊べて楽しかったよ」
そう言って照れたように頭を掻く彼に、セシリアは一瞬驚いていたがすぐに柔らかく微笑んで見せた。
その流れは後にも伝播し、受け取らない人が増え始めた。中には受け取ったアイテムを返した人さえ居る。
目の前で繰り広げられる一連の流れを、ケインは呆気にとられ眺めていた。
「夢でも見ている気分だよ……」
セシリアに対する世間の評価はケインも知る所だ。
支援としての腕がずば抜けているだけでなく、MMORPGには珍しい献身的かつ柔和な性格は老若男女問わず人気があった。
もし彼女が真に他者を見下し、己の利益だけを追求するような性格だったならば、いくら猫を被ってもここまでの人気を得る段階で絶対にボロが出た筈だ。
そうならずにあの瞬間まで誰にも知られる事なく『セシリア』を貫けたのは、本来の性格とセシリアとして振る舞う性格に本質的な差がなかったからだと思っている。
とはいえ、騙されたプレイヤーの怒りも目の当たりにしてきた。
勿論、意図的に女性と偽ったセシリアに悪意があったのは否定できない。
だとしても、ケインはセシリアが一方的に悪だと断じる風潮は受け入れ難かった。
被害者達の話を聞いても、アイテムを強請られたり貸したまま帰ってこなかったという被害がなかったからだ。
気に留めて欲しくてアイテムを贈ったのは本人の下心に寄る所が大きい。
中にはセシリアから装備やアイテムをお返しと称して受け取っている人も居る。
経験値の分配が行われないよう、敢えてPTを組まずに支援魔法だけを貰って効率良く敵を狩れた人も居る。
にも拘らず、彼らは一方的に騙された被害者なのだと言い張っていた。
ゲーム時代の支援の希少性から考えれば、イーブンの関係なのではないかとケインには思えて仕方がない。
そんな両者の間で話し合いが成立するのか。
ケインは今まで溜めてきた鬱憤を言葉に変えてセシリアへ突きつける、一時の捌け口にしかならないだろうと踏んでいたし、セシリアもその役を甘んじて受けるのだとばかり思っていた。
だが目の前に広がる光景は予想の遥か先を行き、荒れ放題だったホールは未だ平穏を保っている。
「凄いな、彼女は」
「すげぇとは思うけど、俺は何か裏があると思うぜ? 余りにも都合が良すぎるだろ」
感動しているケインの横で、グレンは興味深そうにセシリアを眺めつつ、何を企んでいるのか想像しているようだった。
セシリアが数十分の時間をかけて集まっていた全ての人を回った後でも、幾人かのプレイヤーはまだどこか煮え切らない様子で返されたアイテムを見つめていた。
禍根の一番の原因になっている貢物は返された。けれど心の中にあるわだかまりが完全に消えたりはしない。
罵声がなくなったからと言って全てのプレイヤーが納得したわけではないのだ。
中にはこんなにも簡単に罵声の渦から抜け出したセシリアを面白く思わないプレイヤーだっている。
「何であんな事をしたんだよ」
誰かの言葉に、数人が同調して答えを求める。けれどセシリアは押し黙るばかりで、初めと同じように頭を下げ続けている。
アイテムを受け取らなかったプレイヤーが両者を見やってどうするべきか悩んでいた。
やがて何も答えないセシリアに痺れを切らしたのか、興奮冷めやらぬ一人のプレイヤーがセシリアに詰め寄る。
「アイテムを返してごめんなさいで許せってのか!? 勝手過ぎんだろ!」
それでも何も言わないセシリアに苛立った彼が遂に手を伸ばそうとした時、ホールの扉が壊れるんじゃないかと思うくらい強く開け放たれた。
「随分な言い草だな。勝手に期待して下心満載で貢いだのはお前だろ? 本来なら返す必要すらねぇだろうが。大体、お前はセシリアから貰った物をちゃんと返したのか? 貰いっぱなしでよくもまぁそんな事が言えたものだな」
辛辣な口調で苛立ちを隠しもせずにずかずかと立ち入った姿に、セシリアが小さく声をあげる。
トレードマークの大きな盾を背負い、腰には滅多に使わない剣を下げた姿はそれ程時間が経っていないはずなのに酷く懐かしい。
「カイト……!」
モーゼが杖をあげることで海が道を作ったように、カイトが歩くだけで小さな道が作られる。
カイトはすれ違い様に一瞬だけセシリアへ笑いかけた後、すぐに表情を真剣なものに変えて詰め寄っていたプレイヤーの襟首を掴み上げた。
「セシリアは何かを貰った時、必ず相手に何かを贈ってる。お前も何かを受け取ったんじゃないのか?」
カイトの言葉にアイテムを受け取ったプレイヤーは揃って居心地悪そうに俯く。襟首を掴まれている彼とて例外ではない。
対して、アイテムを受け取らなかった面々は感慨深げに思い出を口にしあっていた。
「中々武器が買えなくて困ってる時に数ランク強い武器を貰ったな。自分じゃ使わないからって」
「レベルが上がりにくくて苦労した時に支援してもらって大分楽になった。余ってるからって回復を大量に貰ったよ。高レベルの支援がそんなモン持ってるわけねーのにさ」
「俺も欲しがってた装備が偶然手に入ったからって相場の半分くらいで譲ってもらった。今でも使ってるけど、良く考えたら偶然手に入る訳ないよな。前衛用だぜ、これ」
セシリアが沢山の人から慕われていたのは、世間的なネカマが貢がせるだけ貢がせて終わるのに対し、必ず何かしらの御礼をアイテムや奉仕という形で返していたからだ。
人は誰しも、自分の装備やレベル上げを優先したくなる。
けれどセシリアは常に自分よりも他人を優先した。第三者から見てもマメだと感心するくらいに。
それも当然だろう。何せ彼女の目的はゲームを楽しむ事ではなく、いかに直結を大量に集めるか、だ。
自分の時間を殆ど取らず、ある種の病的さで尽くしている姿はそこかしこで目撃されている。
ここに居る誰もが最低でも1度、その恩恵を受けているのだ。
それが彼女の布教活動だったとしても、別の思惑があったとしても、助けてもらった事実が変わる訳ではない。
「カイト、彼を放して」
顔を上げたセシリアが掴みあげている腕に触れると、あっさりと腕は放された。
「私を恨むなとは言いません。でも、出来ればまた仲良くなりたいと思ってます。今度はちゃんと向かい合って」
直接的な反応や許しの言葉があった訳ではない。
でも何人かはその場で何度か頷いて、何人かは周りのプレイヤーと顔を見合わせている。
まだ納得できずに目を伏せている人も居る。けれど、初めに渦巻いていた途方もない敵対心の大部分は薄まっていた。
「素晴らしかったよ。まさかこんな展開に転がるとは予想外だった。君に対する風当たりもこれで大分良くなるはずだ。運営する身としてはありがたい限りさ」
ホールを出ていつもの部屋に集まると開口一番、ケインはセシリアの事を褒め称えた。
「カイトが来てくれなかったら最後にまた崩れていたと思います。あれは私が言えない台詞でしたから」
セシリアが誠心誠意謝ってアイテムを返したなら、セシリアからアイテムを受け取った人も受け取ったアイテムを返すのが道理だろう。
それが出来なければ、彼らはセシリアから一方的に恩恵を受けた事になる。
例えセシリアが性別を偽っていたとしても、恩恵を受けた事実がある限り、一方的にセシリアを責める資格は失われるのだ。
騙されてたかもしれないけど、お前はそれでアイテム貰ってるんだろ? 得してるのはどっちだよ。
そもそもリアル性別を知ってどうしたい訳? なに、リアルでも付き合えると思ったの? ゲームと現実の区別がついてないんじゃない?
そう言われてしまえば、彼等に反論する術はない。
電子世界上において、リアルとの関係を意図しない限り、リアルの情報はその一切が不要なのだから。
とはいえ、セシリアがこれらの言葉を口にしても、彼らは開き直りだと憤慨するだけだろう。
否定しようのない真実に対抗する為には、ひたすら論点をずらし続けるしかないのだから。
貰った装備やアイテムは今も使っているか、もしくは装備をグレードアップさせる時に売ってしまったか、倉庫にしまってあるかのどれかだから、今さら返そうとしても返せない。
貰ったアイテムをインベントリに保持していたセシリアにはどう足掻いても理論では勝てない。
「しっかし驚いたのは誰から何を貰ったのか覚えてた上に全部持ってた事だよな。ありゃどういう仕掛けなんだ?」
グレンが興味津々と言った様子で聞くが、セシリアは短く、「真心のなせる業です」と嘯くに留まる。
「アイテムを持っていたのは僕も気になっていたんだ。もしかして倉庫のアクセスが出来るのかい?」
それが本当か嘘かを確かめる術を彼等は持ち得ないが、普通は貰ったアイテムを全てインベントリに入れているなんてありえない事態だ。
大部分が小さな軽いアクセサリといえど、大量に持ち歩けばインベントリの重量を限界まで圧迫してしまう。
お洒落の為に何着かの着替えやアクセサリを常に持ち歩くプレイヤーは多いが、セシリアの持っていた量はお洒落の範疇を超えていた。
そもそも貢がれたアイテムは即時転売が基本で、現物を手元に残しておくのは両想いのカップルくらいだ。
ネカマプレイヤーが貰ったものを常にインベントリに入れて後生大事に持ち歩くなんて、どう考えても不可解極まりない。
実は倉庫機能を使う方法があって、そこから持ち出したのではないかと考えたのも無理はないだろう。
「倉庫は私も使えません。これについては信じてもらうしかないです。それから、持っていたアイテムについては私の名誉の為にもノーコメント、でお願いしたい所です」
気にはなったようだが関係を悪化させたくない彼らは深く聞かないことを選んだようだ。
ひとまず一大イベントが無事、望む以上の結果で終わった事でセシリアも重荷が一つ下りた思いだった。
これだけでも自由の翼に来た意義は大きい。
まだ恨みを抱えている人は居るだろうが、勢いは以前よりずっと下火になっているだろう。
「それじゃちょっとコイツを借りてくぞ」
大方の話が終わった所でカイトがセシリアの襟首を掴みずるずると引っ張って出口に向かう。
後ろ向きに引きずられる形で歩かされ、部屋を出た所で抗議の声が上がった。
「引っ張るならせめて腕にしてよ!」
「いや悪い悪い、ついつい掴みやすくてな。それよりちょっと歩こうぜ」
悪びれる様子がないのはいつもの事だ。わざとらしく溜息をついて見せるが断る理由もなく隣を歩く。
「で、さっきのあれは一体どういうネタだ?」
「やっぱりそれか……」
倉庫へアクセスできないのに貢がれた多種多様なアイテムをインベントリ限界近くまで持っていた謎が気になって仕方ないのだろう。
実際、セシリアのインベントリにはまだ貢がれたアイテムがかなり残っていて容量を圧迫している。
この状態でダンジョンに赴けばすぐにインベントリが一杯ですという警告文が表示されるだろう。勿論、この世界がゲームだった頃の話だが。
「誰にも言わないでよ?」
「当たり前だろ」
セシリアは念の為に釘を刺してから、人気のない一室にカイトを連れ込むと、誰も居ない事を丹念に確認してから傍に寄って耳打ちした。
「ただネカマでしたってバラしても復讐としてはパンチが薄いと思ったの。折角身を粉にしてここまで漕ぎ着けたんだもの。どうせならいつまでも色褪せない伝説として語り継がれたくない?」
セシリアがオフ会でネカマを暴露し、板で爆発的に情報が広がり錯綜した結果、祭りに興味を抱く一般プレイヤー、いわゆるオチャーも大量に湧いた。
幻想桜に集まっていたプレイヤーはセシリアに恨みを持つ直結厨と騒ぎを観戦したいだけの者に二分化していたのだ。
初めから直結厨を煽り通すと決めていたセシリアだったが、印象に残るようなドラマが欲しいと考えていた。
彼らの怒り喚き散らす姿は、かつてキーボードクラッシャーと呼ばれた動画のように面白くなると確信していたが、折角集まってくれた観客にはもっと別のネタも提供したい。
何せ彼らには生きた伝説の語り部となって貰わなくては困るのだ。
より幅広く事件のあらましを発信して貰うには何をどうすればいいか考え抜いた結果、一つの結論に辿りつく。
景気よくレアアイテムを撒こう。
古今東西、人が夢中になるのはいつだって自分の利益だ。
しかし普通に撒くだけでは面白くない。出来ればそこに、先程足りないと思った分かりやすいドラマ性を持たせたい。
ではどうすれば面白くなるか。魑魅魍魎さえ裸足で逃げ出す計画がセシリアの脳裏に浮かび上がった瞬間である。
セシリアは今まで貢がれた全てのアイテムを、いつ、誰からどんな風に貰ったのかまで正確に管理していた。
その中から連絡のつく相手をリストアップした後、貯めに貯めたゲーム内通貨を大盤振る舞いして、かつて貢がれたアイテムの数々を買い戻す。
大体のアイテムは何らかのアップデートで需要が高まらない限り時間と共に希少性が下がって価格が安くなる。
上位互換装備が後のアップデートで発表され急に暴落するなんてこともMMORPGではよくある事だ。
貢がれたアイテムをすぐに売り払っていたセシリアは結果的に大多数のアイテムを最高値付近で売り抜くことに成功しており、資金は潤沢だった。
それこそ、今まで貢いで貰ったアイテムの殆ど買い戻しても100M近いお釣りができるくらいには。
買い戻したアイテムを何に使うか。決まっている、これを観客に向かって1つずつ撒くのだ。
『これは誰々から貰ったもので、その人とはこんな事をしてイチャラブしていました。直結マジ爆破しろ』と大音量で叫びながら。
直結厨にとってこれ程屈辱的な行いはあるまい。
なにせ痛いポエムを口走りながらアイテムを渡したプレイヤーも多いのだ。
既に黒歴史確定の出来事の詳細を語られた挙句、お金をかけて渡したアイテムさえ名も知らぬ誰かに拾われる。
四方八方から『どうしたら君にとっての星になれるのかな(キリッ とかwww バロスwwwないわwww』とか、『うはwww馬鹿じゃねーのwww』と嘲笑を投げかけられる。
セシリアを罵倒しに来た立場が一転、観客からさんざ笑い者にされるピエロと化すのだ。
観客はアイテムを拾えて満足、直結厨は更に怒りを爆発させ反応はより面白くなるだろう。
飴を与えれば話題にもなりやすいだろうし、擁護の流れも作りやすくなる。一石何鳥になるか想像だに出来ない。
「苦労したんだから。誰から何を貰ったのか全部暗記したんだよ? そのあと動画とスクショを整理してエピソードも引っ張ってきて、それもまた覚えて。英単語をみっちり覚えた気分」
全てを話し終える頃には、さしものカイトも引き攣った表情をしていた。
「努力の方向性がぶっ飛び過ぎだっての。流石にそれは想定外だわ……。惨い、余りにも惨すぎる。鬼か悪魔か? いや、そんなチャチなもんじゃねぇ、もっと恐ろしい片鱗を味わったぜ……。けどちょっと見てみたかったな、それ」
「……うん、他の誰かが同じ事をしたら多分引いてるからその反応は理解できるんだけどさ、なんか納得できない……。言い訳させてもらうなら、あの時のテンションが徹夜明けでちょっとおかしかっただけなの。今はしなくて良かったって本気で思ってる。もし撒いた後に転移してたら、許してもらうのは早々に諦めたと思うから。もしかしたら無事で今日を迎えられなかったかも」
インベントリに限界近くまでアイテムを入れていたのは偶然なんかじゃない。
それを使ってイベントを更に盛り上げようと画策していたからだ。
偶々観客に撒き始める前に転移があって、偶然にも本来の用途とは逆、持ち主に返すという作戦に応用できただけである。
もしそれが無かったら、或いは撒いた後で転移があったらを考えると背筋が凍る思いだ。
「怪我の功名ってやつだな。けど、もしかして貢がれたアイテムを全部持ってるのか?」
「まさか。流石に1回じゃインベントリに入りきらなかったから、安い物から順に撒く予定だったの。だから高額レアほど倉庫の中。この街から高レベルプレイヤーが出て行ったのは運が良かったというべきか……。なかったらなかったで案は考えてたんだけどね。今回集まった人達の分が全部あったのは稀によくある偶然」
誰も居ない室内でホッと胸を撫で下ろしてからどちらともなく苦笑を漏らす。終わりよければすべてよし、である。
「それとね、色々取り繕ってばかりだけど、最後に言った事は本当。出来れば仲良くなりたいって、今は思ってる」




