自由の翼-2-
「ようこそ、ギルド自由の翼へ! 僕はケインだ。宜しく頼むよ」
ユウトに案内された部屋にはどこか見覚えのある金髪の優男が満面の笑みを浮かべ待っていた。
隣には顔を隠している理由を聞いた赤髪の大男もいて、鷹揚にグレンと名乗る。
「つっても、ゲームであったギルド機能がある訳じゃないけどな」
「それは言いっこなしだ」
笑いながらツッコミを入れる2人は見るからに仲が良さそうだった。
この間村へオークの討伐に来た一団の中でも一際穏やかな対応をしていた彼こそが、このギルドのマスターだったらしい。
「君の事情は心得ているよ。中々派手なパフォーマンスだったみたいだね。でも安心するといい。このギルドではプレイヤー同士の争いを禁止しているんだ。違反者にはペナルティーがあって、一番重いと追放扱いになるから君を直接どうこうしようという人は居ないし、なにより許すつもりもないよ」
現在、リュミエールに滞在する全てのプレイヤーはこの自由の翼に加入していた。
彼らは総じてギルドメンバーと呼ばれ、本拠地として借りている巨大な2つの屋敷の中で自由に寛いだり、泊まったり、食事を取ったりできる。
最低限の衣食住を提供する代わりに、ギルドメンバーにはギルドが提示する仕事を最低一つ請け負ってもらう仕組みになっていた。
一つ目はこの街にある仕事の斡旋所の様な場所で出される、モンスターの討伐や何かの材料を調達して欲しいという、ゲーム内で言う所のクエスト関係の仕事。
二つ目は製造職と呼ばれるアルケミスト、マスタースミスが持つ製造関連のスキルを活かして回復薬や衣服、武器や防具を作る仕事。
三つ目はギルドで使っている本拠地の掃除や炊飯など、身の回りの世話や家事全般の仕事。
四つ目はこの世界の法則やシステムを探したり、街を探索して何故この世界に送り込まれたのか、帰るにはどうすればいいのかを調査する仕事。
「このシステムを全部、転移から数日で作り上げたんですか……?」
「ああ。周りのみんなが有能でね、僕は何もせずともここまで育ってくれたよ。何より運が良かった。金貨が使える内にこの屋敷を手配できたからね」
ケインはそう嘯いたが、一番尽力したのは他ならぬ彼自身だろう。謙遜の声に周りに居た数人のプレイヤーは彼を褒め称えている。
混乱の極地にあるプレイヤーを上手く纏め上げ、日々の糧を得るだけでなく帰還の手段さえ探しているのにはセシリアも舌を巻く思いだ。
特にプレイヤーの衣食住が確保されているのは大きい。沢山の仲間に囲まれた生活は寂しさや恐怖を和らげてくれる。
同時にプレイヤーが勝手な行動をしない為の鎖にもなっているのだろう。
彼らにとってこの場所は唯一の拠り所であり、心を休ませられる安息地だ。何か問題を起こして追放されるのは悪夢を通り越し、死の宣告に近い。
「ケインがすぐにこの体制を整えたからプレイヤーの犯罪者は少なくて済んだんだ。中にはこの現実が受け入れられず、ゲームだと思い込む事で暴走しちゃった人たちも居たんだけどね」
咄嗟にフィアとリリーを襲った2人の騎士の姿が思い浮かぶ。
彼等だけではなくて、他にも何人か同じようなプレイヤーがいたのだろう。彼等は一様に苦々しい表情をしていた。
「僕がもう少し早くこの体制を作って安全な居場所を提供していれば、彼等もそんな真似はしなくて済んだのかもしれない……」
中でもケインの顔は悲痛なものだった。責任なんて何一つもありはしないのに、本気で自分を責めている。
(カイトが助けになりたいって言ったのも、何となく分かった気がする)
理想家っぽい所があると言っていたが、まさにその通りだ。これだけの物を作り上げた彼が責められるいわれはないだろう。
周りの人達も沈んだケインを口々に慰めている。
「製造職の仕事はともかく、他の仕事はローテーションでまわしているのですか?」
沈んだ雰囲気の話題を変えようとセシリアは先ほど説明された仕事の内容について深く尋ねた。
「いや。各自好きな物をしてもらってるよ」
思わぬ返答にセシリアは少しだけ眉を顰める。
「じゃあ、中にはずっとここで家事をやっている人とか、ずっと調べ物をしている人も?」
「勿論居るよ。仕事はして貰うけど、強制はしてないんだ。名前にもある通り、自由の翼だからね」
「手続きが面倒だし、仕事を変える奴は殆どいねぇな」
彼らはどうしてそんな事を尋ねるのか意味が分からないと言った顔で不思議そうにセシリアを見返した。
ケインも周囲の幹部と思わしき人達は事も無げに言っているが、セシリアにとってすれば驚くべき事態といっていい。
「一つ目の仕事はどうしてもモンスターと戦う必要がありますよね。選ぶ人は少ないのでは?」
誰でもできる仕事の中で、生きる為に必要なお金を得られるのは一つ目だけで、命を賭けた戦闘を繰り広げる必要がある。
この世界がもうゲームでない事はプレイヤーにも知れているのだ。平和な現代で生きてきたプレイヤーにとってモンスターとの戦いは恐怖でしかない。
果たして自主参加にして人が集まるのだろうか?
「多い、とは言えないかな。自由の翼のみんながみんな、高レベルとは限らないんだ。寧ろレベルの高い人は少数派と言ってもいい。中には始めたばかりなのに巻き込まれた人も居る」
「初めは高レベルのプレイヤーも結構居たんだ。でも奴ら、情報が一番集まりやすそうなアセリアにさっさと行っちまった。自由に動けない中レベル以下のプレイヤーを置き去りにしてな」
城塞都市アセリア。
このゲームにも幾つか国はあるが、その中でも最大の勢力であり、ゲームの中心でもあるリルファ王国の首都として設定されている。
多くのプレイヤーはこの街でAfkがてら露天を出したり、その露天を求めて人も集まる為、プレイヤーの人口がずば抜けて多い。
異世界に来たらしいという混乱の極致の中で、より多くの情報を得たいと思うのであれば足を運ばない理由がない。
ただし、ここリュミエールからアセリアまでをポータルゲートや都市間転送に頼らないで移動するとなれば、ゲーム内でもそれなりの時間が必要だった。
街の規模が大きくなったように、フィールドの規模もまた大きくなっているであろう事は簡単に予測できる。
廃人達にとって金貨の使えないリュミエールより、情報や人の集まっているであろうアセリアの方が遥かに魅力的だった。
問題は移動経路だ。
ゲーム時代の最短コースでアセリアを目指す場合、道中に中堅レベルでも苦戦するモンスターが出現するマップを横断する必要が出てくる。
道中に襲われる可能性を危惧した廃人達は中レベル以下のプレイヤーを連れて行かなかった。
守れるか分からないから。大人数の移動は時間がかかるから。
理由は数あれど、結局のところは足手まといにしかならないからだ。
彼らは自分の身を重くするのを極端に嫌う傾向がある。
「でも残った人達にも一緒に戦うと言ってくれた人は居るんだ。高額の依頼を選んで受ければ報酬もそう悪くない。だからそれ程人数が多くなくてもなんとかなってる。皆が助け合ってるんだ」
皆が助け合っている。その一言に、セシリアは一抹の不安を感じた。何を不安に思っているのだろうか。
状況の整理がてら、今の状況を整理して分析しようと思った矢先に苛立たしげな声が邪魔をする。
「お前、セシリア……! よくもまぁのこのこ現れたもんだな。ケインさんが苦労した後に甘い汁だけを啜ろうってのか? そのキャラだってパワーレベリングでそこまで育ったんだろ」
振り返ればいつの間にか黒髪の騎士が一人立っていた。
ケインに用があって来た彼は、部屋の中に見知ったセシリアの姿を見つけ、忌々しさを隠しもせず睨むような視線を投げかけている。
セシリアは彼の名前を覚えていた。よく言い寄ってきた直結厨の一人で、この世界に来た時に身体を押してきたプレイヤーだ。
レベルが離れていてそれほど一緒した事はなかったが、何度か彼には背伸びな狩場に連れて行って守りながら支援をする、レベリング行為を手伝った事がある。
同時に、彼からお礼と称してお礼には高すぎるアイテムを貰ったこともあった。
「落ち着いて。彼女を招待したのはギルドの方からで、今後は自由の翼の一員になるんだ。同じ仲間としてそういう発言は慎んでくれ。ほら、ちゃんと謝るんだ」
ケインがセシリアを全面的に擁護する物言いだったことに、彼は益々顔を歪める。謝るなど論外だと言いたげだ。
両者を見比べて内心小さな溜息を漏らしたセシリアは、これ以上場がこじれる前に彼の前へと立つ。
「ごめんなさい」
まさかセシリアから潔く謝るとは思っていなかったのだろう。深く頭を下げる姿を見て動揺していたが取り繕うように言った。
「……口では何とでも言えるよな」
「では、どうすればいいですか? 殴って気が済むのなら好きにしてください。身体が欲しいのならそれでもいいです。気の済むようにしてください」
躊躇いもせず答えたセシリアに、彼は信じられないものでも見るかのような顔をする。
好きになったのもアイテムを渡したのも相手が勝手にやった事で、自分に非はない。
それがネカマの常套句であり、同時に一つの真理でもある。
セシリアは誰かにアイテムを強請った事は一度たりともない。
これは彼女を知る者にとっての共通見解だ。だから彼女は黒ネカマではなく、プロネカマ足りえている。
勿論、そういう雰囲気になるようにキャラを演じはした。
けれど最終的な決定権はいつも相手にある。自分を良く見られようと頼まれても居ないのに高額アイテムを貢いだのは他ならぬ自分自身の責任だ。否、悲しい男の性と言ってもいい。
彼にしてみれば見苦しい言い訳こそすれ、何でもするとまで宣言するとは微塵も考えていなかったのだろう。
「セシリアさん、それは余りにも……」
「これは私と彼の問題です。口は出さないでください」
想定外の事態に助け舟を出そうとしたケインだったが、セシリアのきっぱりとした物言いを前に口ごもるしかなかった。
「……白けた、ネカマなんかに構ってられるかよ」
その場に居た全員の視線を一身に注がれた彼は居心地悪そうに振り向くと小さく文句を言ってそのまま部屋を出ていく。
途端に部屋の中は安堵の息で満ちた。
「君の問題は複雑なんだろうけどね、もしとんでもない要求をされたらどうするつもりだったんだい?」
ケインが呆れた口調で聞くと振り返ったセシリアは満面の笑みを浮かべてあっけらかんと答える。
「大丈夫ですよ。彼にそんな度胸はありませんから。もし彼がそのつもりなら出会い頭に殴られてますって」
もし彼がセシリアの事をどうしても許せず陰鬱な復讐を心に誓っていたのであれば、殴られるかはともかくとしても、出会い頭に襟首を掴みあげられるくらいの事態にはなっていただろう。
でも彼はそうしなかった。
暴露の直後ならいざ知らず、時間をおいて多少の冷静さを取り戻した彼は、既に後先考えず突発的な行動をするような気概を失っている。
であれば、ケインを始めとしたギルドの創設者達が集まっているこの場で無茶な要求が出来るはずもない。
謝罪以上の何かを要求すれば、例えセシリアが許可していたとしても、彼に対する重役達の印象は悪くなるのだから。
「中々凄い性格みたいだね……。いや、凄い性格だからあんなパフォーマンスをしでかしたのか」
苦笑いを浮かべたケイトがやれやれとばかりに首を振る。
「申し訳ないが、彼みたいな感情を持て余しているプレイヤーはこのギルドに少なくないんだ。絶対に手は出すなと触れは出すが、今みたいに嫌味の一つ二つくらいは言われるかもしれない。相手が分かる時は教えて欲しい。それとなく注意しておくよ」
セシリアが集合場所にこの街を指定したせいで恨みを持つ人が集中している。
衣食住が確保された事で当面の生活を心配しなくて良くなったから、今まで生きる事ばかりに必死だったプレイヤーにも、再びセシリアを恨む"余裕"が出てきたのかもしれない。
同じギルドに所属する事でより身近に彼女を感じ、怒りを思い出す人も出てくるはずだ。
それを放置するわけにはいかないと考えたセシリアは覚悟を決めてケインに向き直る。
「一つ、お願いがあるんです。それを聞いてくれるなら、このギルドに入っても構いません」
集まっていた人達の視線が鋭く尖る。何を要求されるか訝しんでいるのだろう。
「私を恨んでるプレイヤーを1箇所に集めて話をさせて欲しいんです。過去の禍根をいつまでも長引かせたくはないから。私がそのままギルドに入っても、きっと彼等は認めてくれない。それが後々の歪みになるのは嫌なんです。解決できるかは分かりませんけど、多分、初めに歩み寄るべきは私の方ですから」
「そんな事でいいのかい……?」
どんな無理難題を押し付けられるかと構えていた自由の翼の面々にとって、セシリアの申し出は願ったり叶ったりだった。
セシリアを加入させることで一部のプレイヤーと軋轢が生まれるのではないかとの懸念の声は確かに上がっている。
「はっ、おもしれぇ。それはさっきみたいな打算からか?」
グレンの言葉に、セシリアは本心からだと否定した。とはいえ、少しも計算がないのか問われれば押し黙るしかないが。
正直なところ、セシリアにとって自由の翼の優先度は高くないし、まだ信用しきったわけでもない。
折角綺麗に回っている歯車を好き好んで壊したいとは思わないが、障害になるならそれも止む無しとさえ考えている。
だからこの禍根の解決は彼らの為ではない。自分の為と、自分が守りたいものの為だ。
禍根を断ち切らない限りセシリアはいつまでたっても追われる側に身を置くことになる。
その感情がいつか暴走し、あの村や大切に思っている人を傷つけないとは限らない。
今は敵意がない事をアピールしつつ従順に振る舞い、手が出しにくい立場を作り上げようと考えていた。
「そういえば、カイトはこのギルドに入っているのですか?」
「ああ、居るよ。でも今はモンスターの討伐に出て貰っている。今日か明日か、遅くても明後日には帰ってくると思うよ」
唯一の信頼できる相手がこの場に居ないのは偶然か必然か。心の中では今の状況と今後の予定を考えつつ、残念そうに眉を下げた。
「そうですか。……では、場所と機会の用意をお願いしますね」
「早急に準備させて貰うよ」
ケインの快諾を得たセシリアは早速怒れるプレイヤーをどう治めるかに考えを巡らすのだった。




