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World's End Online  作者: yuki
第二章 異世界
22/83

自由の翼-1-

 早朝、セシリアが食事の用意をしていた所になにやら騒がしい声が聞こえて外へ出てみれば、どこかで見覚えのある少年と大男が立っているのを見つけた。

 相手もすぐにセシリアに気づいたのだろう、必死な形相で追いすがるのを見て間髪いれずにスキルを発動させる。

「【ポータルゲート】」

 場所は以前取得した森の中。ゲートは術者が中に入れば自動的に閉じられて追うことはできない。

 彼らからすれば何処に逃げたのか分からず、探し出すのは不可能なはずだ。

 村をマークされる可能性がある以上、もう二度と立ち寄れなくなるが他に手立てはない。

 ガリア達が誤魔化すのに失敗したのか、報奨金の理由にやんごとない事情をないこと尽くめで語られて騙されたのか。

 どちらにしても、何の後ろ盾も保証もないセシリアをこの村に留めてくれた彼らに悪意があるとは思っていない。

 心の中で別れの挨拶が出来なかった事を申し訳なく思いながらも留めてくれた事に対し御礼を告げる。


 けれど、セシリアが開いたゲートに飛び込む事はなかった。

 大規模な魔法陣の展開。小さな子供はやはりプレイヤー、それも高レベルの魔法職だった。

「逃げないでください」

 遠くからのたった一言で直接的に何か言われなくとも、逃げれば展開中の魔法を発動させるという意思は読み取れた。

 つまるところ、村を盾にした脅迫だ。村ごと滅ぼすと暗に示されて逃げられるほど、セシリアとこの場所の関係は薄くない。

 ポータルゲートが制限時間を越えて消失する。


 逃げるには身軽でなくてはならない。守るものを減らさなくてはならない。

 だからセシリアはカイトを無理に連れてこなかった。もし何らかの理由でカイトが捕まり交渉の材料になったとき、セシリアは何を言われても断れない。

 関わる人を増やせば増やすほど逃げ場はどんどんなくなっていく。

 今頃になってセシリアはとんでもないミスを気付かず踏んでしまったと思い知らされた。

「随分と派手な人質を取りましたね」

 苦々しい言葉に、少年が魔法を発動させずに解除するが、今更逃げても報復に村を滅ぼされかねない。

 となれば、どうにかして目の前の2人を排除するしかなかったが、それは余りにも難しかった。


 セシリアは追いすがる彼らのことを知っている。いや、廃人なら知らない人のほうが少ない。

 かつてゲーム内で凸凹コンビと称され、板に何度も名前が出てきている廃人の中の廃人。いうなれば廃神。

 背の小さい少年のでさえセシリアに負けずとも劣らないレベルだが、スキンヘッドの大男の方はもっと不味い。

 『World's End Online』の中でも数えらるほどしかいないレベル上限(カンスト)達成者。

 それも、ゲーム内で始めてレベル上限(カンスト)を成し遂げた、ログインしていない時間のほうが少ないと揶揄される程の廃神プレイヤーだ。


 大男の職業は最上位職の鍛冶職人(マスタースミス)

 鎚を主武装に使うだけあって、今も背中には隣に立つ少年並みの大きさを持つ金属の塊が付けられたハンマーを軽々と背負っている。

 剣の攻撃なら先の騎士を相手取ったようにダメージ覚悟で受け止めた隙に攻撃する事もできよう。

 だが彼の武器では受けた瞬間跳ね飛ばされるのがオチだ。あんな大鎚を止められる筈がない。

 ならば少年の方を同じく人質に取るか。それも無理だとセシリアは首を振る。

 魔法職にとって一番避けるべき事態は敵に接近される事だ。最上位職である魔導師(ウォーロック)には接近を阻む為の多彩なスキルが用意されている。

 同じ最上位職でも最大主教(アークビショップ)は火力職ではない。とても近づく事なんてできないだろう。

「何が目的なんですか」

 せめて会話の主導権を握るべくセシリアがきりだした。

「手を貸して欲しいんです。元からこの村を襲うつもりなんてありません。ただ逃げられる前にどうしても聞いて欲しい事があります。僕等を、助けてください」

 そう言って深々と頭を下げた瞬間、少年の小さな身体が地面を派手に転がった。


「おいユウト、おめぇ今何しようとしやがった」

 後から追いついた大男が何の躊躇いも容赦も感じさせない本気の拳を腹に打ち込んだのだ。

 ユウトと呼ばれた少年は哀れにも地べたを苦しげに這い回っている。

 セシリアはただポカンと口を開けて見ている事しかできなかった。同士討ち? 仲間割れ? 理解できない光景を必死に飲み込もうとしているのに空回りばかりしている。

 そうしている内に大男は少年の襟首を片手でひょいと摘み上げ目線の位置に合わせた。恐るべきStrの持ち主だ。

 武器を持たないボディーブローをモロに受けて息も絶え絶えだったユウトが苦しそうに歪んだ顔をゆるゆると上げる。

「だって逃げられそうだったから、つい……」

 もごもごと口篭る様子に大男はますます凶悪な顔を赤く染め怒りを露にする。

「あぁ!? ありゃぁ攻撃魔法だったよな。人様を傷つけようってぇのか!?」

 大気が震えるほどの怒鳴り声を至近距離から聞かされたユウトは身を縮こませながらも懸命に弁解する。

「でも、それくらいしか止める方法は……」

「今はそんな話をしてんじゃねぇんだよ! 人様に魔法を使っていいのかって聞いてんだ」

 大男はそれが気に入らなかったようで更に苛烈な怒りをぶつけた。

「違うよ! 使うつもりなんてなかった!」

 ユウトもそんな大男に対抗するように声を荒げるがそもそも議論の点が互いの間で食い違っている。

「きっちり使ってんだろうが!」

 大男が納得するはずもなかった。

「魔法陣を見せただけで発動させる気なんて……」

「男が言い訳なんざしてんじゃねぇ! 万が一使えちまったらどうなるか分かってんのか!? どんな理由があれ人様に向けて魔法を使って良い訳あるかってんだ! 俺はおめぇをそんな事も分からねぇ子に育てた覚えはねぇぞ!」

「……ごめんなさい」

 そこまで言われて、ようやく大男が何を怒っているのかちゃんと理解したのだろう。

 深々と頭を下げて謝って見せるが再び大男が激昂する。

「謝る相手が違ぇだろうが!」

「みなさんごめんなさい!」

 もう一発の拳を頭に受けて涙眼になりながらも周囲に向けて深々と頭を下げた。

「おう、それでいい」

 その姿を満足げに見つめた後ゴツゴツとした手でわさわさと頭を撫でる。

「突然悪かった。けどよ、できればユウトの話を聞いてやってくんねぇか。悪気はねぇんだよ。ただちょっと空回りしてるだけなんだ。頼む」

 そう言って大男も一緒になって頭を下げて見せた。

「……話だけは聞きます」

 先ほどの2人のやり取りや村を襲わないと言ったのが全て演技である可能性はある。

 初めから選択肢などなかったがセシリアがそう告げたとき、ユウトと大男はよく似た柔らかい笑みを浮かべた。


 ガリアの家の広いテーブルにはセシリアと大男、ユウトが座っている。

 先ほどまでガリアや騒ぎを聞きつけたリリーが居たが、これからの会話を考えると同席しない方がいいと判断したセシリアによって下がってもらっている。

「えーと、まずは自己紹介でもしましょうか。僕は……」

「必要ありません。ユウトさんに親方さん。凸凹コンビとして有名ですから」

 人当たりのいい笑みを浮かべながら話し始めたユウトと呼ばれた少年だったが、セシリアの冷めた一言に曖昧な笑みを浮かべる。

 凸凹コンビ。言い得て妙だと思った。

 この2人がリアルで親子関係なのは有名な話だが、子どもの方がしっかりしていて親の方が奔放な性格だとよく言われている。

 確かに子どもの方が丁寧な印象で咄嗟の機転も利くのだが、親はちゃんと親の役割を果たしているようだった。


「そうですね。先に本題から入りましょうか」

 先の一幕を気まずく感じてか、一度咳払いしてから真剣な顔つきになって椅子に腰掛けなおす。

「何から話すべきか。まず、セシリアさんに報奨金をかけたのは僕ら、正確には僕らが所属するギルドです。まずはその創設からお話しします」

 突然異世界に転移させられたプレイヤーは混乱の極致に立たされた。

 それは幻想桜の前に居たプレイヤーを見ても分かるだろう。

 ゲームの中とは違う感覚。現実としか思えない世界に一体どういう理屈で投げ出されたのか、プレイヤーは混乱と恐怖の最中でどうすればいいのか分からなかった。

 あの場で一番早く正気を取り戻し、何をすべきか見出したのはセシリアだ。

 他プレイヤーとの一定以上の干渉を防ぐシステム制限がなくなっている事に気付いたセシリアは身の危険をいち早く察知してその場から全力で逃げ出した。

 それを見ていたプレイヤーの何人かが「逃がすな」「追いかけろ」と声を上げたのは、つい数秒前まで繰り広げられていた日常に縋りたかったからだ。

 何かをしていなければ目の前の現実について考えてしまう。それが怖かった。何も考えずにこの世界はただのゲームなんだと思いたかった。

 一部のプレイヤーが現実逃避からセシリアを追い始めたのを見て、残りのプレイヤーは置き去りにされる事に恐怖を感じた。

 ここが何処だか分からないが、他の誰かと一緒にいたほうが絶対にいい。

 結果、誰もがまるでセシリアを追いすがるような構図につながってしまう。


 セシリアはあの後、上手い具合に寂れた宿屋に紛れ込んだが、プレイヤーは変わり果てた街並みを見て呆然としていた。

 泣き出す者、騒ぎ出す者、喚き散らす者、暴れだす者、逃げ惑う者。中には街の治安を守る兵士に連れて行かれたプレイヤーもいる。

 セシリアを見失った事で現実逃避を続けられなくなった、或いは、目の前の現実があまりにも大きすぎてそれどころではなくなったのだ。

 そんな状況を見たあるプレイヤーはいち早くここがゲームではない、どこか別の、本物の世界だと仮定した。

 ならば状況が分かるまでプレイヤーは一箇所に集まり無闇な行動を起こさず団結したほうがいい。

 声を張り上げた彼の元には残っていたプレイヤーが集まり、名ばかりのギルドを結成する事になったのだ。


「これが僕らのギルド、自由の翼です。僕らの初めての仕事はこの世界の情報を集める事でした。セシリアさんはもう気づいていますよね。この世界には、ゲームの中にあったシステム的な保護は殆どありません。恐らく、街の中にはそれを知らないプレイヤーも沢山居る。混乱の極致で錯乱しているプレイヤーも居る。僕らは早急に散らばってしまったプレイヤーを集め、この事実を知らせなければと思いました。ですが、広がった街は余りに広大すぎてとても虱潰しに探せるような規模ではなかったんです。そこで思いついたのが貴女の知名度と立場を利用させてもらう事でした」


 プレイヤーも早くから金貨の価値に気付いていた。

 お金があることで一応の安寧は得られたが、セシリアのように百枚単位で持っているプレイヤーは極稀で、中級者以下のプレイヤーは高額のアイテムを買う為に貯金していない限り、金貨一枚分、ゲーム中で1Mを所持している事さえ珍しい。

 そしてこの世界のプレイヤーは金貨以下、ゲーム内の1M以下のお金を切り捨てた金額を持たされていた。

 つまりゲーム内で1M以上の金額を所持していなかったプレイヤーは無一文でこの世界に放り出された事になる。

 誰しもがお金を欲しがる状況をどうにか利用できないか。


「生きていく上でお金ほど必要なものはないでしょう。だから貴女を探し人として手配させて頂きました。プレイヤーなら貴女の存在は良く知るところのはず。街の噂に流れればプレイヤーに手っ取り早く伝わると思ったんです」

 実際、金貨100枚分の手配書はあっという間に街に住むプレイヤーではない人々の口を伝わって伝播した。

 セシリアという名前に覚えのあったプレイヤーは手配書を見て、プレイヤーを集めている事実を知り、仲間に伝える。

 そうして短期間で街中のプレイヤーを一ヶ所に集める事に成功したのだ。

「もっといえば、貴女をもし見つても僕等のギルドに案内するだけだったんです。事態をややこしくしたのは貴女も良く知る彼らですよ。最も、今は暗い牢獄の中で鎖に繋がれていますけど」


 ギルドからすればセシリアに危害を加えるつもりなんて最初からなかった。

 プレイヤーの大部分は単にセシリアを見つけてギルドに引き渡す事だけが目的だった。

 ただ、中には金貨の余裕とセシリアへの恨みが両立したプレイヤーがいた。それがセシリアを襲った男たちを中心とした一団だ。

「初めに貴女を見つけた男が居ましたよね。もし彼に捕まっていれば早々に僕らのギルドの庇護に入り襲われる事もなかったんです。彼から逃げ出した先で、貴女は運悪く奴らに捕まってしまった。何があったのか正確には把握していませんが、カイトさんが貴女を逃がした事だけは聞き及んでいます。次の街に向かったと聞いてずっと探していたんです」

 勝手に広告塔に使われた挙句、街全体から狙われるという未曾有の恐怖を与えてくれた事に憤りは感じたが、セシリアはひとまず飲み込む。

 彼らがプレイヤーを集める為にセシリアを使った理由は納得できなくもない。

「話は大体分かりました。でも一つ疑問があります」

 どうしてリュミエールのプレイヤーを集め終わった今でも手配書を取り下げないのか。

 彼らがプレイヤーを集める為にセシリアを使ったのなら、既に目的は達せられている筈だ。


「貴女がまだ近くに居ると分かったからです。もっといえば都市間転送は存在せず、ポータルゲートの位置情報もリセットされていると知ったからです。僕等には貴女がどうしても必要なんです」

「どうしてそこまで私に拘るんですか」

「貴女が高レベルの支援職だからです。自由の翼には高レベルの支援職が一人も居ません。金貨が使えなくなった事は知っていますね? 僕等にとって生命線を切られるほどの痛手です。そこでまず売れるアイテムを集めましたが、全く足りませんでした。せめて倉庫さえ使えればと何度も思いましたよ」

 MMORPGでレアアイテムや余分なドロップアイテムを常にインベントリに入れるプレイヤーは少ない。

 インベントリに入れられるアイテムには最大重量というシステム的な制限があるからだ。

 だから殆どのプレイヤーは普段使う武器と防具、持ってても不都合ではない消費アイテム以外を頻繁に倉庫へ預ける。

 そして狩りに行く時に倉庫に立ち寄って狩場に必要なものを見繕い、狩りが終われば手に入ったアイテムをその場で売るか、もしくは倉庫に入れておく。

 街にいるプレイヤーの大部分のインベントリは狩に行く前の段階で綺麗に整理されていて、必要最低限のものしか入っていなかった。

 装備を売ればある程度のお金は手に入るだろうが、これらはこの世界で唯一自分の身を守ってくれる大切な品々だ。

 そう簡単に手放せるものではない。

 それどころか一般的でないボスドロップ関連の装備アイテムは街の住民では価値が分からず、ゲーム内から比べると極端に低い価格しかつけて貰えなかった。


「そこで僕等は早急に、この世界でお金を稼ぐ方法を探しました。すぐに見つかりましたよ。ゲームと同じだったんです」

 セシリアが真っ先に思いついたのはクエストシステムだ。

 NPCからモンスターの討伐やアイテムの収集を頼まれ、達成する事で経験値や何らかのアイテム、もしくはお金を手に入れられる。

「この間のオークの討伐に来たプレイヤーはギルドの一員で街のクエストを請け負っていた、ということですか」

 ようやくプレイヤーがモンスターの討伐に参加していた理由が分かった。

「そうです。ただ、少しばかり問題があるんです。先のパーティを見たなら分かりますよね」

「支援職がいないか、居ても少ないんですね」

 彼等は狼に乗ってこの村に来た後、狼に乗って帰って行った。行きはともかく、帰りも狼に乗っていたという事は、ポータルゲートを使える人が誰も居なかったのだろう。

 比較的低レベルから覚えられるポータルゲートは支援職にとって必須と言われている。あの中に支援が居て、この魔法を取っていなかった可能性は低い。

「このゲームは、初めから支援職が少なすぎるんです」

 図星だったのだろう。ユウトから苦々しい言葉が漏れた。



 支援職を嗜むプレイヤーが少ない理由は幾つかある。

 まず世界初のVRMMORPGで後方支援を選択するプレイヤー自体が少なかった。

 これは仕方のない部分でもある。剣を振って敵を倒す爽快感、美麗なグラフィックの魔法を使って敵を殲滅する爽快感。

 火力職には分かりやすい楽しみ方があるのに対して、支援職はどのゲームでも良く言えば縁の下の力持ち、悪く言えば地味なのだ。

 折角の全感覚シミュレーションが出来るのに後方から支援スキルを使うだけの支援職を選ぶ人は全体の1割にも満たなかった。誰だって派手に敵を倒したいのだ。

 キャラクターが1体しか作れない制限もこの状況に拍車をかけているといっていい。複数のキャラを作れるならもう少し支援も多かっただろう。


 ならせめて支援職になんらかのテコ入れくらいすればいいのにと思うのだが、現実はその正反対。

 『World's End Online』では初心者が前衛や魔法使いといった火力職以外を育てるのは難しいとされている。

 攻略情報を集めているWikiにも初心者はヒーラーであるクレリックとバフ、デバフを得意とするエンチャンターに手を出すな、手を出すのはよく訓練されたマゾだけだと、TOPページに大きな赤色でこれでもかとばかりに大きく書かれていた。

 そしてそれは、困ったことに何一つ間違っていない。


 公式ページによるとクレリックは味方への回復を主とする補助スキルを豊富に使える支援職と紹介されている。

 一見PTプレイで必須なんじゃないかと思われるが、実際にゲームを始めてみるとそんな事はない。

 確かにクレリックの上位職であるプリーストはパーティプレイに必須と言われていて、どこかしこでも引く手数多の存在だ。

 だが、肝心のクレリックをプリーストまで育てるのに必要な苦労は筆舌に尽くしがたい。

 ゲームの開発者がクレリックに本物の修練をして欲しいとしか思えない難易度に設定しているからだ。


 メインの回復スキルである【ヒール】の回復量はキャラの基本レベルと職業レベル、Intに大きく影響を受けるのだが、ゲームを始めたばかりのクレリックが頑張って最大レベルを取得しても100程度しか回復できない。

 最大HP999で敵からのダメージが5や10なら納得できる値であろうが、ネットゲームの最大HPがそんなに低いわけもなく、裸一貫の作りたて前衛キャラでもHPは300程度とそれなりにある。

 敵から受けるダメージも50前後を倒し切るまでの間に数発と決して少なくない。

 これで他に回復手段が何一つないのであればまだどうにか有用性があったかもしれないが、30レベル未満の初心者向けにクールタイムのない連打可能な回復アイテムが格安で売られていた。

 しかも1つの回復量は100前後。ここからしてクレリックを狙い撃ちにしたとしか思えない。


 他にも、スキルである【ヒール】は当然【MP】を消費しなければ使えない。

 このゲームはレベルが上がる毎に最大MP量も飛躍的に伸びる設計になっている為、後衛職と言えど低レベルのクレリックが持つ最大MPは前衛のそれに毛が生えた程度しかなかった。

 ただし後衛火力であるマジシャンだけはパッシブスキルに最大MP量を底上げするスキルがあるおかげで、序盤から比較的自由に攻撃魔法が使える優遇措置を受けている。

 マジシャンにあるならクレリックにもあって然るべきだという声は大きいが、覚えられるのは何故か上位職であるプリーストになってから、という冷遇ぶりだ。

 この仕様のおかげで前衛職は安い回復アイテムを乱打しつつ攻撃スキルを使って敵をサクサク狩ることができる。

 序盤にクレリックが必要な場面などどこにもないのだ。寧ろ一緒に狩ると効率が著しく落ちるお荷物にしかならない。


 だが序盤はまだ良い。

 ヒールが使えなくとも初心者用の回復アイテムが使えるのはクレリックも同じだ。

 レベルアップで手に入るステータスポイントは全て、この時点では何の役にも立たないIntに費やさねばならず、StrやVit、Agiといった戦闘用のステータスに1も振れない。

 攻撃は遅く、重さもなく、受けるダメージも痛いが、幾らでも使える回復薬がある。

 気分は中毒者のそれだ。誰しも「ふへへ、(ポーション)最高!」と叫びながらレベルを上げる事になるのだが、度重なる薬物乱用の果てに禁断症状が現れるのは現実と何一つ変わらない。

 この回復薬はあくまで初心者支援の一環で、レベルが30以上になると使えなくなるのだ。


 それでも前衛はまだ良い。

 回復薬の値段は高くなるがスキルを駆使すればちょっと背伸びをした狩でもドロップアイテムで十分取り返せる。

 Agi型ならば適正狩場の敵の攻撃はかなり避けられるようになるし、Vit型なら大幅にダメージを減衰させることが出来る上に、Vitは回復薬の効果を底上げしてくれるから経済的にも優しくなる。

 Str一直線の脳筋なら受けるダメージが痛かろうと敵を数発で倒せるようになるから結果的に使う回復薬の量は少なくてすむ。

 だが、クレリックにはInt以外何もない。

 ちなみにクレリックは攻撃魔法を一切覚えないから、マジシャンの様に遠距離から魔法で戦うことも出来ない。

 頼みの綱だった回復薬は奪われ、基本レベルが低いせいで今までのステータスポイントを全てIntに使っていてもヒールの回復量は精々が500だ。

 レベル30の適正狩場ともなれば1発の被ダメージは150前後まで上がっている。

 最大MPもまだまだ低く、最大レベルのヒールは7~8回で弾切れ、自然回復するまで十分近い時間を待たねばならない。

 これがマゾでなくてなんだというのか。


 なら誰かとパーティーを組めばいいと思うかもしれない。

 確かに、名も知らぬプレイヤー同士が集まって即席でパーティを探せるシステムがこのゲームにもあった。

 だが彼らはレベル上げ、もっといえば効率を求めてパーティを探しているのだ。

 回復薬に負ける回復量しか回復できないクレリックに即席パーティの居場所は用意されていない。

 具体的に募集内容の一部を抜粋してみよう。

 ・レベル40前後で廃墟Dに行きましょう ※クレ不可

 ・レベル30前後でどこか~ ※クレリックお断り

 ・レベル60↑ 火力と支援募集 ※クレ以外

 このように、募集中のパーティーのタイトルには常にクレリック不可の文字が踊り狂っている。


 極稀にクレリック可の即席パーティが募集されようものなら、台所の隙間に設置する粘着テープ並みにクレリックばかりほいほいと集まり、効率もガタ落ちするせいで肝心の他職が敬遠してしまう。

 集まらずに解散なんてことも日常茶飯事だった。

 結局クレリックはたった一人、いつまでも格下狩場で細々と狩るしかなく、レベル30を過ぎた辺りで大部分のプレイヤーが別のキャラに鞍替えする。

 レベル40に達する事の出来るクレリックは全体で25%もいないとさえ言われていた。


 廃人でなくとも前衛職なら1か月あれば到達できるレベル60に、クレリックは3か月近い時間をみっちりねっとりとかける必要がある。

 この頃になると職業レベルもかなり上がり、いよいよ上位職への転職が見えてくるのだが、クレリックだけはいつもの如く蚊帳の外だった。

 職業レベルは最大で60まであって、45以上ならばいつでも上位職に転職できるようになる。

 上位職のスキルリストを見て、前提となるスキルを全て抑えてから転職するのが常識とされていた。

 一般的に剣士系基本職のファイターが53、魔法系基本職のマジシャンが55と言われているが、望むならカンストまで成長させて色々なスキルに手を伸ばすことも出来る。

 ただ職業レベルのカンストは一般的に浪漫の一種だと言われるほどに敷居が高い。


 敵には個別に基礎経験値と職業経験値が設定されている。

 基礎経験値はキャラクターの基本レベルに使われ、職業経験値は職業レベルに使われるのだが、序盤からレベル60程度までのMobは職業経験値が低く設定されているのだ。

 レベルの上げやすいファイターでも53から60にするのに1か月以上もの余分な時間を使わなければならず、特に意味もない死にスキルを取るよりも上位職になる選択をする人の方が圧倒的に多かった。

 が、クレリックだけはここで職業レベル60、つまりカンストを要求される。

 プリーストが使える便利な支援スキルを網羅する為にはクレリックの職業レベルが狙い澄ましたかの如くカンスト分ピッタリ必要だからだ。

 上位職とこのスキルツリーが公開された時、数少ないクレリック愛好者が絶望して更に減った。


 だが中には発表されたプリーストが使えるスキルの強さにどうにか希望を見出し、下位狩場でちまちまと敵を狩り続ける猛者もいた。

 Intだけをひたすら上げ続け、ノンアクティブの弱小Mobを1匹ずつ、ちまちまと数十万匹狩り続けたその先に、プリーストの道は開かれる。

 何人もの愛好家が挫折し、半端なレベルで転職しては後悔した。

 けれど半端なスキル構成であっても、即席パーティではプリーストを求める声が絶えなかった。

 この頃になるとヒールの量は2000近くなり、転職したおかげで最大MP量も上昇し、余力が出来たことでヒーラーとしての役割をこなせるようになったからだ。

 ようやく支援職としての地位が確立され、クレリックを頑張って育てていたプレイヤーが報われた……と思いきや、後にプリーストの暗黒時代が訪れる。

 需要と供給が一致しない状況が続いたことでプリーストを作ろうとするプレイヤーが急増したのだ。


 それ自体は喜ばしい事なのかもしれないが、職業レベル45で転職する根性なし、もとい産業廃棄物、略して産廃が量産され、最低限必要なクレリックスキルさえ所持していないプリーストが巷に溢れた。

 彼らの目的はプリーストで遊ぶことではなく、自分が多数のプレイヤーから求められる事だった。

 プレイヤースキルどころか、必要なスキルさえ持たずふんぞり反っている彼らが溢れた事で即席パーティは阿鼻叫喚に包まれ、プリーストに悪いイメージが付き纏ってしまったのだ。

 勢いで作った産廃プリーストが市民権を獲得出来る筈もなくブームは一瞬で過ぎ去ったが、地道な苦労の上ようやく転職した真面目なプリーストまでステータスやスキルを再三聞かれたり、1つのミスをネチネチと叩かれたり晒されたりするケースが増え、貴重なプリーストの数を更に減らす事になる。

 そういった理由からこのゲームは支援が少ないのだ。圧倒的に。

 セシリア並みのレベルを持つフリーの最大主教(アークビショップ)なんて完全に天然記念物扱いである。




「モンスターと戦うのに支援が欲しい、と」

「そうです。特にダメージを完全に防げる【リメス】か【プロテクション】が欲しい。それだけでもモンスターと対峙する恐怖はぐっと減りますから。ヒーラーなしでモンスターと戦う事を危惧している人たちは沢山います。レベルが高く腕も立つプレイヤーとなれば貴女ほどの適役は居ません。今後の身の安全は保障します。こうして貴女と話ができた以上、手配書もすぐに取り下げます。常に力を貸して欲しいとは言いません。ですが、僕らの現状を知る為にも一度だけでいいんです、ギルドまで足を運んでいただけませんか?」

 答えは既に出ていた。

 彼等が本当に善人なら悪意を持ったプレイヤーから保護してくれるかもしれない。

 場合によっては引きずっていたプレイヤーとの確執を治める手立てになるかもしれない。

 逆に彼等が悪人ならセシリアが断った所で「はいそうですか」と納得するはずがない。

 この村がセシリアにとって大切な場所だという事は既に知られている。何かをされるくらいなら自分から出向いて恩を売ったほうがいい。

 少なくともセシリアが従順に振る舞っている間は関係悪化を恐れて村に手を出したりしない筈だ。


「……分かりました。すぐに伺います」

 苦々しいセシリアの声とは裏腹に、ユウトは嬉しそうな明るい笑顔を綻ばせた。

「ただし条件があります。私とリュミエールに行くのは貴方だけ。彼はここに置いていってください」

 ユウトは若干難しい顔をしたが、すぐにその提案を受け入れた。

 建前上はこの村に警護を残したいから、という理由だったが本当はただの人質。彼等も意図には気づいているだろう。

 もし今までの話が嘘なら一緒に行くユウトを盾にする。その上で彼は頷いたのだ。



「そういう訳で1度リュミエールに行く事になりました」

 話を終えたセシリアはフィアの家に戻ってから、今すぐにここを発つと話す。

「何でそんな急に……」

 フィアもリリーも突然の別れに愕然としていた。

 セシリアは彼等にとって自分がここにいるのが当たり前になっていることに少なくない嬉しさがこみ上げる。

「まだ戦い方も全部教わったわけじゃないのに」

「そうです。お姉様は一緒に泉に行ってくれるって……」

 やり残した事は多い。迫る2人にセシリアは頭を下げるしかなかった。

「泉には必ず行くから。でももう少し後になっちゃうかな。ごめんね。フィアにも先生は用意しておいたから。私と違って前衛で戦いにも慣れてるし、もっと実のある練習になると思う」

 今にも泣き出しそうな表情で裾を掴む姿には後ろ髪が引っ張られる思いだが、今のセシリアに選択肢はない。

 飛び込んできた小さな肩を抱いて頭を撫でるとぐずる様な嗚咽が聞こえる。

「お姉様は私に気を使って兄様から離れようとしてるんですか……?」

 セシリアにだけ聞こえる小さな声に、余計な気苦労を駆けてしまった事を申し訳なく思いつつもきっぱりと否定する。

「違いますよ。だから絶対戻ってきます」


 セシリアとていつまでもリュミエールに留まるつもりはなかった。当面の問題が解決したらここに戻ってきたいと思っている。

 どのくらいの時間がかかるか分からないが、まずはギルドがどんな組織なのかを見極める必要がある。

 味方になるようならいいが、もし敵になるようなら何か手を考えねばならない。

 それに、あの時集めたプレイヤーとのわだかまりをいつまでも放置するわけにも行かなかった。解決できるならした方がいい。

 その為の手段は、なくもなかった。またセシリアを演じる必要がでてくるが追い回されるよりは余程いいだろう。

「出来るだけ早く戻ってきますね」

 これを今生の別れとするつもりはない。

 彼等との関わりが深い物だと思われない為にも、本当にあっさりとそれだけを言い残してセシリアは家を出る。

 2人が追いかけてくるより先に、表で待っていたユウトを引き連れてリュミエールへ転移した。

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