森の中の村で-9-
「どうして急に出かけたいなんて言ったんだ?」
「兄様が遠くに行っちゃいそうだったから……」
いまいち要領を得ない回答にフィアは首を捻っていたがリリーはそれ以上話そうとせず足の動きを早める。
「あ、おい、待てって。あんまり急ぐと転ぶぞ」
逃げ出したリリーにようやく追いついたと思えば泣いていて、フィアがどうすればいいのか分からずと惑っていると、1つお願いをされた。
それが翌日、一緒に出かけること。
別にどこでも良かったのだ。ただこうして2人きりで過ごせるのならば。
彼等が目指している場所は歩幅の狭いリリーに合わせても1時間ほどで辿り付ける森の中の広場だ。
まるで森が意志を持ったかのように一部だけ背の高い木が生えておらず、遮らる物のない平地には陽が良く当たり、色とりどりの花が咲き誇る。リリーはそれを摘んで帰るつもりだった。
気兼ねの要らない兄妹は他愛もない会話を弾ませながら歩くと目的の広場にたどり着く。
じめじめと薄暗かった景色が一変して、世界中のあらゆる色を集めたような一面の花畑が広がっている。
「また派手に咲いてるな。そういえば昔、母さんが花と蜜を使ってジャムを作ってたっけ」
砂糖が希少な村にとって、唯一と言える甘味は花の蜜だ。自生する花の中には蜜を豊富に蓄えた蜜花と呼ばれる物があって、それを集めて煮詰めると甘いシロップが作れる。
「はい、兄様。蜜花を見つけたらこの中に集めてください」
甘いものと聞いて俄然やる気が出たのか、任せておけとばかりに籠を受け取ると一面の花畑から目的のものを探し始めた。
作業に没頭すると互いに無言になり、ついつい時間を忘れてしまう経験は誰しもあるだろう。
フィアとリリーはいつしか話すことも忘れて競争のように花を探していた。
地に咲く背の高い花を探すには腰を折って地を見るしかない。必然的に視界は狭まり、接近する2人の影に気付かなかった。
「お、何か居るし。結構可愛いじゃん」
突然頭上から降ってきた声にリリーが顔を上げると襟首まで伸びているダークブラウンの髪を結び、重厚な鎧を身に着けたフィアよりも幾つか年上くらいの男性と目があった。
彼等が持つ威圧感に当てられて花を入れていた籠を胸に抱くと数歩後ずさる。
「へー、リアルに作られてるし」
騎士の手が無造作にリリーへと伸ばされ、腕を掴もうかと言う瞬間に身体が引っ張られ空を切った。
「何のつもりだ」
自分の身体を盾にするように背後へリリーを隠すと怯えた様子で裾を掴む。
完全武装の相手と向き合っていると言うのにフィアは少しも怯んでいない。
騎士は小さく舌打ちすると背後に居た、空色の髪をしたもう一人の騎士に振り返る。
「どーする?」
「そいつ等この辺に住んでるNPCだろ? 食料調達しようぜ」
目の前のフィアとリリーを気にも留めず、時々理解できない単語を話しながら相談する2人を背から見ていたリリーがフィアの袖を引っ張る。
「兄様。この人たち、手配書の……」
フィアが初めて眉をしかめた。記憶の中の手配書と照らし合わせてみると、年齢も髪の色も確かに一致する。
「つーわけでさ、近くに村か何かあるっしょ。案内してくれね?」
相談が終わったのか騎士がぞんざいな態度で命令したが、手配書に描かれる様な人間を連れて行けるわけがない。
「断る」
「あっそ」
きっぱりと拒絶したフィアを見て、騎士は殆ど何の感慨も抱いていなかった。
躊躇う事もなく腰に下げていた剣を引き抜くと構えも何もなく面倒臭そうに振り抜く。
ただそれだけで周囲に赤い花が咲いた。目を見開いたフィアが叫ぶこともなく地面に倒れ伏す。
「兄様……?」
背後に隠れていたリリーが露になった。転がっている兄を恐る恐る揺すると流れ出た赤い液体が土に染み込んでいく。
恐ろしい事にただの一撃でフィアの胴は半ばから断ち切られ2つに分かれていた。
「いきなり殺してどーすんだって。やるなら吐かせてからにしろよ」
「いやさ、良く見たらこいつが持ってるのレア武器じゃん? "殺してでも奪い取る"なんつって」
フィアを斬った騎士がおどけた口調で笑うと、背後の騎士も一緒になってからからと騒ぐ。
リリーは何も言えずに動かないフィアを揺すり続けていた。
「まぁいいじゃん、もう一人居るんだし」
引き抜かれた剣の切っ先がリリーの首に添えられる。その気になればすぐにでも殺せる体勢をとった上で、騎士はもう一度同じ事を口にした。
「村まで案内してくれるっしょ」
「ええ、一生安泰で暮らせる牢獄に案内します」
突然脇から聞こえた声に胡乱気な視線を送った騎士だったが、目を見開いてリリーから剣を引き背後に跳ぶ。
もう一人の騎士は背負っていた盾を構えると内側に身を隠し、防御体勢をとった。
飛びのいた騎士が先ほどまで居た場所に3本の光の槍が轟音と共に突き立ち、残りの2本が盾ごと騎士を跳ね飛ばす。
「兄様が……っ」
セシリアは酷い表情をしているリリーの元に駆け寄ると小さな身体を優しく抱きしめた。
同時に、血塗れで倒れているフィアに全力の【ヒール】を発動させると淡い光が一瞬にして傷を治す。胸に触れると心臓は力強く鼓動していた。
その事実に涙が出そうになるくらい安堵してからもう一つ、フィアが陥っているであろう気絶状態を解除する為に、状態異常を回復する魔法を使う。
「【ピュリファイ】」
閉じられていたフィアの目が緩やかに開いた。強制的な覚醒はセシリアの望む所ではなかったが、今は他に方法がない。
寝起きの頭ではこの状況を理解しきれていないのか、いつのまにか出現したセシリアを見て目を瞬かせている。
無理もあるまい。ここに来るまで、周りの事など気にも留めず全力で走ったせいで、木の枝に引っ掛けたチュニックは所々が破けている上に、手足には無数の切り傷が浮かんで血を滲ませている。
しかしセシリアは満身創痍とも取れる自分の身体にヒールを使いもせず、フィアに強い口調で命じる。
「フィアはリリーさんを連れて逃げて」
リリーという単語に、フィアは素早く反応した。
すぐ隣で堪えていたあらゆる感情が爆発したように泣きじゃくっている妹の姿を見とめるなり勢い良く飛び起きる。
ようやく状況を完全に飲み込めたのか、怒りのままに剣を抜き放つと油断なく構えるが、セシリアの手は嗜める様にそれを押さえ込む。
「逃げてっていったの、聞こえませんでしたか」
「だけど!」
辛辣な物言いにフィアが反抗する。
彼にも目の前の騎士達がオークなどの比ではない程強いと分かったのだろう。
「フィアはどうして強くなりたかったの。その子を守りたいからじゃないの?」
ぐっと、フィアが息を呑む。セシリアと震えているリリーを見比べた後、口惜しそうに剣を収めてからリリーを抱き上げた。
もし2人で戦ったとして、逃げられる状態ではないリリーを巻き込む可能性に気付いたのだろう。
「すぐに人を呼んでくる!」
それっきり村に向かって駆け出していく。2人組は目の前のセシリアを見るばかりで逃げた2人に興味はないようだ。
(本当はポータルゲートで村まで送り届けるべきなんでしょうけど……)
セシリアはこんな状況でポータルゲートを渋るような性格をしていない。それでも使わなかったのは時間が欲しかったからだ。
「おい、お前もプレイヤーだろ? 何ゲームにマジになってんだよ」
男の言葉にセシリアは俯き苛立ちから唇をかみ締めていた。握った手の平でも爪が白い肌に突き立ち血が浮き出ている。
男達はそんな彼女の様子に少しも気付かず饒舌に喋り続けていた。
「丁度いいじゃん、あんた支援だろ? 見た目も良いし組もうぜ」
「どんなバグか知らねぇけど俺らなんだって出来るからさー。運営も大胆な仕様にしたよなー」
彼等はこの世界がバグの起こっているゲームの中だと言っていた。
だから何をしてもいいのだと。
勇者が他人のタンスの家を漁っても何も言われないように、彼等は街や人を襲っても構わないのだと。
悪いのはそういう行為が出来る様になっているこの世界そのもの、仕様のせいだと。
「これがゲームだって……?」
突然この世界に放り出されたプレイヤーが混乱するのは無理もない。
食べ物もなく、生きる為に盗みを働いたプレイヤーを悪と断じれるかと言われれば答えるのは難しいだろう。
けれど、先ほど目にした行為だけは認められない。独善的であろうとなんだろうと。
「この世界のどこが、ゲームだって言うんだ」
被っていた仮面さえ捨てて怒りにざらつく瞳を2人に向けても、彼等はただ笑うだけだった。
「全部だろ。ログアウトしてねーもん」
「つーかもうパーティとかいいや、面倒臭ぇ。近くに村でもあるんだろ? 色々足りなくて困ってんだ、連れてけよ。遊んでやるからさぁ」
セシリアの中で彼らの姿がいつかの誰かと重なった。心のどこかで何かが切れるような音がする。
「もういいや。話すのは無駄みたいだし」
セシリアが右手を上げてインベントリへとアクセスする。出てきたのは一振りの細く華奢な片手剣だ。
それを右手で握って男たちに切っ先を向けると彼等も一様に武器を構える。それが開戦の合図となった。
怒りに思考を埋め尽くされながらも、セシリアは冷静にこの場をどう納めるか考えを巡らせていた。
最終的な目標はリュミエールにいるであろう、この間の討伐隊、いわゆるプレイヤーに突き出すこと。
その為にはこの2人が抵抗の気力をなくす程度には痛めつける必要があった。
だがセシリアは支援だ。普通に戦っても前衛である彼等には敵わない。
魔法は詠唱を必要とするだけでなく、この世界では狙いを自分で定める必要があり、必中ではなくなっている。
【セイクリッド・パージ】は詠唱時間が長すぎるし、【ホーリーランス】は虚空への具現化のステップを挟む必要があるせいで見抜かれやすい上に今はクールタイム中だ。
どうにかなる手段があるとすればもうこれだけしか残っていない。
普通、職業には向き不向きのステータスがある。
前衛に魔法に関するステータスであるIntは必要ないし、逆に魔法使い系列に物理攻撃力に関するStrは意味がない。
故に、大体の職業ではステータスの最適解がはじき出されていて、それに沿ったステータスに振られたキャラの事を【量産型】と呼ぶ。
しかしMMORPGは自由度がひたすらに高いゲームだ。
中にはこの量産型に真っ向から否を唱え、常識的もは考えられない様なステータス配分にする人達も少なからず居る。
例えば、詠唱速度を完全に捨て、敵の攻撃を避ける事に特化したステータスを振る回避型魔法使い。
例えば、Strに1も振らずIntだけを伸ばし続け、魔法スキルが付与された装備を使い攻撃する前衛職。
キャラクターが1体しか作れない『World's End Online』にもこの手のネタキャラは一握り存在していた。
馬鹿としか形容できないが、ただの馬鹿ではなく愛すべき馬鹿だ。
運営はそんな彼等を賞賛するかのように、彼等向けのアイテムを実装した事がある。
その中の一つが今セシリアの握っている長剣、プリンセスソードだ。
武器の攻撃力はまさかのゼロ。そのかわり装備者の魔法攻撃力を使って物理攻撃が可能になる。
この装備が実装された後、IntとAgiを極端に伸ばした魔法職がネタ職ではなくなった。
物理攻撃力よりも魔法攻撃力の方が同じステータスであったとしても伸びやすいのだ。
セシリアがダークブラウンの髪をした騎士に向かって駆ける。
彼等がこの世界をゲームだと言うのなら、その土俵で相手をするまでだ、と心に決めながら。
魔力を通したプリンセスソードの刀身が穢れなき純白に染まる。
肉薄した所で力の限り剣を振るうがAgi型なのか攻撃は掠りもせず、余裕の表情で避けられた。
突き、左右からの水平斬り、降ろした剣を飛び上がるように振るう逆袈裟斬り、あらゆる方向から我武者羅に剣を振るうが、やはりそのどれもが速度不足で動きの早い騎士を捉えるには至らない。
幾らプリンセスソードが魔法攻撃力を物理攻撃力に換算できるとしても、セシリアの剣の腕や攻撃速度が上がるわけではない。
初めて握った剣は細身と言えども確かな重量を持ち、小さなアバターの身体ではどこか振り回されているようでさえある。
「遅ぇーんだよ。剣ってのはこう使うんだッ!」
セシリアの攻撃を鬱陶しく感じていた騎士が容赦なく剣を振るった。彼女の物とは重さも早さも違う長剣が閃き、がら空きの胴に振り抜かれる。
硬い音がしてセシリアが喘いだ。
深々と肉にめり込んだ刃は肋骨のいくつかを叩き折っても止まらず、肺までも引き裂いて苦しそうな咳が漏れる。
視界の端でオークに貰った一撃とは比べ物にならないHPが削られる。けれど、あの時と違ってセシリアは恐怖と痛みに押し潰されたりしなかった。
「予め痛いのさえ分かってるなら、結構耐えられるね……」
顔を上げたセシリアは薄ら笑いさえ浮かべてみせる。極度の怒りと興奮状態が大量の脳内物質を生み出し痛みを抑えていた。
騎士が本能的な恐怖を感じて剣を引き抜こうとしたが、セシリアは既に剣を抱え込むように掴んでいて動かせなくしている。
乱暴に力を加えられる度に神経を直接抉られるような痛みと、背筋に冷たいものが走るが、手だけは絶対に緩めなかった。
初めからまともに剣を振って攻撃を当てられるとは思っていない。魔法を連発してこれは不味いと逃げられるのも嫌だった。それでは彼等に痛みを教えられない。
ではどうすればいいのか。動けない時を狙うしかない。
わざと攻撃を誘い、【リメス】も使わずに攻撃を受けて抱え込むことで防御する術と回避する術を同時に奪い去る。
ゆるゆると右手が持ち上げられ、未だ発光したままのプリンセスソードが剣を抜こうと必死になっている騎士の腹に突き刺さった。
初めに訪れたのは空白だ。何が起こったのか理解できず、騎士は自分の腹を見て、突き刺さっている何かに気付いた。
途端に顔を恐怖と苦痛に歪め、セシリアから引き抜こうとしていた剣さえ手放し、腹に手を添える。
セシリアはその瞬間を狙って剣を抉るように回転させつつ望みどおり引き抜いた。
内臓を鋭利な細い刃物で掻き回されるという普通ではありえない痛みに騎士が音にならない声を上げて地べたを転げまわる。
押さえられた腹からは際限なく真っ赤な液体が次々に流れ、花と地面を毒々しい朱色に塗り替えていた。
「お、おい、大丈夫か!」
今までセシリアと騎士のやり取りを見ていたもう一人の騎士が人の物とは思えない絶叫を上げ続ける彼に駆け寄り、インベントリから回復剤と思わしきアイテムを取り出す。
無論、セシリアがそんな隙を見逃すはずもない。
未だ赤い血に塗れた、今では禍々しい桜色になってしまった剣でもって駆け寄ってきた騎士の胸を容赦なく串刺しにした。
結果は同じだった。無防備な状態で防ぐことも出来なかった彼は襲い掛かってきた無慈悲な痛みに身を捩るしかない。
自分よりも年上の、武装した騎士が転げまわる様を冷徹に見下ろしながら自分の傷を癒す。
「ゲームなんでしょ? そんな大袈裟に喚かないでよ」
やはり、と言うべきかこの2人はセシリアと同じく、突然与えられる痛みに全くと言っていいほど耐性がなかった。
今まで弱い人ばかりを狙い、追いかけてくる上位プレイヤーからは逃げ続けていたのだろう。
初めて受けた現実以上の痛みの中で、冷静に立ち上がり剣を向けるなんて真似が彼等にできる筈もない。
セシリアはまず初めにライトブラウンの髪をした騎士に向け、無表情のままで剣を振り下ろした。
背中まで突き抜けた刃は不気味に蠢く虫を止める標本のピンの様でさえある。
1度激しく痙攣した騎士がそれきり動かなくなった。とはいえ、死んだわけではない。想像を絶する痛みで気絶しただけだ。
「寝るにはまだ早いよ?」
聞こえていないであろう彼に向かって、セシリアは笑顔さえ浮かべつつ魔法を使う。
「【ピュリファイ】」
気絶状態が解除された男が強制的に意識を引き上げられ再び悶絶を始めた。
「【ヒール】」
痛みの津波がセシリアの魔法ただ1度ですっと引く。額に脂汗をびっしりと浮かべた彼は怯えたようにセシリアを見上げた。
「た、助けてくれ。殺さないでくれ!」
足に縋るなり、呂律の回りきっていない震えた声で告げられたセシリアは満足げに小さく微笑んでみせる。
それはあたかも聖母のようで、騎士の顔にも安堵が浮かんだ。
「大丈夫、殺したりしないから」
慈愛に満ちた表情で、躊躇う事もなく両足の甲を、脛を、太ももを、腕を、手を、致命傷に至らないありとあらゆる箇所を際限なく刺し貫く。
再びの絶叫と気絶。繰り返される魔法による回復。10度目の繰り返しを行う頃には何をしてもすっかり反応しなくなっていた。
数十分にも及ぶ壮絶な場面を見せ付けられたもう一人の騎士は完全に恐怖に支配され、セシリアの目が自分に向けられ近づかれただけで聞くのも恐ろしい絶叫を放つ。
「【サイレンス】」
だが喉から絞り出されていた声はセシリアの魔法によってあっさりと無音に変えられた。
「止めてって言えたら、止めてあげる」
にこり、と天使のような笑みを浮かべてから手に持っていた、真っ赤に染まっている剣を振り下ろす。
声はなかった。ただ騎士がいやいやと首を左右に振り、襲い来る壮絶な痛みに声も出せず悶えている。
ヒールが優しい能力だと言った人がいる。
ある意味では正しいのだろう。けれど使い方次第では残酷な能力にもなれるのだ。
攻撃を受ければ痛いに決まっている。受け続ければやがては死んでしまう。
だけど死は人を苦しみからも解き放つのだ。
しかし癒しの力は幾ら傷ついても終わる事を、死を許さない。
何度でも傷を癒すと言う事は、何度でも苦しみを味あわせ続けるのと同義だ。
フィアがここに戻ってくるまで最低でも1時間半。
ポータルゲートを使わなかったのは、彼等により多くの苦しみを理解させる時間が欲しかったからだ。
「なにが、あったんだよ……」
フィアが急ぎに急いで村に戻り人を連れてきた時、セシリアの白いチュニックは滴るほどの赤に染まっていた。
夥しい、まさに海としか表現できない血溜まりが2人の騎士の周辺を完全に染め上げている光景は異様の一言に尽きる。
色とりどりだった広場が、今やその一角を不吉な赤の単色に塗り潰していた。
「大丈夫です。命に別状はありませんから。紐の類はありますか?」
村人が恐る恐る差し出した木の蔓を受け取ったセシリアは動かない騎士をぐるぐる巻きにした。
「と、とにかく運ぼう。誰か手伝ってくれ」
凄惨な光景に我を失っていた村人の何人かが恐る恐るセシリアの近くに寄ってきて縛られた騎士を持ち上げるべく力を入れた。
「この重さを運ぶのは大変ですし、起きて暴れられても面倒ですから移動魔法を使います。皆さん入ってください」
ポータルゲートとスキル名を口にすると目の前に光のゲートが作られる。
村人はおっかなびっくり潜っていたが、出た先が自分達の村だったことに大層驚いていた。
ところが一番最後にゲートを潜ったセシリアの視界がぐらりと揺れ暗転していく。慌てて村人が倒れそうな身体を支えるがその時はもう意識はなかった。