森の中の村で-8-
あれから3日後、フィアは遂にコツを覚え【アクアスラスト】を発動するまでに成長していた。
内面的な力を使う事にまだ慣れておらず、集中に時間はかかるものの威力は申し分ない。
セシリアの、精神的な力は成長と共に増加していくのではないか、という予測は当たっていたのだろう。
フィアは最初から【アクアスラスト】を十数発放てるくらいの力を持っていた。
初めて自分だけで使えるようになった時は調子に乗って乱発し、精神力(MP)が切れたことによって倒れ動けなくなったのはお約束というべきか。
だがこれはこれで、今まで精神力(MP)を切らしたことのなかったセシリアには重要な情報だ。
ゲーム内では精神力(MP)が尽きても自由に動き回ることが出来たというのに、この世界では動けなくなるほど消耗してしまうようだ。
どの程度疲れるのかと思い、ディレイもクールタイムもない支援スキルをひたすら連発してみたところ、疲れと言うより立ちくらみに似ためまいが襲ってきた。
体調の悪さはその後しばらく、セシリアの精神力(MP)がある程度回復するまで続き、その間はとてもじゃないが動けない。
スキルをメインに使わざるを得ないセシリアにとってある程度のマージンを残す必要が出てきたのは大きな痛手だった。
「それじゃ、もう1度撃ってみてください」
今2人が居るのは森の中の村ではなく、やや離れた場所にある平原の只中だ。
どこまでも広がる草むらはとにかく広大で際限がない。
【アクアスラスト】の射程距離を測る為には森の中の障害物が邪魔だったのでこうしてわざわざ遠出してきたのだ。
やや離れた位置にセシリアが合図を送るとフィアが溜めのモーションに移る。
大きく剣を振りあげた所で目を閉じ、静かに息を吐き出すと刀身が青く輝き始める。
ややの間を開けて彼の目が開いた。同時に気合の籠った声と共に振り上げられていた剣が勢いよく振り抜かれる。
虚空を裂いた切っ先をなぞる様に青の軌跡が生まれたかと思えば、次の瞬間には目標であるセシリアに向けて駆け抜けた。
小さな身体が駆け抜ける青色の衝撃波によって断ち切られるかに思えた刹那、薄青の膜によって硬い物をぶつけ合ったような音が響き、霧散する。
両者の距離は凡そ20メートル。何度も試した結果、これ以上離れると威力が加速度的に減算してしまうから、有効最大射程という事になるだろうか。
「発動は安定してきましたし、これからは当てる練習も取り入れましょうか」
セシリアはフィアのスキルの出来栄えに満足そうにふふりと笑みを漏らし、もう一つ先のステップへ進む。
それが当てる事だ。今までの様な静止物ではなく、常に移動し、自分に向かってくる目標に対し、進路や行動パターンを予測して当てられるようにならなければどんな高威力のスキルでも宝の持ち腐れだ。
取り入れられた訓練方法は実戦形式である。
技術的な剣の指南は出来なくとも、攻撃を避けつつ近寄ってくる"生きた的"になるくらいならセシリアにもできる。
「離れた所から近づきますから、フィアか私が1撃を貰った時点でお終い、攻撃を受けた方の負けとしましょう」
セシリアには【リメス】があるから、数回くらいなら攻撃を受けても無傷でいられる。
30メートル程離れた場所からフィアに近づき、途中1回でも攻撃を当てられたらフィアの勝ち。近づかれてセシリアに触れられたらフィアの負けだ。
薄青の膜が展開され、セシリアが余裕の笑みを浮かべながら悠然と立つ。開始の合図はセシリアが動いたらと決まった。
フィアは剣を振りあげながら意識を集中しスキルの発動準備を終える。
何度か風が草の海原を凪いだ時、セシリアが駆けだした。ほぼ同時にフィアの1撃目が迸る。
けれど立っていた場所を狙うだけの見え透いた攻撃は、セシリアに到達するよりずっと早く回避されてしまう。
回り込むように動くセシリアに向け、もう一度フィアが剣を振りあげて集中、準備ができる頃には双方の距離が半分以下に詰められていた。
――これを外したら後がない。
フィアの顔に若干の焦りが生まれるがすぐに撃つような愚行は犯さなかった。
衝撃波の速度は人が駆け抜けるよりずっと速いが、光のように一瞬で到達するわけではない。
遠くなればなるほどタイムラグが生まれてしまう。
ならば限界まで引き寄せる事で避けるまでの間を与えない方が命中率は上がる。
互いの距離が5メートル程度まで縮んだ瞬間、フィアはセシリアのやや前方に向けて剣を振りおろした。
描かれた斬撃が形を伴って、もう目と鼻の先にいるセシリアに触れようかと言う刹那に、小さく笑みさえ浮かべた彼女がその場で両足を揃えて踏み込み、1度身体を沈み込ませると背後に飛び退く。
青い衝撃波はセシリアに掠る事もなく、生えていた草を刈りながら地平線に向かって飛んで行った。
「はい、私の勝ち」
勝利を確信していたフィアが唖然としている間に小さな拳を彼の胸に軽く当ててみせる。
「んな……えぇい、もう一回!」
至近距離で避けられたことに悔しさを露わにしたフィアが吼えるように言うのを、セシリアはどこか楽しそうに頷いてみせた。
それから何度か同じ訓練を繰り返しても、フィアの攻撃は掠りさえしなかった。
10回近い衝撃波を放って流石に疲れたのか、ムキになったように繰り返していた「もう一回」を言うより先に草原へ四肢を投げ出して寝転がる。
「なんで避けられるんだ?」
セシリアはそんなに速く走っていない。一面に生えている草が動きを鈍らせている上に、身体は小さくAgiに至っては初期値だ。
単純な駆けっこをしたらフィアに到底及ばないだろう。
遅いはずのセシリアに当てられないのであれば、モンスター相手に当てられる道理はない。
「そりゃ、当らないですよ」
寝転がる彼の足元へ歩いてきた彼女が、さも当然だとばかりに言うとフィアが苦い顔をする。
「だって全部縦斬りなんだもの」
農具を振り下ろす事に慣れているせいか、セシリアが初めにそう教えたからか。フィアは攻撃の際、必ず大きく振り上げてから振り下ろす。
剣の軌跡通りに【アクアスラスト】が発動するのであれば、縦長の人間に当てる時は横斬りで面積を稼ぐのが道理だ。
狙いが低すぎれば飛び越えられて、高すぎては伏せられて避けられてしまうが、横斬りなら最低でも避けようとした時に身体のバランスを崩せるだろう。
もっと言えば防ぐのも飛び越えるのも難しい斜め方向に斬る事が望ましいが、調整を間違えると余計避けやすくなるから、腰辺りを狙う水平斬りが初心者には最も好ましい。
「それに、振る時に声を上げるから誰でも分かっちゃうと思う」
うっ、とフィアが言葉を詰まらせた。精神的な力を使う時に叫ぶ行為は有効らしく、攻撃の直前に必ず声が届くのだ。
避けやすい縦斬りに加えて攻撃のタイミングまで分かっていれば足腰に自身のないセシリアでも容易く避けられる。
「それから近づくまでに2回しか使えないのも問題かな。せめて今の5倍、10回は撃てないと」
「10回!? それはちょっと先が長いと思うんだが……」
「溜めの時間を短くするのも今後の課題だけど、1回もその場から動かなかったよね。時には敵から逃げて距離を稼ぐのだって大事だよ?」
通称、逃げ撃ち。
本来はモンスターの攻撃範囲外から攻撃したあと、追いつかれない様に逃げまわりつつディレイやクールタイムが終わるのを待つ、システムに定義されていないプレイヤースキルの一種だ。
特に遠距離攻撃が得意な魔法職系列が良く使う。
「でも一番の課題はスキル前の叫び声かな」
やっぱりそこか、とフィアががっくり項垂れた。
それをどこか楽しげに眺めていたセシリアは、森の方からこちらに向かって駆けてくる小さな影を見つける。
「リリーさん、こっちです」
今朝、平原まで出ることを予め彼女に話した所、お昼ごはんを作って持ってきてくれると申し出てくれたのだ。
見えるように大きく手を振りながら彼女に近づこうとして足を踏み出した所でフィアが焦りながら立ち上がる。
「その格好で人を跨ぐな!」
何の事だとばかりに立ち上がりかけていた彼を見下ろしたセシリアだったが、視界の隅で揺れる膝丈のチュニックの裾に気付いて急制動をかける。
リアルでスカートをはいた事があるはずもなく、演じる事も止めていたせいで普段着ているズボンのような感覚で動いていた事に今更気付く。
ここでセシリアがキリエ程のAgiを有していれば、猫のような身軽さで体勢を立て直す事が出来たかもしれない。
けれど間違いに気付いて焦っていた事もあって、急制動はとても制御できるものではなかった。
バランスを崩してゆっくり後ろに倒れる彼女を支えようと、起き上がりかけたフィアが手を掴んだが引っ張られるようにして倒れこむ。
「ったぁ……」
地面に倒れこんだセシリアが呻き声を上げた。自分ひとりだけならまだしも、身体の上には助けようと手を出したフィアの体重が丸々乗っかっている。
胸の2つの膨らみは自分への衝撃を吸収するのにあまり役立たない事を、彼女は初めて知った。
重い衝撃が肋骨と肺を叩いたせいで大きく咳き込むと乗っかっていた重みがすぐに遠のく。
「わ、悪い!」
痛みからいつの間にか瞑っていた目を少し開けば見慣れたフィアの顔が少し上にある。
腕立てをするような形で身を起こしている様は傍から見ればセシリアを押さえ込んでいるように見えなくもない。
「いいですよ、別に」
強く目を瞑ったせいか僅かに潤んだ瞳で見上げる。背後で草むらが揺れて、何かが落ちるような音がした。
何だろうとフィア越しに背後を見ればいつの間にか近づいていたリリーが手に持っていた籠を取り落とし目を見開いていた。
セシリアが弁解するよりも早く彼女はくるりと背を向けるとその場を走り去る。
「待って!」
必死の叫び声も彼女に届いていないのか、それとも無視されたのか、止まる気配はない。
フィアも走り去る妹に気付いて怪訝な顔をしていた。
「あいつ来てたのか……。何で行っちまったんだ?」
フィアには見えていなかったのかもしれないが、セシリアには彼女が泣いていたのが見えていた。
どうして? この状況を見たからだ。連鎖的に昨日のドアが思い出される。あれは本当に閉め忘れただけだろうか。実は誰かが開けて、閉め忘れたとか。
誰が? そんなの一人しか居ない。なら、どうしてそんな事を? 声もかけずに。
1週間前からフィアに小言が多くなったと言う彼女。何が原因だったのか、考えても見れば思い当たる事だらけだった。
「フィア、これ持って追いかけて!」
覆いかぶさるフィアを跳ね上げた後、取り落とされた籠をフィアに突きつけると厳しい口調で告げる。
「え?」
ところがフィアは突然様子が変わったセシリアを唖然と見上げているばかりだ。
「いいから! あの子にはフィアが必要だってこと!」
籠を押し付けて立ち上がらせるとヘイスティをかけて背中を強く押す。
一瞬迷っていたようだが、彼にしても妹の様子が気になっていた。既に遠くなりつつある背に向けて、いつも以上の速さで追いすがる。
遠くなりつつも近づきつつある兄妹の背を見ながら不安そうに眉をへの字に曲げて、
「そういえば、今はセシリアなんだっけ……。居心地が良すぎて忘れかけてたかも」
小さくぼやいた。
フィアとリリーにどのような話し合いがもたれたのかは分からなかったが、一足先に村へ戻ったセシリアと合流した時もう泣いていなかった事から何らかの解決が図られたのだろう。
寄り添っている2人を見て何もなくてよかったと心の底から安堵した。
心配かけて済まなかったと謝ると、ついでのように言う。
「でさ、明日リリーと出かけようと思うんだが、良かったらセシリアも……」
フィアの言葉は最後まで出るより早く、セシリアに足を思い切り踏まれた事で中断された。
隣ではリリーが不安げに兄を見上げていたが、踏まれた事が理由ではあるまい。
「"2人"で、楽しんできてください。私は用事がありますから」
つくづく空気を読まないフィアに若干の頭痛を覚えつつもきっぱりと宣言した。リリーの表情がほっと和らいだのは言うまでもないだろう。
「んじゃ今日は仕事も休ませて貰ったし、夕方には戻るから」
「行ってきます」
元気良く玄関に並んだ2人を見送ったセシリアはお茶を飲みながら家の中でのんびりしていた。
用事があるといっていたのは嘘だ。いや、2人を送り出すのが用事だったといえなくもない。
「もう少し考えないとダメか……」
誰も居ない室内の中で一人ごちに呟く。
いっそ今からでも街を目指すべきかとも考えたが、大きな街よりこういった小さな農村の方が見つかる可能性は低いだろう。
ここから離れるのは得策ではない。
「何かフォローする方法を考えないとなぁ」
ぐんにゃりしながらお茶を飲み終わると一度大きく伸びをしてから立ち上がる。
今日も1日、家事の始まりだ。
掃除を手早く済ませてから窓の外を見上げ陽が高くなってきたことを確認すると洗濯物を片付けるべく井戸へ水を汲みに行く。
「ガリアさん。水汲みですか?」
井戸は共用の物を使っているからこうして誰かと顔を合わせることはよくある。その度に、まさに文字通りの井戸端会議が開かれるのだ。
村での生活に不便はないか、フィアに困らされていないか、話題は沢山ある。
その一つ一つに丁寧に答えていると、突然森の奥のほうから一人の村人が駆け寄ってきた。
「村長、この間の手配書の奴等が森の中に居るんだ!」
息を切らしながら勢い良くまくし立てる姿を見て、ガリアとセシリアの顔がにわかに厳しいものに変わる。
オークの討伐をしに来てくれた彼等が持っていた2枚の手配書は今でも村長の家の前に張り出されていて、村人中の知る所だ。
外見も珍しい彼等を見間違うとは思えない。
「むぅ……」
リュミエールに使いを出すべきか、はたまた村人を避難させるべきなのか、ガリアは難しい声をあげて唸った。
18程度の歳若い騎士が本当に異常な力を有しているのか、彼等にとっては半信半疑なのだ。
「どの辺りで見ましたか?」
「この間、オークが群れていた広場のようなものがもう少し先にもあるんです。その少し手前で……」
次の瞬間、セシリアはお礼どころか最後まで聞きもせずに駆け出す。背後から呼び止める声がしても気付かないほど焦っていた。
フィアとリリーが向かった先も森の中の広場だと言っていた。
同じ場所かは分からなかったが、可能性はある。なによりそんな危険な場所に2人を放置するわけには行かない。
彼女は手配中の騎士達が相応の力を持っている事を疑っていない。もし彼等が2人に接触したら何をされるか……。
ましてフィアは剣の重さに慣れるよう通達してからずっと剣を持っている。万が一リリーを守ろうと手を出したら勝ち目などない
ヘイスティをかけ、足場の悪い森の中を突き進む。森の中は陽も遮られ涼しいはずなのに、嫌な汗が背中にじっとりと浮かんでいた。