森の中の村で-5-
それから1週間が過ぎた。
村は今日も平和で、文明の利器がない生活にも慣れてきたセシリアは担当する家事を少しずつ増やしている。
元々フィアとリリーの2人で全ての家事を分担していたが、2人にはそれぞれ仕事がある。
初めはセシリアも彼等の仕事を手伝おうとしたのだが、却って村人を恐縮させてしまうようで、仕方なく引きこもってできる家事に集中する事にしたのだ。
プロネカマを目指していた頃の修練で家事全般のスキルは鍛えてあった。実践ほど経験に繋がるものはないのだ。
しかしながら、セシリアの家事は文明に支えられ成り立っていた。
はたきとモップ、それから雑巾の3つを使い掃除をした経験なんて学校の大掃除くらいだったし、洗濯機を使わず、板を使って洗うのだって家庭科の授業で1度体験したくらいだ。
料理に至っては食材が現代と微妙に違う。
似た味、似た食感の食べ物はあれど、みなどこか微妙に異なっているのだ。
だからリリーが食事を作っている姿を観察して、材料を食べて、出来上がったものを食べて味や食感を記憶して近いものに結び付けていく。
そしてこの度、遂に初めての朝食作りを買って出たのだ。
朝早くから起き出したセシリアは畑から取れたばかりのごつごつした堅い手のひらサイズの赤い作物を数個、苦労しながら真っ二つに切り分ける。
真ん中に密集していた種を丹念に取り除いた後、皮を綺麗にむいて薄切りにした。
それを沸騰した湯が満ちた鍋の上に薄い布を引いた竹の籠を載せ蓋をしただけの簡単な蒸篭で蒸す。
作業の傍ら森からフィアが採って来た、これまたよく分からない白い球根状の野菜を薄切りにしてひとまずは準備完了。
カイトに渡されたアイテムの中からバターを取り出し鍋に溶かした後、球根の薄切りを弱火でじっくりと炒めた。
火が通るまでの間、昨日の夜から火を通していた鍋の中身を確かめる。
そこにはリリーが料理に使った野菜の切れ端を劣化しないといっていたインベントリに保存し貯めた物と、鳥っぽい動物のひき肉が浮いている。
黄金色に輝く液体は鶏肉のブイヨン、だと思われた。一口飲んでしっかりと旨味が出て目的のものになっている事を確認する。
赤い作物は蒸すと手で崩れるほど柔らかくなり、仄かに甘い味がする。これはどこか、カボチャに似ていた。
白い球根状の野菜はそのまま食べるとぴりりと辛く、火を通すと甘さを出す辺り、さしずめ玉葱といったところか。
野菜の切りくずはこの際なんでも良かった。というより、一度試してみないと味なんて分からない。
ぶっつけ本番で、微妙なら調味料でどうにか誤魔化そうと思っていたセシリアだったが、思いの他ちゃんとした味になって自然を笑みを浮かべた。
放置した牛乳から分離した脂肪分、いわゆる生クリームをスプーンで別の容器に移してから、裏ごしした似非カボチャと丹念に擦り潰した似非玉葱を混ぜ合わせ、ブイヨンを加えたところでよく馴染ませる。
それが終わった後牛乳を加え1度煮立させたところに、別の容器へ移した生クリームと、これまたカイトから貰った塩っぽいものと胡椒っぽいものを使って味を調整すれば完成だ。
後は村で飼育している鶏っぽいけれど大きさとか風格がちょっと違う鳥の生んだ卵を使ってふんわりとした炒り卵を作る。
この村の、というより、リュミエール周辺の主食はパンだ。
雨の日や時間の空いている時に買い置いてある材料を元に一家総出で作り上げている。
流石にパンを一から作る過程など見たことのなかったセシリアにとって新鮮な光景ともいえた。
まず初めに眠り眼を擦りながらリリーが起きてきた。台所に満ちる嗅いだ事のない匂いに目を瞬かせている。
続けて大あくびをしながらフィアが現れた。きちんと髪を梳かしているリリーと違って、フィアの頭は盛大に爆発していた。
「おー、なんか不思議な匂いがするな……」
朝が弱いのか席についても舟を漕いでいるようだった。
リリーはそんな兄の袖を引っ張って表へ出ると井戸へ連れて行き盛大に水をかける。
5分ほどで全身ずぶ濡れになったフィアが戻ってきた。目はしっかりと開いているが別の意味で閉じられそうである。永遠に。
よほど水が冷たかったのかガタガタと震えている兄を、濡れるからという理由で玄関に立たせると、部屋から着替えを持ってきて渡す。
「は、派手ですね……」
「兄様はお寝坊さんなのです」
それでもリリーに文句一つ言わない辺り、フィアがどれだけ妹を甘やかしているかはよく分かる。
流石にセシリアの前で着替えるのは不味いと思ったのか、家の裏手で着替えてきたフィアがテーブルに四肢を投げ出してぐったりとへたりこむ。
「心臓が止まるかと思ったぜ……」
まだ寒いのか、フィアは顔を青くしていた。
そんな彼の前にオレンジ色に染まったスープを置く。
「初めて見るな。セシリアの住んでた場所の料理なのか?」
「そんな所です。スープの一種でカボチャのポタージュって言います」
村のスープと言えば一口サイズに切った野菜を塩で味付けした透き通る色合いの物を言う。
不透明かつとろみのあるスープは初めてなのだろう。木製のスプーンで掬っては物珍しげに眺めていた。
「パンと一緒に食べると合うと思いますよ」
家の台所をこれまでずっと勤め上げてきたリリーは見知らぬ料理に興味があるのか、掬って口に運ぶと驚いたように目を丸くする。
「……甘いです」
ベースを似非カボチャのペーストにしているから、ポタージュスープはしっかりとした甘みを持っていた。
この辺りではまだ砂糖が普及しておらず、甘いものは普段の食卓に上がらない。
それ故に、普段自分たちが何気なく食べている作物の調理方法を工夫するだけでこんな味が出せる事にただ驚いていた。
「凄いな。リリーは母さんの得意だったレシピの繰り返しだからさ、レパートリーが少ないんだ」
瞬く間に朝食を食べ終えたフィアはよほど美味しかったのか、幾度となく料理の腕前を褒めた。
リリーはそんな兄の様子に多少むくれつつも、セシリアの料理をいたく気に入った様子だった。
「良かったらさ、また何か作ってくれよ」
フィアは妹のレパートリーが少ないと言っていたが、若干12歳の少女が毎日の食事を作るのは随分と重労働だったはずだ。
セシリアが作ったポタージュスープは、ミキサーと電子レンジさえあれば20分も掛からない。
それがこの世界では、1時間以上の時間をかける必要があった。
「兄様はお料理の大変さを知るべきです。セシリアさんも本気にしなくていいですから」
申し訳なさそうに頭を下げるリリーはよく出来た妹なのだろう。
奔放なフィアを見て育ったから余計にしっかりせねばと思うようになったのかもしれない。
「いいえ。私は時間もありますし、このくらいで良ければ幾らでも」
だからセシリアは、そんな彼女の負担を少しでも減らせるならばと思って、毎日の食事の用意を引き受けることにした。
フィアの休憩時間が始まる少し前になるとセシリアはいつも使っている場所で彼を待つ。
この1週間ひたすら素振りを続けていただけあって姿勢や振り方は安定している。剣を取り落とすこともないだろう。
次にセシリアが目指したのは鞘から抜いて振る事。
村の端にある共同の薪置き場に移動すると、まだ割っていない木を置いて割ってみるように指示した。
本来なら薪は剣で斬るには堅く、斧のような先端が重い刃物で勢いをつけて叩き割るべきなのだが、よく手入れされているとはいえ、小屋の片隅に立てかけられている斧よりもこの剣の方が攻撃力はずっと高いはずである。
緊張した手つきで封印に使われていた蔓を解くと力を篭めて鞘から引き抜いた。
「これ、何で出来てるんだ……?」
「実はよく分からないんです」
剣と言えば鉄や鋼といった金属的な色合いが一般的だが、鞘から引き抜かれた刀身は透き通る様な薄い青を伴っている。
名前はオーシャンズブレード。水棲系の敵がわんさと沸くダンジョンのボスモンスターが稀にドロップする為、水の魔剣と呼ばれていた。
ドロップした物なので材質など分かろう筈もない。神秘的な何か、としか言いようがなかった。
ただ鉄や鋼と言った普通の金属ではないことだけは確かだ。
フィアが素振りの時と同じように右足を前に出して深呼吸した後、気合を篭めて剣を振り下ろす。
剣が薪に吸い込まれるように刃を食い込ませ、止まる事もなく真っ二つに引き裂いた。
それどころか、薪割りの台に使っている古株さえ半ばまで断ち切っている。フィアが腕を止めなければそのまま両断せしめていただろう。
「なんか、全然抵抗がなかったんだが……」
薪を斧で叩き割る時に1度で断ち切るのは大の大人でも難しい。
中間あたりまで刃が食い込んだところでもう一度打ち下ろして分割する、もしくはそれを何度も繰り返すのが普通だ。
真っ直ぐ割るためというのもあるけれど、1回で叩き割るには相当な馬鹿力を要する。
にも拘らずさしたる抵抗もなかった。恐るべき切れ味である。
「ちゃんと綺麗に斬れてますね。それじゃ、ひとまずここにある材木を全部斬っちゃいましょうか」
セシリアが置く、フィアが剣を振るう、薪が2つに割れる。
このサイクルをお昼時までずっと続けた結果、材木の大部分は薪へと姿を変えた。
目標に向けて振り下ろす動作は畑仕事で慣れているのだろう。時々斜めに切ることもあったが、大方真っ直ぐに切れている。
「おっし、もしかしてこれでオークにも勝てたり……」
「するはずないでしょう。動く相手に攻撃を避けながら攻撃するなんて今のフィアには無理です。攻撃にしても上段からの正面斬り下ろしだけじゃないですか。隙が多すぎて空振りした所を美味しくいただかれますよ?」
セシリアが教えているのはまだまだ初歩的な剣の振り方だけだ。
構えて、振り上げて、一気に振り下ろす。ただし切っ先は地面に触れさせない。
一連の動作は流れるように運んだとしても時間がかかる。動き回る敵を捕捉することは難しいだろう。
まして、振り上げる動作は敵に攻撃してくださいと万歳するようなものだ。振り下ろす前に息の根を止められること間違いなし。
「調子に乗って森や平原のモンスターに斬りかからないようにしてくださいね」
「流石に俺でもそこまではしねぇって」
どうだか、ともう一度入念に釘を刺してからお昼を食べに一度家へ戻る。まだリリーは戻ってきていなかった。
その間にフィアたちが仕事をしている最中に仕込んでおいた昼食とポタージュの残りを食卓に並べる。
少ししてから両手をちゃんと洗ったリリーが戻ってくるなり、まだ手の汚れている兄を目ざとく見つけて井戸へずるずると引っ張っていく。
「どっちが年上なんだか……」
手を洗う所をしっかりと見張られ、注意までされている兄の姿は村人の笑いを盛大に買っていた。
「何か最近妹が細かい所まで気にするような気がする」
いつになくしっかりと手をあらわされたフィアが、まるで朝の一幕の繰り返し再生のようにテーブルに突っ伏す。
「兄様が気にしなさ過ぎなんです」
リリーはそんな兄を見てどこか満足げに笑っていた。
「さ、お昼にしましょうか」
全員揃った所で配膳を終えると、フィアは真っ先に今朝食べたポタージュに目がいったようだ。
「あれ、でもこれ冷たくね?」
皿に触れたフィアがまた目を丸くしている。一口食べてみると、井戸の水に似た冷たさが広がった。
それもそのはずで、セシリアは朝作ったポタージュの残りを井戸水を何度も交換しながらずっと冷やしていたのだ。
ポタージュは出来立ての熱々も美味しいが、冷たくしても美味しい。
日中になって気温が上がってくるのを見越してこちらの方が食べやすいと思ったのだ。
冷たいスープというこれまた珍しい食べ物は好評だったようで、2人とも残さず綺麗に食べ尽くすのだった。